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はてなキーワード: ブラザーとは

2023-04-03

ジェンダーレス制服に意義あり

ブラザー男女兼用に わかる

女子用のスラックス選択可能に わかる

ただし男子用のスカートはない なんでだよおおおお

男子みんなスカートでいいじゃんかよおお

あ、女はジャージでいいよ

2023-03-26

chatGPTも結構適当だな

以下は、おすすめ面白い百合漫画の一部です。

少女歌劇レヴュースタァライト』(著者:上漆黒猫):舞台少女たちの友情ライバル関係、そして恋愛模様を描いた作品アニメ化もされています

『ひとりぼっちの○○生活』(著者:七海よう):引きこもり少女人形作家女性の成長と恋愛を描いた作品

あさひなぐ』(著者:こざき亜衣):女子高生弓道部員たちの日常と成長を描いた作品主人公たちの友情恋愛模様もあります

かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~』(著者:赤坂アカ):生徒会長副会長恋愛模様を描いた作品。緻密な心理描写と、斬新なストーリー展開が特徴です。

シスターブラザー』(著者:木尾士目):男装した女子高生とその弟の成長と恋愛模様を描いた作品主人公たちの人間関係家族愛が、作品の魅力の一つです。

以上、一部になりますが、それぞれ魅力的で面白い百合漫画です。

2023-03-19

anond:20230319114615

男女別の教育費投下は女のほうが常に高いですよ。

それを回収できないのが不満なのでブラザーペナルティとか言う言葉フェミごまかしてるだけ。

フェミブラザーペナルティという言葉がある」

欧米と違って、日本は男より女のほうに教育費を掛けてる国になってますけど???

2023-03-10

プリキュア商売のしがらみが少ないのでライダー戦隊より面白い

ライダー戦隊も昔は面白かったんだよね。ハズレもあるけど全体的に

商売のしがらみというのは例えば

・追加戦士の参加時期が決まっている。

  追加戦士が登場するのはほぼお約束になっているけど、プリキュアはまだ時期が決まっているわけではない

ラストで新しいフォームにならない

  ライダー戦隊は変身のためのアイテム必要なせい(設定ではなく商品展開として)でラストバトルで最強フォームという定番が使えない。アルティメットクウガが懐かしい

コレクション要素のある武器変身アイテムがある

  メダルとかスイッチとか戦隊でもキーとかギアとかやりだしたね

以上の要素でライダー戦隊についてはお話の展開はある程度決まってしまっている

そういうしがらみが少ない分プリキュアは他のニチアサより少しだけ面白く作りやすくなっていると思う

今年初めて主人公が青ってのもしがらみの少なさだろうか

  

というか前作のドンブラザーズはここにきて色々新しい事をぶち込んできたけど、ライダーは福くん使っての盛り上がりが終わったらもう弾切れになるんじゃないか

って事でコレクションアイテム展開を止めたライダーに戻ってきて欲しいものです

あとフォーム名前もわかりやすいやつにしてくれよ

2023-03-01

日本人「(自国政治家に対して)こいつ韓国人か?売国奴め!日本から出ていけ!」

韓国人「(自国政治家に対して)こいつ日本人か?売国奴め!韓国から出ていけ!」

もうこれブラザーだろ

2023-02-28

35周年戦隊ゴーカイジャー次のゴーバスターズは見事に外れたけど45周年戦隊のゼンカイジャーの次のドンブラザーズは面白かった

最後ちょっと感動的に終わって戦隊歴史に新しいパターンを作ったかもしれない

でもドンラメソッドは特殊過ぎてもう無理だろうな

キングオージャー普通過ぎる普通戦隊であってほしい

なんとなくリュウソウジャーっぽい感じもしてるけど

2023-02-27

太郎戦隊ドンブラザーズってド

ストエフスキーの『白痴』だったんじゃないのかと気づく

なんか天然気味で空気を読まず一方的だがド正論を言う主人公

周囲の人間やれやれと言いつつしだいに主人公を慕う

元は敵対してた人物まで主人公に感化されて仲間になる

そして最後主人公ボケてどこかに去ってしまう……

――宇宙戦艦ヤマトの着想の原形が西遊記だったぐらいには似てる

井上敏樹意識してなかったのに結果的に似た可能性も

江川卓野球選手じゃなくてロシア文学者の方)の本によると

白痴主人公ムイシュキン公爵の原形はドン・キホーテらしい

もっと遡ると新約聖書イエスという見方可能なのだとか

(実際に聖書をきちんと読むとただのよくキレる俺様おっさんである

なんかこの物語図式に当てはまる作品

ドストエフスキーよりもっと古い作品から

現代漫画アニメまでほかに結構ありそう

2023-02-17

娘のM2と父さんのVAIO

大学、無事に決まったんだって

ばあちゃんからもらったお祝いでMacBookを買う?

