はてなキーワード: 変人とは
・ぽんこつヒーローアイリーン(絵もギャグも非常に秀逸。大まじめに奇行しまくるアイリーンが可愛い)
・うちの姉様(結構な変人でもちゃんと弟・妹を可愛がる姉が可愛い)
・だめよめにっき(この手の絵、夫婦物としては珍しく1本1本が独立していて、それらがちゃんと面白い)
・ワンダフルデイズ(可愛い顔して真顔で毒を吐くキャラが殆ど、でも不快にはならないという凄い面白さ)
・ともだちマグネット(絵が可愛い、仲良し兄妹、ストーリー物として読みやすい。ギャグは微妙)
・みそララ(セリフが異様に面白い、絵が今の綺麗な絵よりしっくりくる。お仕事物としては最高)
・BB Joker(ギャグのセンスが突出している、絵とギャグとのギャップが凄い)
・初恋症候群(セリフがちょくちょく捻くれていて面白い、姉が好きすぎる弟が面白い)
買って翌日古本屋に売った4コマ(理由は基本"ギャグがつまらないから")
・あつあつふーふー
・小森さんは断れない
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最近、政治でもスポーツでも仕事でもよく見かけるのは、『組織の中で生き延びていく(評価される)ためには、一般的には良くないことであっても、実行(忖度)するしかない』と思ってしまうケース。
「まぁ生きてくってそういうもんだろ」って思う自分がいたり、「いやいや、ダメなもんはダメでしょう」って思う自分がいたり、最終的には「程度や質の問題でしょう」と本質をボヤかす自分もいたりで、結局自分自身もいろいろと都合に合わせて生きてるんだなーなんて感じます。
いつも自分の子どもには「自分に正直に生きなさい」なんて平気で言ってますが、「社会で生きてく上で、それが一番難しいって分かってて簡単に言うな」って別の自分に怒られたり、本当に都合が良いです。ただ私の経験において、自分に正直に生きた(思ったことを口にした)結果、「あーあ、言っちゃった」って扱いされることも良くありますから、その辺の感覚はレクチャーできると思います。
社会での『自立』と『依存』って、どちらかだけでは成り立たないわけですが、自分の置かれている状況や属している組織に馴染めば馴染むほど、そのバランス力や判断力って、気づかないうちに意図しない方向へ進んでしまいますよね。
なるべくそうならないためにも、いつも多目的思考や客観的感覚を大切にしようと心がけてますが、その思考が強いせいか、周りの人からは、掴みどころのない人、何を考えているのか分からない人、という変人の亜種と捉えられてしまうこともよくあります。まぁ実際『変』なのかもしれませんが。
そんな生き方してて苦労とまでは言わなくても不都合が発生することはありますが、それでもやっぱり、自分に嘘をつくよりは良い気分だと私は感じます。
人に言わせれば、私はただ単に恵まれてるだけかもしれませんね。
世の中には射精を目的とせずに風俗通いする変人もいると聞き、自分もその変人なのだと言い聞かせることで月に1度、2度風俗に行ってはいた。
しかしこの、童貞というスティグマはそう簡単には消えてはくれない。女性の顔を見ることができる程度に慣れ、単純な意味での恐怖は薄れたのだと思う。しかし生理的刺激で半立ちはしても射精に至らしめるのは結局、精神の作用だ。
連休明けの予約で一歩出遅れ目当ての人気上位嬢は既に予約終了、そんなときに店員に勧められたのが彼女だった。
店にも寄るのだろうが、ランキングで上位に入るのは"ある程度"若く、"ある程度"可愛く、愛想もサービスも良い嬢、と大体相場が決まっている。残念ながら彼女はランキング下位か圏外、目元を隠していても伝わる落ち着いた佇まいとやや地味な雰囲気が平均よりも年齢を高く見せているのが不利なのだと思われた。
普段の自分なら決してこんな甘言に乗ったりはしない。しかしその時は、諦めの境地に達しようとしていたためなのか予約していた。
当日。そこにいたのは三船美優(仮名)さんだった。隠しきれない団地妻、或いは未亡人オーラとでも言おうものが漂っていた。綺麗美人ではあるが派手さはない。
その日も自分はいつも通り、お任せしたいということだけを伝えて後は俎の鯉になる。失敗が一つ増えた程度で今更何も変わりはしないのだ。
