はてなキーワード: 結果的とは
自分のペースで、食べ切れる量をじっくり味わいたいのにひとと食べるとペースも量も乱れる。
例えば魚の皮だけ残すやつとか醤油ベッチャベチャにつけるやつとか見るとイライラする。
でも人と会話するのは好き。
理性や謙譲や温和が評価される世界なんて、ナウシカの新人類の世界みたいな日本で言えば超上流階級の世界しかありえない
教育資本を邪教のように単語聞くだけで発狂する増田が多いが、何でお金持ちは数千万払ってでもそういう私立とかに行かせたがるのかというのをわかってない
善人とかかわれば、みんな善人になっていくし、クズや悪人やキチガイや精神病患者や発達障害のゴミとかかわれば、自分の心も自己防衛のために荒んでいかざるを得ないから
結果的に、数千万払って金持ち喧嘩せずの温和なお金持ちたちの間で生きていられて、そいつら理解不能のモンスターと一生関わらないという選択ができるのであれば、全く安くない投資だからだ
就職したらしたで、霞が関だとかブラック企業に最適化された、共感性が全くなく育てられた、ジョジョSBRのウェカピポの妹の夫みたいな、嫁さんぶん殴って首絞めながらセックスしないとイけないみたいな性能特化型のエリートキチ〇イやスキンヘッドごま塩頭で目が釣りあがったいかにも自分以外の社会すべてに不満持ってますよ的なブラック企業特化型の他害的キチ〇イ中年や
それの進化前みたいな狂ったツーブロック絶倫ゴリラとか、海魔妖族マリバロンみたいな攻撃的なキチ〇イ女と相対せざるを得なくなる、そいつらへの対処のリソースだけで生活はいっぱいいっぱいになる、お金稼ぐどころの騒ぎじゃない
成り上がりはそれをよく知ってるから、子供に教えられてそんな人間の形をした畜獣とかかわらないような世界に押し上げてくれるが
生まれついての金持ちは稀にこの法治国家日本にそんな理解不能のキ〇ガイがいるとは思わないから、そいつらと接触してひどい目にあったりすることもあるが
それは不幸な事故だ
ヴィーガンだけど、こういうスレは普通にありがたいしうれしいものだ。
これがブタやウシとかの食用経済動物なら、おれたちみたいな一般人はなるべく感情移入しないで済むような仕組みができあがってるわけじゃん。ふつうは顔も名前も知らないし、飼育現場との生活上の接点はないし、屠畜という一番血なまぐさいところは徹底的に隠蔽されてるし、食肉として流通・陳列される段階では「生きた動物の痕跡」は徹底的に消されてる。とにかく「動物を殺して食う」ということへの罪の意識なり、後ろめたさなり、「かわいそう」という感情なりを初手から持たなくていいような仕組みになってるじゃん。
ここの理解をしている人はかなり勉強しているというか意識が高いと思う。いわゆるプロセストミートという産業構造によって、肉食という概念を我々はうまくカムフラージュされている。
今でも途上国の田舎に行けば家族で豚や鳥をさばくが、血が飛び出たり悲鳴が聞こえたり、子供たちはそういう経験をして肉を食べる。
なので「ハレ」「ケ」の概念が自然と身についている。それは必ずしも罪悪感だけではなく、生命を頂くという概念が、知識でなく経験として身に付く機会なのである。
しかし先進国の人間はその機会を得ることないため、肉は野菜や穀物と同様に見られている。そこに問題があるのである。
うまく説明できないが、ヴィーガンであるというのはそういう人類の歴史上の営みを否定したくない、たかが50年やそこらの産業によって飲み込まれたくない、
自分の頭で考えて行動したい、という人がなる傾向があると思う。動物愛護ももちろんあるが一番は、自分で食うものや行動は自分で判断して決定したい、という人が多いと思う。
いや、むしろ一部の高学歴大学を除きどうしても大学で学びたい学問があるとか、大卒でないと取得できない資格が欲しいとかでない限りにおいては
むしろ大学に進学せずに高卒で就職した方が下手な大卒より生涯年収が高くなることはままあるんだよね
世間が過剰に大卒の重要性を煽るせいで下手な大学へ進学して4年を無為に過ごし結果的に高卒就職ルートよりも生涯年収が下がってしまう学生は山といると思うよ
ぶっちゃけ実務レベルで言ったら院卒である必要性こそあれど、大卒である必要性なんて言うほど見当たらない
しかしこのような調子のツイートであっても問題はないということをMGTOW NEWSは示している(ダブスタなんてするはずないからね)。換言すれば「このような悪質な憎悪文書を茶化し結果的に矮小化することは不謹慎だ」という非難はそれ単体では適用できないということだろう。
フォロワー1000人程度の300リツイートしかされていない削除済みツイートが炎上しなかった事例はそういった内容のツイートが倫理的に何も問題がなく批判に値しないことを意味しません
スピード違反をしても捕まらなかった人がいるからといってスピード違反をしていいわけではないように
cinefuk 「(エロワードで検索してきたスケベ親父が)このテキストを読んだらギョッとするだろうね!そう思うと楽しいな!」と書いたら、なぜかヘイトスピーカー呼ばわりされてしまう。ネット右翼は日本語能力が著しく欠ける
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210403192438
エロワードで検索してきたスケベ黒人が黒人皆殺しを掲げるテキストを読んでギョッとする様を思うと楽しいな!なんて書いたら一発でキャンセルされそうですけど
ゲーム内容に対してユーザーがSNSで否定的意見を流した結果で生じたサジェストにまで開発・運営って責任もたなきゃいけないもんなのかね?
