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両親のホロコースト証言を元にしたマンガ「マウス」米国テネシーの学校でホロコースト教育で使用禁止に
第2次世界大戦時にナチスドイツによって約600万人のユダヤ人が殺害された、いわゆるホロコースト。欧米やイスラエルでは今でも反ユダヤ主義が根強く、二度ととホロコーストを繰り返さないことを目的に小学校や中学校でホロコースト教育が行われている。
だが米国テネシー州の学校でホロコースト教育でホロコーストを題材にしたマンガ「マウス」を使用することが禁止された。不適切な表現と女性のヌードのシーンがあることがその理由のようだ。
https://news.yahoo.co.jp/byline/satohitoshi/20220201-00279816
まずおれがどれだけ巨乳好きか話す。
正確には、とある巨乳に「〜くらい巨乳が好きなんだね」と言われた話をまずは話す。
この年頃の男というのは、某マッチングアプリのいいね欄(自身がいいねを送った相手を遡って見れるという欄)を男友達の内輪で見せ合い、各々のタイプに対して不躾るという時間がある。
そこでいつも友人には「巨乳なら他はなーんも関係ないじゃん」と言われるのだ。だから巨乳好きという自覚があった。
個人的にはドキドキしたらいいねを送ると決めているが、友人からすると分かりやすく巨乳にドキドキしているのが分かるそうだ。
そんな価値基準で某マッチングアプリをわさくさしているおれは、ある夜、パッツンパッツンの胸1枚だけをトップ画像に設定した巨乳とどうにか会う事になった。
あれよやれよと一晩を過ごしたのだが、その巨乳の女の子からは事を終えた後にいろんな事を聞いた。
昔エッチなお店で働いていた事。
そのお店ではSNSのアカウントを作り、秘部が見えそうで見えない写真を毎日アップし、集客に繋げるというルールがあったこと。
あまりにも立派な巨乳だったため、そのアカウントが鬼バズってしまい、その店舗への問い合わせが殺到したため、店舗の判断によりアカウントの運用を一時的に停止したこと。
見直した結果、課金制で写真を公開して、更に課金したものにはDMを公開し、更に更に課金したものにのみ店舗名を明かす。これにより店舗の問い合わせを激減させたのだという。
巨乳を眺望したいという気持ちがどれくらいあるのか、常に心に問い続け、それを金額に換算したとき、それを高いと思うか、安いと思うか。
そこで、巨乳様を見れるならこんな金安いもんだと、その意思決定を財布の紐が擦り切れるまで続け切った、巨乳に対するリスペクトが極まった躯体のみが、彼女の巨乳にたどり着けたのだ。
この10分にも満たない話を聞いて、「そんな課金するバカがいるんだ〜」と思った。と同時に、「なんでこんな話をおれにするんだ?」とも思った。
恐らくは、「あなたの隣にいるのはそんなステキな女の子なのよ?わかる?大事にして?」というアピールか?
そう思って少し勝った気分になっていた。
「とまぁ、あたし洗練された巨乳好きと会ってきたけど、あんたその人たちの中の誰よりも巨乳好きだと思う」
と言われた。
なぜだ?
おれは過剰に吸わない。過剰に触らない。適度な距離感で胸に向き合っている。胸だけを見て会話をしない。
なぜが頭を駆け巡り、気づいたときには「え、なんでそう思った?」と聞いていた。
恐らく、女性が過去の話、特に性にまつわる話を男性にするということは、とても勇気がいることなのだと思う。
しかしそんな勇気を振り絞ってでも、「あなた巨乳好き過ぎますよ?」と伝えたかったのだろうか?
補足すると、
この女性は、フォロワーが外国人も含めてX0万人いたらしい。言い換えるとすれば、最低で10万人いたとしても、ランダムに集めた9万9999人の巨乳好きより、おれのほうが巨乳が好きだと言うことだ。
これでおれがどれだけ巨乳が好きか分かってもらえただろうか?
