はてなキーワード: 負け犬とは
夢見りあむに投票してる
https://anond.hatelabo.jp/20190428000225
夢見りあむはアンリマユの夢を見るか
https://anond.hatelabo.jp/20190428211527
夢見りあむに勝たせたい
https://anond.hatelabo.jp/20190429031727
上記のような文章を他にもいくつか読んだ。いずれも、夢見りあむへの投票動機として
「頑張ってるアイドルが報われる、そんなシンデレラガール総選挙の欺瞞を夢見りあむにぶち壊してほしい」
「恵まれている奴らに負け犬の一撃を加えてほしい」「ガラスの靴を履いた上で、それを嘲笑しながら粉々に踏み砕いてほしい」とも。
まず先に言っておくが、僕は上記の文章を批判したいわけでは決してない。
ただ一つ、違った観点から分析した意見を述べてみたかっただけだ。
「夢見りあむ自身は、総選挙の茶番をぶち壊すことを望んでいるのか?
恵まれた者に対して、ルサンチマンから来る一撃を叩きこみ、全てを茶番と嘲笑いたい、そんなメンタリティを持つアイドルなのか?」と。
答えは否だ、と僕は思う。
デレステコミュの中で、あるアイドルを推す理由をPから尋ねられてりあむはこう応えた。
「がんばってるじゃん!尊みが秀吉じゃん!わかれし!」
頑張っている子が好きなのだ。りあむは。
普通の女の子が努力をし、いつかはそれが報われてシンデレラにたどり着く、
そんな典型的で手垢のついたアイドルの物語を、多くの人と同じように当たり前に愛しているのが、夢見りあむという一人の人物なのだ。
それでもりあむのメンタリティは他のアイドルと以下の2点で異なる。
・まず、今までの挫折の経験から、自分の弱さ・人より努力できる人間じゃないということを知っている。
・次に、アイドルを好きであるが故に、ファンからの人気が彼女たちの努力にいつも報いるわけじゃないと知っている。
そうやって自分もファンも信用できないからこそ「炎上でもいい!なにがなんでも目立ちたい!」とりあむは言うのだ。
だから、多くのPがりあむに託している「シンデレラ総選挙の茶番を証明する」ことは、当然ながら彼女の本意ではない。
彼女もまた、その茶番であるところの総選挙に、凡庸な夢を託すだけの、一人のアイドルに過ぎないのだ。
その茶番性への認識は他のアイドルよりも持っているかもしれないが、それでもそこに夢を見るしかなかった女なのだ。
……だからといって、「りあむに総選挙破壊の夢を託すPが間違いだ」とまでは僕には言えない。
なぜなら、アイドルとPの夢が食い違うなんて、初めから当たり前のことだからだ。
例を挙げるなら、二次元世界の住人であるアイドル達は「私に声が欲しい!」なんて絶対に思っていない。
それでも、彼女たちの声を聞くために多くのPが執念を燃やして何年も努力している。
Pがアイドルに夢を託すことは初めから身勝手な行いであるし、だからこそPのどんな投票動機も否定することはできない、と少なくとも僕は思う。
これからの総選挙の結果次第で、夢見りあむにはふたつの道がある。
まず一つ目は、最終結果でシンデレラガールを逃す、あるいは、中間から順位を下げてボイス獲得すら逃すこと。
祭りの火は消え、りあむを怨念の神輿に担いでいた人々は去るだろう。
最初の売り出し方が売り出し方なだけに、来年以降で選挙上位に食い込むのも難しくなるかもしれない。
ただ、その時りあむは「それでも彼女を見捨てなかったプロデューサー・ファン」と一緒に、そこからまた一歩ずつ進んでいける。
何年も地道に努力して、もしその先で成功出来たら、彼女は彼女を本当に好きな人達と一緒に笑い、泣けるだろう。
その物語は、きっと夢見りあむが最初に夢見た、ありきたりでもかけがえのないシンデレラストーリーなんだろう。
二つ目は、彼女があらゆるP達の思いを乗せた神輿となり、8代目のシンデレラガールに輝くこと。
それはもしかしたら、彼女が夢見たシンデレラ総選挙という土台を結果として破壊する行為かもしれない。
何年も努力してやっと属性3位になり、ボイスを獲得できたアイドルとP達が喜ぶ姿を、
190人の頂点という誰もいない玉座から眩しく見上げる空っぽの少女が出来るだけかもしれない。
……ただ、それでも、その空っぽから始まる夢見りあむの物語は、きっとまだ誰も見たことのないものになる。
たとえりあむが望んだものでなくても、他の誰も経験しなかった彼女だけの物語が、そこから作られていくはずだ。
どちらの道を選ぶのか、残酷なことに選択権は夢見りあむ自身にはない。
決めるのは投票券を持つ、シンデレラガールズのプロデューサー達だ。
僕たちは夢見りあむの未来を、どう選ぶ?
