はてなキーワード: 自力とは
うだつのあがらない人生。目標や夢も特になく、彼女もいない、バイトして週末は友達と酒飲んでタバコ吸って二日酔いで過ごす日々を送ってきた。
なんか楽しいことないかなーって、ボケーッとテレビ見てたら黒柳徹子がスクワットが如何に素晴らしいかを説いてた。スクワットをすれば健康的に過ごせるらしい。
徹子曰く、爪先から膝が出ないように注意してスクワットするといいらしく、一回やってみたら確かにきつい。彼女は毎日50回やるそうだが、私は最初40回前後で限界を感じた。確かに生きてる感じがした。そこから私のスクワットライフがはじまった。
週五でスクワットした結果、1ヶ月後には100回以上はこなせるようになり、なんなら腕立てや腹筋、背筋もしてみようと筋トレにはまり、加えて体幹や有酸素運動(30分〜1時間ジョギング)もこなすようになった。
半年後、体重は10kg近く減り、体脂肪は11%と徹子のスクワットのススメきっかけで細マッチョになった。猫背は改善し、集中力もUPし、自信がついてモテ期もきた。筋トレしてると食生活にも気を使うようになり、酒量が減って、禁煙もした。
高校卒業後は4年ほどバイト生活をしていたのだが、大学に行きたいと思い、一念発起して4月から自力で勉強を開始。奇跡的に国立大の経済学部に合格し、東証1部上場企業に就職でき、コツコツ給料も上がってる。そして今もスクワットライフを続けている。
そういうわけでスクワットはマジでおすすめ。金はかからないし、スクワットだけなら3分もかからない。変な自己啓発本を買ったり、オンラインサロンに入るよりかスクワットした方が絶対いいと思う。
モヤモヤしてる時は限界スクワットがオススメ。これは自分が限界を感じたところからプラス10回を目標にスクワットすること。限界スクワットすると、サウナで整ったというか生きてる感じがする。野生に戻る感じ。オススメ
https://anond.hatelabo.jp/20200910150220
しかし自力ではなかなかイケず、本日はイメクラ嬢の助けを借りて乳首イキに挑戦。乳首だけで3回もイッてしまいました。
強烈なドライ・オーガズムの連続に思わず大声が出そうになり、声を押し殺すのに苦労しました。
人生も折り返しを過ぎ、ここのところテレワークで物思いにふける時間ができたせいもあって、「あのとき、ああすればよかった」という思いがふつふつと湧いてきます。
結局交際には至らず、高校生活は童貞のまま終わりましたが、あの頃の憧れやときめきと思春期の鬱屈した思いが混ざった澱(おり)のようなものを、ロールプレイで「ありえたかもしれない青春」を疑似体験することで、童貞供養をしたいと思ったのです。
イメクラ嬢に「高校時代に片思いだった後輩に告白したかった」と伝えたところ、頭の回転が速く利発な彼女はすぐに私の意図を察してくれて、ごく自然にイメージプレイの世界へと誘導してくれました。
放課後の誰もいない教室で待ち合わせて、彼女に私から「ずっと前から好きだった」と告白。
ベタな展開でも、プレイだとわかっていても、心の奥からなにかせつなく懐かしい感情がこみあげてきて、泣きそうになってしまいました。
その後は、かわいらしさと聡明さをかねそなえ、かつ床上手というなにもかも申し分ない彼女との閨房術の応酬。
前述の乳首オーガズムのおかげで性感が高まっていたこともあいまって、心を満たすあたたかい多幸感と下半身か押し寄せてくる激しい快感に包まれて、ビッグバンのごとき大団円を迎えることができました。
目を閉じると花火が昇天していくようなサイケデリックなイメージが脳裏をかけめぐり、高校時代に悶々としていた私の童貞ルサンチマンは、この日、見事に成仏したのでした。
なんか最近自民党をとにかく非難していればいいみたいな言説をたくさん見るので長文を書き散らす。
こういう事を言うとネット右翼だの安倍信者だの言われるのが目に見えているので先に述べると私は自民党政権を支持していない。
