はてなキーワード: ムードとは
もちろんドラゴンボールもジャンプで読破したけど、単行本を買うほど好きじゃなかったし、アニメはダラダラ長くて見なくなった。
ドラクエも3から並んで買ったし、でも、5と6は中古で安くなってからだし、ほかはやってない。
別にそんなことはもう20年以上前の話なのでどうってことないのだけど、あの人って、人前にぜんぜん出てこなかったから自分としての親近感が全くないのよね。
それに自分自身が彼の新作に触れる機会もなくなってしまったので、もうとっくの昔に過去の人という感じしかないのだよ。
そもそも新作作ってるかどうかも知らなかったし。
悲しむことを否定するつもりじゃないんだけど、なんか、みんな本当にそんなに鳥山明かなしいのって本当かな。
Xなんかで同世代がバズりそうな内容で悲しんでいる姿を見てると、なんというか白々しいというか。
それってチェルシーが製造中止になって、長いこと全然食べてなかったのに急に買い占めに走ろうとする心理みたいになってない?
悲しんでいる人たち、この直近10年で鳥山明にお金使ったりした?なくなってしまう前に使ってた?
それで本当にファンなのかなっていうさ。
なんかXとかでバズったもの勝ちみたいな発言を見すぎたせいで、人が感情的になっている姿を見てもインプレほしいだけでしょって思えて仕方ないのだよね。
哀悼の悲しみさえも金に変える仕組みはいささか邪悪だなって思うよ。
自分みたく悲しくないってことはなかなか表明できるものでもないと思うので、そんな人に届けばいいなと思って。
尊敬しているし、その業績の偉大さは理解しているつもりだけど、別にだからといって悲しまなきゃいけないのとは違うと思うよ。
むしろここ何十年も彼の作品に対して大したお金も使ってないのに、俺なんかが悲しんだら悪いような気さえしてくる。
悲しくないからといって哀悼の意がないわけではないのでお間違えなく。
どうぞ安らかに。
性的快楽を追い求め大勢女を抱いたが辿り着いたのがアナルだった
レッスンメソッドによると有望株らしい
前立腺で快楽惹起できるようになると次はドライを目指すことになる
下半身が熱く痙攣し全身制御不能な快楽の波はくるもののドライでは無かった
そうして行き着いたのが貞操具
アナニーに必須のPC筋は勃起の筋肉と同じなのだからこれを鍛えるために貞操具を使った
するとそちらにハマった、一時期貞操具を買いまくった、結局CB600に戻ったが
エネマグラを挿入し貞操具で勃起を押さえつけPC筋呼吸制御で快楽を呼び寄せる
午後前立腺の疼きに耐えられなくなり会社のトイレでプラグインすることもあった
帰宅するとシアリスを飲み、エネマグラと貞操具を装着し、夜の町へ散歩に出かける
ケージはパンパンに膨れ上がり背徳感がエロ気分をブーストさせる
ウェットなので賢者になるのだが、2分粘ればプロラクチンの効果は切れる、どうも俺はそのような体質のようだ、
一旦エネマグラと貞操具を外しシャワーを浴び、再度プラグを挿入する
体力を使い果たしているので眠たいが波状的に快楽が襲ってくる、だがピークには行かない
もどかしい快楽が脳を支配する、勃起するたびに貞操具が痛みを加える
まだ足らないときは一旦休憩し洗浄し直してハメ直す
このターンは大きめのプラグがお気に入りだった、貞操具も装着し外出
(プラグや器具は無数に購入したがやがて自作に走った、それは別の話になるので割愛)
気持ちいいのだがアハんとなるわけではない、だがバスの振動はエグい
体は徐々に盛り上がってくる
※注:年齢表記は推測
行政がやってるってのが胡散臭いわね、で、敬遠してたんだけど、やっぱやべーわ
まずエロい
入り口にはセキュリティが居るし身分証提示してカード作らないと入れない
お陰でがっつり無防備なJSがキュロット生足でツイスターやってんの
俺の2m先で
親とかいねぇし
3歳0歳を連れた父親は0歳をマットにうつ伏せに寝かせて放置してんの
ご丁寧に頭までジャケットかけて、暗くしてやろうって気遣いかしらんが
(シルエットで中に子供が寝てるのはわかる)
つかスマホ見てるし