妙に政治だの思想だのなんだのを出してきて現実主義だの力が正義だのと正論じみた事を言う奴に限って
私がデレマスに参戦したのは一昨日の話だ。
正直言って、アイマスにはあまり興味はない。精々十年くらい前にミキと千早が主役のアイマスの漫画を読んだくらいだ。
ミキの漢字も名字も良く覚えてないし、もちろんデレマスのアイドル達は全く分からない。確かなんかアニメやったんだっけ?
まぁ、私はその程度の知識しかない。デレマスに興味を持ったのは夢見りあむというキャラクターと、そのお気持ちはてなブログがTwitterで流れてきたからだ。そして、お気持ちはてなブログを見たからこそこのゲームの面白さに気がつき、参戦することを決意したというわけだ。
一般に、ゲームというのは自分と他者という二つの軸をもつようになった物語の発展型であると言える。つまり、「攻略時に必然的に発生する自分の中で物語を作っていく作業」と「ストーリーや攻略法を共有することによる他者との物語を作る作業」だ。
そしてこの視点で見ると、デレマスはキャラクターが勝利すべき総選挙というプレイヤー参加型イベントを勝利条件とし、そこに関わるプレイヤー達がキャラクターのレベルアップの過程に自らの、そしてSNSやイベントによって他者とのストーリーを見いだす構造になっているのがわかる。現実をメタゲームとしてゲームに組み込んだ、極めて良くできた構造だと言えるだろう。
だがそれ故に、このゲームには人気が出るために生まれた勝ちキャラと、勝ちキャラに負ける為に生まれた負けキャラが必要になる。人気のあるキャラの多様性はそのままデッドコストの多さに直結する。無限に声優を雇うことなどできないし、現実とリンクする都合上、声優にはステージに立つ能力(見た目、歌唱力、度胸等)も求められるからだ。つまり、キャラ自体は多く必要だが、全員に価値を与えるには致命的に声も金も足りないし、何より無駄が多すぎるのである。
だからこそ、うっかり負けキャラを選んでしまうと「どうあっても勝利できない」という状況が発生する。これはいわば詰みであり、本来ならばキャラを放棄するべき状態なのだが、メタゲームに組み込まれたプレイヤーには、まずそれはできない。
もう七年も続いているゲームだ、自分の選択がより良い形で終わらなければゲームに関わった意味も価値もない(実際そうなのだが)し、ゲームの性質上本物のエネミーは出せないので、負けキャラにも負けプレイヤーが選択するに足る微かな輝きや、小さな物語、そしてプレイヤーの心を動かす力はあるからだ。結果的に、「勝ちキャラを選んだ勝ちプレイヤー」と「負けキャラを損切りできない負けプレイヤー」にプレイヤーは二極化し、運営は勝ちプレイヤーが負けプレイヤーに勝ち続けるための課金を上がりとして得るシステムができあがる。
このゲームは勝ちキャラに投資する冷徹さがなければ、血を吐きながらマラソンを続ける養分にしかなれないのだ。おそらく、誰もが薄々感づいていたが、ゲーム性が壊れるから言わなかったのだろう。メタゲームとしてのデレマスにおいて、アイドル達はプレイヤーの心の中で人間として生きている。自分で選んだ罪もない愛する人間を勝てないから切り捨てることに耐えられない人間、というのは割といるし、ましてや自分がそんな冷徹さを発揮していることを見たくない人間は多いからだ。
そんな中で、夢見りあむは生まれた。りあむ最大の特徴は、このゲームではおそらく良くあるだろうが、生まれながらの「負けキャラ」であることだ。
東京からスタートするのに、鳥取という中途半端な辺境の地のボス。キャラ設定からして積み上げも厚みもなく、ザコメンタルの炎上狙いという絵に書いたようなダメ設定を引っ提げている。確かにアイドルが好きだが努力は嫌だというのは個性だが、アイドルやるのはこのゲームのキャラの前提なので、この点は他の連中もそれなりのものを持っている。ちょっと前に声付きで出てきたあからさまな勝ちキャラも居るらしいし、もはや希望はないはずだった。
だが、生まれながらの負けキャラであるがゆえに総選挙というシステムで強烈なアンダードッグ効果(選挙であからさまな負け犬にお情けやお遊びで票が入ってしまう効果)が働いたのだろう、夢見りあむは中間三位という結果を勝ち取った。そしてこれは、デレマスのゲーム性からしてはあってはならないことであった。
繰り返すが、このゲームは勝ちプレイヤーが物語を紡ぐゲームである。負けプレイヤーは負けキャラを切り、勝ちプレイヤーにチェンジすることが求められているのであって、「負けキャラが負けキャラとして勝つこと」など求められていない。
