はてなキーワード: 躁うつ病とは
これを書いた者です。死ぬ覚悟がまだできなくて生きています。クズなのはわかっている。うじうじでもなんでも言ってください。傷ついてあげるから。
https://anond.hatelabo.jp/20210216093051
なお、こちらの記事に少なからず影響を受けています。良い方向に向かってよかったですね。
https://anond.hatelabo.jp/20210302041924
今日、生活相談センターのようなところに行ってきました。相談に行っただけで自分えらいと思う。そして詰んでいることを確認できただけでも少し心が軽くなった。
①国の貸し付けや給付は受けられるか
→コロナのせいで困窮している人向けの貸し付けしかないため該当しない
②住宅確保支援金はわたしは条件を満たすか(わたしの住んでいるところは家賃3.5万、共益費1.5万(電気・水道・ガス・ネット代をまとめて共益費扱いで請求される)
→①と同様、そして求職者向けなので派遣社員のわたしは該当しない
③ここのところ症状がひどく(朝起きても支度する気力体力が起きない)、仕事を休みがちで収入が10万円を切っている
(心療内科には2年ほど通って自立支援(精神)受給者証は持っている)
④手持ちのお金が1.6万ほどだがお給料が入るのが15日(月末締め)、そして10万を切る見込み
→健保に連絡して傷病手当金をもらうのがよいが、派遣元に記入してもらう手間と、ただでさえ所持金が少ないのに4000円くらい支払って医師に診断書を書いてもらう必要があるのでとても厳しい。生活保護は最終手段。
→フードバンク(セカンドハーベスト)にお世話になることになり、相談の帰りに食糧をいただいた。今週中に1箱目をいただける予定。ごはんの心配はしなくてよさそう
→③、④と同じ答えで、傷病手当金をもらい、あと障害者手帳(精神)を申請してメリットを享受する、それから最終手段として生活保護を受ける
1.食べるものがない問題はなんとなりそう(今日相談して今日食糧をもらえた)
そして生活保護についてお決まりの「親族・親戚に扶養照会がいくか」を尋ねたところ、「原則そうです」と。
・実家に戻るという選択肢はなし(戻ったらきっと弟がまたストレスで病に伏すか二度目のてんかん発作を起こすだろう、もしくは奇声を発するとともに手をあげられる)
・私自身も「夜に友人とたわいもない話(通話)をする」という日課ができなくなりつらい(田舎の木造なので丸聞こえ)
・公共交通機関が皆無で私は車を持っていないので実質軟禁状態になる
・再就職・・・就労が満足にできないから困窮しているのだが・・・
・結婚の可能性がある恋人が都内にいる(けど彼も人生の分岐点らしいので私に構っている余裕が今はないという)(彼に頼る選択肢はないと思っている)
・親がうつなど精神病について理解がない(気合の問題だろう派)
生活保護はないな。特にそう考えるのは、親は「恥」をひどく嫌うからです。
世の中を見る時間を1秒でも減らしたくて処方薬を飲んでさっき寝たが3時間ほどで起きてしまった。
できないから困っている、「毎日ちゃんと働く」しか金銭的には解決しないことが分かった。
気分障害のようなものは古い記憶で小学生のころから自覚しているが、あらゆる内科の検査で異常がなかったので、頭の中の異常は見た感じなさそうですよ、と5年ほど前に言われている。超短期記憶が人よりも弱いですね、くらい(これについての自分の対応「〇〇会社の△△ですが、□□さんはいらっしゃいますか?」と聞かれると、〇〇会社の記憶がもうすっこ抜けるので、「△△様ですね、いつもお世話になっております。確認いたしますので、簡単にご用件と、恐れ入りますが御社名をもう一度お伺いできますか。」と毎回確認するようにしている。)
幼いころからそうなのにそう結果が出たのだから、また検査を受けるだけお金の無駄だろう。
毎回変わる心療内科の先生によれば躁うつ病らしいが、しばらく診てもらっているかかりつけ医(内科)の先生の見立てによれば「専門家ではないので確約はできないが、話を聞く限り『不安神経症』だろう、と。見るものすべて、聞くものすべてに不安を感じ、さらに理由に不釣り合いな強い不安を感じるという。
およそ2年、毎日10種類くらい薬を飲んでいるが、つらいのはほとんど変わらず、処方薬の中の頓服で唯一こころを平穏にできるくらいである。耳栓必須。
