はてなキーワード: ロリータとは
痛い恰好、痛い言動、痛い行動、痛い仕草。俗に痛々しいと言われる類のものは大抵年齢に伴って痛い判別されているんじゃなかろうかと思ってしまう。
もちろん犯罪行為や法に触れてしまう行動はその限りではない。殺人はいくつの人間がやっても許されない。
小さい子供が所謂ロリータと呼ばれる服を着ていたり、ぬいぐるみを抱きながら外出することは、ままあってもおかしくはない。
ホスト崩れの全身黒に包まれた格好や、眼帯やチェーンなどの装飾品は厨二病という言葉で済むものもある。
公共の場で彼氏彼女に甘える姿、キスする姿。駄々をこねる、漫画のようなふくれっ面の仕草。大抵若いカップルにはあってもおかしくない。
このすべてを40過ぎたおばさん、50を超えたおっさんがやっているとなると話は全然違う、と思わないか?
ぬいぐるみを抱く姿が世間的に許されているのは小さな子供までなのではないかと、30超えたように見える女性がウサギのぬいぐるみを旦那か彼に押し付けながらイチャつく姿を見て思っていた。
今までチビだけど努力したことが全く実らなかったのでここで訴えたい
どこ行っても小学生?幼児?と驚かれて(ドン引きされるとも言う)身長を馬鹿にされて働けない
また悪目立ちして難癖をつけられて首にされる
会社でも通りすがりでも店でも人から顔を見て爆笑、きしょwやばwと面と向かって言われる、
(やったこと)
髪脱色
毎月ファッション雑誌買って流行の服を買って着る(サイズはちゃんとそのつど直す)
団子鼻だったので鼻プロテーゼ整形
髪は巻く、つけまをつける
これだけやっても142センチでガリガリの宇宙人や小学生体型という奇形身長のため努力が全く実ったことがない
友人もできない、
輪に入れてくれる人が奇跡的にいてもいじりに見せたいじめを受けて逃げたら学校の掲示版と2ちゃんに顔写真と実名晒されてフルボッコ
ここまでやって努力が足りないと言う人がいたら聞いてみたい
学校会社では年代問わず私の姿を見るたびに毎日外見の悪口をしつこく言われて仕事も初日からまわしてもらえない、良い人と評判の人からもいじめられるか腫れ物扱い
正社員の面接も15時間勤務させるブラックしか受かったことない
140cm後半ならまだ自撮しまくって自分可愛いといってる人もいて可愛がられてるけど、
140cm前半では一人も見たことない
自分で可愛いと思えない以上に他人から褒められたことや可愛がられたことがない
似た身長の人々も他人から容姿を褒められたことはないと言ってた
140cm前半の仕事を見ても会社員で働けてる人は一人もいない
140cm前半のちびはここまでつらいんですよ?