だからこそ、"夢見りあむが許せない"といったお気持ちの表明は当然だったと言える。プレイヤーとキャラクターが分かち合う、愛すべきストーリーと、素晴らしい体験の上に成り立つシンデレラストーリーをメタゲーム上で楽しむ、というこのゲームのゲーム性を壊すからだ。
しかし、このお気持ちブログが書かれた時点で、真の意味でデレマスのゲーム性は崩壊した。なぜならば、まさにこのお気持ちブログこそ、「愚かな負けプレイヤーに対する勝ちプレイヤーの断罪と啓蒙」という冷徹な一撃だったからだ。
この瞬間、今回の総選挙には「負けプレイヤーvs勝ちプレイヤー」という評価軸が誕生し、それはSNSで速やかに拡散され、様々なお気持ちが表明された。私が見たのもちょうどそれである。
メタゲームがゲーム性を担保しているというこのゲームの特性が、最悪の形で負けプレイヤーに突き刺さったのだ。
これほど面白い状況は他にない。メタゲームが維持していたゲーム性が壊れたとき、起こるのは既得権益層とそれを支えていた層の凄まじい殴りあいである。昨今の選挙であればトランプ旋風が一番近いだろう。生きた人間同士の価値観そのもののぶつけ合いになるのだ。
さて、ここまで読んで貰えたのなら分かっていただけるだろうが、私はデレマスをまともにやりに来たのではない。勝ちプレイヤーvs負けプレイヤーという対人選挙ゲームを遊びに来たのだ。
このお気持ち表明文書もまた、デレマス既存の勝ちプレイヤーへのささやかな嫌がらせの一つである。負けプレイヤーならまだしも、勝ちプレイヤーでありながら己の選んだキャラを捨て、戦略投票を始めるというのはさぞや不愉快だろう。
今、私の手には夢見りあむというハンマーが握られている。このハンマーを振り下ろしたとき、どれだけのダメージをメタゲームに叩き込めるのだろうか。まかり間違ってりあむが勝ってしまった後、何が待っているのだろうか。プレイヤーや運営のお気持ち表明か、はたまたりあむをどうにかして勝ちキャラにする試行錯誤か、或いはもっと別の何かか。私の心は今ワクワクに満ちている。
今この瞬間の夢見りあむは、素晴らしい偶像であり、最高の玩具だ。コイルにツールで票を入れていた懐かしい思い出が甦ってくる。愛すべきストーリーも、素晴らしい体験も、偶像にはいらない。たかがゲームだ、共に結果を楽しもう。
この文章を読んだ君にも、夢見りあむへの票を入れるのに協力して欲しいと思っているし、デレマスに参戦して共にこのお祭りを楽しめることを、心から願っている。
(明確に悪意を持って書いたこの文章もまたメタゲームに組み込まれるから逆効果の可能性も高いのだが、それはそれで面白さだろう)
ここ最近のシンデレラガール総選挙にみられる世論の流れは非常に興味深いものがある。
ニュージェネレーションで唯一シンデレラガールになっていない本田未央を今年こそ1位にすべく支持集団で投票が行われており、先日の中間発表で1位になったことは誰もが疑いようもなく、この事実は手放しで祝福されていることであろう。
その一方で非常に面白い現象も起きている。それはあの夢見りあむが3位に鎮座しているということである。そう、“あの”だ。
そもそも夢見りあむは平成31年2月7日に新しくシンデレラガールズの登場したキャラクターであり、特定のCVも実装されていない。
シンデレラガールズは人気のあるキャラクターから順番にCVが実装されるという資本主義に基づいた極めて合理的かつある種残酷的な傾向がある。
しかし、登場時からその鮮烈なキャラクターとオタクの原始的な“好き”を掻き立てるような特徴的かつ強烈なデザインで多くのプロデューサーの心を掴み、急激な人気をもって迎合された。
私の観測下では夢見りあむの参入とともにシンデレラガールズの門戸を叩いたものも決して少なくはない。
しかし、夢見りあむのパーソナリティーは既存のシンデレラキャラクターと比較して、決して手放しで称賛を得られるものではない。
人間のクズ性を煮詰めたようなキャラクターは自身の“推し”として公表し易いものではなく、支持していることを隠したくなるようなものであることもまた一つの事実なのかもしれない。
これはかのドナルド・トランプ氏の勝利した大統領選をどことなく彷彿させるようなものである。
サイレント・マジョリティの集団心理として根底に存在していた現体制への不満、怒りが彼を世界最大のリーダー国のトップへと押し上げる力学としてあった。
人間というものは集団としては非常に恐ろしい存在であり、獣である。