別の所では疲労限界なんだろう、5歳を遊ばせて0歳を抱っこしたまま壁で寝てるママがいる
三つ編みの先を脱色させてる子3人連れた元ヤン風茶髪ママもいるし
閉めるやついねぇ
ほとんど複数人で来てるから先頭が開けて最後尾は閉めないってのが繰り返される
その度に閉めに行くママ
キッズなんちゃらとか有料商業施設に行くこともあるが、そういうところとは空気感がぜんぜん違うのよ
雨で客が多かったせいもあるんだろうけどカオス過ぎて笑った
コロナ化の自粛ムードで売上が下がっていた弊社であったが、そんな中、3代目ボンボン社長の打ち出した方針は外回りの強化だった。
電話やメール、オンライン会議のような気持ちが伝わらない手段に頼るから売上が伸びないんだ。もっと客と顔を突き合わせて来いと言うものだった。
当然、世の中の動きに敏いやり手社員はとっとと逃げ出し、残ったのは私を含め、他所では通用しない馬鹿ばっかり。
みんながみんな沈みゆく船に残りながら迫りくる死を静かに受け入れる覚悟を決めていったのだった。
ある日、出社したら扉が開いておらず、債権者へ向けた弁護士からの通達が貼られていた。
行きつけだったラーメン店で過去に同じ光景を見たことがあった私は、ついに来たかと思うだけであった。
会社倒産なら失業保険はすぐ出るけど、能力的に次は繋がらないなぁと思いながら、同じ場所に入った新しいラーメン店でラーメンを啜っている。
ひとまず例をあげとくと、俺が全くオススメ出来ないアニメは「Serial experiments lain」
如何にもオタク受けや陰キャの共感を狙ったかのような小柄で奥手な主人公。
普段は口数が少ないけど友達の前では結構喋るし、得意な分野についてはやたら早口で高圧的になったりもする。
ずっとパソコン弄りとインターネットばかりしていて、周囲からも心配されてる。
寝間着が🐻のキグルミで露骨にオタク受けを狙っているのもオススメ出来ない。
やたらと衒学的にインターネットの歴史を交えつつ当時インターネットに人々が見ていた平行世界的な闇を都市伝説的に描くストーリーテリングもおすすめし難い。
今見てもレトロフューチャーというには技術レベルが低く、それでいて当初の感覚で言えば近未来的だったであろう、何時の時代ともつかない絶妙な世界観のバランスもオススメ出来ない要素だ。
インターネットの世界に引きこもっていき、ネットの交友関係に依存するうちに現実から乖離し、それの極北にたどり着く寸前にリアルの人間関係の中に自分の居場所を見出す展開もオススメ出来ない。
伶音の選択は物語の中で肯定されるが、それを世界が両手をあげて称賛するのではなく、ただ伶音とその周囲の世界の中でだけその価値が見出されるかのような物語の紡ぎ方は、今見るとなぜレディープレイヤーワンの映画はこういった納得感を持たせられなかったのかという気持ちになってしまいオススメ出来なすぎる。
OPはシットリとしながらも重さと鋭さを感じさせる曲調・歌い方は世紀末の世界を包んでいたフォークロアへの恐怖と憧れに満ちた世相に合致しており、また当時のインターネットにあった陰鬱さ・危うさ・刺激との親和性も高くありながら、歌詞そのものにはデジタル空間を感じさせる要素は一切なく、ただ人の繋がりの中にある高揚と失望の中を漂い落ちていく感覚だけが歌われる掴みどころのなさはまさしくこのアニメに相応しくオススメ出来なさがここに極める。
EDはOPと比べて語られることは少ないがこれまたオススメ出来ない作りをしている。ただただ憂鬱な歌詞の中に人生や社会に対しての絶望が詰まっており、夜中に美少女主人公のアニメを見ているような負け組共に完璧なクリティカルが入る。金属を爪弾いているということを積極的に主張する弦楽器の音色は冷たく切り裂く世間の風を思わせるが、冷たく冷えた子宮に包み込まれているような沈み込むよな心地よささえある。この曲を聞いてから布団に入れば自分の人生のしょうもなさにふと涙が溢れること請け合いでオススメ出来るなんて口が裂けても言えない。