ちびがモテるなんてありえないしちびが可愛がられるなんてごく一部だけ
どうか働かせてください
もうどうしたらいいのかわからない
誰か仕事ください
追記
小人症の人はまだマシじゃないですか。障害者として大切にされて道歩く人から罵倒もされない、就職も確保されてるんだから。
化粧はその洋服に着させていただくための最低限のTPOだと考えろ。
そのままである。
用事があって東京に行ったので、ついでに前々から興味のあった原宿のロリータ体験サロンに行ってきた。
一万円前後でロリータ服が着れて、プロがメイクをしてくれて、スタジオで写真まで撮ってもらえる。ロリータ気になるけどどうしよっかな〜〜!的な人にうってつけのお店。素晴らしい。
正直お店は最高だった。お洋服は可愛いし、メイクさんは距離感がちょうどいいし、カメラマンさんもうまいことこちらをノせてくれる。
だけどそんなお店に対して、私は最悪だった。何がって言うと顔だ。とにかく顔が悪い。
そういうお店に行って、ロリータ服を着て、プロにお化粧してもらえば私もそれなりの女の子になれるんじゃないかと思ったんだけど、ダメなものはダメだった。
面長で黒目が小さい、ロリータとはかけ離れた顔立ちだ。ひどい。カラコンなどの対策もしなかった。馬鹿野郎。
ザ・ロリータブス。鏡に写ったのは化粧だけ厚くなってしまったクソブス腐女子。ロリータ服の哀れな腐女子。綺麗なお洋服を着てプロにメイクしてもらえば誰もが青木美沙子や深田恭子になれるわけではなかった。現実は非情なり。
結局ブスはどんなに手を尽くしてもらってもクソブスには変わりない。カメラマンさんもメイクさんも可愛い可愛いと持て囃してくれたけど、卑屈とかそんなんじゃなく、純粋に鏡の中の自分がクソブスだったから惨めな気持ちになった。
こういう時雰囲気や衣装に酔えて、自分!可愛い!と思える人は本当に羨ましい。私もそうなりたい。その方が絶対に人生楽しい。精神的にも全然良い。ブスであることを自覚しまくってしまった私は毎日窮屈すぎてゲボを吐きそうだ。一応いつも化粧もしっかりしてるし、そこそこ服にも気を使っているんだけど、ふとした時にいや私頑張ってもブスじゃん…となるから、なんかもう本当にどうしようもなくなる。でも頑張らなければ余計ブスになるから手は抜けない。なんかもうわかんないわ。
まあでもお店は本当に素敵だし、可愛いお洋服は可愛い人が着たら本当に、絶対に可愛いのでみんな行って欲しい。ただ絶望する可能性もそれなりにあるから、よろしくお願いしますといったところである。
西洋色の強いフリフリゴテゴテな服をモンゴロイド顔のおばさんが白人人形になりきって着てる様がとても気持ち悪い
8月29日、思ったより拡散したため追記。自分ではネタバレなしのつもりで書いて、ツイートにもそう明記してしまったが、ネタバレという言葉には個人差があることをすっかり忘れていた。ネタバレ見たら死ぬタイプの風上にも置けない。地雷を踏んでしまったら申し訳ない。配慮したつもりですが、どうぞご注意ください。太ももの話以外もします。
サンダンス映画祭直後、賞賛と祝福の声とともに、あまりの刺激のために悩殺されてしまったという感想ツイートが散見されて、映画祭参加の幸運に預かれなかったファンはもどかしさに身悶えしたのであった。
Call Me By Your Nameは1983年の北イタリアのとある町のひと夏を舞台にした、二人の青年のあいだの恋を描いた映画である。くわしくはimdbを参考にされたい。
http://m.imdb.com/title/tt5726616/
この映画は2016年5月に世界中の一部界隈にて話題になった。言わずもがなアーミー・ハマーファン界隈である。そのあまりに蠱惑的なあらすじにつられて手に取ったのが原作小説である。
そんなごく軽くかつ不純な動機で読み始めたAndré AcimanによるCall Me By Your Nameだが、回顧体で描かれた物語に一瞬で虜になった。
あまりにも印象的な出会い、一生を変えてしまうたった一言から語り始められるその物語は、意識の流れを実に巧みに取り込んだ、プルースト研究者でもある著者ならではの文体で読者を陶酔させる。やがて語り手であるエリオと一体化した読者はオリバーの冷淡さに苦しみ、意外な素顔を見せられはっと息を呑み、ただ呆然と結末を迎えることになる。
ツルゲーネフの「はつ恋」やらナボコフの「ロリータ」やらをこよなく愛するわたしにとっては好み直撃ど直球であり、そのうえアーミー・ハマーの太ももがやばいとあってはなにがなんでも映画を見なくてはという気持ちになった。
しかもネタバレ見ると死ぬタイプのオタクにつき、どうしても世界公開より先に見たいという気持ちを抑えられない。はたしてMIFF(メルボルン国際映画祭、8月3〜20日、CMBYNは4日と6日上映)に飛んだのである。
笑ってほしい。
かなり早い段階でチケットも売り切れ(一度キャンセルが出たが、最終的に上映日までには両日完売!)ていたため、予想はしていたが、当日は冬のメルボルンにて1時間前から長蛇の列である!