互いに脱いで洗体かと思いきや、三船さん(仮名)が唐突に頭を胸へ押しつけてきた。ああ、この人は(それほど大きくはなくとも)胸に自信があるのだなと思う。確かに、おっぱいに挟まれ埋もれるのは感触としては心地が良い。しかしそれ以上に心は冷えてしまう。どうせまた唇に乳首に押しつけるという儀礼的な行為を求められ、反応しない自分に苦悩するのだ。
しかし三船さん(仮名)はただ、何も言わず、動かず、一定の鼓動を聞くだけの数分が経過した。そして、落ち着いたかと問うた。
その言葉を聞いて、意味を理解すると、無性に涙が溢れ、零れた。思えば、こんな言葉をかけて貰ったことはなかった。今まで自分はただ、誰が定めたかも分からない一連のプロトコルに従うことしか頭になかった。ならばサービス提供者である嬢はそれに応じるしかない。セックスを自慰の延長と捉えていたのが根本的に誤っていたのだ。これでは上手く行くはずがない。
滂沱は一定量を超えると口元がひりつく嗚咽になる。声を隠すこともできず泣き続ける自分の髪を、三船さん(仮名)はただ撫で続けてくれた。
いつだかのホッテントリで、おっぱいに胸を埋めてバブみを感じて生きる希望を得たみたいな話があった。
それはただ大きなおっぱいだから有り難みがあっただけなのでは、などと考えていたが、違う。大きくはなくとも、心から包み込まれるおっぱいに勝るものはこの世には無いのだ。
一頻り泣き、身体を洗い、湯船に浸かっても、三船さん(仮名)は何も聞かず、性的な行為も求めず、自分はその優しさに甘えた。彼女は聖女でもなんでもない、ただの女性だ。チョロい客だと思われたのかもしれない。だけどこの優しさを自分は求めていたのだと思う。
ベッドでは胸に顔を埋めて眠った。
今度は涙は流れなかった。
https://nyawaraban2014.amebaownd.com/posts/4135126
自分も数年前に大学内の類似施設で似たような問題に直面して数年解決を試みたけど
自分の実力だけでは解決は難しいなと思ったので、諦めて業種替えした。
最初の転職活動で年収が100万円近く上がったのには唖然としたけど。
自分が好きになったことにつけ込まれる業界で働くより、自分を評価してくれる業界で働いた方が金銭的には
業務を発注するには業務内容の把握と評価を適切にできる必要があるが、大学側に書店運営を
誰もが(財務課が)納得する「委託費用」に評価の重きが置かれることになりがち。
大学全体として正規職員以外の職位者には歪んだ指定制度の名残か最低賃金(以下)で雇いたい傾向が強い。
非常勤教職員、ポスドク、委託先スタッフ、下手すれば実質労働時間で割ると最低賃金下回るのでは?
私は文中のクレーム入れてくる教授を「書店に関心があり心身になってくれる良いお客」というよりは
ベテランが積み上げてきた取り組みにフリーライドする組織の無意識なブラックカスタマーに思えてくる。
取り組みを評価はしても金は出してくれないもの。教授は大学運営に強く関わる一員ですから。
毎年の委託費を「管理コストは毎年下がっているはず」で委託費用値下げを強行してくるとこも当然ある。
あと、大学事務職の傍流には残念の最先鋭な人たちが集まりがちよね。介護手数料を委託費に上乗せしてほしいわ、大学上司氏。
大学内の図書販売や図書館サービスを受託する大手書店系や何とか流通センターは
契約の獲得にあたり、独自性や高レベルなサービスではなく、低価格で何でもやります路線で
契約を勝ち取り続けてきた。大学側に価格以外の評価が持ててないことが一因ではある。
契約価格が上昇したのは最低賃金の上昇分と委託価格にかかる消費税が増税したときくらい。
それでも利益確保をしようとすると、しわ寄せを現場におしつけがち。
書籍の販売は再販制度があるとは言え、万引きで吹けば飛ぶような利益。
コンシュルジュやセレクトショップ形態で独自性を出したところで本の価格に上乗せはできない。
必然的に一番高価な維持費である人件費を削減していく傾向は避けられない。
ましてや大学の書店は生協加入者に1割引きで販売しているので尚更。
維持運営させていくには人を最小人員、最低賃金昇給なしでは事足りず、場合によっては
フルタイムを減らして週20時間以下スタッフの割合を増やし、かつ売り場面積縮小で賃貸料削減も検討する。
教科書・参考図書発注もこれまでの発注履歴からある程度システム化して、業務効率化で乗り切ればよい。
