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はてなキーワード: 脈絡とは

2021-02-04

なんで猫好きって押し付けがましいんだろう

悩みを告白するような内容のエントリ

「猫を飼え」「ネコを飼うのニャ🐈」「ネコ様をお迎えしたら悩みがなくなるよ」「猫なんかいいんじゃないかな」

コメントがついてるの、わりとよく見る気がする

興味深いのが、他の動物で似たようなことを言ってる奴はそうそういない点

犬を飼え、っていう人は……見たことない気がするぞ 「私は似た状況で犬を飼って、結果よかった」みたいな、一線引いた言い方でならときどき見るくらい

「いいから猫を飼え」的な、何がいいんだ、死ねという感じの言い方をするやつはおらん

ペット犬猫に限らずいろいろいるが、脈絡なく「ヤモリを飼え」「熱帯魚を飼え」「観葉植物を育てろ」って押し付けがましさをぶつけてくるクラスタは猫にしかいない気がする

つか悩み相談以外でも、ホント多種多様話題に湧いてくるイメージある 猫人間

自体結構好きなんだが、猫人間がウザすぎて猫コンテンツ拒絶反応が出るようになってきた

幼少期のトラウマから犬はけっこう苦手なんだが、犬人間あんまりいないおかげでクラスタへの嫌悪感では犬の方がずいぶんマシだ

人間マジでなんなんだろう

異常なんだよな 滑ってるし、キモい

一番かわいそうなのは猫で、「キショいコミュニケーション不全のオタクがニチャニチャ愛玩してる生物」ってイメージがわりとついてしまっている

俺、犬派か猫派か聞かれたらちょっと逡巡するもん

「正直猫派だが、キショいと思われたらどうしよう?あるいは、こいつがキショい猫派で突然異常なテンションになったらどうしよう?」 そういうことを考えてしま

本当に害悪だと思う

飼ってる人間絶対数が多いから異常人間の数も増える、ってだけでは犬派との違いが説明できねえ

クラスタ比較的マトモだもんな

クラスタおかしいし、キショいんですよ

本当に自覚した方がいい そんで、猫ほぼカンケーない話題で猫の話ばかりするようなマネはよしたほうがいい

から目を離して、てめえの人生を生きろ

2021-02-01

24時間7日生きているので

人は24時間7日生きていてその中でものを考えているので、当然そこに至るまでの複雑な脈絡があって、話す方は思考過程をできるだけ語りたがるものだし実際そこから切り離されてネットに放り出された言葉はしばしば碌な目を見ない、ということはあるが、しかしその切り出し方で何かが生まれることもある、ということも同時に思う。

2021-01-30

anond:20210130001953

この脈絡の無さが、本当にプログラマ向いてないなーという感じ。

2021-01-20

はてな絶ちしたい

自分こそ文章読めてないのにそれ前提で他人批判する増田とか

ソイツに同調するブコメスターつけてる奴らとか

そこを指摘してる人がパラパラしかいないところとか(若干いるのがまだ救いか

本当に嫌い

はてな絶ちしたい

そもそもブコメの流れって明らかに最初の方にそれっぽい事言ってるやつに引っ張られてて

本文読んで考えてるやつら1割もいないんじゃねえの?

ニュースちょっと加害者が可哀相みたいな報道がされたら加害者に肩入れして

逆に池袋の件なんかはろくに事情も知らないくせに過剰に叩く

訴訟記録全部閲覧謄写してちゃんと書面や証拠意味が解るくらいには専門分野勉強してから言えよな

まあ確かにちゃん理解するまで何も言うなっていうのはキツすぎるかもしれないけどさ

おばちゃん井戸端会議だったらその場で終わることもネットで書き散らして拡散して増幅して酷いことになるのよ

だったらネットに書く前にちゃん自分で考えてほしいわけよ

秋葉原加藤毒親持ちって有名だけどさ

加害者にも知らないだけで地獄みたいな環境で生まれ育ったり診断されてないけど障害持ちだったり色々あったのかもしれない

勿論犯罪自体は許されるものじゃないけど、たとえば自分が同じ環境で生まれ育ったらどうなってたか?(そんな環境だったとして、どうしたら犯罪を防げたのか?)

普通環境で育ったとして、自分やその家族・友人も一瞬の過ちでひどい事故を起こし得るのではないか?(勿論重大なミスが無いよう最大限の努力をするのは当たり前だけど、こう言っちゃなんだが運悪く変なところでミスしたり気を抜いてしまったりすることもある)

話に脈絡がなくなってきた

とにかく文章をろくに読めない何も考えていないはてな民たちが嫌いだ

こんなこと書き散らしてもどうせ誰も読まないんだけどさ

深く考えて生きていきたいよな

2021-01-19

俺たちはたぶん、キングコング西野氏的なものに勝てない話(追記

こうやってわざわざ文章に取り上げている時点で自分の負けをさらに引き寄せるようなものだと思うんだけど、こりゃあ敵わねえな、と思ったから書いておく。

いま話題のプペルじゃなくって、西野氏がある大学卒業式講演に来たときの話。俺も現場ではもちろん、動画を視聴したわけでもないんだけど、twitterキャプチャで見たのね。

それで、たぶん最初に登壇したとき学生たちの反応が、そこまで芳しくなかったんでしょう。西野氏がこんなことを言う(経緯は俺の推測です。念のため)。

「みなさんには二つの選択肢がある」

「今みたいなバラバラ拍手西野を迎え入れるのか、それとも全員立ち上がって、西野あらためて迎え入れるのか」

「僕自身はどっちでもいいんです」

ってやつです。

俺はこの画像を見たとき、これは敵わねえな、と思ったよ。というか、なんだろうな、この世界で「西野氏的なもの」にしてやられないように、こいつを回避し続けるのは、相当至難の業だな、と思った。