席は早い者勝ちなのでみんな普通に必死だ。特に二度目の上映での、劇場をぐるり半周する列は写真に撮らなかったのが悔やまれる。みんなが手の端末にQRコードを表示させ、南半球ならではの冷たい南風に身を縮めながら待機している。
2度のCMBYN上映の他は同じくアーミー・ハマー出演のFinal Portraitに参加したばかりだが、それに比べるとやや平均年齢が下がるかなという感じ。
それでも、老若男女ということばがふさわしい、実に幅広い客層。
そんなことより映画だ。ここからはネタバレはなるべく避けて進める。なにせネタバレ見ると死ぬタイプなので安心してほしい。後日一部シーンバレ感想もあげるつもりでいる。万全の態勢です。
劇中曲について、MIFFのQ&Aにてルカ・グァダニーノ監督が語っていたことだが、基本的には登場人物が耳にした音楽……エリオの弾くピアノ曲、ギター、オリバーが身を委ねて踊るダンスミュージック、家族が耳を傾けるラジオやレコード……に限った、とのことである。それを知らされるまでもなく、最初の楽曲から没入感があり、一息に世界に引き込まれる。
そしてオリバーが現れる。イタリアの太陽である。明るい陽光は主人公エリオのいる部屋の暗がりを際立たせる。
エリオを演じる当時弱冠20歳のティモシー・シャラメは終始少年の健全さと病的な魅力をひとしくたずさえて美しいが、とりわけ夜、ベッドでのシーンでの肌は内部から光を放つようだった。
アーミー・ハマーが、その見せ場においてはつねにイタリアの太陽に照らされて灼けたなめらかな肌とあかるい金色に見える髪を輝かせているのと好対照で、一場面一場面が絵画を見るようだった。あるいは、冒頭でわれわれを一息に映画の世界に引き込む、連続的な彫刻群のショットのようだ。
エリオがオリバーに魅了されるのはかならず真昼の屋外だし、エリオがオリバーを室内に引き込むと、オリバーは初めて(ようやく、と言ってもいい)エリオに見とれるのだ。
野外と屋内、昼のシーンと夜のシーンが交互にさしはさまれて、われわれ観客はふたりのうつくしい青年に2時間超の間目まぐるしくも目移りしてしまうのだった。
しかしいざ太もも談議をするとなると血で血を洗う戦争になるにちがいない。
短いショーツか、あるいは水着でのシーンが大半で、太ももは終始晒されているので各人のフェイバリット太ももがあることだろう。
マイフェイバリット太ももはとある場面にてエリオとともに床にぺったりと座るオリバーの太ももである。だが自分が多数派である自信はない。これについてはまたあとで。
オリバーは原作よりもなお複雑で謎めいたキャラクターになっていると感じる。
原作では物語がすすむにつれ、読者はエリオとともにオリバーの知らなかった一面に驚かされるのだが、映画ではむしろ序盤からオリバーの大人の男としての魅力と奔放な子どものような無垢さが入れ替わり立ち替わり現れてエリオないし観客を翻弄するのである。
(シーンバレありの記事にでも書くつもりだが)序盤からオリバーはエリオよりも幼い子どものようないとけない振る舞いを見せ、グァダニーノ監督の言葉を借りるなら、エリオより「なおイノセント」だった。
(アーミーハマーファンの同志は心してかかってほしい。奇声を発するか原作のエリオの言葉を借りるならswoonに至らないよう上映中握りしめるなり揉みしだくなりできる柔らかい布など持っていくことをおすすめする手ぬぐいとか)
そのような差異こそあれ、アーミー・ハマーのオリバーは原作を読みながら夢想していたオリバーにほとんど完璧に一致していた。
この結論にはアーミーハマーのじつに感情ゆたかな目の表現が大いに寄与しているのだと思う。たとえば「J・エドガー」でのクライド・トルソン役において彼が見せたような目つきだ。沈黙の場面で熱っぽく目が話す。このものを言う目がとくに生きるのは、逆説的だが目の映らない場面で、たとえば映画の中でもひとつのクライマックスにあたる戦争慰霊碑のシーンがその一例だ(トレーラーにも引用されていた)。
