はてなキーワード: 中学校とは
この増田を読んで、変わったのか装ってるだけなのか分からないけど、思ったことがあるので書いてみた。
https://anond.hatelabo.jp/20220112133845
元々友達といえるのは年に2~3回会う小中学校時代の同級生が3人だけ(うち1人が幼稚園から一緒の幼馴染)。
高校や大学の友人もいるけど年1ぐらいでしか会ってなくて、さらに自分以外のメンツは定期的に会っている様子を感じるから自分はあくまで珍味キャラなんだろうなあという感じ。
疎外感がないといったらウソになるが、まあ小中の友達もいるしいいかと思っていた。
就職して2年ぐらいたった時に、ふと自分が同期から孤立していることに気付いた。
もろにハブられてるわけじゃないが、同期や歳の近い同僚同士はプライベートな時間を共有しているそぶり(飲みとか旅行とか)があるのに、自分は大きい規模のイベント以外で一切声がかからなかった。特に同性だけの極小規模な飲みに一回も誘われたことがなくて少し気にしていた。
上司からも「円滑なコミュニケーションをしてほしい」とふとした時に言われたことがあり、自分っておかしいのかなと思った。
(一応言い訳させてもらうと、マジでやべーやつって訳ではなく普通にユーモアをまじえた会話ぐらいわしていたし、日常的な御礼や謝罪はしていたので嫌われてるってわけではなかった…と思いたい)
さらに、同じ時期に幼馴染と姉に「親しき中にも礼儀ありだ」と本格的にキレられたのが大きかった。
・「まあ」「いや」「要は」「だから」を文頭に使わない
話し始める時にこれらを文頭につけないようにする。
えらそうに聞こえるらしい。
・強すぎる言葉を使わない
「〇〇は不要じゃないですか?」「〇〇する必要ありますか?」みたいに言わない。
「〇〇なしでもいけそうです」「〇〇なしでやってみてもいいですか?」みたいにいう。
・シンプルすぎる返答はだめ1
「わかりません」「できません」だけ答えて終わりだとダメ。
「よく分からなかったのですが、〇〇についての話で合ってますか?」みたいな少しでもコミュニケーションが進む返しをする。
「わからない」とか自分の感想だけだと会話のキャッチボールになってない、壁当てだ。(って実際言われた)
・シンプルすぎる返答はだめ2
「はい」とかだけで終わらせない。
「はい、やっておきます」とか「はい、わかりました」とかをつける。
・謎にため息をつかない
「もしかして原因は自分!?」…と、周りの人が困惑するからだめ。
どうしてもため息したい時は口をとがらせて「ハァ…」じゃなくて「フ〜〜〜〜」って感じでやる。
以下は幼馴染と姉に怒られて変えたこと。
・いきなり用件に入らない
「冬休みっていつから?」とかいきなり用件だけLINEしちゃだめ。
「お疲れ様。ちょっと聞きたいんだけど、冬休みっていつからか知ってる?もし知ってたら教えてくれると助かる〜」みたいに送る。
要件だけ送ると「おめえには用事があるからLINEしただけだ!」って感じで尊重されてない感じがする。(らしい)
・相手まかせにしない
決める労力をいつも相手にまるなげしない。
提案や自分の都合とセットで送る。「明日は16時に用事が終わるので、17時に〇〇でどう?」とか。
相手が先に提案してくれた場合も「了解」とかじゃなくて「ありがとう!では明日!」みたいにする。
・テキトーな相槌はだめ
例えば居酒屋探してる時に「ここでどう?」とか言われて「うん」「はい」「いんじゃない」みたいな返答だめ。
「いいねいいね!」「いこういこう!」みたいな積極性?のある言葉とセットで使えと言われた。
提案や決定も労力だから、手札を出してくれた相手の気持ちを尊重した方がいいらしい。もちろんお礼も。
最初に前述のことを指摘された時は、正直「は?」と思った。
他人のこと悪く捉えすぎ、気使いすぎ、めんどくせえーなにを気にしてるんだくだらねえ…と思った。
