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はてなキーワード: 集合体とは

2019-04-05

anond:20190404001250

うーむ。ひどいねぇ。

大変だったねお疲れさま。

ところで JAXA ってちっちゃな研究室集合体だよね?

他の研究開発法人を見てきた個人的経験から言うとそんな変なヒエラルキーができるとは思えないんだよな。ひょっとしてパワハラしているのは特定の人たちじゃない?

企業の人に対してパワハラできる人は誰だろうね?たとえば入札に関わる人とかかな。

http://www.jaxa.jp/about/compliance/index_j.html

とりあえずここに匿名でチクると良いとおもう。言いにくいなら第3者のふりをしてメールを書くとかでも良いと思う。

「Aさんが増田さんに XX という暴言を吐いているのをみかけました」みたいなかんじで。

証言はたくさんあった方が良いと思うのでパワハラにあったみんなで通報するといいんじゃないかな。

多分そんなに大ごとにはならないとおもうよ。JAXAじゃないけど私の見聞きした似たようなケースではパワハラマンが入札に関わらなくなるとか、ちょっと大人しくなるとか、まあそんなかんじ。

資料見ると毎年10件弱の相談があるみたいね

というかさ、「パワハラアカハラ研究不正を見つけたらSNS拡散する前にまず通報しましょう」ってコンプライアンス教育の e-larging でやらなかった?

あ。企業の人はやってないのか。それなら知らなくてもしょうがないよね。

SNS炎上すると気持ちいいけど何も変わらないのよ。パワハラマンどうにかするにはとにかく証拠証言大事暴言メールとか大事に保存しとこ。

炎上による研究者の自浄作用を期待するのはたぶん無駄よ。研究者はみんな立場が同等なので「あいおかしい」と思ってもクビにできないし叱ることもできない。

内部/外部からの指摘がないと動けないのでまあ、誰かを助けると思って通報してみると良いと思う。

パワハラアカハラ宇宙だけではなくてどの分野でも問題になっているか安心してね(?)

いや、安心できないよね。あかんよなぁ。

もし研究所全体でパワハラがあるというならごめんね。そんなケースはみたことないので何も助言できないわ。

とにかくがんばれ。いのちだいじに!

ところで JAXA のページめっちゃ見にくいな。コンプライアンス室や内部監査室探すのかなり苦労したわ。

研究者向けはここね。自分のためにメモっとくわ。

http://www.isas.jaxa.jp/researchers/

2019-03-11

anond:20190311204932

客を集合体だと思っているのか

誰かがやらかしたのだから連帯責任だと

お前は1人でも、客は複数いてそれぞれ違う人だ

友人だって、Aさんが約束を破ってもBさんまでそうだと思わないだろう?同じことだ。

2019-03-10

anond:20190310091705

抽象的な観点においては引用文で十分に説明されているので

「問」は具体例を挙げた説明を要するもの解釈して説明していく。

パソコンとは何か?

還元主義階層論では、CPUメモリHDD等のパソコン部品がそれぞれパソコンの一部と捉えて、

そう言った部品集合体と捉える。このようなパソコン部品に分解していってもそれはあくま

パソコンの一部だと捉えるのが還元主義である

だが、半導体1個、抵抗1個を「これはパソコンの一部です」と言えるだろうか?