相談所に行くことで、ほぼ詰んでいるという確認ができただけでも良かった。
長いのに読んでくださってありがとうございます。
速やかに生活保護を受けよとのご助言、ありがとうございます。家族との関係がグチャグチャになり親に小言を言われ親戚に恥を晒すくらいなら黙って困窮する、それが私の答えなので生活保護は選択肢に(ほぼ)ありません。
傷病手当金について診断書の記入はもっと安価だろうとの情報も、ありがとうございます。健保に確認します。
彼がいるという微妙に無駄なような情報は、都内にいたい大きな理由の一つだからです。友人もパートナーも失って要介護の弟と、弟を溺愛する両親のところで寂しい思いをするくらいなら彼の近くで困窮したい。
→可能性がある、という書き方が悪かったです。結婚を前提にお付き合いをしている方というだけです。まだ日が浅く、「結婚したい!」とお願いできるほど進んだ関係でもないし、困窮したまま籍を入れるつもりはありません。
生活相談センターのようなところとは、ここに書いてある自治体です。共産党の方とかに連絡取ったら助けてもらえるかな…下のリンクはビッグイシューのサイトが開きます。
https://bigissue.or.jp/action/guide/tokyo_housing/
社協にも相談の電話をかけたけど「コロナにかかって困窮した、でないと通らない」と断られた。
死にたい度合いが時期にもよるのも疾患の一部なのでさっさと死ねなくて申し訳ない。さっさと死ねと言われると、そういえば自分は死ぬつもりで最初ここに書いたんだと思い出す。思い出させてくれてありがとう。有り金はたいて初めての極寒地で眠剤飲んで寝ながら死ぬのがやはり最も簡単だろうか。
16:16 共産党事務所に電話したら「わたしの名前を出して交渉してください、どうにかなるはず」と議員さんに言われて、福祉事務所にいくところです。結果次第ではその土地の人には申し訳ないがそこで自死させてもらいます、それ以外に選択肢がないから
精神疾患の男女別受療率について書いた者です。
https://anond.hatelabo.jp/20210218094641
前提として、自分はこの増田とは別人で、この説を主張したわけではない。
「男性の通院率が高い」のが本当か調べてみたかったので、横レスした。
ということから、医者にかかること自体には男女差はなく、通院だけ見ると「男性はライトに来ない」という説の裏付けにはなっていないし、
「男性の通院率が高い」ということにもなっていないと思う。
調べた範囲では傷病分類別の受療率には男女差があることしかわからないので、それが「男性はライトに来ない」という印象につながっている可能性があるのかなとは思った。
潜在的な患者数の男女比についてはわからないので、そこに関して調査があれば、通院していないが病状がある人は沢山いるのか、そこに男女差があるのかもわかって色々と仮説がたてられるだろうね。
双極性障害。それが俺に付けられた病名だ。
もともとプログラムが好きで、子供のころからBASICなんぞでゲームを作って遊んでいた。好きが高じて大学もコンピュータ系の学部に進み、大学院まで出た。当然のように就職先もSIerだった。
30を過ぎた頃、炎上プロジェクトに投入された。2000年代初頭だ。この頃、残業規制など今ほど厳しくなく、残業時間は年間1000時間弱。月平均で80時間。立派に過労死ラインだ。月80時間残業しようとすると、大体土日も出勤するようになる。それでいて、平日は普通に出勤だ。
最初の症状は不眠だった。もともと仕事が増えると寝つきが悪くなる傾向にあったのだが、それが常態化し始めた。それで、不眠に効くというメラトニンの錠剤を個人輸入して服用し始めた。これのおかげで、何とか眠れるようにはなった。
それがかえって良くなかったのかもしれない。炎上プロジェクトは炎上し続け、俺のチームは朝から終電まで働き続けた。そして、俺の症状は徐々に悪化し始めた。たまの休日は寝て過ごすようになった。何かをするのが億劫になり始めた。
そして、勤怠が悪くなり始めた。遅刻が増えた。仕事中に居眠りをするようになった。居眠りと言っても、よくあるような眠気を感じて寝てしまうのではなく、いきなり何の前触れもなく電源が落ちるような感じだ。我慢が足りないとかそういう問題ではなかった。
そんな俺を周囲はただの怠け者のように見るようになった。上司は俺に対して「居眠りをしたら、残業しても時間を認めない」などと言い出した。今なら多分労基行きだろう。