人間1人では大したことはできないが、集団となることで途端に爆発的な力を発揮し、世界を食らいつくし、そのまま世界を変える。
そうした革命が起きたことを私たちは知っている。そう、現在のシンデレラ選挙をとりまく状況にもそれと似た力学が存在していることを“夢見りあむ3位事件”は示した。
これは1つの革命なのだ。奇しくも4月で平成という一つの時代が終わるが、今回のシンデレラガール総選挙も結果が出る頃には令和の時代へと突入する。ポスト総選挙のシンデレラガールズは新時代の“シンデレラ元年”ともいえるだろう。
人々が心の中では何らかの変化を求めているのは至って自然なことなのかもしれない。
先ほどサイレント・マジョリティという言葉を使用したが、今回の力学の原動力になっている集団意識は何なのだろうか。
私はそれをあえて悪意と呼びたい。前述したようにシンデレラガールズの既存のキャラクターはアクが強かったり、非常に特徴的であったりはするが基本的には“いい子”である。
夢見りあむも“いい子”であるというエピソードは今後も増えてくることは予想される。
しかし、現時点ではー少なくとも登場時点で言っていることは私たちプロデューサー、ひいてはその担当アイドルを馬鹿にしたような、消費物としてみたような非常に純粋な悪意で形成されたようなものである。
ここでキーとなるのは夢見りあむ自身にアイドルに対する悪意があるかは全くわからないものであることだ。夢見りあむのアイドルへの好意は確かにあるだろう。一定のリスペクトを感じさせるような発言もある。
しかし、『アイドルは使い捨ての嗜好品』という純粋な冒涜は誤解を恐れずに言えば狂気的で原始的な悪意に満ちている。
それゆえに夢見りあむから紡がれるアイドル論は非常に興味深く、私たちプロデューサーを尖った刃で抉るように鋭い。アイドルというものは信仰されるものである。
大衆の信仰対象であり、彼女らは通常、神のように純粋に君臨するものだ。その神を純粋に否定すること、それは悪意以外の何物でもない。
神をも殺すような彼女の紡ぐアイドル論は純粋過ぎるが故に非常に冒涜的かつある種カルト的な魅力をもって私たちの目には映る。
そして、それらは最近のシンデレラガールズに反体制的な考えを持っていたようなサイレント・マジョリティの不満や怒りを鋭敏に反映させるのかもしれない。
先に夢見りあむのプロデューサーの本質として“秘密主義”を指摘したが、以上のような反体制的な考えも同様に秘匿されるべきものであろう。それは当たり前の事実である。
プロデューサーは通常コミュニティを成すものであり、人間が本来持つ協調性という意味では明らかに美徳とされない、全くもって迎合されない考えであるからである。
そのようなコミュニティでみられる田舎の村八分文化のようなものに息苦しさを感じていたプロデューサーもきっといたことであろう。
コミュニティというものは通常保守的な集団であり、それは人間が持つ協調性という美徳においては当たり前の機能であるからだ。人間は保守的な抑圧の中では必ずといっていいほど悪意を貯める生き物だ。
諸プロデューサーにおいても一度胸に手を当てて考えてみてもらいたい。
今までの環境に不満はなかっただろうか。
変化のない、いい子ちゃんごっこのような“幻想郷”は掛け値なしに素晴らしい居心地のよいものだっただろうか。
シンデレラガールズのメインストリームの中で心の中にどす黒い感情を抱いたことはないだろうか。
そうした経験の中で悪意を貯めていったプロデューサーは漠然と考えたことだろう、今回の“夢見りあむ3位事件”は変化のチャンスであると。
プロデューサーの隠された悪意は非常に醜いものだ。どす黒く、誰にも見られないように大切に大切に醸造されていった筆舌に尽くしがたいほどに汚いものだ。
上述のように夢見りあむは“人間のクズ性”を煮詰めたパーソナリティーであり、炎上をある種好ましく考えているという都合の良さもある。
この点でもそうした悪意との親和性が高いというのも挙げられるだろう。
結果として夢見りあむはサイレント・マジョリティの悪意の代弁者足りえ、“夢見りあむ3位事件”という事実として多くのプロデューサーに牙を剥いた。純粋な人気に加えて、悪意の力学が働いた夢見りあむは本当に強い。
このことを念頭に置かない限り、夢見りあむは強力な敵として立ちはだかり続けることを理解しなくてはいけない。
今、私は革命前夜に似た胸の高鳴りを感じている。
今、この瞬間アイドルマスターシンデレラガールズに変化が求められている状況だ。