買切りは高リスクなのでできる限り避ける。
あいつら突っ立って、いらっしゃいませ言って品出しすれば良いんだから、たまには苦労して成長しろ。
ちっ、せっかく成長の機会与えてやったら粘りがないから辞めるとか言い出した。
好みで発注しやがって。
せめてリニューアル初期の立ち上げ時にベテランが面倒見てやるのは最低限の義理だろ。とかね。
残念ながらよく聞くはなし。なんか悪い宗教にでもはいっているのかしら。
これまでの日本社会は結婚や出産で正規雇用を退職せざるをえなかった女性が非常に多く、一度退職すると
再度の正規雇用はおろか、30代を超えてからはフルタイムのパートですら見つけるのに苦労する状況があった。
そのため、最低賃金であろうが文化的な匂いのする図書販売や図書館スタッフは大変人気があり、早稲田大学文学部卒や
数十人規模のチームマネジメントをそつなくこなす女性を掃いて捨てるように扱っても応募が絶えない状況が続いてきた。
本を扱う会社は文化的であるというより、文化的であることを取り繕える場所って言ったほうが適切な気はする。
ベテラン書店員が高待遇を得るためには店の売上に常に貢献し続けていく必要があるかと思います。
長年の経験による発注スキルと取材されるレベルの高クオリティなフリーペーパーは一体どれだけ
売上に貢献できたか、広報活動たりえたか。そして本社、大学でその経済価値を共有されていたか。
ベテラン店員の「こだわり」が店舗運営上の障害になりうる場合もあります。
買切商品を100冊独断で発注して1割引きの条件下で販売し「ほとんど売り切れた」として利益でましたか?
海外文学の棚は売り場面積あたりの売上を従来からどれだけ上げる見込みですか?
フリーペーパーについても頒布コスト書店・大学持ちの同人創作活動になってませんか?
文化的評価が高くとも経済的な実績を明示化できないと従業員としての評価には繋がりにくいと思います。
今回のような話は「なんとかぜんゆうなんとかどう」で働いていたスタッフから類似した話をよく聞いてきました。
他の大手書店系でもちらほら聞きます。それでも自分が関わっていた頃よりもクソっぷりの純度が上がっていて
今時結婚ってしてもしなくてもいい風潮だけど、私に限っては結婚して世界がめちゃくちゃ変わったので、そっと吐き出していく。
元々、社会での生きづらさはやばかった。
学生時代は苛められるか無視されるかの安定ぼっち、うんと好意的な人が多いときには面白がってもらえたけど、でも自分が喋ると周りの空気が止まる感じはずっとあった。
皆が笑うタイミングで笑えないし、まともな受け答えも未だにわからん。
幸い勉強は人並みにできたし、まあヤンキーからは程遠いまじめちゃんなので、割と堅いところに就職できた。
家族の中でもちょっと浮いてはいたけど、一応家族として寛げる空間はあった。
社会人になって一人暮らしすると、もうなんていうか、コミュニティの中で浮いてるのを自分で受け止めるしかない。
やらかして、周りが優しくアハハーと笑ってくれても、でももう自分の中では羞恥と後悔でうわあああってなって、帰ってきたら真っ暗な部屋。
どこに出かけても、ちょっと薄笑いを浮かべて見られているような感覚。
それを笑い飛ばせない孤独。
早めに家庭を持たなきゃ死ぬと思った。
というか、ぶっちゃけ30までに結婚できなかったら本気で死のうと思ってた。
当時はまだ婚活って言葉は一般的じゃなかったけど、お見合いパーティーとか知人の紹介とか出会い系サイトとか使いまくった。
合コンもしたけど、浮きすぎて引き立て役にしかならなくて、集団の中で自分を魅力的に見せる能力がないことに気がついたので、途中からは一対一で話せるものだけに絞った。
それでも全然成果でなくて、親や周りからはいつ結婚すんの?従姉妹のなんとかちゃんもう子供いるのよ?ていうか彼氏くらいつくりなさいよアハハーみたいな脳天気えぐりプレッシャーを浴びつつ、なんかもう半泣きで婚活した。
7年に及ぶ婚活で、相手は唯一私と付き合うことにOKをくれた男性だった。
付き合うことになってからは非常に速やかに結婚することになって、今は子供もいる。
なんていうか、今までの珍獣扱いから、人間扱いに変わったとでも言えばいいのか。
配偶者がいて子育て中で働いてる、ただこれだけの属性で、すごくまともな人扱いをされるようになった。
