はてなキーワード: 証左とは
「――進級祝いだよ」
初夏も迎えていないのに油断すると汗がにじむ、春の陽気とはいい難い日だった。すこしだけ呆けていた私は、それが机上に鎮座したパソコンのことを指しているのだと気付くのに時間を要した。
「進級祝い?」
そう口にして、彼女と同じことを言っていると思った。気恥ずかしさを誤魔化すように、胸ポケットから煙草とライターを取り出す。火を点けると一瞬燐の燃えるつんとした匂いがした。
「うん、進級祝い」
そう言って彼女は愉快そうに笑った。
私は日記を書くことにした。
私のことに興味を抱く人間など希少だろうが、このはてな匿名ダイアリーという戦場では、何らかの記号がなければ、不特定多数の日々という奔流に押し流され、何事もなかったかのように埋もれてしまう。
彼女にそう言ったので、私は、ここで私のことを記そうと思う。
当時の私は大学生だった。自身の不徳から同級生より二、三、歳を重ねていたが、好きなものを持ち、夢を持ち、自由を持つ、有象無象の学生の一人だった。
大学生になる前は、モノ書きに憧れていた。
昔から文章を読み、書くのが好きだった。尤も、幼少より親交を深めていた文筆や長文という名の友人は、短文型SNSの流行によりに疎遠になってしまったことは否めない。
それでも私は期待していた。
大学生になれば、腐るほど時間を持て余すだろう。上質で心地よい文章に好きなだけ埋もれることができるだろう。そうしていつか、
だが、漠然とモラトリアムを信じていた私を迎えたのは、勉学や部活動やその他雑務に忙殺される、いかにも大学生らしい生活だった。これでは趣味を極める余裕などなかった。少なくとも私程度の容量では困難だった。
「忙しいって、充実してるってことでしょ」
「僕は忙しいなんて感情が、充実の証左たるわけがないと思う。多忙は絶対的に時間を圧迫するもので、人が創造する余地を奪い気力を追いやってしまう悪魔だよ。そんなものを充実と勘違いする奴らなんて、ハムスターにでも生まれ変わって回し車で走り続けてればいいんだ。きっと幸せだろうさ」
「でもごめんね、そんなつもりじゃなかったんだ」
図や数式に意味を見出せず、記号として扱うことが出来ない。想像したものを、今見ているものでさえも、絵という形に還元できない。運動をする際にも、関節や筋肉の仕組みを文章で理解して、やっと思考と動作が一致する。生き辛い脳の作りをしていると思う。
彼女は違った。
図だろうが数式だろうが、そこにあるものをあるがままに扱った。スケッチが上手だった。空想の世界でさえ表現することができた。スポーツなんて、見ればすぐに何でもこなした。
――勘かなあ、と。
なんでもないことのように彼女は言った。それが心底恨めしく、心底羨ましかった。
「——私は君が羨ましいな」
彼女は言語を介した思考が苦手だと言った。映画の感想を聞けば楽しかった、という画一的な表現しかできなかった。ラインのやり取りは苦手だからと電話を好んだ。読書感想文なんて本を読む気も書く気も起こらず、コピペをして怒られたらしい。
多忙という悪魔に打ち勝って、彼女との差異を埋められるだけの、創造性を再獲得すると誓ったのである。
そうしてたくさん日記を書いた。何度も筆をとり、何度も筆を手放しそうになりながら、日記を書き続けた。
ブコメもたくさんついた。批判的なコメントも肯定的なコメントも数えきれないほどあった。
創造性を再獲得できたかはわからない。大学生だろうが社会人だろうが、忙しさは私を襲い続けた。私は今も悪魔と戦い続けている。
「ただいま」
「おかえり」
相変わらず彼女は直情的というか、動物的というか、あの頃のままそこにある。泣き、笑い、怒り、喜び、日々忙しそうだった。
胸ポケットから煙草を取り出した。ホルダーにセットすると、独特の酸味臭が鼻を突く。
画面をこちらに向けていた。
「これ、君でしょう」
――僕はその喜びを、未だに言語化することができない。
タイトル :
誰か僕の文章を好きだと言ってくれませんか
本文 :
