はてなキーワード: 孤立とは
イスラエルは中東国家から蛇蝎のように嫌われており、中東で孤立状態にある。
かつてアメリカを中心とした西側陣営はサウジアラビアを西側へ引き込もうと様々な援助を行ったが、結局今年八月にサウジアラビアはBRICs(中露陣営)への帰属を発表し、アメリカの中東におけるパワーゲームは見事に失敗した形となった。
その失敗によって苦境に立たされたのはどの国だろうか? イスラエルである。
反イスラエルを掲げる武装組織は複数あり、BRICs陣営の某国がそれら武装組織を支援しているというニュースは公然の秘密である。一機数十万~数百万のドローンによって数億円の戦車が破壊される映像が今回のガザ動乱では世界に向けて発信された。Poor warとでも言うべきか、武装組織は安価かつ強力な兵器で武装することに成功しており、毎年数千億円の軍事援助をアメリカから受け続けるイスラエルとは言えど、その対応には苦慮している。海外のニュースソース(アルジャジーラ)によれば、ガザ地区に投入された機甲戦力の23%に及ぶ九十台近い戦闘車両が現時点で破壊されており、その苦戦の色は濃い。また、前線で指揮を執っていた機甲部隊の司令官の一人であるシェルダグ・ジオール大佐が戦死したとのニュースが11月に入って舞い込んできた。繰り返す通り、イスラエルは孤立しており、支援された武装勢力によるPoor warに果たして今後二十年三十年耐え続けられるかというと疑問である。イスラエルは孤立している。
さて、そんな中で、今年の九月に入って、イスラエルはサウジアラビアとの国交を回復させる政治交渉を開始していた。
これは、一度は西側の勢力下から離脱したサウジアラビアを引き戻すという意味での交渉であると、世界中の人々が捉えていた。
勿論、この交渉は十月に入って行われたハマスによる奇襲攻撃によって立ち消えとなり、サウジアラビアは公式にこの国交正常化交渉を凍結したのだが、この2023年に至るまでの経緯を考えれば、イスラエルが本当にサウジアラビアに対して『西側に引き戻す』という悠長な交渉を仕掛けようとするだろうか?
寧ろ、イスラエルの人々に必要なのは、明らかに中東のBRICs陣営に対する恒久的な平和条約であり、和解であり、友好関係である。勿論、歴史的経緯を考えれば、そのような友好関係を取り結ぶことは難しいものの、しかしBRICs勢力が伸長していく中で、表立って彼らを敵に回すことは避けたいはずだ。わざわざ敵対的な態度を中東のBRICs陣営に対して取り続ける意味は無いはずだ。
いや、一つだけある。そのような行動を取り続ける理由が一つだけある。
『私たちはあなたがたの予想通り、想像通り、BRICsの人々と対立していますよ』というメッセージは、西側のイスラエルに対する友好的な態度を引き寄せるはずだ。というか、正直なところイスラエルがBRICs陣営に対して強硬的な態度を取り続ける理由は、それ以外に無いのである。
想像してほしい、周囲の国々を数十年に渡って侵略し、殺戮し、強権を奮い続けてきた国家で生きるということを、その国の為政者であることを。想像して欲しい。それが、どれほど心胆を寒からしめる事実であることかを。四方八方の国々が自国を憎悪している、その渦中の国家の為政者であることを想像して欲しい。彼らが喉から手が出るほど欲するであろうものが何であるかは、火を見るよりも明らかだ。それは恒久的な平和条約だ。
そして、それは許されないことなのだ。
西側陣営の一国であるというアイデンティティが、彼らに年間数千億の軍事援助を提供し続ける某国が、そのような願いを許すはずがないのだ。
体調不良と就活説明会を交互に挟んでゼミに半分も来ない、来週締め切りだってのにRQの設定すら出来ていない。実験も調査もしなかったからデータがない、論じるものもない。
論文どころか本も読んでないしニュースも見てないから基礎知識が欠如している。文章も助詞の使い方レベルで直しが必要だけど、何度言っても学内のピアサポート的なサービスは利用しない。一度引っ張っていったんだけどね。友達がいないしゼミでも孤立してるから相談相手がいない。
ゼミの進捗報告会も指定の資料すら作らず口頭で忙しいからやれませんでしたを連呼する地蔵になるだけ。たまに来た授業も終わったら一瞬で消えるから連絡が取れない。電話は着信拒否してんのかってレベルで出ない。ゼミ内の連絡ツールも普段のやり取りからすると見てない。
で、腹くくってご家族にもう非常に厳しいとご報告したら突然焦りだしたけど、明日はバイトだからできないってさ。そもそも単位落としまくってるから4年後期でもがっつり授業取ってるんだけどね。