心地よいけれども心のどこかでくだらないと思っている集団幻想の中に居続けるか、それとも変わっていくか。
これは呪詛だ。
見たくはないだろうか?破壊と再生を経て進化するアイドルマスターシンデレラガールズを。
今のシンデレラガールズに食傷して離れてしまったプロデューサーにこそ、この状況を楽しんでいただきたい。
ログインしなくなったシンデレラガールズとスターライトステージにログインすれば合計で2票を夢見りあむに投じることができる。
1人のアイドルに1人で入れられる票数など全体でみれば微々たるものだが、私たちが力を合わせればそれは巨大な力学になる。
きっと革命だって起こせる。ぜひ夢見りあむに投票していただきたい。
夢見りあむ、私に、いや私たちに新世界をみせてくれ。君ならできる。
最後にドナルド・トランプ氏が勝利したアメリカ合衆国大統領選を分析したイギリス独立党のナイジェル・ファラージ氏の発言でこの文章を締めたいと思う。
『負け犬たちが支配者層を打ち負かしたのだ』私たちクズの負け犬たちに幸あらんことを。ここまで読んでくださって本当にありがとう。
本当は記事に追加するつもりでしたが文字数制限(知らなかった)に引っかかって途中で途切れたのでコメントで失礼します。長文申し訳ないです。
想像以上の反響をいただき、自分でも驚いています。増田はもっと殺伐としたところだと思って覚悟していたのですが、好意的なコメントも多く、救われた気持ちになりました。
まず、ひとつ訂正をさせていただきたいです。最初に公開した版では「研究室運営の問題点」という節の「事務スタッフも教授が所属している社団法人の経理を」と「させられたり」の間に「(場合によっては無報酬で)」と記述していましたが、これは事実と相違があったため(職員は時間給でした)、謝罪して訂正します。申し訳ありませんでした。(「負け犬じゃん」「勝手に死んだんじゃん」と同レベルになっていて恥ずかしい限りです)
次に、相性が悪かったということに終着させようとするコメントが特にtwitterで見受けられました。相性が悪かったというのは確かにその通り(特に研究分野という点で)です。ただし、相性以上の問題点をこの研究室がはらんでいることは認識していただきたいです。確かに自分との相性は悪かったですが、それで修士初期メンバーの3人中2人が修了できない事態は起こりうるでしょうか。ほとんどの人にとって相性の悪い研究室ということならわかりますが。また、単なる放置系ラボというわけではなく、雑用(研究関連業務と言うそうですが)が多かったという点は強調しておきたいです。この点だけでも後輩たちにこの研究室は勧めづらいです。
「研究室を変えればよかった、そういう人も多い」という意見もいくつか見受けられました。全くその通りでありますし、自分もそうしたかった気持ちはありました。しかし、他研究室(多く休学者を出している曰く付きの研究室)で、指導教員と折り合いが合わず研究室を変えたいと言った学生が修士1年の夏ごろにいたのですが、「時期尚早」「院試が有名無実化する」との専攻の判断で認められず、結局中退して他の研究科の院試を受けざるを得なかったという案件がありました。これを受けて、「時期尚早」でなくなるまで待つにしても、大学院を受けなおすにしても、卒業年度が遅れてしまうなと考え、気後れしてしまいました。研究室間のつながりが強く比較的自由に行き来できると聞いていた(少なくとも教授はそう言っていた)ので、裏切られた気持ちが強かったです。結果的には自分はストレートで修了できたのでよかったですが、体調を崩してしまうことも長く続き、正しい選択だったかはわかりません。
今回インターネットへの公開を踏み切ったのは、教授・講師がいくら下の人間が言っても行動を改めようとしない(ラボの人の言葉を借りるなら「不感症」)こと、大学のハラスメント相談室などに相談しても事態を収拾させようとするばかりで根本的な解決にはつながらないと判断した(実際そういう例は多いそうで悪手と言われています)こと、当時証拠を集めて外部機関に告発する気力はなかったことからです。メディアに多く取り上げられ人気の先生に非力な自分が影響を与えるには、こちらもメディアを使うのが効果的ではないかと考えました。特定難易度はさすがに低すぎたかと思いますが、こうでもしないと黙殺されるかなと思い、刺し違える覚悟で臨みました。教授に「君にはDisる権利と義務がある」と言われたので実質公認ですしね。ネット上の怪文書という形になりましたが、これを通して少しでも教授・講師が反省して研究室運営がより良いものになることを祈っています。さすがに一年目よりはましになってくれるとは思いますが...(2019-03-30)