最近、新しいPCを手に入れた。進級祝いだと言って彼女がプレゼントしてくれたものだ。こいつに慣れるためにも、これから定期的に日記を書き続けていきたいと思っている。
と、ここで終わってしまうのも味気ないし、自己紹介も兼ねて筆を進めよう。僕の男で歳は20代前半。大学生をしている。不徳の致すところにより、まだこれから数年は学生という身分を続けなければいけない。文章を読んだり書いたりするのは好きなことのひとつだ。もっとも、僕の作文能力や長文に対する集中力は近年流行った短文型SNSにすっかり毒されてしまっているみたいだけど。
僕は言語を介さない思考というものにめっぽう弱い。図や数式といったものをそのまま扱って思考を進めることができないし、スポーツでも身体の動きを文章で理解しないと再現できない。なんとも生き辛い脳の性質だ。そのかわり文章であふれた場所は好き。疲れている時は思考力を使わないような低レベルの文章に浸り続けるに限る。Twitter最高、Instagramなんてクソ喰らえである。
大学に入る前はモノ書きになることが憧れだった。若かりしころの僕は、大学生というものはヒマな時間を腐るほど持て余し、自らの趣味に没頭するものだと考えていた。だから大学生になったら上質な文章に触れ続け、いつかは自分自身で上質な文章を生み出すようになると信じて疑わなかった。しかし実際の大学生は勉学や部活動や雑務に忙殺されてしまうものであり、とても自らの趣味を極める余裕などない。少なくとも僕には難しい。
この話を聞いたら、趣味の時間も充分に取れないほど勉学や部活動に熱中できて幸せじゃないか、と考える人もいるかもしれない。しかしそんなわけないだろう。忙しいことが充実の証左たるわけがない。そんなふうに考える人間はハムスターにでも生まれ変わり、回し車で走り続ければいい。きっと幸せになれる。忙しさというものは絶対的に時間を圧迫するだけではなく、ヒトが自由な時間に創造的な行動をする気力を奪う悪魔なのである。
でも今日からの僕はこれまでとは一味違う。このはてな匿名ダイアリーという戦場で、忙しさという悪魔に打ち勝って自らの創造性を再獲得するのだ。
これくらい書くと生まれて初めて触ったMacでも割と自在にタイプできるようになることが分かったので、今日はこのあたりで筆を置きたいと思う。これからは気が向いたら何かしらのテーマを持った増田を投稿するから、この統合失調症的文章もブックマークしてくれると嬉しい。
Gレコは他ならぬ冨野自身が「地球vs宇宙植民地」図式に飽きてる証左と思った
宇宙時代にカースト制度による差別(マスクの出身種族)とか、さすが御大、考えることが違う。ちゃんと、一見古くさいようで人類史的に変わらん(現代でも有効な)部分が分かっとる。
そーいう発想が見たいんだよ、福井晴敏みたいに律儀に大真面目にファースト以来のニュータイプ論なんかやらなくていいから。
その意味で鉄血が「ニュータイプ的なもの」を、少年兵をこき使うための違法改造という生臭いレベルに引き下げた(実際、現代の中東、アフリカ、中南米とかの子ども兵士問題はあんな感じ)のは皮肉な小気味よさがあった。
最近、新しいパソコンを手に入れた。進級祝いだと言って、彼女が僕にプレゼントしてくれたものだ。こいつに慣れるためにも、これから定期的に日記を書き続けていきたいと考えている。
ここで終わってしまうのも味気ないし、自己紹介も兼ねて筆を進めて行きたいと思う。僕の性別は男性、歳は二十代前半、大学生をしている。僕の不徳の致すところに依り、これから先数年は学生身分を続けなければいけないことになっている。文章を読んだり書いたりする事が好きな事の一つだ。尤も、僕の作文能力や長文に対する集中力は、近年流行った短文型SNSにすっかり毒されてしまっているみたいだけれど。
僕は言語を介さない思考というものに滅法弱い。図や数式といったものをそのまま扱い思考を進めることが出来ないし、スポーツをするときも身体の動きを文章で理解しないと再現することが出来ない。なんとも生き辛い脳の性質をしている。文章であふれた場所は好きだ。疲れている時は思考力を使わないような低レベルの文章に浸り続けるに限る。Twitter最高、Instagramなんてクソ喰らえである。
