はてなキーワード: ゲーム批評とは
はてブのゲームカテゴリでJiniのnoteがホッテントリ入りしてて、まぁ俺は無料部分しか読んでないんだけど。
ゲームなんて誰がなんと言おうと結局は金はないけど時間はある若い人向けの趣味なんだからそういう人達を読者にしないと先細るだろ。
若いユーザー向けのタイトルを出してこなかったプレステが元気なくて出した任天堂が元気なことを誰よりも近くで見てきたはずなのに。
自分達は同じ失敗してんのアホでしょ。
メディアもライターもみんなやりたいのは初期のゲーム批評みたいなのや2000年前後のテキストサイトみたいなのばっか。
そりゃ中にはこういうのもあるよね、程度だったら面白いんだけど商業メディアは全部これ。
twitter: Geemoku: 誤解とデマと工作と広告とアフィと検閲にまみれて、言葉も文書もつながりを失った。こんな世界に誰がした。
twitter: Geemoku: 2007年も終わりに近付いてきた今になってWWWに欠けているのはハイパーテキストであると思い始めている。
twitter: Geemoku: 「子どもに見せたい○○(漫画とか映画とか)」を語るオタって馬鹿すぎて救えない。どうして人は大人になると、子どもの頃の“ピュアとはかけ離れたドス黒い感情”を忘れてしまうの? 大人が勧めてくるものなんて古臭くて説教臭くてクソつまんないもので、さっさと古本屋に売って金に換えてただろ?
twitter: Geemoku: 僕たちはもう少しハレーズコメットやスクランブルフォーメーションをタイトーシューティングとして丁重に扱うべきだと思うんだ。だけどATOKの野郎が「低調に」と変換しやがるんだ。
twitter: Geemoku: 「ソースは?」「[要出典]」なんてくそくらえ。もっとお前の妄想を見せろ。独自研究を出せ。
twitter: Geemoku: ほとんどゲームだけにオタ人生を費やして来たので、70〜80年代の漫画や映画を見ても懐かしさはなく、純粋に面白く見れてしまう俺は幸せものなのかもしれない。ブックオフの100円コーナーもTSUTAYAの旧作の棚も俺にはすべて新作なのだから。
twitter: Geemoku: 飯野賢治は一時期ゲーム雑誌でやたら連載を持っていた。しかし当初は本人が書いていたコラムも、そのうちワープの広報や嫁が代筆するようになっていた。これが死ぬほどつまんねんだ。ゲームなんか作ってないでゲーム話をしてくれと強く思ったものだった。
twitter: Geemoku: 飯野賢治がどれだけ持ち上げられても(D食~E0)、どれだけ貶されても(リアルサウンド~D食2)、業界からその存在を消していても(ここ数年)、変わらない事実がある。それは、彼のゲーム語りは非常に面白いということ。
twitter: Geemoku: 実名を出して仕事をしている人(作家とか)が、その仕事を叩かれる。ムカついたり凹んだりするだろうけど、でもこれはごく普通にあること。それらの中に、近親者しか知りえない表に出さない情報が混ざっていると、途端に不気味さが増す。
twitter: Geemoku: 実際のところ、掲示板に書かれた情報の信憑性などなきに等しく、読む方もそれなりに「どーせ嘘だろ」と思いながら読んでいるので影響はないが、しかし、本人はどの書き込みが事実か知っているから、事実が書き込まれるほど恐怖は増す。
twitter: Geemoku: 知らないうちに自分の実名が強力なネガティブイメージと共にWebにばらまかれる、しかもそれを実行したのは自分のクラスメイト……なんて状況はほとんどホラーの領域だと思う。悪意が文字になることで形を持ち、形を持った悪意がWebを通じて流通することに比べたら、教室で悪口言われた方がマシ。
twitter: Geemoku: ネットワークビジネスだの情報商材だのに関わる人々は、みんなウンザリするようなことを言う。だけど、一部はそれで本当に儲けている。儲けている人間はその行動・言動・信念・人格……が肯定される。一方、自分に肯定されるようなものは何一つない。
twitter: Geemoku: 彼らはカモを釣るためにどれだけの努力と創意工夫をしているかを、専門用語を駆使しつつも抽象的に語る。それから、何なら君も仲間に加えてやらないこともないが、君にその資質があるかと値踏みしてくる。とてもウンザリする。
twitter: Geemoku: 俺は彼らを論破しようとは決して思わない。彼らは何だかんだでたくさんの知恵をつけている。こちらは専門用語のひとつも知らない。賢くもない頭を使うのも疲れる。とにかく阿呆のように振る舞い話が終わるのを待つしかない。
twitter: Geemoku: 360の実績システムによって、ゲーム購入者の中でクリアまで到達するのはほんのわずかということが明らかになったように、たぶんゲーム雑誌も購入者の数%しか中身を読んでないんじゃないかという気が。特にゲーム批評とか初期の全否定キャッチコピーしか記憶に残ってないんじゃないか。
twitter: Geemoku: ゲーム批評批評が今ひとつ的外れになりがちなのは、初期の全否定キャッチ(「ファンタジーは死んだのか」とか)と、その人の大好きなゲームをけなしたソフト批評文だけが強く印象に残っていて、それを元に雑誌批判を展開するからではないかと思う。かといって全部読んで俯瞰する奴もおるまいよ。
twitter: Geemoku360: 経験を絶対視するなら、死や死後については誰も何も語れないな。経験者はもう喋れないわけだし。
