はてなキーワード: 集合体とは
毎日新聞は雑多な社会派ライター(ジャーナリスト)の集合体 毎朝夕に配達している紙切れはもはや主体ではない
読売新聞は古臭い新聞像を頑なに貫く庶民紙、既得権益に胡座掻いてるが巨大な資本ゆえしばらく生き延びそう
朝日新聞はクオリティもっとも高い。紙面も記事の中身も、その他業界の課題に対応する諸施策も。ただしエリート臭さ、エリート意識が滲み出ているex. 参院選の山岸候補
国民から嫌われているゆえの厳しさがあり、嫌われている所以をわかってないところがある
産経は論ずるに値せず…と言いたいところだが、地方支局の記者が書いた記事には見るべきものある気が。大阪夕刊は独特の温かみあり
「京アニ放火犯はオタクじゃない」という論調には違和感がある。
ただ「オタクは犯罪予備軍」とするのは「早まった一般化」だから「正しくない」と言わなければならない。
ではなく
「確かに京アニ放火犯はオタクだがオタクのすべてが放火犯ではない」
と言わなきゃならないんじゃないのか?
あるいは「オタク気質」とは早まった一般化をよしとする気質なのかもしれない。
オタクと早まった一般化は不可分で早まった一般化を捨てることはできない。
考えてみればオタク文化って早まった一般化と親和性高い部分はあるね。
たとえば「擬人化」「デフォルメ」「お約束」「テンプレ」「フラグ」のように。
アンソロジーコミックで原作作中一度だけ言った台詞が決め台詞みたくなってるのを見かけたことは?
「これだから○○は」
こういった一部オタク(アニメアイコン)の論調にはウンザリしていた。
なぜだかは知らないが一部オタク(アニメアイコン)は早まった一般化に基づく主張をすることがまれによくある。
今にして思えば、こうしたノリはオタク文化から伝染したものなのかもしれない。
オタク文化全体が早まった一般化を推進するのなら、それは正さなければならないのではないか?
京アニ放火犯にしてみても擬人化された「京アニ」への憎しみを抱いていたわけだ。
最近エスカレータ歩けキャンペーンとかやってるらしいが、あのエスカレータラッピングには限度があるだろ。
俺は重度のトライポフォビア症候群なんだよ。小さな丸の集合体とか耐えられねえんだよ。
吐くかと思ったよ。生まれて初めてエスカレータ駆け上がったわ。
あんなの耐えられるか。中野坂上駅の奴らは俺を恐怖でつぶしたいのか。
ふざけるんじゃない。
確かに田舎住んでた時はたまに自然現象でああいうお目にかかかるから見て毎回気持ち悪いと思ってたさ。
でも上京してそういうのはほとんど見かけなくなって自分がそうであることすら忘れかけてた。
まさか俺はあんな形で思い出すことになるとは夢にも思わなかったわ。
最悪だ。
平野とか団藤もいた。
平成時代からは教育レベルも低下して、受験問題も小手先のテクニックで受かるような改悪が行われた。
ただ、そうは言っても平成時代の東大教員も、自分達の頃より学力の低下した学生が大勢入ってきても、何とかレベルを引き上げてあげようと教育を頑張ってくれている。
平成になって一番レベルが低下してひどいのは東大ではなく、実は警視庁や特許庁、法務省など各省庁・国の組織。
自分達の悪政のことは棚に上げて、被害妄想で増田さん達を見せしめに逮捕したりしている。
ということかな。
2003年の東大教授には、自分と同じにならなくても合格させる度量があった
他面、国家のゴミカス公務員は、怒っている自分と同じような女にならない限りその意見を採用しないし
自分は神である、自分に従わない者は分からない、ないし、自分の言葉でなくても、瞬時激怒して死んだ俺の世界
に入ってきた殺害予告などの文言は犯罪である、逮捕していい、などと考えているのが、今のクソ検事や裁判官だからな
東大教養学部や法学部などには、まだまだ善意が残っているが、国家にはない。単なる犯罪者の巣窟。
だから東大はあるが、国家は無い。国家公務員は全員、犯罪者。死んでいて生産性がないのに自分は神だと思っているクズの集合体。
・2chねる
実際は高校生、大学生、フリーターと一部の社会人とおじさんで構成されている。20代後半、30代初めが多い。
2010年代あたりはニュー速・VIP等にたむろする中高生が多かったが、2019年現在は古参もろともその層がそのまま成長し
なんJの台頭と共にネット界老人ホームと化してる。昔は男女対立、嫌韓等の二項対立が激しかったが、既婚者や社会人が増え
まとめブログ事件もありその話題はあんまり盛り上がらなくなった。文字間違えに優しい。
下から人を叩いて自分の世界ランキングを上げる事を目標としているので、謙虚で陰湿。
