はてなキーワード: カーストとは
横だけどそれぜんぜん違うじゃん。
それこそ下克上モノじゃないの?
とことん最後まで転落していく様を書いて欲しいってことでしょ。
下克上主人公の対比エピソードとして短く書かれることは多いけど、
読後感悪いモノマニアは一定数いるからそれなりの支持は受けそう。
俺は読みたい。
クラス内カースト上位の人間が奴隷になったり、金持ちの社会人が貧民になったり。
で、決して幸せになることなくどん底に落ちてThe Endと・・・
下位の人間が上位に上がるのが人気なら逆転の発想でこういうのも受けるんじゃないかと・・・
※追記
ちょっとトラバで誤解してる人もいるけど、下克上系とか最終的に小さな幸せを手に入れる系ってことではなくどん底まで叩き落とされて最終的に自殺するようなタイプの作品ね。
狙いとしては上位層の人間が精神的にも肉体的にも叩き落とされていくさまを描くってこと。
読後感が異様に悪いけど奇妙な高揚感を持てるような作品なら成功かな。私小説として人間の心のみにくさを炙り出すとか大義名分つけりゃなんとかなるか?
ブスは嫌いだ。
カースト上位になりたい。
カースト上位になってかわいい女の子と好きなだけセックスしてかわいい女の子にちんこ舐めてもらって幸せな気分になってカースト下位をあざ笑ってやりたい。
「ああ、お前はカースト下位でクソみたいな人生を送ってかわいそうだな。ごめんな、俺は生まれつきイケメンでコミュ力豊かに生まれてきてしまったから。お前にはできない生活をたのしんでるよ、ばーか。きも。」と心のなかで優越感を感じて生きたい。
かわいい女の子に心から愛されて、なんの劣等感もなく当然の権利のようにかわいい女の子を心から愛したい。
人権という概念は人の心は変えられない。人々の表層を取り繕わせて、疑いの心を育てる。クソ美しい行動の正答をカンニングさせるだけだ。
俺まだ大学2年のペーペーだけどサークルの連中とアニメの感想を話し合うのも2chやTwitterで映画の感想を話し合うのも馬鹿らしくなってきた。
最初のうちはアレがいいコレがいいで話が進むけどいつの間にかドコがだめだココがだめだの話になっていく。
酷い時には話の切り口がやっぱあの漫画はもう駄目だなとかになっている。
とにかく皆とりあえず何かを批判したくてしょうがないという感じだ。
褒める時もココの伏線や考察に気づいた俺を褒めてくれよってオーラがビンビン出てるのを感じる。
今のオタクは自分が瞬間的に一段上に立つために創作物を利用してるだけのマウント中毒者の群れなんじゃないだろうか。
現実を忘れて創作に浸った余韻を楽しみたいだけなのにどうして現実の醜いなんちゃってカーストにまた引き戻されなければいけないんだろうか。
こんな気分になるぐらいなら感想なんて日記の隅にでも書くだけ書いてすっきりしたらそのまま人の意見なんて聞かないで終わりにした方がいいぐらいだ。
だけど自分が見つけられなかった考察ポイントの話には興味がある。
そういう建設的な話だけ出来る感想コミュニティはないものかね。
SNSで頑張ればそういうアカウントだけを集めるのは不可能じゃないけど、それだっていつの間にかやれソシャゲでレジェが出たぜウヒョーという話ばかりしてる状態になってしまう事をもう知っているので虚しくて何だかやる気が湧いてこない。
もしかしたらオタク同士感想を語り会うなんてのはもっと昔のインターネットなんて無かった時代の情報交換の手段に過ぎなくて、新しい映画の封が切られて10日もすれば詳しい考察がググってすぐ出る情報化社会には不要な物なのかも知れない。
映画『ズートピア』のニックとジュディのカップリング二次創作が流行する一方で
「恋愛関係にならないからいいのに」「友情だからいいのに」という声も多く聞く。
人種差別を暗喩した作品のキャラクターに対する「この二人は恋愛じゃないからいいのに」の残酷さ。
異性同士の恋愛を「異性愛至上主義」「ヘテロ至上主義」を「押し付けられている」と、そういう方向でしか捉えないフェミニストが昨今増えている。
インドならカースト制、日本ならいわゆる在日や部落差別の問題、障碍者のきょうだい児、
異性同士でも、法的には許されていても、周りの圧力によって結婚が難しい場合はいくらだってあります。