内容としてはSFとしては不思議な要素は決して多くなく、未来の想像という点では攻殻機動隊や電脳コイルに全く及ばず、鬱アニメというには救いがあり、伶音ちゃん目当てに見るにはえっちな場面がほとんどない、それでいてやたらとカルト人気ばかりが先行しているという、どこをどうとっても薦められた側が困惑するようなアニメであり、見所といえば直接的な刺激ではなくゆっくりと取り囲むような不穏さによって作られたメランコリックなネガティブムードと等身大から始まり形而上学的領域へと超高速で飛んでいってしまうスピード感にある当時のインターネットに対する無限の期待感の共感ぐらいのアニメであり、これをオススメするのは俺のような一般独身男性には全く不可能だ。
3年間大騒ぎをした。
国民の大半が自宅に引きこもり、老人介護施設は面会禁止になり、じいさんばぁさんが死んでも葬式も上げられず、火葬にも立ち会えない。
夏頃に通勤電車のマスク無しが過半数を超えたように記憶している
だーれもその話題を口にしない
まるでコロナ騒動は無かったかのような、過去を議論してはいけないムード
失敗だったと薄々気づいてるんだよね?
で、また同じような疫病が流行ったらどうするの?
また場当たり的にパニックになるの?
アホなの?
あらゆる財源から予算をひねり出したのでブラックボックスになってる
そういう議論もない
命に値段はつけられない、うんそれはわかる
でも8兆円をまったく別の事業に使ったらもっと大勢の(コロナではなく)別の人たちの寿命や健康が伸ばせたのではないか
そういう議論もやらない
ワクチンが始まった時にワクチンメーカーとは別に国主導でコホート追跡をやるものだと思っていた
いや、できない契約条件になっていたのだろう、やらなかった
自宅待機、外出禁止、他者との接触リスクもきちんとデータを取れば貴重な疫学データが残ったはずだが
そのような研究もされてない
過剰に対応した人と、そうではなかった人の5年10年の生存率、致死率
2020年の夏に被害データ、医学データがまとまり始め俺はそれを見て判断し、
タダの風邪と見切りその後はコロナ対策を一切やめてマスクを外して日常生活を再起動させた
随分と世間様から白い目で見られたものだ、ワクチンも当然打ってない
コロナには二度感染したが、一度目は高熱がでて4日で終わり、二度目は軽い発熱
やはりただの風邪だ
それをドヤるつもりはない
だけど世間でちゃんと議論して欲しいの、できれば反省に行き着いてほしい
しかし、いまだにあの狂乱を正当化している連中が多数派なのが、絶望
→人のよだれとかにやたら触れるのがいやなので普通にストレス(スプーン越しも含む)
→ただでさえお手洗い以外ずっと一緒にいるのにお風呂ですら一人になれないストレス
あと体洗ってるとこをずっと見てくるのもストレス
一緒に湯船に浸かることでムードが高まってると勝手に思ってるのもストレス(こっちは無)
→こっちにも言うことを求めてきての発言かまでは分からないけど、少なくともこっちは行動から好かれてることはよく分かってて信じてるのでいちいち口にしなくてもいい。年一くらいでいい(確認の意味で言わされるプレッシャーを覚えてストレス)
→怪我とかさせたら怖いから(ほんとは人の体にベタベタ触れるのがやだ)と言い続けたら落ち着いたけど未だにたまに言ってくる。断ってる
大好きで愛してることに嘘はないけど、20代が付き合いたての異性に感じるような性的な高鳴りや期待や緊張感はほぼない。
でもそのような接触がなくても、彼以外の他人といるときはいつも底に感じるヒリつきや不安を忘れて一緒にいるだけで安心できる間柄でいることに私は価値を感じてるのでこの温度差が辛い。ごめんなさい。
返信ありがとう。
知的障害や認知機能の低下によって自由意志の表明が困難な場合というのは難しい問題だが、たとえば自由意志を表明する能力がない人間には契約をする権利がないわけで、安楽死もそれに準じたものとして考えるほかないと思う。認知機能の低下によって意思表示が困難になった(けれど痛みだけは感じている)場合は、ブコメでも出ていたが、事前の意思表示を尊重するというのも考えられてよいかもしれない(もちろん、その意思表示が「最後の瞬間まで治療しろ」であれば絶対に安楽死させてはいけない)。