その上で、こういった事があるよと言っている事を前提としておく。
表題の件で何が言いたいかと言うと、社会的正義を建前としてメディアを通じて国民を煽り、自らの利益につなげるという商売スタイルが存在するので相手や立場の善悪に関係なく全ての情報を懐疑的に評価しなければならないという事だ。
未だに真実として語られるこの事実であるが、実は嘘と言って差し支えないほどの曲解、拡大解釈である。
これによって「ゆとり教育=テキトーを教える教育」というイメージが固着し、メディアや広告を通じたゆとり教育批判によって当時の小学生達は自尊心ガリガリ削られるという状態になっていたのだ。
「円周率は3」という事実はどのようにして形作られたかと言えば、90年代末に学習指導要領が改定され、小学校の算数について「円周率は目的に応じて3を用いる」「小数は小数点以下第1位までしか扱わない」という文言が登場した。
「目的に応じて3」というのは、円っぽい図形の時のみなし計算や、見積もりみたいな大雑把な計算をするときにとりあえず3としていいよ。ということであり、小数点第一位の件についても、円周率に関しては3.14で扱うという旨が明記されていた。
そこで、とある学習塾が「ゆとり教育では円周率は3!(だから塾に行こう!)」という感じの広告を撃ち、メディアも批判的精神の観点からゆとり教育の問題点の旗印として「円周率は3」を掲げて日夜教育批判を行った。
実際にはそうではなかったのにも関わらず、「円周率は3」という見出しのインパクトによってこれは広く受け入れられた。
それがテレビや親を通じて、当時の小学生達に「お前たちは失敗作になる」というメッセージで突き刺さった。
もちろんそういった意図があった人は一人も居ないだろう。しかし、「頭が悪くなるから塾に行こう!」「間違いだらけの教育!」といったメッセージが日夜飛び交っていれば、結果そういったメッセージとして当人たちに届いてもおかしくはない。
ここまで読んだ人なら想像がつくだろうが、私はもろにその世代である。
全員が全員ではないが、私達の世代には子供の時から「何をやっても無駄」「頑張っても無意味」という価値観の人が多い。
これはゆとり教育批判の流れ弾を子供自体に食らったからではないか?と思っている。
私もいい大人であるから自分の無能や怠惰というのは自力で解決すべきことであると思っているし、教育やメディアのせいにする気はサラサラ無い。その責任を取れとも全く思わない。
しかし、そのような環境に於かれていた当人たちは大人ではなく、第二次性徴も迎えていないような子供である。
精神が未発達でこれから人格を形成していくという子供に対して「失敗作になるぞ」といったメッセージを浴びせ続けるのは果たして円周率を3で教えるよりも良いことだろうか?
社会的正義に目が眩んで子供がどのように感じるかというケアはあの当時全く無かったし、その証拠に、未だに社会的には「当時円周率は3で教えられていた」というのが真実になっている。
いつからそうだったのかはわからないが、この時にはすでに日本のメディアは事実の観測者から正義の行為者へと変貌していた。
正義の行使ではなく、事実の観測を心がけていれば、ゆとり教育への批判も建設的に行なった上で学習塾の広告にも批判的視線を向けられたはずである。
メディアに観測者の存在しない今、情報の受け手である全員が観測者の心掛けを持たねばならない。
「○○政権の法案はこういう事実がある!」というような批判に関しても、「そもそもその事実は妥当なものか?」という俯瞰的観測精神を持たなければ、容易に誰かの意志に流され、守るべきものを壊しかねないということを忘れてはならない。
https://diamond.jp/articles/-/254946
読みました。参考になりました。
いまOJTで「出来が悪い」の烙印を押された後輩さんと一緒に作業している。