twitter: Geemoku360: つまり完全自殺マニュアルは、ゲームをクリアしてないライターが書いたゲーム攻略本だと。
twitter: Geemoku360: 世界三大RPG:頭脳戦艦ガル、キングスナイト、キャプテンED、アシュギーネ虚空の牙城……あっ、四大シューティングRPGになってしまった。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 129 | 13044 | 101.1 | 48 |
01 | 93 | 12357 | 132.9 | 79 |
02 | 78 | 10895 | 139.7 | 66 |
03 | 44 | 4006 | 91.0 | 51 |
04 | 19 | 1917 | 100.9 | 49 |
05 | 45 | 4007 | 89.0 | 63 |
06 | 66 | 4062 | 61.5 | 47.5 |
07 | 105 | 8554 | 81.5 | 41 |
08 | 117 | 11948 | 102.1 | 46 |
09 | 207 | 14258 | 68.9 | 47 |
10 | 163 | 12112 | 74.3 | 41 |
11 | 160 | 14080 | 88.0 | 46 |
12 | 261 | 16244 | 62.2 | 35 |
13 | 202 | 11930 | 59.1 | 38 |
14 | 171 | 15228 | 89.1 | 44 |
15 | 156 | 11914 | 76.4 | 39 |
16 | 151 | 11932 | 79.0 | 39 |
17 | 145 | 12774 | 88.1 | 48 |
18 | 168 | 12323 | 73.4 | 33 |
19 | 216 | 29689 | 137.4 | 35.5 |
20 | 211 | 21967 | 104.1 | 39 |
21 | 223 | 22328 | 100.1 | 36 |
22 | 158 | 12890 | 81.6 | 29 |
23 | 165 | 17395 | 105.4 | 43 |
1日 | 3453 | 307854 | 89.2 | 41 |
私書箱(5), 模型屋(4), ホビージャパン(10), 散布図(5), スケボー(37), ブロッコリースプラウト(3), 前山田健一(3), ヒャダイン(10), 個人旅行(3), ゲーム批評(3), 楚(3), 反対派(27), 開会式(34), 五輪(145), 無観客(18), アスリート(37), オリンピック(234), 観戦(14), サブカル(18), ドラクエ(18), 反日(13), 選手(92), 小山田(22), 競技(28), 連休(18), 人殺し(14), 開催(60), スポーツ(44), 中止(39), 反対(77), 楽しむ(24), 応援(38), 賛成(21)
■婚約者がガチャ中毒だったから婚約解消した(追記あり) /20210726131835(31), ■俺の彼女も非処女だった /20210725232152(31), ■米津玄師とヒャダインが苦手 /20200603181732(30), ■結局政府が思い描いた未来になってそう /20210725225651(23), ■ /20210726141309(18), ■愚民すぎる日本死ね /20210726181224(18), ■流れで言えば「Dr.STONE」も連載中止にするべき /20210725130430(15), ■ごめんなさい、オリンピック見てます /20210725204842(13), ■納豆にちょい足ししてうまくなるもの /20210726142153(12), ■【問】この中で一番感染拡大させたのは誰でしょう? /20210726055120(11), ■オリンピック楽しむことは悪いことじゃない←そんなわけがないだろバカ /20210726190351(10), ■日本人さん、マジでチョロいw /20210726124449(9), ■知恵袋みたいな使い方していいか?! /20210726103633(8), ■清楚系女子のスカートが短いのが許せない /20210726094321(8), ■オリンピックではてブ民が嫌いになった /20210725153418(8), ■ /20210725223433(8), ■ /20210726101352(8), ■呪術廻戦の映画に喪服で行くのやめてほしい /20210723210334(7), ■「応援するけど五輪はやめろ」← /20210726004127(7), ■結局オリンピック楽しんでいいの?ダメなの? /20210726222834(6), ■好きな娘がSNSにブルーインパルスの写真を無邪気に上げててガッカリした /20210725112545(6), ■「私書箱」に憧れる /20210725174949(6), ■今のガンプラ不足と40年前のガンプラブームは全然違う /20210726092155(6), ■予想される五輪許されポイント /20210726191334(6), ■乗り換えをすごく嫌がる人っているよね /20210726203951(6)
たとえば ゲーム批評 Vol.8(1996年4月号)みたいに
なにかソースあるの?