が、幼馴染と姉に「周りのみんなはどうやってコミュニケーションとっているかちゃんとみてるか?理由もないのに、自分だけが個性的な(尖った)コミュニケーションになっていないか?特にこだわりがないのなら、まずはその尖ったところをどうにかしろ」と言われた。
自分の中で「周りを見てみろ」と言われたのが結構衝撃で、それがすごく自分を変えてくれたと思う。
実際に少し意識してみると、周りの人は自分よりもかなり丸い言葉?というのかな、遠回しな言い方をしていた。
例えば仕事でも「ちょっと今質問いいですか?前と同じような質問になってたらあれですがちょっと聞きたいんですけど〜」とか言ってからやっと本題に入ったりとか。
同僚に長文のチャットを送る際は文頭に「お手隙の時に確認お願いします!」みたいにつけたりとか。(急いで読まなくていいんだなとぱっと見で分かるから、確かに気にする人にとっては親切だなと思った)
もしかしたら周りの人は、自分の想像以上に相手を思いやっているのかもなと思った。
それで自分も周りの真似をしていたら、だんだんと打ち解けられるようになって(話しかけられることが増えた)以前より親しくなることができた。
しかしそんなこんなしているうちにコロナでリモートに入ってしまい、今は全然飲みにいったりしてないんだけどね。
ただ気付きがあったおかげでリモート下でのコミュニケーションも円滑にできるようになったし、実際上司からも、幼なじみや姉からも変わったねと褒められた。
同僚ともちょっとした個別チャットや電話での無駄話などできている。
あと気付いたのは、やはり周りから好かれている人はとにかくムードが明るい。
「今日のみに行こうか」と言われて、自分だったら「はい」とか「いいねー」しか返せないところを、好かれる人は「打ち上がりたいと思ってたんですよー!!」とか「めっちゃ話したいことあるんですよー!!』とか相手の好意を倍返しするような気持ちいい相槌?をしている。
小学校中学校は保健室登校や不登校を繰り返していた。今振り返ると親に相当申し訳ないことしたしメンタルが相当弱かったのだと思う。
詳しく話すと
小5 クラスで学級崩壊&暴力に合う→保健室登校&転校
小6 自分の空気の読めない性格が災いし女子からハブられる&ある男子からよく身体的ないじめをうける→不登校
中学 中受して中高一貫校に通う。発達障害を持った子に付き纏われる&性被害のフラッシュバックで保健室登校不登校を行ったり来たりして、勉強についていけなくなり中学卒業のタイミングで高校を外部受験して偏差値40台の高校に進学。学費無駄にしてお父さんお母さんごめんなさい。
高校の時は流石に自分の人生このままでは詰んでしまうと思い皆勤で学校に通って、中学でろくな学校生活を送らなかったコンプレックスがあったから部活や生徒会も加入して我ながら高校はかなり充実してたなとは思う。
現在は二浪した後、大学2年生をしている。大学での勉強も楽しいし仲の良い友人もいて楽しい日々を送っているが、時々小学校中学校で歯を食いしばって学校に行っていたらよかったと思う時がある。男女間や先輩後輩間での人付き合いの距離感がおかしいのではと不安になるし、あの時の感性や感覚はあの時でしか手に入れられず、ちゃんと教室に通う学校生活を送っていたら手に入れられたのではないかと思う。
この間、グループワークの打ち上げで友人に「二浪してなきゃこの大学入ってここで飲んでないんだよ??」と言われた。確かに今の生活は否定するものでは決してないし中学を辞めて進学した先の高校で出会った友人や思い出、浪人時代に出会った友人や培ったものもかけがえのないもの。
だけどちゃんと学校通っていて高校にも内部進学してたら二浪もせずに済んだ気がするし、色々捻くれずに済んだんじゃないかなーーって思う深夜2時。
バレーボールの組にされて試合をしたんだけど、俺のサービスはアンダーで打ってるのに相手チームが取れずに1セット取ってしまったことがある。
中学生、それもバレー部でもないチームなのでフローターサーブならまだわかる。しかし、アンダーサーブで放物線を描く軌道なのにそんなに強力なサービスになるだろうか?