症状はどんどん悪化していった。仕事に集中できなくなり始めた。集中できないから残業が増える。悪循環だ。ある時タイムカードの計算に午前中いっぱいかかってしまったことがあった。ただ時間を集計するだけの単純作業に3時間もかかるほど、能率は落ちていった。
そんな俺を、周囲は白い目で見ていた。「なんだこの怠け者め」という感じだろうか。ある時、面と向かって「給料泥棒」とまで言われた。言い返す気力もなかった。俺は自分を責めた。「なんで俺はこんな怠け者になったんだ?」と。客観的に自分を観る余裕などなくなっていた。
さらに症状は悪化した。廊下でどうにも気分が悪くなり、へたりこんだ。会議中ずっと机に臥せったまま過ごしたこともあった。だが、周囲は俺を心配することも、注意することすらなかった。
そして、決定的におかしくなった。夜眠れない。朝起きられない。起きても頭が睡眠不足のように鈍重に感じるようになった。遅刻が連続して上司に「真面目に働く気があるのか?」と詰められた。
さすがに自分でもおかしいと思い、自分の症状をネットで調べてみた。うつ病だった。すぐに精神科に予約を取り、やっと「うつ病でしょう」と言われた。
この時、やっと安心できたのを覚えている。安心のあまり、滂沱のごとく涙があふれ出た。「自分は怠け者でも無能でもなく、病気だったのだ」と。
3年間の激務の結果は想像以上に深刻だった。1年間の休職期間はあっという間に過ぎ、退職になった。それでもうつ病が寛解することはなく、その後10年以上に渡って俺を苦しめ続けた。ついに病名が「双極性障害」に変わった。以前は躁うつ病と呼ばれていた病名だ。うつ病が中途半端に続くと、こうなることもあるらしい。
そして先日、50歳になった。今さらこの歳で正社員で雇ってくれる会社などなく、派遣で食いつなぐのが精一杯だ。結婚などとうに諦めた。自分ひとりを養うのもままならない男と結婚したい女などいないだろう。
https://note.com/erukiti/n/n6eec3ad83ebb
10年前に大学卒業したがしょせんFラン。民主党のせいでリーマンショック後も景気が回復しない氷河期の中、まともな企業に就職できるわけなかった。しかたなくブラック企業に就職したら精神ぶっ壊された。それでもふんばって1年バイトしたけど躁うつ病まで併発して社会人人生終了。友達もいないから引きこもってソシャゲーばっかりやってきた俺を救えるのか。引きこもりすぎて会話もろくにしてないから対人スキルは最低だ。久々に外に出て人としゃべってもコミュ障すぎて二度と誘ってもらえない。努力しようとしても何をやっても長続きしない。英語の勉強も資格の勉強も挫折した。全部だめだった。絵を描いたりYoutubeに挑戦しようとしたりしたけど活舌悪くてドモるだけだしデブだから声もひどい。顔出ししようものなら即BANされるようなブサイクだ。もう俺の人生とっくに終わってるんだ。人を殺さないことと死なないことだけでリソースの8割使ってる俺に何ができる。死ぬまで親のすねをかじりつづけて親が死んだら生活保護申請してそれがだめなら自殺するしかできないうんこ製造機の俺をどうやったら人間に戻せるっていうんだ。お前を見てたらまぶしくて目がつぶれる。今日もYahooコメントで気に入らないやつを殴って自尊心回復させないと息ができない。
心療内科に通っては辞め、通っては辞めていたが、「薬を飲んでいるとようやくつらい思いをせずに生活を送れる」ことに気付いたというか、そうしなければ生きられない人間なのだと諦めがついた。通院8か月目。たしか。
心療内科ではなく、精神科にいけば根本的に直してくれるんだろうか?カウンセラーさんは、本職の方には申し訳ないが「考え方を矯正する」もしくは「話を聞くだけ」のイメージ(2,3回通っただけ)なので頼ろうと思えない。でも友人の勧めでとても良い方がいるそうなので、経済的に安定したら受ける。経済的にという単語を出したが、自立支援制度を使っているので医療費は1割負担に軽減させてもらっている。(カウンセリングは自費&高額)
いまは、1日3回各1錠の精神安定剤と、夜寝る前に抗うつ薬(躁うつ病向け)、そして睡眠導入剤を服用している。
薬を飲まない素の状態は、記憶がある限り幼稚園の時から30歳近くのいまも変わらず、「なにも悲しくない、つらくないのに、ただひたすら悲しい、つらい」ために涙が止まらない日が週に何度もあり、授業に出ていても、料理をしていても、電車に乗っていても、ウォーキングをしていても、野菜を食べていても、いつ何時でも涙が出る。