ブラック企業という言葉が市民権を得てしばらく経ちますね。毎年、ブラック企業大賞なるものが発表され、だれもが聞いたことのあるような企業が名を連ねます。それに対し、ブラック研究室という言葉も有名なものの、どこの研究室がブラックだとかいった情報は大学内部の学生でないとなかなか知りえないものがあります。ましてや研究室の内情は所属している学生しか分かりません。
今回は、そんな研究室の中でも異質なケースとして、自分が修士課程の2年間過ごした研究室の話をみなさんに紹介したいと思い、筆を執りました。必ずしも拘束時間が長く、人格否定を行うような研究室だけが悪い環境ではないということ、メディアなどでよく見かけ、有名で人気な研究室が良い環境であるとは言えないということだけでも皆さんに覚えていただきたいです。後進の方々の研究室選びの参考に少しでもなれば幸いです。
第一に、とにかく人員が不足していたというのがあります。まず、先生(教授・講師)はあまり研究室にいませんでした。先生たちは予算の獲得や大学内外の事務に追われるため、多忙になります。基本的に助教や研究員・博士課程の方が下の修士・学士課程の学生の面倒を見ることになります。これだけなら普通なのですが、先生が後先考えずにどんどん仕事を受けてしまうことにより、プロジェクトに対して人間が足りていない状況が常に生じます。(先生曰く「断るの苦手なんだよね~」とのこと。)その仕事は研究だけではなく、各メディアの取材や研究室見学など多岐にわたります。自分が研究室に配属されて一年は、講義を受けるほかに、(詳しくは後述しますが)研究室の立ち上げ用に物を発注したり組み立てたり、見学者対応をやる日々で、ほとんど研究はしなかったように思います。さらに、月一くらいの頻度で(今はだいぶ減りましたが)先生のお友達を呼んで講演兼パーティーをやる準備や、先生の思い付きで増える仕事などに日々忙殺されていました。また、インターンやアルバイトといった形で外部の学生を呼んで研究してもらうこともあり、その人達は雑用をする義務はなくお金をもらいながら成果を出していたのに対し、学費を払っている学生は雑用に追われるといった状況もありました。事務スタッフも教授が所属している社団法人の経理をさせられたり、共同研究先の企業から出向(?)の形で来てた研究員の方も、後述の巨大予算の運営周りの仕事をやらされたりとひどい状況でした。
第二に、新設の研究室で、研究を行う環境づくりをゼロから始めなければいけないことがありました。これは事前からわかっていたことではありましたが、自分の想像以上の大変さでした。情報系の研究室なんて机と椅子とPCを発注すれば、あとは個々人の研究に応じて必要なものを買い足していくだけだろうと思っていました。しかし、先生の方針で、リビングラボという生活空間と研究室が融合したような形態でラボを運営することが決まっていたため、それを満たすような研究室の構築に修士の最初の一年は消えました。なぜ一年もこのようなことをしていたのかというと、9月ごろに先生がとある巨大予算を獲得し、学生・スタッフを増員するとの方針でキャンパスを移動することに決まったからです。一度ゼロから作り上げた研究室をもう一度ゼロから作り上げることになりました。自分としてはキャンパス移動ですら最初に聞いていた話と違うので、とても不満に思いました。通学時間も10倍以上増え、それだけでも大きな負担となりました。(授業は元のキャンパスでやることがほとんどで引っ越すわけにもいきませんでした。)
このような状態でまともに研究が回るはずもなく、助教(自分の所属する学科・専攻で博士までとった唯一の人)はやめてしまいました。そこから、特任研究員の方に学生指導の仕事が集中します。(本来、特任研究員は助教とは違い、学生の指導ではなく自分の研究に専念するという名目で雇用されます。)そして、社会人博士の方がその有能さゆえに研究室内の仕事を一手に引き受けこなしてくれたおかげでなんとかなっていた(?)のですが、当然彼らも自分の研究は進みません。
第三に、教授・講師間でうまく連携が取れていなかったようにも感じました。二人とも物事を放置・後回しにしたり散発的に進んだりと、計画性とは無縁の進行でした。ミーティングでもその場の思い付きのアイデアで話を発散させるばかりで収束には向かわず、学生はどうしたらいいか当惑することが多かったです.
