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2015-03-04

http://anond.hatelabo.jp/20150304223329

いやだからそれに当たる人間が一体どれだけ居るんだよ?

で、実際それを気にしてる人からすりゃそりゃインパクトが大きいし、お前の周りにそういう人間がいっぱいいりゃインパクトがあった、と感じるんだろうけど、

実際お前は何も感じてないってことは少なくともお前の周りには余り居ないってことだろ?理解できる?

胡散臭い不法移民子供預けて母親が遊び回っても何も言われない国だよ。

ベビーシッターの事言いたいんだろうが、んなこと行ったらアメリカなんてもっと酷いぞ?

それと、あれは日本みたいに保育園制度全然なってないってのが大きい。預けられる場所が少ないし(あっても高いし)、

乳幼児を預かってくれる様なところなんて殆ど無い。

それと不法移民て、奴隷的な低俗仕事として想像してるんだろうけど、フランスベビーシッター頼むのに移民に頼むなんて事はあまり無い、と言うか大概近所のおばちゃん的な

年取って子供の手が離れて暇な専業主婦みたいな人が殆ど

2015-03-02

九州地方田舎底辺

九州とある山の中に母の実家があって、そこは市街地から車で何十分という距離。

そういう山奥の村で母は育った。

母には妹がいるが、上に兄3人。

全員昭和20年代生まれで5人兄弟農家

俺は、この母の実家がすごく嫌いだった。

全員、憎み合っていて、叔父や叔母には子供の頃から理不尽暴言馬鹿にされたような言葉をかけられていたから。

母以外の兄弟たちは全員上京し、大阪東京に住んでいるが、殆どがうまくいかなかった。

ありていに、社会適応できなくて職を転々としたり、人間関係屋金銭関係トラブル多発の人生を送っていたのだ。

高度経済成長機をすごしたもろに団塊世代の彼らなのだが、本当に人格が歪んでいて言葉が悪く、子供相手でもひどい言葉を投げつけ合う。

昔、自分はなぜこんなに親族が集まる場でおじさんたちに馬鹿にされるのかな。。。笑われるのかなって不思議でわからなかった。

へらへら笑って、にこにこしておじさんの罵倒が収まったあと「あんたにはわからんだろうな、俺の言ってることは」とか言い捨てられて気分を悪くしたものだった。

畑道のすみで虫取りをしていたら、急にスコップ背中を殴られたこともある。

でも、いまはすごくそ理由がわかる。

この一族は、根っからDQNだったんだ。

チンピラとかまだ上品なほうで、底辺低俗非常識の塊で、いじめ暴力はあたりまえの社会不適合の集まりだったのだ。

実際、社会適応できない人々が多かった。

叔父の一人は小学校卒、他は中卒、残りが商業高校卒なので良い職業につけなかった。

叔父の一人はマッサージ風俗店勤めでバツイチ本国に子持ちの中国人嫁を持ち、生活保護費中国人嫁に徴収されながら関東暮らしてたまにうちの母に金を無心にくる。

ほかの人々もサラ金にはまったり夜逃げみたいな生活を続けていた

それで、唯一、大阪で母からまれて育った俺のことを何不自由ない都会で育った子供といびりたかったんだろう。

子供の頃からすごく暴言を吐かれて、本当に苦痛だった。(でも母も父の賭博借金を抱えて離婚してからはどん底生活を続けていて、とても自分は裕福な家で育ってるわけじゃない)

ばあちゃんには悪いがばあちゃんの生んだ息子娘たちが俺は大嫌いだったんだ。

ばあちゃんが生んだ子供らは、本当にモンスターばかりなんだよ。

そのモンスターの子である自分も、本当にお里がしれてしまうことを恥と思っている。

ばあちゃんがとんでもない親でとんでもない育て方をしたから、あんなモンスターができたんだよってずっとずっと思ってた。

正月帰省しては子供を育てているってアピールをするため、自分を無理やり連れて行く母に「おばあちゃんちに行きたくないよお」って泣いて空港で引きづられていたのをいまでも覚えている。

あの頃から、俺は自律神経がおかしくて病気っぽかったし、(周囲には言えなくてずっと我慢してたけど、最近になってようやく治療に書かれた)、自分がとても大人たちのいじめていい餌になってるってことを無意識に覚えていたんだと思う。

今、俺は成人したけど、叔父叔母たちは祖母が亡くなったのをきっかけに急に連絡を取り合いだしていった。

長男、次男が病気になったり病気の嫁の介護をしなくてはならず苦境に立たされていたからだろう。

そんな奴らが、俺の母に看病や療養費の世話を無神経に頼みに来る。

そして、子供の俺にも援助を言ってくる。

この最低最悪な老害ども、早く滅びればいいのに。

2015-02-26

ラノベの「よく出来た」ボーイミーツガールテンプレート私論(後編)

関係構築のテンプレート

以上のような行為類型相互に重ねるためには多くの場合主人公ヒロインの両者が同じ空間を共有する必要がある。その上で、これらの行為類型が場面ごとに重ねられていくことで両者の関係は変化していくことになる。本項はその組み合わせ方についてのものである

場面≠イベント

空間の共有は大抵の場合共同作業を伴う。そうした共同作業の例として『はがない』における部活ゲームをする例と、『俺ガイル』における部活クッキーを作る例を比較してみたい。

結論から述べると、筆者は『はがない』における部活は『俺ガイル』と比較してあまり出来がよくない印象を受けた。理由は単純で、『はがない』におけるゲームにおいて主人公ヒロイン相互に信頼や敬意といった点でなんら変化は無い。これに対して『俺ガイル』のクッキー作りにおいては、主人公ヒロイン姿勢に敬意を抱き、ヒロインもまた主人公洞察に敬意を抱き、認識を改めるという点で両者の関係の変化が描かれている。