全体主義階層論ではそう言った部品一つ一つはパソコンではなく、各部品が集合して電子信号等を

やり取りする、つまり部品間で関係性を持つ事によって初めてこれはパソコンであると捉えている。

例えばパソコンから電源なりCPUなりを1つ取り外せばパソコンは起動しなくなるだろうが、

それはもはやパソコンではないと捉えるのが全体主義である

構造主義階層論でもバラバラのパーツはパソコンではないと捉える点では全体主義階層論に似ている。

では両者の差異は何か。

全体主義階層論ではパソコンCPUメモリHDD等のパーツからなり、HDDはネジ、ベアリング

モーター等のパーツからなり、ベアリング金属やグリス、ゴム等のパーツからなると全てにおいて

同じ論理によって構成されると捉えている。

一方構造主義階層論では例えばパソコンは各パーツ差し込んで組み立てれば完成するけどベアリングは各パーツで加工を

しなければ完成しないから同じ論理を持ちだすのは間違いであると考える(構造列の相違による不連続)。

また、HDDCPUでも組み立て等の製造方法は違うので同一視できないと考える(構造の相違による不連続)。

具体例を挙げての説明なので一側面を示したものではあるが、以上が三者の違いである。

2019-03-02

anond:20190227223149

科学は、明証性、分析総合枚挙を持つものからなした知識集合体デカルト提唱

これは、それ以前の宗教、すなわち「誰かが正しいと言ったから正しい」が根拠が不完全であり、それが良くないと生まれた。

医学科学である以上、すでに明証性や分析が様々な手段で確保できたものだけを取り扱う。

だが、明証性や、分析が成り立ちづらいものはまだまだ多い。1つは体内、1つは社会、1つは人間関係

そこは宗教であり、また仮説であるものを参考に自分自身判断で見極めないとならない。

で、うつは、脳の過重疲労だと思ってる。とすると、その個人がもってる過重疲労から開放されないとならない。

結局、どういう手段で過重疲労から開放されるか、思考自動操縦状態から開放されるかは本人次第と、社会サポート次第だからな。

問題解決は、解決のために努力するか、逃げるかの2つだ。

だけど、過重疲労状態ではもう努力はできないから、いか問題から逃げて切って忘れるかだけだ。

それはまず問題から逃げて、問題を切るのは第一だ。だけど、自分の頭の自動操縦状態をどうやって止めて、問題を忘れるかは自分自身問題にならざるをえない。

薬も、結局その「忘れること」などの感情面を抑えるサポートしか無いよ。

都市伝説習合について

Momo challenge」というものにわかに出てきたので。

結局はフェイクニュースだったらしいけれど、まあ都市伝説らしいなぁと。


Momo challenge」はアプリだったり、動画サイトで閲覧している所に突然登場する。

最初の画面ではひきつった女性の顔(実際はアート作品不正使用なのだが)が出てきて、指令を表示する。

それで、その指令を聞かないとひどいことが起きるだの、答えても指令がどんどん過激になるだの……そういった概略になっている。

何故話題になったかは時の運だとは思うけれど、非常に都市伝説のある特性を有した作品ではあるなぁと思う。

その性質とは、都市伝説習合である


そもそも都市伝説というのは、人々の噂の集合体である

様々な媒体を介して、話に尾ひれがつき拡大解釈が行われたり、ものによっては意図的改竄すら行われつつ、それらは拡散されていく。

一方で淘汰された都市伝説は、大半は消滅するが、残りの半数くらいは性質のみが抽出される。

そして、それらを掛け合わせて新しい都市伝説魔改造されるか、既存都市伝説に上書きされて「習合」していくのだ。

例えばかの「怪人赤マント」は、「赤い紙 青い紙」の選択/即死性と、「口裂け女」の行動範囲習合してできた都市伝説である

現代でも、八尺様が山女や悪皿の性質を有していたり、こっくりさんお稲荷様が同一視されていたり。

神仏習合……とはいかないまでも、数多くの都市伝説が合わさり、進化をしているわけである


さて、件の「Momo challenge」であるが、これの元ネタ実在のものであるが「青い鯨」だろう。

詳細は最近ジャンプで似たものを扱っていた漫画もあることだし割愛する。

ここに、本家にはない「指令を聞かないとひどいことが起きる」という都市伝説特有ルールを破ることに対する懲罰性が加わった。

動画サイトを介する」部分は貞子をはじめとする近代ホラーの一要素だし、「突発的なポップアップ」は「赤い部屋」の性質である

また動画サイトの方では一方的な通告のみを行うため、「件」の性質も含んでいるのかもしれない。

この様に性質を分解してみると非常にパッチワークされて作られた都市伝説であることが分かる。


ここまで顕著に多作品が継ぎ接ぎされた都市伝説はあまり例がないため、習合が多い都市伝説の中でも貴重なサンプルケースである

今後もこのような習合性を活かした作品が洗練され、新たな都市伝説へのブレイクスルーに繋がっていくことを楽しみにするばかりである

2019-02-26

「本筋が進まないシナリオ世界干渉できないキャラクター」は何が面白いのか?と悩んだ話

 さて、私事ではあるが、私はひょんな事から知人の紹介を以て物書きとして仕事をすることになってしまった。

同人小説の一つも書いたことはなく、詩を紡いだこともないズブの素人が物書きとなってしまったのだから、これは一大事である

世の中に生々しい悪臭を漂わせるクソのような文章を生み出すに違いない。同業の諸先輩方には申し訳のしようもないが、生きていくためには書いてみるしかないようだから、一つ堪忍していただきたい。

具体的に何を書いているのかという話だが、主にソシャゲシナリオフレーバーテキスト仕事をしている。

シナリオ新規追加キャラクターに付帯する「ガチャを回したくなるようなストーリー」であり、フレーバーテキストとはアイテムキャラ説明文といった類のものである

自他ともに認めるズブの素人であるから面白いストーリーも売れるキャラクターも分からずに右往左往している私の論は大変滑稽であると思うが、思考を整理しながら意見を頂きつつ、私のような後進があった時の手がかりになればという考えでタイピングしているのでご容赦願いたい。

物申したい訳ではなくて、自らの認識と世の中の齟齬を確かめつつ、様々な意見に触れられれば良いと考えた訳である

■私が考えた「物語」の面白さとはなにか?

 物書きとしてスーリーを生み出す以上、面白いと思われる作品を作らねばならない。

しかし、困ったことに今までの人生面白いものを作ろうとして作ったことはない。作りたいから作った絵や模型は少々あれど、人にウケる事を目的とした作品を作ったことは全く無い。これでは何を良しとすれば宜しいのかが分からない。

初っ端から大きな壁にぶち当たり、困り果ててしまった私は「ここはひとつ自分が好む『面白さ』を分析し、自分と同じ感性人間ウケる物を作ることから始めよう」と考えた訳である

そのために、まずは自分が好きな作品リストアップしてみようと思い立った。

そうして思いつくままに好きな作品リストアップしてみた訳だが、どうやら具体的なことは何も分かりそうにない。 困った困った。

(例として『攻殻機動隊』『エヴァンゲリオン』『松本零士戦場まんがシリーズ』『姉なるもの』『装甲悪鬼村正』『DARKER THAN BLACK』『Fate/stay night』『イヴの時間』『カウボーイビバップ』『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』『殻ノ少女』『ARIA』などが浮かんだ)

