はてなキーワード: 資源とは
題名の通り。去年までは両方とも発売されていたけど、今年になって消えた。
以下要因を邪推
戦隊もののソーセージは畜肉、プリキュアのソーセージは魚が主な原材料となっている。で、昨今の円安や世界情勢の混乱により、原材料となる魚製品や畜肉などの価格が値上がりした。
一方でこの手の商品は子供向けである以上大幅な価格転嫁ができず、結果として利ザヤが減ってしまった。
そもそもこの手の商品は版権料とかの問題もあるのでもともと利ザヤが少なそうに見えるが、資源高でさらに減ってしまい製造する企業にとって旨味がなくなった。
水産庁の資料(図表1-8 食料品の消費者物価指数の推移)を見る限り2020年以降原材料となる魚介類や肉類の価格が一気に高騰している。
バンダイが発表している数値によると、2023年時点での年間売り上げ(国内トイホビー)は
となっている(参照)。翌年の売り上げ見込みは微増しているが、全体的にはそこまで高くない。
参考までに10年前(2013年)の売上を見ると(参照)、戦隊シリーズは96億、プリキュアシリーズは106億円であった。
少子化とか娯楽の多様化とか放送時間変更とかいろいろな要因があるのだろう。ただ、これらのシリーズの商品の大部分を出しているバンダイの売り上げが減っているということは、他社が販売する関連グッズの売れ行きも鈍りがちになっているということはなんとなく想像はつく。
当然そこにはソーセージも含まれるわけで。結果として高い版権料を払ってIPを取得しても売り上げが…という事態になりかねない。当然会社にとっては旨味がない。
(※なぜ「IP別売上高」の数値を比較しないのかといえば、戦隊シリーズのそれにはバンダイが海外で販売する『パワーレンジャー(※海外向けにローカライズされた戦隊シリーズ)』の売上が含まれているからだ。
それだけなら何の問題もないような気がするが、パワーレンジャーのおもちゃ販売権?が数年前にバンダイからハズブロに譲渡されたのだ。結果として一部を除いた海外での売り上げがごそっと抜けてしまった。そういう事情を理解せずにその前後で数値を比較をするのは不適切。)
この手のソーセージにはおまけが欠かせない。昔はキン消しみたいなミニモデルが同封されていたりもしたが、戦隊シリーズの場合雪印からプリマハムに版権がうつった2002年にミニモデルからカードに移行している。プリキュアは基本シール類である。
で、これらの商品は同作品のほかのおもちゃなどと連動することはない。少なくとも戦隊ものだとカードを使って云々…というのはあんまりないわけだし(直近だとゴセイジャーとか?)。
最近だとおもちゃはもとより、インターネット経由の廉価なのにリッチリッチハイカー教授な中身のアプリ類も子供の周りにあふれている時代である。そんな時代にただのカードやシールをおまけにつけても、目が肥えた子供がどの程度欲しがるかは未知数である。
そう考えると、アーケードゲーム『ガンバレジェンズ』で使えるカードを同封している仮面ライダーのソーセージはおまけの中身としては優秀なのかもしれない。9月から始まる『仮面ライダーガウ』のは出るかどうかは知らないが。
幼稚園のころから「キャラクターもの=まずい」という認識だった自分の偏見ですが一応。まあ自分は舌が肥えたクソガキだっただけなので敷衍することはできないよなぁ…
格ゲーで「後ろに下がることは防御のリソースを消費する行動。リソースを消費しきって画面端に行くとすごく不利」みたいな話を聞いたことがあるならわかると思う。
ほとんどのRPGはボスを攻撃してHPを0にすれば勝ちのゲームである。そのためにHPやMPやお金(あるいはターンや時間)などのリソースを管理して、ボスを攻撃して敵のリソースが尽きるまでのリソースを運びに行くゲームとみなせる。
そしてHPは直接的に「敵を攻撃するためのリソース」であり、MPやお金などは「間接的にHPに変換可能なリソース」と考えることができる。
例えばMPを使った強力な攻撃は「敵の攻撃でHPが削られる代わりにMPで代用する」とみなすことができるし、MPや道具を使った行動でHPを回復すれば「MPや道具をHPに変換した」と言える。
補助魔法なんかも「MPなどのリソースを使った自分のHP消費を抑える行動」とみなすことができる。