さて、
この一件により、ここ数年マッチングアプリでおれが足踏みしている理由が、敢えて明らかにしてこなかった確固たる理由が、明らかになってしまったからだ。
不細工でもなくカッコよくもない俺は、
【27,28歳で結婚に焦りを感じ、多少男のランクを落としてでも良いから付き合い始めておきたいという考えを持つ美人】
とデートする機会が増えてきた。
おそらく、経歴的な要因が強いのだと思う。先週見た結婚相談所のドキュメンターを見たりすると、書面上はウケが良いのだろう。
一方のおれだが、高校の時初めて出来た彼女のことをどう思うか?と彼女と同じ中学校に通っていた男友達に聞いたら「話した事ないけどあだ名はイノシシだった」と聞いた経験がある。
こんなおれからすると、ここ2年におけるデートはどれもこれも、目玉が飛び出るような美人ばかりだ。
しかし、全てこちらに裁量が委ねられたケースでは、その全て次の駒を進めるということはしなかった。
今までは「まだ良い人いると思うんだよなぁ」と思って連絡を取ってこなかった。
しかし今回の一件で、おれにおける「良い人」が「巨乳」だということがハッキリしてしまった。
顔は側からみればわかるものの、巨乳はあからさまに分かる例は非常に少ない。
この出来事により、おれの恋人ができるまでの道のりが、何倍にも伸びてしまったように感じた。
前置きは長くなったが、こんなおれが巨乳じゃなくても付き合えるようになった話、いわゆる本題に入る。
マッチングアプリのいいね欄を見せ合う友達がいるという話をしたが、そいつは金曜日の夜にエッチに成功した次の日のお昼、必ず喫茶店におれを誘う。
そしてそこで、如何に昨日抱いた女が良かったかを気持ち良さそうに話してくれる。
おれはその答えが「Gカップ」以上だった時だけ食い入って話を聞く。
それ以外だと違うことを考えながら、適当に相槌を打ち、今やり取りしている人の中で巨乳そうな人がいないかを聞くことに徹する。
千鳥のクセが凄いネタグランプリで、既知のネタに、急に芸能人がコラボしてくるときがあるだろう?
俺も然り、みんなあの時間は急に冷めて携帯を弄ると思うが、おれが巨乳じゃない女の子との夜の話を聞く雰囲気はあんな感じに近い。
男友達は華奢な女の子が好きだから、おれの琴線に触れる猥談はめったにない。
しかしその日はなんというか、疲れていたこと、昼に二郎系ラーメンを食べて精がついていたこと、自慰をしていなかったこと、色々重なって性欲が爆発してしまった。
おれは夕方から予定があることを思い出したという、あからさまな嘘を立て、男友達と解散した。
そして隈なく風俗を探した。
前述の通り、おれは風俗にお金を出す事を勿体ないと思っていたこともあり、自分のお金で風俗に行ったことはなく、その男友達に奢ってもらったことしかなかった。
(男友達はどうしても1人で風俗に行きたくないとき、おれにお金出すから行こうと懇願してくる)
そのとき奢ってもらったやっすい風俗を覚えていたので軽く小走りでお店に入った。
のれんを潜った瞬間にそう頼み込んでいた。
このときに対応してくれた黒服がもしもお笑い好きならば、脳裏には寿司屋に入った途端「まぐろ!」と叫ぶ銀シャリのネタを思い出していただろう。
これっぽっちでこの理想が?衝撃とともにタイマーの音を聞いた。
「一度人を殺すと、今後の人生において、人を殺すという選択肢が入ると思うから」
と回答していた。
この回答を思い出しながらおれは、また同じ系列の別店舗に駆け込んでいた。
おれは「この値段でこの巨乳を拝めるなんて」ということに既に感動を覚えてしまっていた。
10,000円札を見た時、常に巨乳という選択肢が入ってしまった。
要を済ませたおれは、数時間後、まだムラついていた。
その日は本当にいきりたっていたように思える。
昼の子がFカップだったなぁと思いつつ、その系列店のパネルを見ていると、なんとHカップの女の子が出勤していた。カルチャーショックだった。