リメイク版でもそんなエンドは追加されてない
デスピサロは5chでも長らくぶっ叩かれまくりだったぜ。専用のアンチスレもあった
あったんですよ20年ぐらい前
ネットで有名というと、みんなエロゲーやってて、エロゲーレビューサイトが大人気だった頃
需要もすごくありました
需要がすごかった理由は、「まともにプレイできないゲームがすごく多かったから」でした
シナリオがクソつまらない、シナリオがめちゃくちゃ手抜き、グラフィックがひどくてエロに使えないとかもあるけど、
それ以前の問題で、バグで先に進めないとか、インストーラーが使い物にならないとか、はなはだしきはPC内のデータ全消去とかあって、
「8800円で本物のゴミや地雷を踏まないため」にレビューサイトの需要がまずあった
しかも、レビューサイトや情報サイトが充実してくると、発売後の修正パッチの配布をそうしたサイト経由で配布するのが常態化して、
まずどのエロゲーも購入後にやることはネットで修正パッチの確認をすることが当たり前になってました
(ネット接続できない人はエロゲー情報誌に付属しているDVDで修正パッチを探す)
レビューサイトをチェックしてないとそもそも遊べなかったんですよね
消費者保護の観点として、当時、エロゲーレビューは必要不可欠でした
現代だとSNSやプラットフォームでの評価がなんとなくレビューサイトを代替してますけども、
それでも「遊べる以前の地雷」がなくなったわけではないし、ソシャゲのガチャを巡る不正とかの話題も途切れないし、
それでいてプラットフォームでの評価はどうしても評価操作やデマの可能性は消えないし、
なので、内容が面白いかどうかなんて批評は不可能だろというレベルでゲーム批評は不可能なんていうのは、恵まれた環境しか知らないんだなと思います
一方でエロゲーの批評が盛んだったころは、内容の良し悪しも突っ込んで話されてましたけども、
そちらについては昔、「ゲームは1本あたりのプレイ時間が長すぎる」という指摘はありました
映画1本で長くて2時間30分、TVアニメ1クールで5時間30分、マンガ10冊でじっくり読んだとしても5時間弱などと比較して
ゲームはプレイ速度が速い人でも10時間、しばしば20時間以上が当たり前です
そうなると、レビュアーが触れられる本数は当然ながら限られてくるので、他メディアと比較して、突っ込んだ批評を行うのは困難だという話です
おもしろいつまらないの判断を下すことが批評だと思ってる時点で大間違い。
批評というのは芸術的価値を問うものでおもしろさに価値はないわけです。歴史的な位置づけは芸術的価値の一つだから価値がある。
逆に爽快感があってサクサク進むから楽しいとか、ヒロインのキャラが魅力的に物語にのめり込むというような部分は批評で扱う価値がない。
このゲームはあのシリーズの影響を受けている、今作は出来が良い悪い云々、そんなレビューは腐るほどあるけど批評にはなっていないでしょう。そういうことです。
だから、ゲーム以外にもアニメやラノベなどに批評は存在しないし、漫画批評は実質漫画の技法研究になっている。
受け手の意識がどうだろうが批評というジャンルを立ち上げることはできるし、批評家の間でだけ通じる歴史観、価値の高い作品というものはある。
おもしろいつまらないの判断を批評だと思ってる。ゲームに批評が必要だと思ってる。ある程度支持されたゲーム史や名作の影響関係は固まってるのに未だにアーカイブの問題。あげくに受け手の意識のせいで批評が成り立たないとくる。
こんなことを言ってる奴らにものを考えさせて何の意味があるというのか。バカバカしいにもほどがあるだろう。全く無駄なことやっているなという感想しかわかない。
受け手が批評家のようにゲームを受容しなければいけなくなったらゲームというジャンルは終わりだろ、そんなことすら批判されなければわからないのだろうか。
バカが考えもせずに「ゲームに批評なんて必要ない!」ってキレてる姿がよくネットで散見される。
録画してカウチポテトで爆笑しながら鑑賞したいくらいおもしろいバカなんだけど、バカが心配せずとも、批評はどんな分野にも必要で、にもかかわらずゲームに批評は今も昔もこれからも存在しないので大丈夫です。
「あらゆるゲームを網羅しているフリができる人がいないから」。
批評っていうのはつきつめればおもしろいつまらない価値があるこれはゴミだみたいな判断を下すことなんだけど、
じゃあなんのために価値をつけるのか、っていえば、歴史にその作品を位置づけるためです。ここでいう歴史っていうのは何年にスーパーファミコンが発売されて何年にファイナルファンタジー6が出ました、とかそういうカタログの話ではありません。いやまあ、カタログの話と関係ないわけではないんだけど。
で、その歴史が何でなりたっているかというと、網羅性と「名作」への共同幻想なわけですよ。
これがゲームでは大変むずかしい。
網羅性とは最初に言った「あらゆるゲームを網羅しているフリ」です。
まあ不可能ですよね。どっかのエレクトロミュージシャンがファミコンで発売されたソフトをすべて買って遊んでいたと語っていた記憶がありますが、それが可能だったのはせいぜいファミコンまでだったでしょう。
現在は主要なコンソールだけでも三つもプラットフォームがありますし、PCのインディーゲームにまで手を伸ばしたらキリがない。