そして常に頭の中が騒がしいのだ。毎日同じことを考える。
「涙が出るが訳が分からない」
「なにもないのになんでこんなにつらいのか」
いわゆるライフハックは知っているし何度も試したし、友人おすすめの動画ワーク(いろいろノートに書きだす系)もやってみた。敏感な人向けの本も読んだし、総括すると「そのままの君でいいんだよ」な本も読んだ。
でも、申し訳ないが、どれもわたしには当てはまらない。自責の念だとか、他人のあれこれが気になるとか、そういう具体的なものではないのだ。わけもわからずパッシブで涙が出る。
いまは一日3回定期的に安定剤を服用しているからなんとかなっているが、これ(最大量)でも涙がでてしまう場合は頓服として処方されている液体の安定剤を追加で飲んでいる。これを飲むと落ち着く気がするというか、「私的最終手段を使っているのだから安定しないはずがない」と思って自分をなだめている。
最近傷ついたことと、まあそうなんだけど改めて言われるとショックだなと思ったことがある。
傷ついたことは、「あなたは薬を飲めばスッキリするけど、相談されたこっちはそうじゃないんだよ」
改めて言われてショックだったことは、「常に薬を服用しない人の気持ちはわたし(健常者)には理解ができないから、アドバイスができないんだよ」
そりゃそうだ、としか言いようがない。
だれならわかってくれる?親は「気の持ちようだ」と大学生のときの私に言い張ったのでもう二度と相談しない。
手術して治るものなら、費用を工面して治してハッピーなライフを送るのに。
薬を飲んでいても泣けてしまう自分が本当にわけがわからない、そして薬を飲まない素の自分は社会生活を送れないのだからいったいどうして生きなければいけないのか、と思う。毎日「なぜわたしは生きなければならないのか」と思う。
さめざめと泣きながらこれを書いている。Tシャツが涙で湿ってしまってもう拭えない。
追記:
アスペに対する差別は少数民族迫害として訴えていくのが一番理解を得られやすいだろうけど
(チー牛はブサメン差別!って言われてもアスペ以外の人は?不審ではあるけど言うほどブサイクか?ってなる)
自閉の人は自分が「普通」であることにこだわるから難しいだろうな
ASの普通へのこだわりの大きな特徴は、少しでも普通であることを否定された場合に限り、
「自分が普通だ」「自分が正しい」と死に物狂いに自己正当化する行動である。
実はこの「普通へのこだわり」自体が最もAS的な特徴であるのだ。
「自分こそが普通中の普通で、ほんの少しも偏ったところは無い」と異常に自己正当化し続ける。
世間の全てが自分の主張を当たり前に受け入れるべきであり、その根拠は「自分が普通であるから」というわけだ。
全体を包む「空気」の中に、50パーセントから前後10パーセント程度の広がりを持ったものとして「普通」があり、
しかも「変わっている」「異常」との境界は連続的で、「少し変わっている」「大いに変わっている」というのがあるだけである。
だから「自分が普通」と死に物狂いに力説することは多数派の「普通」の話ではなく、発達障害の問題そのものなのだ。
「本当はあなたが変なのだ」と本当のことを忠告しようものなら極端に逆切れしてその忠告した相手を執拗に攻撃し続ける。
ほとんど人の話も聞かなくなる(この点では躁うつ病の躁状態に似ても居る)ので、この状態になると周囲の人が心配してケアしようにも手がつけられない。
アスペルガーの人は「自分が普通であること」にこだわるようなので
自分が元から障害者だったと認めることはできないんじゃないかな。
あくまで女のせいで自分は障害者を選んだんだということにしたいんだと思う
アスペルガー障害の普通へのこだわりの大きな特徴は、少しでも普通であることを否定された場合に限り、「自分が普通だ」「自分が正しい」と死に物狂いに自己正当化する行動である。
ほとんど人の話も聞かなくなる(この点では躁うつ病の躁状態に似ても居る)ので、この状態になると周囲の人が心配してケアしようにも手がつけられない。
実はこの「普通へのこだわり」自体が最もASD的な特徴であるのだ。「自分こそが普通中の普通で、ほんの少しも偏ったところは無い」と異常に自己正当化し続ける。
世間の全てが自分の主張を当たり前に受け入れるべきであり、その根拠は「自分が普通であるから」というわけだ。