何かと見下し発言の多かった先輩は接触してこなくなったし、彼氏自慢の電話がしつこかった同級生は音信不通になった。
でもって、なんかちゃんとした扱いをしてもらえるようになった。
いや、これは私の勘違いで思い込みなのかもしれないけど、例えば駅でぶつかられても、舌打ちじゃなくてスミマセン、とちゃんと言われたり、お店でお会計の間違いを指摘してもため息をつかれなくなった。
職場の飲み会でモテない変人として槍玉に挙げられることもなくなったし、同僚は子育て情報を教えてくれる。
なんか、なんかほんと、世界が優しくなった気がする。
私はそういう社会にいるのだと思う。
既婚で子供がいて、真面目に働いている、という属性は分かりやすく評価される世界。
その世界で、独身でもいい、一人で気高く生きていけるという潔さは、私の中のどこにもなかった。
夫に、どうして付き合ってくれたのか聞いてみたことがある。
コミュ障丸出しなのに、必死すぎてなんか放っておけなかった、ということだった。
とりあえず、死なずに済んで、今こうして生きていられて幸せだ。
彼女いない歴=年齢の童貞。大学卒業まで女性とは数えるほどしか喋ったことないのに、社会人になった途端、女性と接する機会が激増した。普通にグループワークとかあってメンバーに女性が何人もいるし、メンターも先輩女性だし、年の近い先輩の中にも女性がたくさんいて、普通に笑顔で話しかけてくるし、良い匂いするし、身体のラインは艶めかしいし、声音や口調も可愛いし、仕草もリアルだしで、正直言って刺激が強すぎる。
大学までなら自分から逃げることができたし、何なら向こうから勝手に逃げてくれたけど、仕事だとそうはいかなくて多少キモくても何食わぬ顔で接してくれる。仕事の力すげー。まあ女性苦手ですって一言言えば済む話なんだろうけど、変人になるのはこりごりなので我慢してきた。別に襲いそうとかそういうんじゃなくて、なんていうか緊張する、照れる、怖い、というか、そういう感じ。ひたすら居心地が悪い。
一年耐えたけど、まだまだ慣れそうにない。逃避先の筋トレのせいで無駄にムキムキになっただけ。
誰も読んでくれなかったら悲しいけど仕方ないから気にせずに書く
学生の頃は自分の中の好きが育っていないだけで、時が経てば誰かを愛することもあるだろうと軽く考えていた
でも歳を重ねても好きが心に芽生えることはなくて、周りの「好きな人いるの?」「今まで異性と付き合った経験は?」という宇宙人みたいな質問に、いつも笑って「いやあ、それが無いんですよねえ〜」と返すのが馬鹿みたいに思えてきたのでこれを書いてる
友人が人を好きになってその相談を持ちかけてきたり、結婚や子供が生まれたことを知らせてくるたびに私はそれをめでたいなと思った
それと同時にニュートンのゆりかごが延々と動き続ける様を眺めているときのような気持ちになるんだけれど説明が難しい
(あー何もしなくても左右にパチンパチンと動いてるね、わあ!ぶつける玉の数を変えると動く玉の数も変わるんだね面白いね!……面白いか?いやよく見ると面白いかも、うーん、よく分かんないやでも楽しくて笑っちゃうあははどうでもいい、みたいな気持ち)
生きているとたまに私に好意を寄せてくれる人もいた
でも考えてみてカーテンに犬の散歩をお願いしてもヒラヒラ揺れるだけだし、机に歌を歌ってと頼んでもじっとそこにあるだけだし、卵焼きに掛け算してって言ってもただ冷めるだけでしょ?
カーテンであり机であり卵焼きである私は、そういう事態になったとき心の中で延々と雑草を抜いたり、心の中で壁に画鋲を刺して整列させることしかできなくて
親しい友人にこういうところをほんの少しだけ晒して相談しても「あなたはそんなことないよ」って言われたりする。のであんまり相談したくない(友人が読んでたらごめん、君が嫌いとかそういうのではない。自分の望む回答が得られないから八つ当たりしてるんだね)
「あなたは自分で思ってるより変じゃない」「あなたは普通だよ」「変な自分を演じて酔ってるんだよ」
って誰かが言ってくれるたび、そうか私は普通だから大丈夫だ。なんだよ!なんでこんなことに頭の考える領域使ってんだろう、普通の人だから悩まなくていいんだよ!変人ぶらないで生きようぜあはは!って、
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愛とかもう全部さ、無いんじゃない?