個人的な考えとしては
って理由で「広報活動の範疇でサジェスト改善に務める必要性こそあるかもしれないが、ユーザーのモラルや素行の改善にまで責任を負う必要はない」と思ってる。
ウマ娘(に限らずだけど)は元ネタがあるから、そこをしくじったらダメだろって意見もわかるけど、ユーザー個人個人の倫理観まで面倒みなくてよくねえか?ってとこ
SNSでなく、ちゃんと運営元がわかってる記事媒体とかには然るべき対応した方がいいとは思うけどね。
ただ、「エアシャカールがトレンド入りの不思議、性能の悪さが話題に」みたいな記事を削除しちゃうと、それこそSNSの内容1つ1つまで対応するのが筋じゃないのかみたいな話が出てくるだろうから、難しいね
円じゃなくてお前の毛(日本人毛)で買い物ができるようになったとしよ。
おまえは結構ハゲてきてるので1000日本人毛しか持っていません。
アメリカ人毛を1000アメリカ人毛もったハゲアメリカ人がいます。
お前は85日本人毛はらって、ハゲアメリカ人に100アメリカ人毛でキャベツを売ることにしました。
結果的にお前は1015毛(915日本人毛+100アメリカ人毛)手に入れました。お前の85毛は100毛になったのです。
これでまたキャベツがどの国の人の毛でも1玉100毛になったらお前が15毛儲け。
3年前の4月26日に自分が暗号資産について書いてから3年経過した現状を書いておく。
■ビットコイン(BTC)
今現在2BTCを保有しているので約1,160万円分ということになる。
昨年の3月には40万円台まで下げて、その頃が一番精神的にはきつかったが、それでもまだ利益は出ていたのでひたすらHODLしていた。
それから昨年の年末にかけて2017年の高値を超えてからはもう安心しきっている。
4月14日には700万円を超え、そこから下落しあわや500万円を下回るかというところまで下げたが、現在はそこから少し戻したところだ。
3年前の当時Zaifで始めたコイン積立はハッキング事件でストップし、BTC以外ではMONA、XEM、ETH、XLMで現在価値が60万円分程度となっている。
ビットコインキャッシュは分裂話が出てすぐにビットコインに変えたのでもう持っていないが、結果的には正解だったようだ。
チャートを眺めていると2,500万円程度までは上げそうなので、とりあえず2,000万円を超えるまではこのまま持ち続けようと思っている。
またそのうち思い出したら経過を報告しようと思う。
ごくたまに「ガラス張りに動物をいれて売るなんて可哀想」なんて言葉を店内で聞きます。
でもそんな戯言をおっしゃるお客様のカゴにはビーフジャーキーが入ってるんですよね。
昔ながらのガラスケースとサークル展示ではありますが、大きさにも余裕があり、個体によってどちらがより安心して過ごせるか見極めて展示したり、場合によっては裏で遊ばせたりしています。
また仕入れも少数で絶対に売り切れる事を大前提に、またきちんと世話ができる範囲での頭数管理を徹底しています。
本当は資産とか年収とか家族構成とかも聞きたいんですけどね。一度それをやったらプライバシー云々で訴えられかけたのでやめました。その代わりたくさん書類を書いてもらって、その場でペット保険に入ってもらったり、初飼育の方にはマナー教室などに入ってもらったりもしてました。(現在はこれもうるさくなったのでわざと膨大にした書類のみですが)
長々書きましたが、これらは単純に売れ残り、病気、返品や遺棄などなどのリスクヘッジから考えれば当たり前で、普通のペットショップならどこでもやってることだと思います。
そう言えば一昔前に繁殖目的の多頭飼育崩壊が話題になり、そのことでペットショップが忌避されることがありました。
ペット文化そのものがイメージダウンしてペットショップに矛先が行くのはまぁ理解できます。
でもアレってペットショップじゃなくてブリーダーの問題なんですよね。
そしてそもそも真っ当なペットショップはそんなアホみたいなブリーダーから仕入れません。だって遺伝子異常や病気の心配がありますから。安く仕入れてもコストに見合わない。
けど何故か批判されるのはペットショップでした。(劣悪なペットショップは自分も規制されてこてんぱんに叩かれるべきだと思いますよ)
よく欧米を引き合いに出して「日本のペットショップ文化はおかしい」という人もいらっしゃいます。
確かに欧米ではペットは届け出が義務付けられたり、免許制だったりもしますね。条例が厳しいところもあるでしょう。