大学になる前の憧れはモノ書きになることだった。若かりし僕は、大学生というものは、ヒマな時間を腐る程持て余し、自らの趣味に没頭するものであると考えていた。だから大学生になった自分は、上質な文章に触れ続け、いつかは自分自身で上質な文章を生み出すようになると信じて疑わなかった。しかし実際の大学生は勉学や部活動やその他雑務に忙殺されてしまうものであり、とても自らの趣味を極める余裕などないのである。少なくとも僕には難しい。
この話を聞くと、なんだ趣味の時間も十分に取れないほど勉学や部活動に熱中することが出来て幸せではないか、と考える人もいるだろう。そんなわけないだろう、忙しいという感情が充実の証左たるわけがない。そのように考える人間はハムスターにでも生まれ変わり、回し車で走り続ければ良い、きっと幸せになれる。忙しさというものは絶対的に時間を圧迫するだけではなく、ヒトが自由な時間に創造的な行動をする気力を奪う悪魔なのである。
今日からの僕はこれまでとは一味違う。このはてな匿名ダイアリーという戦場で、忙しさという悪魔に打ち勝って自らの創造性を再獲得するのだ。
これくらい文章を書くと、生まれて初めてMacに触っても割と自在にタイプすることができるようになることが分かったので、今日はこの辺りで筆を置きたいと思う。これからは気が向いたら何かしらのテーマを持った文章を書きたい所存であるので、今日のこの統合失調症的文章にもブックマークしてくれると嬉しく思う。
日曜日の朝日新聞の朝刊一面トップ、裁量労働制、野村不動産の裁量労働制、まさに昨年末に発表された、問題となった違法適用、この対象になっていた労働者の方、五十代の男性社員、二〇一六年九月に過労自殺をしておられた。昨年、御家族が労災申請をされて、まさに特別指導の結果を公表された十二月二十六日、その日に労災認定が出ていたということです。総理、この事実は御存じでしたね。
まずですね、ちょっと厚労大臣から答弁、この件については政府の対応について答弁させていただいた後に私から答弁させていただきたいと思います。(逃げようとする)
「これは、特別指導についてですか。特別指導について報告を受けたということですか。」
速記止まる
「特別指導については報告を受けておりましたが、今の御指摘については報告は受けておりません。」
「安倍総理は報告を受けていなかったと。加藤厚労大臣はもちろん知っておられたんでしょうね。」
「それぞれ労災で亡くなった方の状況について逐一私のところに報告が上がってくるわけではございませんので、一つ一つについてそのタイミングで知っていたのかと言われれば、承知をしておりません。」
石橋(午後
午前中に、野村不動産の過労死事案について総理も大臣も知らなかったと。これ、大臣、知らなかったで、さらっとでいいんですか。大臣にこのことが昨年十二月二十六日の段階で報告として上がっていなかったことについて、大臣、これ大問題だと思われませんか。
先ほど申し上げましたように、過労死等について、年間百を、二百を超えるものがあるわけでありますけれど、いや、トータル、足すとですね、それについて一つ一つ事案が上がってきているわけではないということでございます。
これ、大臣、野村不動産の件は特別指導に入っているんですよ。じゃ、特別指導のきっかけは何だったんですか、大臣。
それぞれの事案、どういうきっかけで監督指導、これは特別監督指導ですが、しているということについてはコメントを差し控えさせていただきたいと思いますが、一般論として申し上げれば、様々な情報、あるいは労災についても過労死等のことが懸念、懸念されるというか、過労死等につながっている、こういったことについては、それも一つのきっかけとして監督指導が一般的には行われていると、こういうように承知をしています。