プレイ時間だって今どきの大作となれば、クリアまで100時間超えなんてのは普通です。一日一時間〜二時間ずつ進めたとしても一つのタイトルに二ヶ月もかかりっきりになってしまう。そのあいだに、映画なら50本も観られるのに。
JRPGは基本的にレベル上げにさえ時間さえかければクリアできますが、一部のアクションゲームやシューティング、パズルゲームなどはプレイヤーのスキルに依存するため、下手くそはクリアできないという事態が普通に発生する。映画や小説はとりあえず読めば、内容を理解できているかどうかに関わらず、エンディングまでいけます。ゲームはそれすら許さない。そして、ゲームジャンルの得意不得意は人によって異なる。
映画にだってホラー専門の批評家や、SF専門の評論家もいるじゃないか、それと同じでJRPGしかできない人がJRPGの範囲で批評をやる分にはかまわないのでは? と反論される方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、○○専門の批評が成り立つのはメインストリームの批評が存在するからこそであり、そうした足場をそもそも持たないゲーム批評では専門批評もまたありえないのです。攻撃してくる相手がいないことにはカウンターパンチを打てないのといっしょです。
じゃあ、映画の批評家とかは映画ぜんぶ観ているのか。もちろん、そんなわけはない。他の芸術・文学分野でも供給はとっく過多に成り果てている。
でも、かれらは「すべて観ている・読んでいるフリ」ができるわけです。
あああの作家のあの作品ね。こんな感じなんでしょ。と観なくてもいえる。
なぜそんなことが可能なのかといえば、軸となる歴史的名作についての共通了解があるから。
暇さえあれば「20世紀の名作ベスト100!」とかオールタイム・ベスト投票企画をしょっちゅうやっている。
そんな五年とか十年とかの間隔で投票してもメンツ変わらんやろ、と思うし実際にかわりばえしない。しかし、とにかく議論のベースとなる古典を決めておいて、ノるにしろアンチするにしろ、その上でバトりあう。
ゲームにはそれがない。
けれども、なぜそれが画期であり古典なのかを説明できる人はそんなにいない。
ものによったら「その世代にたくさんの人が遊んだから名前が残っているだけ」というのもある。別にそれで残って悪いことはないんだけど、歴史に対する位置付けはやっぱりできていない。
映画や小説だって簡単にアクセスできる古典とできない古典の差がはげしいんだけど、ゲームほどじゃない。
今でこそニンテンドーもソニーもアーカイブスを持ってはいるんだけど、新機種に切り替わるごとにゼロからまたスクラップ&ビルドしているかんじで、ぜんぜん蓄積になってない。どうせ、昔を懐かしんでる年寄りしかやんねえだろ、みたいなナメた意識がありありと伺える。
出している側がそんなんだから、受け取る側の意識が育つわけない。
正字正かな遣いクラスタの用いる言葉がバーチャルすぎて半笑いになる。
本人は格好つけている、あるいは意義があってそうしていると思っているのだろうが、例えるなら日本語の文法がおかしい人が一生懸命頑張ってるみたいに見える。
A時代(明治と大正末だとだいぶ違う。昭和戦前が一番イメージしやすいだろう。江戸時代でも鎌倉時代でもいい)で異なるし、
B書かれる媒体(新聞なのか随筆なのか、個人の日記なのか)で異なる
今でもそうでしょう。
1999年頃の、ギリギリまだ怪しい雑誌に怪しいライターがひしめいていた時代のあの文章。思い出して欲しい。
ちょっとカタカナ混ぜたり、トカ? ゲーム批評のガップ獅子丸みたいな文章。今だいぶ雰囲気変わったでしょう。
逆にいうと、今風の? 切込隊長やよっぴ〜みたいな文章も、ネットで見られる時代の象徴的な文章としてのちに振り返られるかもしれない。
20年でだいぶ違う。
そして、これらの文章はビジネス文章や国会の答弁、ニコニコ動画のコメントなんかとはまた質的にことなる。
当然、歴史のどこかの時期にもこうした現象は発生していて、ほとんどの正字正かな遣いクラスタはその事態に対応できていない。いつどこの文章か定めていない。
自分の、なんとなく知っている文字や用語だけを用いてネットに書き込んでいる。
本人たちは別に自分で用語を選んでいるんだからいいだろ、という認識のようだ。それは別に選択だからいい。正字正かな遣いクラスタをやるのはなんらも問題ではない。
だが、その用語の選択はとても格好が悪い、あるいは選択のセンスが低いということだ。何回も言うけど、任意で日本語のあるバージョンを選択すること自体は別に問題ではない。選び方のセンスがダメ。全くダメ。
新しいジャンルならセンスも何もないのだが、日本語の表現なんていういつもいろんな人間が手を染めてきた分野だから、やってることの格好の悪さが際立つということだ。
例えるなら小学校高学年くらいの時に50音にそれぞれ謎の記号をつけて、オリジナル暗号を書いていた人はいるのではないだろうか。
正字正かな遣いクラスタのやっていることはこれに近い。大人のオリジナル暗号やってるみたいな。
周りの人は「大人」だから読めるし付き合ってやってる。これくらいの格好の悪さ。格好の悪さの格調が低い。
さてどうすればいいのか。私案。
ネットに書く時には様々な制約がある。異体字や縦書き、横書きの制約。「つんぼ」とか差別的な意味合いが深まった表現とどう対峙するか。
俺だったら明治〜大正時代の行政文書、あるいは室町時代の日記あたりで挑戦してみたい。