本当の多数派の「普通」はこういう極端なものでは無く、全体を包む「空気」の中に、50パーセントから前後10パーセント程度の広がりを持ったものとして「普通」があり、
しかも「変わっている」「異常」との境界は連続的で、「少し変わっている」「大いに変わっている」というのがあるだけである。
まあ詮索はやめておきましょう。
1つにしぼったほうが効率はいいです。それもやみくもに1つに絞るのではなく、褒められたことにしぼる。
「1つにする」は一瞬、課題分割型解決にみえても最終的にはだれもやったことのない複雑なシステムにたどりつくことがあります。やわらかいいいかただと「社会に溶け込む」です。
ただ「褒められたことはない」、「どこを一番褒められているかわからない」というのかもしれません。「褒められてあたりまえ」みたいな意識があると「褒める人にとって褒めるということがどんなにめんどくさかったり勇気のいることか」がわからないし褒めの内容もなかなか通じないんですよね、多分元増田もそういうところが多くあるんでしょう。(あるいは躁うつ病の影響で「できた」とおもっていることが人からみるとできていないのかもしれません)
社会は評価経済((c)岡田斗司夫。イイネの数が経済的エンパワメントになる)とか贈与経済((c)内田樹)といったことがいわれており、とくに最近の東大の教養の講義を聞いたことがある方ならこれらの考え方にどこかで触れているはずですが。
色々ありすぎて何が正常なのかわからない。みんなどうしてるんだ?
子供のためにこのままではいかんからお前(俺氏)が変われとのこと。俺がんばるぞい。
とにかく自分の家族と合わなかった。自分が主役じゃないとキレたりいきなり号泣する。自分の家族は「???」となること度々。
自分だけが相手ならいいが、そうもいかず子供たちに被弾しまくり。自分の家族から少し距離のあるところに転居。因みに奥さんは俺氏の家族に一家でパラサイトしたかったみたい。
なんかのWebのチェックリストで5/10がtrueならメンタルクリニックへGo!なやつをやってもらった。ほぼ全部true。
自活力がなく「待って。治すから」となる。ちなみにいつでも離婚したるぞ!といってたのに。メンタルクリニックの受診を条件に離婚を取りやめる。
いや、約束まもれや
俺氏は何度か死にかけて入院したり手術したりしながら稼ぐ。手に職系なのでどんどんキャリアアップ。しかし、子供たちのためにどんどんお金がかかるようになる。
「働いたら死ぬかもしれないのよ!」が決まり文句になる。しかし、毎日ジムにいく。子供たちを放置していく。会社から戻るまで待ってくれ!といっても無視。
初犯と言う事で多めにみてもらったが、とってた量が常習犯。なお、奥さんからなんも説明も謝罪もない。
書いてて気付いたわ。わかれよ。
雌雄の個体の平均身長は158~167cmほど(性成熟すると雄は盛んにマウンティングの際の鳴き声で185cmや190cm代という声で鳴く)
日本全国に分布するが、海外への移入や外来種は記録されていない、過去世界各地、主にアメリカ西海岸や、イスラエルのテルアビブなどに輸入が図られたが、スキル不足や季候に合わずすべての個体が定着に失敗している
基本的に雑食性であるが、性成熟した雌雄は盛んにアメリカ西海岸産や、アメリカ流行の食物を好む、反面中国産、韓国料理やノルウェー産の魚介類、オージービーフなどは「勝ち組は食べない」などという鳴き声で嫌う習性が報告されている。
22歳で性成熟した個体、特に雄に関しては、IT業界に生息するが、数万体に一体の割合でなる個体「上級SE」「フルスタック」等を除けば、30歳~35歳を境にIT業界からはいなくなる、これは専門家の間では自然淘汰によるものという説が現在有力である
IT企業における飼育下では、特にSIerやソフト屋の客先常駐、スキルが高いエンジニアしかいない自社開発などの環境下においては、チック症候群、うつ病、消化器不良、パニック障害、躁うつ病、統合失調症、慢性疲労症候群にすぐかかるが、精神治療や薬物治療、自己啓発書、なろう小説、雌個体は悪役令嬢小説などを与えると、亜科に属するヒトと同じくらいの寿命は生きるという説がある。
飼育下で家畜として使役したい場合は、web業界の檻を与え、やりがい、将来性、スキルといった餌をあたえ、勉強会や週に一回の自宅リモート勤務を与えるとよい