略)繰り返し国会で質問されて、で、好事例のように答弁をされて、その中で事務方から、いや、実は過労死の労災申請があったんです、認定が下りていたんです、これが野村不動産の裁量労働制の適用労働者だったんです。そのことを報告受けていなかった。じゃ、国会答弁何だったんですか。好事例として使っていた、でも実は裁量労働制の過労死事案だったじゃないですか。これは問題だと思わないんですか、大臣。
いや、好事例というよりも、そういった形で監督指導に入っていますということを申し上げたのであって、実際問題として、野村不動産において本来適用されるべきでないそうした業種というんでしょうかね、もこの企画裁量型の対象にしていたと、こういう問題があって、それに対してこういう監督指導を行って、そして今、是正に向けて努力をしていると、こういうことを申し上げたわけでございます。
これ、大臣、隠蔽したんじゃないかという疑いすらあります。何のきっかけで特別指導に入ったのか。恐らくは、昨年、労災の申請が出て、調査に入ってみたら過労死、これ裁量労働制の適用労働者だった。それがきっかけとなって特別指導に入ったんじゃないですか。にもかかわらず、過労死が実際に発生していたことを隠されていたのではないかという疑いすら持たれています。この方、最長で月百八十時間の残業時間だったそうです。裁量労働制の適用対象者です。百八十時間ですよ、これどうされますか。これ、まさにこの事例は、大臣、残念ながら現行の制度、労基署、届出があったときのチェック、それからその後の様々な報告事案、それではこの問題が発覚しなかった、つまり現行制度に問題があることの証左じゃないですか。
まず、隠蔽ということで申し上げれば、特段隠蔽しているわけではなく、そして今申し上げたように、個々の特別指導等あるいは監督指導等、どういうきっかけで入ったか、これについては具体的にはコメントを差し控える。しかし一方で、監督指導のきっかけとしては、先ほど申し上げたように、様々な情報や、あるいはそうした労災認定、特に過労死につながる、こういったものを端緒として、これは実際やっているということはこれまでも度々答弁をさせていただいているところでございます。その上で、そうした事案があると。今回、個別についてはコメントは控えたいと思いますけれども、しかし、そうした事案があるということは我々十分認識をさせていただいているところでありまして、必要な監督指導を、これまでもそうでありますし、今後ともしっかりと取り組んでいきたいと思っております。
https://r.nikkei.com/article/DGXMZO22985930R01C17A1CR8000
確かにある。
しかし、「男性が家庭を養うべき」と男性に丸投げしてたツケともいえよう。
若年層ではほぼほぼ差はない。
しかし、近年東大が差別的措置を取ったが記憶に新しいように、今は特に理系の女性優遇が進んでいる。
それでも結果が出ないのは、これはもう、女性にその意思がないとしか言いようがない。
上記のように、このランキングは酷く表面的で、プロパガンダ以外の何にも使えない。
こんな物を意味もわからず持ち出して男性を黙らせようなどと、差別主義者であることの証左である。
http://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/h26/zentai/html/zuhyo/zuhyo01-00-28.html
https://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/jisatsu/H27/H27_jisatunojoukyou_01.pdf
どちらが抑圧されてるか、一目瞭然である。
これが現実。
伊藤ハムのチルドのベーコンピザが好きすぎて定期的に食べたくなる。
これだけ食べて生きろと言われてもイケるレベル。
そのイタリアピッツアっぽさは他社のパン生地みたいなチルドピザから頭一つ抜けている。
安いと200円しない程の価格なので、一般的なピザを想像すると具は少ないかもしれない。
それでトッピング追加して食べる人もいるようだが、個人的にはそのままでいい。