ズートピアが人種や民族、あるいは障害の問題を動物によって描いたのなら、他に配偶者がいる訳でもない成人同士の関係を「絶対に友情だ、恋愛になる事は100%ない」と断じてしまう事はそれはそれで問題ではないか。
現実の、一見自由に見える日本でさえ異性愛だってすべての点において歓迎されている訳ではなく
異性愛を何のわだかまりもなく翳りもない、一方的に押し付けられるだけの嗜好と考えるならばそれは無邪気に過ぎると思います。
だから監督は「未来については分からない」と言ったのだと思いますが。
公式に答えを求めるな、二次創作で楽しめ、と言いますが、そういう土壌を持たない普通のファンならば公式で回答を求めるのは自然な事に思える。ファンには「この二人に恋愛関係になって欲しい」という感想を出す権利はあると思うよ。制作側にはそれに応える義務がないだけで。
試しにジュディを「日本人」、ニックを「在日」で擬人化して考えてみるといい。「この二人でそういうの(恋愛)はありえない」という言葉の、何と残酷なことか。
だから「将来的にどうなるかは分かんないけどね。」というのが模範解答だと思うのです。
もう考えるなと言われたけど、考えないと何も出てきそうにないので。
ざーっと見返してみて、恐らくは「距離感の問題」、結局これだったのかという気がした。
世の中のオタクという奴はそんなに上手く現実と二次元を要領よく使い分けてるものだったのか。
「好きなエロゲは?」と聞かれて、ゆず作品、サガプラ作品、あかべぇ作品、さよ教、ゴアスク、好き好き大好き、辺りを答えて即、俄かゆとり認定されるようなのや、「オレ、ボカロ曲聞いてるからオタクかもwww」みたいな草生やしそうなのが今時のオタクだったのか。
(別にこれらを挙げることが悪いのではなく、これらを上げる人は得てして狭く浅い知見を以て「自分を重度のオタク」だと自称する法則を発動させる)
二次元をファッションの一つとして、自分を彩るアクセサリの一つとして、程よく緩く、ノリで「○○は俺の嫁」とか言うような連中にはなりたくなかったし、そうならないようにしてきたつもりだった。
が、一体どんなペースで新作やってんだっていう人も、長文レビューを書く人も、kanon問題を論じる人も、みんなみんな実は現実とのバランス、距離感、折り合いを処理していたというのか。
Twitter界隈はフォローするクラスタによって大きく空気も傾向も変わるから、たまたま自分の観測範囲がそういう人がいただけだろうなとしか思ってなかったけど、オフ会したり、風俗行ったり、幼馴染み(女)と電話トークしたり、といったのは割と当たり前だったということにもなるな。コミケの時なんて平然とチケ入場だし、コネがあれば入手なんてチョロいでしょw みたいにまで言われたし。オタクの中にでもカーストは厳然とあるよね。
結局、二次元とは足りない栄養を補うサプリメントだとでもいうのか。
きちんとした血肉を得ようと思うなら、全く別の主食も同時に貪るべきだったのか。
消費の中から何かを生み出し、残せた人は一体何を見付けたんだろう。今からでも、二次元でそれを見付けられたらいいなとは思う。魔法使いなら魔法使いらしく、せめてそのぐらいの奇跡は起こさせてほしい。
「承認欲求」という語もあったけど、これもまあ否定はできないと思う。
昇進は試験落ちが続いて同年代と比べて遅れた上に仕方なく合格にしてやると言われる(ヒラでなくなるだけだけなのに)、上司が退職することを職場で自分だけが知らなかった(同僚の口から聞いた)、自分の知らないところで案件が進んでる、と良い感じにここ数年、精神と存在理由を抉られてるのは決して良い傾向では無いと思う。
だからこそ、身辺整理して何か振り返ってみたくなったのかもしれない。気付きたくなかったことに気付いてしまったオチだけど。
確かにいますよねー、職場で配偶者や子の愚痴を言う人って。そんなに不満があるなら別れろよと思うけど実際別れる気は無いようなのでただの幸せ自慢でしょうか。ネットは広大ですから色んな人がいるのは当然ですが、やはり「そういう人もいる」ぐらいの情報となるのは御容赦くださいとしか。別に周囲の人間が全てではないけども、離婚者が大勢を占めるような集団組織ってあるのだろうか。
そんなこともあり、正直なところ三次元を知る人の説教は有り難くはあっても、海外旅行を満喫してきた近所のおばさんに「やっぱり家が一番ね!」と言われたような気分なわけです。