もうひとつ、結末に近い重要な場面でピントを外したカメラがオリバーをとらえる。オリバーの顔が長く映されるのだけれど、けして鮮明な像を結ばない。観客は食い入るようにスクリーンを見つめてはじめて、自分がエリオと同じようにオリバーの目に浮かぶ表情を読み取りたいと熱望していることに気づかされる。
目について語るならばティモシー・シャラメにも言及しなくてはならない。
ティモシー・シャラメは今後少なからず目にする機会が増える役者だとつくづく思いしった。身体の使い方が素晴らしく、手足の隅々まで神経を張り詰め、あるいは意図的に脱力し、髪の先まで演技していると感じさせる。(この先エリオの面影を振り払うのが難しいのではとも感じるが、むしろその印象を己に利するものとして使ってほしいしこの期待は報われるにちがいない)
だがなによりも、その目つきである! トレーラーにも含まれていた、踊るオリバーをじっとりと見つめるあの目が全てではない。映画からは小説に通底する一人称の語りが省かれているものの(あれば安っぽくなり得たと個人的には思う)それを補って余りあるティモシー・シャラメの目つき。
まさに小説が羨む技法で、文字で書かれたフィクションを贔屓しがちな身としては、こういった映画化を見せられるとただひたすらに喜びを感じてしまう。
さてトレーラーといえば、あの実に夢見心地で幻惑的で、緊張感とせつない予感に満ちた映像を、わたしだってリリース直後には再生する手が止まらなかったほど熱愛しているが、 本編とは少しトーンが違っているとも思える。
トレーラーから、そして原作から想像していたものにくらべると、より明るく、ユーモアがあり、笑いだしてしまう瞬間がある。
かなりの頻度で笑いが起こっていたが、これは映画祭だったのと、おそらく英語圏中心とおもわれる観客層も関係してくるのかもしれない。
ただ、エリオ家食卓でのとあるシーンについては国内の映画館でも笑いが起きると予想できる。そしてその直後におとずれるエリオとオリバーの官能的な接触に息をのむことになることも。(さてくだんのマイフェイバリット太腿はこの場面で登場する。すくなくとも個人的にはこの場面はお祭りだった。細いのに肉感的な大腿部に釘付けになるあまり台詞をごっそり聞き逃したのだ……)
こういった感覚の急激な転換は映画全体を通して言えることで、一瞬たりとも気を抜けないと感じた。ほほえましく口元を緩めた直後に、心臓が指でひっつかまれるように締め付けられる。
ところどころに埋め込まれた、笑える箇所について、今ふと思ったが、これは原作にて重要な役割を果たしているが本来映画だと表現しにくい「時間性」をどうにか持ち込もうとした結果なのかもしれない。
10代のころの恋愛とか、恋愛でなくてもエモーショナルなやりとりは当時は必死で真剣なんだけれど、そのときの行動を大人になって振り返ってみると、わがことながらおかしくて笑ってしまう、あの感じがよみがえるみたいだ。
そのようなノスタルジーを引き起こす展開に身を委ねるうち、二度の上映は割れんばかりの拍手でしめくくられた。自分も同じように手を叩きながらLater、と軽やかな別れの言葉を脳内で繰り返していた。原作で読んで想像していたよりもなおあっさりと、冷淡で、なのに奇妙に耳に残るオリバーの声。
一夏の客人のその挨拶を、エリオが、母が、父が真似たように、自分もつい口にしたくなるはずだ。
じつは原作を読んだ時から、自分は最適な読者じゃないと思っていた。
小説として心から好んではいるものの、「この物語は自分の物語だ」「この物語によって救われた」「こういう物語が描かれるのをずっと待っていた」と感じる人がいることを、一行読むごとに、確信し続けたからだ。
この映画が現代を生きるごく若いセクシュアルマイノリティに届くことを願っている。