ずっと自分のサーブで相手チームもローテーションが回らないから同じ選手がレシーブをすることとなってそいつがすごく下手だったんだろうか。
ワイが中学校の頃行ってたスキー場はTomorrow never knowsをヘビロテしてたやで
私の初任地は塩田中学校でした。そこに勤めて間もないときのことです。勤務が終り上田へ出て街を歩いていると駅前にひとが集まり集会を開いていました。何の集会だったかは忘れてしまいましたが、私も共感できる内容の集会でした。近づいてみると同僚の先生の顔が見えたので一緒に話しているうちに集会は終りデモ行進が始まりました。私は同僚と話しながら一緒に歩き、デモの終りまで付き合いました。そこで、同僚と別れました。
翌日のことです。職場長のT先生が朝会のあと、「昨日は動員ご苦労様でした」と集会の報告をした後で、「動員の順番ではありませんでしたが昨夜の集会に田島先生が参加し、デモまで参加してくれたので動員旅費をお払いしなければいけないと思います。評議員にお願いですが田島先生に動員票を書いてもらい支部に提出してください」と発表しました。私はそのことの意味がわかりませんでしたが、集会に参加するとお旅費をくれるらしいことはわかりました。
私が上田の集会に参加したのは集会の主旨に賛同できたのと、同僚と話したかったのですから、旅費をもらう気など全くありませんでした。そこで、そのことを職場長のT先生に話したところ「組合主催の集会やデモに参加するときは旅費と日当が出ることになっている。他の人も旅費をもらっているのでそうしてくれ」と言われ、結局、後日その日の動員旅費と日当をもらいました。
それまで学生だった私は、安保条約改正反対などたくさんの集会・デモに参加してきましたが、参加して金をもらうなどということは一回もありませんでしたし、予想したこともありませんでした。ところが、学生時代と同じ主旨の集会でも就職して組合に入れば参加者は順番に出席し旅費と日当をもらうということを知りました。
新任教師だった私は組合主催の集会に出席すると旅費・日当がもらえることを知らず、そのことを奇異に思っていたのですが、しばらくすると、それが当たり前に思うようになりました。たしかに、わざわざ遠いところから長野や松本の集会にバスに乗ったり自家用車で駆けつけてくるのですから、そのための実費を支払われるのは当然かもしれません。そうでなかったら、集会場から遠い職場の組合員は集会に出席するのが困難になります。
労働組合に入らなかったときは当たり前だった自腹を切っての集会参加やデモ行進参加が、組合に加入してからは動員旅費をもらうのが当たり前になっていました。これも、感覚の劣化、あるいは堕落のように思うこのごろです。
組合主催の催しであってもそこへの参加はできるだけ動員という形でなく、自主参加と言う形に変えていくことが望ましいと思いますが、それでは参加する組合員がいなくなってしまうでしょうね。
飲食のバイトしてて、最寄り駅に着くのが0時ごろなんだけど毎回親が迎えに来てくれる。
面倒だろうし来なくて大丈夫だよって伝えても迎えに来てくれる。
女の夜道は怖い!の一点張り。
それに対して感謝はしてるんだけど、いざ家に帰って鏡を見ると辛くなる。めちゃくちゃブスだから。
女友達はいるけど男友達はいたことないし、まず関わりがない。なんなら中学校ぐらいまで、リーダー格の男子からはブサイクって指差されてた。
(高校以降は皆大人になったのか表立って揶揄われることはなくなった)
大学入りたての頃、友達と二人で歩いてるときに体育会系のサークルの勧誘を受けたことがある。
女子マネージャー募集してます、良かったら新歓来ませんかって。
私には目も合わせてくれなかった。一緒にいた友達が可愛い子だったから余計に私のブスさが引き立ったのかもしれない。
結局その子が一緒に行こ!って誘ってくれて、でも肝心のその子がバイトの面接で行けなくなって私だけ新歓に参加することになって。
ミスコンに出るような可愛い子の輪の中に冴えない私が入って、泣きそうになった。
家に帰って親にこの話をしたら、何を言うてんねん!〇〇も可愛い!とフォローされたのも辛かった。
その後どこのサークルを見学しても、女の子とは仲良くなれたけど男の子とはまるで話せなかった。
相手はもしかしたら顔なんて気にしてなかったかもしれない。でも避けられているような気がしてならなかった。