上長に相談したら明確には言わなかったけどおまえが卒論書けって。喜べ、あなたは一生つきまとう卒論代行という負い目を追うことで卒業できる。私も不正に関わった研究倫理皆無の教員になるけどな。
しかし大抵、その人の優しさは本当の優しさじゃない。
弱者男性は根は優しい
彼は安心して子育てをできるように経済力を身につけたり、支えられるだけの男らしさを手に入れたり、居心地よくするためにコミュニケーション能力を鍛えたり、
…強くなるために努力するはず。愛する女性のために強くなるはずだ。
しかし、強くならず弱者のままでいるのだから、すなわち本当の意味で優しいわけじゃない、ということ。
はてぶコメで、はてサのお歴々が一生懸命「自分を」擁護してるけどさ
Ⅱ-2.夫婦の出生力
https://www.ipss.go.jp/ps-doukou/j/doukou15/gaiyou15html/NFS15G_html07.html
によれば、2015年でも1.94なんだよね。
2021でも1.9あるわけよ
んじゃなんで激烈に少子化進んでんの?って言えば
晩婚化も進んでるが、未婚化も進んでる
そういうことを直視できなくて
はてサは「子供を生むことを優遇すれば子供は増える」って思ってる
んなわけ無いじゃん
なんで楽しい自分の人生で子育てなんて「面倒臭い」ことをしなきゃならんのか、という価値観になってるんだよ
社会を切り捨てて、核家族になり、好きなことをして生きるという麻薬にどっぷり浸かってる
そういう人間の子供が欲しいってのは、犬猫を飼いたい、っていうようなもの
だから、夜泣きで起こされちゃう、みたいなことをトンデモナイ重労働みたいに言い始めて
マジクソ
本当の弱者とは努力すればするほど逆に悪い方向に行ってしまうような人間のことだ
あまりに無能すぎて、本人は前に向かって進んでいるつもりでも、傍から見ると全力で逆走しているのが本当の弱者
で、どんどん周りに迷惑をかけたりする
周りから注意されたりアドバイスを貰っても、それを理解できない
むしろそういうことを言われると逆上したりする
本人としてはただ普通に周りと同じように振る舞っているだけなので、なぜそんなことを言われるのか本気でわからないのだ
だから「この人は悪意を持って私を攻撃しているに違いない」と考える
なぜ趣味がなくなるのが辛いかっていうと、自己のアイデンティティの喪失だからだ。
どれも失うと辛うのはそこに自己を構成する要素の欠落を感じて不安になるからだ。
人間は孤立していると不安を感じるようにできているし、アイデンティティの喪失は孤立への第一歩なのだ。
趣味だから意気込みは人によって違うけど、ペットが亡くなったとか恋人と別れたとか仕事を失ったとか
そういうことと同じレベルで、君は混乱し傷ついて不安になってしまっている。
そして傷ついているので、このネガティブな感情がずっと続くと感じてしまっている。
だから
この先の人生長すぎて今すぐしにたくなってきた
とまで思い込んでしまっている。
これは正常な状態ではないはずだ。
だからまずは傷ついた自分を認識して受け入れいたわるようにしよう。
趣味だから周囲からは軽く見られるかもしれないが、今まで楽しんできた分だけ喪失感も大きいはずだ。
今まで行ったことがない場所に行ったりすることや新たな体験で新たなアイデンティティが創出され、自分を回復していくことになる。
前までその趣味のせいでできなかったけど興味があったことなどやってみるといいと思う。
発達障害(診断済み)、女です
うちは兄弟のほとんどがおそらく発達もちで、父がたぶんADHD。母はキレやすいが頭のいいお嬢さまだ。
自分が発達の診断を受けたのは大学進学がきっかけで、大学に馴染めず精神をいわしたことがきっかけだ。
今までもっとしんどい思いをしてきたのに、なぜここにきて急に?と思い、いろいろ病院を巡った結果発達障害と鬱の診断がおりた。
結論から言えば私が精神をいわしたのは父母の支配がなくなったからであった。
うちの家は昔ながらのゲンコツ教育で、物心ついたときから箸の上げ下ろしさえ父母の顔色を伺う家庭だったのだ。
発達障害というのはある種の個性であるなら、個性の隙間すらないほど叩きのめす教育を施せばよいのである。
私は自分には支配してくれる人が必要なのだと思い、超モラハラ気質の人間とばかり好んでつるむようになった。彼らもまた、孤立しがちなタイプであったため、私のようにモラハラされたい人間は好都合だったようだ。
かつての友人らからは心配される交友関係ではあったが、精神の回復はすさまじく、鬱も障害の特性もすっかりなりを潜めたのである。
発達障害者のみなさん
モラハラと付き合いましょう!