なぜなら折りたたんでブリトーのようにして食べるにはベストだからだ。
けれどその分、泡だったチーズとほのかな焦げが醸し出す風味は抜群だ。
サイズがちょうどトースターに1枚まるごとすっぽり収まるサイズなのでカットの手間もない。
焼けたら紙トレイにさっと移して、そのまま皿代わりにできる。
これは他社のような発泡スチロールトレイだと憚られるところだ。
ゴミ箱に収まるよう折るにしても破るにしても容易なのは助かる。
発泡トレイだとパキっとした瞬間にクズや油分が飛び散ってしまう。
前述のスタイルで食べればあまり皿に垂れることはないが、紙ならそっと内側へ閉じ込められる。
栄養的にも、この低価格で炭水化物だけでなくタンパク質も取れるので優秀だろう。
こんな良いものはない。
ちなみにワタクシ、これを西友で今まで買っていた。
だが無くなって、代わりに西友PBのベーコンピザに取って代わられた。
俺も同じように疑問だったんだけど数年前やっと気づいたので、
もし君も同じ疑問を持ってたら助けようと思う。
人間の基本的な性質、この場合脳の仕組みとか心の仕組みとかは変わらない。
人間には集合的無意識が存在することを証明した有名な実験として、
ブーバ/キキ効果、Bouba/kiki実験というものがある。
これは色んな社会、年齢性別、ときには他と交流のない未開の地域にて
「どちらがブーバで、どちらがキキか」と問うたところ、
98%で「曲線図形がブーバで、ギザギザ図形がキキだ」と答えが返ってきた。
これはいかなる言語体系でもブーバが丸い曲線図形で、キキがギザギザ曲線をイメージした解答が得られた。
つまり人間の持つ、ハードウェアとしての性能は人種や文化問わず、実は一様にして同じなのだ。
そうすると当たり前の話だが歴史の中で同じような状況に同じ性質を持つハードウェアが置かれた場合、
本人が意図せずとも歴史において過去あったことと同じことをなぞろうとしてしまうのだ。
だからこその「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」のだ。
歴史は人間のハードウェアが引き起こす問題や失敗を既に体験している。
自分が歩いた道が誰のものでもないと思うのは幻想であり、実際は似たような、まるで同じ体験を歴史は既に繰り返している。
だからこそ多くの歴史を学ばない者たちは、過去の歴史と同じ失敗を繰り返す。
心の未解明問題について脳という器官の特性についてのハードウェア問題、物理的現象が確認できない意識についてのソフトウェア問題と分けられるが、
俺は人間の寿命による経験という蓄積の消失を人間のハードウェア問題と呼んでいる。
でも人間は進歩してきてるのではないか、と君は反論したくなるだろう。
先ほど述べたように、人間はハードウェアとして経験と性質を引き継ぐことができない。
いくらDNAに多くの情報を記載することができたとしても経験を産まれた子どもに転移させることはできない。
ところがソフトウェアである学問、つまりはテクノロジーは人間のハードウェア問題を超えて引き継ぐことができる。
そう。
人間は文字を発明したときから他の生物と全く別の道を歩み出す。
ソフトウェアとしてのテクノロジーは後世に伝え続けることができ、寿命がなく、永遠に進化し続けることができる。
文字として理論や技術は残され、誰もがそれを参照・学習することができる。
誤りがあれば訂正され、さらに合理的・効率的・革新的理論により進化を進める。
人間は既に生物的な進化を終えていて、進化はテクノロジーに引き継がれた。
人間にとっての子孫とは、テクノロジーを進化させるための、ただの薪に過ぎない。
芸術もまた学問ではあるが人間の集合的無意識において働きかけるものであるため、
時代を変えて同じような音楽や絵画が溢れてしまうのは当然のことと言える。
テクノロジーによる補助なしでは達成されないものとなってきた。
これも人間の心というハードウェア自体が進化していない証左である。
結論に戻るが、
人間は死を持ってして、経験という名のハードウェアとしての蓄積を終了させる。