だから、親に心配されるといつも悔しいような悲しいような気持ちになる。
夜遅くに一人で出歩くなよ、とか先輩に酒飲まされないように気をつけろよ、とか。
他の女の子だったらそんな危ない目に遭うこともあるだろうけど、私が遭うわけねえだろって思ってしまう。
何の心配もしてくれないような薄情な親よりはマシだと思う。仲がいいだけマシだ。でも、これはこれでキツい。
彼の出生云々を書いたプリントを道徳と言う名の同和洗脳教育の時に渡された。
内容は彼は逆子で生まれてきてダウン症以外に幾つかのハンデ(知的障害、心疾患など)を持ってるといい、
最後に「いっしょに勉強したい」と無理やり書かせたような文章だった。
3年間ほぼ隣のクラスにいた彼を見ていたが、ほとんどの授業などは彼に合わせる事になっていた。
体力も他の生徒より劣っているのでいつも最後だった。
「彼が戻ってこないから解散して帰れない」ということはいつものことだった。
学校行事もまず彼ができるものから選択してそれをやるというものだった。
学年一の不良と同じクラスにさせて彼の世話をさせていたりもした。
そして中学3年になった時「進路」というのが出てきた。
当初日教組に染まった学校側としたら基本的に同じ学校に行かせたい(というより学年全部を同じ学校に行かせたいと考えている)と思ってたが、
しかしある意味いろんな形で手厚く保護された温室状態で育っている彼を雇ってくれるような企業はもちろんなかった。
養護学校へ進学という選択肢もあったのに、なぜかそれをスルーしていた。
結局彼は進路が決まらないまま中学校を卒業し世間に放り出されることになった。
彼の中学校生活は回りの大人や「日教組」によって利用され振り回され、そして狂わされたにしか見えなかった。
親は普通の子供と同じようにしたいと思っていても、実際は周囲が合わせないと無理な話だし、親のエゴにしか思えない。
親は良かれと思っていても、彼の人生にとってはそれで良かったのか?
そういうものを目の当たりにしてきたからこそ、自分は子供ができたら出生前診断することに決めている。
新しい命を殺めていいのかということを言う人もいるかもしれないが、
これこそネットの力が発揮すると思うけどな。
https://nordot.app/844522079794642944?c=39546741839462401
下町の風情を残す東京都墨田区の住宅街を、60代ぐらいの男性を探して訪ね歩く人がいる。江蔵智さん(63)だ。生まれた直後、産院のミスで別の赤ちゃんと取り違えられ、そのまま育てられた。両親と血のつながりがないという衝撃の事実を知ったのは約17年前。そこから独りで膨大な行政資料を調べ、取り違えられた可能性のある家庭を1軒1軒回り、生みの親と、自分を育ててくれた両親の本当の息子を探し続けている。(共同通信=典略健佑)
▽取り違えの発端
日本が高度経済成長へと歩みつつあった1958年4月10日、都立墨田産院で男の子が生まれた。この子を仮にAさんと呼ぶ。前後して同じ産院で生まれたのが江蔵さんだった。
赤ちゃんのころの江蔵さん
産院では通常、母親は1日2回ほど、授乳の際に新生児室のわが子と顔を合わせる。ただ、Aさんの母は母乳が少なく、看護師が代わりにミルクを与えていたたため、わが子の顔を見る機会はほぼなかったという。
出産から4日ほどたった頃、看護師が「へその緒が取れた」としてAさんの母の元に連れてきたのが、江蔵さんだった。「取り違え」の発端だったとみられる。
Aさんの母も父も江蔵さんをわが子と信じ、そのまま退院した。父は名前を「智」と決め、出生届を墨田区役所に提出。長男として育てられ、その後に生まれた弟と共に台東区で暮らした。
▽「家族の誰とも似ていない」
「巨人の王や長嶋に憧れた野球少年で、やんちゃな子どもでした。でも、父とはそりが合わなかった」。江蔵さんがおだやかな口調で幼少期を振り返る。父は都電の運転手。厳格な面がある一方で気性が荒くなる時もあり、物心ついた頃から対立した。
お盆や正月に親戚の子どもが集まると、大人たちに「おまえは家族の誰とも顔が似ていない」とよく言われた。江蔵さんにとっては、今も忘れられない言葉だ。「確かに自分だけ顔立ちが違うな」と幼心に思ったが、それ以上深く考えることはなかった。
中学卒業後は家を出て、浅草のおしぼり店で住み込みをして働いた。その後は建設作業員やトラック運転手、貿易関係など仕事を転々としたが、時代は高度経済成長期のまっただ中。食いぶちには困らなかった。