マッチングアプリで胸が大きいかどうかを判別するためにかけた時間、会ってご飯を食べる時間、口説く時間、ホテルに案内する時間、服を脱がせる時間。ここまでして巨乳じゃないことなんかざらにある。それがこんなに簡単に、、、そう思っていた。
そして30分後おれの恋愛観に変化が起きていた。
過剰な期待からの落差というものは、時として人を諦めさせる力がある。
おれの中のHカップとは異なる乳がそこにはあった。
スターウォーズのジャージャービンクスが俯いているような、酷く垂れた胸だった。肌質を見ると、恐らく20代前半なのにも関わらずなのだ。
おれは全く興奮しなかった。ジェダイのように落ち着きはらっていた。
おれは垂れた胸を生で初めて見た。
それと同時に
巨乳にも色々種類があることを知った。
垂れている事、張っている事、離れている事。
それが1日の出来事だったからなのか、価値観は一気に塗り替えられた。
胸には種類があり過ぎて、巨乳の定義の中にも自身が興奮できないものがあるということ。
いづれとかじゃなく、元々垂れている人もいるということ。
おれはなんと愚かな事をしていたのだろうか。そう思った。
胸には、敷いては巨乳には種類があり過ぎるのに、それが可視化されていない状況から、理想の巨乳にたどり着くことの困難さ。
たどり着いたとしても、いづれその理想は崩れてしまうことの儚さ。
そして風俗という、胸が可視化された状態で出会える場所、そしてその場所には若さが流動していること。
おれは、見つける事自体がとても困難にも関わらず、見つけたとしても永続化できないものを、追い求め、彼女という1つしか空いていない席に座らせようとしていた。
これはポケモンで言うと、数日後に色が元に戻る色違いのポケモンを必死に探し、一つしか持っていないマスターボールで捕まえるようなものだ。
巨乳を彼女の要件に加えるというのは、結局のところこういうものなのだろう。
大学時代にガリガリの女の子と付き合い、骨がぶつかり合うようなSEXを悩み別れ、次に付き合った子がHカップだったため、以来8年間おれの巨乳に対する尊敬と執着はやまなかった。
MUSTというよりWANTくらいになって良かった。
全男子がToLOVEる読んでる前提なのか。普通そういう年頃だと隠したがると思うんだけど
僕と少年ジャンプの話をします。僕は小学四年生の頃から現在社会人3年目の今まで週刊少年ジャンプをほぼ読み続けていました。
当時小中学校の時はToLOVEるなど女子と性的なコミュニケーションを取る漫画をハラハラドキドキしながら読んでいました。しかし大学生も後半の頃に当時ToLOVEるを読んでいなかったという友人(男)に出会いました。その時僕は理解ができなくてしどろもどろ興奮しながら「男なのに!?意味がわからない」と発狂しました。しかし今は「性暴力」と「女性も同じ人間」だという事を知っているので、彼がなぜToLOVEるなど性的な作品を読まなかったのか理解できます。「相手の同意を取らずに性的な行為をするのは性暴力で、相手の心を傷つけること」「女性の体を見境なく性的に見ることは当然のことではないこと」ということを当時の僕が知っていれば僕も彼と同様ToLOVEるなど性暴力を扱う作品を楽しく読むことはなかったでしょう。「性暴力含むエロを豪胆に愛して憚らないのが男らしさ」という少年誌のメッセージを内面化してしまい、性暴力を含む作品を声高に称賛して、男らしくなれてると錯覚してた自分は本当に恥ずかしいし迷惑なことをしていたなと思います。
まあ根本的に間違ってる。
優生学っつーのは「スポーツのつおい、将棋のつおい人集めて子供つくればもっとスポーツ・将棋がつおい子供が生まれて最強」みたいな「なんかすげーやつ」が何人か生まれて、その人たちはハッピー、親もガキ使って儲けてハッピーとかそういう漫画みてーな話じゃねーんだわ。
優生学っつーのは「イイ精子イイ卵子に高い金出せる金持ちがもっとつおくなる」ことじゃねーの。