『キャロル』がそうであったように、相手の性別が特別なのではなく、ただその相手が特別だっただけ、ということを描いた映画。だが一方で、両親という存在の描かれ方において、この作品はこれまでのクィア作品と一線を画している。
そして、『ムーンライト』があまりにも普通の恋愛映画であるという事実が特別だったのと同様に、Call Me By Your Nameのエリオの一夏の恋愛は美しいと同時に「ごく普通の青少年が悶々とする」という部分が色濃くて、その事実をとにかく祝福したい。
自分はこの映画をクィア映画だとは思っていないのだとグァダニーノ監督がQ&Aで語っていたが、この言葉がすべてだと思う。
10代の頃に出会ってたら人生が変わっていたなと確信を持つ映画はいくつかあるけれどCMBYNはそのトップに躍り出た。
現在のところレーティングはR18のようだけれど、そこまで直接的なショットはなかったように思う。
何かが起こったこと、そして何が起こったか、から目をそらすという悪い意味での曖昧さは無いが、物語を破綻させないように、そして必要以上にセンセーショナルに煽らないと努めての結果なのかもしれない。
だからこそ、PG12かR15バージョンが作られるといいなと思っている。エリオと同年代の、この映画の肯定感を本当に必要としているひとたちに見てもらいたい。
キャストをきっかけに興味を持ったCMBYNだが、自分の中にそびえる金字塔を打ち立てた。日本に来た時にも従来の俳優や物語やファンに愛されるのはもちろん、新しい映画として多くの観客に愛してほしい。そして本当に必要としているひとにぜひとも届いてほしいと思う。
ちょうどこのレビューを書いている最中(8月23日)にMIFFの観客賞が発表され、Call Me By Your Nameが晴れて1位を獲得した。http://miff.com.au/about/film-awards/audience#
もちろん自分も最高点の星5つで投票したし、あの盛り上がりを考えると納得の結果だ。
アジア内では台湾映画祭での上映が決まっているCMBYN。東京国際映画祭に来ないはずがない、と信じている。
お願いします。
邦訳本もどうぞよしなに。
いや、する勇気がなかったというべきか。
と大忙しだった。
ゴールデンタイムのバラエティを見ると高確率で本田望結がいた。
一体彼女はどれだけ忙しいのだろうか、
この子は一睡もしていないのではなかろうか。
でも、2016年後半の本田望結は明らかにテレビ出演が増えている。
日本一どころか世界一忙しいのではないかという活躍ぶりだった。
そんな中放送されたのが「炎の体育会TV」の一週間密着である。
この番組で放送されたおおよその内容はアフィサイトでも話題になったので、
それを見てほしい。
移動中も曲の暗記に台本チェックに
収録の合間も筋トレと
それぐらい時間を上手に使えないと
6時間も寝ていることに驚いたくらいだ。
本田望結ならそれくらいできるのではないか、と確信していたから。
子供の白くて柔らかい肌の上には死人のようなクマができていた。
その顔を見るといまでも「ぞっとする」。
なんの番組か忘れたけど、望結は「お仕事もスケートも楽しくてたまらない」と
キラキラした表情で答えていた。
でも望結の肌は今すぐ倒れてしまいそうなくらいな影があった。
それからしばらくして放送された「広域警察」「探偵少女アリサの事件簿」
の二本も視聴した。
そこでもメイクからクマが透けていて、ますます「ぞっとした」。
この子は演技の裏でとてつもない過酷なスケジュールをこなしながら
このドラマを撮影していることを知っているからこそ、「ぞっとする」。
なんでこんな今すぐ死にそうな顔をしている人間に素直に萌えられるのか。
そう思うと、この時望結に抱いた恐怖の感情は封印しておこうと決めた。
そう見える私の方がおかしい、と思うようにした。