結局のところ、それもまた優越感があるが故のコメントなのではないか。なぜ劣等感は悪で、優越感は善なのか。
抉られた系について:
抉られたならその後の反応が一番知りたかった。
二次元から温もりを感じられない程度でしかないのが悪い系について:
消極的だけど実はコミュ力が高い不思議なヤツに高校生活を救われた話。
見た目はフツメン、中身はオタクで、障害物の多い場所や山道を走るのはやたら速いのにスポーツはできなくて、
授業は寝てるか好き勝手なことしかしてなくて、定期テストはそこそこなんだけど、
実力テストとか模試のときだけは毎回学年1位をとるっていう、ラノベかギャルゲの登場人物みたいなヤツが高校にいた。
そいつは成績以外にも色々と変わっていて、家が貧乏でまだケータイ持ってないとか、
雑草とか野生生物をとって食うらしいとか、カツアゲしてきた相手に逆に飯をおごってもらったとか、
中学の時に女子から告白されたけど、自分は恋愛に興味がないから特にデートとかしないし、自分が興味のあることだけするけどいい?って聞いて付き合って、
お互い処女童貞のまま相手を調教し倒してその娘を尻穴に目覚めさせただとか、色々と信じがたい噂が飛び交ってたから入学当初から結構目立っているヤツだった。
噂は色々あったけど、チビデブオタメガネでいつも通りスクールカーストダントツ最下層なプークスクスに塗れた灰色の高校生活を送ってた俺は、
とにかく4組に変わったヤツがいる、変人だけどなんか賢いらしいという程度の認識だったのだが、2年になってそいつと同じクラスになった。
たまたま席が近くになったそいつは、特に用事がなければ自分から誰かに話しかけるということは一切しないやつだった。
放っておくと朝のホームルームから寝たり起きたり数学の授業中になぜか地理の資料集を眺めたりラクガキしたりを繰り返すだけで下校時間を迎える。
自分からは話しかけないけど、1年の時から成績でも噂でも目立っていた影響か、妙に人望があるようで、
スクールカースト上位層の運動部やDQN、キャピキャピ女子から影キャラ、オタクに至るまで、いろんな奴が話しかけにきていた。
こちらから話しかけたのは多分興味本位で、他のオタクとそいつが俺の知ってるマンガの話をしてたのが聞こえたから、話しかけてみたんだったと思う。
話してみると、普通にオタトークで盛り上がれるし、頭の回転が早いのか話がおもしろいし、確かにちょっと変わってるけど特に害はない感じだった。
気が付いたら、自分の周りには他に数名を巻き込んでカースト下位層のオタクグループが自然と出来ていて、
運動部とかDQNグループとかのハデな感じは疲れると言って、彼も俺らのオタグループとつるむことが多くなっていた。
ただ、彼は他のオタクグループのメンバーと違って、クラス内の各グループすべてと消極的に関わりを持っていて、
どのグループからも声をかけられるような、ある種スクールカーストから解き放たれた存在だった。
俺たちのオタグループがいつも通りプークスクスロリコンプークスクスされている状況でも、
そいつだけは相変わらず自分からは何もしないけど色んな人からよく話しかけられるし、話しかけられれば本当に誰とでも気さくに話していた。
オタグループとつるんでいることをカースト上位層からからかわれたりもしていたけど、いつも適当に受け流していたようだ。
そのうち時々「あ、それだったらコイツの方が詳しいよ」と他の連中との会話をこっちに振ってきたりするようになって、
コミュ力のない俺たちは当然萎縮したりバタバタしたものの、俺たちとの会話に慣れたそいつのフォローもあって、
ダントツのカースト最下層として蔑みの対象だった俺たちオタグループは、他のクラスメイトともある程度会話ができるように段々なっていった。
気が付けば2年の夏休みに入るころには、ちょっとしたイジリやからかいの形でスクールカーストはまだ残っていたけれど、
少なくとも各グループ同士で嘲笑したり陰口を叩くような状況はクラスから一掃されていたように思う。
俺たちオタグループも、特に影キャラ女子グループと交流を深めて、漫画の貸し借りをしたりするようになった。
そのまま3年もクラス替えなしの持ちあがりだったので、クラス全体の仲は良く、いつの間にか周囲にカップルなんかも何組か誕生して、