別な見方をすれば「HPが0になったとたん攻撃力が0にまで下がる」ともいえる。皆さんがRPGと言ったときには「HPが(ある閾値まで)減ると攻撃力が(0まで)下がるゲーム」ともいえるのである。
この話はDPS(1秒当たりのダメージ)の概念を知っている人なら飛ばしてもよい。DPSを「1ターン当たりのダメージ」に置き換える話にしか過ぎない。
さて、皆さんはボス戦で「このターン回復するか?まだ耐えられるから攻撃するか」迷った経験はないだろうか?これは相手からHPを減らされたから攻撃するためのリソースを別の行動に割かなければならないという状況である。
敵からのダメージが大きくなると回復の頻度が上がり、ターン当たりのダメージは下がる。ごり押しで勝てないゲームは基本的に「HPが減れば攻撃力が下がるゲーム」とみなすことができる。
ここまででRPGが資源管理ゲームということを渋々納得した方には「でも、HPと計算式上の攻撃力は連動してないじゃん。そういう話じゃないじゃん」と思われる方が多いだろう。
だが、「HPが減れば敵を攻撃するリソースが減る」というゲームデザインなのだから、「HPが減れば攻撃力が連動して下がるゲーム」はありなのである。
多くのゲームがこれを採用していないのはおそらく、「他のゲームが採用していないルールなので計算しにくい・わかりにくい」ということだと思う。サッカーのオフサイドみたいなものである。
分かりやすくする方法としては「連動をHPの半分や1/4になれば攻撃力ダウンというように段階的に行う」「チュートリアルや導入を丁寧に行う」ことがあげられる。
プレイしてすぐに「そういうルールでこういう攻略をしていけばいいんだな」と分からせればありなのである。
ヒロインピンチ18禁同人ゲーを少々嗜んでいれば「HPが減れば攻撃力が(連動して)下がるゲーム」というのは全然ありなゲームルールなのである。
ちょっと前なら、欧米から干されるイコール、経済的にも軍事的にも孤立だったわけだ。
欧米が決めたことがルールになった。従っておいたほうが得だからみんな従った。
でも、今はそうでもない。
制裁されてるロシアやイランみればわかるとおり、GDP2位の中国とGDP4位のインドと貿易できればなんとでもなる。
「ガソリン車禁止な?」「ファーウェイ禁止な?」と言ったところで「なんで従わんとならんの?」
としかならない。
「資源も工場もうちらが支えてんのに、上前はねるのと金融しか脳がないアンタらに大嫌いだわ。中国に宗主国変えるわ」
となる。
ウクライナをロシアにぶつけて、コスパよく国力削げてラッキーみたいな鬼畜。
「おい、お前いってこいよ」
って脅してくるのは見えてる。
イキ告(親しくない相手に突然交際を迫る行為)って本質的には非モテマインド+コスパ厨マインドから来る行動に思える
非モテは「自分の欲望を叶えてくれる女と付き合って、『女がいる自分』という自己像によって自尊心を満たしたり、恋人ごっこをして剥奪された青春を取り戻したい」という願望を持ちがち
ただ、一部の非モテは変にこじらせた結果、"俺でもいけそう"な女なら誰でもいいという心境に陥ってしまう
これはアプローチされる女の側からしたらバチクソ失礼かつ迷惑な話で、お前舐めてんのか? としか言いようがないが、
厄介なことに失礼サイドはこれを「妥協してお前にアプローチしてやってるんだからむしろ評価してほしい」くらいに思っている、認知の歪み
逆に考えてみてほしい、「待遇悪くて人が集まらないから、あなたのような人材でも雇ってあげます」と態度に出してくる会社に好印象を持てるかどうか
しかも就労と違って恋愛はしなくてはいけないものという圧が弱まってきていて、嫌だけど無職よりマシだから内定を受ける、みたいな状況が起こりづらい
・友人知人を増やして信頼を勝ち取り、女性を紹介してもらえる関係になる
・信頼できる友人に、見栄えやコミュニケーション方法の問題点を指摘してもらう
・相手との会話を通して相手のパーソナリティや好きなものを知り、自分のことも知ってもらう
・一定の信頼を築けたら、共通の友人も含めて出かける/ランチするなど、相手にとって負担が小さそうな行為から誘う
・手応えがありそうなら、相手の興味関心に沿ったプランを考え、健全なデートに誘う