植物状態については、なぜ植物状態の人を安楽死させる必要があるのか? 以外の答えができない。俺の理解が間違っていたら申し訳ないが、植物状態というのは完全に意識がなく、したがって痛みや苦しみを一切感じない状態であるはずで、そうであるなら安楽死の必要なんて存在しない。安楽死は避け得ない痛みや苦しみを終わらせるための制度であるべきで、植物状態の患者には不要だ。
人を助けないことと人を殺すことは等価ではない。たとえば、見ず知らずの他人が道で倒れていても(あなたが轢いたのでない限り)救命措置を行う義務はないし救急車を呼ばなくとも罪ではないが、その他人にとどめを刺すことは許されない。
仮釈放、というのは、受刑中の受刑者を「仮に」刑務所から出して一般社会で生活させることを指す。当然、これはあくまで仮の釈放なので、たとえば仮釈放中に万引きをしたら刑務所に再収容される。この場合、たとえば移送先の所外の病院で「やっぱ安楽死は嫌だ」という意思表示がなされたら、仮釈放を取り消して医療刑務所に再収容すればよいのではないか。
どのような終末のありようが健全かというのを、国や社会が押し付けるべきとは思えない。大事なのは、積極的な安楽死は能動的に他人の生命を奪う行為なのだから、実装するとしたら本人の意思表示に基づくべきで、本人の自由意志に基づかない安楽死はただの殺人である、という点だ。ここは譲ることができない。
からでしょ(恋人や夫婦のあいだでは、ムードを大事にして言葉で同意を取らずに身振りでOKを示すことはよくある、と風の噂に聞く)。公証人なり複数の医師なりが同席して定められた手順に従って意思表示すりゃいいんだよ。
医者がやるとしてメンタルへの負担すごいだろ。慣れるものでもないし。意思を尊重して欲しいから貴方には殺人者になって欲しい、って感覚もよく分からんのよな。
安楽死については応召義務の例外とし、個々の医師による安楽死拒否を事前に明示しておいて、安楽死しません派の医師は安楽死を拒んでも可(ただし土壇場で拒否するのは禁止)としたうえで、地域の基幹病院とかには安楽死を受け入れる医師を一定数確保することを義務づける、とかどうだろうか。
映画1作目よかった
知らないパワーカップルがでてきて、見てるこっちはそれなりに頑張って中流家庭を築いてたりして、はえーってなった
▽ミランダとチェ
まあ、これは前の通り
ビッグが間違いって言わないでよ
物語を裏切らないで 80 年代のブラジャーは笑えるだろうけど
そんなん全部含めてキャリーさんですやん
間違いばっかり、映画でも意味なく結婚に絶望して相手を見ずに恥をかいたとか激昂して元サヤ…
映画1作目よかった
知らないパワーカップルがでてきて、見てるこっちはそれなりに頑張って中流家庭を築いてたりして、はえーってなった
▽ミランダとチェ
まあ、これは前の通り
ビッグが間違いって言わないでよ
物語を裏切らないで 80 年代のブラジャーは笑えるだろうけど
そんなん全部含めてキャリーさんですやん
間違いばっかり、映画でも意味なく結婚に絶望して相手を見ずに恥をかいたとか激昂して元サヤ…
少し前までは、得意先も若手も、一緒にいいもの作ろう!というムードで仕事をすることがほとんどだった。
その分厳しいやりとりもあったと思うが、終わってみれば満足感が残った。
口ばっかりで何も行動、実行しない人や、
ちょっとした摩擦があると、相手が悪い!といって吹き上がって通報しまくるバカや、
言われたことをしないですごい私のオリジナルを採用して!と調子にのる素人や、
落とし所を見つける努力せず論破(笑)やマウントで気持ちよくなるアホが、
ずいぶん増えた気がする。
そういう人を避けて仕事をするようにしているが、どうしても出会い頭は避けきれない。
その中で、まともに交渉しながら難しい仕事をしようとすると、どうやったって彼らから
仕事をやらないならやめたら?と心から思う。お願いだから、現場に参加するのはやめてほしい。
なんでこんなに増えたんだろうか?