さらに、二人の共感性の低さも研究室内の人間関係に大きくヒビを入れていました。特に事務の方々への接し方や飲み会の席(講師は酒を飲まないので主に教授ですが)での学生に対する発言は聞くに堪えないものがありました。(詳しくは後述)
また、学内の期限(修論の題目の提出など)を過ぎてから学生に通知したりと時間・期限に非常にルーズでした。そのことを詫びる様子もなく平然としている様子も腹が立ちました。その結果、学生や事務員が期限を守らない印象を外部に与えていたのではないかと懸念しています。
オーサーシップ周りに関しても不満が残りました。これは自分ではないのですが、大して面倒を見てたわけでもないのに、camera readyになって急に講師が「見るからオーサーに載せろ」と主張してくることがありました。 教授もゴーストオーサーの常連だからかそれには強く言わず結果的に受け入れられる形となりました。学生側としては教員陣の命令に背くわけにもいきませんしね。(この話に関しては、この研究室に限らず、分野としてそういう傾向があるのかなあと思います。他研究室の話は詳しく知りませんが。)
このように研究室としての体を全くなしておらず、自分を含め最初3人いた同期修了出来たのは自分だけで、1人が休学、1人が留年という形になりました。(もう一人修了者はいますが、別の研究室がなくなった結果移ってきた人です。)
次に、研究室の主である教授の性格が合わず、人間として尊敬できなかったということについて話したいと思います。上司と合わないということはよくあることだと思いますが、よくあることだからこそ、記しておきます。
初めに、衝動的な発言や暴言が多く看過できないということがありました。衝動的気質に相まって、酒癖の悪さがそれを助長していました。例えば、論文を提出できなかった学生に対して「負け犬じゃん」といったり、昔自死した学生に対して「勝手に死んだんじゃん」などといったことがありました。(なお、これらの発言は学生や職員に窘められ即座に撤回しましたが、そう思っていたという事実は消えないと思います)。その他にも配慮のない発言が多くありました。
また、自己顕示欲の強さとマウンティング(いわゆるイキり)が挙げられます。「君たちは潤沢な資金のあって、待遇のいいこの研究室に来てラッキーだ」などといった身内へのイキりを聞いた時は、上で書いたような現状に疲弊していた自分の感情を逆なでするのには十分でした。また、自分は偉く、自分が言ったことはどんな無茶でも通ると思っているきらいがあり、無茶な予算申請で事務の人を疲弊させることが多くありました。それにあきれ果てた事務の人が次々とやめることがあり、その結果事務仕事が逼迫することもありました。怪しい予算の使い方をしていて、機構の人に怒られたみたいな話を聞きました。大学に目をつけられているのはいわずもがな。
内弁慶というわけではなく、外部の人間に対しても自分を良く見せようとしていることが多く、鼻につくこともありました。自分にはこのような先生の在り方が、いわゆる口だけの軽薄な人間に感じられてしまいました。いい環境を作りたいとは口では言いつつも自分は何もせず下の人間が苦労したり(「然るべきとき然るべき場所」というアイバン・サザランドの言葉をよく引用しますが、これが「然るべき場所」なら笑止です。)、自分は人脈のハブだといいつつスタッフをなかなか引っ張って来れなかったり(前の大学にいるときこの業界で悪評が立ち、人が来たがらないとの噂)とあきれかえることが多かったです。他にも「教育が最優先」と口では言いつつも後回しにしたり、下の人間に任せているようなことなどとにかく「口だけの人間」というイメージです。隔月で1回20分ほどの面談で教育したということなのでしょうか。
専門用語を拡大解釈して援用することで知識人を気取るようなスタンスが多く見受けられたのも癪に障りました。例えば、「インピーダンスマッチング」という、高周波の電気信号の伝送路において、入力と出力のインピーダンス(電圧を電流で割った値で直流回路では抵抗にあたります)を合わせるという意味の言葉があります。この単語は力学などでも用いられます(こういった多分野に共通する背景理論を研究しようという思想を持っているのが我が学科・専攻です)が、これを特に理論的背景もなく「折り合いをつける」くらいの意味で使って、さも各分野に精通している感を醸し出すことに長けていました。他には「バウンダリーコンディション」とかもありますね。微分方程式で言うところの境界条件です。これを前提・条件みたいな意味で使います。(こちらについては検索すると若干引っ掛かりますが。)これらにツッコミを入れた学生は以降食事会に呼ばれなくなりました。自分に媚を売らない用済みな人間は簡単に切り捨てるようです。こういった拡大解釈した単語を用いてアナロジーを使い、自分の分野に話を引き寄せるのは上手いなと感じていて、知識がない人を煙に巻いたうえで自分の得意技を披露するのは、非常に参考になると思いました。
3つ目に研究分野であるHCI研究(と研究者コミュニティ)との不適合について書きたいと思います。これは研究室自体の問題というより、自分との相性の問題ですが、研究に着手できなかった大きな要因のひとつです。
そもそも、自分はどちらかというと、巨大で合ったり高性能であったりするものを着実に組み上げていくのが好きで、アイデア勝負だったり、プロトタイピングといった手法だったりが受け付けなかったというのがあります(同じような人のエントリ https://swimath2.hatenablog.com/entry/2018/07/30/205255)。
また、この研究分野は、一見役立たなさそうなおもちゃのようなものに、理屈をこねくり回して正当化させるのが多いように感じ(もちろんすべての研究がそうというわけではありません)、興ざめしてしまったのも要因の一つです。元々内向的な性格なのもあって、自我・意識などに興味があり、ならば「人に興味があるということであり、工学的なアプローチで人の研究をやれるのはこの分野だろう」という薄い理由で選んだのもあって、この不適合はモチベーションに意外と大きく関わりました。学部時代の成績は良い方で(必要な進振り点はそこそこの学科でしたが、コース内ではトップクラスと周りには言われていました)院試も第一希望で通りましたが、勉強ができるということが研究できるというわけではないという言葉を痛感しました。ただ、この研究室を選ばなければ、自分ももっと研究が出来ていたのではないかと思い、研究室の選択を毎日後悔しています。
それではなぜ、このような大きな問題点が数多く存在しながら、この研究室に進学してしまったのでしょうか?