「どっちでもいいんです」と言いつつ、西野氏の希望は当然、万雷の拍手でみんなが自分を迎え入れてくれることなんだけど、西野氏はたぶん、仕切り直すことで学生たちが自身を全霊で歓迎してくれることを確信していたと思うんだ。なんでかというと、それは別に西野氏がスーパー人物からでも、彼へのはちきれそうな期待を学生たちから感じたからでもなくて、むしろ反対に、学生たちにとって西野氏なんて、特に興味もない、当初はそれこそどっちでもいい相手だったからで、西野氏もそれをよく理解していたからだと思うんだ。

たぶん、学生たちにとって西野氏なんてマジでどうでもよかった。だから最初登場してくる西野氏に拍手していたときも、自分がどんなテンションで手を叩いてるかなんて意識しないで、漠然と手を叩いていただろう。「空っぽ」だったんだ。

それが、登壇した直後の西野氏のひと言で、まず自分たちに思わぬ選択肢が与えられていることに気付かされた。西野氏をもっと歓迎してあらためて迎えるかどうか、という選択肢だ。

そして、みんなで一体になって西野氏を歓迎した方が、どっちかと言えば雰囲気的にハッピーだな、ということを、ここではじめて「想像させられた」。

悪い言い方をすれば、それまでがらんどうのまま椅子ぼんやり座ってたところに、気持ちの部分で血肉が入ったんだ。

俺はその後のことを知らないけど(動画を観たくないから)、たぶん、二度目は割れんばかりの喝采で迎え入れられたんだろう。まるで魔法のように大勢の人を操ってみせた話だけど、こんなの良くも悪くも人間を冷静に観察し続け、相手をナメてかかることができる人物なら手のひらの上の話だ。たぶん、西野氏にしてみれば楽勝だっただろう。

「どっちでもいいんです」という登壇直後の発言も上手い。これが例えば、自分から拍手を強いるような言動があれば、学生の方にも抵抗感がある。歓迎するかどうか、あくま学生の側に選ばせることで、かつ、自分たちでこの場をハッピー雰囲気で満たすことができると想像させた時点で、西野氏の勝ち確だったのだ。

そこには「ほとんどの人間は通常何も考えないで生きているし、何にも興味を持たずに生きている。だからこそ、自分たちが主役として何かを選び、決定することができる機会を与えられたとき自分たちこそこの場を盛り上げられると確信したとき、その魅力から逃れられない」という冷静な人間観がある。これは敵わねえよ。俺もその場にいたら拍手してると思う。きっとね。

そういう西野氏が『えんとつ町のプペル』をひっさげてエンターテインメント業界数字を出せるか…はまた別の話なんだけど、それは西野氏が卒業式で見せたような手法が通じないからじゃなくて、反対に、エンターテインメント世界こそ、西野氏的な方法跋扈する世界からだと思うんだ。西野氏の特異性って、そういう技法を非演芸的な空間一般ピーポーに容赦なく使用したところにあるんであって、業界としてはありふれた手法人間観だと思うんだよな。

こういっちゃなんだけど、どの作品ブームを仕掛けるのも、「人間ってやつは99%空っぽで、何も考えていなくて、でも自分には特別な見識や機会が与えられていると信じていて、自分で何かを決めることができるという幻想があって、人生を楽しむ権利があると思い込んでいて、できればそれを周りの人たちと共有できたら最高!」的な人間観で消費者を見てないと、市場になんて参戦できないんじゃねえかな。

具体的な作品名とブーム出したら不快にさせるだけだろうけど、例えば『ジョーカー』みたいなダークで暴力的作品も、文芸的な邦画作品も、屈折はしてるけど、結局はそういう手法で仕掛けられてると思うんだ。俺には『えんとつ町のプペル』をめぐるプロモーションと、他のエンターテインメントの仕掛け方の本質的な違いって正直わかんねえんだよな。

もちろん、作品としての評価は別かもしれない。でも、俺たちが感じるような「ああ、いい作品だった!」「うーん、クソだった!」が、はたして、俺たちを無意識にがんじがらめる商業的な網から、いったいどこまで自由なもんだろうな? って気もする。

商業的なアプローチから自由って話のひとつの余談として、俺が浪人とき、気まぐれで古本屋に入ったことがあった。11月ぐらいのことだ。街も全体的に灰色だったし、俺の心も灰色だった。俺はこの受験に失敗したら死のうかな、と思っていた。

たまたまカフカの『審判』という本が目に入った。新潮版だ。レア(たぶん)。

俺はカフカなんて『変身』しか知らなかったので、興味と呼ぶにも希薄感情のまま、本当にたまたま、それをレジに持ってった。200円ぐらいだったと思う。

審判』は俺の人生を完全に変えた。どちらかと言うと悪い方にだけど、とにかく、他のどんな作品とどんなかたちで出会ってもあり得ないくらい、深く俺をゆさぶった。

あれこそ、商業の魔の手から完全に自由体験だった。そして、ああい運命と呼べる体験しか、人と作品出会いは本当には成立しねえんじゃねえかな…というのはロマンチックすぎるかもしれないけど、俺は割と本気でそう思ってる。

ところで、あのとき審判』を手に取る代わりに、西野氏のオンラインサロンに参加していたらどうなっただろう?