歴史を学ばないものは人間の集合的無意識に沿ったいつかの時代の誰かの失敗を繰り返す。
そのため歴史を学ばないものが大多数の社会は、また同じ過ちを繰り返す。
唯一、人間の進化を代行してきたテクノロジーのみ、過ちを繰り返さず前に進むことが許された。
人間が文字を発明し、進化を委託した瞬間から、人間は生物的進化をしておらず、
故に歴史は必然的に繰り返されるものとして記録され続けている。
しかし成長・進化しない人類という種によってテクノロジー自体も妨害なしに進化し続けてきたとは言い難い。
またどれだけ優秀な頭脳を持つものが現れても死ねばそこでおしまいだ。
だからこそ、AIがシンギュラリティを引き起こすと信じられている。
夜中に急に思い立って書いた文だったし、投稿したのも初めてだったので、こんなに沢山の人の目に触れているのに驚いています。お昼休みに「一つくらいコメント来てるのかな?」と思って開いたらこんなことになっていて、それからずっと心臓がバクバクしてる。
推敲もせずに書いてしまった文だから、長いしまとまってないしタイトルと中身が一致していないね。それでも読んでくださった方、コメントを下さった方、本当にありがとう。
もしかしたら『恋がしたい』んじゃなくて、『自分の価値観を決定的に塗り替えてしまうような衝撃』に出会いたいのかもしれないなと思い至りました。
『恋がしたい』、『恋をしなくては』という考えが私の中にあるのは『しかるべきときに初恋を経験してこなかった人間はおかしい』というような趣旨の発言をされた方を見たからで、今から考えると『自分はまともである』という証左を得たいが為に恋をしようとしていたのかもしれません。
婚活についても同じことが言える気がします。配偶者がいる人間は少なくとも『まとも(=致命的な人間的欠陥は見受けられない)』である、という考えが私の中にありました。
でも婚活から二年たって、色々な人を見てきて『結婚していてもまともかどうかはわからない』という結論に至っています。
『誰かを一番に出来ないから誰かの一番になれない』ことは私自身よくわかっていて、本当ならそこまで書くべきでした。中途半端に終わらせてしまったからよくなかった。
『誰の一番にもなれない』。この事に関しては、後ろ向きに表現するなら『諦めて』いますが、前向きに表現するなら『納得して』います。
長くなりましたが、頂いたコメントに対してのお返事をさせてください。全部にはお返事が出来ないのを許してください。
『長い』
→ネットを使っていてこんなことをいうのは馬鹿げているけど、正直誰も見ると思ってなかったから冗長になってしまったんだ。長いのに読んでくれてありがとう。今回も長くなってしまうからここで読むのをやめるのをおすすめします。
『23で結婚焦るって特殊だろ。いきなり婚活ではなくまず彼氏作ろうとする、ってなら分かるけど』
→その当時同い年の友人の結婚式に招待して貰ったこともあって、ちょっと焦ってしまった。恋人じゃなくて婚活から始めたのは、相手と自分の時間を無駄にしたくなかったからなんだ。もし恋人になったけど結婚しなかったとして、その分の時間を相手に無駄に使わせてしまうことに抵抗があったんだ。
『この手の誰かを好きになったことがないのに、男と付き合ったり婚活に参加したりするクソ迷惑な女~(一部省略~)てめーの世間体のために男を利用するな』
→世間体のために相手を利用するのは不誠実だなと思ったから、そこで婚活から手を引きました。
→当時から一人暮らしを満喫していました!家族関係に問題があるんじゃないかって心配してくださった方も多くて大変ありがたいのだけど、家族とはちゃんとした関係を築けているのでそこは大丈夫です。仲良い家族だねってよく言われる。
→素敵で一緒にいると楽しい友人がいます。友人が多い方じゃないけれど、その分丁寧に接することができていると思いたい。趣味もちゃんとあります。多趣味かも。趣味を仕事にしたようなところもあるから、その点も大丈夫です。心配してくれて本当にありがとう!