自称金持ち、成功者が多く、自己肯定感か低い。男女均等。10代後半や20代が多い
2010年代あたりはほのぼの系の2ch的な立ち位置だったが、SNSの普及と共にニュー速・VIP的な、攻撃的なネタを好む性質を帯びた。
2chの元コテハン(名前持ち)も多くおり、2chのコテハンの集合体の様相を呈している。
自分たちを正しいと思ってる2chねらーみたいなもので、世の中を叩いて自分のランキング上位を証明するのが目標。傲慢で陰湿。
自称KKO、ただの一般人が多く、自己肯定感が低い。若干女が多い気がする。
大学生、社会人、主婦、フリーター、定年退職後のおじさんおばさんで構成。30代~40代が主。
上記二つと違い、本格的に人生詰んでしまった人が多く、どこか哀愁漂わせる投稿が多い。
2chねるほど承認欲求は低くは無いが、twitterほど高くはない。中途半端な性格。
「僕が?」
「あの文章が書かれた場所は、この家だってのが分かった。つまり、書いたのもタイナイだろ」
まるで自分が書いていないかのように語っていた時、一体どういう気持ちだったんだ。
こうなってくると、俺に説明していたことも本気だったかすら怪しいし。
「それがどうやって分かったのかはともかく、しらばっくれても誤魔化せない雰囲気だね……じゃあ、白状しよう」
その時の俺は、失望とか徒労とか懐疑とかでグチャグチャだった。
タイナイの返答次第で、それをどう発散するか決めるつもりだったんだ。
「僕が“M”ってのは半分正解だ。いや、1割正解と言うべきか」
だけど返ってきた答え合わせは、俺が思っているよりも肩透かしなものだった。
1割って……それだとほぼ不正解じゃんか。
「なんだよ、それ」
「正解といえなくもないってことさ。“M”を名乗り、あの文書を拡散させたのは僕だしね」
「……いや、だから、お前が“M”なんだろ?」
ここにきて、まだ他人事みたいな言い方をしてくる。
なんで、そんな回りくどい表現をするんだ。
「厳密には違うね。“M”ってのは個人を指していないのさ。不特定多数の集合体というべきか」
「はあ!? どういうことだよ」
そうして語られた真実が、俺が想像していたよりも底が知れない、と同時にくだらないものだった。
今から数週間前、タイナイがいつも通りネットの海を漂っていた時。
ひょんなことから、『Mの告白』の原文を見つけところから始まった。
それは取るに足らない、ただの愚痴みたいな内容だったらしい。
「告発系の怪文書ではあったけれど、自意識が前のめり過ぎてね。論旨もとっ散らかってて、真面目に読むような内容じゃなかった」
でも、その時タイナイは思ったらしい。
これをもっと人目につく場所で、もう少しコンパクトにして拡散すれば話題になるんじゃないかと。
「まずは、パッと見で分かるような問題点をまとめて羅列した。そして無関係な各論を繋ぎ合わせ、一つの大きな問題のように仕立てるのさ。ところどころ事実や、尤もらしい主張を織り交ぜつつ、全体的な印象に引っ張られるよう誘導するわけだ」
後は放っておいても大盛り上がりになるようだ。
「数珠繋ぎの自然現象さ。誰かがどこかで話題にすれば、それを聞いた誰かが別のところで話題にする。それが大規模に起これば、もう止められない」
「じゃあ、タイナイは軽く添削しただけで、自分が書いたものですらなかったってこと?」
「“M”だと名乗って、何かの関係者だと自称すれば、ほとんどの人間は本当か嘘かなんて分からない。代表者のように語るとウケがいいんだ。ダイエット法を語るなら、デブより痩せてる人の方が説得力はある」
「書かれた内容を鵜呑みにしてもらう必要はない。情緒的で関心を引くものに対して、人は“何かを語りたい”って衝動が沸き起こるからね。虚実の按配なんて、赤の他人にとっては瑣末な部分なんだよ」
つまり“M”ってのは、そういう文章を書く人間、それに影響を受けた人間全てを指しているわけだ。
少し前、「リテラシーで大事なのは“嘘か本当か分からない場合の対応”だ」と言っていたけど、その意味が分かった。
大半の奴らはリテラシーなんてないって、タイナイは言いたいわけだ。
「タイナイは何がしたいのさ。何が望みで、こんなことに加担したんだ。リテラシーのない奴らを、陰で笑いたいとか?」
「別に大した理由じゃない。強いて言うなら“気になったから”。些細で不健全な動機だけど、ほとんどの人間はそんなもんだろ」
本当に大した理由じゃなかった。
ここまで大騒ぎになっている出来事が、蓋を開けてみればこんなことがきっかけだなんて。
「じゃあさ、本当の、最初の“M”ってのは、どこの誰なのさ」