https://youtu.be/XkcX0d6cPOE?si=9-utUtpjh64Az9Wp
元のYoutube
https://youtubetranscript.com/?v=XkcX0d6cPOE
https://www.tiktok.com/discover/nadine-ashtyn-eskridge
彼女の主張には色々同意できない部分もあるのですが、翻訳をそのままはります。
よかったら読んでみてください。
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こんにちは、皆さん。私の名前はアッシュです。私のことをTikTokでAshton Eskridgeとして知っている方もいるかもしれませんし、YouTubeで初めて私を見つけた方もいるかもしれません。これは私の初めてのYouTube動画です。知らない方のために説明しますと、私はディトランジショナーです。以前、TikTokで私のトランジションの話とその後の変化についての動画を投稿し、それが大変な反響を呼びました。多くのニュース会社や、インターネット上の素晴らしい人々、例えばブレア・ホワイト、オウンズ・メン、クロエ・カルなどから注目を集めました。それは本当に驚くべきことでした。そこで、私は主なプラットフォームをTikTokからYouTubeに移すことにしました。なぜなら、TikTokでは皆が非常に憎しみに満ちており、そこでコンテンツを作り続けることは私にとって非常に消耗するものでした。だから、ここで試してみることにしました。もっと良い結果が出るかもしれませんし、私はコンテンツ作りを続け、私の物語を使って人々を助けたいと思っています。
子供の頃から、私はいつも非常に女性的でした。女の子であることが大好きで、そのすべてが好きでした。きれいな服、きれいなメイクが大好きで、いつもメイクを試していました。そして、きれいで美しいと見られることが大好きでした。たくさんの女友達がいて、女の子らしい趣味を楽しんでいました。成長するにつれて、女の子であることに全く問題はありませんでした。思春期を迎えても、それは私にとって問題ではありませんでした。もちろん、身体的には不快ではありましたが、間違った思春期を迎えているようには感じませんでした。自分の体が変化すること、生理が来ることは自然なことと感じていました。
13歳の時、精神的な健康に問題を抱え始めました。非常に鬱状態になりました。そして、本当に本当に多くの苦悩を抱えていました。それはちょうどCOVID-19が流行し、すべてがロックダウンされた時期でした。皆が家に閉じ込められ、私は持っていた友人たちや外の世界から完全に孤立しました。家を出ることはほとんどなく、TikTokやDiscordでの時間を過ごし、アニメを見ることが多かったです。なぜなら、当時の私はちょっと変わった13歳だったからです。
TikTok上の人々がトランジションについてのコンテンツを投稿しており、それが彼らにどれだけの幸福をもたらしているか、医療的なトランジションの全てについてのことなど、私のフィードにはそうした動画が溢れていました。それらはまるで押し付けられるように表示されていました。
私はそうした動画を見て、自分がノンバイナリーだと決め、アシュトンからグレイに名前を変え、they/themの代名詞を使い始め、髪を全て剃り落としてクリーンなバズカットにしました。それはとても大変でした。私は多くのトランスのYouTuberを見ていました。ジェイミー・レインズやサム・コリンズなどです。彼らからトランスに関する情報を得て、そのチャンネルの動画をほぼすべて見てしまうほどの深い穴にハマりました。そして、ノンバイナリーではなく、完全にトランス男性になりたいと決めました。私はグレイからグレイシンに名前を変え、髪を少し伸ばして、より男性的なカットにしました。それでも見た目はひどかったですが、それについては話す必要はありません。
家族に伝えたところ、彼らはとても混乱しました。なぜなら、私が育ったとき、私はいつも非常に女性的で、それについて何の問題も感じていなかったからです。彼らは私の幼少期に何の前兆も見ていませんでした。家族はたくさん質問をしましたが、私はただ反抗的で、彼らの質問をすべて封じ込めてしまいました。