パッと見で抱く第一感は、大抵の作品には何処か仄暗さがある事、ハーレム物ではない事(Fateハーレムに近いが)が共通であるという事ぐらいだろうか。

一見明るく見えるARIAだって地球の海はすでに人の泳げない環境になっており、テラフォーミングされた火星の海で人が営む話だし、その他の作品主人公格のキャラが暗い過去を背負っていたり、あるいは直面している状況が暗かったりする。)

あとは私が「根暗で面倒くさいタイプオタク」のような何かであることぐらいは分かるのかも知れない。

本筋に戻るが、素人なりにこれらの作品を嗜好する人間が好む『面白さ』とは「その世界キャラクターを通して知ること」ではないかと私は考えた。

例えば草薙素子メスゴリラではなくか弱い少女であっても、碇シンジが熱血爽やか少年であっても、私は攻殻機動隊エヴァが好きだっただろう。

なぜなら彼らがどのような性格や外見であっても、あるいは登場せずとも、世界設定が同じならだいたい同じように世界は動くだろう。

極論を言えば草薙素子がか弱い乙女であり公安9課に勤めていなくとも人は義体化し続けてゆくし、あるいは碇シンジが初号機に乗れと言われた時点で超ノリノリであっても、最初に戦う第三使徒サキエルにはコテンパンにされ、進化し続ける使徒を食い止めきれずにサードインパクトを迎えるだろう。

キャラ性格や外見がウケなくとも物語は進行し、あるいは登場せずともその役目は別の人物担当して物語は収まるべきところに収まる。なぜならその世界はそういうニーズを抱えて生まれからだ。

しかしそれではつまらいから、面白く見える視点を借り受けることで、物語は娯楽作品として成り立たせることが可能になる。

結論として、私は「キャラクターとは世界観に内包される1つの要素であって、世界の覗き穴でしかない」という考えに至った。

しかしこれを知人に語ったところ、「世界キャラクター内包されている」という返答を得て混乱することになり、こじらせ続けた結果としてこの日記を書くに至ったのである

■「キャラクター内包される世界」に触れて

 まず私は混乱を与えた知人に「なぜ世界キャラクター内包されるのか?」と問いかけてみた。

すると彼は「大塚英志を読みなさい」と言うので、彼が勧める「物語消費論改」に目を通し、今の私にうってつけの本のように思えた「キャラクター小説の書き方」も読んでみた。

大塚英志の書く文章客観的エビデンスを示す事よりも、一つの前提を提示した上で理論を展開する事に重きを置いているように思え、彼の取る左翼的立場(いわゆる大多数の革新派とは別物との自覚があるのか、自身は『サヨク』と表記するが)が突如乱入して辟易する事もあり、中々体力の必要な内容であったが、ひとまず読み切った。

彼の書き込んだ政治的ノイズと、理論展開をしたかっただけの文章フィルターに掛けながら読んでいくと、どうやら物語というのはキャラクターがいないと生まれないものらしい。

キャラクターが初めに存在し、ストーリーを作る中で世界が見えてくるのだという。

なるほど、確かに何かしらのネタがなければ物語は書けないし、世界描写することができないように思える。

しかし、どうも私には納得がいかなかった。

例えば年齢や性別を設定されたA子さんというキャラクターけがそこにいて、世界観がなかった場合はどうだろうか。

この場合、A子さんに生まれるのは虚無の中に放り出されたと言う事実だけである

もし、その「『何もない世界』を受けてA子さんが得た情動こそが物語である」というのならば、それは虚無と言う世界観がないと成り立たないのではないか

逆に、例えば「中世風の世界」があったとしよう。登場するキャラクターの設定は何もない。

中世風の世界といえば、人の頭の中には剣戟や鎧がたてる金属音や、あるいはそこで生活する人々が桶を片手に井戸に水を汲みに行く姿などを思い浮かべるだろう。

そして、多くの人は中世と言われただけで頭の中にヨーロッパ景色か、日本中世を思い浮かべたのではないか

あたり前のことだが世界観には内包する事物があり、事物には経緯がつきまとうものである

世界観を定めたことで、これらの自然な在り方の幅が定まり人物も含めて存在する範囲が決定される。

たとえ時間が静止していても、大木には新芽から育った歴史があり、水すらも水素2つと酸素が結合したという経緯が発生する。

私はこれらの変化こそが物語なのではないかと考えているのである

即ち、その世界で起こった変化を拾い上げた時に、初めて事物キャラクター化すると考えているが故に、私はキャラクター世界内包されるという考えが捨てきれない。

そして、物語の本筋というのは、それらの小さな変化全ての集合体であり、世界観そのものストーリーであると考えてしまっているのだ。

うーん…困った…。なんでキャラクター世界内包されるのだろうか。

A子さんの主観から書いた物こそが物語であり、A子さんの認知した物こそが世界である定義するのだろうか?わからん

うーんこまった。うんこまった。

なぜ困っているのかは次項で触れよう。

ガチャを回させるために、物語を捻り出すソーシャルゲーム性質に触れて

 さて、ようやく本記事タイトルに近づく事が叶う。

上記の様に「世界キャラ内包されている」と考えている私が、物書きとして初めて書くことになった物語ソーシャルゲームに追加される新キャライベントストーリーだった。

この仕事キモは、有料のクジ引きでプレイヤーが獲得できる新キャラプレイヤーに対して強烈に売り込むことである

具体的には運営会社が考えるキャラクターの「良さ」を引き立てるためのお話を一本仕上げるのだ。

ここで私は早くも躓いた。

何故ならソーシャルゲームにはベースとなる世界観があり、主要キャラはすでに出揃っており、本筋の進行に何ら問題のない所に、いきなり「強烈な売り込み」を必要とするキャラが登場してしまうからである