高校生活の後半は、自力ではとても実現できなかったような、本当に奇跡的に快適で楽しい学校生活を送ることができた。
彼は話しかけられたら口を開く、特にどこにも属さないようなスタンスを崩さなかったし、
書いてないけど行動や言動には色々とエキセントリックな部分もあったけど、
確実に彼というイレギュラーな存在がいて、各グループの間を取り持ったからこそ、あのクラスはあれほどまとまったのだと思う。
彼は最後まで模試では学年1位をキープして、進学実績を作りたい教師陣から大学進学を強く勧められるも、「ゲーム作る方法覚える方が面白そうだから」と言って専門学校に進学していった。
電車で偶然会ったという友人から聞いた話では、そのままスムーズに有名なゲームメーカーに内定したという話らしい。
割と貧乏だったのは本当らしくて、当時でもクラスでほぼ全員が持ってたケータイを持ってなかったのと、
今は実家ごと引っ越してしまったらしくて、偶然エンカウントして就職情報を聞き出した前述の友人が連絡先を聞き忘れる大チョンボをやらかしたので、今は誰も連絡先がわからない。
今まで3回あった同窓会にも1度も呼べていないが、同窓会は毎回、自然とその場にいない彼の話題で持ちきりになる。
アイツ今、なにやってるのかなー。
すごく残酷なことを言うけど、男のスクールカーストよりも、女のスクールカーストの方が逆転が難しいのよね…。男の場合、得意なスポーツだったり、流行りのゲームだったりが巡り巡って「この時だけは頼りにされる」みたいなのがあるけど、女の場合それが…かなり減るのよね…うん
インターネットって結局はスクールカーストの延長にある世界だから男の場合は「時代が回ってくれば、カーストの上位に返り咲ける」ので、ネットという趣味に没頭できる。
でも、女の場合はそれが限りなくイバラの道でかつ、趣味ができても尊敬されないから、結局は港区のOLが勝つ。
女の子の不幸なところは、女同士で群れることをやめてカーストの外に出たとしても、男の輪の中で「女であること」を求められ続けること。
だから、女であること自体が苦手だった人にとって、男友達の輪に入ること、ネットなど男の多い趣味に入ることは現実逃避ではなく、現実の延長になってるわけだ
いや、言い方を厳密にするために分けると「女の子の割合が圧倒的に多いけど、マニアしかいないからコミュニケーションは限らなくとらなくていい趣味」に逃げるしか女の子が現実逃避する方法ってないんだけど…そんな趣味は男の俺から見るとほぼほぼ存在しないように見える。だから、しんどそう
前にも書いたけど、ブログの世界で、化けてかつ長続きしている女性の大半は外資系OLか、港区でOLしてる圧倒的強者。完全に現実逃避的にネットやって人気のある女性は、はしごたんぐらい?すこし範囲を広げても堀内みきさんぐらい。「女にとってネットは現実の延長」と僕が言う理由
すごく残酷なことを重ねると…少なくともネットのような男の多いところで、現実逃避的に女性がのめり込む・チヤホヤされる位置に行くのは無理。できても、茨の道。ネットは女性にとっては港区でOLできる人が勝つ世界。つまり現実の延長。それでも、勝とうとすると精神的リストカットに陥る
いや、的確な言い方に落としこむと「精神的売春」か?女であることを病んだ形で表現し続けないと評価されない(と思い込んだり、それでちやほやされた感覚、そういうイメージで呼び込んだ客から離れられない)状況はリスカというより売春か…
@tm2501 ごく一部の人間を当てはめて女性とひとくくりするのやめたほうがいい
@icy_camellia うーん…一応、4・5年ぐらいブログ関係を見てきた上での話ですね…。顔や声といったもっと性別がわかるものが見えてしまうとさらに「現実の延長」になると読んでますが…こっちはそもそも1つの文化が長く続いたりしてないから、「数」を調べにくいんですよ…
僕から見た、北条かやって、ネットが現実の延長だからしんどいという感じなんですよ…。社会学者路線できっちり線が引けたらよかったんですが、こじらせ女子として舞い戻ったり、ブログではオタク色を出したりしちゃったから…あれは「精神的に女を売ってるんだなぁ」と。…所感ですが