M2の?SSDを512GBにして?マジで

いいなあ~、ほしいなあ~、父さんも大学行きたいよ。

いや、買えばいいじゃんって軽く言うけど、キミの母さんがさあ。「もってるじゃん」ってすぐ言うんだけど、これ、VAIOの505だよ。こんなの職場で誰も使ってないよ。

ま、それはいいや。

せっかくだから父さんの思い出話、聞いてくれよ。

父さん、大学入学祝いEPSONの98互換機を買ったんだ。

PC286VSってヤツ。キミのMacとほぼ同じ、型落ちで20万円ちょっと切るくらいだった。秋葉原九十九電機でね。今もあるかな

そこは父さんが中学生ときに初めて8801mk2を買ってもらった思い出の店でね。ってこの話、100回くらいしてるっけ?

そう、SRが付いてない88。ってそこは触れちゃいけないって父さんいつも言ってるだろ!

いーんだよ、「三国志SR版」は動いたんだから調子に乗って「信長の野望SR版」買ったらきっちり動かなくて泣いたけどな。

Windows?そんなものはもちろんないよ。286VSで使っていたのは「MS-DOS」だ。エムエスドスと読むんだよ。

「声に出して読みたい日本語」にも収録されると噂されるほどだからちょっと声出してみなよ。そうそう。

じゃ、今度は舞妓はんみたいに言ってみな。「エムエスドスどす~」って。ドスドスのところ最高!!

・・・なんだよ、そんな目で見るなよ。だって京都、行ったことないんだからしょうがないだろ。

マウスクリック?そんなものは一部の金持ち、つまりKO大学ボンボンが「マッキントッシュ」なるパソコンでやっていたらしいが、父さん、全然うらやましくなんかなかったぞ。

カカカッとDOSコマンドタイプして、シパーンとエンタキーを押す、これが当時のナウなヤングイケてるパソコン仕草」だったんだよ。KOのヤツらにはマネしたくてもできなかったんだよ。

え?いーんだよ。「義塾」が抜けてますってすぐ言うんだよ、KOの人は。普通の人は義塾なんていちいち入れないんだよ。

いや、落ちたから言ってるんじゃないっての!そこも触れちゃいけないって父さんいつも言ってるだろ!

あ、そうそう、「98互換機」について説明しないとね。

ちょっと待って。そうやってすぐにスマホ出してググるんじゃないよ。

あのね、Googleは当時のことは何にも知らないよ。まだインターネットなんてないし。せいぜいパソコン通信だし。知らんけど。

それにネットが出始めたときだって、誰もGoogleなんか使ってなかったよ。みんなYahoo!検索してたんだよ。

から「生き証人である私の話を聞きなさいって。

え?私の話は思い込み思い出補正が入るからだって? 

父さんと現在炎上中の某書籍の著者と一緒にするんじゃないよ!

私の場合お金取ってるんじゃないんだから曖昧なところも全部ひっくるめて、「歴史」を感じればいいんだよ。

ドント・シンク、フィィィィィィルだよ。いつも言ってるだろ。

あの当時、パソコン業界支配していたはNECの「PC-9801」というパソコンでね。あ、私の無印88もNECパソコンだよ。無印は余計だよ!

当然、NEC強気価格設定で、学生はおいそれとは買えなかったんだ。ま、KOのヤツらはマッキントッシュと一緒に買ったかもしれないけどな。

そこにEPSONが「98のアプリが動く!」という「98互換機」を安く売り出したからさあ大変。

NECは「おのれ、EPSON!」と訴えたり、互換機が動作しないようアプリに細工したり、EPSONも負けじと細工を無効化するアプリを作ったりと、それはもうすったもんだしたみたい。詳しくはググっといて。

ま、結果的には、NEC廉価版の98を出すことになって、そのお陰で父さんも数年後、「やっぱNECだよねぇ」と言いながら9801BXを買ったから、EPSONには感謝しかないよ。だから今使っているこのプリンター・・・あ、ブラザーだった。

しかしねぇ、まさに無双状態だったNEC98帝国が、その後、Windows帝国によって滅亡させられるとは、お釈迦様でも知らぬ仏のお富さん、だよね。

おごれる者も久しからず、ですよ。キミもも大学生なんだからそのあたりの教養もそれとなく身につけときなさいよ。KOの学生にディスられても知らないよ。

その286VSで私が愛用していたのは、まずは「一太郎」ね。バージョンは3.0。ワード?何それ?