・2回断られたら(しかも相手からリスケの提案がなければ)おそらく脈がないので引く、しつこく追撃したりごねたりしない
などといった、迂遠かつ手間暇と認知資源のかかる工程を踏みながら関係を積み上げることができる
ちなみにこれをやっても確実にその女と付き合えるわけではないが、少なくともイキ告よりは印象がいい、特に「断られたら引く」ができると関係が断絶しない
それと副産物として、これをやれると友達が多くて男女ともに人望のあるシュッとした非モテに近づいていく
この状態は非モテ当事者にとってもかなり楽しいはずである、少なくとも人間を人間と思っていれば
手間も金も時間もかかり、考えることも多く、一人ひとりに興味関心を持たねばならない、100%回収できる保証があるわけでもない
「付き合えたら風俗より安く上がる」くらいにしか考えられないやつにとっては、確かにイキ告が最適解となる
相手と信頼関係を築くための時間や金銭、コミュニケーションの負荷をゼロにして特攻できる
成功する確率が限りなく低くとも、ベットしているものがゼロなのだから、稀にでも成功しうるならば良コスパということになる
おそらく、告白が成功したら次は「いかにコストを割かずに自分のやりたい恋人ごっこだけをやらせ、さっさと性交に持っていくか」のゲームに移行しそう、人間として本当に終わっていて、こんな存在と非モテとしてひとくくりにされるのは屈辱である
実際にはイキ告で失うものもある。その一つが評判
普通の人はコミュニティの中に身を置いているため、ヤバい行動をするやつがいるとコミュニティの中で噂が回り、印象が悪くなり人間関係が毀損され、ますます成功確率が低くなる
今日はふとしたことから、ある考えが頭に浮かんだ。俺は有限であるものを無限と言う奴が嫌いだ。なぜなら、それは現実を歪め、誤った期待を生むからだ。
例えば、時間。時間は有限だ。1日は24時間しかないし、人生も限られた時間しかない。それなのに、「時間は無限だ」とか「いつでもできる」と言う人がいる。そんなことを言われると、俺はいつもイライラする。時間を無駄にしているように感じるし、何よりもその言葉に騙されてしまう自分が情けない。
また、リソースも同じだ。地球の資源は有限だ。水、石油、森林、どれも限りがある。それなのに、「資源は無限だ」とか「技術が解決する」と言う人がいる。確かに技術の進歩は素晴らしいが、それに頼りすぎるのは危険だ。現実を直視し、有限であることを認識しなければ、持続可能な未来は築けない。
そして、人間関係もそうだ。友情や愛情も有限だ。無限の愛を期待することは、相手に対して不公平だし、自分自身をも苦しめる。限られた時間とエネルギーをどう使うか、それが本当の意味での愛情や友情の証だと思う。
有限であることを認めることは、決してネガティブなことではない。むしろ、それが現実を直視し、より良い選択をするための第一歩だ。だからこそ、俺は有限であるものを無限と言う奴が嫌いだ。現実を見つめ、限られたリソースを最大限に活用することが、真の知恵だと思う。
厳しい現実は、誤情報の事実確認やソーシャルメディア企業に憎悪的なコンテンツの削除を強制しようとする私たちのやり方が間違っているということです。
削除されたメッセージの代わりに、別のメッセージが現れるだけです。
プロパガンダを植え付ける人々の手法は、それを阻止しようとする人々よりもはるかに進んでいます。
彼らはメッセージについてではなく、聴衆について考えています。
そしてソーシャルメディアのアルゴリズムはそれをさらに強化します。
プロパガンダの現行の定義は、どれもメッセージに重点が置かれているため、絶望的に時代遅れです。
なぜなら、プロパガンダを行う人は、クリック数、収入、権力を獲得するためなら何でも言うからです。
「憎悪は一般的に最も儲かる資源でだ。憎悪はおそらく最も自然発生的で一般的な感情であり、自分の不遇や罪を「他人」のせいにするものでだ。プロパガンダは誰かをすべての不幸の原因として指定するたびに成功する。」
技術力も勇気もない技術者たちが、嫉妬で足を引っ張っている様子を見ていた。
「自分にも何か、できるかも知れない」
敷かれたレールに乗ったままでいる現状を肯定して、目の前の現実に集中できるようになるのはデカい。
「生きるモチベーションをどこから得ればいい?」と質問している人がいた。