優生学っつーのは「ある一定の基準に達した特定の条件を満たした(注1)人間だけが生殖して、それ以外には子供を残すことを許さない(ようするに断種するってことだ)ことで社会(国家・人類)全体が今より良いものになる」ってことなの。個人の能力の話じゃねーんだわ。集団遺伝学の話なの。
だから別に金持ちが金出してイイ精子買っても結婚相手をなんらかの能力で選んですげーガキができるのを期待するのも別に悪でもなんでもないしそんなことやってるやつはもう既にどこにでもいるわけよ。んなこた個人の自由だし、そゆことできるやつはむしろ「そうする権利がある」と言っても過言じゃないわけ。そいつら自身の金精子卵なんだから好きなように使えばいい。でもそれは優生学とはなんの関係もない話なの。
優生学っつーのはそーゆー「個人が自分の責任で自分が信じることやりたいことをやること」じゃねーんだわ。優生学っつーのはおまえの「生殖の権利、自分の身体やら人生やらをどう使うか、どう使ってもいいのかを赤の他人様がおまえの代わりに決めて下さること」なんだわ。だからアウツなの。どんなに崇高な目的があっても科学的な根拠があっても、ひょっとしたら実際かなりの確度で人類がより良いものに変わる見込みがあっても、そんでもアウツなの。なぜなら 金持ちやらスポーツ選手やらが自分の金や精子をどう使うか自分で決める権利があるのと全く同じように貧乏人も病気の人間もキチガイも外人も誰と寝て何人ガキをつくるかというのは自分で決める権利があるわけ。だから。
そうやってな、個人が自分で自分を幸せにすることが認められてさえいれば社会(人類)なんて別に今より良いものになんなくてもい―んだわ。いいんだよ?別に社会を良くしたいと思っても。ただそれは特定の人間を犠牲にすることを前提にするんじゃねーよ、ってことだよ。こういうの習うよね?中学校で。
と、まあそういうことだ。社会は別におまえを幸せにする責任なんてねーよ?でもその代わり社会はおまえを他のやつらと別枠に入れて人間が生来持っている権利を剥奪することも許されてねーということだ。そんでイーブン。
わかるかなぁ。わっかんねえだろうなぁ。
注1(1/22 付記)
「基準に達した」だとなんか「努力してそこに至った」みたいになるから「条件を満たした」に訂正した。
ゆたぼん、東大刺傷事件に「勉強だけがすべてじゃない」熱弁で「説得力ある」と好評価続々(スポーツ報知)
話題の中学1年生ユーチューバー「ゆたぼん」が17日までに自身のYouTubeを更新。大学入学共通テスト会場となった東京大学の前で受験生ら3人が切り付けられ、名古屋市の17歳の男子生徒が殺人未遂容疑で現行犯逮捕された事件に言及し、思いを語った。
「俺のアンチとかも『学校行かんかったらお前の将来終わり』とかコメントしてくるけど、小学校、中学校行かんでも、自分で勉強して高校行くっていう道もあるし、高卒認定試験受けて大学に行く道もあるやん」とし、「学校だけがすべてじゃないし、勉強だけがすべてでもないねん。
生き方なんて人それぞれやから自分のやりたいことをやって楽しく進んだらいいと俺は思ってる。
と繰り返し訴えた。
数学の基礎ができてないと思ったら中学校の数学まで戻ってちゃんと勉強するって、センスがありますね。それが大事だと言われているんだけど、そういう事を面倒くさがってやらない人がほとんどなんですよね。数学は積み上げが大事だから最初からキチンとやって行くしかないんですよね。中学レベルをやってる途中でも小学校レベルで自信が無いところがあったら、やはりちゃんと戻って復習する必要があるんだけど、それも嫌がる人が多いんですよね。
プログラミングの方も、ちゃんと専門学校で勉強してたんだし、C言語に遭遇しても尻尾を巻いて逃げ出してないんだし、スタートは順調だったんじゃないでしょうか。全然向いてない人だとC言語なんか最初からお手上げみたいですから。😝
僕が思うに、あなたの場合は今まで環境に恵まれなかっただけであって、そのへんが落ち着けば全くマトモな生活がじゅうぶん出来るように思いますよ。