相当原典にあたり言葉に詳しくならないとならない。「正字正かな」を用いると言うことはそういうことが必要だと思う。
要するに、正字正かな遣いクラスタは、言語や用語にこだわっているように見えて、実態のところ非常に個人的で恣意的な操作をしている。
このアンバランスが最高に格好悪いということ。
任天堂ラボとかいう、ただのダンボール工作キットをコントローラーにはめて遊ぶオモチャが発表されたらしいけど、これどうみてもツッコミどころ満載のちゃちいものにしか見えないだろう。
しかし、ふだんから任天堂に飼いならされているはてな愚民の間では、今回も上々な反応のようである。
だけど、コントローラーにダンボールを付けてラジコンにしている絵面は間抜けそのものだし、家の形をしたキットにタブレットを装着する必然性が分からないし、挙句の果てにダンボールのランドセルとか子供を舐めているとしか思えない。こんなものファミコンロボやパワーグローブにスーパーゲームボーイの時代から比べたら大幅な後退でしかないだろう。
まあ、昔と比べたらプレゼンも上手くなっているし、それにみんな任天堂神話みたいな共同幻想に飼いならされちゃっているから、こんな子供騙し程度のものでも舞い上がっちゃうけど、でも今の任天堂って資本的にも技術的にも、海外のディベロッパーに遠く及ばないから、こうやって奇を衒ったアイディアをその場しのぎで出しては、戦線を引き下げているだけなんだろう。ぶっちゃけ、国内向けに喧伝されているクールジャパンというプロパガンダ戦の実態と同様に、今の任天堂がやっていることってクソださいグローバル水準からの撤退戦をやっているだけなんだよ。
だから本来はもっとPSが褒められるべきだと思うんだけど、でも日本の後進国化にゲハ煽りとかFFシリーズがあんな風に悲惨なことになちゃったから、ソニー関連はとりあえず集団了解的に冷笑しておくっていう態度が正しいみたいな感じになっているけど、だからって任天堂はエライってことにはならないんだよ。あれだけPSからサードパーティを引っこ抜いておきながら。
しかしまあ、任天堂が繁栄するのと比例するように、海外との圧倒的なクオリティ差が際立ってくると思うんだけど、それを指摘したら「ゲームらしいゲーム」とかいう、意味不明の痩せ我慢を強いられるんだろうね。そもそもゲハの妊娠(任天堂信者)の出処って、おそらくゲーム批評とかを根城にしていたFF叩きのドラクエ狂信者じゃないかと勘ぐっているんだけど、その「映画みたいなゲームはいらない。ゲームらしいゲームを」とか言われていた先に待っていた未来が、こんな安っぽいものだったなんて絶望でしかないだろう。
そんなことは脇に置いといても今の任天堂は、過去の神話とクールジャパン的なナショナル・アイデンティティに巣食っているだけで、企業としては東芝やシャープとそう変わらない存在だろうよ。まさにクールジャパンならぬトラッシュジャパンを象徴する存在に成り果てたといっても過言ではない。
あの日からずっとゲーセンで格ゲーを遊んだ。ゲーム批評で「格闘ゲームあきねぇか?」と書かれても、負け犬の遠吠えにしか感じなかった。格闘ゲームはおわったとなんどもなんどもいわれて、世紀を超えて、それでも終わった終わった、初心者がいないといわれ続けても、遊び続けた。
そして、先月。突然やめた。KOF14の対戦で負けた後だった。
対人対戦に疲れ果てた。つくづく疲れ果てた。
先ほどまでの全身を駆け巡った興奮はすっかり冷めていた。いや、もう、格闘ゲームに興奮しなくなっていた。勝ったり負けたり。勝ち続けもしないが、負け続けもしない。それくらいのゲームセンターだった。急に熱が冷め、店内が暗くなったように思えた。息ができないくらいにひどい空気だけだった。
私が席を立つと、すぐに青年がコインを入れた。たぶん、私がコインをいれることはないだろう。
はやく呼吸を楽にしたいため、足早にゲーセンを出た。もう夕方だった。雨あがりの夕方だった。秋の雨のせいだろう、なにもかもが冷めて見えた。
対人対戦をやりつづけた。本当に楽しかった。そして、疲れ果てた。私はもう、本当に、疲れ果てたんだ。
奥歯に物の挟まったような言い方とか、
「正面からちゃんと論じないのは逃げ」
とか
「こういうとき正面から論じた○○は株を上げて、こういうやつは下げたな」
とか言うのって、
なんか違うと思うんだよな。
具体的に言うとさ、取引先の社長がズラだったとするじゃん。
新社屋の棟上げとか、なんだとか、結構屋外でも仕事の付き合いあるじゃん。
当然、飛ぶだろ。社長のズラ。
とか、正面から言わないじゃん。
「今後も、激しく輝いていきましょう!」
とか、ジョークにもしないじゃん。
そういう時はさ、フツーはその手のことには気を使うだろ。
全く触れないか、触れたとしても遠回りに周辺に対することにするだろ。
「生憎の強風とはなりましたが、社長の穏やかなお人柄もあり(」
とかさ、
Twitterとかでも絶対触れないじゃん
とかさ、
そりゃ担当者が怒られるだけならまだしも、
どう考えても今後の付き合いに影響でて、会社に悪影響があるしさ
って、ことまで考えるとだよ
それか、「俺の言葉に俺が責任を取る!」と言って、周りの影響を考えてないか。
そりゃカッコイイけどさ、
例えばTVで影響あるグループに真正面からフツーに言わなきゃいいこと言って、
次からNG事務所扱いになってさ、なんか芸人でも微妙どころ呼ばれなくなったときにさ、
なんか呼ばれなくなった後輩タレントの女房子供の面倒みてくれんの?