まだまだ「書○」とか「○豪」とか漢字文字名前が付いたワープロ専用機を使っている人が多かった中で、「一太郎」だからね。

漢字文字分、優越感に浸りながら、来る日も「ESC(エスケープ)キー」をシパーンシパーンって叩いていたもんよ。

そして表計算は、みんな大好きロータス1-2-3エクセル?何それ?

今でも黒字黄色文字を見ると、父さん、テンション上がっちゃうんだよね。意味なく「/」を押したくなっちゃうんだよね。

さらに毎週レンタルソフト屋でゲームソフトを借りて***したりね。「おっちゃん、コレ、外せなかったよ!」とか文句言ってさ。何が外せなかったかはググっといて。

そんな時代があって、今、キミはM2Macが使えるということを忘れてはいけないよ。

で、大学、どこに決まったんだっけ?

え、KO!?

anond:20230217094411

なんとかブラザーズって社名もアメリカ独特だよなって思ってたけど、地元に○○兄弟ってクリーニング店があったわ。

2023-02-09

結婚式に白ネクタイするのダサいだろって思う。より正確には黒ネクタイNGってのがダサい

洋装マナーとしては、略礼装に黒ネクタイ結婚式葬式両方に通用するフォーマルものらしい。結婚式で黒ネクタイNG日本ローカルルールで、最近では眉唾マナーじゃね?という考えも弱くはないらしい。

伝統がどうとかはさて置いて、ある程度支配力のあるものとして浸透はしているし、あんまり出羽守みたいなのはきじゃないけど。

でも何より、見た目の問題として黒ネクタイかっこいいもんな。シャツとのコントラストが効いてパキッとするし。私はブルースブラザーズとかレザボアドッグスに憧れがあるのもあって、強くそう思う。まあこれは人によるだろうし、刷り込みの要素も強いだろうけど。

私自身は無地黒よりかっこいい色・柄は無いと確信しているけど、他人がそう思うとは限らない。日式TPO内面化している人は渋い顔にもなるだろう。特に結婚式なんか、ゲスト自己主張をする場でもないし。

マナーに変化が訪れるまでは無難な色のネクタイを締め続ける事でしょう。些細な事ではあれ、わざわざ角を立てるような真似は避ける程度の社会性はあるので。でも黒銀とかで少しずつ抵抗してみようかな。

anond:20230209135009

鹿児島福岡をまとめて話すのはおかしいぞ

群馬こんにゃく丸いし東京気持ちいくらい」の話だ

かすたどん萩の月劣化ブラザーズの中でかなりいい線いってるとは思う

スペクターサウンドを256倍楽しむ方法

 日本では'76年に、フィレス・レーベル作品がまとめて再発売されたことがありましたが、ボックス形式としては本邦初で、しかCDボックスとしては今回が世界初ということになります。また同時に、<ヒーズ・ア・レベル>という、関係者インタビューを中心にした本が白夜書房から発売されます。それを読みながらこのBOXを聞きますと512倍楽しく聞けることを保証します。

 では、時代を追って解説していきます

テディー・ベアーズ

 1958年17才にして彼は”スター”でした。この後ポップス歴史を彩ることになるクリスタルズロネッツキャロル・キングバリーマンビーチ・ボーイズビートルズの誰よりも先に<NO.1ヒット>を持っていた!、このことが良くも悪くもスペクターのその後の人生を決定づけたと思いますポップス史上、#1ヒットを星の数ほど作り続けたリーバー&ストラーや、ジョージマーチンも、自らの#1ヒットはなく、このことが彼を単に<プロデューサー>の範疇では捉えられない最大の理由です。<彼を知ることは、彼を愛することだ>というデビュー曲の<彼>は、もちろんスペクター本人の意味で、そこには強引さ、傲慢さも感じられますが、実はそれが力強くもあり、<スターの要素>そのものだともいえます。彼の仕事ぶりを評して、全てを自分一色に染めてしまう、という批判をよく聞きますが、これはことの本質理解してい居ない人の発言です。かれは<裏方>ではなく<スター>なのです!それを、アーティストの持ち味を引き出すのがプロデューサー仕事だ、という常識的意味で彼を捉えようとするから批判的になるのです。彼こそが<スター>で、誰が歌おうか演奏しようが、他の人は全て脇役なのです。単に映画監督と言う視点ヒッチコックを捉えるとおもしろ解釈は生まれない、というのにも似ています。(誰が主演でもヒッチの映画になります黒沢さんもそうですね。)