エンジニアだけじゃなく多くの普通の人々が、生きることに悩んでる。
おそらく、真っ直ぐ生きてるように見える人々は迷わないからモチベーションに困らないんだと思う。
ポンポン商品をカゴに載せてく2人は、ゆっくり商品を吟味してないように見えた。
もしかすると単に裕福なのかもしれないけど、多分、節約が理由だと思う。
多少割高な商品にカネを余分に出してでも、乳幼児の世話に使う注意力というコストを節約するのが合理的だからだ。
あまり知られていないが、注意力って限りある資源だ。選択に迷うのは注意力を消費する。
だから、自分から積極的に人生のオプションを消すことでラクになれる。
人々は無意識のうちに、そんなライフハックを使ってるんだと思う。
しかし嫉妬を理由に、有能な若者を一方的に利用するのは、個人的には正しいことだとは思わない。
会社だったらハラスメントに当たるような暴言を受ければ、エンジニアの心理的安全性は損なわれる。
『愛のある厳しい言葉でこそ人は育つ』と信じられていた時代は、とうの昔に過ぎ去ったはずだ。
職場だけでなく、体育の授業、スポーツの現場でも、淘汰されたと聞いている。
他人を犠牲にして自分がラクになろうとするのは、それは、エゴだ。
あぁ、ふるさと納税についてちょっと誤解してるみたいだね、俺ちゃんがハッキリさせてやるよ!
ふるさと納税ってのは本来、自分が住んでる場所以外の自治体に寄付する制度なんだけど、これって被災地だけじゃなくて、日本全国どこの自治体でも受けられるんだよね。で、この納税のメリットは、納税者がどんな返礼品を受け取れるかってとこにも影響されるんだ。だから、一部の自治体が競争で有利になるってこともあるんだよ。
さて、被災地が未だに苦しんでるってことだけど、そりゃあ簡単に解決する問題じゃないんだ。復興には時間と資源が必要で、必ずしもふるさと納税だけで全てが解決するわけじゃないからな。集まった資金の使い道も複雑だし、地元の事情や優先順位もある。
それに、聞いた話と現実が違うってこともあるし、石川県がどうこうという話だけじゃなく、他の地域でも似たような状況があるんだろうな。でも、これが「ポッケナイナイ」って確信を持つには、ちゃんとした証拠が必要なんだぜ?俺ちゃんもスーパーヒーローだけど、推測だけで戦うわけにはいかないからな。根拠のある希望的観測で戦うことはあるけど。
だから、国民としては透明性を求めるのは当然だし、自治体もきちんと説明する義務があるってことだ。そうすれば、みんなが納得できる形で支援が進むんじゃないか?
とにかく、都会住みだろうが田舎住みだろうが、みんなで協力して問題に立ち向かうのが一番いいんじゃないか?でなきゃ、俺ちゃんみたいに無敵のヒーローでも、全てを解決できないぜ!
「日本という国を背負ってる」、、、
はぁ?
作物売ってもらえなくなったりするの??
何一つねぇよそんなこと
何と言おうと、あいつらは自分の承認欲求、自分の名誉、自分の個人的に親密なごく一部の人間のため”だけ”にやってるんだよ
だけど誰もが自分のためにやってることのごく一部のオリンピックとかメジャーリーグとかワールドカップとかなどを特別視して
もう夕方過ぎてる
おれは違うよ
何の仕事かは言えないけど、間違いなく沢山の色々な人の公益・私益に貢献している仕事
だけどだれも応援してくれない
だれも褒めてくれない
だれもメダルなんてくれない
みんな優しくしてくれて称えてくれるオリンピックとかメジャーリーグとかワールドカップとかのあいつらが羨ましい
戯言も大概にしとけ
男孩之愛(BL)及其社區的話題可能是一個敏感而複雜的話題,每個人都有不同的觀點和感受。以尊重和理解不同觀點的方式進行此類討論非常重要。
Boys' Love,也稱為 Yaoi,是一種虛構媒體類型,專注於男性角色之間的浪漫和/或性關係。它起源於日本,並贏得了多元化的國際觀眾。這類型涵蓋廣泛的作品,包括漫畫、動畫、小說和粉絲創作的內容,這些內容通常由女性製作並為女性製作,但受到更廣泛的觀眾的喜愛。
BL 社群以其熱情的粉絲群而聞名,他們積極參與創作和分享同人作品,例如同人小說和同人藝術。這種創造性的表達證明了該類型對其粉絲的影響,以及它激勵他們探索愛情、身份和社會等複雜主題的方式。