と、言うフツーの組織の一員としての社会生活の責任を考えて世の中みてみると
相当気を使ってみんな喋ってるというのがわかるし、
なんてことを思った。
http://d.hatena.ne.jp/moto_maka/20121220/1355945161
http://blog.champierre.com/966
http://www.appbank.net/2012/04/11/iphone-news/395908.php
インタビューを鵜呑みにすれば、これは本来スタンドアロンで動作するゲームであった。
2:支払いをせずに遊んでいるユーザが多い
「パズドラ無課金で遊んでます!」って人は嫌ってほどいる。聞いてないのにわざわざ「お金払ってないです」ってアピールしてくる人ばっかりですよ。
3:1と2の合わせ技
「何かと金を要求されるソーシャルゲーム」にうんざりしていた頃に、典型的ソシャゲとは違う戦略で現れ、それで成功しているこのモデルは「課金ゲーム」が持つ金の匂いに満ちた閉塞感を打ち破ってくれた。既存の集金ゲームに比べたら天と地以上の差があるパズドラを少し触っただけで、それでコンティニュー画面の文言に過剰に反応して「これだからソシャゲは無制限に金を要求してくる!」とか言われたらアンタ何言ってるんですか素人ですかとか言いたくなる。
4:単なるスリーマッチパズルと通常のパッケージゲームを比較してゲームを語っているところに無理がある
書いてる人にとってはゲーム批評エントリのつもりはないでしょうけどね。
5:「やめました」エントリの鬱陶しさ
ネガティブな情報であるので、普通にイラッとくる。金を要求してくるのが嫌と書けば良いのにわざわざアンインストールしましたとか書く必要はない。
特に3が大きくて、今まで「勘違いによって無駄に批難されて偏見の目にさらされてきたゲームファン」としては、それが不当な内容であるとしっかり主張しておきたい。
あれらのブログは今時のゲームの楽しみ方に取り残された人たちのための最後のよりどころみたいなものだからな。身を乗り出して楽しむよりも、上っ面の批判して小馬鹿にしてる方が楽だし。
匿名だから書くが、俺も去年やっとPS3買った手合いなんだけど、本音を言えばかなり後悔してる。特にデモンズソウルが旬なタイミングを逃した喪失感が半端無い。むしろそのままPS3買わない方が何も知らずに幸せだったんじゃないかとすら思ってるし、今も知らずに薄っぺらいゲーム批評してる奴らがうらやましくて仕方がない。7割皮肉だけど、3割本気で。
「やべえマジおもしれえ!」と今頃つぶやいても、あれを発売から3年も経ってから初プレイしてる人間なんて殆ど見かけないわけでさ。全く同じ状況で共感しあえる人がいない。
そりゃ当時やり込んだ人たちは好意的な反応してくれるけど、部活でいえば「ああ、一年の時の恒例のアレはきつかったよなあ」的な先輩みたいな感じでさ、今同じ苦労をしている同輩はもういないんだよね。
その頃の俺はというと、まさにそのブログで振りまかれてる無数のゴミ記事に毒されてて、「互換復活させて2万切ったら買ってもいいけど、でもソフト無いしなあ(笑)」とか言ってたわけ。その頃発売されたソフトに今頃になって手を出して、「あのときやっときゃ良かった」と現在絶賛後悔中。どこに出しても恥ずかしい正真正銘の馬鹿そのもの。
今でこそPS3関連のコミュニティとかクラスタに何食わぬ顔してクビ突っ込んでるけど、メタルギアソリッド4とか龍が如くとかアンチャーテッドとか過去作品を懐かしむ流れになった時のいたたまれなさとか。仮病で修学旅行や体育祭をサボっておいて、10年後の同窓会でそのときの思い出話で会話からはじき出されるような死にたさ。
しかも普段から「俺ちょっとゲームにはうるさいよ?」的なキャラを作ってるせいで新参の振りする事も出来ず。完全に自業自得。馬鹿の極み。もう自分でも何書いてるのか分からなくなってきた。寝るわ。
togetterが見難くて仕方ないのでまとめてみた。
昔書いた記事→問題多いTVゲーム「有害指定」』 完全版は左記リンクから購入できますが、5年前の記事ですが、この後どうなったのか、これからのことを考えるのに有用だと考え、僕が書いた本文だけは公開しちゃいます。
今年5月、あるテレビゲームソフトが神奈川県で「有害図書類」の指定を受けた。地方自治体の条例で規定される有害図書類指定とは、悪影響となる恐れがある書物・映像作品を、18歳未満の青少年に販売することを禁止するものだ。
主に成人誌など性的な表現を扱う媒体になされてきた措置で、テレビゲームソフトを指定したのは、神奈川県が全国で初となった。
「有害指定」を受けたのは、米国のロックスター・ゲームス社が開発した「グランド・セフト・オートⅢ」(GTAⅢ)。日本国内ではカプコンが「大人のエンターテインメントの形成を狙い」、
プレイステーション2用のソフトとして2003年に発売した。世界で1000万本売れている大ヒット作で、国内での販売数は35万本とスマッシュヒットとなっている。
ゲームは、マフィアやギャングの依頼で盗みや殺人、破壊工作を含むさまざまなミッションをこなすというストーリーで、「バイオレンス・アクション・ゲーム」というジャンルに属する。
GTAⅢが「有害」とされた理由は、これまでのような性表現ではなく「暴力・残虐表現」なのである。