あっけらかんと返すタイナイに、俺は「そうだね」と言うしかなかった。
結局のところ“M”の存在は、まるで掴み所のないまま。
たぶん“M”は、これからもどこかで、何かを告白し続ける“関係者”でい続けるのだろう。
今回の件で走り続けて俺が得られたのは、しこりのように残る感覚だけだった。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/chowtingagnes/status/1146029961225969664
これ言ってることがほんとうならすごい全面攻勢デモの新しいエリートタイプになると思うんだが
ツイートを見る限りではたった2点しかあげれないがまず破壊しないでと張り紙を張るのがデモ隊にいたのだとすると
デモ隊の構成が全体ないしは先鋒において後続を把握した行動計画を立てていたということ
行動範囲における「壊さないで」の張り紙の量や対象、タイミング、使い方を衆知した先鋒が機能していたということ
後からはがしたりそんなのがあったのかとか、だれがはったのかわからないということがない組織運用
それはレストランでの小銭もそう 全体がそうでなくては時差や偏差のある団体行動で統制が取れない
次にそれらの行動が小団体として統括させて組織化していないということ、全体が個の集合体で統制のとれた行動がとれたのだとすると
体育でならったマスゲームや組体操のあれを完全固定で実行したか流動的な立場移動でも全体を把握していたため
代替行動がとれたということになる
全員がブリーフィングで全体の行動を把握して、行動中も自分の位置を確認できていたということになる
ペアに役割を任せて小隊を組みより大きな隊としての運用でしか個をまとめることが体系化できていない現在
これが本当に全体が実行していたのだとしたら計画したもの教育したものの練度はすさまじいものだろうと思える
実際にやりました、と宣言するだけでもいいしごく一部で機能していたというものでもいい
その運用の内容を具体的に知りたい
クラウドファンディングで一流のプロを巻き込んでちゃんとしたアニメ作ろうというのが土台無理な話なんだよ
読書したい
→小学生の孫達でも読んでるから自分にも出来るだろうと思ったら大間違いだということ
読書はとてつもなく頭を使うもので、休日にテレビをぼうっと見てるだけの人には向かないこと
「読書」という趣味はそもそも実態として存在しない。読みたい本を遊ぶという行為の集合体でしかない
絵を書きたい
→小学生の孫たちでも描いてるから自分にもできるだろうと思ったら大間違いだということ
これ何でも当てはまるな。
「テレビゲームをやりたい」と言い出したの身内で一悶着あった
オリンピックの代表選手は日本の威信を背負って出場するんだよね。
オリンピックってのはそもそも「スポーツの競技会の集合体」ではなく、
国と国が戦争をする代わりにスポーツというルールを使って争う、という側面があるんですわ。
その辺をきちんと学校教育で教えず一般的に理解できてないから、
さも正論かのように述べる人がいるわけですな。
国と国が戦う場に国の代表選手が行って戦うわけなので、その国民が応援するのは至極当然な流れですし
そういう応援を受けた代表選手が応援に対して感謝の意を述べるのも至極当然な流れでしょう。
こういう側面に気が付けるくらいにはよく目を開いて世の中を見るべきだと思いますが
科学はデカルト発祥で、明証性、分析、総合、枚挙を満たす知識の集合体。
逆にデカルト以前に「正しいということはどのように示していたのか?」となると個々の判断と、「権威」。つまりは宗教。
故に、宗教にはどうしても権威の存在が必要となる。つまりは神、そして、神の代弁者たる例えば教皇、教祖。
そして「正しい物が正しいというのだから従え」という押し付けがどうしてもある。
宗教の代弁者も「正しいから従え」という押し付け、洗脳にちかくなる。故に胡散臭がれる。
ただし、明証性、分析がなじまないものはまだまだ多い。特に際立つのが人間関係や人間行動、倫理。
なので、ひとつは宗教由来の知識を元に判断しないとならないというのはあるだろう。
「正しいから従え」に近い人間が「各々で判断する」という人に「正しいから従え」とやりがちでもある。故に反発される。
各々が判断するのに足りるぐらいまで断片的にして教えていかないとならない。意味があり、興味があればさらに各々が調べ出す。
そうすると、いわば、現代社会の宗教って偉人の名言と同列に過ぎないのかもしれない。でも、宗教なんてそんなものでいいんだろうなと思う。