その場面の前後で両者の関係に変化がないのであれば、それを伏線として機能させる予定がない限り、そんな場面は不要と言っていいだろう。

あってもなくても話の筋に影響しない様な単調なイベントを大量に重ねることはギャルゲーでは認められるのかもしれないが、小説でやったら飽きられる、とは榊一郎も指摘するところであるが、「ボーイミーツガール」における「話の筋」とは主人公ヒロイン関係構築に他ならない。もちろん、「ボーイミーツガール」であり、同時にバトルであったりミステリであるならば、そうした類型の「話の筋」での必要性が示される必要があるだろう。

構図の繰り返し

ボーイミーツガール」において主人公からヒロインへ、もしくはその逆に対してなされる行為をこのように類型化し物語に沿って順に並べていくと、それが主人公ヒロインで反転もしくは反復、すなわち「構図の繰り返し」が散見され、さらにそうしたものほど筆者は「よく出来ている」という認識を持つ傾向が強いという認識に至った。

くどいと思われるかもしれませんが、これでも実際の画面になると印象度は思いのほか薄いもので、構図の繰り返しによる主題の強調という手法は、これでもかというぐらいにしつこく繰り返さなければ効果は期待できないものです。

押井守『Methods―押井守パトレイバー2演出ノート

押井が指摘するこの「構図の繰り返し」について、ボーイミーツガールとして認知されていると思われるアニメエウレカセブン』で言えば、周知の通り2話と26話は主人公ヒロインの位置、台詞回しを反転させた構図であり、そして26話が(低俗表現ながら)「神回」と言われていることには、この演出が大きく影響していると言っていいだろう。

そしてラノベであるボーイミーツガール」におけるこうした「構図の繰り返し」において重要なのは、「同じ構図で同じ行為が明白に異なる意思によってなされること」ではないかと筆者は考えている。

例えば『マリみて』は次のようなプロットを持つ。

いずれも結果として同じ行為が反復、反転しているが、それぞれの理由は明白に異なったものである最初の依頼ではヒロイン自分が直面した困難から逃亡するために主人公を利用しようとしてスールになることを依頼するが、主人公は場に流されることをよしとせず拒否する。二番目の依頼では主人公ヒロインの困難の重さを理解しており、彼女を助けるために自分スールにするよう依頼するが、それが主人公自分の困難を押し付けることでもあることの認識からヒロインはこれを拒否する。そして三度目はヒロイン自分の困難を解決した物語最後であり、困難から逃げ出すためではなく、純粋好意からスールになることを主人公に依頼し、主人公はこれに応じる。

同様に『イリヤ』も見事な「構図の繰り返し」を用いている。1巻において教室におけるヒロインの助けを求める目に対し、主人公は「トイレ」と言って教室から逃げ出して一人トイレにこもるヘタレぶりを見せつける。そして3巻のクライマックスにおいてヒロインの助けを求める目に対し、主人公は1巻と全く同様に「トイレ」と言って、今度はヒロインを連れて逃げ出すための覚悟を決めて一人トイレにこもる。そこから続くトイレ内の描写の凄みについては本稿では割愛するが、この一連のシーンの評価秋山瑞人のファンの間でも極めて高いと思われる(余談ながら例えば『E.G.コンバット 2nd』においても冒頭、クライマックス直後、そして物語最後で「格納庫のGARPの前でルノアが泣いている」という同じ構図が繰り返されており、秋山瑞人はこの「構図の繰り返し」を意識的に多用している節が見受けられる)。

また、遭遇と物語最後のシーンで「構図の繰り返し」を用いている例もよく見受けられる。例えば『星海の紋章』においては主人公ヒロインの遭遇、そして物語最後は「ラフィールと呼ぶがよい!」という、全く同じ台詞が用意されている。『ALL YOU NEED IS KILL』では「日本では食後のグリーンティーはタダだというのは本当か?」というヒロイン台詞で遭遇は始まり最後主人公が青緑色をしたカビのコロニーが浮かんだコーヒーを飲み干すことで終わる(こちらはちょっと捻りすぎた感が否めないが)。『俺ガイル』は不愉快そうにヒロイン主人公に毒を吐く場面で遭遇が始まりラストは楽しそうにヒロイン主人公に毒を吐く場面で終わるという点で構図が繰り返されているが、それ以上に物語最後の一文がタイトルである点の指摘で十分だろう。

反転による対等性の強調

乃木坂春香の秘密』はヒロイン秘密主人公漏洩したのち、ヒロイン物理的、精神的に最後まで守られる存在であり、そして主人公最後まで守る存在である。両者は精神的に対等な立場とは言いがたい。こうした一方的依存関係存在する関係はあまり筆者の好むところではなく、おそらくそれは筆者に限ったものでもないだろう。

『エスケヱプ・スピヰド』や『禁書』も同様に片方が他方を保護し続けるが、これらはヒロイン自己犠牲により保護者は非保護者に救助される場面が組み込まれている点で違いがあり、これによってその立場は対等なものに寄っていると言っていいだろう。

このように直接的な行為類型で均衡を取る方法もあるが、「構図の繰り返し」における主人公ヒロインの「反転」によっても主人公ヒロインの対等性は暗黙に読者に伝達する効果があるように思われる。

例えば『ゼロの使い魔』においては冒頭でヒロインから主人公に対し、主人公が使い魔であることが一方的に宣告され、主人公はこれに成り行き上しぶしぶ従うことになる。しか物語最後においては主人公ヒロインに対し、自分ヒロインの使い魔だ、と誇りをもってこれを肯定する。その台詞内容が示す立場の差と異なり、両者が(少なくとも精神的に)対等な関係であることを強く意識させる効果を生んでいる。