後輩さんは、これまで2人の下で働いて、どちらからも低評価をもらってしまい、それが原因かどうかわからないけど1週間ほど休んでしまった。そんな人です。
>=と<=を間違えるような初歩的なミスも多い
でも、「プログラミングは楽しい」といってくれているし、何とか自力で解こうとする頑張りも見せてくれる。
私とは実力差が大きいこともたぶん気付いていると思うけど、特に気にしている様子は見られない。
私は後輩さんに対して何をしているかというと、もちろん質問されれば教えるし、無理をしているようなら干渉するけど、基本的には指示をだして、情報を出して、手本を見せて、出来上がりをチェックして良かった点悪かった点を伝える。これを繰り返している。
①たくさんコードを書く
の3通りあって、たいていの人はこの3つの学習観のうちどれか1つに同意して他の2つには否定的な考え方を持っていると、何かの本で読みました。
後輩さんがどの考え方かまだ分からないけれど、とりあえず3通り全部対応できるように頑張ってみようと思っています。
・仕事を終わらせる
・後輩さんから見ていいパートナーと思ってもらえるよう努力する
・テクニカルスキルだけでなく、コミュニケーションなどのノンテクニカルスキルも磨く
の3つ。
正直言って、私はこの機会を、自身のスキルをあげることに使おうと考えています。
後輩さんに対して、少し冷たいかなと思ったんですけど、読書猿さんのページを見て、それでもいいのかなと思うようになりました。
読書猿さんの記事にあてられて、私もちょっと長文書いてみようかともったんですけど、やっぱり私は説明下手ですね。もっと頑張ろう
インフルエンザも少々は流行していて, でも感染した人に「これはインフルだ!今時期に病院かかるくらいなら自力で治そう!」という心理が働いて観測数が小さくなっているという仮説を考えてみました.
支援とかに頼るほど生きていけないってことになると支援してる奴に飼われてるってことになるやん
貧乏でも自力で生きているんなら経済的とか社会的には難ありかもしれないけど生物としての生存能力とコスパは高いでしょ
生物的に魅力と威力があるから貧困層って若いうちからポイポイ妊娠して子供増やすやん
金もってるやつは社会的に魅力があるから金だけほしいために分化的なサービスを施そうとされるばかりで生物的に生存が困難になってるっしょ
金がないなら金なしでそれなりの幸せにまみれることができる階層におちるべき
いまの生活を維持かそれより上になるために自分の能力以上のものを社会責任だと問うてあげようとすると魅力も能力もなくて浮いたまま死ぬだけじゃん
Googleのヘルプに乗っているようなオプションは使いこなせるが、自分は検索能力が低い。
プログラミングは勝手に検索で解決できているが、知りたいのは生活の豊かさの方だ。
ネットフリックスが凄いと言われて数週間試してみたが、暗い話ばかりが大半で気分転換に見るものではなかった。
ドキュメンタリーが好きだが、ナショジオが好きなわけではない。サイエンスチャンネルが好きだったが、似たようなのは少ない。
科学は好きだが宇宙にそれほど興味がない。THE MAKINGだったり、研究室のインタビューだったりが見たいが、そういう番組は少ない。
ビリビリ動画で、有名なのかわからないが科学解説をしているオッサンの動画を見ているが、リコメンドシステムで楽になるはずではなかったのか。
Amazonは利用してるが、技術書籍のリコメンドがいまいち役に立たない。
アメリカの大学の授業で使っている書籍で検索をかけないと出てこない。
書籍名で検索をかければ、どこかのブログにあたるが、書籍名を知るまで自力なのだ。
Twitterで流れてくるのはヤフーニュースの触れたくないものばかり。
論文を整理したりするのに良いソフトや活用方法は、定期的に時間をかけて調べても、いまいち良くならない。
ファッションに積極的に口出してくる層っていかにも女子大学生〜って雰囲気の連中だろ?