→私も『二次元ならときめくかも?』と思って乙女ゲームをやったり少女マンガをみたりしたけど、前者はキャラが迫ってくる感じが距離感つかめなくて怖くてダメでした。少女マンガはみてて気恥ずかしくなってしまってちょっと読めない……
『逆にどういう人だったら自分の一番にしたいのか考えてみては』
→このコメントをいただいてからずっと考えているのだけど、全く思い浮かばないんだ。もしかすると『誰も一番にしたくない』のかもしれないなって、ちょっとそういうことも考えてしまった。
→この言葉、とっても嬉しかった。そういえば親やきょうだいの存在を視野に含めていなかったなって。
『"自分が一番楽ならそれでいい"はずなのに、それでもなぜ"恋人がいないことに悩む二十代のふり"をしようとしているのか。そこに本質があると思う』
→『恋人がいないことに悩む二十代のふり』をしていた方が余計な詮索をされなくて楽な部分が多少ならずあるんです。恋人を作らない人・人を愛せない人を変な目で見ない社会になるといいな。自分が一番楽でいるために私がとった方法が『恋人がいないことに悩む二十代のふり』です。
昨年に、それなりに勤めていたが退職した会社が潰れたという話を聞いた
理由は人が全く定着しなくなった挙句に、とうとう業務が回らなくなったからが主らしい
言っては何だが、俺(旧陣営の俺たちが)が離れるまではとても凄いホワイトな環境で健全で回ってた企業だった。
仕事のスコープはハッキリと振り分けられているし、メンバー同士の中もいいから阿吽の呼吸で協力し合って鉄壁の布陣でどんな短納期でも余裕日数のこして完成できるほどだった。
給料だって平均年俸で600万は貰っていた、IT系に勤めている人間ならわかるだろうが、20代でこれだけ貰えたのは技術とか以前に、いかに会社が儲かっているかの証左だったりする
が、経営が傾いて潰れた、厳密にいえば新しく入って来た意識高い系のオッサンによって、人が急速に離れていって現場が崩壊したというのが実際の理由だ
経歴だけは凄いし資格もあるがよく話を聞くと、どこからも鼻つまみものにされて追い出されたり、奴が通った後の優良ベンチャーはブラック化して破壊して回っているというマジモンの基地外だった。(これは後から知った話で、うまいことその理由を隠していたのだ)
増田ならわかるだろうが、大企業は首にするなり飼い殺しにするなりすればいいが、中小やベンチャーは、雇うにしてもお金がかかる分、一人でも抜ければ致命的なダメージになる。
このおっさんは、俺たちを含めて1年で初期メンバーを6人辞めさせた、大企業だとか西海岸にいた経験があるからなのか、クビにしようにも法律や弁護士を盾にして居付き、自分好みの企業にしようと「巻き込み力(笑)」を発揮して現場を滅茶苦茶に振り回し、自分の仕事を共有せず、オマケに他人のワークにはしゃしゃり出てイチャモンつけてくるという面倒くささだった。しかも、それを本気で善意でやっているのだから始末に負えない。
社長は今や消息不明、メンバーはバラバラで分野違いのところへと各々が去っていった。俺もそういうトラウマからいつでもそんな奴が入って職場がブラック化する前に逃げられるようにフリーランスになっている。
仕事上のみならずジレンマに陥った時に、よく用いる持論である。
世の中、何が正しくて何が間違っているかなんて、その正誤は誰にも分からない。
少なくとも私は、「自分がそうしたい!」と思ったことを実現できたら正義だと思っていた。
この考えが、彼女にはよく分からなかったような顔をするので、たとえを出した。
電車内で痴漢騒ぎが起こった場合、その場には痴漢をされた人と、痴漢行為を疑われている人がいることになる。
この場合、
となると、被害者はまず容疑者を確保した上で、防犯カメラの確認や証人を募ったりするし、容疑者は冤罪であれば否定したり、その場から逃げたりする。
真実はさておき、お互いの実現したいことが正反対であるので、勝ち負けが発生する。
どちらかが完全に屈服したら勝負あり。
正社員と非正規社員の格差問題、男女の処遇格差、下請けいじめ、などなど。
対立があれば争うのは当たり前であり、中には和解という結末をみせることもあるが、
今の仕事の待遇も、誰かが争って勝ち取ってきた権利であるし、不満があれば組合を通して再び争う。
争い抜きで歴史は語れない。
彼女曰く、「痴漢被害を遭った人は、声をあげたときの周りからの視線などを気にして、
泣き寝入りすることがほとんど。仕事も休めないし、勝ち負けなどではない。圧倒的に痴漢行為をした方が悪い。」
「だから、そこで泣き寝入りしてしまうから、もう負けている。」
「自分が正しいと思うなら、ちゃんと主張した方が良い」
お互い無言が続くなか、