 デビューアルバムTEDDY BEARS SING」のB-1「I DON'T NEED YOU ANYMORE」の<ステレオバージョン>はナントリードボーカル女の子の声が左で、真ん中がフィルコーラスしかも、ところどころリードボーカルの3倍くらいの大きさでコーラスが<邪魔をする>といってもいいほどの前代未聞のバランス!です。

 デビューからしてこうなのですから自己主張とかワガママなどという、なまやさしいことではないのです。

SCHOOLもの

 のちにブラックミュージックにのめり込んでいった彼ですが、スタートは白人ポップスでした。まずは自らのヴォーカリストギターリスト、および作曲家としての才能を試すところからはじめた、というところでしょうか。'50年代後半は、まだ黒人音楽一般的ではありませんでしたが、若者の間では熱狂的な指示を得ていました。スペクターもいろいろな黒人アーティストを聞いていたようですが、こと自分デビューに関しては、世間的に穏便な方法をとったところなど<奇[...]

 また'50年代中期には「暴力教室」をはじめ「HIGHSCHOOL CONFIDENTIAL」など<怒れる若者>をテーマにした映画が続々と作られ、その代表としてJ・ディーンが登場し、代表作が「理由なき反抗」-REBEL WITHOUT A CAUSE -でした。このように、当時の若者キーワードの一つは<REBEL>であり、「乱暴者」のマーロン・ブランドのような皮ジャン、サングラスバイクというスタイル流行しました。

 彼のでデビューソングはたしかに<学園もの>でしたが、それまでの、例えばドリス・デイの「先生お気に入り」調のホンワカしたものではなく、女の子自分の想いを直接的、また積極的に<ナゼわかってくれないの?>と切々と歌い上げるというのは冬至若者フィーリングにピッタシきたようです。実はこの手法スペクター特有の<ソフィスティケーションの中の直接性>というもので、彼を理会する上で大事ことなのです。

ガレージサウンド

 ある程度、あるいはそれ以上の音楽素養がなければミュージシャン作曲家になれなかったジャズと違って、ギター1本あればだれでもロックンローラーになれる、というのがロック時代でした。子供技術を会得して成長し、大人の仲間入りをするのがジャズだとすると、ロックは、子供子供のままで音楽ができるというのが特徴でした。ヒョットしたらオレにもなれるかもしれないと、多くのシロウトがわれもわれもと参加したことが、音楽単純化拍車をかけました。ジャズ豊満でふくよか、とすると、R&Rは骨と皮だけといえましょう。ジャズ大人音楽で、背景はナイトクラブ女性お酒が似合いましたが、子供音楽として誕生したR&Rの背景に一番ピッタリだったのはナント、<ガレージ>でした。

 麻雀同様4人(あるいは3人)いればすぐにできたのがR&Rの特徴でしたが、ニュー・ヨークのようにせまいところで大声を上げれば、お母さんに怒鳴られるだけですからストリートへ出るわけです。50'sのDoo Wapブームの背景は街角ストリート・コーナーが似合ったわけです。

 それにくらべて土地の広大な中西部西海岸は車がなければ不便なので、当選、どこの家にもガレージがあり、ここが若者の格好の練習場所となりました(蛇足ですが、今の日本ロックサウンドの背景は<貸しスタジオ>--密室--ではないでしょうか?)。さて、楽器感覚でどうにか弾けますが、作曲というのは簡単そうでもやはり多少の音楽素養必要です。しかし、若者の、なんでもいいからR&Rをやりたい!という想いはこんなことではくじけません。骨と皮だけのロックを、さらに皮も捨てて骨だけにしたのです。それが<ギターインストゥルメンタル>でした。これは、楽器感覚的にかき鳴らすだけですから、とりあえずだれにでもできました。ジャズ単純化ロックとすれば、これはさらに、ロック単純化で、その極致であったわけです。

 これが<ガレージサウンド>の正体でしたが、この時代呼応するかのように、新しく生まれ現象がありました。それは、録音機が少しずつ普及し始め、ガレージ居間などでの<ホームレコーディング>が行われるようになったことです。そして、デモテープのような、ある意味では乱暴