ただし、週2~3回に増やすと、サボり始めて生産性を著しく落とし、「マウンティング」「給与交渉」「SNSに会社の内情を暴露」といった習性に出るために注意が必要。
増田の飼育は困難を極めるため、国内で飼育したい場合は、IPA資格プロジェクトマネージャー、もしくはPMPの資格がなく、許可なく飼育して野生化個体、精神病個体などを生み出すと、罰則などが設けられている。
野生化、飼育下での繁殖率は著しく低く、一説にはジャイアントパンダよりも繁殖が難しいため、繁殖手法の確立などの研究がされているが、未だ有効な手段は確立されていない。
フリーランス、完全フレックス制のweb系ホワイトベンチャー、外資系社内SEといった環境でなければすぐに病気にかかるほど非常に繊細な個体であるが
やりがい、スキルといった言葉を与え、フリーランスで放牧、男女ともに容姿のいい飼育員などで介護すると、泡の立つドブ川に生息し、ジャンボタニシの卵を主食にしても問題がないほどの免疫力を得るという説が存在している。
「最も自閉症の発生率が高かったのは父親が35歳から44歳までの間で、母親が10歳以上年下の場合である」
・精○の質が一番良いとされるのは、10代後半から20歳位です。
父親の年齢が上がるほど生まれてくる子どもの健康に問題がある可能性は高くなる傾向にあり父親が45歳以上だった場合、
【低身長や自閉症のリスクが20~25歳の父親を持つ子に比べて数倍に上がる】
との報告がある。また、子どもが男の子の場合は技術オタクになりやすいという傾向もあるようだ。
親が高齢であるリスクは、その子が大人になった後にも影響するらしい。
最近の調査で、生まれた時に父親が高齢だった子どもは、自身が大人になり、授かる子どもの数が少ない傾向にあることがわかった。
この傾向は高齢の母親から生まれた子どもには見られなかったという。
男は18歳~20歳が質の良い精○とされている妊娠のピークだよ。
父親が39歳以上だと30歳未満の男性の子供と比べて6倍の確立で子供が【自閉症】。
【統合失調症】の子どもが生まれる確率:男性が40歳だと確率は2倍、50歳だと3倍になる
【躁うつ病】・【多動性障害】・【てんかん】・【前立腺がん】・【乳がんのリスク】:父親が40歳に近づくほど高くなる。
【小人症】・【マルファン症候群(結合組織疾患)】発症のリスクが増加。
【アペール症候群(身体の奇形を特徴とする先天性疾患)】発症のリスクが増加。精○が劣化するので【流産】の確率を高める。
【子どもの知能の低さ】と父親が高齢であることの関連性の証明をされてる。
男性が40歳以上の場合、相手の女性が30歳未満でも若い男性と比べると妊娠率が25%低下するんだよ。
「女は年取ると子供はできなくなるうえに子供が障害児になる確率が上がる。
でも、男は何歳でも子供はできるし障害の原因にはならない」という意見は大嘘。
既に様々なリスクが指摘されている。
多くの親はそう思うのでは。
過密的な訓練期間は躁状態、それが3ヶ月以内しか持たないこと、それでその他の期間は概ねうつ状態、ということになれば躁うつ病の可能性がある。
躁うつ病(≒双極性障害)とうつ病は、似ている部分もあるし明確にわけられない場合があるものの、「治療法が異なる」という大きな違いが存在する。
いまの診断がうつ病+ADHDなのであれば、本当に躁うつ病+ADHDでないのかどうか、担当医とよく相談したほうが良い。
なお一般的な躁状態の症状は、睡眠が短くても平気、快活で爽快な気分、活動量の大幅な増加、多弁、新たな興味・感心、浪費傾向(場合によっては借金も)、血統妄想(ナポレオンの生まれ変わりだ!)、などなど。期間は数日から数ヶ月であることが多く、過密的な訓練期間とやらが3ヶ月以内で毎回終わるのなら、該当する可能性は十分ありそう。
小さい頃から希死念慮(ぼんやりとした死んで楽になりたいという気持ち)がある。
小学1年の時に、祖父母が買ってきた問題集をやらされたのが嫌だったらしい。勉強机だった古い木製の机に鉛筆で死んでやるとか死にたいとか書いていた。
人に見つからないように書いていたつもりだが、バレていたようだ。祖父母が亡くなった後に父から聞かされた。
小学校高学年で火の鳥を読んで、それから生と死についていっそう考えるようになった。
中学の頃は成績の事でよく怒られてて、2階のベランダの壁の上に座りながら、ここから落ちて死んでもいいのかなと思って月を眺めていた。