いい加減例に使うことにも飽きてきたが『とらドラ!』においても対等さは徹底して反転構造の反復によって強調されている。

ヒロイン好きな人主人公にバレる、という出来事に対して主人公ヒロイン自分好きな人を明かす。ヒロイン主人公故意ボールをぶつけられ、ヒロイン主人公は手違いでボールをぶつける。階段で落ちかけたヒロイン主人公は反射的に庇い、ヒロインは反射的に主人公の無事を確認する。ヒロインの作ったマズいクッキー主人公が食べて美味いと微笑み、ヒロイン主人公の作った美味しいクッキーを食べて美味いと微笑む。このように『とらドラ!』は徹底して反転構造を反復している。

さらに「呼称の変化」という形でもこの「反転」と「反復」が巧妙に使われている。ヒロイン自身の恋路への助力を一方的主人公要求し、主人公の承諾をもって名前呼び捨てにするようになる。その後ヒロインは二人が対等な関係であることを告げて協力体制の解消が宣言され、ヒロイン主人公呼び捨てをやめる。そして物語最後において主人公ヒロイン一方的ヒロインの恋路への助力を宣言し、ヒロイン名前呼び捨てし、ヒロインが返事代わりに主人公名前呼び捨てにすることで物語は幕を閉じる。

対等さの無い「ボーイミーツガール」は少なから存在し、それを気にしない読者も一定程度いることは事実であろうが、より幅広い読者の支持を期待するのであればこうした主人公ヒロインの対等さへの意識がされて損は無いだろう。

おわりに

ストーリーや設定が凡庸であれとにかく「キャラが立っている」ことが重要なのだ、と述べた上で林は次のように主張する。

主人公個性さえ確立できれば、それが魅力的かどうか、感情移入できるかどうかなんて全部後からついてくるから大丈夫。魅力的な主人公活躍していれば話は自然と盛り上がる

林トモアキ『現役プロ美少女ライトノベル作家が教える! ライトノベルを読むのは楽しいけど、書いてみるともっと楽しいかもよ! ? 』

なるほど。ところで人気アニメ漫画二次創作小説に出てくる「キャラ」は(オリジナルキャラを除けば)おおむね人気キャラであり、おそらくは「キャラが立っている」ものだと言っていいだろう。もし林が言うように「キャラが立っている」だけでいいのであればこうした二次創作はどれも魅力的で感情移入できるものとなる。

二次創作小説の、特に好きなキャラのそれをひたすら読みふける人がいることは事実であり、ゆえに林の主張は間違いでは無いだろう。しかしそれが幅広い読者に通用するものかといえば筆者には肯定しかねるものである

キャラ萌え特化の商業ラノベはもちろんある。しかしそれだけしかウリが無いのであれば、それはキャラ萌え理解できない筆者のような(もしくはそのようなキャラクターは好みではない)読者に対しては全く面白みのないものと言っていいだろう。

キャラ萌え依存せず面白いと思わせることが出来ることは、そうしたキャラ萌えにの依存したラノベ比較して強みになることは間違いない。そしてそうした強みとして、本稿で指摘したような演出法についての言及はもう少しされてもいいのではないか、と考えている。

才能やセンスはそれだけで価値のあるものだが、その多くは知識と思考によって技術化することが出来るものだと筆者は信じている。空を飛ぶ鳥に憧れて手をバタバタさせたところで一生空は飛べないが、航空力学を構築することで人類は空を飛ぶことを可能にしたのである

本稿は筆者の嗜好に強く依存しており無批判に一般化できるものではないが、これまで感覚によってなされてきた演出技術言語化することの可能性について、諸兄諸姉の検討の際の参考になれば幸いである。

2015-02-07

「ちゃんと書いたら1万字超えるから書きません」「鮮度が切れたので返答しません」

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最近定番になりつつあるこの2つの言い訳すごく面白い

2015-02-03

ライトノベル低俗に見えるのはアニメ視聴者低俗から

ライトノベル談義が盛り上がっているが、あえて挑発的なことを述べたい。


ライトノベルは毎月毎月コンスタントに新刊が発売されている。

最近増加しているなろう出身ノベルスやビブリアのようなボーダー小説も含めれば山ほどでている。

その中には女の子が多い物もあれば30代のおっさん主人公ライトノベルなども存在する。

また、あえて平易な文章を書きわかりやすくしているものもあれば衒学にわかりづらい文章や回りくどい表現をしているものもある。


ところがアニメ化するライトノベル女性キャラが多かったりするものが多いような傾向があるという。


それはなぜなのか?

ぶっちゃけしまうとアニメを視聴する層がそのような作品を望んでいるからだ。

あれだけ多くのライトノベルの中からアニメ視聴者に売れるものはどれか?

ということを考えるとそのような作品を選ばざるをえないからだ。


結論アニメ視聴者は萌豚ばかりである

2015-02-02

ライトノベル構造的に馬鹿にされる宿命にある

ライトノベルに限らないが、構造的に「馬鹿にされる」場合がある。

定義曖昧で、玉石混交で、定性的評価されるもの全般のことね。

すると、自分感性で都合良く石だけピックアップして馬鹿にできる。

定量的に計測できたって、好きに時系列を切り出して、定義付けを恣意的にすればなんとでもなる。

そして、「なんとなくこういう批判がある・こういう擁護がある」と藁人形を用意すれば、

その架空人形サンドバックにするのは、とても簡単だ。

そこで、馬鹿にするのはどういう人か、何が批判足りえるのか、振り返ってみよう。

まず、ライトノベル批判否定形から追い込んでいく

「無い」事の証明は難しい。

から「有る」もので「ライトノベルで無い」モノを追いだしていこう。

表紙がアニメ絵である

太宰治ライトノベルか?

表紙がいわゆるアニメ絵柄かどうかは、絶対的な要因ではない。

から、「絵が恥ずかしい」というのは、表紙絵に対する批判であって、ライトノベル批判とは違う。

(勿論、「アニメ絵は恥ずかしい。太宰治もあれじゃ買い難い」とする批判はあるが、ライトノベル批判とは別軸)

キャラクター小説である

京極夏彦京極堂シリーズは、ライトノベルか?