第一に、自分の所属していた学科は、院試が卒論の研究室配属より前に存在し(実質4か月で卒論を書かないといけないのです)、自分の研究および研究室への適性がいまいちわからないまま、修士で進学する研究室を決めなければいけないという点が挙げられます。(一応研究室に配属されてプチ研究のようなことをするのですが、研究室生活とは程遠いので参考にするのは難しいです) それに加え、卒論の研究室と修論の研究室を別にするという慣習があり、卒論配属後合わないから冬入試を受けようというのも難しいです。
第二に、サークルの先輩(同じ研究室ではないです)にこの研究室を勧められたというのがあります。サークルの飲み会の時に、同じ分野で研究をしている先輩に、「この研究室はいいところだし、一期生として面倒を見てくれる」と勧められたというのがありました。当時は若く、盲目的に先輩の話を信じてしまいました。悪い噂が流れてこないなら大丈夫だろうと。それに先生の記事はネット上で見たこともあり、先生の研究も科学雑誌を通して知っていたこともありました。学科内でも新設の研究室に関わらず人気があり、これは安パイだろうと考えていました。今考えると人気・有名だから自分にとっていい環境だろうと考えるとは愚かなことです。(ちなみに、この先輩はD取得後うちの研究室の内定を蹴り、他の研究室のポストに就くそうです。)
第三に、一番重要ともいえる点ですが、上でも書いた通り自分の大学では新設の研究室で、情報が流れてこなかったというのがあります。今思えば前の大学のOBの方などに話を伺うなどをすればよかったとも思いますが、学部の勉強やサークルに追われていてそこまで気が回らなかったし、回っていたとしてもする余裕まであったかわかりません。しかしながら、新設の研究室に進学するというのは大きなリスクをはらんでいるということはもっとしっかりと自覚するべきでした。これを読んでいる方でもし新設の研究室に行くという人がいれば、もう一度自分の選択をよく考え直してほしいです。
ブラック研究室といえば、拘束時間が長いとか日常的な人格否定などがやり玉に挙げられやすいですが、最近では放置系ブラックなどという言葉も耳にする通り、劣悪な環境というのは色々な形で存在しています。また、他人にとっての良い環境が自分にとっても良いとは限りません。トルストイは著作に「幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」(望月哲男訳、光文社古典新訳文庫)との言葉を残しています。研究室も一つの小さなコミュニティであり、同じことが言えるのではないでしょうか。これから研究室に配属される人には慎重に自分の進路を考えていただきたいと思います。このエントリを通して構成員がみんな幸せになるような運営に変わってくれると嬉しいです。
ニヤつくのは反応性愛着障害っつーのの一種なんだとよ。(http://id.nii.ac.jp/1087/00002840/)
yahooクソ袋とか読むと発達障害にされたりもしてるが、どうせオマエも怒鳴られて育ったんだろ?
構って貰い足りないからってこんなゴミカスしかいない場所で道化みたいに注目集めて否定されながらストレス溜めるのはやめろ。
誰もリアルでオマエを助けになんか来ない。
住所や住んでいる場所の情報でも出せばストーキングしにくる変態やサンドバッグが欲しい正義マンがカメラを持ってつきまといにくる可能性はあるが、webでオマエの意見を気にする人間にマトモなやつはいない。
つまりは勝ち組で大した苦労もなく育って品の悪い人間に石を投げ遊ぶのが好きな鼻の曲がりそうなくらいクサイ豚か、
文章で誘導して虐待死に追い込もうと思ってる先天的に歪んだサディストか、
オマエみたいになんとか育ちはしたものの虐待が起きそうな状況を見るとトラウマが蘇ってヒステリックに騒ぎ立てて自分を慰めるオナニー好きな負け犬だ。
言及をよーく見てみろ。全員ブヒブヒ言ってるか、呼吸がおかしいか、キャンキャン哭いてるヤツしかいねぇだろ?
いいか? オマエの為に言うんだが、こんなところで注目を集めても今のオマエには何一つ得にはならないからな?
ここで言及してる連中は、俺も含めて絶対にリアルで助けになんか行かない。
分かったら自分が可哀想で仕方ないゴミみたいな「誰か助けて文章」を晒すのはやめて、何も考えずにガキを抱きしめに行け。その方が数倍スッキリする。
文才ねぇんだから駄文で同情を乞う暇があったら旦那にも子供にも素直に思ったまま話して甘えてみろ。恥ずかしくて上手くできないんだろうが、そこはよく考えろ。オマエは見も知らない、絶対に助けにも来ない何百人、何千人相手に、顔も見せずに子育ての恥を晒して笑われてるんだぞ? みっともねぇところを見せていいのは匿名じゃなくて家族だろうが。