チャートに登場するようになり、まさに音楽大衆化が、内容だけではなく、音質までにも及んだのです(エルビスバディ・ホリーデビュー曲地方の、オヤジさんが社長、オカミさん専務、というような町工場風のスタジオで録音したものです)。

 それまでの録音は、演奏者と録音技師ガラスを隔てて別々の仕事場でした。技師演奏者にマイクの使い方を指導することはあっても、演奏者の方が技師に注文をつけるというケースはめったにありませんでした。しかし、ホームレコーディング特有の、機械いじりの好きな少年の思い付きや、また機材不足からひねりだした斬新な工夫は、新しいサウンド母体となるのです。

 スペクターは、テディー・ベアーズの録音の時からスタジオ内と調整室を行ったり来たりして、録音技師を困らせていたようですから、コダワリの姿勢最初からのようです(口述しますが、後年よくいわれるワグナー好きやソウルミュージックの追求というのは、スターありがちな<後付け>である、と私は考えています)。

 このホームレコーディングが、実は<スペクターサウンド>の根幹なのです!<BACK TO MONO>の意味もこのことなので、一つのかたまり大人数、熱気、乱雑の中の整理、複雑の単純化、そして<ホーム>、これが彼の求めたものでした。かたまりは<MONO>、大人数はミュージシャンの数、熱は<ハルブレインドラム>、整理は<J・ニッチェアレンジ>、単純化は<L・レビンミックス>、そしてホームは<西海岸>、これがスペクターサウンドの中味の分析ですが、詳しくはこれも後述します。

インストマニア

 この当時のロックンロール少年と同じく、スペクターギター少年でした。本名フィル・ハーヴェイとしてインストレコードも発表しています。また'58、'59年はインストロックの当たり年で、チャンプ栖の「TEQUILA!」が#1になったり、B・ホリーのインスト版ともいえるファイヤーボールズ、リンクレイ、そしてジョニーハリケーンズサント&ジョニーサンディー・ネルソン(「TO KNOW HIM~」のドラムデビュー前の彼です)、そして極め付きはギターインスト王者、デュアン・エディーの登場でした。

 日本ではなぜか、ほとんど評価されませんでしたが、ギターリストとして一番の人気とヒットのあった人で、そのサウンドユニークさとポップ・シーンへの影響は大きいものがありました。またイギリスでの人気は特に異常で、'60年の人気投票では1位でした(すごい!)。近年リバイバル・ヒットした「PETER GUN」などは後の<007シリーズ>や<バットマン>のもとになったともいえますし、日本では未公開の映画「BECAUSE THEY'RE YOUNG」のテーマは、彼の"トワンギー・ギター"と流麗なストリングスとのコンビネーションは、すぐアル・カイオラが取り入れて「荒野の7人」となって登場、西部劇インストテーマの基本形となりました。また「ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」のジョージマーチン楽団の「リンゴテーマ」も、まさにD・エディーのマネジャープロデューサーレスター・シルで、テディー・ベアーズの録音の際、隣のスタジオ仕事をしていて知り合ったといわれ、この人と出会ってなければ<スペクターサウンド>はこの世に存在しなかったといえるほど重大な出会いでした。

 シルはこの時すでにスペクタープロデューサー向きであることを見抜き、早速契約を結び、最初に買った曲のタイトルナント「BE MY GIRL!」。

 スペクターについては、まわりにいた人に才能があったので、本人にそう才能があったわけではない、という人もいますが、これは間違いです。確かにまわりにいた人々は有能でした。しかし、彼はプロデューサーとして一番重要な要素である<何をやりたいのか>ということが明確にありました。それは前にも述べましたがいろいろな意味での<直接性>というテーマを持っていたことです。これはもちろんR&Rのイディオム佐野元春調)ですが、荒々しいサウンドの中の直接性より、スペクターポップスに折り込んだ直接性の方がより<暴力的>ですらありました。

 例えば、R&Rの時代になって<BE>という動詞で始まるビッグ・ヒットは「BE MY BABY」が第1号です(BE CAREFUL~などの慣用句を除く)。簡単なようですが、作る側にまわってみると、これが簡単に言い切れるものではないのです。まさにこれをスパッと言い切れるのが<スター>なのです。「TO KNOW HIM~」の断定と「BE」の命令。このシェイクスピア調の、時代がかったともいえる口調が、逆に新味を呼んだのではないでしょうか。この大時代的で、且つ直接的な手法は「I WANT TO HOLD YOUR HAND」(ユーモアの点ではJ&Pの方が数段上ですネ!)に共通したものを感じます