私の家族が私に対してトランスフォビア(トランスジェンダーに対する偏見)を持っていると決めつけ、彼らをそう呼んでしまいました。実際には、彼らはただ自分の子供が何を経験しているのかを理解しようとしていただけでした。これが、長い間私たちの関係に大きな亀裂をもたらしました。私は彼らがトランスフォビアであると感じていた時、実際には彼らは単に混乱し、何かを理解しようとしていただけだったのです。
大体3~4ヶ月後、家族は私の変化を受け入れ始め、私のために正しい代名詞や名前を使い始めました。その時点から、彼らはとてもサポートしてくれましたが、もちろん混乱はまだありました。私はバインダーを使い、胸を締め付けるようになり、それはとても不快で、呼吸が困難でした。常に自分の胸がどう見えるかを意識していて、外出するたびに、「彼らは私が胸がないことに気づくだろうか」と心配していました。恥ずかしいことですが、ネットで認めることになりますが、靴下でパッキング(男性器を模倣するための方法)をしました。私は率直なので、このことを隠さずに話します。最終的に家族は、アシュトン・ローズからグレイソン・クインに合法的に名前を変更する手伝いをしてくれました。高校を始める前に裁判所で手続きを済ませ、出席を呼ばれる際に間違った名前で呼ばれ、トランスジェンダーであることが露呈するのを避けました。
14歳の頃、私は外出してただ男性たちを観察しました。彼らの立ち振る舞い、自分を持っている方法、歩き方、座り方、態度、使っている言葉など、私はそれらを真似しました。男性らしい言葉を私の語彙に取り入れ、その時点で私の生活は実際には演技のようなものになりました。公共の場所に出かけるたび、人々と付き合うたび、人々と話すたび、私はその演技を続けました。
私は自分がどのように振る舞っているか、特に男性的に振る舞えているかに非常に集中していました。私が言うことが男性らしいか、男性として疑問に思われないか、そういったことが私のエネルギーの多くを奪いました。一日が終わる頃には、ただこの男性としての偽りの姿を続けることによる疲労感でほとんど疲れ果てていました。社会に受け入れられるため、ただ通り抜けること、男性として受け入れられることに非常に焦点を当てていました。
私はトランス男性としてのレッテルを不快に感じていました。なぜなら、私はただの男性でありたかったからです。私の女性としての身体的特徴に関わりたくなかったし、女性が男性になろうとしているという事実に還元されたくなかった。私はただ、男性として認識され、生まれた時からそうであると人々に信じ込ませたかったのです。そのため、私はステルス(トランスジェンダーであることを隠すこと)に非常に努力し、誰にも自分が女性として生まれたことを知られないようにしました。驚くべきことに、それはうまくいき、新しい自分として出会った全ての人が私が男性として生まれたとすぐに思い込んでいました。彼らは疑問を持たずに受け入れ、そのために、私は男性として生まれたという偽りを続けなければならず、それはさらに疲れるものでした。それはただの演技で、トランス青少年の多くも同じように感じていると思います。演技なのです。
確かに、実際のトランスジェンダーの人々の存在を信じています。彼らは存在し、非常に少数です。しかし、今日の現状では、TikTokのトレンドとして多くの人が流れに乗っているため、TikTokでトランスジェンダーと自己同一視している人々の中で、実際にトランスジェンダーである人はごくわずかです。それは非常に小さい割合で、大きなトレンドとしてアプリを席巻しています。それは無害なトレンドではありません。子供たちにダメージを与え、彼らの身体を永続的に傷つけています。
ステルスのトランス男性として生活を始め、シスジェンダーの男性として認識されるようになっても、私は常に男性のグループの中で浮いているような感覚を抱えていました。私は彼らと本当に馴染むことができないと感じていました。他の男性と会話するのが難しく、私はいつも不器用でした。なぜなら、他の男性たちのような騒がしく、面白い性格を持っていなかったからです。
私は基本的に内気な女の子だったのです。しかし、女性たちと一緒にいるとき、私はとても自然に、はっきりと話すことができました。無理に強いる必要はなく、言葉は自然に流れ、女性たちと非常にうまくやっていけました。その理由は、私も女性だったからです。女性たちとの方がうまくやっていけたのは、私が女性だったからであり、男性たちとそうではなかったのは、単純に私が彼らの一員ではなかったからです。私はただ男性であろうとしていただけで、本当はとても不幸でした。