キャラ立ちという意味で、ホームズを超える名探偵は出てきただろうか。

から、「類型的なキャラクターが出てくるだけ」というのは、その手の小説批判であって、ライトノベル批判とは違う。

(以後省略するが、そういう批判は当然あって良いが、ライトノベルとは独立

子供ティーンエイジャー)向けである

ハリー・ポッターは、ライトノベルか?

ファンタジーSFミステリから哲学に至るまで、子供向けに書かれた本を読む大人は多い。

から、「子供向けに書かれた小説を大人が読むのは」というのは、その手の読者批判であって、ライトノベル批判とは違う。

設定が稚拙である文章が頭悪そう

これに関しては、まさに定性的な(感性の)話になるため、具体例は省略したい。

ここでは、スタージョンの法則(啓示)を引用するだけにしよう。

SF(science fiction)の90%は、ゴミカスでクソだ。

同じ基準を使って、映画文学、民生品等々の90%がクソだと示せる。

からSFの90%がクソだという主張(または事実)は、究極的には何も意味しない。

なぜなら、SFは、他の全ての芸術形態品質と同じ傾向にあるという意味しかないからだ。

http://en.wikipedia.org/wiki/Sturgeon's_law

から、「ライトノベルの大部分はクソだ」という批判は、何の情報量も無く、ライトノベル批判とは違う。

馬鹿にする、と、批判する、との違い

ここで映画バトルシップ」を持ってこよう。

ハワイ沖で行われる海軍の多国合同軍事演習さな宇宙人侵略してきて、自衛官海兵隊員が反目しながらも撃退するという

まあ、インディペンデンス・デイと戦艦ミズーリを足してブリトーで割ったような映画だ。

素晴らしく面白い愛すべき馬鹿映画だが、批評家からは当然のように酷評されている。

何が言いたいかというと、批評家評価と、馬鹿であるかどうかとは、分けて考えられている。

ビール片手にゲラゲラ笑いながら見るような「ジャッカス」みたいなのを「馬鹿だ」と言うのは、批判ではない。

それは賞賛なのだ

馬鹿にしているのは誰だろうか

さっき言ったように、「馬鹿であることは、比較独自の軸になる。

その上で、馬鹿にしているのは、例えば「パンチラの絵を付けて恥ずかしくないジャンル馬鹿にされて当然」のような、

ライトノベル」を「小説の一ジャンルとして、格下である」とする主張しか、残念ながら観たことがない。

比較的、嫌悪感忌避感のようなものだ。

これは、BL趣味とするのは気持ち悪いだとか、サラリーマン通勤中に漫画雑誌を読むのはガキっぽいとか、そういった類の主張だ。

好悪の主張であって、それはそれで、仕方がない面はある。

雑誌の表紙に水着女性を持ってくれば売上部数が上がるが、職場休み時間に読むのはどうだ?というレベルの話だ。

批判としてありうる話

ワリと珍しいのだが、硬派なSFライトノベルSFとが全く同じ題材を描いているものがある。

アーサー・C・クラークの「楽園の泉」と、野尻抱介の「ふわふわの泉」だ。

(まあ、内容的にはチャールズ・シェフィールドの「星ぼしに架ける橋」のもじりの方が相応しいとは思うのだが)

両者とも、「ロケット以外で宇宙に進出するための、巨大構造物を作り上げる人物」が主人公だ。

ポイントは、「楽園の泉」がハードSFか否かであるとか、「ふわふわの泉」がラノベかどうかではなく、

この両者を比較して、「どちらが低俗か」を論じる意味あるかないか、だ。

「どちらがより高尚か」や「どちらの方が格上か」でも良い。

ここまで題材が同じだと判りやすいのだが、

「大人なら、『ふわふわの泉』ではなく、『楽園の泉』を読むべきだ」

とは、ならないだろう。

だって、違う作品なのだもの。それは批判ではなく好悪の主張だ。

逆に言えば、作品の質についての批判なら出来るはずだ。

「『楽園の泉』は、建築家の名声について拘りすぎて主張がボケている、『ふわふわの泉』の方がSFとして良く出来ている」

なんていうのは、馬鹿にしているのではなく、(正しいかどうかは別として)SFを軸にした批判になる。

真っ当な批判は可能なのか?バカにする方の品性を疑うべきか?

例えば、俺TUEEEE系と言う価値基準において、

アレクサンドル・デュマの「モンテ・クリスト伯」と、司馬遼太郎の「梟の城」と、佐島勤の「魔法科高校の劣等生」とを、

一緒に並べて比較して、「魔法科高校の劣等生を読むのは馬鹿だけだ」と言うことに、意味があるだろうか?