本筋の話に必要のないキャラクターを、いかにも重大で必要な魅力を持っているかのように持て囃し、そのために何かしらの話を世界観という大地から発掘して、プレイヤーの周りに再配置する作業となる。

そして、運営としては本筋に明確な終わりを与えてしまうとプレイヤーが離れてしまうから、本筋だけを避けて大地を穴ぼこだらけにしながら不要物ばかりが増え続けていき、やがてはプレイヤーの周りに綺麗にそびえ立つ「本当はどうでもいいキャラ」の山が本筋を隠してしまう。

これは、私の「世界内包されたキャラクター」の考え方だと避けて通ることは叶わない結果のように思える。

しかし、「キャラクター内包された世界」という考え方であれば、大地の形は定まっていないので、きっとプレイヤーの周りに何処からともなく取り出した土を積んでゆく作業となるだろうから、なるほど確かにそちらの方がソーシャルゲームに向いている。

ただし「どこからその土(物語)を持ってきたんだよ」という疑問とともに、「別にその土がなくてもこの世界存在しているし、その山は不要じゃない?」という感想を得る私のような面倒な者も少々発生するだろう。

「要・不要しか語れない虚しい奴め」と言われればそれまでだが、こちらとしてはいきなりステーキか、或いはさわやかハンバーグでも良いが、兎も角ステーキハウスで3000円のステーキを注文したら、鉄板の上にステーキを覆い隠さんほどのミックスベジタブルを乗せられた心持ちなのである

いきなりステーキ店員としても、ステーキが主役なのに上役の指示でステーキを切り捨ててでもミックスベジタブルを山程ぶち撒けろと言われて途方に暮れててしまうだろう。ステーキの前でアホ面を晒しミックスベジタブルを握りしめている店員こそが私なのである

私は本筋を覆い隠さんほどのサブキャラを並べるという在り方は、本筋へたどり着かせない為だけの行為しか思えず、ベースとなる世界観にガチャの新キャラを紐づけていく意義を上手く見いだせなかったのだ。

前項で困っていたのはこの点であって、物語キャラクター内包されているのであれば私の考えが間違っているだけなのだが、どうやら一応理屈は通っているように思えてしまっている。

この矛盾放置するべきではないだろうが、結論は見えない。

え?意義はお金を稼ぐ事だし、キャラ理由なく存在していてもいいじゃないかって?

まあその通りなんだけどさ…青臭くってウブな駆け出しとしては、ちゃん物語を進めたいわけよ…

え?面白ければ本筋がどーこーはどうでもいい?

それも最もな話よ…だけど、面白いって何さ?

■「本筋が進まないシナリオ世界干渉できないキャラクター」は何が面白いのか?

 ようやっとこの4項目にして表題に触れられた。

展望も何もなく書いてきたので、まずはここに着地できた事で一安心である

「本筋が進まないシナリオ世界干渉できないキャラクター」に塗れた作品であっても、成功しているコンテンツというのは存在する。

何を隠そう大部分のソシャゲは「本筋が遅々として進まず(或いはほとんど存在せず)、本筋に絡まない=世界の動きに絡まないサブキャラクターに塗れている」にも関わらず、利潤を得やすガチャ商法確立し、商業的に成功していると言えるだろう。

何故、このソシャゲガチャ商法成功しているのか。

単純に言えば「面白いからである

しかし、これは「プレイヤーが楽をして手に入れられる娯楽としては」という但書が付属するのではなかろうか。

例えば、人が10時間自由と完全に健康な体を手に入れたとして、目の前に据え置きのゲーム機スマホが置いてあり、何れかの"ゲーム機"で好きなゲームをして10時間消費できるとしたらどちらを選ぶだろうか?

多くの人は据え置きゲーム機を選ぶと思う。

ソーシャルゲーム10時間プレイするということは、多くの場合右手の親指で、画面の右下を5秒毎にタップする10時間を過ごすことになるだろう。

ソシャゲファンタジーゲームよりもドラクエXIスマホ荒野行動よりもPS4のPUBGのほうが良いユーザー体験を得られることは当然である

バトロワゲーにおける「物語」とはプレイヤープレイのものであると私は考えている。つまり、より派手に快適に臨場感を得られるPUBGのほうが物語を鮮明に作り出すことができると思っている。まあ、異論どころか非難轟々かも知れないが、本題とは離れてしまうので一旦放置してほしい。)

しか現実には日本ゲーム市場ソシャゲが大きな地位を不動のものとしている。

これは、プレイヤー自身体験考察・のめり込む事なく「楽に手に入れられる娯楽」を欲しているからだろうと思う。

まり「さっと注文して、さっと食べ終えられるファストフード」のニーズが高まっているのだと考える。

ここで本題に戻るが、端的に言ってファストフード的娯楽に、「大きな物語の展開を推察し、その行く末を記憶して楽しみにする」という『面白さ』は重すぎる。

世界観や、大きな物語の動きを受け取ることができるプレイヤーに対して、ファストフード的娯楽を求めているプレイヤーが圧倒的に多い。

故に本筋を覆い隠してでもサブキャラを増やしまくり、ゲームの本筋とは関係のないキャラ推しの話を通勤電車の中で10分で摂取させ、その体験を通してガチャを回させて達成感を与える訳である

