にもやもやする。
今回彼らがM-1の敗者復活戦と本戦とで同じネタをチョイスしたことで2度見て気づいた人も多いと思うのだがインディアンスのツッコミが噛むくだり(タラちゃんのところと罵声と美声のところ)はアクシデントではなく台本に組み込まれている。
ツッコミが噛んだところをボケがうまく広げて笑いに変えてフォローするアドリブ満載の漫才のように見えて実は台本通りのアドリブ風漫才なのだ。
でもそれが間違っているかというとそうじゃなくてそもそも漫才ってめちゃくちゃ練習しまくったネタをさもその場で考えて会話しているかのように見せるものだしその点では漫才として何も間違ってないはずなんだけど、見ていてなんだか騙されたような気持ち悪さがある。アドリブかと思ったらそうじゃなくてやらせっぽく感じるというか。なので間違っているとも言い切れずただただもやもやしている。
twitterとかの感想を見てるとシンプルにアドリブだと思ってる人もたくさんいて、審査員のオール巨人ですら「相方の噛んだところをうまいことカバーできてて素晴らしい」と評してる。お前はそれじゃだめだろ初見でも気付けよと思うが…
噛む漫才といえばかまいたちのUSJとUFJを言い間違えるやつもあるけどあっちにはそういう感情は全く無いんだよなあ。違いはどこにあるんだろう。
かまいたちの場合は言い間違えることがネタの根幹部分でそれなしでは成り立たないのでアクシデントとは全く思わないが、インディアンスはボケがマシンガンのようにボケ倒して翻弄する芸風で一つ一つのボケは脈絡なくても成立するからアドリブっぽく見えるのだろうか。
もっと明確に「言い間違いをいじる漫才」としてコンセプトがはっきり伝わるようなネタになってたら受け止め方は違ったのかもしれない。でもそういうのは彼らの漫才じゃないんだよなあ。
M-1の記事のインディアンスを絶賛するブコメに星がいっぱい付いてて、えーどこがめちゃくちゃ面白いんだよあのネタめちゃくちゃ気持ち悪いじゃんと思って書いた。
言い間違えた意外性を笑いにしてるインディアンスと言い間違えたって設定を笑いにしてるかまいたちの差 アクシデントに即対応するテンポと空気感で笑うからインディアンスは2度目...
君らが望んでいる誰も傷つけない笑いってそういうのだろ?