そして、私はホルモン治療を始めたいと思いました。なぜなら、それが私をより良く感じさせると思ったからです。私は男性らしくないことが不幸の原因だと思っていましたが、実際には全く男性ではなかったために不幸だったのです。しかし、私はもっと男性らしくなりたいと思い、テストステロンが引き起こす変化を経験したいと思いました。それが、より男性として疑問に思われないようになり、私がやりたいことができると考えました。
家族はホルモン治療に関して非常に慎重でした。彼らはそれを望んでいませんでした。彼らは私を支持していたとしても、本心ではそれが私にとって正しい道ではないと思っていたからです。しかし、私は「トランス男性の息子を持つか、死んだ娘を持つか」という論点を用いて、彼らを絶えず罪悪感にからめとりました。私は懇願し、執拗に頼み込み、最終的には医師との相談の予約を取り付けました。そして、医師たちもまた、私の両親を罪悪感で追い込みました。結局、私の両親はホルモン治療を受け入れることになりました。両親はそれに同意し、同意書に署名をしました。
私がテストステロンを始めたのは、16歳になったばかりの時でした。たしか10月だったので、16歳になってから約1ヶ月後です。私がそのホルモンを手に入れるのがどれほど簡単だったか、それは驚くべきことです。処方箋を得る過程では、まず3ヶ月待って予約を取り、その後、医師と話し、テストステロンが引き起こす変化についての小さなアンケートやパンフレットを通じて情報を得ました。
そして、同日にクリニック内のカウンセラーと話すことが求められました。しかし、彼女は私の性自認についてほとんど質問しませんでした。もちろん、「あなたの代名詞は何ですか?好きな名前は?」などの質問はありましたが、その後は「学校はどうですか?生活は?友達は?」といった、性別とは全く関係のない一般的なセラピーのような話題に移りました。彼女が私と話している間にも、まるで確認することなく、私が本当にトランスジェンダーかどうかを確認せずに、推薦状を打ち出しているようでした。私と話したのはたった30分で、彼女は私のことをほとんど知らず、私の実際の性についてもほとんど尋ねませんでした。それから処方箋をもらい、陽気に帰路につきました。テストステロンを始めるのが、次の日にはできるほど、信じられないほど早く、実際にトランスジェンダーかどうかを確認することなく進められました。
私にとって、これらのホルモンを処方する方法は最悪であり、これを変えることはしばらくないと思います。それが、未成年者にこれらのホルモンを渡している方法が、私にとって信じがたい、狂っていると感じる理由です。私は16歳で、まだ16歳です。1ヶ月後に17歳になりますが、その時もまだ未成年です。
テストステロンが私に引き起こした変化は、もちろん声が低くなることです。このビデオ全体を通して、私は声を上げて話しています。これが、声を上げないで話した場合の私の声の音です。テストステロンをやめてから、声はかなり高くなりましたが、元々の声よりはまだ低いです。テストステロンを始める前よりもずっと低い声です。
顔の毛が生えるようになり、それを剃り落とさなければなりません。顔がより角ばり、顎のラインがよりはっきりとしました。体毛の成長もかなり増えました。テストステロンを始める前にもかなり濃い体毛がありましたが、始めてからはものすごく濃くなり、私が知っている生物学的男性よりも毛深くなりました。食欲がかなり増し、性欲もかなり増しました。テストステロンが引き起こす下部の成長が起きました。髪がかなり薄くなりましたが、幸いにもかなり回復しました。胸毛、腹毛、背中の毛、つま先の毛など、以前は毛が生えていなかった場所に毛が生えるようになりました。とにかく毛が至る所に生えました。
そして、私の妊娠能力については分かりません。子供ができる可能性があるといいのですが、実際には分かりません。生理はテストステロンをやめてから幸いにも戻りましたが、以前よりもかなり不規則です。生理が正常に戻り、普通の量の血が出るようになれば、子供ができる可能性があると考えられますが、まだ分かりません。テストステロンを始めた理由は、それらの変化が自分自身について良く感じさせると思ったからです。しかし、実際には、それらは私をより自分自身について悪く感じさせました。鏡を見ると、それが嫌いでした。体毛が嫌い、汗が増えたことが嫌い、顔の変化も嫌いでした。それが、私が自分自身を再評価し始めた時です。