@tm2501 でしたらせめてネットというよりブログって言ったほうがよかったかも。あと似た性質の人やモノが集まるので大体はそれが全部ではないですしね。交流する分にはネトゲやらSNSもありますし、ネトゲもまあ病んでる人から普通の人からガチのOLまでいましたしねえ…
「ごく一部の人間を当てはめて女性とひとくくりするのやめたほうがいい」ってわざわざ問題点指摘されてるのに「僕はちゃんとやってるよ!」っていい返すの話咬み合わなくてすごい。
当時、大人も子供も、オカマは差別しても良いものだと思っていた。
それ故、おかまであることは恥ずかしい、愚か、欠陥品、劣っているものとして扱われた。
自分でもそう思っていた。そういう価値観を刷り込まれていたとも言えるだろう。
女性への欲情が理解できなかったので、女体を見て興奮するように練習もした。
現実から逃げたいからそう歪むのかと考え、部活も勉強も励み、大学受験でもまあまあの成功を収めた。
モテない男が、性的カースト底辺の立場から逃げたいから、女性になろうとする心理かとも疑った。
駅まで彼女を送り届けた後、申し訳ないと思いつつも唾を何度も吐いた。帰宅してからは何度も手を洗った。
この辺りは能町みね子先生の本に記載されている感覚と似ているかもしれない。
だが、男性が好きとうわけではなく、ゲイになることはおぞましく感じていた。
それよりも、女性でない不当さを呪って生きていたという方が正確だ。
小さい頃から、寝る前は女の子としての生活を妄想し続けてきた。
当然、オカマには定番だが、母親の服や化粧品を隠れて使用し、その度に鏡に映る不細工な男の子に何度も憤りを感じた。
中学に入ると、160cmより背が伸びなかったらニューハーフになろうと思っていた。
超えてしまったときは悲しかったが、一方で虐げられる立場から逃れてほっとした気持ちもあった。
その頃ちょうど、ドラマ金八先生で性同一性障害が取り上げられた。
家族に悟られてはいけないと、興味なさげに振る舞ったが、何度も何度も見た。
女になりたい男の子が出てきたとき、私は正直、気持ち悪いと思った。
ああ、これが世間の反応なのだろう。田舎では家族に迷惑をかけるし、容姿レベルも並以下な自分はやはりなるべきではない。
そう心に誓った。
ある日、研究室で同輩に訊かれた。
「プライベート、何してるの」
私ははっとした。
暇さえあれば、いつも鏡をみていた。
女性的ではないパーツ、見え方、骨格などを何度もチェックしていた。
何千回も見ているので、わかってはいるのだが、ついつい確認してしまう。
鏡の前で6時間くらい過ぎていることもあった。
そこで初めて病的だと気付いたのだ。
なんとかしたかったから精神科にも行き、LGBTの方にも複数会い、ニューハーフとして働いてもみた。
いろんな人がいたし、いろんな経験もできた。
総括して分かったことは、残酷だが容姿が大切であるということだ。
完成されていれば女性として扱われるし、嫌悪感も少なく、自分でもある程度は受け入れられる。
未完成ならばその逆。
この時点で、不細工で大きなパーツを擁した顔である私は、この苦しみから解放されることはないと悟った。
正直、整形手術でそこまで変化はないことは、同僚を見て知っていた。
でも、どうせ死ぬなら。
そうして、私は5度の整形手術を受けた。
想像以上に辛く、ストレスで髪の毛も抜け、体重も6kgほど痩せた。
鏡に映った、お金と時間を失った髪の長いおじさんを見て、「やっぱりね」とつぶやいた。
予防線を張ることができていたという、ちっぽけな自己肯定で、ショックを和らげてみた。
完成品を受け入れた後、これ以上の対抗策が無い絶望と、選ばれなかったという事実に、私は腹をくくるしかないと考えた。
自分にまとわりついたオカマという呪いを解くための唯一の手段。
育ててくれた両親や、支えてくれた友人や兄弟には感謝と申し訳なさでいっぱいだ。が、
私はこれ以上同じ苦しみに縛られ続けるのに疲れてしまったのだ。
二人とも勉強はできたし、かなり見目が良くて芸術学部のモデルバイトをしたりしてよくつるんでいた。
イケメンにはYさんって言う彼女が居て、Yさんが告白して来たので便器代わりに2年ほど付き合っている状態。
12月頃、イケメンが元々好きだったが断られていたAさんと浮気して付き合う事に、そしてYさんは捨てられた。
普通ならイケメン大勝利、イケメンだから仕方無いってなるじゃん?