それでも俺の人生はきっと「完全に変わった」だろうな、と思う。むしろ審判』で三日間くらい飯の味がしなくなるような体験よりよっぽどハッピーだろう。

結局、そんなもんなんだ。キングコング西野氏的なものはこの世界の至るところに、程度の差こそあるけどあふれているし、おおよそ感動はオンラインサロンの充実感で代替される。だから、俺たちはたぶん、キングコング西野氏的なもの永遠に勝てないだろうと思う。

追記

トラバで、「『審判』のくだりでお前が言ってる、商業的に自由っていうのは、仕掛けられたマーケティング接点では無い出会いだった(古本屋の偶然)という意味か、『審判』の中身・題材に関連したことか?」という質問をいただいて、これは前者のつもりで書きました。

ただ、カフカという作家についても、おそらく、「再発見された天才カフカ」「俺たちの代弁者カフカ」「いま、イケてるやつはカフカを読む! カフカで他のみんなと差をつけちゃえ!」的なかたちで仕掛けられたムーブメントがきっとあだたんだと思います

審判』もきっと、その延長上で古本屋の棚に並んでいたわけで、そう考えると消費者小馬鹿にしつつも心理の隙間に入ってこようとする商業ってやつからは、千切っても千切っても完全に自由にはなれないのかな、と思いました。

ところで、上記の「『審判』の中身・題材に関連したこと」という部分で思いついたことがあるので、それを付記しておきます

審判』のネタバレになること、作品解釈あくまで俺によることをことわっておくのですが、『審判』は、「自分という存在について徹底的に考え続けた者は、必ず破滅する」という話です。

カフカにはたぶん、いわゆる「自分探し」を揶揄するつもりはまったくなかったことをふまえて考察するんですが、物語の冒頭でなんの脈絡もなく訴えられた結果(罪状も明かされない)、

自分はこれまで、どんな善行(悪行)を重ねてきたか

自分の将来にはどんな可能性が残されているか

そもそも自分とはこの社会世界)において何者か」

を考え、自分無罪を信じぬいた結果、得体の知れない訴訟にハマりこんでいき、破綻する話です。

自分を「信じ抜いた」結果、破滅を迎える。俺が増田に『審判』の話を書いたのは本当にたまたまですが、『プペル』のキャッチコピーを考えたとき、ああ、この対比は面白いな、と思いました。

で、この面白いという感覚には続きがあります

俺は上で、あえて「自分探し」という表現しました。なんでかというと、こう思ったからです。

審判』の「自分という存在について徹底的に考え続けた者は、必ず破滅する」という一つの解釈について、次のように補足・換言してみる。

自分という存在(の可能性)について徹底的に考え続けた(諦めなかった)者は、(社会的に)必ず破滅する(≒冷遇される)」

…こうしてみると、この増田でも話題にしてきた別の「作品」が見えてこねえか? ということです。

俺は何十回でも強調するつもりなんだけど、俺は『審判』と『プペル』を同列に見ているわけではなくて(『プペル』も別に、読み終わった後しばらく飯の味がわからなくなるくらい衝撃だった、って言われたくはないだろうし)、ただ、この辺ってけっこう曖昧で危ういんじゃねえか、ということです。

自己」「孤立」「理解不能なマジョリティ」「困難な戦い」、こういった要素を含む物語は、例え真逆メッセージを送っていたとしても、じゃあ全然違う別モンだぜ、と胸を張って主張できるかと言うと、「いや、うん、全然違うよ、違うんだけど…ちょっと小一時間整理させてくんねえか」というところがある気がして、それが面白いな、と思いました。

強いて言えば、俺は子供に『審判』は絶対読ませたくないし、『プペル』は別にいいんじゃねえの、という感じです。

それは、『審判』が俺にとってスペシャルなのと、あと単に理解できても暗い気持ちになるからで、自分の子供がそんなんなったらイヤだからです。

2021-01-17

マッチングアプリあれこれ

コロナ孤独払拭しようとpairsを始めた。26歳。女だから課金なしでできるみたい。というか、男性はほぼ全員課金しないとできないの、後で知った。なにそれ不平等

無課金だし、いい人いたらうれしいな〜くらいのノリで2ヶ月続けてる。ビデオ通話してみたのは10人弱、実際会ったのは1人。

自分のことは棚上げて、出くわす男性会員に対してよく思うことを書き連ねてみる。

プロフ画像こだわらない人はなんか怖い

くすんだ汚い鏡に向かって自撮り撮ってる人、変顔?してる人、ピントがずれてたりする人は、なんか怖い。「どう思われたくてこの画像を載せてるんだろう?」と勘ぐってしまう。

なんだかんだ、ちゃんとしたカメラで誰かに撮ってもらった写真の人は、第一印象で損をしない気がする。

焼肉画像多すぎて怖い

焼く前の肉をサブ画像にしてる人、なぜかやたら多い。なんで?肉好きなんかな?いやでもプロフィール文にそういう情報なくて、脈絡なく焼肉出てくる。やっぱり、どう思われたいのかが見えなくて怖い。

いいねしてくれた理由言ってくれるとメッセージ続きやす

プロフィール画像とか、コミュニティとか、プロフィール文を見てくれて、「〇〇がいいなって思いました!」の一言があると、安心してメッセージ返せる気がする。だから、私もまずはいいねをしたor返した理由は言うようにしてる。

■よくわからない質問してくる人怖い

例えば、「よくお酒は飲むんですか?」って突然質問されて、お酒話題したいのかな?って思って、「そちらはよく飲まれるんですか?」って聞く。返事が「あんまり飲まないんですよね!」…??なんで聞いたん?

絵文字でなんとなく文化圏がわかる

😆😂😄→陽の気配

❗️❓→おじさん?