本筋というハイカロリーでの御馳走を消化するには、健康な消化管と食後にゆるりと過ごすことができる時間が不可欠だが、これは時間タスク処理に追われる現代人にはちょっと厳しい要求だ。

故に、消化が楽で手早く終わるローカロリー立ち食い蕎麦である、本筋に干渉しないキャラシナリオをちょいと摘むぐらいがちょうど良いという世情があり、まぁ立ち食い蕎麦も許せないほどマズイ訳ではないから多くの人が食べるのだ。

そしてこの2つを比べた時、多くの人は無意識のうちに御馳走と立ち食い蕎麦を「比べるべきではない両者」と判断して、或いは意識的に御馳走を我慢して立ち食い蕎麦を選んでいると言う構図なのだろう。

どちらを食べてもひとまず空腹は収まり、なんとなくか明確かの違いはあれど「美味しかった」という感想が残るから、死に物狂いで御馳走を求める酔狂グルメ以外は、立ち食い蕎麦でも満足感は得られるのである

まりベストである必要が無いと言うのが、物語の器たる創作物に求められているのではないか

立ち食い蕎麦ステーキも美味しいっちゅーことよ。

●疲れてきた。

 結局のところ私はここまで考えた所で面倒くさくなってしまった。

本当は物語の捉え方を考えていたはずなのに、到着したのは「求められる面白さ」になり、挙句の果てにはステーキ立ち食い蕎麦だ。救いようがない。

さて、脱線し続けた挙げ句、私はこの記事命題である「本筋が進まないシナリオ世界干渉できないキャラクターは何が面白いのか?」という問いには、一旦以下の答えを与えることにしようと思う。

Q.「本筋が進まないシナリオ世界干渉できないキャラクターは何が面白いのか?」

A.「本筋が進まないシナリオ世界干渉できないキャラクターは一番面白い訳ではないが、なんとなく面白い位にはなる」

まり結論として、「本筋の展開する面白さ」は今の創作物には重すぎる。

キャラを立たせてキャラを売った方が、消費者に優しいし、会社としても嬉しいのだ。

ベストではなくベターいから、世界干渉できないキャラクターでも十分であり、安心できる経営につながるということだけは確かなようだ。

私は物書きの入り口に立った以上、そこをうまいことやっていく必要があるらしい。

さて、私の眼前にそびえ立った、ステーキの上にぶち撒けるべきミックスベジタブルはどうしてやろうか。

ミックスベジタブルを手早く、それなりに美味しく仕上げる方法をご存知の方、或いはこのステーキミックスベジタブルが載っている鉄板料理の良い拵え方をご存知の方がいれば、教えていただければ幸いです。

或いは「お前の料理してるそれ、ステーキじゃねえから!」という声も。

2019-01-28

鶏ガラは〆鯖の塊だった

ようやくインフルエンザが治った今、気晴らしに料理でもしようと立ち上がり、そういえば冷凍庫には1-2ヶ月前に入れておいた鶏ガラがあることを思い出した。カレースープおでんか、なんでも良いけどとにかく鶏ガラを煮立たせて美味しい料理を作ろうと思い、冷凍庫を漁った。数カ月ぶりに出会った鶏ガラは、妙に黒々しくって状態が悪いことが目に見えてわかった。けれど、骨まで腐ることはあるまいと目をつむり、調理に取り掛かった。はじめに鶏ガラを流水で解凍していたところ、なんか生臭いし、おかしいなこりゃと思いよく見てみると、それは、〆鯖(?)の集合体だった。なにを言っているのか分からいかもしれないけど、自分でも分からなかった。鶏ガラだと思っていたものが、大きい球体になった〆鯖だった。誰が入れたかとか、そんなことはどうでも良いんだけど、鶏ガラだと思っていたモノがカチンコチンの〆鯖ボールになっていた時、僕はその異常な事態に混乱した。鶏ガラ冷凍庫に入れたのものずいぶん前の話だったから、もしかして腐ってこの臭いになってしまったのかな、とか最初は思った。もう少し遡ると、「解凍しなくても沸かした鍋にぶちこめばいいかな」と考えていたのが恐ろしい。もし実行していたのなら、氷点下で結合していた〆鯖たちが一斉に解き放たれて、鍋を乱舞する切り身たちを目の当たりにすることになったのだ。あの時僕はどうしてか、冷凍状態から熱湯に突っ込まれ鶏ガラ想像して「サウナから風呂に入る時はゆっくりと」に近い考えが頭をよぎっていた。まずは一度シャワーを浴びる必要がある。身体を慣らしてから、いざ本番というのが筋だろう。そう思い僕は鶏ガラからラップを脱がし、流水を受ける桶を作り、まんべんなく全身が浸かるような塩梅にセッティングをした。この時まだ僕は鶏ガラの正体を知らない。あの子まさか〆鯖の球体だっただなんて…。口説いた女の子シャワーから出てきたらチンコ付いているような話ではないか。どうやって調理してやろうか考えていたところに現れた衝撃の事実。あの子は、いや、彼は〆鯖だったのだ!!騙された僕は、仰天しながら〆鯖の塊をまじまじと見つめた。既に流水によって凍結が解かれかけていた塊。個々の切り身の中には、その巨大な群生から抜け出そうとする者まで現れていた。冷たい冷たい氷点下世界では寄り添っていなければならなかった〆鯖の切り身たち。彼らは果てしない大海原で自由に泳ぐことを望んでいたのだろう。外側の切り身から、がんじがらめの塊から飛び立とうという意志を表明していた。あと少し、あと少しで外界に出ることができる。彼らは「個」として認められたかったのだ。静かな流水が氷を徐々に、徐々に溶かしていく中で、彼らは期待に胸をふくらませていたのだ。さあ、いざ、飛び出そう。「僕らは、個体として生きるんだ!!」そんな声が聞こえてきた時、焦った僕は新しくラップを切り、再びワン・パッケージに収めるべく、〆鯖ボールを握った。そして生臭くなった手を洗って、失くなった鶏ガラを悔やんだ。R.I.P.