 シルと契約直後、スペクターはD・エディのセッション見学しています。さっそく実地訓練をさせようというシルの計らいで、時は'59年の4月の後半でした。この年のエディーの最大のヒットは6月に発売された「FORTY MILES OF BAD ROAD」(9位)で、この曲はナントベースドラムだけをイントロでフィーチャーした、ポップス史上初のヒット曲>なのです。さて、ベースドラムイントロといえば「BE MY BABY」ですが、この2曲の因果関係についての疑問を、10年ほど前の<ニュー・ミュージック・マガジン>で発表したことがありましたが、時期的にはこの推論が成り立つようです。が、モチロン、その因果については全く憶測の域は出ておりません。

 エディーのスタジオは1トラックテープレコーダーが1台しかないという粗末な設備ながら、そのエコーを駆使してのサウンド作りは、特に録音にはうるさかった若き日のスペクターには刺激的な体験だったと思われます。トワンギー・サウンド秘密であった水道管やドラム缶をエコー使用するという一風変わった手法は(そのためシルは何10個もドラム缶を買い、しかも一番響きのいい缶を探したといいますスペクターが興味を持たなかったはずはありません。

 そのような多彩な録音技術を駆使していた人は、D・エディー・サウンド製作者<リー・ヘイズルウッド>でした(エンジニアはエディー・ブラケット)。ヘイズルウッドといえばナンシー・シナトラとのデュエットアストロノーツの「太陽の彼方に」の作者として日本ではおなじみですが、エディーのプロデューサーとして最初評価された人なのです。

中したスペクターは、一瞬たりともヘイズルウッドの背後から離れなかった>と発言しています

憧れのリーバー&ストラー

 その後シルは、スペクタープロデューサーにすべく、今度はニュー・ヨークリーバー&ストラーのもとへ送り込みました。’60年代代表的なコンビレノンマッカートニーとすれば、’50年代リーバー&ストラー時代で、ロックビジネスを目指す人々にとっての目標でした。スペクター学校の先輩でもあった彼らのデビューに一役買っていたのが、これまたレスター・シルでした。シルがマネージャーをしていたコースターズをきっかけに、ドリフターズ、そしてエルビスへの曲提供プロデュースを行い、初のR&Rにおける独立プロデューサーとしての地位確立したのがこの二人なのです。

 スペクターにとって、このニュー・ヨークでの修行時代の最大の収穫はベン・E・キングヒット曲「SPANISH HARLEM」をJ・リーバーと共作できたことでしょう。これはR&Rビジネスへの切符を手に入れた、つまり、お墨付をもらったということ......って、最大の自信となったことは疑う余地はあり.....

 ま.... ドリフターズの「THERE GOES MY BABY」...にストリングスをフィーチャーする手法を....ことも<スペクターサウンド>への引金になったと、私は思います。その手法プロデュースしたジーン・ピットニーの「EVERY BREATH I TAKE」は、全くドリフターズ調でしたが、すでに<スペクターサウンド>は出来上がっていた、ともいえる、本家を凌ぐ作品でした。<ゴフィン&キング>との最初作品でしたが、この日のセッションにはリーバー&ストラーをはじめ、B・バカラック、B・マン&C・ウェイル、アルド出版社代表のD・カーシュナーら、そうそうたる顔ぶれが集まったといいます。そしてこの作品が、ここに集まった全ての人にスペクターの印象を強く与えることとなり、一緒の仕事が始まるわけです。特にこの曲で印象深いのはドラムフレーズですが、G・ゴフィンの証言によれば、フィルドラマーゲイリーチェスターに指示をして、それが実に的確だった、ということです。

 この修行時代にすでに、J・ニッチェやH・ブレインがいなくても、これだけのものを作っていたことは見落とせません。スペクターサウンドを作ったのはやはり彼なのです。

 この曲は残念ながら大ヒットにはなりませんでしたが、来たるべき<スペクター時代>の幕開けを飾るにふさわしい素晴らしい曲でした。

 また、この頃、レスター・シルとリー・ヘイズルウッドは共同活動を解消、スペクターは新たなパートナー、いわば後釜としてシルと関係を結び、それが二人の頭文字を合わせた<PHIL+LES>の誕生となりました(シルとヘイズルウッドのレーベル名は二人の息子の頭文字から<GREG+MARK>というものでした)。

ガールグループ

 '60年代初めにシュレルズがキャロル・キングの名作<WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW

....きっかけに、ガール Permalink | 記事への反応(0) | 09:24

2023-02-05

​​ナニカ疑獄、あるいはポップな市民革命について。

​​​ジョージ・オーウェルがかつて1984年の中で予想した「ビッグブラザーが見ている」世界になってしまった今、社会的弱者だとか、性的まなざしがどうかなどを気にしながら生きていかなければならなくなった。

​​

​​日々、心をすり減らしながら働いて、ほんのひとときの慰めすら焼き払われるようになってしまった令和2年の空気に、政治的な正しさとやらが自分たちの日々のくらしにはなにももたらしてくれないことに気づきつつも、いつかは報われる、そう思いつつ過ごしていたと思う。

​​

​​一見、素晴らしく見える言説。

​​貧困をなくそう、飢餓ゼロに、すべての人に健康福祉を。

​​SDGs17のゴールについて、文句を言う人はいないだろう。だって、そうあった方がより良い社会に見えるから

​​これに反論するには、謳われているこれらのテーマよりより強い強度で、反証しなければならない。

​​しかしこれらのゴールは、そもそも反論する必要すらない、無敵の命題なのだ

​​

​​ひとは多くのテーマを投げられると混乱してしまう。マジックナンバー5と言われるように、17のゴールなんて扱えようもない。

​​それでもテーマ単体はそれぞれどうしようもなく正しい。ただしいのだ。

そうやって少しずつ罪悪感を逆手に取り、気づかないうちに、正しさを盾に作り上げてきたディストピアは我々が暮らす社会を次第に蝕んでいったように 思える。

​​普段本音正論を隠して、

​​こんなことネットで言ったら社会的に死ぬよね、みたいな枕詞をつけて、対面で、「ここだけの話」をするようになってしまっている。

​​1984年で描かれていた監視社会は気がつけば現実のものとなっていた。

​​

​​そんな時代に暇空茜氏が登場したのは痛快この上ない出来事だ。

​​

​​私はapos時代ブラウザ三国志時代の空白氏を存じ上げなかったが、Twitterにて「暇な空白」として現れた以降、フォローこそしていなかったがリストに入れて彼の振る舞いを眺めていた。

​​すぐレス対象マウントを取るし、ピンフスキーにウザ絡みをし続けるさまなどは、見ている分には昔のインターネットが戻ってきているような気がして個人的にはめんどくさそうだけど好ましく思えていた。

​​

​​彼を好ましく思わない人からは、承認欲求に狂った躁状態であるという揶揄を目にしたが、それは誤りで今も昔のインターネット然とした振る舞いの延長であると思う。

忖度なくマサカリを投げ、雄叫びをあげる猛獣でありつづけるだけであり、私のような新参から見ても変化してるとは思えない。

​​とにかく氏は特殊個体であることは間違いないが。そういう人なのだ

​​

​​そんな彼が暇を持て余して?始めたウソを暴くという戯れだが、この話を追っていてずっと感じていることがひとつある。

​​彼は一切攻撃していないのだ。

​​ただ淡々と記録をつまびらかにし、過去データ発言と照合して、それらを解説してオープン化しているだけにすぎない。

​​それが攻撃だと感じるのであれば、自身の振る舞いを顧みた方がいいと思うが、それはまた別の話。

​​

​​正しい「とされる」ことをしているから、多少難があっても多めに見てもらえる、というバリアが彼の行動によって無効化されつつあるように見える。同時に相手がたの反論非難の矛先を全て彼が受けることによって、矢面に立ちたくない、立てない事情がある他の人間も行動に参加できるようになっているのだ。

​​結果、暇空氏が一人で叩き出せるダメージよりも遥かに大きな数値を稼ぐことができていると思う。

​​むろん、暇空氏一人が攻撃もしなければならない場合だったとしてもかなりの数値だと思うけれど。

​​

​​こういった暇空氏が端緒となった調査行動だが、彼が裁判費用として集め始めたカンパ金額を見るに、社会的に大きなムーブメントが産まれていることは疑いようがない。皆、彼に望みを託したいのだ。一方で、Twitter以外のソーシャルメディアではこの話題をあまり見かけない。

​​だからマイナー運動なのだ、影響はないという意見になってしまうのはわからないでもない。しかしこれは(あくまで私の個人的見解だが)実態を窺い知ることができないという観点から正しくないと言えるだろう。