🤔→レアだけど、ITエンジニア肩書きの方に多い気がする

😌☺️→私はこれをよく使う

男性サイドの意見とか、他の女性意見とか聞いてみたい。

2021-01-05

27歳で処女。だった。

土曜日の夜に一緒に大久保チュニジア料理を食べて、赤羽の彼の部屋に初めて行った。

世はワールドカップで、埼京線で、ケーブルテレビではフジロックのまとめがやっていた。


その夜は、カーテン越しに街灯と青い月光で灯された部屋で、駅前喧騒の静かな雑音を聞きながら、

毛布に包まって、寝た。


日曜日の朝の空は高く透き通って青色で、空気は凛として冷たく清潔な感じだった。

ドトールコーヒーに行ってミラノサンドジャーマンドックを食べたりコーヒーを飲んだ。


日曜日の昼下がり。テレビアタック25とかやってたかな。

ロボが脈絡無く「ま、まんこが見たいです。」と言った。

「えーっ」と、私は「そんなこと言うの?」とゆう軽い軽蔑を含めたつもりだったが、

私の顔はニヤけてた。「そっちも見せてくれるならいいですよ。」


ロボは好機を逃すなと、立ってジーンズを足首まで下ろした。

トランクスに手をかけて、数秒躊躇って考えたあと、「大きくなってます」と言い訳言って、

トランクスを下ろして、ジーンズと一緒に脱いで、それは軽く畳んで横に置いて、

ちんちんがそこに見えた。それから正座にしゃがんで、足を崩したり、広げたり、

閉じたり体操座りしたりした。ろぼのおちんちんが見えた。


「ささっ、ささっ」とロボが促し、「えーっ」と言いながら、私は床に座ったままで、

デニムボタンを外してチャックを下ろして、ズボンと一緒にショーツを脱いだ。

ショーツが汚れてないか、ちらっと見た。脱いだ後はどうすればいいんだろう。

ロボが「膝を立てて。脚を開いて」と言う通りにやったら、股間がすーすーした。


恥ずかしいとかゆう気持ちは、その場の空気も、ロボとの関係も、無かった。

しろラブホのベッドの上でエロい雰囲気でより、こうゆう状況の方が良い。

ロボは無言で私の股間を見ていた。私のマンコを見て興奮してロボのちんこ勃起するのだろうか。

いやさっきより少し小さくなっているようかの。


「私、自分でよく見たこと無い」。ロボは鏡を取って、私の股間の前に置いた。

太陽自然光で、よく見えた。毛が生えていて、お尻の方まで、お尻の穴も見えた。

大陰唇、は、見たことあるようなピンク色ではなく、焦げ茶色だった。

クリトリスの下に、ピンク色の肉があって、小さくぽつんと黒い穴が開いていた。

「あー本当に穴が開いてるー!」と少し感嘆した。それと同時に、

「ぜったいちんこなんか入りません。って」と思って、言った。


ちょっとチソコよく見せてください」。「はい」「これがいちばん大きいんですか?」

「いま65%くらい」「最大にしてくださいよ」「じゃあ、脚を広げてもらえるよ」。

私はチソコを観察したまま股を広げて、左右に「ぱくぱく」までしてあげた。

チソコは「ぐんぐん」と膨らんで大きくなって、少し上向きになるまで勃起して、

表面は引っ張られてテカっていあ。たまにびくンと跳ねる。でも、よく見えない。

立膝になっても、立っても、よく見えない。椅子に座って脚を開いた格好がいちばん見易かった。


「なんか、『ペニス』って感じ」。エロ漫画妄想していたイメージの、形や大きさだった。

ちょっとオナニーしてみてくださいよ」「いまするとすぐイキそうだから。」「いいじゃないですか」「いや」。


動物本能か、もともとしたかったのか、「ちょっと、入れれるなら入れてみたいかも」と思って、言った。

「入れてみましょう」。自然と私が下側で脚を広げてる。普通は恥ずかしくてエロいところを、思いっきり見せてる。

自分だって見せたことがないけど。じっとロボのちんこの先と私のまんこの間を見てて、

ちんこの先がまんこにkにゅと触れた。「痛っ」。硬いうんこでお尻の穴が切れる時のような。

ちんこの先が私の穴に少し入ってる感じはするけど、ロボは「入らないかな」と言った。


私はロボのちんこディルドと思ってぎゅっと握って、自分まんこに入れようとした。

入らなかった。「入りませんねー」。自分の穴の大きさはといじっていたら、指に少し鮮血が付いていた。


「私、シャワー浴びたいです」「じゃあ一緒に入りましょう」「なんで一緒に」。

もう下半身は裸だからシャツを脱いで、でもブラを取るときの方が恥ずかしかった。

胸を腕で隠そうか、でも恥ずかしがってると思われたくないから隠さないか、どうしたら。

広くはない浴室で二人一緒にシャワーって。

ロボが軽く抱きついてきた。全裸で肌と肌が触れる。おっぱいもほわんと下からまれて、

乳首に指が触った時に「びくん」と感じたから、なんか悔しいから、

ろぼのちんこをぎゅって握ってやった。


そのあと激しくべろちゅーして、洗って綺麗になったかクンニフェラもして、

私は壁に手をついてお尻を上に突き出して、イメージまんこの穴を見せつけるように、

あー私は女で自分生殖器まんこに男の生殖器ちんこを入れてもいい、

って状況だこれは。少しの間だったけど、早く入れてくれないかなと望んでた。


後ろからおっぱいまれて、私にちんこを出し入れされて、

私は振り向いてキスをして思いっきり舌を吸って、自分の唾液をいっぱいロボの口に入れたった。