でも、暇になるたびに本田望結が一瞬のすきも逃さず
テレビ局の廊下をダッシュする姿、リンクで大急ぎで着替える姿、
深夜早朝にトレーニングをする姿、
顔色も昔よりは良くなったようだ。
しかし現在、彼女が小6の1年で築いたバラエティや女優の実績も、スケートの実績も
真凜と紗来に抜かれそうになっている。
心が壊れるのが目に見えている。
「二兎追うものは一兎をも得ず」
そのことわざ通りになったら、
私の生活は怠惰である。めちゃくちゃ部屋は散らかってるし、ゴミは置きっ放し、洗濯物はそのまま、瓶缶ペットボトルの処理もちゃんとしてない。こんなんでちゃんとした社会人ができるのであろうか。
実際問題、表向きがきちんとした社会人であればいいわけであるし、そこに特別な浪費を使うことは憚られる。
しかしながら、こんな私でも憧れはある。
某劇団の男役のようにスマートになりたい。背筋をピンとして、ドアをさっと開けて、颯爽と歩きたい。
容姿は娘役さんたちなりたい。ブルックスブラザーズのワンピースを着て優雅にヒールを履き街中を闊歩したい。あとはちゃんと髪をセットして可愛くして出かけたい。髪をセットするのはどうすればいいんだろう。教えておばーちゃん!!コンピューターおばーちゃん!!
兎にも角にも私はきちんとしていない人間である。まあでもそれでもいいと思っている節がある。だって人間のエネルギー量はそんなに増加するものでもなし、元から少ない私の活動量を無理して削って生きていこうだなんて甚だ点でおかしいったらない。
きちんとした社会人になろうと思う。しかし自然体で。なるべくストレスのかからない方向に社会人として生きるようになりたい。60パーセントの力をつかって生きていって、他のことに体力を費やそうという考えだ。
服装にしたってそうである。私は服に興味はない。でもユニクロで頑張ってオフィスカジュアルをしようと心がけている。まあそれで十分かどうかはわからないのだが。しかしながらそれでも、少しずつでいいから服のグレードアップを図るべき年齢にさしかかってきたのだと私は私自身で悟ってきた。
誰のためでもないというのは嘘である。着飾るためには多少の見栄がいる。しかしそれは自己犠牲のためでなく、自分がある程度ちやほや、またはきちんとした人に見られるための策略なのである。
ある程度ダサくて構わない。とりあえず、一般軒並みの服を着ていればいいのだから。
私は服装には特段主義主張はない。むしろいうなら、フリフリがきたい。花柄が着たい。ロリータとはいうまでもフリフリフレアスカートが着たい。
でもそれは年齢とともにもう似合うものではない。5歳若ければそれは全盛期として着られたのかもしれない。実際着てた。まあ、ある程度実際着ていたのでそこまで悔いはない。
容疑者の母は自らトラックの運転なども行う威勢のいい性格で、恰幅もよかったという。だが、「自分の思い通りにいかないとすぐに怒鳴り散らす。親族や近所の人は露骨に避けていた」(母親の知人)ともいわれる。精神科医の片田珠美氏は、家庭環境に小児性愛の源流があった可能性を指摘する。
「母親に代表される年上の女性に恐怖心を抱いたことで、自分より立場が弱く、絶対的に従属させられる幼い女の子を求めるようになった可能性も否定できません」
「ぱっと思い起こすのは、とにかく体が大きかったということ。横幅もかなりあったから、澁谷とデブを合わせて『澁デブ』って呼ばれてましたね。体形のことをからかう奴もいて、机に突っ伏して泣いているのを見かけたこともあります」
澁谷容疑者のものと思われるSNSには、《いじめにあった為、人間不信なところがある》と綴られていた。
中学校に上がると、最初は野球部に。その後、体格のよさを買われて柔道部に移った。この頃から、容疑者の「嗜好」が少しずつ顔を出すようになる。