気づいた時、私は間違っていたことに気づきました。私は本当は男性ではなく、ただの女の子で、混乱していただけでした。しかし、ディトランジショナーについてオンラインで見たことがあり、人々がどのように反応するかは恐ろしいものでした。彼らが直面するバックラッシュは信じられないほどでした。そしてもちろん、人生の3年間を一つのこととして生き、周囲の人々にこれが私だ、これが私にとって正しいことだと納得させた後で、彼らが「いいえ、それは違う」と言うのは恥ずかしいことです。そして最終的には「ああ、実はあなたがずっと正しかったんだ」と認めなければならないのです。ディトランジションは屈辱的です。何年も自分自身について間違っていたこと、体に永続的な変化を与えたこと、そしてそれが間違っていたこと。それは屈辱的です。
人々は「ディトランジションはトランジションよりもずっと簡単だ」と言いますが、実際には、私にとっては最初にトランジションする方がディトランジションするよりも簡単でした。私が話をした他のディトランジショナーにとっても同じです。トランジションすることの方が、ディトランジションすることよりも簡単です。なぜなら、社会はトランスジェンダーの人々を受け入れるように訓練されていますが、一旦「間違っていた」と公言すると、彼らは非難し、恥をかかせ、かつてサポートし、受け入れていたコミュニティから完全に疎外されます。受け入れてくれたはずのサポートのあるトランスジェンダーコミュニティは、あなたを切り捨てます。もはや彼らにとってあなたは何の価値もなく、実際には彼らはあなたを憎んでいます。そして、彼らは一日中あなたを憎むでしょう。トランスジェンダーコミュニティが皆を受け入れるなんて大嘘です。
私がまだ男性として生活していた時、かなり長い髪をしていました。それはおそらくここくらいの長さで、長い髪が好きだったのです。それは私がまだ自分自身であることを感じさせてくれたからです。たとえ他のすべてを変えようとしても、私はまだ私の美しい髪を持っていました。間違っていると気づき始めた時、私は本当に間違っていたくなかったので、自分を元に戻そうとしました。
男性であるという枠に自分を押し込む最後の試みとして、私は自分のアイデンティティに対する最後の固執、つまり「私は正しい、これが私だ、これに間違いはない」と思い、髪をすべて切りました。それをとても後悔しています。なぜなら、その約1ヶ月後に、私は実際にはトランスジェンダーではなく、ディトランジショナーであると打ち明けたからです。そして、今、私は髪を伸ばし始めることから全てをやり直さなければならないのです。それはとてもイライラします。
とにかく、私はこの決断をする必要があるとついに決心しました。なぜなら、女の子として再び生活している夢を見て、その中でとても幸せだったからです。目覚めた時、「もうこれ以上、この嘘を生き続けることはできない」と思いました。そこで、目覚めてすぐに爪を塗り、アイラインを引いて、数人の親しい友人たちに伝えました。そして、その朝、両親が起きたら彼らにも伝えました。そして、私は「ナディーン」という名前を使い始めることにしました。なぜなら、私は元々自分の名前「アシュトン」があまり好きではなかったからです。そこで、元の名前の一部を保持するために、「ナディーン・アシュトン・ローズ」と名乗りました。TikTokではプライバシーのためにまだアシュと名乗っていますが、実生活では皆がナディーンとして私を知っています。TikTokでアシュと名乗るのは、彼らが私が誰かを実際に知らないので、少し安全を感じるためです。しかし、TikTokから来た人で、ここでの私の名前がナディーンである理由を疑問に思う人もいるかもしれませんが、それが理由です。
ディトランジショナーとして最初にカミングアウトした時のバックラッシュは凄まじかったです。私の人生の中でトランスの人々が、突然私と何の関わりも持ちたくなくなりました。私はたくさんの友達を失って、テストステロンが私の体に残した永続的な影響と共に生きていかなければならなくなりました。