「こんな争いはしたくなかった。彼女を屈服させたかったとか、そんなことはもちろん考えていない。」と心の中で思った。
そう思うことが、私の考えが間違っていることの証左なのだろうか。
もう少し丸くならないとな、と思った。
もしかしたら数年前に決着のついてる話かもしれないが森田真生の話をする。
一応どういう人か簡単に説明しておく。Wikipediaや本人のHPによれば「独立研究者」という肩書で
大学等の研究機関に属さずに数学をテーマとした研究をしている在野の研究者。
著作もいくつかあり、中でも「数学する身体」という本は小林秀雄賞をとっているらしい。
また「数学の演奏会」なるイベントを定期的に開いているとのこと。
僕はこの人の著作を読んだこともないし、「数学の演奏会」に行ったこともないので正直あまり知らない。
ただ僕が簡単にアクセスできるこの人の情報から判断するにこの人は胡散臭い。
多分この人が話題になったのは結構前の事だと思うが、今更書くのは僕が注意を向けたのが最近の事だからだ。
前々から書店に陳列される著作を通じて存在は知っていたが読んだことは無かった。
本の見た目からして一般向けの啓蒙書という感じなのでスルーしていた。
しかし最近知り合いがこの人の名を挙げたので気になって調べてみたら思ったよりも浅薄で、
数学の専門知識の無い人をおかしな方向に誘導しているように見えたので、注意喚起の意味を込めてこの文章を書くことにした。
森田の問題点は単純で「数学の知識があまり無いのに、まるで数学を知っているかのように語っている」というのに尽きる。
これだけだと説得力もないし、内容も不明瞭なので森田に数学の知識があまり無いと判断する根拠を記す。
何をもって知識が無いと判断するかは難しいところだが大きく、森田の語る内容が表層的という点からそう判断した。
森田はTEDで講演している。是非見てほしい。(他にもいくつかYouTubeに森田の動画があがっている。)
↓森田のTEDでの講演
https://www.youtube.com/watch?v=Hx6ZNEWydCU
浅すぎないだろうか。この内容を話すのに数学の専門知識が必要な部分は一つもない。
一貫して根拠のないフワッとした話ばかりで最終的には岡潔を引いて「数学とは自分の内面に出会うことだ」などと言うが、
次のフィールズメダリストのVillaniによるTEDでの講演を見てほしい。
https://www.ted.com/talks/cedric_villani_what_s_so_sexy_about_math?language=ja
この講演は本当に凄い。専門的なバックグラウンドをもつ話を一般人向けの話にうまく落とし込んでいる。
Villaniが例外的に上手い部分はあるとはいえ、一般人向けにある程度深い数学の話をするのが不可能ではないことが分かる。
森田が誰にでもできる程度の講演しかしないのはその程度の知識しかないからだと思っている。
森田は研究者というが論文は特に書いていないため、知識の程度はわからない。
検索で引っかかる唯一の森田による大学数学レベルの記述は「哲学者のための圏論入門」というタイトルのpdfだが、
内容としては圏論を哲学系の人に紹介するものなので、その目的からしても当然のことだが入門的内容のまとめに過ぎず、
ここから知識の程度を測るのは難しい。これをあえて書いたのはこのpdfの存在が森田の知識の証左になると考える人がいるかもしれないため。
これくらいは数学科卒なら大抵書ける。
また森田の話に出てくる数学者はグロタンディーク、岡潔、マクレーン、チューリング、ウィッテン、グロモフ等といった
超ビッグネームばかりでしかも分野もばらけているというのも不思議だ。
何らかの研究対象があればその分野で一流の研究者の名前が挙がっていいはずだと思うのだが。
他にも本人のTwitterなどを多少見たが、特定の分野に対する造詣は感じられないし、一般啓蒙書的な数学的理解を超えるものは見られない。
森田に知識がない分には一向に構わないが、無い知識で数学を語らないでほしい。
数学を語るのが数学者だけの特権と言うつもりは全くないが、専門知識を語るのは難しいことだということを強調したい。
数学書を理解するのは一定の訓練で出来るようになるが、その内容をテキストから離れた自分の文脈に組み込んで話すのはずっと難しい。
しかしそれが出来なくては一般人のレベルに専門知識を落とし込むことは出来ない。森田はこのレベルには達していない。
数学について語るのではなく、自身の数学観について語るのは構わないが、それならばビッグネームの名前を借りるべきでは無く、
徹頭徹尾自分の言葉で語るべきだろう。権威の名を出して森田の数学観を語れば、一般人にはそれが独自見解と気づくのは難しいのではないか。