映画『ズートピア』のニックとジュディのカップリング二次創作が流行する一方で
「恋愛関係にならないからいいのに」「友情だからいいのに」という声も多く聞く。
人種差別を暗喩した作品のキャラクターに対する「この二人は恋愛じゃないからいいのに」の残酷さ。
異性同士の恋愛を「異性愛至上主義」「ヘテロ至上主義」を「押し付けられている」と、そういう方向でしか捉えないフェミニストが昨今増えている。
インドならカースト制、日本ならいわゆる在日や部落差別の問題、障碍者のきょうだい児、
異性同士でも、法的には許されていても、周りの圧力によって結婚が難しい場合はいくらだってあります。
ズートピアが人種や民族、あるいは障害の問題を動物によって描いたのなら、他に配偶者がいる訳でもない成人同士の関係を「絶対に友情だ、恋愛になる事は100%ない」と断じてしまう事はそれはそれで問題ではないか。
現実の、一見自由に見える日本でさえ異性愛だってすべての点において歓迎されている訳ではなく
異性愛を何のわだかまりもなく翳りもない、一方的に押し付けられるだけの嗜好と考えるならばそれは無邪気に過ぎると思います。
だから監督は「未来については分からない」と言ったのだと思いますが。
公式に答えを求めるな、二次創作で楽しめ、と言いますが、そういう土壌を持たない普通のファンならば公式で回答を求めるのは自然な事に思える。ファンには「この二人に恋愛関係になって欲しい」という感想を出す権利はあると思うよ。制作側にはそれに応える義務がないだけで。
試しにジュディを「日本人」、ニックを「在日」で擬人化して考えてみるといい。「この二人でそういうの(恋愛)はありえない」という言葉の、何と残酷なことか。
だから「将来的にどうなるかは分かんないけどね。」というのが模範解答だと思うのです。