なんかの姿勢で背後位からかい合っての正常位か対面座位か、

キスしながらおっぱい乳首クリトリスペニスまんこに挿れられて、

人肌触れ合って「中に出してもいいよ」って私が言う前


2020-12-29

定年のオッサン

いちいち大企業に勤めてたとか、海外勤務してたとか聞いてもない経歴語りだすのなんなん

正直興味ないしアジア圏勤務如きに「すごーい」とかも思わんし

はいはい相槌ぐらいはうつが、あれは自慢のつもりなんだろうか

俺も海外出張ぐらいはしてたけど初対面の人間にいきなり自分語りはようせんわ

話の前後にいきなり経歴話出して脈絡がないって自分でも分かってないんだろうな

2020-12-25

東方幻想万華鏡 紅霧異変の章 とかいう最高の作品

福神制作東方二次創作アニメなのだが、これがまたお気に入り作品なんだ。作画が神懸かっているのは当然のこと、演出構成テーマ脚本が非常に良く出来ている。

 この話は霊夢魔理沙の回想で話が進む。紅魔館での戦いと東方キャラオールスター宴会が楽しめるという豪華なストーリーになっている。魔利沙の回想はチルノとの戦いの後、紅魔館に潜入する所から始まる。まず館内のサスペンス映画さながらの不気味な雰囲気がいい。その後、子ども部屋に入ると唐突に後ろからフランが現れる。初っ端からラスボスと戦うという逆説的なストーリー展開に度肝を抜かれる。お馴染みのテーマと共に無表情で儚げな雰囲気を漂わせつつゆっくりと着地するフランの圧倒的強キャラ感。これがなんとも恐ろしい。興味津々に魔理沙を観察したと思いきや何の前触れもなく攻撃を食らわしてくる。うつむき加減に孤独を訴えた後、抱きしめたぬいぐるみ破壊し、今度は笑いながら「私魔理沙で遊ぶ!」と叫ぶ。この脈絡のない行動がフランの無邪気さと狂気を見事に表している。そして、フランとの戦いが始まると思いきや、シーンが代わり今度はレミリア登場である。暗闇の中笑みを浮かべるレミリアは美しくも恐ろしい。続いて幻想郷を覆い尽くす霧の演出も美しい。魔理沙フランの戦いに戻る。と思いきや、大魔法使いパチュリーの登場で戦いは中断される。魔理沙の動揺をよそに淡々と語るパチュリー強者オーラを放っている。「さすがは幻想郷ね。子どもがちょいとかじった程度の魔法でこの私をどうにかできると思うなんて、全く大した幻想だわ」と名言も炸裂する。当たりの風景が一転し、宇宙空間のような光景が広がる。1話の時点でバトルシーンに関してはお預けであるが、それでもよく出来た演出のおかげで見応えのある作品となっている。

 2話ではルーミア美鈴との戦いは端折られている。その分、咲夜戦はしっかりと描かれている。優雅なたたずまいを崩さず闇から現れる咲夜がなんとも美しい。雨あられの様にナイフが降り注ぎ霊夢に襲いかかるシーンは圧巻だ。裏をかい咲夜を捕らえ、ゆっくりと歩み寄る霊夢が頼もしく強者の貫禄を漂わせている。何より魔理沙フラン下りも丁寧に描かれている。周囲が自分を置き去りにして事を進めていく中、フラン孤独理不尽に打ちひしがれる。そんなフランを励ますかの如く周囲の光景が一転する。パチュリーに打ち勝ち、壮大なファンファーレと共に埃の中颯爽と歩く魔理沙はとても少女とは思えないほどかっこいい。尻込みしたフランに魔理砂は「他人に指図されないで自分の思うように生きようと思ったら戦わなきゃ駄目なんだぜ」と叱咤激励する。東方二次創作屈指の名シーンであり、筆者は勇気がほしいときに何度もこのシーンに励まされた。シンプルでごく当たり前だが皆忘れがちなことを思い出させてくれる魔理沙は流石であるフランは外に出るため、レミリア決闘を挑みにいくのだが、そのレミリアの姿が余りに美しいのだ。紅の光を浴びながらステンドグラスから外を眺める姿はなんとも形容しがたい。フランの反抗にも特に動揺した姿を見せず、まさに強者ならではの落ち着きだ。回想のレミリアは暗闇の中にいて姿がよく見えないため、その分もっと観たいという視聴者に思わせるのだ。秘すれば華なりとはこのことだ。振り向きながら浮かべる邪悪な笑みは背筋が凍るような恐ろしさだ。このアニメでは敵キャラ達がとにかく恐ろしく、美しいのだ。この演出は並の二次創作の及ぶところではない。

 3話で大詰めを迎える。魔理沙が見つめる中対峙する姉妹の姿も美しい。レーヴティンを手に孤独を打ち破り自由になるため今まで逆らえなかった姉に自分の思いをぶちまけるフランがとても勇ましい。このアニメ異変解決だけでなくフランの成長も描いた作品なのだ。戦いの最中レミリアフランを抱きしめる場面も感動のシーンだ。原作にはなかった姉妹葛藤と絆を描いているのがこの作品の魅力だろう。本編の魅力を損なわず新たな魅力やテーマを加えるというのは二次創作において非常に重要姿勢である。回想が終わり、宴会の場面に戻るがそこでレミリアフラン姉妹げんかが始まる。回想で葛藤を描き、最後に仲良く喧嘩する場面で終わるというのは最高の構成ではないだろうか。このように幻想万華鏡王道的な豪華さを兼ね備えた二次創作の鏡と言うべき作品なのだ

2020-12-21

インディアンスのわざと噛む漫才

もやもやする。

今回彼らがM-1の敗者復活戦と本戦とで同じネタをチョイスしたことで2度見て気づいた人も多いと思うのだがインディアンスツッコミが噛むくだり(タラちゃんのところと罵声美声のところ)はアクシデントではなく台本に組み込まれている。