次の日からイケメンは総シカトされ始め、教授にも何をしたかしっかり報告されていて煙たがられ始めた。
その時思ったんだ、イケメンと美人だと美人の方がカーストが上なんだなと。
インターネットよ、これがはてなだ!! / 他1コメント https://t.co/yBghiwrmcX “ぼくが好きなはてなブロガーで打順を組んだから、打線に名前を名づけて欲しい - かくいう私も青二才でね” https://t.co/e4Y5K74Jh4— 三沢文也@こっちは本気で遊んでるんだ! (@tm2501) 2016, 2月 15
「青二才がホットエントリー入りした日に限ってホットエントリーが面白い法則」がここ3回連続で発動してる。…何?俺が本気出した日に限ってみんな面白い事するのやめようよww普段ネットウォッチしているときはつまんねーくせに!!— 三沢文也@こっちは本気で遊んでるんだ! (@tm2501) 2016, 2月 15
僕も誤字脱字は多い方(だから、もう面白い誤字をいじってもらうぐらいにまで開き直ってる立場)ではありますが、テキストが少ない・短いのに誤字をやってると「やる気あんの?」とは感じるときはあります。 https://t.co/LgmlXbw3SL— 三沢文也@こっちは本気で遊んでるんだ! (@tm2501) 2016, 2月 15
なんか、ライトノベルの女の子が本質的に(設定上はヤンキーとかお嬢様であったとしても、性格的には)メンヘラビッチなのは、オタク男がメンヘラビッチ大好きなのと、リア充でカースト高い女の子はオタクから優しくされても好きになったり、嬉しくないからだってことに気づいて「Oh…」ってなった— 三沢文也@こっちは本気で遊んでるんだ! (@tm2501) 2016, 2月 16
一つ一つ製本され、図書室に所蔵される。
今日も私は図書室に向かった。
どうせ学部4年生程度の論文じゃ誰も読まないし、毎日通っている私は端から見たらヘンな人かもしれない。
でも、そこにはあの人の卒論が眠っている。
私と彼は出身が同じで、入学当初はローカルな話題ができるのがお互い嬉しくて、すぐに仲良くなった。
でも、彼は私と違って、友人が多くスポーツも万能で、そのくせ成績は学科でもトップクラス。
入学当初はともかく、夏休み前くらいになると、自分がいるべきカーストというものを皆が認識し出すようになる。
私と彼も例外ではなく互いに疎遠になってしまったけど、私は今でも片想いを続けている。
この50数ページの文章を、彼がどれだけ頑張って書いたのか想像すると、不謹慎ながら興奮してしまう。
少し罪悪感というか、恥ずかしさを感じながらも、やっぱり彼の卒論を手に取ってしまうのをやめられない。
一文字一文字を彼がどれだけ悩んで、苦しみ、考え抜いて書いたのか。
そういうことを考えると、もう死語かもしれないけど「ラブレター」なんかよりもずっと胸が高鳴ってしまう。
この一冊がまるで私のためだけに書かれたような気がして、今すぐにでも持って帰りたいくらいだ。
でも、所詮は紙切れ。
いいかげん、この生活から抜け出して、卒業式までに想いを伝えたいけど、なかなか勇気が出ない。
誰かに背中を押してほしい。
世の中には「コミュ勢」とでも言うべき層がいる。
「コミュニケーションが一般人がもてる最大の価値である」、「コミュニケーションを通じて自分の認識の正しさを再確認したい」、「コミュニケーションを通じて自己表現や自分の価値を発信したい」、「コミュニケーションを通じたコミュ内のカーストゲームが人生そのものである」といったような思想、信条を持つ人。
そして、その数や割合はびっくりするほど多い。
かといってこの「コミュ勢」のコミュニケーション能力が高いということはなく、どうも、その能力とは無関係らしい。思想、心情なので当たり前といえば当たり前だけど。
問題は、この「コミュ勢」というのが、社会的にも自己認識的にも、言語化されてなく認識されていないところだ。
例えば、適当な最近流行りのアニメのファンコミュを覗いてみると、半数以上が「コミュ勢」だということも少なくないように思う。
「作品Aが好きなので見ているだけで利益だ」という人間と、「作品Aについて語るというコミュニケーションで何か利益を得る」という人間は、全く別の人種なのだ。
後者はコミュニケーションの中で、自分の有能さを確認したり、ブームとの一体感を得ようとしたり、孤独を埋めようとしているのであって、作品Aそのものは、後者の中で重要ではない(重要だと本人が思い込んでいることは、往々にしてありうる)。
前者の価値観で言うと、作品を生み出したクリエイターは、自分が夢中になれる宝物を生み出してくれたので、リスペクトの対象だ。
しかし、後者の価値観で言うと、雑談のネタを作り出してるだけなので、消費対象であって、リスペクトの対象ではない。極端な話、名作映画も、ベッキーの離婚話も等価だ。その話題に注目する集団(コミュ)が発生して、そこで(擬似的にでも)会話ができればそれで良いのだから。
ぶっちゃけ、今の時代「ヲタク」だと自己認識してたり世間から言われている層の、過半数が、後者の「コミュ勢」なのじゃないか?