10代の頃からモータースポーツが大好きで、車のレースにも参加していた。好きが高じて30代で中古車流通関連の会社を設立。仕事に明け暮れ、両親と会う機会も少なくなっていった。
▽親子としてはありえない血液型
転機は1997年、39歳の時だ。病院嫌いだった母が体調を崩し、初めて血液型検査を受けてB型と判明した。父はO型で江蔵さんはA型。親子では考えられない組み合わせだ。念のため他の病院でも検査したが結果は同じだった。
「ありえないよな」。江蔵さんの問い掛けに、両親も訳が分からないといった表情を浮かべた。当時はまだDNA型鑑定は一般的ではない。鑑定機関に問い合わせたが「300万円かかる」と言われた。その頃見た新聞には「実の親子でも、遺伝子上の原因で血液型が合わない場合がある」という内容の記事が載っていた。
約7年後の2004年、福岡市に仕事の拠点を移した江蔵さんは、かかりつけのクリニックで家族の血液型について話した。すると話を伝え聞いた九州大の法医学者が「研究のため調べたい」と持ち掛けてきた。DNA型鑑定も無料ですると言われ、両親と血液を提供した。
▽「あの看護婦かしら」
約2週間後に会った法医学者は、おもむろにこう語った。
「あなたの体に、両親の血は1滴も入っていません」
衝撃を受け、すぐに母に電話で伝えた。電話口で母は「えーっ」と言ってしばらく絶句した後、こんな言葉を口にした。「あの看護婦かしら…」
母が語った話はこうだ。墨田産院では当時、沐浴などで新生児を運ぶ際、看護師がかごに入れて頻繁に移動させていた。ただ、母から見た産院は明らかな人手不足。どこかで取り違えが起きていてもおかしくはない―。母の話を聞きながら、江蔵さんは頭が真っ白になったという。
すぐに真相を確かめようと思ったが、都立墨田産院は15年以上前に閉院していた。東京都の担当部署に電話し、対応を求めたが拒まれたという。墨田区役所や法務局も訪れたが、らちが明かない。江蔵さんと両親は、都に実親の調査と損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。
▽「過失は重大。人生を狂わされた」
05年の地裁判決は「真実の親や子を見いだすため、手を尽くしたいとの心情は察して余りある」と理解を示した一方で「請求権が消滅する除斥期間(20年)を既に経過している」として訴えを退けた。
江蔵さんは控訴。すると06年の東京高裁判決は正反対の結論を導く。「時効は成立していない。過失は重大で、人生を狂わされた」として都に計2000万円の賠償を命じた。都は上告せず、判決は確定した。
上告しなかった理由について、当時の石原慎太郎都知事は「本当に痛ましい話で、総合的に判断した」と述べたものの、江蔵さんが求めた出生情報の開示については「(取り違えられた)相手方の人生にもかかわる。行政としてできることに限りがある」と、事実上の拒絶をした。
▽60人の候補者、誰ひとり拒まず
それでも諦めるわけにはいかない。江蔵さんはその頃、既に自力で生みの親を探し始めていた。自宅がある福岡市から時間を見つけては飛行機で東京に通い、墨田区役所で住民基本台帳を閲覧し続けた。区の住人は当時約33万人。そこから自分と生年月日が近い人の氏名と住所をメモした。
半年ほどかけ、約100人をピックアップし、レンタカーで1軒ずつ回り始めた。事情を伝えた上で「血液型だけでも教えてほしい」とお願いすると、見知らぬ人の突然の訪問にもかかわらず、誰ひとり江蔵さんの調査を拒まなかった。
反対に「俺も同じ立場なら一生懸命探すかもしれない」「会えることを願ってます」と言われ、励まされた。60~70人分を調べたが、該当する人はいなかった。
ただ、住民基本台帳には限界がある。新たな転入者の情報は随時追加される一方で、転出者の情報は削除されてしまうためだ。江蔵さんが探し始めるまでの四十数年間に転出した可能性は、低いとは言えない。
▽該当者は黒塗り100人の中に
頼みの綱は、墨田区が保管している「戸籍受付帳」だ。自分の生年月日に近い戸籍受付帳を開示するよう請求したが、区はプライバシーを理由に、個人情報を黒塗りした上で開示した。それでも、黒塗りされた該当者の人数は分かる。約100人。彼らの戸籍情報さえ分かればたどり着けるはず。江蔵さんはもう一度司法の力を求めることにした。今年11月、都に実親の調査を求める訴訟を東京地裁に再び起こした。