今思うと、道路から通行人に見られていたら通報されていたかもしれない。
中学3年の時に車輪の下を読んだ。父は悲しい話だと言っていたが、自分は主人公は楽に慣れて少しうらやましいなと思った。
高校の文化祭、体育祭、修学旅行にはあまりいい思い出がなく、この頃から自分は人とは少し違うことを感じていた。
いつだったか、両親にせっかく産んであげたのにと言われたことがあったけど、産んでくれないほうがよかったのにと思った。口には出さなかったけど。
高校3年で受験勉強がうまく行かない時があって、3階の教室の窓から下を覗いて、ここから落ちて死んだら楽になるのかなと思っていたら、クラスのあまり喋ったことのない人に飛び降りるとか考えるなよと言われた。
大学では体育会系の部活に入ってしまったが、あまり馴染めずにいた。
退部する勇気がないでいたら、周りが次々に辞めて逆に辞めづらくなってしまい、結局最後までズルズルといた。
ストレスはあったけど、Winnyでダウンロードした完全自殺マニュアルや自殺のコストを読んで心を落ち着かせていた。
大学院では修士2年からまったく研究をするモチベーションがなくなってしまって、トラックにでも跳ねられて死んで、今まで学費を払ってくれた両親に賠償金が入ればいいのになと妄想していた。
実際に手首を切ったとこはないけど、刃物を手首にあてながら、切ったら傷跡が残るの嫌だなと思っていた。
社会人になってからは、残業はそれ程厳しくなかったが、家に帰ると体が動かなくなってベッドの上で固まっていた。
同期や職場の人とのコミュニケーションに気疲れしてしまい、特に飲み会の次の日には無性に死にたくなることが多かった。
今では会社の人とはプライベートでは極力会わないように気をつけている。
自分はだったら失敗せずに上手くやったんだろうなと思っている。
躁うつ病、正確には双極性障害II型と診断されて四年。たぶん"ふつうの人"にはあまりピンとこない、でも想像してみると面白いかもしれない話。
双極性障害は社会生活に支障をきたすレベルで気分が変動する障害で、例えば鬱の時は何週間も全く家から出られなくなるのに、躁の時にはアイデアが雪崩のような頭から溢れ出し、病的に饒舌になるというような嘘みたいなほんとの障害。
この障害を診断され自認するようにってから、ひどく骨を折ったのは「自分の感情を信じないようにする」ということだった。
たぶん「自分の能力が信じられない」という人はよくいると思うけど、「自分の"感情"が信じられない」という人はあまりいないと思う。例えば、泣いてるときに「いま私は泣いているが、私は本当に悲しいのか?」と自問する人はそんなにいないと思う。でもこの障害だと、喜怒哀楽すべての感情に対して、「私は本当に〜」とやる必要に迫られる。というのも自分が喜怒哀楽を感じる対象が余りにもコロコロ変わるために、それら全てを自己として認識することがふさわしくないように感じるからだ。
この「自己の感情への懐疑」に思い当たった時、酷く動揺したのを今でも鮮明に覚えている。考えてみて欲しい。自分の感情というのは、当たり前だが、自分にとって最も馴染み深いもので、最も自分らしさを規定してきたもののはずだ。自分の感情と自分を切り離すというのは、いったいどういうことなのだろう、切り離した自分というのはいったい何だろう、そこに何が残るのだろう、というような訳のわからない疑問だけが頭に浮かんだ。
私自身がそうだったのだが、鬱の気持ちがわからないという人は結構いると思う。でも実際自分が鬱になってみて、変な話だが鬱の気持ちというのは自分でもよくわからない。鬱の時の思考や感情というのは、自分にとっても馴染みのないもので、全く新しい自己の一面のようにも感じてしまう。しかし、鬱が長引けば長くほど、果たして自分とはなんだったのか、自分が自分と思っていたもの考え方、ものの感じ方の方が間違っていて、本当の自分とは、ベットの上から起きて、生理的欲求を満たして、またベットの上に戻ることしかできない、今の姿なのではないかと思えてくる。まさに深淵を覗くような気分である。
それでも何週間か経つと今度は世界を変える男はこの俺だ!といったいような誇大妄想を持つようになる。自尊心が増大し、酷く横柄な態度を取るようになり、病的におしゃべりになる。そんな気分のジェットコースターを何度も何度も繰り返した。これではいくつ心があっても足りない。
社会的に破滅するほどテンションが上がってる訳でもなさそうだから双極II型障害かな?