2019-01-09

めんどくさい人が生活保護受給者になる

生活保護受給者がめんどくさい人じゃなくて、めんどくさい人が生活保護受給者になる。

結果的にそーなる。

多くの日本人は、めんどくさい人には関わりたくない。

キモい人には近づきたくない。

バカとは話したくない。

臭い物に蓋をするのが日本社会本質

生活保護を受けるのは自己責任ダメ人間が悪い。その通り。

真面目な人でも、ある日突然があるとはいうけど、リスクに備えないのが悪いし、備えられないのなら無能バカだろう。

ほら、バカとは話さない多くの人は見話して見捨てて我関せずだ。

ダメ人間は、自分がなぜ遠ざけられて避けられて泥沼にはまっていくのか分からない。

バカ無能からからないし、自分が糞野郎か、めんどくさい人だと気づかない。なぜなら誰も教えないから。

こーいう人間に寄ってくるのは詐欺師ヤクザか、あるいは射幸心をあおる人たちばかりで、最終的には、人助ヒロイズムに寄ったNPOの人だとか共産党の人が近づいてくる。

でも多くの日本人は見て見ぬふりを続けて見放して見捨てて、誰かに押し付けて遠くから罵声を浴びせるだけ。

本人が身勝手な糞野郎かもしれないけど、日本社会も無関心で無責任集合体

生活保護を受けてる人間が行く場所なんて限られてる。病院だったり公共施設だったり公園だったり、パチンコ屋だったり。

そこで働く人にしてみれば、めんどくさい人がきたと思えば、受給者かよってのが続けばヘイトスピーチしたくなるよね。

なにしろ医者看護師努力して勉強して資格取って人から認められた人だからバカ相手にしたら見下すよね。役所もいっしょ。パチンコ屋は鴨葱だから湯で終わるまではお客様だよね。

2018-12-28

絵師は偉い

コミケが近くなると出てくる「絵師は偉そう」という話題。描いている側から言わせて貰えば「絵師は偉そう」なのではなく、「偉い」のだ。

正確に言えば「上手い絵師は偉い」である。この増田を書いている人間プロ並みに描ける訳でもなく精々版権100RTいくかどうか、オリジナルを描けば10いかない程度だ。つまり偉くもなんともない。だが紛いなりに描いているからわかる。1000RTとかになる絵を描ける神絵師の才能と費やしてきた努力がどれだけのものなのかを。あれは1,2年ではできるものではない。

一般的オタクが生きている場所アニメ漫画ゲームの3つのどれかであるアニメ漫画は「絵」だ。絵の集合体だ。そしてそれを産み出すのは絵を描く人間、神絵師であるゲームに関してはアクションRPG音ゲー格ゲーなどのゲーム自体面白さを楽しむ昔からのものには関係が薄い話だろう。しかし今のオタクの主流はキャラクターを全面に押したゲームだ。アイドルマスター(シンデレラミリオン)やFGOのようなソーシャルゲーム艦これ東方のような二次創作ありきの作品キャラクターもやはり「絵」なのだ

オタク世界観はよく二次元と語られるがまさにその通りで、平面な画面に描かれた「絵」は二次元だ。そんな世界を作り出している絵師は「偉い」に決まっている。彼らが居なければオタクが好きなもの存在しないのだから

そもそも絵師を「偉い」存在にしてしまったのはオタクのせいでもある。神絵師の描いた絵を崇め、憧れの対象として話かけては気を悪くしないよう慎重に言葉を選び、誕生日になれば欲しいものがわかるならば献上する者までいる。まるで神様だ。俺にもしろ。本物の神様だって初めから偉い訳ではない。何かに救いを求め、信者が集まって有り難がる事で「偉い」存在になる。それと同じことだ。

anond:20171113160740

就職してから川崎市世田谷区名古屋市大阪市に住んだことがあるけど、制度も人も車も食もマナーも最悪なのは名古屋だった。

名古屋昭和田舎者集合体って感じだったな。

2018-11-28

anond:20181128143427

そのうちAI集合体にすりかわってるかもしれないから注意だ。

ゴミ音楽増田、KKO増田、すいすいすい増田分かち書き増田パンティうんこ

のうち1つくらいはAIでもおかしくねえよなー

その増田は別人だ

言及し合ってるように見えて、途中から元増田じゃないことはよくある。

いや、ここにいる人は全員増田さんだから別人というのはおかしいか

増田集合体、「増田」と話してるのか俺は。

2018-11-22

京大のノリが凄く寒いんだけど

年々寒くなって行ってるのやばくない?