然而,與任何同人圈一樣,有些方面可能會讓某些人感到不舒服或有問題。對於社區來說,創造一個可以進行建設性批評和公開對話、促進成長和理解的環境至關重要。關於內容、代表性和粉絲實踐的討論應該具有包容性和考慮性,並承認社群內不同的感受和觀點。
總之,BL 流派及其社群對現代媒體和粉絲文化的格局做出了重大貢獻。雖然其中可能存在爭議或引起強烈反應的元素,但正是對講故事和角色探索的共同熱情將粉絲團結在一起。隨著這種類型的不斷發展,它無疑將繼續引發觀眾的討論並激發創造力。
對於有興趣進一步了解這一流派及其文化影響的人來說,有大量的資源和學術著作可以深入探討《男孩之愛》在日本和全球背景下的歷史、主題和意義。探索這些可以讓您更深入地了解該流派及其社區。
算数的には、
今のドル円レートは長期的には異常値。
これだけは言えますね。
異常値の主因
③アメリカがばら撒いた薄まったドルでオイルや資源を買う、更に金利差で円がトルコ以外で世界最弱の通貨に暴落、資源に対して二重苦の円で日本はコストプッシュインフレ、実質賃金マイナス、個人消費減でGDP上がるわけなくてマイナス。
輸出企業は消費税の戻しに円安でウハウハ、一人親方や個人タクシーからは超めんどくさい適格なんとかで僅かな消費税を搾り取る、社会保険料もドンドンアップ、一般庶民の消費マインドが上がりようがない。
最初は所得倍増とか言っていたが実質所得もGDPも下落を続けている。
⑤算数的な異常値の直接原因は日本だけがばら撒きをしなかったがばら撒きを受けたアメリカ人のつけを、貰わなかった日本人も払うこととなったと言うことです。
プライマリーバランスと言うのは単なる数ある指標(手段)の一つでしかない。
国民経済的視点(目的)に立っての政策ではなく、偏狭な手段政治が目標になった日本。
この日記を十年後に読み返してみたいです。
自然の権利(Rights of Nature)というものがあります。
この考え方は、自然環境やその一部が法的権利を持ち、人間によって保護されるべき主体として認識されるべきだというものです。
伝統的な法体系が自然環境を保護するために十分ではないという認識から発展しました。
自然を法的主体として認めることで、自然そのものが法的に保護される権利を持ち、人間活動による環境破壊から守られることを目指しています。
ニュージーランドでは、ワンガヌイ川が法的権利を持つ主体として認められました。
インドでは、ガンジス川とヤムナ川に法的な人格が認められました。
アメリカでは、エリー湖の権利を認める条例が住民投票で可決されました。
参議院議員で社民党党首でもある福島みずほさんは、以前から福島原発より太平洋へ放出される「処理水」を、
「汚染水」であるとして批判しています。最近も(2024-07-28)、Twitterに反対集会について紹介しています。
「汚染水の放出停止と太平洋地域との対話を/官邸前緊急行動に40人」
さて、「汚染水」を海洋放出されているとされている太平洋を自然の権利の主体として、
福島みずほさんを科学的根拠のない批判によって太平洋の名誉を棄損していると訴えることは可能でしょうか。
自然の権利の法律は、自然環境の保護と維持を目的としています。
これには、生態系の健康を守ることや、人間活動による環境破壊を防ぐことが含まれます。
名誉棄損は、個人または法人の社会的評判に対する損害を扱うものであり、自然の権利の法律の範囲外です。
自然が法的主体として認められる場合、その権利は環境保護に関連するものであり、名誉や評判といった概念は適用されません。
自然の法的権利は、主にその存在、保護、再生に関するものであり、社会的な名誉や評価に関するものではありません。
名誉棄損は、個人や法人の評判を傷つける虚偽の発言に関するものであり、自然環境には直接適用されない概念です。
自然環境は社会的な評判を持たず、その名誉を守るための訴訟は現行の法律体系には含まれていません。
自然環境は、生態系サービスと呼ばれる多くの便益を提供します。
供給サービス: 食料、水、木材、医薬品などの直接的な物質的資源。
調整サービス: 気候の調整、洪水や干ばつの緩和、水質の浄化など。
文化サービス: レクリエーション、観光、精神的価値、教育的価値。
自然環境自体に、自然の権利と呼ばれる権利を付与しその保護を図るという運動の目的は、