たぶん増田の気質と今所属してる集団のカラーが合ってないんだよ
義務教育から離れるほど似た人間同士で固まるようになっていくんだから
自分が本当に心地よい環境はどこか?ってよく考えて能動的に生きないと、
流されてるだけじゃ一生その違和感と付き合ってく羽目になるぞ
先日、大阪で独自の基準に基づく非常事態を示す「赤信号」が発令された。
新型コロナウイルスの感染者数が先月から爆発的に増加しはじめたことはメディアで報じられている通りだが、
その中で重症者数も増えてきており、想像以上に早く医療機関の収容・対応能力に限界に近づいてきたため、発令に踏み切ったとのこと。
この師走に差し掛かった直後での発令、ここで食い止めないと医療崩壊に繋がりかねないとの名目なのだろうが、
正直な話、この赤信号発令のタイミングについては「判断が遅すぎた」と言わざるを得ない。
これから2週間は同じペースで感染者・重症者は増え続け、医療機関は野戦病棟さながらの事態となるだろうことは想像に難くない。
一般人の私としては、医療従事者の皆さまには深く敬意を表すると共に、
一人の人間としてこれ以上の感染者を増やさないよう、そして私自身が感染者とならないよう、
慎重に行動をしてゆくこととで、細やかながらこの状況に協力してゆきたいと思っている。
さて、この非常事態宣言たる赤信号だが、15日までという期限が切られている。
この期間中は不要不急の外出は控えるようにとの要請が出ているわけだが、まっとうな人間であればこの要請には恐らく従うことだと思う。
問題は、この期間終了後だ。
果たして、15日でこの赤信号が解除されるかどうかはまだ分からないが、仮に解除されたとして、果たして皆はどう考えるだろうか?
ここでもまっとうな人間であれば
「解除されたとは言え、人混みは避けて、飲み会などもやめておこう」
となるのが自然だろう。
まさかここにきて、
「解除されたからもう飲みに行っても大丈夫!自分は感染しない!」
などと迂闊な考えたをしたりする人間はいないだろう・・・と私自身は願望を持っているが、
たった2週間という短期間の外出自粛要請と、年末という忘年会シーズンただなかでの解除ということを鑑みるに、
どうにも人々の理性のタガはいとも簡単に外れかねないのではないかということを大変に危惧している。
それに、そもそも15日までという期間が短すぎるのがどうにも気になるところだ。
既に飲食業界はガタガタで、特に居酒屋や緊密に接待してくれる店などの所謂「夜の街」のダメージはかなり深刻だ。
だが、この「夜の街」こそが感染の温床となっていることも事実で、
第2波の時も東京都知事が毎日のように会見で発言していたことは、今でもげに印象に残っている。
本来ならば「夜の街で働く人の生活は保障するから完全に閉めてくれ」と国が動くべきところだったが、
残念ながら、「自分の飯代くらいは自分で稼げ」と国が突き放してしまったのだから、
(関東では店舗の照明を切って営業してる、なんてところもあり、その傾向は以前の比ではないように思える)
当然、一部のお店は通常通り営業を続けることとなり、店が開いてるなら酒を求める人々はそこに集中する。
狭い範囲ながら新型コロナウイルスの感染者発生を維持する手助けをすることになる可能性がある。
活動自粛を強制することができない関係上、居酒屋だろうと職場だろうと感染経路を遮断することは現行法では不可能だが、
このたった2週間程度の自粛期間では感染症の広まりを抑えるということについては焼け石に水といったところだろう。
そして、15日を迎え、晴れて赤信号を解除し、黄色信号になると同時に
「自粛要請を解除するが、5つの小を徹底して飲食することを要請する」となった場合に、
果たして皆それを忠実に守り、極少人数で客の入りの少ない店に入り、個室で短時間のうちに静かに飲食を行い、速やかに退店するだろうか?