育ててくれた父は、約5年前に他界した。折り合いの悪かった父は常々、実親を探し続ける江蔵さんを見かねて「今更、もういいんじゃないか」と言っていた。だが、死期が近づいた頃には「まだ見つからないのか」と気に掛けるようなことも言ってくれた。
東京都に実親の調査を求める訴訟を起こし、記者会見する江蔵さん=11月5日、東京都内
その父と自分の間に立ち、陰ながら調査を見守ってくれた母(89)は、苦しい胸の内を最初の訴訟に提出した陳述書で明かしている。
「私も生んだ子どもがどうなっているか、見届けたいし、会いたいです。でも見るだけで、声はかけられないと思います。向こうの気持ちもあるでしょうから。会えるものなら、遠くからでも見てみたいです。その気持ちには変わりありません」
母は今、認知症を患い高齢者施設にいる。江蔵さんが語り掛けると、にこやかな顔を見せるが、会話の内容はもう理解できていないという。
「せめて一目でも生みの親に会いたい。取り違えは東京都の責任なのに、なぜ協力してくれないのか。もし判明しても、相手側に面会を拒まれるのなら諦めます。でも、調査さえしないのはおかしいと思いませんか」
江蔵さんの闘いは終わらない。現在は幼少期に墨田区内にあった小中学校の卒業アルバムや住所録を集め、地道な調査を続けている。
いじめが何故起き、そして何故黙認されるのか、それは学校という空間が異常だからだ。
個人的背景も経済的背景も違えば勉学に対する意欲も成長の度合いも違う人間を集めて管理するなどそもそも無理がある。
その無理をどうにかするために行われているのが学校の治外法権化である。
治外法権となれば当然「外の世界」の法律は適用されなくなり、中の都合によって法は定められていく。
多くの教師が考えているのは生徒を管理下に置くことであり、分かりやすいヒエラルキー構造が教室に広がるのは管理するのには都合がいいのだ。
端的に言えば教師にとってはいじめは程度さえ大きくなければ歓迎してもいい状況である。
個人が個人の感情で暴力を奮っても、力関係が強いものがやったのであれば黙認されるべきであるという風潮は、教師が体罰をするにあたっても都合がいい。
クラスのリーダー的な存在が生まれれば、教師が機嫌を取るべきはそのリーダーと取り巻きであり、下位層にいる生徒は卒業までの間に壊れないかだけを注意しておけば良くなる。
社会が教職者に押し付けた無理を、教職者は学校という空間の法とモラルを歪めることで解決しているのだ。
もし、その歪んだ法を正そうとすれば何が起きるか?
「いじめ問題だけを隠蔽することを辞めさせれば良い」なんて簡単に考えているのだろうか?
そんなことを生徒や親が許すはずがない。
生徒が法によって裁かれるなら教師も同じでなければならない。
逆を言えば、生徒が法で裁かれることを免れているという後ろめたさが学校の治外法権化を支えているのである。
鎖はどれか一つの輪が断ち切られれば全体が意味を為さなくなるという話である。
学校とはそもそも教育施設を兼ねた監獄であり、現代の社会が抱える無理難題を無理矢理に押し込めた地獄の釜である。
この状況を生み出しているのは教育の現場であり、そこに子供を預ける両親たちであり、子供というものを無知な獣としか思っていないこの社会全体である。
そもそもをして全く違う背景を40人の人間に対して1人の人間が監視を行って管理するということ自体が容易ではないのだ。
これはなにも相手が子供だからではなく、大人であっても同じだ。
免許の更新、職場における集合教育、失業保険目当てで通う職業訓練センター、そういった所で後ろ側に席をとって周りを見渡せば話を聞いているフリをして寝ている大人やバレないようにスマホを弄っている大人が如何に多いかを目にできるだろう。
大人か子供かではなく、意欲もないのに教育の場に参加させれば自然とそうなるのである。
だが多くの大人たちはそういった場面で見かけ上はマジメに聞いている。
彼らには、免許を更新したいとか、教育を受け直しになりたくないとか、失業保険が欲しいとか、そういった極めて直接的な理由がある。
だが、小学校や中学校においてはこういった要素が薄く、それこそ出席をしなくても卒業をして次のステージに進むことが出来てしまう。
学校という空間は如何にして1人につき40人を真っ当な報酬系統も存在しない状況で監視するという異形をなしているのだろうか?