ツッコミが噛んだところをボケがうまく広げて笑いに変えてフォローするアドリブ満載の漫才のように見えて実は台本通りのアドリブ漫才なのだ

でもそれが間違っているかというとそうじゃなくてそもそも漫才ってめちゃくちゃ練習しまくったネタをさもその場で考えて会話しているかのように見せるものだしその点では漫才として何も間違ってないはずなんだけど、見ていてなんだか騙されたような気持ち悪さがある。アドリブかと思ったらそうじゃなくてやらせっぽく感じるというか。なので間違っているとも言い切れずただただもやもやしている。

twitterとかの感想を見てるとシンプルアドリブだと思ってる人もたくさんいて、審査員オール巨人ですら「相方の噛んだところをうまいことカバーできてて素晴らしい」と評してる。お前はそれじゃだめだろ初見でも気付けよと思うが…

噛む漫才といえばかまいたちUSJUFJを言い間違えるやつもあるけどあっちにはそういう感情は全く無いんだよなあ。違いはどこにあるんだろう。

かまいたち場合は言い間違えることがネタの根幹部分でそれなしでは成り立たないのでアクシデントとは全く思わないが、インディアンスボケマシンガンのようにボケ倒して翻弄する芸風で一つ一つのボケ脈絡なくても成立するからアドリブっぽく見えるのだろうか。

もっと明確に「言い間違いをいじる漫才」としてコンセプトがはっきり伝わるようなネタになってたら受け止め方は違ったのかもしれない。でもそういうのは彼らの漫才じゃないんだよなあ。

M-1記事インディアンスを絶賛するブコメに星がいっぱい付いてて、えーどこがめちゃくちゃ面白いんだよあのネタめちゃくちゃ気持ち悪いじゃんと思って書いた。

2020-12-17

anond:20201217230540

インセルじゃないからええよ

つか、脈絡なくインセルなんて一般理解度の低い言葉使うのやめような

アスペの悪い癖だぞw

2020-12-16

anond:20201216141852

コンゴで売られる漫画雑誌コンゴ舞台にした連載の表紙に毎号「コンゴでかわいそうなゾウが今日ハンターにモリで突かれて死にましたがコンゴ調査目的だと言い張ってますw笑えるw」なんてバナー脈絡なく掲げるやつがいたら同じように胸糞で感じが悪いやつだなと思う。

2020-12-14

まらない雑談配信をするvtuberが増えた

はじめに言っておくと、にじホロのような爆速コメントが流れていく大手はあまり見ていない。

今年後半、日本語圏以外のリスナーが様々なプラットフォームで増えていて、彼らはとにかく自己主張が激しい。

日本的な、オタク的な機微vtuber文脈を知りようがないまま参入しているのだから仕方がないのかもしれないが、

彼らのコメントでは脈絡のない自分語り配信内容と関係ないワードが頻出する。

(下手すると突然政治闘争リスナー同士で始めたりする)

「私は○○です」「私は○○が好きです」etc…………日本語リスナーがそういう発言をしないという訳ではないが、

やはり比べて目立つように感じるし、異邦人という物珍しさから配信自身もそのコメントを拾ってしまうことも多い。

で、雑談配信でその「異文化コミュニケーション」が始まってしまうと、とにかくつまらなくなる。

雑談配信ではコメントとの交流比重が当然上がるが、それでも私が見たいのは「vtuber自身」だ。

彼/彼女自身が持ち寄ってきた話題に耳を傾け、リスナーレスポンスを返す。

イニシアチブを握っているのは配信自身リスナー言葉を発する壁。私はそうあってほしい。

しか外国人リスナー相手のやりとりは、向こうにイニシアチブを渡してしまっているのだ。

配信の主から主体性が奪われてしまっているのだ。私は何を見ているんだ?という気分になる。

あと単純に話の内容がつまらん。日本人外国人出会いたての定型文みたいな似たり寄ったりの話しかしねえ。

とはいえコメントの取捨選択も当然vtuberが自らの意思ですること。

文句があるなら文句を言わずに見るのをやめろ」という界隈の暗黙の了解に則り、自分から彼/彼女距離を置くしかない。

でもやっぱり言いたい。外国人vtuberとの向き合い方を学習してからコメントしにきてくれ。

あと、あんまりそいつらに構わないでくれ、vtuber

2020-12-11

三十から四十歳若くなってる細野晴臣サン

いい感じに草臥れた喫茶店で彼のお気に入りの席のそばに座るように言われて何の脈絡関係性もなくワイの今の職場の人の世代論を聴いてる夢をみてた、やべぇ何だこりゃ(笑)

2020-12-07

anond:20201207064047

大体今どきわざわざJR高速バスでもないのにバス路線用意してるあたり特別地域なんだろうなあって部外者は感じてしまう。

これは誤りで、JRバスはかつての国鉄バス時代から鉄道線に対する先行・代行・培養・短絡・補完のどれかを目的に開設されていた。(なので全国に脈絡なく分散している)

草津志賀草津高原線)の場合吾妻線への培養

2020-12-06

仮想通貨宗教信仰の話

仮想通貨については前置きで本題は宗教の方なんだけど、背景としては次のようなものがある。

仮想通貨相場がいま全体的に上がっている。ただ、知ってのとおり乱高下の激しい市場なので、損が出たときはもちろん、儲かっても精神的にものすごく消耗しやす

宗教云々言っているが、俺は無宗教無神論者だ。いつか信仰が雷撃のように俺を打ってくれればいいと思ってはいるが、たぶんそういうことはないだろう

・人は必ず死ぬ

一昨日、仮想通貨銘柄の一つであるxemが高騰し、前日比20%ぐらい額が上昇した。約3年前に日本取引所からハッキング流出したために話題となり、あまり良くない意味で有名な銘柄だ。