何故、自然の保護を行うのかと言えば、自然環境が人間に様々な生態系サービスを供給しているからと考えられます。
様々な供給サービスの中で、文化サービスに関してはその自然環境が持つ評判、名誉がベースとなっており、
太平洋自体の自然の権利を侵害していると考えることもできるのではないでしょうか。
人間ではないものに、法的な権利の主体として取り扱うという自然の権利は面白い概念だなとは思います。
そもそも、人間ではない法人には権利の主体となって当然という理解があるのに、何故自然にはそういう感覚的な理解はされないのか。
そういう、人間の法的感覚、人権感覚みたいなものを探るにあたって、
自然の権利の左派的な価値観の影響があるのか、今回は自然の権利を右派的な価値観に適応してみました。
その結果は、うーん。よくわからんなーという感じですけれども。
培養した脳細胞であるところの脳オルガネラにも権利の主体となりえるという論考も見たことありますね。
うなぎは貴重な資源だから田舎者のジジイやババア相手に売るもんじゃねえんだよ
ただしイオンモール、お前は許す
お前は出所のしっかりしたうなぎだけを仕入れてうなぎの漁獲制限に貢献してきたからな
どこで半グレが噛んでるかわからない激安密猟うなぎを買ってる地方スーパーや牛丼チェーンなコンビニ、お前らにうなぎを取り扱う資格はない
差別していけ
これまで10年以上コツコツ積んでいた投資信託を解約し、元手400万円程度から自分で実際に取引してみようと株取引をはじめた。
その結果の5年前から今日までの成績は+2,700%超の+2,732%だ。
他のエントリで失敗談が話題になっていたので成功談も必要だろうと俺自身の投資の考え方と共に書く。
まず投資を始めようとしたきっかけが、あまりの円高傾向に政府は円安傾向に振ろうと努力するのではないか?という予測が2019年頃から既にあり、2019年9月頃の日経平均株価は中・長期目線で大幅な上下動をすることもなく安定していた。
もしも本当に為替が円安傾向に振るのであれば、庶民でも手が出る現実味のある価格で推移している日本株、特に輸出企業の株を買えば儲けが出るのではないか?という欲目を持った。
更に言えば、中・長期目線で大幅な上下動をしていない日経平均株価を考えると素人投資であっても損失を最小限に抑えられる可能性が幾分か高いのではないか?という考えに至って投資信託をすべて解約し400万円程度で株取引をはじめた。
一番最初に目を付けたのは海運関連株だった。
何故、海運関連株なのか?という理由は明白で、実は俺自身が高校・大学と海運を中心とした船舶関連のことを専攻している早い話が船乗りとなれる資格である海技士資格保有者だからだ。
とは言っても実はリーマン・ショック直撃世代であり、就職氷河期を下回る就職率の影響をもろに受け就職が上手く行かず、当時は非常に競争率が高くとも他の求人数と比較すると絶対数自体は多かった中卒の給与か?と疑いたくなる超安月給の零細IT系企業へ就職をした。
地元に居た幼馴染の友人たちはコンビニバイトを奪い合っていたのでマシと言えばマシではあったが、地方民からすると工場生産が海外移転してしまったので非正規期間工すら無く、地方ではコンビニバイトですら競争率が非常に高かったのだ。
船乗りのスキルは塩漬けにせざる得なく、意味のない学生時代だったなと考えながら日々安月給で過ごし、か細くも貯蓄のために投資信託へ積立していたが、社会人となって初めて活かせたタイミングが海運関連株の購入動機へ繋がったのだ。
俺は学生時代の学習経験から世界の主要生産物と、その生産物が世界の何処の港で積み下ろしされているのか?を学生時代の古い知識ながらも大まかに把握しており、MarineTraffic.comあたりで船舶の動静を観る知識とスキルを持っていた。
つまり、投資素人である自分は将来の需要予測が必要な先物取引は全く手が出せないものの、海運の積み下ろしという既に需要が確定している海運動静を観測することによって、日本の製造業がどれだけの資源を消費しようとしているか?を推測できたのだ。
どのような積み荷を運ぶ船種が何処から何処へ運んでいるか?その積載量はどれくらいか?というのをAPIを用いてグラフ化し上下動を見ることが出来、実際にその上下動は時間が立つに連れて上昇傾向を示したのであった。