俺TUEEEE系の源流をたどって、湖の上を歩く男の話まで遡ったり、本邦においては勧善懲悪の仮託先であるとか、

そういった論文を描くことは意味があるかも知れないが、「馬鹿にする」というのは比較的には品のない行為だと思う。

例えば、今話題ピケティの「21世紀資本」を読むのが大人で、百田の「海賊とよばれた男」を読むやつが馬鹿にされてもしょうが無い、みたいな言い方はしないだろう。

現代ソマリア海賊を描いた「キャプテン・フィリップス」を見て「『パイレーツ・オブ・カビリアン』を見るとか馬鹿にされてもしょうが無い」みたいなことは言わない。

というわけで、馬鹿にする方の品性を疑うべきだと言うのが、オレの意見になる。

補足として:ただし、ラノベに出来の悪いものがあることを否定するものではない

どんな作品でもファンは居て良いと思うし、蓼食う虫も好き好きと言う。

例えば俺はバトルシップが大好きだが、蛇蝎の如く嫌う批評家が居るのも否定はしない。

アナと雪の女王よりはベイマックスの方が面白いとは思うんだが、GoGo好きなだけだろと言われれば否定はできない。

というように、主観的な好悪と、その技芸における比較批評、そのジャンルでの売上高なんてのは、全て独立の話だ。

そう言った点で、ラノベの中に上手い下手、エロに寄り過ぎだとか構成稚拙だとか、そういった批評はあって良いと思う。

ただそれは、作品単位、出来ても作家単位の話であって、「ラノベ全般に広げるのは主語が大きすぎて乱雑に過ぎる。

9割のクズを観てそのジャンル否定するのが愚かであることは映画絵画においては一般的なのに、ラノベがそうでないのは不幸なことだと思う。

2015-01-20

ヤンキー漫画とは低俗なのか

そもそも、漫画という物自体の高低は別にして。

どうも世に言う漫画読みとか漫画好きな人たちはヤンキー漫画を一段低く見ている気がする。

それで、去年末冗談半分にこんな事を書いてみた。

漫画オタクとして語るのに不良漫画喧嘩商売しか触れないという小ボケだ。

http://anond.hatelabo.jp/20141226215510

その反応が、どうもね、答えになっているみたいだ。

サブカルSFというジャンルは高尚で、ヤンキーヤクザ漫画はそうでないとナチュラルに考えている人は案外多そうだ。

実際はヤンキー漫画SFジャンルの一つだ。

もっといや、漫画自体サブカルチャーなのにサブカル漫画を無条件でありがたがるのも。

と、言うよりも『俺はこんな無名ですばらしい作品を知っているんだから目が利くはずだ』と思いたいのは自由だけど、それとメジャー否定を結びつけちゃったら痛いよな。

て、RIN主人公が言ってた気がします。

2015-01-19

なぜラノベ馬鹿にされがちなのか

ラノベってのは、とにかく馬鹿にされる。

文章稚拙で、ストーリーも粗雑らしい。

小説ではない、と言う人もいる。

小説の形式を取ってはいるが、

とにかくこんなもの小説じゃないらしい。

根拠はよく分からないが。

ラノベは何と比べて劣っているのか。

馬鹿にするからには、それより優れたもの必要だ。

一般小説は、ラノベよりも優れているのだろうか。

その優れている一般小説とはどのタイトルで、

劣っているラノベとはどのタイトルなのだろうか。

単にみんな、印象論で語っているだけなのかもしれないけれど。

ラノベというのは、漫画でいえば少年漫画のようなものではないか。

一般小説青年漫画で、ラノベ少年漫画

少年漫画青年漫画はそれぞれ客層が異なり、それによって表現の仕方も違ってくる。

漫画読みならこのことを前提として理解しているはずで、

青年漫画と比べてご都合主義的だの、

デザインや設定が非現実的だのという野暮な突っ込みはしない。

それぞれ違う土俵勝負していることを理解しているからだ。

比較して批評すること自体が間違っている。

どちらか一方が「漫画」であり、もう一方が「漫画」でないということはあり得ない。

しかし、ラノベは「小説」ではないらしい。

ラノベは、ストーリーよりもキャラクター勝負する傾向があり、

設定は荒唐無稽で、文章は誰でも読める程度に簡易なものが多い。

一般小説とは異なるアプローチで、読者の期待に応えているのだろう。

そのやり方が気に入らないから、「小説」とは呼べないのだ。

少年漫画青年漫画も栄えている漫画とは違い、「小説」は衰退していく一方だ。

今時は、ラノベみたいな表紙絵に、

ラノベみたいな誰にでも読める文章で書かれた「小説もどきが増えてきた。

こんな状況でラノベなんぞを受け入れたなら、我々の愛する「小説」はどうなってしまうのか。

きっとろくなことにならないに違いない。

からラノベと「小説」は区別されるべきなのだ

ラノベはこれから駄文メタファーであり続け、

そうすることによって「小説」の伝統的な価値は保たれる。

また、日頃「小説」どころか本さえ読まないような方々でさえ、

ラノベのように低俗で叩きやす対象があれば好都合というものではないか。

からラノベは無条件に馬鹿にされなければならないのだ。

2014-12-30

保健医ライトノベル

ライトノベル、というジャンルがある」

保健医先生が言った。先生の長い黒髪さらり、と肩に落ち、羽織った白衣に黒い曲線を描いた。白衣の下に紫のセーターが覗いている。先生は続けた。

「それを好んで買い集めるものもいれば、嫌うものもいる。それを嫌う彼らにとっては、ライトノベル生理的に受け付けないのかも知れないな」

ストーブに乗ったヤカンがシューシューと音を立てている。保健室の窓から覗く外は、もう暗かった。

面白いと思わないか?ライトノベルを嫌う彼らは『自分ライトノベルが嫌いだ』と言って回るんだ。ネットにそう書き込んだりしてね」

先生の声は女性にしては、少し低い。でもそれは、先生の口調とよく合っているように思えた。

「でもね、本当にライトノベルに興味が無いのだったら、ただ無視すればいい。私にとっては駅前の『富士そば』が視界に入らないのと同じだよ。だが彼らは違う。ライトノベルは気持ち悪い、低俗ゴミクズだ、と声高に叫ぶんだ。いや、『叫ばずにはいられない』んだ」 先生の丸眼鏡から覗く瞳が、ぎらり、と光った。目の錯覚か、片方の瞳が赤色に輝いたように感じられた。