俺も保有していたので利益は出たが、想定以上の値上がりにかえってテンパってしまい、しょんべんくさい利確を繰り返して微妙な収支に終わった。そういうわけなので、「あのときああしていれば…もっと…」という強欲な後悔がいくらか割と残っている。

この後悔の根っこには、あるルールが俺の中で不在だったことが原因にある。株でもFXでも仮想通貨でも、あらゆる金融の教本やサイト共通して書いてある「自分との約束を作り、これを守れ」というルールだ。例え、いくらで利確しいくら損切りしろ、とは書いていない教則でも、この原則だけは必ず書いてあるのだ。

結局、運用にあたって売買の目安となる約束自身との間に設けておかないと、今回の俺のように場当たり的な売買を繰り返して心の底から疲労し、収益を素直に喜べない。というか、利益が出たからまだいいものの、これで損失が出ていたら立ち直れない。

妙な気もするが、投資においてはまずは自分との約束を律儀に守ることが優先され、純利とはそこからもたらされる精神の平安に伴って自然とついてくるもの、なのかもしれない(本当にそうかは知らない。何しろ俺は金融に関してはポンコツなので)。

ただ、ここで約束という行為には、もうちょっと観念的な意味合いがあるんじゃないか、と思っている。それは、何かを決めてそれを守る、というルーチンを徹底することで、流れていく時間の上に想像上の節点を置き、好循環を意識させる働きがあるんじゃないか、ということだ。

例えば、

・「当初の目標の+値に達したから売った」→「得た利益で他の銘柄を買い、それも値段が上がった。一方、売却した銘柄はその後チャートが下がった」

という具合だ。

これは時間の流れに約束という節目を置いたからこそはじめて自覚できる好循環だ。約束をする、そして守る、という時間区切り方によって、人間自分が良い流れの中にいる、というイメージを持ちやすくなり、次のアクションを取る精神的な敷居が下がる。そして、それがさらに良い結果を生む、という具合に好循環が持続する。反対に、ここに約束が介在しないと、漫然と得をしたり損したりを繰り返すうちに精神がすり減っていくことになる(特にけがかさんだ場合)。

え? そんな都合よく転がるか?

転がらない。

実際は、目標の含み益に達した銘柄は売却した後もさらに上がり続けるし、事前に設定した一線を下回ったので売った銘柄は、その直後に反転して値が上がり始めることも多い。

ただ、それでも約束無意味ということにはならないと思う。ここには、人間精神というやつの良くも悪くもいい加減な本質が関わってくる。

俺は、人間は直近の近視眼的な損得に一喜一憂するのと並行して、長いスパン時間因果を良い方に解釈することを自らに許す生き物だと思っている。

この世には値段が上がり続ける銘柄なんてものはないので(例外除く)、早めに利確しすぎて指をくわえて見るしかなかったものも、一晩寝れば結局落ち着いていたりする。損切直後に反転して悔しい思いをした銘柄も、やっぱり一晩寝ると、起きたら大幅に値を下げていたりする。

ちゃん約束を守っている者の目には、利益は出ているように「見える」し、損は抑えられているように「見える」ことが多い。実態としてどうかは関係なく、好循環なんてのは結局は主観次第のサジ加減一つということだけど、俺はこれも知性の一つのかたちだと思う。

で、約束という行為を骨子にして俺たちのメンタルを安定させ、好循環という錯覚、あるいは人生観のもの構成しようとする営みが、金融以外にも、もっとデカフレームとして存在する。宗教だ。

あえて断言するが、たぶん、約束という概念がない宗教存在しない。聖書の旧約・新約なんてまさにそのもので、これは、「(神との)旧い約束」、「(イエス・キリストとの)新しい約束」という意味だ。

宗教は時節によってやるべきことを定め、やってはいけないことを定め、本来脈絡なく流れていくだけの時間の上に節目を作る。設けられた節目は他の節とつながって、約束を守ってきたから生きてこられた、という好循環(に見えるもの)を形成する。宗教とはある意味約束を守り続けることで自分はいま良い循環の中にいると感じるためのシステムと言い換えられると思う(実際のところ、キリスト教の背景には「これまでの神との約束、厳しすぎて正直しんどくねえ?」というのがあるが、話がややこしくなるので触れない)。

この状況では、約束を破るのは人生放棄するぐらいのインパクトがある。本当に執行されるのかは知らないけど、イスラム教なんて棄教したら教義上は死刑になるぐらいだ。つまり約束を破ると文字通り人生がぶっ壊れてしまうのだ。

ところで、人間は必ず死ぬ。死後の世界云々は置いておいて、とにかく確実に死ぬ。つまり金融における好循環の終点目標となる利益があるように、人間の終着には死があらかじめ確実に設置されている。

ここでたちはだかるものすごくデカ問題は、人間自分の死に様を選ぶことがほぼ不可能だということだ。順風満帆に生きていても病魔で苦痛にまみれて死ぬかもしれないし、反対に辛酸をなめ続けてこれ以上つらいことがあるかと思ったら結局もっと苦しんで死ぬかもしれない。事故でいきなり死ぬこともあるかもわからない。死は完全に中身が不透明な箱だ。その中から何が出てくるかその瞬間までわからない。

最後に待つブラックボックスから逆算して、それでも人生を好循環によってとらえようとするとき、どんな人生観ならちゃん機能するのだろうか? 生きていく勇気を持てるだろうか?