テレビゲームは通常、ゲームの本筋から外れる動きはできない。モンスターを攻撃することができても、それ以外の対象を攻撃したり、商店を襲って商品を強奪することは不可能だ。
しかし、GTAⅢはプレーヤーの自由度が非常に高く、本来マフィアと戦うはずの主人公が、意味もなく通行人を射撃したり、バットで殴りかかったりすることができる。究極的な高いリアリティーを誇っており、そのゲームシステムは当時高く評価された。
家庭用ゲームの業界団体であるコンピュータエンターテインメント協会(CESA)は毎年、優れたゲームソフトを表彰しているが、GTAⅢは03年度の優秀賞3作品のうちの一つに選ばれたほどだ。
ところが、過激な暴力表現を含むその内容は倫理観などの観点から物議を醸し、青少年がこうした内容のゲームをプレーすることで、何らかの犯罪を誘発するのではないかとの声が一部で囁かれ始めた。
これらの声は、GTAⅢのヒットとともに大きくなり、主に児童保護団体などが自治体に規制を呼びかけ、神奈川県による有害図書類指定へと結びついたのである。
〝残虐ゲーム規制〝の動きは各地へ波及している。神奈川県に続いて埼玉県が9月にGTAⅢを有害図書類に指定。東京都や大阪府、京都府などもテレビゲームの規制について検討に入った。
GTAⅢは、ゲーム業界関係者などの専門家を含まない児童福祉審議会のメンバーによって、「あんな酷いものを子どもにさせるのは良くない」という、非常に観念的な基準に基づいて「有害認定」されたといえるからだ。
しかもテレビゲームが与える影響について、科学的な根拠が提示されたわけではない。残虐・暴力表現を含むテレビゲームが、青少年に悪い影響を与えるか否かは、諸説飛び交う微妙なものであり、とても十分な議論を経たとは言えない。
また、わざわざ行政が規制を行うことの必然性もきちんと議論されていない。
家庭用ゲーム業界は、コンピュータエンターテインメントレーティング機構(CERO)という特定非営利活動法人(NPO法人)により、ゲームの内容によって、対象年齢別にソフトを分類する「レーティング」を行っている。
レーティングによって、ゲームソフトは「全年齢対象」「12才以上対象」「15才以上対象」「18才以上対象」の4種類に分けられ、現在ほぼすべてのソフトのパッケージに、その年齢以上の表現が含まれることを示すシールを貼っている。
しかし、CEROのレーティングはあくまで、その年齢層への〝推奨 でしかなく、対象年齢以外の顧客に販売することを規制するものではない。
神奈川県をはじめとする行政サイドは、この点を突き、「有効性に乏しい」として規制に乗り切ったわけだが、こうもあからさまに家庭用ゲーム業界の自主努力を無視しては、反発を招くのも当然だ。
経済的な影響もどこまで考慮されたかは疑問だ。家庭用テレビゲーム市場は、国内だけで4000億円規模の巨大なマーケットである。
「規制される恐れがある」という事実は、これまで、ある程度自由にユーザーのニーズを追ってきたメーカーの大きな足かせとなることは明白である。
任天堂のファミリーコンピュータ(ファミコン)以来20年間、家庭用ゲーム業界が年月をかけて模索してきた「面白いゲーム」が制作しづらくなるのだ。
「CEROのレーティングで『18才以上対象』の指定を受けることは大ダメージ。
一部の大手量販店では、『18才以上対象』のソフトは最初から仕入れないところもあり、それだけで当初の見込みより販売本数が大きく落ち込むこともあり得る」。大手メーカーのマーケティング担当はこう本音を語る。
「推奨」に過ぎない自主規制の枠内ですらこうなのに、行政のお墨付きで規制が行われたら、どのくらいの機会損失が発生するかは想像もつかない。
拙誌の『隔月刊ゲーム批評』(05年11月号)において、お茶の水女子大学の坂本章教授は、テレビゲームの有害図書類指定について、以下のように問題点を指摘している。
「第一に、表現の自由を侵害する。第二に、クリエーター育成の障害になる。自分の仕事が法律違反と背中合わせの状況では、クリエーターは十分に創造性を発揮できないであろう。
第三に、思考停止をもたらす。法的規制によって、『ゲーム悪影響問題』は法律で解決するものと捉えられるようになり、多くの人々がこの問題にどのように取り組むかについて考えたり、議論することを止めてしまう」
特に注目すべきは、3点目の「思考停止」である。坂本教授は「ゲームに限らず、さまざまなメディア・作品とうまく付き合えるようにする『メディアリテラシー教育』を重視すべきだ」と続けている。
法規制に伴う思考停止は、こうした教育の機運も損なわせる恐れがある。もう一度考えておきたいのは、「暴力・残虐表現のあるテレビゲームをプレーすることは、本当に青少年に悪影響を及ぼすのか」ということだ。
「ゲームの悪影響」を叫ぶ動きはファミコン時代からあった。凶悪な少年犯罪が発生するたびに、テレビゲームはマンガやアニメなどと共に槍玉に挙げられてきた。
容疑者の部屋からは、残虐表現を含むテレビゲームが発見され、さらにそのゲームを好んでプレーしていたという「事実」がマスコミで報道される。
GTAⅢも今年2月の大阪府寝屋川市で起きた教職員殺傷事件で逮捕された少年が好んでいたとされる。
だが、ゲーム機を所有していない子どもは一体どのくらいいるのであろうか。家庭用ゲーム機の世帯普及率は70%以上ときわめて高く、持っていて当然である。