本当は、本当は、
手を繋ぐ恋人たちも、頬を寄せる親子も、みんなみんな、みーんな、本当は、誰も彼もを憎しんでいて
誰のことも好きじゃないくせに
なんで、愛とか、よく分からない、
みんなが信じるから愛ができて、そんなものは無いのにそんなものは無いのにさぁ
あああああああ
私もみんなを好きになりたかった
でもそんなものは無いし、それが悲しくて嬉しくて幸せで憎くてどうでもよくてたまに泣く
読んでくれてありがとう、ごめん
これらのエントリに影響されて書きました。
東京藝術大学の学生生活は本当に病むから気をつけた方がいい | 画家・棚村彩加
ただのつまらない自分語りです。このエントリの内容を要約すると、周りの人間と比べても良いことはなにもないのでやめましょう、ということになります。
タイトルの通り、京大の理系学部に10年ほど前に入学しました。
京大も日本でトップクラスの学力を要している学生が集まります。
一学年3000人ほどの学生数で、変人が多いと言われる大学です。実際入学してみてもその通りでした。
私自身は、小さいころから特に勉強には不自由せず、全国有数の中高一貫校から京大に入学しました。
そういった自負もあり、「京大に入学しても簡単に授業についていけるだろう」、「秀才と言っても大したことないだろう」、と思っていましたが、京大の秀才のレベルは違いました。
私が1聞いて5を理解するレベルだとすれば、彼らは1聞いて100くらいを理解するレベルです。
同じ問題を解いていても、どこからそんな発想が出てくるの、というレベルの天才がたくさんいたんですね。
大学受験では限られた範囲内の解法や方針を駆使すれば大体の問題は解けるようになっていますが、大学の数学・物理は解法や方針に際限がありません。
彼らのような天才と私みたいな凡人の差はどんどん開いていく一方です。
というわけで、せっかく大学受験という厳しい門をくぐり抜けたのにも関わらず、一回生の後半から大学にほとんど行かなくなりました。
授業を受けても劣等感を強く感じるようになり、勉強の面白さが全くわからなくなってしまったのです。
学校に行かなくなってからは、毎日10時間から12時間寝て、バイトに行き、家で読書をしたりネットゲームをし、たまに友だちとお酒を飲む、ということの繰り返しが始まりました。
1年間ほとんど勉強してないわけですから、立派な馬鹿が出来上がっています。
必修である統計の授業に出て、友だちに「expって何の記号?」と聞いて呆れられたのを覚えています。
そんな折、3回生からコース配属が行われることを知り、コース配属の基準が専門・教養の平均点であるということを知りました。
もちろんこんなことは1回生の最初から何度も言われていることでしたので、それすら知らないということはよっぽど何も聞いていなかったということです。
元々「ある分野を勉強したい」という動機があってその学部に入学したのですが、成績が悪いとそのコースに配属されないということもそこで知りました。
自宅に帰って急いで自分の成績を見直し、「このままじゃやべぇ」ということをようやく理解しました。
秀才たちには全くかなわないものの、元々勉強自体は得意だった私は過去問を読み込み、授業にもちゃんと出席して傾向と対策を練りに練ってなんとか志望コースに配属されました。
そのコースでは同じ学部から洗練された更に秀才たちが集まっていたのですが、1回生のときの経験から彼らと一緒にいると苦痛を感じると思っていた私は自宅や図書館で1人で勉強をするようになりました。
ようやく学校にもちゃんと行くようになり、なんとか研究室にも配属され、卒業することができました。
その後、色々な縁があり、今では欧米の大学で研究をしています。
今になって思うのは、昨日の自分と比べて今日の自分が成長していれば良いじゃないか、ということです。周りと比べる必要はありません。
というわけで、周りの人間と比べても上には上がいるので、劣等感を感じるだけです。良いことはなにもないのでやめましょう、というエントリでした。
クリニックの話です。大きいとこは知りません。
これが一番確率が高い。選考にかかわるのが現場の事務員でなく医者だったり開業コンサルだったりするので、必要なスキルをよくわかっていない。