私は絶対にそうはならないだろうな、という確信めいた実感がある。
日本の居酒屋は換気を徹底できるような作りになってるところは少ないように思うし、
1グループごとに完全に個室に案内できる店は少し大きな料亭クラスの店くらいのもので、
申し訳程度に立てられたアクリル板はどうやら意味を為さないことが分かってきており、
安定した感染経路の提供口として機能してしまうことになることは想像に難くない。
また、いくら冷静に「小」を守る人でもひとたび酒が入れば感覚は鈍り、
徐々に声は大声に、顔も近づけて話すようになる。
「おいおい、密だぞ!」「ワハハハ、悪い悪い!」などと大声で笑いごとにしてしまうことすら想像できてしまう。
短い自粛期間を潜伏期間として過ごしたウイルスたちが、晴れて店中にばらまかれ、クラスターが広がる可能性が高くなる。
年末になると、医療現場は更なる地獄を見ることになりかねない・・・。
大阪府はどう考えているのだろうか。
恐らくは、上記のことなどとっくに把握済であることは間違いないのだろう。
その上で
「この期間中に医療体制をそれなりに確保する動きをしたうえで、各方面にはなんとか正月の餅代は自力で稼がせてやろう」
といったあたりの着地点を目指しているんだろうと想像する。
先日、自衛隊に対し吉村府知事が看護師派遣の要請を行ったという報道も小耳に挟んだ。
それが実現・成功するかどうかは分からないのだが、これを踏まえたうえで、15日でこの赤信号は解除し、
前回と同じく「飲みに行くなとは言いません」的なことを発表するのだろう。
看護師派遣要請も今更という気しかしないが、そもそも根本対応にはなっていないことは果たして認識できているのかどうか。
追加のベッド数をねん出するには新型コロナ以外の患者を収容するベッドを転用せねばならないという事実に変更はない。
看護師の確保と一口に言っても一朝一夕どころか数か月で多人数を動員出来る話ではない。
一時感染者数が減ったとしても、ひとたび再感染が起き重症者が増えてしまえば一気に現場が逼迫してしまうのは考えたら分かる事だ。
このままでは、なんとか掴みとれた餅を詰まらせてしまい救急搬送されてくるご老人の命一つ救えなくなりかねないという事態になりかねない。
よく考えていただきたい。
医療崩壊はこうやって起きる、というシナリオを忠実に1歩ずつ歩んでいるこの状況を無傷で乗り越えるにはあらゆる対応が足りない状態だ。
ワクチンの供給も、いつになるか分からない状態で、来年の夏のオリンピック開催を我々は果たして笑顔で見届けることができるのだろうか?
年の瀬になり、「中止になるのではないか」という個人的に妄想してるプランが少しずつ現実味を帯び始めてきた気もする。
だが、この新型コロナウィルス感染症を抑え込む気がさらさらない日本が、どうして健全な大会を開催できようか・・・
まぁ、オリンピックは国全体の問題であり、大阪とはあまり関係のないこと(そうでもない?)なのでここで言及はやめておこう。
一人の一般人として大阪府に望むことは、今にも崩壊しそうな医療現場を必死で踏みとどまっている方々への背信行為となるような赤信号の解除の仕方をしないこと、
それと同時に、より強力な経済対策と医療現場で働く方々への支援を日本国政府に対して引き続き要請を続け、そして引き出して頂きたい。
そして私と同じ一般の皆さまにも、赤信号が解除されたからといって街に繰り出したりしないよう、
理性を保って行動していただけることを切に望む。
偉そうなことを書いて大変に恐縮している。
だが、何故このようなことを書いたかと言うと、実は先日持病の発作で倒れてしまい救急搬送されたばかりなのだが、
新型コロナウイルス感染症の影響か近くの病院で受け入れてもらえず、遠く離れた病院へ回されてしまったのだ。
搬送先で短期間ながら緊急入院となった訳なのだが、そこの病院も新型コロナ用の隔離病棟を準備していた関係で一般病室に空きがなく、
やむを得ない形で、ぱっと見ではホテルなのではと見紛うような個室に入院することとなった。
いいのか悪いのか複雑な気持ちになったものだが、だがこれは全く他人事ではないと身をもって体感したからである。
何かあった時に入院できなくなる事態、考えただけでゾッとするものがある。
そして、それは自分だけでなく祖父・祖母・父・母・そして家族にも降りかかる災難となる。
助かる命が助からなくなる医療崩壊が今後起きてしまうと、未曾有の大災害に匹敵する凄惨たる光景を目にすることになるだろう。
それだけは、いやだ。
がっちゃん、びちゃあ。
びしょびしょびしょ。
隣の隣のグループのニキがコップ倒したやで。
人がいなくてよかったな。
「置いたコップの場所が悪いんや」
ニキが悔しそうに呟いてるのが聞こえてきたやで。
肘か腰がぼこん当たったんやろ。
(店の人のせいにしたらあかんなあ)
ワイ将思ったけど口には出さんやで。
スポーツウェア着たニキは強そうやった。
ワンパン、ワイは負けるやろ。
おそろしあ。
真面目ニキは何度もナプキンでふきふきしてるけど間に合わへん。
呆れるほどびしょびしょや。
(ニキはコップ全部倒したんか?)