GTAⅢと同様、残虐表現を含むとして問題視される「バイオハザード」シリーズは、各作品とも国内だけで100万本クラスのヒット商品だ。
家庭用ゲーム機所持者の大半は、バイオハザードシリーズのいずれかの作品をプレーしたことがあると言っても過言ではない。本当にテレビゲームソフトが子どもに悪影響を与えているのなら、少年犯罪はもっと増えることになる。
技術の発展によりテレビゲームの表現や描写は、現実と見まがうほどリアルになってきた。それが現実とバーチャル世界の混同を招き、ゲーム世界を模倣した凶悪な犯罪を発生させる引き金となることは、可能性として否定できるものではない。
ゲームを制作するメーカーは、こうした点も憂慮し、確たる倫理意識を持って青少年に有意なテレビゲームを提供する責任について、考えていかなければならないだろう。
また、今回の行政による規制が家庭用ゲーム業界の危機感を煽り、大きな問題提起となった側面もある。
CESAといった業界団体は、GTAⅢの有害図書類指定を受けて、明らかに18歳未満とわかる購入希望者には「18才以上対象」ソフトを販売しないなど、より強制力の強い自主規制プランを発表し、その実施を販売店各社に要請した。
今後、行政と家庭用ゲーム業界の間で共に「テレビゲームの有害性と規制」について、大いに議論がなされるのであれば、今回の規制は良い結果を生むことだろう。
ただし、「臭いモノには蓋をする」だけの場当たり的な規制でしかないのであれば、やはり強制的な法規制はあまりにも問題が多い。
表現・言論の自由の尊重という観点や、ユーザーのニーズを満たせずに産業として衰退する可能性という、経済的な視点からすれば危険ですらある。
そして議論の場に、「悪影響」を受ける対象者である青少年の声を反映させなければならない。
今回の論争は、筆者のような「大人になったファミコン世代」と「ゲームを知らない世代」ばかりが熱い論争を繰り広げ、肝心の対象者が置いてきぼりになっている。
と、大げさなタイトルをつけて煽ってしまった訳だが。
今は亡きゲーム批評みたいで良い感じだな、と思ったり、どうせ書いても面白い記事だったら、パクられて他人の手柄にされるし、つまんない記事だったら、ボロカスに叩かれると思っている訳で、書くかどうか迷った末に、ええい書いてしまえと書いている今日この頃です。
で、何が言いたいのか先に書いてしまうと、「はてなはひろゆきの影響受けすぎじゃね?」という俺の邪推ね。2chとかニコ動はひろゆき自身も言っている訳です。「時間の無駄です。僕はほとんど追ってません」。んで、真面目なはてなはそれを真に受ける。教科書通りに娯楽性重視の軽くてゆるいサービスを作る。その結果。Rimo失敗。はてなハイク失敗。はてなワールド失敗。もちろん、異論・反論・オブジェクションはあるだろうが、上のサービスを俺は使っていないし、はてブほど成功してないでしょ、実際。という訳で、俺基準で失敗と断罪。おまけに、これだけ失敗が続いたからか、人力検索で新しいサービスも期待されていないことが分かった。従来のサービスの利便性を上げて欲しいという要求が強いことが分かった。めでたしめでたし。
じゃなくて、じゃあ、どういう方向に進めば良いのよ?ということなんだろうが、初心に帰れよ、と言いたい。人力検索を作った理由は、機械検索が不便だからでしょ?つまり、利便性上の理由から作ったわけだ。はてなダイアリーも、当初は手軽にブログを書けるという利便性が重視されていたんじゃないかな?(勘違いだったらスマソ) つまり、もともと、はてなのアプローチって、インターネットの利便性を上げるという方向性であり、2chとは全く間逆からのアプローチだった訳だよ。
だから、Rimoも、はてなハイクも、はてなワールドも初心を忘れて失敗した。これらのサービスはインターネットの利便性を上げるためのサービスではないから。ネットマスコミのインタビューでえらそうなことを言っている割にはこの体たらくであるwwww ただ、はてなスターは良かったね。スターをもらうと、純粋にモチベーションが上がるから。有用な文章を書こうという気持ちが強くなるから。
いや、世の中を有用な文章で満たしたいとか、そういうことではなくて、はてブにあるような「実用性」と「娯楽性」が入り混じった状態が個人的には理想だと思っている。というか、勉強は面白いんだということなんだと思う。そして、それがはてなの進むべきだと思っている。もちろん、例えば、ライフハックの「実用性」を疑う人はいるし、別に馬鹿にしてもかまわないと思うが、ライフハックの記事にブックマークする人は相変わらず多いし、夏目漱石の言葉を借りるなら、「向上心のないやつは馬鹿だ」ということなんだと思う(例え、向上するための方法の間違いに気づいていなくても)。問題は、試してみて、使える物は使うし、使えないものは捨てる現実主義であって、使えるなら宗教でも使えば良いと俺は思うんだが、まぁその辺は個人の考えが色々あるだろう。
で、話を元に戻すと、相変わらず、インターネットは危険な場所は多いし、相変わらず、情報が多すぎて、自分に有用な情報を見つけるのがめんどくさい。インターネットの利便性はもう向上できない?新サービスは必要ない?本当に?本当に?
当然、叩かれるかも知れないが、せいぜいこの文章がたたき台になれば良いと思う。反応がないならないで良いけどさ。