何もかもがフラットゼロ価値だ、という超物質的なニヒリズムを除くと、俺は宗教しかないんじゃないかと思う。フツーに無宗教で生きてます、ってかなり苦しい。俺がそうだけど。「生きて生き続けた最後に、お前はめたくそ苦しんでこれ以上なくみじめに死ぬ」という貧乏クジが一定確率で出てくる箱に手を入ざるを得ないとき、「何にしたって、とにかく自分は神(あるいは霊的な何か)との約束だけはこの人生で守りとおした。だから人生ちゃん好転していたはずだし、この死にも意義が存在する」という以上に人間精神を守るように機能する人生観って、正直マジでないんじゃねえかな? と思う。

どうですか? 俺は仮想通貨死ぬほど披露した体験からこんなことを思った。オチはない。

anond:20201206154412

保守的だって騒ぐけどそも大正時代の話やで~」

メイドロボが女性型でも問題ないよね」

脈絡なくて草」

表現ケチをつけるフェミ騒動の走りと名高いメイドロボ問題をご存じない?」

しか生えんやろ

2020-12-03

謎の光の始祖って何なんだろうな

舞台装置と何の関係もない脈絡のない光で隠すタイプ

2020-11-24

夢に出そうだ…と思いながら1日を過ごす話

寝つきが悪いのか浅いのか、夜寝ると高確率で夢を見るし、1日の印象深いことや何気ないことが脈絡のない形で登場してくる。101匹わんちゃん麻薬捜査をしていたり(沢山いた。私もその一人だった)、何気なくみた「無能のナナ」という漫画のミチル?という子が髪のカラーが水色になって当校する向かいから飛び出してきてぶつかったり、ちょっくら練っている小説の主役が触手に貫かれて吐血したり、縫い針を吐いたり舌に刺さったのを抜いたりしている。そしてそのせいか真夜中の3時頃に目が醒めたり、日中酷く眠たくなるのだ。最近はそこはかとなくバイオレンス風味や怪奇小説じみてきているのもある。オルニチン飲んでもなるが飲むようになる前より日中の欠伸は減った気がする。22時に寝て6時に起きるようにしようとしているが0時まで起きてしまったり何個もかかっている目覚ましを無視してしまったりしている。意思問題か?今後の状況を観察しつつ改善を行う。

2020-11-14

anond:20201114102328

科学の話が出て来たかと思えば、何の脈絡も無く情緒の話になったりして、論旨がようわからん

2020-11-08

anond:20201108154530

フェミってこういう頭狂った発想で話始めるから首尾一貫脈絡が無いんだよね

2020-11-02

札びらを拾った話

何ヶ月か前の話になるが、新宿駅の近くで現金を拾った。

地面に脈絡なく落ちている札びらというのは、これは非常に不思議もので、とにかく物凄く目立つ。悲しいかな、人間の目というのは「紙幣」というものものすごく精細に認識するように日々チューニングされているらしい。

それで、ここからが滑稽なのだが、札びらを見た瞬間、「え? 札落ちてねえ?」「いや、そんなはずないか…」 「…って、マジで札じゃねえか?」「いや、でもこんな人通しの激しいところで、誰も落とした素振りもないし、(どう見ても紙幣なんだけど)誰にも拾われず、ただ落ちてるって異常だよなあ」「ただ、どう見ても金…」という往復ビンタのような思考が数秒のうちに脳内スパークする。

札びらという存在感とそれが雑踏の路上無意味に落ちているという光景には、それだけ、理解を拒絶させるものがあった。俺の前を歩いていたカップルも同じように気づいていたようだが、まるで動物死体とかエロ本とか、なんか明らかに見てはいけないものを視界に入れてしまった、という感じだった。

ところで俺はこの札びらを拾った。交番に届けるためである

金を落とした当事者を除いて誰がこの金を拾うのが最善かと言えばそれは交番ちゃんと届ける気でいる人間であって、俺は俺が交番に届けるつもりなのを知っているので、思い切って俺が誰よりも先に拾う。合理的判断。のはず。

そのとき、俺の目と鼻の先で、ホームレスがうずたかく積まれ荷物の横に段ボールを敷いて横になっているのが見えた。その隣では別の男性が、あぐらをかいて雑踏を見ていた。

金はこの人たちの、ほんの数m近くに落ちていながら、誰にも気づかれず、あるいはもっと奇妙なことに、「無視されていた」のだ。この人たちもそれに気づかなかった。

俺はなんだか、札びらを指の間に挟みながら、頭がぐらぐらしてしまった。ホームレスの目の前に、元は何が入っていたのかやたらデカい空き缶が置かれていて、10円だの100円だのが、まばらに浅く積もっていた。

俺はふと、この金はあの缶の中に投下されるべきなのか? と思ったが、完全な誤謬だ。なぜなら、これはそもそも落とし主の金だからだ。

それに、ホームレスが金に気づかなかった、というのもおかしな角度のついた狂った偏見だ。ホームレスが落ちてる金を見たらそれを拾得するだろうか? するかもしれないが、それはホームレス以外でも同じだし、実際にその瞬間までどうするかは誰にもわからない。

妙な状況でテンパると酔っぱらったような発想が出てきてよくない。俺は疲労千鳥足になりながら交番へ。

交番は遠かった。スマートフォン地図を調べながら、人々がなんで路上の金を無視していたのか(俺にはtodokeru or hutokoro の二択だったのだが…)よくわかった。

とにかくめんどくさいんだ。俺だって札びらなんて拾わなかったらヨドバシの地下で酒買ってすぐに帰りたかった。手を出した時点で、犯罪善行の極端などちらかになってしまう。路上紙幣無視、という行動にはちゃん理屈があったわけだ。

交番には無事届け出た。

「落とし主出てきたら一部要る?」

「要らないっすね」

「じゃあ出てこなかったら?」

「もらいます

年末ぐらいまでに誰も現れなかったら法的にも俺の物になるっぽい。慈善に使うか酒に変えるかはそのときのノリで決めようと思う。

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