​​

​​私のFacebookのフレンドには、暇空氏が言う83-2人委員会人間がいる。「ナニカ」に近いと目される組織で勤めている人間複数名いる。財団の犬も。

​​社会人として、そんな交友関係の中で、この関連の記事言及なんてできないのは自明であろう。

​​関係性に色々なグラデーションがある中、83-2人委員会に名を連ねているけれど、今のあなた見解は?なんて今のインターネット世界で聞けるわけがない。そしてそもそもFacebook国内においては仕事の告知や自慢しか流れてこなくなっている斜陽気味のメディアだ。

​​わざわざ、波風を立てるようなことを書かないのだ。書いてしまうような人は狂人であろう。(おそらくその手のタイプの人はフレンド関係のままだけどフォローをはずされているだろう。)

​​

​​しかしながら、わたしと同じようなソーシャルグラフを持つ友人とリアルで飲む時に、ポロッと話題に出してみると面白い反応を得られるのだ。

​​お互いの認識を恐る恐る確認するようなやり取りをした後、「あれまじでやばいよね」みたいな形になる。

​​そして、「暇空にカンパしたもん」というように、陰ながら支持している旨を明かす。「おれも」と返す。そして、「これはFBでは言えないよねー」「そうそう、角が立ちすぎる」なんて会話になるのだ。

​​

​​極めて個人的サンプルであるが、800人くらいフレンドがいる中で、その中で近似したソーシャルグラフを持つ200名の中で、たまたまリアルで会う機会があった人のうち15人弱がそんな感じだった。

​​普段積極的インターネットに触れている党派性に染まっていない層はWBPCの話について好ましく思っていないと思っていいんじゃないだろうか。

​​

​​一方で、ソーシャルグラフが近くない友人、実家近辺の友人や大学時代の友人はこの問題認知すらしていないからここが課題だと思われた。

​​

​​左のいつメンがいれば、同様に右のいつメンもいて、一般的生活者だったらどっちのいつメンの話も聞きたくないのだ。怒りに満ちた言葉や、皮肉になってない当て擦りの言葉なんかもう、たくさんなんだよ。

​​そういういつメンは言葉遣いも悪くなる。怒っている人には近づかなくない。だから先鋭化する。

​​

​​そんなところに突如として現れたのがこの冷静さに満ちた動きなのだ。観客をするにもリテラシー必要とされる。

​​かわいそう、良さそうといった感情によって蹂躙されてしまった社会世間を取り戻す智慧革命と言っても過言ではない、かも。

​​

​​あけすけに語られる不恰好な言説ではなく、冷静にウィットを込めて、時には自虐も入れてソフィスティケートされたうえで投げかけられるから抵抗なく飲み込める。これを冷笑という向きがあるのかもしれないが、そう知覚してしまうこともわからないでもない。しかし、冷笑というよりはポップであると感じる方がおおいのではないだろうか。

​​

​​本件はもはやcolabo問題ではない。

​​WBPC問題であり、疑獄である

​​ナニカが何かは観客席の人間からはわからないが、最終的にはナニカ疑獄に収束すると思うし、そう願いたい。これは静かな、静かでポップな革命だといえよう。これがきっと、戦後の本当の終わりを示す標なのだと思う。

2023-02-01

まどかが変身するまで観て」的なやつ

自由研究

作品名誘い文句どこまで観ればよい?全部で何話?誘い文句が示すシーンの序盤っぽさ備考
魔法少女まどか☆マギカまどかが変身するまで観て」 1212OPに変身シーンあり。なお10話で魔法少女の姿で登場はしているが変身はしていない。
ウルトラマンネクサス主人公ウルトラマンに変身するまで観て」 37話 37話 未視聴。
超獣機神ダンクーガダンクーガに合体するまで観て」 16話 38話 中~低 未視聴。ロボットもので主役メカ後継機は中盤以降に登場しがちなのを知っていれば騙されない。
機動戦士ΖガンダムΖガンダムが登場するまで観て」 21話 50話 中~低 ロボットもの以下略

なかなか探すのも大変だし考えるのも大変だ

芸術点が高いやつだとなおさら

コロモーに同様の質問あり

「魔法少女まどか☆マギカでまどかが変身するとこまででいいから見て」的なやつを教えて

「序盤にありそうなシーンだな、とりあえずちょっとだけ……」と思わせるような誘い文句がやはり美しい

コロモーの回答のやつだと

全員揃って変身するところまで見て(暴太郎戦隊ドンブラザーズ)

1stライブまで見て(ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

ここらへんは序盤っぽさ度が高い

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