私の身体には常に多くの体毛があり、特に気になるのは声です。私の声は以前よりも低くなり、それが実際にとても不快です。この部分は本当に本当に私を悩ませます。化粧をしないで顔を見ると、自分が男性のように見えてしまうと思ってしまいます。眉骨の構造など、顔の形がより角ばってしまいました。だから、少しでも対処するためにアイライナーを使っています。
さらに、性転換がもたらした精神的なダメージについても触れなければなりません。それは私の自己認識を完全に破壊し、私はまるで10代の女の子としての3年間を失ったように感じています。それは本当に私を悲しくさせ、別のレベルで私を苦しめます。経験していない人には、性転換者が経験する喪失感がどれほど深いか理解できないでしょう。私たちは人生の大きな部分、自分自身の大きな部分を失います。
続き
貧乏者の子沢山というが、五反百姓に十八人も子供がいるような日本。
天然資源的に見れば取り代えるオシメにも事欠く程度の素寒貧だし、
持てる五反の畑も人里はなれて山のテッペンに近いような、
もしくは湖水の中の小島のような不便なところに孤立して細々と貧乏ぐらしを立てている。
気のきいた泥棒も、気のきかない泥棒も、そんなところへ物を盗みに行くはずがないじゃないか。
しかるにそこの貧乏オヤジは泥棒きたるべしとダンビラを買いこみ朝な夕なネタバをあわせ、
そのために十八人の子供のオマンマは益々半減し、豊富なのは天井のクモの巣だけ、
そのクモの巣をすかして屋根の諸方の孔から東西南北の空が見えるという小屋の中でダンビラだけ光ってやがる。
ここのウチへ間抜け泥棒が忍びこむよりも、このオヤジが殺人強盗に転ずる率が多いのは分りきった話じゃないか。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/45748_24336.html
男女の友情がなかったら、LGBTs はどーなるんだい?
トランスジェンダーだと分かった瞬間友情が破綻するんならクローゼットから出てこないだろうね。
多様性が認められる世の中だ。
あなた達もきっと、上手くいくさ。
こういう人間には以下の対策をする事が望ましい。利用価値のない人間は障害者雇用で仕方なく採用する場合を除いては民間企業にとって徒に採用コストを押し付ける行為であることを行政にはよくご理解いただきたいものである。
対戦ゲームの勝利至上主義って新自由主義が掲げる自己責任そのものだからね。
対戦ゲームをなんとなく受容していくうちに、人々は自己責任の価値観を内面化していくんだよ。
弱いのはお前が悪い。正しい努力をしなかったお前が悪い。
勝ちにこだわって練習しない方が悪い。ってね。
報われるのは勝者だけ。
建前上は楽しんだもん勝ちとか、グッドルーザーとか、いろいろ言うけどね。
結局注目を集めて賛辞を浴びて気持ち良くなれるのは勝者だけなんて、SNSを眺めてりゃ誰だってわかる。
厳しいねえ。厳しいよ。でも対戦ゲームはそれを良しとしてるわけだからね。
今年の夏は生まれてから31年目を迎えた。前に「失業」してから4年経とうとしている。その失業した仕事は契約社員を2年、それ以前はアルバイトで4年近く働いてて一番長かった。どちらも複数の理由で辞めたけど、片方は天災も絡んで色々厳しかった。
失業元年は失業手当を受けとれた。東京の家賃が安い穴場に住んでいるが、感染症が蔓延したり、オリンピックが強行されたりして、公共交通手段を積極的に使うのは憚られる時期だったし、元々フットワークが重い方なのでその時期の生活には馴染んだ。
初めはいやな仕事場から解放された喜びが大きかったし、まずは通勤からの解放を噛み締めた。続いて自炊や家事、ライフラインの見直し、選挙に行く、体調に合った健康的な食生活=結果金がかからなくなったりとか、預金とか、やらないと損するポイ活に渋々着手とか。生活を色々変えてゆき、その余裕ができたことに恩恵を感じ(早く辿りつきたかった悔しさ混じりではあるが)喜びはあった。
その後、去年は貯金で旅行に行ったが、一度前日や旅先で眠れなくなって不調になり、戻ってからは11連勤の倉庫作業で金を稼いだ。それは電車で数駅、混雑と逆方面だったから、やればできてしまう早起きをやった。夏に冷房のない過酷な環境だったが、ウォーターサーバーや塩飴から配慮を感じられたこともあり、熱中症や指の痛みに耐え、残業も全部出た。最終日の帰りには酒を10杯くらい飲み路上に座る、という金銭面にも身体面にも代償を出してしまい、しばらくは自責の念が止まらなかったけど、今は喉元すぎて、場所の思い出になった。