イキリオタク集合体みたいになってるけど

あれ止める人中にいないの?

2018-11-20

編み物

指編みをしている

なぜなら驚くほど早く編みあがるから

でも編み物に使える指が4本しかないので、出来上がったマフラー毛糸集合体を多数製作しつなげる。

併せて端っこもつなげていくことでネックウォーマーを作る、ということをやっている

この、マフラー毛糸をつなげる作業及び端っこをつなげる作業が、かぎ針を使わないと出来ない(現時点では。私の技量があればもっと上手くかぎ針を使わずにできるやり方があるかもしれない)。

そのため、結局棒編みの出来損ないをやっているという時点で、指編みをやっているメリットはあまりないのでは?と感じる

近々棒編みにシフトチェンジしようかと思っているが、それはまた今度にして、とりあえず今は製作途中のネックウォーマーを作り上げることにする。

2018-11-19

リリアンやめて指編みでネックウォーマーつくった

指編みの何がいいってひと玉分をすぐに編み上げられる

その代わりほっそい毛糸集合体しかできない。編み物に使える指が4本しかないならしゃーない

と言うわけで紐状毛糸集合体をたくさんつくって、それをつなげてネックウォーマーにする

気をつけるべき点は

目の数をちゃん意識すること(適当に作ったら首スカスカしてる。さみーよこれじゃあ)

余った毛糸を奥に配置して、手前から奥に向かって奥の輪っかを引っ掛けていく

かぎ針あったほうがやっぱいいな。

てか面白いなー編み物明日ネックウォーマーリベンジしよ

2018-11-18

リリアン

増田やる時間リリアンに充ててたんだけど

出来上がった部分の網目がふにゃふにゃで完成した時にちゃんマフラーになるのか心配になっている

マフラー毛糸集合体になりそうで

2018-11-04

anond:20181104213330

「すごいや東の果ての島は本当にあったんだ!」って目をキラキラさせてる奴らと

「この辺まだ誰もいないから全部俺の領土ね」っていう俺ツエー集団集合体

初めに国家があり、そしてその構成要素として国民存在を許される。

というのが右翼的な考え方であるが、同じように、

初めにネトウヨというものが個々の人間を超えたものとして存在し、その後に個々の構成員存在するとも考えられる。

個々の人間ネトウヨになったり、やめたりするけれど、ネトウヨという集合体のようなものは、これからずっと存在し続けていくのだろう。

2018-10-30

最近再生回数を気にするのが疲れた

中身もなにもタイトル通りなのだが、最近再生回数を気にするのがつかれた。再生回数だけではない、アクティブユーザー数、イベント参加人数、累計イベントポイントイベントランキングファンクラブ登録者数、等々。ありとあらゆる数字と向き合うとこに疲れた。私は疲弊している。何故こんなに数字に追い立てられなければならないのか。それは私がなかなか数字の出ないコンテンツ応援しているかである女性向けアイドル育成ソシャゲ比較的人気のないキャラクター、なかなか表に出してもらえないジャニーズアイドル、なかなか数字のでないジャニーズJr.。私の好きなもの全て、「もっと数字が出れば」と言われている。私はそれがすごく辛い。

そもそも私は性格ルーチンワークがとことん苦手である毎日カバンを変えるし、毎日異なる系統の服を来て、毎日違う業務になるように調整して生活し、毎日違う道で帰り、毎日違うアニメを見て寝る。そういう性格の私が毎日同じゲームログインして、毎日同じ動画再生して毎日同じようにアイドルを好きと言い続けるのは到底無理な話である。だけど数字を求める人たちはそれをよしとしてくれない。毎日ログインしないと所属チームからは外され、ゲームアイテム経験値がたまら永遠に弱いまま。毎日動画再生しないと怠慢と言われ毎日同じアイドルの話をしないとリムられる。そういうところでオタクをしている。あまりの性のあわなさにそろそろ疲弊してきた。

数字が全てという社会の仕組みは単純でよくできているとは思う。しかしまぁまぁ生きてきた人生の中で数字の多いものに惹かれたことがない私には数字が全てと言われる社会はどうにも納得できずにはいる。もう何もかもめんどくさいので固有名詞を出すけど、私にはあんスタとキンプリSixTONESは1ミリも心の琴線に触れないのでコレが数字を獲得してそのジャンル代表のように捉えられると????????となってしますのだ。まったくわからないので。しか数字によってある種市民権のようなものを得たコンテンツはでかい顔してでかい顔してる。数字がとれているので。そして数字がとれていないコンテンツファンは「数字を詰めば同じ扱いをしてもらえる」と思う。だから数字固執する。数字のとれるコンテンツこそ優で数字のとれないモノは劣なのか。私は自分の好きなもののみが優でそれ以外は無なので何も思わないけど。その世間事実自分価値観がグワングワンにズレて、あまつさえ数字を取ろうとしない私を遠回しに批判されるようなことになれば私は疲れてしまう。私のエリアに入ってこないで、と。