「アニメやマンガに没頭することがあって、特に小さい女の子が出てくるのを好んでいました。まだ中学生だったので、周囲は“おまえ、なんだよそれ~”って冷やかしたりしていた程度だったんですが…」(中学の同級生)
「オタクな感じで、同じ趣味を持つようないつも決まった4人くらいで一緒にいました。ロリータ系とか、小さい女の子が出てくるロリコンっぽいマンガを読んで盛り上がっていて、クラスの女子のほとんどが“気持ち悪い。かかわりたくない”と感じていたと思います」(高校の同級生)
はてなには実際にロリィタをやっていた人間は少ないだろうから、何か書いてみます。
自分が一番ロリ服着ていたのは2000年頃〜、今は着てないけどまぁまぁ監視してる感じの30代。
今も残っている初期の写真は服も顔も見るも無残だったけどなんやかんやで雑誌に載ったこともある、そんな増田です。
元増田さんは中学生の時から今まで、ネット上でよくある完璧なもの以外許さない系書き込みを真に受けすぎかぁ
確かに、太って化粧もまともにできてないような人間がロリィタ姿を晒すのは、ただえさえ肩身の狭いのにイメージを落とすからやめろ
というような声はずっとありますが、それって努力の痕跡もないような人を指しているのであって、
まともなコーディネートで清潔感と適当な化粧と髪型があれば非難されるほど否定されることは無いです。
ロリィタ着てなくてももうちょっと考えた方がいいんじゃないですかね…という感じの方が、割といらっしゃるので
そのような方を指すことがほとんどです。
約束事だって、ごっこ遊びの延長戦で「この方がロリィタっぽくね?なんかかわいいから言っておこう」みたいなロリィタネタも沢山あるし
オバロリにしたって非難するときに使うというよりは、自虐ネタ寄りだったりする。
若いロリータの方が人口多く見えるとしたら、それは成人はネットで年を隠すからです。
(今一番の問題は年齢と考えてるんだろうけど25歳はメーカーやアイテムちゃんと選べば本当に大丈夫。全く大丈夫)
そう言った本音というか、日常側の感覚って実際に人と触れ合わないとなかなかわからなくて、
ネットで調べれば調べるほど、彼女たちがネットで演じてる「かわいいロリィタごっこ」が全てに見えてきてしまうように思います。
雑誌やネットで目立っているような上のロリィタには成れないかもしれませんが、
中の下レベルあればロリィタのお友達を作って仲良くなるのには問題はないです。
あと元増田さんは他のロリィタさんからの目を気にされているようですが、ロリィタ自体嫌いな人は一般人は多いので
どんなに可愛い子でも、街を歩けば「ブサイク」「きもい」などと言われますので、気にしてはいけません。
基本的に好奇の目で見られるような行為です。そこにロリィタとして可愛いか可愛くないか、若いか若くないかは関係ないです。
元増田さんはメルカリで中古を買おうとしたと書いていますが、もし買ってみるという一歩が踏み出せるのなら
絶対にお店に行って試着して全身コーデしてもらって買ってください。
たとえ、家で着てみるだけで外に着て行く気が無くても、です。
衣装じゃ無くて洋服ですから、ちゃんと合うものを着ないと当たり前ですが似合わないし可愛くないです。
似合わない服を買ってロリィタが似合わないと判断するのは間違いでしょう。
普段着でロリィタ服を買いに来る人は全然珍しくないですし、予約制のショップもあるので
元増田さんのことはお客としか見てない店員さんに、誠実に服を選んでもらうことができます。
できれば10万くらい用意して、アンダーから靴まで完璧に選んでもらえれば、失望しないで10年の思いに応えれる姿になれるんじゃないでしょうか。
「私かわいいいい!」じゃなくて「以外と普通だな」って思えたなら、それはちゃんと着こなせてるってことです。
ロリィタ服は金を出せば買える、楽しくて可愛くてバカみたいでおかしな目で見られる服です。
思い詰めるほど崇高でも特別でもないです。