思うに「リア充」と呼ばれる人たちあるいは「マイルドヤンキー」と呼ばれる人たちは、「コミュ勢」である自覚があるし、自認もしている。彼らは生活の中でいろんなイベントがあるけれど、たとえばカラオケに行ってもバーベキューにいっても、それそのものが、一番大事なことだとは思っていない。「そこへ誰と言ってどういう関わりを持つかが大事」だと認識しているし、公言している。
そういった彼らの態度は、たとえば「本物のバーベキューファン」からすれば、「バーベキュー蔑視」「にわか」みたいに否定されるかもしれないけれど、でもそれは、彼らリア充マイルドヤンキーの思想信条や普段の言動とは矛盾してない。彼らは最初から「ダチが大事だし、良いダチがいれば何しても楽しい」と言ってるわけだからだ。なので、その点に関して、彼らは誠実であると思う。
一方、オタクコミュで後者が忌避されるのは、彼らが彼ら自身を「コミュ勢」だと認めない点にある。彼らはコミュ参加の手法として「作品ファン」「サブカルファン」を装う。
自己批判も含んで告解するけれど、リア充もしくはマイルドヤンキー的な生き方というのは、増田では馬鹿にされるけれど、それはそれで大変だと思う。彼らは「語るテーマやいっしょにする遊びそのものではなく、誰(=友達)といっしょにするかが重要だ」というスタイルを持っている。それは逆にすれば、語る内容や一緒に過ごす遊びそのものの魅力と切り離して、自分の友人や人間関係を維持する宣言だからだ。つまり俺(の人間的魅力と気遣い)とお前(の人間的魅力と気遣い)で、俺とお前の関係を構築維持する、ということであって――それってかなり偉業じゃないだろうか? 少なくとも自分は趣味というコアを除去して友人関係を維持するというのは負担が大きいと感じる。
非常に露悪的に表現するならば、Webのオタク界隈で暴れている「コミュ勢」などというものは、「コミュで他人と関わることが至上だと考えているくせに、リア充グループに入れなかった落ちこぼれ」「ヲタク界隈でだったらマウントできると勘違いした自意識が肥大した無能」であるとすら言えると思う。
そういった考えを元に展開すると、「にわか」という罵倒語の存在は、ある作品のコミュにおいて、コミュ勢とコミュ勢の勢力争いとして生まれるように思われる。「このコミュは俺が先に目をつけて縄張りにした場所(作品愛とは無関係)なのだから、あとから参入してきたお前らはおとなしく俺の下につけ」的な話なのだろう。
一方、ただ作品を愛してるだけの人にとっては「作品を愛し鑑賞するという価値観以外を持って、コミュから利益を得ようとするなよ」としか、その手の騒ぎにたいして思いをモテない。
もうすぐ26歳。
ばかにされたりからかわれるのが嫌で恥ずかしくて普通でいる事ができなかった。
高校に入ると男子に対して表面的には無になった。近寄らないことを選んだ。
いけてる男子は乱暴だし、バカだし、油断すると傷つけてくるのでとにかく怖かった。
でも、確かに憧れもあった。それに近づく権利のない自分が嫌だった。
そのときは恋への憧れと、男性ってこんなもんだろうと思っていた。
その後、何人かとなんだかんだで別れ、
25歳でダイエットした。
男性がやや引いてるのがわかった。
引いてるっていうか、私がつきあってきたインドアタイプの人に近づこうとしたら、
なんか最初気を使われるっていうか。それで、こういうのいいですよねーとか、いうと、ぱっと表情が明るくなる。
でなんだかんで年上の人とつきあって。似合うといわれるがままに美人百花系の服をきてみたら、
以外と似合う自分がいて。
ものすごくちやほやしてくれるので戸惑って。