自分価値観世間の目がズレている。要はそういう話だ。でも、数字のとれないコンテンツのものを劣あるいは弱と決めつけてほしくないなと私は思う。数字に関わろうとしないオタクも許容してほしいと思う。ファンならこうであるべき、ファンからガンバロウは、多分違う。100人ファンがいれば100人思念があるのだ。それでも、母数が大きくなれば大きくなるほど思念は大きくなり、多数派が相違のように収束する。でもさ、でもね?個が個である限りどれだけ大きくなろうと個の思念集合体であることには変わらないと思うんだ。だから強要は良くないしそれが原因で仲違いするようなことがあっては良くないなとも思う。最近はそればっかりが心配になってしまう。

いろいろ書いたけど、数字を出すには数字が出るだけの理由があると思うし数字がとれるコンテンツを大々的に取り上げたいのもわかる。わたし食べログ3.5以上の店しか行かないし。だから自分の好きな子たちも数字が取れるようなアイドルになってほしいとも思う。でもそのためにオタク同士でギスギスしないでとも思う。

なんだろうね、世の中みんなジャスティン・ビーバーに見つかれば良いんじゃないかな。

2018-10-27

偶然ではないが必然でもない

https://anond.hatelabo.jp/20181027185605

別に哺乳類けが知能が高くなる特別身体構造があるわけではない。

但し単なる偶然で知能が高い種の比率が高いわけでもない。

哺乳類は陸棲主体なのに、動物の中でも最も大型化方向に進んだ種が多いグループ

(大型化については、哺乳類には陸上での巨体化に比較的向いてる身体構造上の理由がある)、

陸棲での大型化はk戦略と相性が良く、r戦略では知能はあまり役立たないから、高知能な種は

r-k戦略の軸でk戦略に特化しているほど出現しやすい。

「陸棲大型種がいっぱい出てくれば、それなりに知能を生存武器にする種も多くなるよ」

という話なのだ


但し、もし大型化向きな身体構造を持っていた陸棲動物のもうひとつグループ恐竜類に

「大絶滅森林性小型種だけ残って飛行方向に行く」というハプニングがなければ、

この6千万年で高知能な種が哺乳類以上に大量に出現していたかもしれない(身近な所では

脳化指数の高いカラスなんかを見れば、恐竜類の知性獲得方向での潜在能力は納得頂けると思う)。

https://gigazine.net/news/20181026-crows-build-compound-tools/

そういう意味では「第5回大絶滅」の時期が数千万年ずれているだけで(数千万年というのは

地質学スパンでは十分ありうる誤差である)、恐竜の子孫が高知戦略ニッチ占有して

たかもしれないので、偶然の要素も無いとは言えない話でもある。


なお、人間思考法はどうしても「白か黒か」とか「必然的理由」を考えてしまものであるが、

自然というのは概ね「傾向」というしかないような(あるいは確率とかスペクトラムとか)、

ありようをしているので、シンプル理解に達したらそれは基本的には「誤解した」ということ

なので、この説明にも納得してはいけない。

あくまで「こういう要素もある」というだけで、この説明は恐らく数百はあるであろう要因の

一つでしかなく、「高知能化の利点と制約は複雑すぎて十分に判っていない」が正しい理解であり、

もし十全な説明ができたとしても、それは素人には「ケースバイケースな事例の集合体」にしか

見えないものになるであろう、ということは覚えておいて頂きたい。

2018-10-13

現実と絵の区別を付けよう

オタク現実との区別が付かない。有害アニメ漫画があるから幼女被害に遭っている!!!

「せやろか?」

萌え絵性的表現萌え絵を見ると女性は抑圧を感じるしこれは性的消費で性的搾取されている!!!萌え絵規制すべき、オタク滅ぶべき!!!

??????????」

ただの絵、紙とインクです。CGならばただのドット集合体です。

2018-10-12

役所はいい加減に低契約金委託業者を雇うな

役所のあらゆる委託業務に昔からの入札という方式契約を決めていくものがある。

役所内の清掃や施設などの警備などがそうだ。

あの手の入札は新規企業は入札額のノウハウがわかっていないので、最低賃金で獲得をしたは良いものの自滅する傾向がある。

が、それは企業の自滅だから、どうでもいい。

問題役所自体そもそも契約金で契約をしようと委託業者の足元を見る行為しかしていないという事だ。

何かあれば、予算予算がという。

極論でいうと、市で無駄に使っている予算委託へ回せばいい話。

それをしないで、低契約金で契約させるように委託業者の入札を厳しい方向へして、さら仕事の質を求めてくる。

阿呆一言に尽きる。

元々の予算が少ないせいで入札もやりづらいのに、それで委託業者には仕事の質をあげろあげろというのは馬鹿げている。

賃金の話をすれば、それは委託業者で行ってくださいと言う。

筋はそうだが、元に問題が有ることを決して認めない。

正直な話、契約金がそれなりであれば若い人材も雇えるのだ。

契約金だから高齢者を雇わざるを得なくなってしまう。

それで質が悪ければ、さんざん文句を言って叩いてくる。これでは委託業者けが損をする。

そのくせ、役所就職率を上げているとドヤ顔で主張する。

馬鹿一言だ。それで済む。

役人というのは、いつの時代馬鹿阿呆集合体だ。

から無駄な事で延々と議論を続け、無駄な事に金を使い続ける。

それで自分たちが国を動かしている、県や市を管理しているという。

役所の質をあげるのは、役人だけではない。委託業者も含めて、だ。

それが理解できない役所理解できない。

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