答えはシンプルだ。
教師と生徒という関係に超巨大な傾斜を設けて、教師が白を黒といえば生徒はそれに従うほどの力関係を用意するのだ。
これにより教師が与える体罰、精神的苦痛、各種のハラスメントは教育という概念として昇華され、一生傷が残る行為と物理的な接触を伴うセクハラ以外はあらゆる行為が黙認されることになる。
そもそもをして、強制的に集められた40人を1人が管理するなど、こういった異常な環境下でなければ容易には実現し得ないのだ。
もちろんキチンと環境を構築するという容易でない道を選ぶことも出来るが、それを実行しようとしたものもゆくゆくは燃え尽きていく。
25歳で教職についたとして定年までは40年、個々人の意欲のみを報酬とするには長すぎる時間なのである。
かくして学校という空間は独自の法によって運営される出島、監獄となる。
ではこの監獄島に外の世界をルールを真っ当に適用したらどうなるだろうか?
教師と生徒が平等になれば、暴走する生徒を止める手段は通報のみとなる。
教室において教師が出来るのはハラスメントにならない範囲までの注意、いわば善良な管理者の注意義務までである。
その範囲は決して広くはなく、今までであれば先立って体罰によって躾けることで無理やり予防できた数多くの人災に対処が及ばなくなるだろう。
教師は超人ではないので、人間としての限界を超えることは出来ないが、法の縛りを逸脱することを許可することで擬似的に半超人化していたものがなくなるのである。
授業や生徒の管理を妨害された時、今まであれば超法規的措置によって体罰をして解決していた。
だがそれが不可能になったらどうなるか?
証拠を集め、公務執行妨害を適用し、少年院に送られてもらうことを選ぶしかない。
他の生徒のことを考えればそうならざるを得ない。
生まれついての犯罪者として真っ当な職業に付く機会は、少なくともテレビで名前を聞くような企業に入る機会は場末のアルバイト以外では望めないだろう。
今までであれば鉄拳制裁を受け、顔の腫れが3日後に引けば終わったものが、これからは一生消えること無い履歴書の傷を引きずって生きることになるのだ。
そしてこれは何も極めて救いがたい悪童に対してのみ行われるのではなく、多動性を持つ生徒、注意力散漫な生徒、偶然虫の居所が悪かった生徒、いわばほぼ全ての生徒がそう言ったリスクを背負って通学するようになるのである。
元からそうだったと言いたい人にはこう言おう、もし治外法権がなくなれば通報されるリスクが10000000倍になった学校に通うことになる、と。
我々が声高に「いじめをなくせ。隠蔽を辞めさせろ」というのは簡単だ。
だがそれは「学校への治外法権の適用をやめろ。これからは学校で起きたありとあらゆる犯罪行為が法的措置の対象となるべきだ」ということなのだ。
さて、貴方の家の子供は悪戯の一つもしないで今日まで生きてきただろうか?
悪戯とは、相手が許さなければ犯罪になる行為であり、犯罪歴がつけば人生の可能性が半分以上消えるということを理解できているだろうか?