せっかくごはん食べに来てるのにニキは一人でふきふきしてる。
いつまでふきふきするんやろか。
グループのもんは誰も手伝わんのか?
哀れに思ったワイ将、テーブルの呼び出しボタンをみーーーって鳴らしたんや。
店員がぱたぱた注文取りにくるやで。
「へいお待ち」
「すんまへん。隣の床と椅子がびしょぬれやねん。ふきふきお願いできまっか?」
「合点承知の助」
手にはチンペ(キッチンペーパーともいう)。
ささっとさっと椅子も床もテーブルの拭き残しも1分でクリア&ビューティホーや。
電光石火やった。
ぴかぴかやで。
ニキは恐縮して「すんませんすんません」「水倒してしもたんや」と店員にぺこぺこしとった。
一件落着や。
さあ、ニキ。腹いっぱいメシ食えばいいやで。
ワイ将、思うねんけど、食べ物落としたり水倒したらすぐ店員にヘルプ出したらええんや。
ささっと解決してくれるやで。
入院してる二人の男の話あったじゃん
二人とも不治の病かなんかでまともに体も動かせない。
一方の男は共同病室の窓際のベッドを使ってて、季節が巡る度に窓から見える風景を逐一病室の患者達に教えてくれる
「桜の花が綺麗だよ」とか「子供たちが遊んでいるよ」とか
そんな言葉を聞きながら、一方の窓際から遠い男は、窓際の男のことを心底羨ましく思っていた。
「俺だって窓からの風景を見ながら残りの人生を過ごしたい」と。
で、ある夜更けに窓際の男が危篤になる
窓際から遠いベッドで横たわっていた一方の男だけが病室の中で起きていて、ナースコールできる状態にあった。苦しんでいる窓際の男は自力で看護師を呼べる状態ではない。
苦しんでいる窓際の男を見ながら、男は思う。「このまま窓際の男が亡くなれば、その代わりに俺が窓際のベッドを使うことができるようになるかもしれない」と
◇
その後の展開はお馴染みで、窓際の男は亡くなり、そして目論見通り一方の男は窓際のベッドに移動するのだけれど、そこからは男の言っていたような風景は一切見えず、うらぶれた灰色のビルの壁面が見えるだけだった、って話。
今にして思うのは、道徳の教科書にこの話を載せたのは一体どんな奴で、どんな意図で載せたかってことなんだよな。
何でなんだろうと思ったんだよ
エンジニア歴の浅いヒヨっ子だけど、めっちゃわかるって思って泣いた。
自分は文系だけど一応大学は出てる。世間的には頭悪くはないかもしれない。
基本情報の勉強は楽しかったし知識詰め込むタイプの勉強は得意だった。
そもそも「頭が悪い」ことがITを理解できることに直接関係していないことはわかってる。なんというか、モノを理解できないときに「頭が悪い」っていう表現をするのはちょっと雑すぎると思う。
いろいろ考えた結果、「頭が悪い」って表現が適してる気がする。
1. 作りたい処理を自力で実装できなくて同僚に質問して教えてもらうところ。でも教えてもらったやり方は知っているやり方で、ドキュメントでも読んだことあるやつ
2. (技術的ではない)問題が発生したとき、簡単な解決法ではなく手間のかかる解決法しか思いつかなくて、「こうしたらいいじゃん」と言われて「冷静に考えればこうしたらいいのは当たり前だな、なんで思いつかないんだろう」と思う
3. 日本語の文章読んだときも、ライブラリのソースコード読んだときも、とにかく理解が遅い
4. 理解しないと覚えられない
1つめは、やり方の存在は認知してるけどそれを使うことができないから自力でできないんだと思う。
思えば自分は数学が苦手で、単純に計算ミスが多いのもあるけど、習った公式を使って応用問題を解くのができない。どの公式使ったらいいかわからない。エンジニアとしては致命的かも。
2つめは、よくわかんないけど解決策を精査し足りてないのではと思っている。まあでも時間かけたって思いつかないものは思いつかないと思う。
でも上司はいつだって最短経路で最適な解決策を導き出す。それは経験なのか、知識なのか、能力なのか、どれでしょうか。