なんとなくは分析はできるが。Z世代だとかリモートワークだとかの言葉が思い浮かぶ。彼らを見ているとこういう状況が改善しまくる感じはあまりしない。
それしてもずいぶん急というか多いというか。
本当に邪魔だ。大体、こういう奴らが会議だとかチームだとかで半分以上になると、真面目な人が完全に割を食う。貧乏くじを引く。めちゃくちゃ苦労して搾取される。
「なんでボクの平和でラクできる世界を邪魔するんだ!」と睨まれたりする。
安全なところから石を投げる多数派が、おどろくべきことに正義ヅラしたりする。その調子にのったツラも許せない。が、我慢する。
そらムードと流れよ
本来、都内で場所を選んで高めの価格帯の店に行けば「料理がおいしくサービスの質も安定していて客層もそこそこ、かつムードもある」という状況が期待できる
このため、あまり背伸び感は出したくないが大事に扱いたい相手と行きたい店を選ぶときも、価格帯と場所さえ間違わなければそんなに大失敗はしなかった
しかし、最近はこの選び方だと店内が遊び慣れた風の中年男性と明らかなパパ活女子の組み合わせだらけになっていることがある
端的に言えば客質が低下しているのである
「味とサービスとムードがいいんだから他の客なんかどうでもいいだろ」と思われる向きもあるかもしれないが、よく考えてみてほしい
知らんぷりするまでならまだいい、まともな育ちをしていないパパ活女子はこちらを睨んでくる等するため、雰囲気が台無しになる
他にも料理をマズそうに食べてみたり、他の客が支払いのときに店に渡したカードをじろじろ見たり、しつけがなってないとしか言いようがない振る舞いをする
一定以上レベルの店では客も店の雰囲気を構成する一部になるという、当たり前の認識が共有されていないので、無理もない
男に金を出してもらうために飲み食いしているだけの田舎女に飲食店でのマナーを期待する方が間違いなので、これはアテンドする側に問われるマナーである
男側が店に対する敬意をそもそも継承しておらず、ただの舞台装置程度にしか捉えていないため、
若さしか取り柄がない下品な田舎女をそれなりの店に何も教えず連れてきてしまうようになったというのが問題の本質だと思っている
すでに店選びに慣れている、あるいはすでに行きつけの店がある向きも、この問題に対して他人事ではいられないのではないか
失礼なくゲストをアテンドする難易度はかなり上がっていると思う
もうずいぶん経つから吐き出したい。
毎年恒例の年に数回くる繁忙期、取引先から今回は東北の業者を入れるからとキャンセルされた。
「次回は少し増額して仕事をお願いするので」と言う話で。
言いたい事はわかるし、こちらも言いたい事はあったが、今回はしょうがないとあきらめた。
本来売る予定だった商品はなんとか小さな物産展やホテルに格安で卸すことで無駄にはならなかった。
稼ぎとしてはギリギリ赤字じゃない位で、色々我慢すれば生きていける位の金額だった。
仕事というのは年間で売り上げをある程度見通して動く物で、本来は繁忙期の売上で次の資金にするのが通例だったので
それが崩れたのは本当に辛かった。
こちらから連絡したら、今回も東北の業者を入れるという話だった。
前回と話が違うと怒る父だが、先方は「そんな話はしていない」「そういう態度なら今後は取引をしない」と一点張り
出展するなら「東北の商品がメインだったら」という話ばかりだった。
結局それから4年間、繁忙期の取引は全くなく、そして両親は心労で衰弱してしまった。