そして資格が役に立つ唯一の例外がここです。なぜなら面接官たる彼らは資格が役に立たないことを実感としては知らないからです。普通に勉強熱心な人、最低限の知識はある人として扱ってくれます。
求人が多くて応募が手軽なと○ばーゆとかアイ○ムには応募が殺到します。これを未経験者が勝ち抜くのは至難の業。
ハローワーク経由だと、応募数が一桁少なくなるので面接までこぎつける可能性がぐんとあがる。
若干話題が古いけど、こういう対談がある。
「アナと雪の女王」のクリストフはなぜ業者扱いなのか? 夏野剛×黒瀬陽平×東浩紀の3氏が男性視点で新解釈 https://www.huffingtonpost.jp/2014/08/07/anayuki-genron_n_5660493.html
ざっくり要約すると「アナ雪は女性だけで解決してしまい、クリストフはただの業者扱い。男としては疎外感を覚える」というような内容。
>「わざわざ男いらないって強いメッセージを出している。なんでそこまで王子モデルを攻撃しないといけないのかと」
クリストフは王子様じゃないけれど、誠実で素朴ないいやつだ。孤独な変人だけど、仕事と家族を大切にしている。
そこらの王子様モデルよりよほど親しみが持てるし、ありのまま、人間らしく描かれていると思う。
ただ役回りが脇役で、「なんでも解決できるヒーロー」ではないだけだ。
そのクリストフを「業者」と呼んで、アナ雪を男の「排除」「攻撃」と感じる男性の心理っていったい何なんだろう???
◆
個人的に、「アナ雪」は「男いらない」とは言っていないと思う。ただ「ヒーローの男はいらない」と言っているだけだ。アナもエルサも自分たちの問題は自分たちで解決したいし、しなきゃいけない。
ヒーローの男がいると、女は人形みたいなプリンセスとか、救われる村娘Aとか、後列で回復呪文を唱える係とか、とにかく救済されたり、弱者だったり、よくてサポートの役回りを演じさせられる。物語のラストには弱い自分を救ってくれたヒーローと恋に落ちて、結婚するまでが一連の流れだ。まるで舞台装置か優勝トロフィーみたいに。
そういう王道ストーリーを完全に否定するわけじゃないけど、もう古いよねっていうのが今の時代の流れだ。
古い性役割を「抑圧」と呼んで壊そうとするのが昨今のウーマンリブであり、ディズニー作品はそういう社会を反映している。
自分の問題は自分で解決できるのだという確信、主体性を持つこと。
期待される「プリンセス像」を捨て、「ありのままに」なることが抑圧からの解放だと描くこと。
それらが今の時代に生きる多くの女性の支持と共感を集めたんだと思う。
(私個人としてはアナ雪はそんなに好きじゃなかったけど、こういう社会問題をいち早く取り扱って幼児向けのエンタメにできるディズニーってやっぱすげえなと思う)
◆
そんな感じで「脱プリンセス・ありのままのわたし」運動は着々と進むのに対して、「脱ヒーロー・ありのままのおれ」運動は全然進まないように見える。
こっちの此岸では「美しく従順でなんでも受け入れるプリンセス像」を火にくべ始めたのに、
あっちの彼岸では「強くて賢くてなんでも解決できるヒーロー像」を街の中心に据えて崇拝し続けているように見える。「美しく従順でなんでも受け入れるプリンセス像」も現役アイドルだ。
だからそのヒーロー像、プリンセス像を正面から否定してみせた「アナ雪」に、対談の男性たちは反感を覚えたのかもしれない。
男性社会の最高神である「ヒーロー像」を否定することが、まるで「男という性別」への攻撃のように感じられたのかもしれない。
ただ思うのは、脇役のクリストフこそ、「ありのままのおれ像」なのではないかということだ。
確かに、そういう強いヒーロー像を崇拝する男性社会はこれまで人類史で栄華を誇ってきて、結果も出してきた。歴史があるし今も続いている。
だけど、すべての男性がヒーローになれるわけではない。弱い人、賢くない人、色んな事情を持った色んな人がいる。そこを配慮せず弱者を切り捨て、マッチョイズムだけをよしとする社会は公平さに欠け賢くない。
ヒーローの強さだって言っちゃえば暴力だし、そんなのこの21世紀にアナログすぎる。