II型はいわゆる躁うつ病というよりパーソナリティ障害圏に近い概念で疾患概念もかなり曖昧なんだけど、そういうことも知らなさそうな、この手の「病名に圧倒されてそれに縛られるタイプ」って、だいたい躁と軽躁の区別すら付いてないよね。
ごめんなさい、このサイトを使うのが初めてなのもあって先程間違えて書きかけのままトラックバックしてしまったのですが、もう一度頭から投稿させて下さい。
エントリを読んで、自分とすごく似た大学生活だと感じました。私も、1年間の休学を挟んで4月から3回目の1年生をしています。
双極性障害(躁うつ病)も精神科の診断でついたもののひとつで、連絡を放棄して家にこもりひたすら寝ていたこと、死ぬことばかり考えてしまったこと、その中で夕焼けがとてもとても綺麗だと強く感じたこと、新学期に教務で挫けてしまったこと、家にいて怠惰な暮らしをしているのに、出席できているときよりずっと苦しいこと、その他もまさに自分が体験して来た気持ちが書かれてあり驚いています。
まず、4月の出席率が9割を越したということ、本当におめでとうございます。
今まで一番にしなければならないと分かっていても、どうしてもできなかったことを踏ん張ってひと月目を終えられたのはとても凄い。あなたの中でも、そのことに関して自分で自分を認めてられているようでそれが何だか嬉しいです。
似た状況が沢山ありながらも、あなたは私よりずっとずっと頑張り屋で前に進もうとする意志を感じます。
合わない医師にかかり通院をやめた経験は私にもありますが、その後あなたのように自力で細かな自己分析はできませんでした。そのあと大学の心療サポート機関に自力で頼ることも。
あなたがとても眩しく映るし尊敬します。エントリにどうしてもコメントめいたものを残したかったのは、私自身が今まで、大学生活や病状に限らず似た状況や感情を持つ人の存在に励まされてきたからです。
そして、このエントリでまた明日から学校へ行くための後押しが増えました。あなたがいるから私ももう少し頑張れそうです。
読んでくれた人がいるなら嬉しいと言っていたあなたは、もしかしたらその文章で救われた人がいることも喜んでくれるんじゃないかと思ったのです。
この記事が届かないなら、それはそれでいいかなとも思っていますが。
私はあなたが生きていてくれて、エントリを書いてくれてとても嬉しい。ありがとうございます。
勝ち。
私も4月から挫けそうになるとそう思うようにしていました。家事もお化粧も、他の何一つ出来なくっても、今日授業に出さえ出来れば私の勝ち。
今週もお互い勝ちましょう。きっと大丈夫です。
去年著しく心身の健康を損ない、寝ると泣く以外には何も出来ない日々を過ごしたあと、以前よりもっと出来ることが減っている自分に気付きました。精神はある程度回復しているのに、必要最低限以上外に出たり、人と関わる体力がないし、こう工夫したらもっと生きやすくなるとか、前進するためになにをすればいいかが分かっていたとしてもそれを始めたり成し遂げるイメージが持てない。
勇気をもらう