両親はがんばろう東北に56された。
ギリギリ気を張っている被災当事者の心を折らないためには、子供扱いしてあやすのでもなく上から従わせるのでもなく対等にフェアに扱わなければならない。
信頼できる随伴者がいるのだという、寄り添い型の支援、それが基本だっていうのは意見は理解できる。
そして今のこの発災直後1ヵ月未満というタイミングで必要なマインドだろう。
罹災証明手伝います、とか公的支援がこんなのあります~とか、支援者側が見えているものをわーわーと情報洪水で押し付ける、とか避けるべきだし
そこはそろりそろりと小出しに情報提供してみて被災者が腰を上げるかどうか様子をみるしかない。
ただ、「対等にフェアに扱わなければならない。」という、その気の使い方、その言葉の端々に、当事者から離れた立場がそもそも出発点だというジレンマもあろうね。すでに知らず知らずに上から目線がにじんでいるよね。
ただ大切だっていうのはわかるんだけど、でも長い目でみて、寄り添いってそこまで大事かな、そうかな?とおもうとこもある。どちらかというと、つかず離れずなのかな、と。
今後の人生を決めるのは支援者じゃないしね。彼らの人生の何がわかるって、結局何もわかってないところからスタートするわけじゃない。
支援者としては突き放した部分というのも重要じゃないかと思う。
よく災害復興は発災直後からスタートするっていうように、これから少しずつ復興の話をしなければならないなかで
は極論だとしても、それに幾分かでも近づくニュアンスの主張というのはどうしたって誰か彼かから出てくるもの。
そのときに、信頼関係というのがむしろ邪魔になることもあると思う。
信頼関係ができて人間関係が密になると、知らず知らずに同じ人、仲間内の人としか話をしなくなるってことがある。
話し合いの場で、いろいろな人がいろんな考えを持っている、ということを排除するムードが自然とうまれていく、といってもいいんだけど。
そとからみると、内輪で鉄壁のなわばりがつくられてしまって、はたからみて何かいいたいことがあっても声をかけにくくなってしまう。
ちょっとでも被災者の心情に傷をつけるようなことをいうと、お前は被災者に真に寄り添っていない、と断罪の目線をむけてられてしまう。
支援者同士の分裂や被災者の分断ってそういうダイナミズムで生まれることが多い気がするね。共産党的マインドっていうか。
強い信頼関係が知らず知らずに、他者との温度差にかわっていくのって案外自分では気が付きにくいもの。
連中がどんだけ何もわかってないか
恐らく敵が増えていくプロセスって自分じゃなかなか、わからないだろうな。気が付かないだろうなと思ってしまう。
それは逆に、本当にあるべき地域の姿を考えようとするときに足かせになる。
むしろその地域を全然知らないような無礼にも乱暴にもみえる支援者がわーっと闖入しては去って行ったり、そういうことが許されるような、
ゆるゆるなオープンな空間のなかで、自由な発想が開花する、ということがあるかもしれない。
それは苦労して信頼関係を築いた先行者にとっては不快な雑音かもしれないのだけれど、案外そこに突破口やら解決の糸口がみつかるってこともある。
信頼関係はもちろん大切だけれども、それと同時に、多様性を受け入れる下地を作っておくことって大事だと思うね。
言うは易しで、空気が乱れ、不協和音があることこそが強みだという、そこまで突き抜けて達観することはもちろん自分でもできないけれども。