ザアッ、と強い風が吹き、窓から見える木が大きく揺れた。黄色味を帯びた年代物の蛍光灯チチチ、と点滅し、そして消えた。保健室は真っ暗になった。

やれやれ、これだから田舎は」蛍光灯の紐を二度、ガチャガチャ、と引っ張る音が聞こえた。

たっぷり5秒の間を置いて、蛍光灯が、ききき、きーん、と小さな音を立てた。蛍光灯が部屋を照らした。


蛍光灯の下にいたのは、先生ではなく、人でもない、

『何か』だった。

人のような形をしたその『何か』は、細い、黒いハリガネのようなものの塊だった。うねうねと蠢くハリガネに目を凝らすと、各々が形を持っているのがわかった。『保険医』 『黒髪』 『白衣』 ---- ハリガネの一つ一つが、文字を形作っている。文字記号の塊が集まって、人の形をして動いているのだった。馬鹿げたことに、文字記号はどれも明朝体フォントで書かれていた。

ハスキーボイス』 『男口調』 『紫の縦縞セーター』 …塊から覗く、どこかで見たことのある記号たち。記号が集まり人形となって、人のフリをして動いていることが急におぞましく感じられた。全身の毛がぞわり、と総毛立った。

「おい、どうかしたのか?」 塊が言った。動くたびに、がちゃ、がちゃ、と音が鳴った。塊がぐるり、とこちらを向いた。頭らしき場所にある『丸眼鏡』と『灼眼』の二つの文字がぶつかり、ギギギィ、と耳障りな音を立てた。

「顔が青いぞ。大丈夫か?」 塊の右腕らしきものがこちらに伸びてくる。腕には『実は主人公の事が好き』の文字が見えた。限界だった。もうやめてくれ、と叫ばずにはいられなかった。腕を振り払い、塊を突き飛ばした。塊は尻餅をついた。その拍子にぶつかったヤカンから、熱湯が飛び散った。


やれやれ

塊が言った。

「君はきっと『大丈夫』だと思ったんだが」 さほど驚いた様子もなく、塊は続けた。

「『視えて』しまうんだろう。私の姿が。残念なことだ」 塊は立ち上がり、ぱん、ぱん、と掛かった熱湯を払う。

忠告するよ。自分の体だけは見ないほうがいい。まだ、『ネタばれ』はしたくないだろう?」

塊がゆっくりとこちらに迫ってくる。とてもではないが、自分の体を見る気にはなれなかった。

2014-12-29

http://anond.hatelabo.jp/20141229234117

言ってることがよくわからない。

しかすると「たしか自分は小保方を擁護してるけどスタップ細胞があるかどうかとかそんな低俗観点と別次元擁護してるんだからね!」って遠回しに言い訳してるのか。

Adblock等の広告ブロック機能拡張を勧めてくる奴らに違和感を感じる

Youtube広告うざい。前はシンプルで良かった。」みたいな話をすると

「え、Adblock使ってないの?情弱乙w」

みたいなことを言ってくる奴が確実にいるけど俺は自分意思Adblockを入れてない

これは俺自身好き嫌い問題で、ただの自己満足でもあるけど

他人の成果をまとめてるだけのクソまとめブログバイラルメディア(クソなほう)の広告は根絶したいと思う、そいつらに一切の資金提供もしたくない

だけど広告設置してるのってクソサイトばかりじゃないじゃん

広告費で成り立ってる優良サイトはたくさんある

それらにはわずかながらでも協力したいと思うからAdblockは入れない

そういうサイト区別も出来ないで脳死してアフィアフィ連呼してる奴は消えてほしいわ

Adblock入れてる奴らは万引きしてドヤ顔してるクズと大差ないよ

追記

いくつか反論が書かれたのでざっと見たが、やはり都合のいい言い訳しか聞こえない

え、ホワイトリスト使ってないの?情弱乙w

Adblock使ってるような奴がわざわざホワイトリスト使うとは思えない、使ってないだろお前ら

(Adblockによって閲覧に支障が出る場合を除く。ホワイトリストはそのための機能だろ。俺みたいに考える奴のためじゃない)

初めて見るサイトの良し悪しなど分かるはずもないので、そもそもブラックリスト方式であるべき

マシンリソース奪うな

無料である以上、広告が表示されることによってマシンリソースを奪われるのはある意味当然

それを表示しないことによって、あなた運営側への広告による収入を奪っているんですがね

やはり万引き正当化と大差ない。対価を払いなよ

エロウザい、クソ広告目障り、追尾邪魔

低俗サイトを見るのを辞めよう

頭が悪いから、そんな論理飛躍するんだろ

頭が悪いから運営広告費を得れなくなることによる影響まで想像が行かないんですね分かります

どのへんが論理飛躍なのかな?「俺一人で入る広告費は1円にもならないから万引きとは違う」ってこと?

安ければ万引きしていいの?対価を払いなよ

あなたPC危険です!」みたいなのは違法にならんものか。

これだけは素直に同意。さっさと規制してくれ

2014-12-18

増田は真面目な日記を書く所じゃないよ!

ゲロ袋だよ!

さあさっさと吐いていきなよ!

議論なんて期待しないでね!

お互い誹謗中傷低俗な争いだよ!

2014-11-22

婚活が上手くいかないので突然変異を起こすしかない?

やっぱり本当に低俗なんだけど

金と女が欲しいなあ

真面目に働いて

真面目に彼女を探しているのに

上手くいかないとかどういうことだよ(怒)

金があれば女は何とかできる気がするから

やっぱり金がほしいなあ

100万とか200万じゃなく

千万とか一億とかそんなレベル

婚活というか彼女探し頑張ってるけど

一回会って終わるパターンが多い

俺が思っている以上に

俺の恋愛市場での価値偏差値は低いらしい

(他の男よりも俺は劣っているらしいorz)

俺にとっては恋愛とか結婚とか

受験よりも就職活動よりも難しい

だって努力のしようがないんだものorz

トータルで考えると

まともに付き合おうとした女性は俺に絶望失望しか与えてくれなかった

(金で買った女の方がまだ信じられるという悲しい現実orz)