久々に働いた勢いで、一度は試したかったチャリ通勤の範囲のアルバイトを半年やった。展覧会の監視業務。近所で落ち着いた環境で試しに働くことを重視して始めたが、何もせずに座ってる時間が多すぎたのと制服がないのにそれっぽい格好を求められるのが面倒で、ずっと続けることは考えられなかった。3ヶ月の休止期間に入ったこともあり辞めてしまった。
今年の春は催事に挑戦した。呼び込みが必要な食品販売は大学生の頃に事前講習で泣きを見て(大きい声を出すのが苦手)避けていたのだが、表情がマスクに隔てられていること、書類提出だけで済むことに背中を押された(そういう派遣は昔より増えたように感じる)。割りが良かったから二ヶ月半関わったけど、雇い主は高圧的で人生最悪の労働が発生したり、待機が長すぎたり。催事の性質上先が見えないこともあり途絶えてしまった。
いまは月に10万も稼いでいない。業務委託の時間固定報酬で、国民健康保険に加入してて、将来貰えるかわからない年金は止めっぱなし。
現在の仕事の合間を埋めれるもので、且つひとつでも長所のある求人があれば応募しているけど、中々面接に漕ぎ着けない。履歴書の形式破りが悪いのかとか(大幅に手を加えてしまっていたが、過去に受かるものはあったので気にかけてこなかった)、8年前の証明写真の口元の歪み(静止して撮られるのが大の苦手だ)を素人レタッチしたりとか、こんなことで査定されたくない気持ちと、かといってこんなことで弾かれたらひとたまりもない気持ちが、長すぎる毎週末(土〜月)の間にそそのかしてくるから、最近は応募のたびにアップデートしてみてもいるが通らず。大学卒業後のいわゆる就職活動が嫌でやらずにきているから経験が乏しいけど、求人応募は「お祈り」の経緯が示されないから、一方通行で学びもなくてしんどいなと思う。
自分は今、図書館をありがたく思っている。電車通勤時はいつもすれ違っていたのに、今年まで利用することはなく、その豊かさを知らなかった。本を知って読みたくなったときには、その時に脈々と流れていたムードが発端だったりするけど、買わなかったり忘れたりする。図書館では値段とかどこで手に入るかとか気にせず、どんなジャンルの本から手をつけてもいいなんて最高の状況。高い住民税を払ってきた理由の一部をここには見出せる。
Podcastもバイトの休憩の食事時間を埋めるのに聴いたことから、触れる時間が増えた。集中行動が気まぐれなので、興味があるのに未着手のコンテンツはありあまっている。ちなみに自分はストリートビューが高校生の頃から好きで、それを含めたら手をつけていないコンテンツがありあまっているといえる。自分がたのしませてもらってる創造物の作者に還元できたらしてみたいと思うけど、それを中心に据えれば何してでも働くとはなれないし、働いていたときにどれだけ還元してたかと思うと失業する先を見越して、今より懐が狭かったようにさえ思うからあきれる。
お金があると、やりたいことは色々発生してくるし、それに付随して近視眼的にお金を使う。そして旅の休暇は短い。お金がないと、情報とか近所のもので満足してしまうようやりくり上手になるのかも。近所を観光するようになる。時間は余りがちで、金を要する欲望はどんどんしぼんでいる。いつか遠くの街や、別の住処に引っ越したいとか、いつかチャリ以外の乗り物を運転できたらいいねとか。確固たる「自分ひとりの部屋」は体験したいがそれさえ忘れがち。憧れも順位も大変ボンヤリしている。夢だとか何かを絶対やりたいって意欲的な感情はなく、希死念慮が老後の不安なんかは覆い隠している。実際に金をつくってやってみるしかないんだろうな。
多分そう。この生活を続けるのも、これ以上何もしないわけにはいかないんだろうなと立ち返る。また眠れなくなると辛いしたまに人に会うとき眠いと困るから、今ある服が入らなくなると面倒だから、週4日はまじないみたいにきんにくんの筋トレ(3年目)して体力を消費する。隙あらば「死にたい」と口にせずには生きられないし、これ以上健康体になってどうするのか、とも考える。一方で、自分は寄りかかってる人々に対して無責任すぎるのか、とも考えてみる。一人と折半で生活している、インフラ(という名のケア)の十分な都市に住んでいるという事実以外で、個人との繋がりは希薄で、日々老いていくなか孤立無縁を分散したり予防できてないから。さあ働くのかどうか。