面白いとおもって行ったジョークをそんな汚い言葉使いといやがられて。
ああ見た目がかわいくなるということは
いままで努力してなかった内面とのギャップがでる事でもあるのかと思い
綺麗になるぞ!ってやる気とか
いままでのがつがつした感じがなくなって
全くいないわけではないが、多いとは言えない。
なぜこうなったかぼーっと考えていたら、ある一つのことがわかった。
僕に友達が少ないのは、「LINEで返事を返さない奴」が苦手で、無意識のうちにそういう奴から距離をおいていたからだ。
くだらない会話だったら、途中で返事が来なくなっても構わない。
既読して、返事が数日後になっても構わない。
でもすごく気になるのが、挨拶程度の返事ができないやつだ。
例えば以下
①テスト前授業の内容についてラインくる→教えてあげる→返事なし
③着信あり→どうした?→返事なし
こんな奴が多すぎる。
こちらからアクション起こして無視されるのなら別にいい。嫌われてるか、めんどくさがられてるだけだろう。
でも俺が言いたいのは向こうからアクションを起こしてきた際の返事。
①は論外。聞いてきて、教えてあげたにもかかわらずありがとうの一言も無い。
尊敬しろ!敬え!感謝しろ!とまでは言わないが、最後に一言もらって綺麗にコミュニケーションを完結させたいんだこっちは。
②、③も、誘いにのれなかったり着信取れなかったことは悪いが、スタンプ1つでいいから返事くらいほしい。
返事することが当たり前だと思っていた自分はショックだった。なんでこんな当たり前のこともできないんだコイツ等は、なんて思っていた。
そんなことを考え始めると、こっちからは連絡とる気にはならなくなったし、誘いも断ることが多くなった。
俺は確かに見た目も趣味も性格もぱっとしないし、リア充からしたら「冴えない奴」だろう。
カースト的に下に見られてもいい。こんな俺なんかと仲良くしてくれて嬉しいと思う。
ただめんどくさいのか侮蔑しているのか分からないが、そんな人間性がクソミソのやつとは関わりたくない。
以上。スッキリした!じゃあなクソミソ!
女を、「○○ちゃん」と呼ぶのがスタンダードだったり。
あるいは、会話→会話の中で趣味→じゃあ一緒見に行こうよ。こういう風に、デートとか好きだとか言わずにお互いの相性チェックがサクサクなされる。
顔担当、金担当、行動力担当など、分野別に女を狩る集団プレイ。
リア充のこういう『ルール』ってのは、理屈抜きで成立してるから、考えてもこういうアプローチをしようとはならない。
目の前でやられて、それを女が受けいれるっていうのが成立すればそれがルールになる。
そうやって積み重ねられたリア充特有ルールは、リア充だけの中で共有されている。
で、女を手に入れられるのがリア充の特権だから、リア充が男の社会でのスタンダードなトップカーストになる。
リア充の態度ってのは人工的なものだし、女がそれを受け入れるもんだから、普通の男はやる気がなくなる。
リア充の態度ってのも、そういう生活様式を続けるにはエネルギーや金が必要となり、そんなことにかまけていたら普通の社会生活や勉強など無理になる。
だからこそ、リア充はアホらしいんだけど。リア充がトップカーストになり、礼賛されるから、アホらしい。
なんというか。普通の男からしてみれば、リア充って、ある種の機械にしか見えない。
女を口説いてくるマシーン。女なんか口説いても世の中なんも良くならないんだが、生存競争に必要だから、リア充を立てないといけない。
そして、そんな無意味なヤリチン文化を、女が肯定するから、女叩きや非婚化になるんでしょうって思う。