そんなに他の男より劣っているとは思えないけど

これが現実である

女の尺度では俺はダメみたい

しかも何がダメなのかわからないので

改善しようがない

本当にクソゲーだわ

恋愛市場は確かに顔(先天的優位性 良遺伝子)か

金(後天的優位性 経済的社会的成功)で決まるみたいだ

ときメモだとパラメータを上げて丁寧にイベントをこなしていけば

女を落とせるけど

現実ではこのパラメータはある程度固定化しており

容易には変えようがないと思う

これがマジでクソゲー

モテる奴は何もせずモテて、モテナイ奴は何やってもモテナイ

なんていう理不尽さは確かにありそうだ

そして俺はモテナイ方だということだ

頑張っているのにまともそうな女にはフェードアウトされる、フラグすら立たないorz

どうやら俺に決定権も選択肢もないらしいw

(まあ俺がそこまで夢中にならないってのもあるけど、様子見の段階で逃げられるので

これはもう低評価なんでしょうね 少しは妥協しろよ、賞味期限間近の糞マ○コどもw)

他の奴らよりも

金ができればチャンスはあるし、

サラリーマンで金を増やすには株とかFXなどの投資しかないのだろうか

金があればワンランク上の女を落とせるのかなあ…興味ある

このまま真面目に頑張っても報われず、虚しく時間が過ぎていくよりは

リスクをテイクして勝負したほうがいいかもしれない

例え負けて破滅したとしても、ゾンビみたいに生きて緩やかに死んでいくよりは

戦って死んだほうがマシだ

真面目にやって、まともに付き合えて幸せになるやつは粛々と仕事して低リスクでいいだろうけど

俺は何故か真面目にだけやっていても、評価されないっぽいので突然変異を起こすしか道がないのではないか?

最近そういうことを考えている

逆説的だけどもっと冒険して自分の命を粗末に扱ったほうが、生きている実感を感じられるかもな

2014-11-08

http://anond.hatelabo.jp/20141108221133

そうです。週刊誌のような低俗記事で相手を怒らせるのがコツです。

考えてもみてください。

もしカッコよくて無難お笑い芸人がいたら。

誰も見ませんよ。そんな普通幸せ面白くないからです。

不幸なところやカッコ悪いところを見せるから面白いのです。

http://anond.hatelabo.jp/20141108220414

そういえばヤフーコメント低俗記事の方がツッコミどころが多いからコメントの量が増えますね。

メディア側も狙って書いていたりするんだろうな・・・

2014-11-04

映画をほめるのに「頭をからっぽにして楽しめる」とか言うヤツ

映画評論家なんかがお仕事で紹介するのにしかたなくつかってる言い回しなのに、素人が使ってると痛々しいわ。

普通にほめろよ。

この言い回しって言外に「低俗映画だけど、それを分かった上であえてほめてますよ」って上から目線から、その映画の本当のファンは怒っていいレベル

自覚なしにほめてるつもりで使ってるやつはアスペすぎるから国語の授業の「登場人物の心情を答えなさい」みたいな授業をバカにしないで、今からでも受けなおせって感じだわ。

2014-10-03

つかお前らラノベ以外は読まんの?

ネットヲタってラノベ以外の小説は読みもしないで低俗だと馬鹿にしつつラノベを有難がる人が多いけど、ギャグでやってるんだろうか。

テレビ低俗と言いつつアニメだけは有難がるのも同様。

2014-10-01

ラノベ馬鹿にしている奴らは馬鹿なのではないか

http://anond.hatelabo.jp/20141001193557

ジャンル小説判断する奴は馬鹿だ。

ライトノベルと言うと、表紙と挿絵アニメ風の美少女イラストが入った内容の軽い低俗な本、がすぐ思い浮かぶだろう。

雰囲気としては合っている気がする。僕の読んできたライトノベルもだいたいそんな感じだった。

でもとりあえずは、無用な誤解をさけるために定義付けをしっかりしよう。

ラノベというジャンル定義はなんだろうか。

ラノベ定義イラストが入っていることだろうか?

だけど、すぐに反証が見つかる。

例えばここに、さっき本棚を一分漁って見つけた佐々木マキイラストが入った村上春樹の『カンガルー日和』がある。

この本が刊行された時、日本文壇は春樹は文学ではないと言っていたかもしれないけど、少なくともラノベとは言えない。

よって、イラストが入っていることはラノベ定義ではない。

それに、児童文学イラストが入っているのが一般的からイラストラノベはいえないんじゃないだろうか。

じゃあ内容が低俗だとか軽いのがラノベだ、ということだろうか?

いやそれはおかしい。シドニィ・シェルダンの『空が落ちる』は一般小説の棚に置いてある。

入っているイラストアニメ絵からか?

だけど今度はラノベの方に反証がいくつか見つかる。

紅玉いづきの『ミミズクと夜の王』のイラストはどう見てもアニメ絵じゃないが、ライトノベルを名乗っている。

(表紙がアニメ絵の一般小説ちょっと名前は挙がらないけど、本屋でたまに見かける)

こんな感じで、ラノベラノベである理由はおよそはっきりしない。

はっきりしているのは、ラノベであると名乗っている出版レーベルが幾つかあり、それについて一般的ラノベであると認められているという状況のみである

こんなわけなので、定義ラノベレーベルから出ている本がラノベだ、ということにしておくのが妥当だろう。

から筒井康隆ラノベレーベルから小説を出したらラノベになるし、『百瀬、こっちを向いて。』の中田永一ラノベを書いたらラノベになるし、中島梓ラノベレーベルから本を出したらラノベになる。

