まあ詮索はやめておきましょう。
1つにしぼったほうが効率はいいです。それもやみくもに1つに絞るのではなく、褒められたことにしぼる。
「1つにする」は一瞬、課題分割型解決にみえても最終的にはだれもやったことのない複雑なシステムにたどりつくことがあります。やわらかいいいかただと「社会に溶け込む」です。
ただ「褒められたことはない」、「どこを一番褒められているかわからない」というのかもしれません。「褒められてあたりまえ」みたいな意識があると「褒める人にとって褒めるということがどんなにめんどくさかったり勇気のいることか」がわからないし褒めの内容もなかなか通じないんですよね、多分元増田もそういうところが多くあるんでしょう。(あるいは躁うつ病の影響で「できた」とおもっていることが人からみるとできていないのかもしれません)
社会は評価経済((c)岡田斗司夫。イイネの数が経済的エンパワメントになる)とか贈与経済((c)内田樹)といったことがいわれており、とくに最近の東大の教養の講義を聞いたことがある方ならこれらの考え方にどこかで触れているはずですが。
なるほど。しかし僭越ながら、私は先程書いたほとんどで他人にも誉められます。社交辞令では明らかにない形で誉められます。子供の頃は学外の絵のコンクールで賞を貰ってばかりの...