そんな自信は自分にはないなあ
この動画を見ていると、なぜかとても懐かしいような気がして、胸が締め付けられる。ある夏休みの日、学校の図書館に本を返しにいくような、永遠に失われてしまった時間がどうしてか今近くにあるような気がする。蝉しぐれ、日差し、水路の流れ。失われた時というやつはいつも夏の顔をしていて、時に知りもしない少女の追憶へと私を追いやる。
ちふゆさんはいったい、何県の何中学校に通っていたのだろう。彼女の部屋はどんなのだったのだろう。好きな小説、お気に入りの音楽はなんだったのだろう。メール友達がいたかもしれない。なぜか千葉や埼玉の郊外に住んでいるような感じもする。どれも知る由もないが、たしかにそこにいて、おそらくは今も、今もどこかで暮らしている人を思うと、どうしてか本当にかなしい気持ちになる。
どうしてか永遠に交わることのない人たちが大勢いるという当たり前の事実を前に、胸が空っぽになる。知らない街、知らない学校、知らない校庭、知らない日々を思うと、得体の知れない喪失感に打ちひしがれる。夢の世界で知らない風景を見て起きた時の、あの忘れゆく記憶を辿るようなもどかしい感じがする。ただ一つ確かなことがある。彼女には逢うことができない、永遠に。
色々あれなので暈す
さすがに目無しだとはわかってた。卒業して一般人になったので、普通は完全に撤退するのだろうけど、ほんまに好きすぎてアイドルと一般人よりも一般人と一般人のほうがワンチャンあると思って、条令とかは破れないし、向こうが18歳超えるのをひたすら待ってる(エゴサしてくれたらすぐ見つかる)
今でも普通に会うんだけど、同年代のクズ男に引っ掛かっては騙されて(数万~数十万貢いでそこで貢がされてるのに気づいて)を繰り返してる娘。
最初に出会ってからもう数年経ってるけど、途中何度も冷めつつも(結局男居たんかい! とか、やっぱり金としてしか見られてないとか)、数か月会わないとかはあったけど、ずるずる続いてる。
馬鹿でお人好しで、凄く損する人生歩んでるんだけど、正直なのが好き。
お金払いつつ、いいように使われてるのはわかってるんだけど、見守り枠としての座をキープし続けてる
多分人生で一番好き(ワンチャンのワンチャンがノーチャンではない中で)
C)Bのこに見切りをつけようと思ってた時期に増田を救ってくれた夜のお仕事系のNちゃん
夜のお仕事系のこに入れあげても何にもいいことないって思ってしまった時(まあAのアイドルなんてもっと目無しだが)に出会った人。
全てを受け入れて包んでくれた。
コロナのせいでもう一度会えるかどうかわからない(新幹線で日帰り絶対無理なところの実家に帰ってしまった)けど、どん底から救ってくれた恩人
夜の仕事してる理由が専門学校行く(から学費貯めたい)っていうテンプレで普通に考えたら怪しさ満点だったけど、2年でも4年でも学費と生活費ぐらい出そうと考えてた。それを言いだす前に、実家に帰るって決めてしまった。
ちょうど、お別れのちょっと前がそのこの誕生日で(それに合わせて嘘誕生日の可能性も考えたけど)、何を贈るか、で、結局換金しやすい、強い石と強い金属のアクセサリーを買ってプレゼントした。
今思い出しても泣けてくるんだけど、意地で、「これつけていい?」って言われたけど、拒んで、結局身に着けてるところをみないまま
ダイアモンドだったんだけど、金剛石ってゆったから価値がわかってないかもしれないけど、最後のプレゼントとしてこちらとしては最善を選んだつもり。。
意地はって装着を拒んだのは、もう一回会える時に、その旨で輝くダイアモンドを見たかったから(もうデザインとか忘れたから、言われないと気づかないんだけど)
で、今繋がりがあるのはBのこだけなんだけど、3人とも平行してるっちゃしてるんだけど、全員好き、大好きだった(ていうか現在進行形)のだ
あと、近所に住んでる人妻的なセフレも好きというか、唯一増田に損得とか金勘定無しで接してくれるから妥協点とかいう以上に全然好きなんだけど、コロナ的なのの関係で全然会えてない
小学校中学校時代は顔が不細工だったのと、高校が男子校で全然モテなかったから、初恋とか好きな子は居るけどうまく行く可能性ほぼないっていう若い頃に比べたら、今(40代)のほうがなんとなく可能性というか希望だけはあるのが不思議で幸せ。
おっさんになっても意外とおっさん風貌が好きな若い女子とか、金とか性格(優しさ)で戦えるから、みんな諦めずに頑張って欲しい
増田も頑張る