大江健三郎児童文学だと言いはって『二百年の子供』を書いたら児童文学になったように、大江健三郎ラノベレーベルから小説を出したらラノベになるだろう。

ラノベゴミの山だと皆は言う。

その通りだ。

しかしそういう人は、日本文学が垂れ流した私小説という肥やしにもならない糞の山のことはどう考えているのか。

僕が言いたいのはつまり未来ノーベル文学賞作家ラノベから出ないと誰が言い切れるのか、ということだ。

いや言い切れるはずがない。

さっき書いたように、ラノベラノベであるのはレーベル問題であって、その内容だったり作者には関係が無いからだ。

だとするとどこにラノベ馬鹿にする論理的必然性があるのか。

そんなものはない。

ラノベ馬鹿にしている人は、ハリーポッター児童書版で出たら恥ずかしくて買えないのに一般書版で出たら買う人たちだ。

そういう人は自分の力で、自分だけの「ハリーポッター」を発見することは絶対にできない。

そういう人は本当に面白いものを見つけることも、それを評価することもできない。

周りの価値観ではなく、自分価値観で何かを判断することができない。

そういう人間を僕は馬鹿だと定義している。

2014-09-27

http://anond.hatelabo.jp/20140927014309

それで溢れるなら営業時間伸ばせばいいし。

意味わからん

客が使いたい時間は大概偏っていて、真夜中に延ばしたところで、来るのは「真夜中の客」だ。

大抵の店舗が真夜中商売しないのは、人件費光熱費を考えると、「真夜中の客」では赤字から

昼や夕方に人が溢れるというのは、単純に客を逃しているだけで、営業時間を延ばしたところで取り返せない人達

その人らは次も来ないかも知れんな、行っても座れる保証がないからだ。

そういう経験を客に与えてしまう。

コンビニが、売れ残っても商品を多めに仕入れるのは、客に「品がない店」と思わせないためだ。

喫茶店が「場所」を売ってるとしたら、その「場所」がないってのは、品がないコンビニ同義

上客をつかむためにこそ、「場所」を維持する必要があるし、雰囲気を売ってる店なら、客をえり好みせなならん。

それらを中途半端にやるから上手くいかんだけ。

やるならとことんだ、低俗にいくならファーストチックに軽薄に売るべきだし、その逆もまた然り。

2014-09-18

http://anond.hatelabo.jp/20140918131957

「知らんなら黙ってろks」とまで言い放ったプログラム知識に自信ニキが、こんな低俗レッテル貼りしかできなくなってしまうなんて・・・

2014-09-06

http://anond.hatelabo.jp/20140905175927

なんでもいいけど、この手の超低レベルな話ではてブが1000行っちゃう辺りが

はてブ民の民度の低さを物語ってるよね。

もう、テクノロジー系に強い感ゼロじゃん。

アメブロ民となんら変わらないただの低俗集団に成り下がったな。

2014-09-04

http://anond.hatelabo.jp/20140904112209

それなら米国では「黒人品性が無く犯罪を犯しやすい」という俗説が蔓延しているという前提を考慮しなきゃ。

"低俗で暴虐な黒人から身を守る"ための白人専用車両、というのは存在していてもおかしくない…というか実際数十年前までは存在してたからね。

2014-08-29

学歴厨な妻との馴れ初め

妻は、取引先の会社で働いていた。

彼女に案内されてその会社見学をしたのがはじまりだった。

「うちの会社従業員は、みんな低学歴馬鹿ばかりなんですよ」

見学の途中、彼女の口から出た言葉である

何を言ってんだこの人は。謙遜にしては度が過ぎるぞ。

から知ったことだが、彼女はその会社では有名人で、ことあるごとに学歴の話をするため、同僚からは煙たがられていたらしい。

なお、彼女自身は、地方短大卒業している。

彼女言葉に興味を引かれてしまった俺は、彼女と初対面にもかかわらず、学歴の話を続けた。

しかし、偏見にまみれた低俗な話ばかりで、これっぽっちも楽しくなかった。

他方、彼女自分の話を聞いてもらって嬉しかったのか、学歴の話以外にも色々な話をしてくれた。

仕事はいいのか、と内心思っていた。

その後も、取引先に行くたびに、彼女は俺のところにやってきて色々な話をしてくれた。

しかけてくるときは、必ず学歴関係の話であった。

「○○さん!久しぶりです。やっぱり△△大学出身の方は仕事も早いんですね」

みたいな。今振り返ると、話のきっかけに学歴の話をしていただけなんだろうと思う。

なぜに学歴の話で俺と仲良くなれると思ったのか。

当時の俺は、面倒くさい人に気に入られてしまったと思っていた。

しかし、俺の会社と妻の会社とで少し規模の大きな飲み会があった時のこと。

彼女は俺の近くに陣取ってそばから離れようとしない。

なんというか、妻の会社の人からも、厄介な人の面倒を見てくれる人という感じで見られるようになっていたのである

そんな状況に少しイライラしていた俺は、彼女学歴ネタで煽ってしまった。

から学歴ネタ彼女を煽ったのは初めてだったと思う。

すると、彼女は俺の前に立ち、まさか涙目

学歴がなくたって、私はこの会社のみんなが好きなんだ」

開いた口が塞がらなかった。

その後、彼女は如何に自分会社を好きかを滔々と話し始めた。

最終的には、彼女会社の人も泣き出す始末。

彼女は、面倒くさい人から実は良い奴にジョブチェンジしていた。

でだ、これは友人からも突っ込まれるんだが、俺はそこで彼女を好きになってしまった。

まり不器用で、拗れていて、勘違いされやすい人であるが、愛するものに対して真摯彼女を愛おしいと思ってしまった。

で、それから普通に付き合い始めて、2年後結婚した。

先日、妻から妊娠したとの報告を受けた。

絶対東大に行かせたいと彼女は笑う。

妻は、生まれてくる子どもを愛してくれるだろう。

今朝も、満面の笑顔お腹をさすっていた。

会社の同僚に、「奥さん、お受験とかうるさそうだね」と言われた。

俺は笑う。

そんな心配無用だ。

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