だから多様性の時代になってるわけだし、弱いものに底上げが必要なんだと思う。アファーマティブアクションってやつ。女性もそうだけど、いわゆる「弱者男性」だってそうだ。誰もが自尊心を持って生きる権利がある。
多くの男女の自尊心を削る「ヒーロー像」「プリンセス像」は一度打ち壊して、火にくべるときが来た。父権社会の解体が、今世界的なムーブメントになっている。
◆
男性はどうも「モテ」に固執してしまうふしがあるようで、女を「モノ」にすれば「男になった」と認められるような悪習がある。
まるで男が自尊心を得るには、女の人権をかすめ取らなきゃいけないみたいな言い方だ。
より多くの美しい女を取得することを自己価値のバロメータとして、他者と比べあい、自分をいじめるみたいな悪癖がある。
女性もそういうことは普通にするけど、男性のそれは比じゃないというか、ちょっと理解の範疇を超えてくる。
そこには生物的な性欲の違いや繁殖欲だけでは説明しきれない、人間的なドロドロとしたもの、文化形成された支配欲や加害欲と入り混じった、「女」への憎悪・悲哀・妄執を感じる。
そういう恋愛観のまま接するからお互いうまくいかなくなる。女からすればそういう男は背後に暴力性がちらついて見えるわけで、嫌悪感や恐怖感が出てくる。性行為と性暴力って全然別のものだと思うのに、相手はしばしば混同しているように見える。
そもそも自尊心や自己肯定感というのは、自分の中で育てるものだ。社会的地位や容姿、「モテ」「非モテ」と関係なく、無根拠に持っていていいものだ。自己価値は異性にアウトソーシングして調達するものではない。
やはり男性も、「ありのままのおれ」になるときだ。「男らしさ」から解放されるときなのだ。
◆
「Metoo」や「女性専用車両」や「女性だけの街」、性犯罪やジェンダーの話題はとにかくネットで炎上しやすい。
そのときの会話の噛み合わなさに、いつも此岸と彼岸の隔たりのことを思う。見えているものが違いすぎると思ってしまう。「女性専用」という言葉や、性犯罪者の告発に怒り狂う男性たちはあまりに不可解で、言葉が通じない恐怖がある。
「すべての男性が性犯罪者ではない。俺を犯罪者扱いするな」というのがよく言われる意見だ(ノットオールメン)。しかしそんなことは自明なわけで、誰も「男全てが性犯罪者だ」なんて言っていない。
なのになぜ自分を「男性」という共通項のみで性犯罪者側に寄せ、「俺への攻撃だ」と思い込んで怒るのだろう? 同じ「善良な市民」という共通項で、被害者女性側に寄せ、性犯罪者に対して怒ることはできないんだろうか?
もちろんそういうことが自然にできている男性もいるが、現状では少数派に思えるのだ。
そういった怒りの背景には内面化された強固なホモソーシャルの価値観や、ミソジニーや、「ヒーロー像」へのコンプレックスがあると思うのだが、ここらへんを掘り下げた男性自身の話はあまり聞かない。
男社会で男であるということは、特権であると同時にプレッシャーでもある。うまくやれればまだいいが、うまくやれない人はやはり苦しい。
男社会ゆえの苦しさを、男社会ゆえの特権でもって、女に加害したり、女に癒されようとしているように見える。そうやって留飲を下げる男性たちは歪んでいるし、やはり何かに呪われているように見える。
脱線したけど、そういったヒーローになれない男性が救われるかどうかは、男性の意識の問題なのだと思う。
「ヒーロー像」を手放すこと。「プリンセス像」を押し付けないこと。
クリストフみたいなキャラクターを否定せず、「ありのままのおれ」を受け入れること。自分と同じように、他者も尊重すること。
旧来の「男らしさ」にとらわれて、自分を大きく見せようとしたり、誰かを貶めないこと。ささやかな自分自身の中に自尊心を見出すこと。
そのへんが大事なんだと思う。
ツイッターの観測範囲だと、そういう呪いを手放して楽になった男の人も散見するようになった。今は過渡期なのかも。
男だ女だって主語デカイ話書いたけどみんな楽になればいいのにな。いや理想論だけど理想のないリベラルって存在価値あんのか? 民主主義だって奴隷の解放だって女性の社会進出だってかつては理想論だったやん??って思う(このへんルトガー・ブレグマン著『隷属なき道』にくわしい)
マイケル・キンメルatTEDWomen 2015