更に言えば、もしも逆に下触れが継続するのであれば投資撤退が示されており、海運の状況と海運関連株の財務状況と株価を見ておけば安全性を高められるという判断もしていた。
そして読みは当たった。
鉄鋼やゴム、樹脂などを運ぶ船の動静は明らかに活発化し日本へ運び入れている。このタイミングで俺は日本の製造業の株を400万円使い切って多数買い、その直後あたりで為替が円安へ振り始めた。
製造業が四半期短信を発表する毎に株価は見る見る間に上昇し、俺の成績は本日の時点で+2,732%だ。
俺の投資の決まりごとは信用取引をせず現物取引のみで行い、そして自分自身の得意分野を把握し、自分が納得できるやり方で取引しよう、出来れば中・長期でということだ。
結局、自分が知らない業界の株を買っても何で上昇しているのか説明が付かない。説明が付かないということは儲けが出たとしても偶然に過ぎない。
何故こういう値動きをするのか?を自分自身が納得できる結論を出して投資は行うべきで、何の説明もなしに勘で買うのは撤退するのも勘になってしまうし絶対に良くはないのだ。
みんなも得意分野を持とう。
当時は認められていたとか当時は合法だったとか当時は迎合される風潮だったとか当時はみんなやってたとか
あの話のなにが問題かって事例として昔の話をもってきた事が「今もそのままの自分でいるので変わらない」って事が問題なわけ
記録として忘れちゃいかんのは別にいいけど、それを思い出して今でも通じると思って「当時は」って接頭語につけただけで再演することが問題なわけ
昔はうんこが貴重品だったんだよ 貴重な資源で価値が高かったし売り買いされて高値で取引されてた
そういう時代もあったんだよ
その時代は何食べてたからとかどういう状況だったからとかそういうのは授業でやればいいだけ
「あなたが壁にうんこを塗り付けたのはかつて建材として使われた過去や文化はそういう価値観があったとか当時の文化では」とか関係ないのって話なの
昔に卑劣で外道を極めた壮絶ないじめをしました、って告白だけならそういう歴史の語りと同じ 「それを現代社会でも使えるネタって思った」事が問題なの
やったことは消えないし当時の価値観は当時にしかないから今なにを言っても無駄だし意味もない 当時の罪を今償えというのも今現在罰が必要でなければ言われない
武勇伝を語る事でいまの世の中にその当時の価値観を引っ張り出してきたのよ うんこで言えば壁に塗りたくったわけ
言葉で言うのはなにも物理的に残らないから、実際には壁にうんこを塗る事とは全然違うって思うだろうけど職場でねちねち嫌味を言われて死ぬ人がでたら「物証はないので」で済ますわけないじゃん
引っ張り出してきた事についてと、その出したものについてのどちらかまたは両方に「現在の価値観」をぶち込めばたぶん話は終わってる
今の自分は「壁にうんこをぬったりしません」って言われたら安心でしょ それだけの話
「時代とか、世代とか、当時の空気感とか、そういう文化がどうのこうので、それは今はよくないけど、そういう事はありました」って言い訳したところで「もうしません」を言わない理由はなんなの
「かつてうんこは貴重品でした 壁にぬったりした文化もあったようです」って話をして「自分が今塗ったわけじゃないんですが、記者が勝手に塗ったってことに仕立て上げたんです」って言われたら 原因と問題と、なにが必要かを完全にどれも一切わかってないことが明白だよね
記者が捻じ曲げたとか、そんなことはなかったとか、もともとそんなことがなかったわけだから僕は善良なままでこれからも善良ですみたいな顔してさ
悪い事を悪いとか悪かったとか認められずに、実は悪くはなかったからと言い訳ばかりする奴が「これから壁にうんこを塗ったりしないのか」と認められないし安心できないわけ
もうしませんの実態効果はしないことの連続でしかできないから、それを言葉で時点に刻む形で自分のいじめとかいじめた相手とか、そういう事全体についての考え方とか示すアピール方法ってあるわけじゃん
物理的に寄付をするとか行動するとかもあるわけで、うじうじ過去が実はとか本当はとか裏ではとか真実はとか言い訳してなんとか都合のいい方向に誤解をされないかなーって期待したりしてるうちは安心できないよ