3つめが、最も自分が「頭が悪い」と思うところ。何度も同じ説明されて、それを何度も聞いて/読んで脳内で噛み砕いて、理解したと思って自分から「つまりxxってことですか?」って質問して違うと言われたりしてまた確認して、それを何度かやってやっと理解する。
ちなみにそれは大抵、しばらくして同じもの読んでも「あれこれってどういうことだっけ」となってまた同じ説明聞いて同じ質問する。
質問すること自体は悪くないと思うけど。要領が悪い、頭の回転が遅い、とかが表現としては適切そう。だけど総合すると「頭悪い」んだなと思う。
4つめは、「理屈はわからんけど記憶する、使う」ができないのが問題。昔から自分は理屈を理解しないとスッキリしないし、応用することができない。公式がどうしてそういう公式として導かれたのかを理解しないと、応用問題で使えない。
元増田でも誰かが言ってたかもしれないけど、ライブラリの中身を完全理解しようとせずにただ「使用者」になるべきなんだけど、理解できてないとドキュメントの写経しかできない。
あと基本情報では「どういうこと?」ってなった分野は全然覚えられなくて正解率低かった。
5つめはそのまんま。ある作業中に他の仕事頼まれたら、あとでやるか今やるか判断するためにどんな内容なのか見る。内容の中で気になることがあって調べ始める。そこでメールの通知がくる。メール読んで返す。
ここで急に「そういえばあれやらないといけないんだった」と思い出す。やり始める。定時になって元の作業は全然進んでない。
あとちょっと似てるけど、アプリケーションのソースコード読んでてAの関数がわからなくて、その定義元を見る。するとその中で見慣れないBという関数が出てくる。
Bの定義元を見る。Bはライブラリの関数だった。Bの中身を読んで理解した時にはなんで今自分がBの中身を読んでたのかわからなくなってる、というのも悩み。
前にADHDのエンジニアのブログ読んで完全に自分だと思った。ADHD詳しくないけど。
プログラミングに才能は関係ないという。けどここまで来るとエンジニア向いてないかもしれない。
厄介なのが好奇心があって、現代日本でなくてはならない存在となったIT技術がどうやって実現されているのか知りたいし気になること。(元増田も好奇心あるタイプに思う。)
あとはものを作ったり、書いたコードが動いたり、技術で問題を解決できるとすごく嬉しいし楽しい。
けどそれ以上に自分の頭の悪さ、無能さに絶望することの方がつらい。耐えられない。頭が悪いせいで仕事もろくにできなくて周りにお荷物と思われてると思う。
正直今仕事楽しくない。転職する夢ばっかり見る。他の職種の方が向いてるかもしれない。前職はサービス業だけどもはや向いてるものなんてないかもしれない。頭悪いから。
でもなんかそれって「出来ないことを克服せず、耐えられなくて逃げた」ことになる気がして、変なプライドのせいと、度胸ないせいで別職種への転職は決断できない。
現実をモデル化してとらえるのは,当然日本人だけではない。人類共通の性質である。
アメリカで陰謀論が流行りやすいことなどご存じない? デュフロを引くくらいだからそんなこと自分でもわかっているでしょうに。
というか,「言説が大好き」という部分を除けば,人類どころかある程度神経の発達した動物共通の性質とさえいえる。
我々の脳は現実の複雑さをそのまま捉えられるような潤沢なリソースを持っていない。
というわけで,結局は個々のモデルが「使える」程度に現実を反映しているかということになる。
「困ってる人は助けない方がいい。困ってる人は困ってる方が良いからその状態を解決しないし、助けると自力で困難を抜け出す力が付かない」
について考えると,福祉にかかわる人間にはとても使えないレベルの解像度だが,市井の人間の処世術としては,まあ使えるといえなくもない
(もっと精緻なモデルを持っていたほうが人生が豊かになると思うけど)。
対して,あなたの「日本人って」にあてはめるモデルは,自分は気持ちいだろうけど,多くの場合妥当ではないだろう。