しかしあのドイツですら当初は動物愛護が行き過ぎた結果、数字上保健所での殺処分頭数が減っても今度は街が野良犬だらけだった過去があります。
ブリーダーが突然免許制になったせいで近親交配が増えて病気の犬まみれになったのはどこの国だったかな。
ペット好きって言いながらこの手の美談をする人は結果だけが好きなんですかね。
ペットショップのお仕事をしていると保健所の方とのお付き合いも多いです。
フードを卸すついでに毎度中を覗く度にうちで売れた子はいないかとヒヤヒヤしながら見ています。(幸いお取引先では一度もありませんでした)
よく「譲渡会優先、ペットショップから買うのはやめよう」みたいな話も聞きます。
そのこと自体は否定はしません。ペットが増えれば結果的にペットショップは儲かりますから。
けれど譲渡会に来てる子が全部優良なペットショップから来ているわけでないのに、いつも劣悪なペットショップやクソ飼い主の汚名を被らされるのは不服です。
ペットショップで買える犬と譲渡会で出会える犬に違いはありません。
簡単にペットを買える環境を安いコストで提供するペットショップやブリーダーが悪いのですが、極一部の人はペットショップ全て悪だと肉食のくせに言うんですね。
生体販売と食肉の違いってなんなんでしょう。
可哀想ってなんなんですかね。
犬も猫ももちろん可愛いと思いますが、商売道具でしかありません。
商売道具だからこそ大事に預かって、真っ当なお客さんに売るのです。
動物園代わりにくる人がいるのもクソ迷惑ですが、ブームだから簡単に買えると思われるのも迷惑ですね。
ペットという、人間が多種族の動物の命を制限下における文化が出来上がってしまった以上、それを正しく維持せねばなりません。
「そんな文化いらない」とおっしゃる方もいるでしょうけど、里山と一緒で一度手が入ったものを「じゃあ」と手放してすぐ無くなる文化でもなければ、シンプルに終幕するものでもありません。
それをしようとして失敗したのが一昔前の諸外国ですから。終わるにしても一気には終わらないものです。
ペットショップを運営していると、やはり愛護団体からのあれこれも尽きないものです。
大抵は寄付をすれば黙るのでこの手の団体はもう信用していませんけどね。この人達はきっと可哀想な動物しか見ていないのでしょう。
うちから出ていった子はみんな幸せだと自信を持って言えますが、生体販売をしているというだけで全て可哀想な動物だそうですよ。
元々ブリーダーが商売下手だからペットショップができたのにね。
ブリーダーの元で用途変更になるのと、きちんと真っ当なお店で新しい家族に出会えるのなら、私が犬なら後者です。
さて、長々と吐き出しましたが。
ペットってなんなんでしょうかね。
喋らない、意思の疎通ができない、ただ可愛いだけの生き物を可愛がるという文化について考えてきた人生です。
でもきっと、だから良いんでしょうね。
どれだけクソな愛護団体にぶち当たろうとも、どれだけ生まれたての子犬より聞き分けのないクソ子連れにぶち当たろうとも、ペットは可愛くて金になりますから。
れいわ等の反緊縮派>>>>>>>アクセルとブレーキを同時に踏む自民党>>>>>>>>かつてブレーキしか踏まなかった民主党の流れを汲み、致命的に経済知識が欠如している為にアクセルを踏んだつもりでブレーキしか踏まないであろう枝野が率いる立憲民主党
なんだわ。
口では新自由主義からの決別を唱えながら公開されている基本政策を見る限り結果的に自民以上に新自由主義的な社会を作るであろう立憲民主が野党最大勢力であるせいで自民党が下野しそうな状況を喜べない。
もし軍によるクーデターが欧米などで起きたら、地域の安全のためとして即座に国連軍を派遣されることだろう。中露などで起きても、おそらく同様だ。
日本の場合は例外的に、中露が今こそがチャンスと国連軍は拒否して自国軍を派遣する、アメリカもそうはさせじと同盟国として自国軍の派遣、結果的に国連軍相当になりそう。
ドメイン駆動設計ってあくまで設計手法っていうかビジネスロジックのモデリングまでが本分だから
システムドメイン(領域)にビジネスドメインで履いていた土足のまま踏み入ってはいけない
※補足追記:基本設計したら詳細設計するけども、そこでビジネスロジックをシステムロジックに翻訳するからコードレベルでは一対一にはならないということ
概念の次元が違うのだから現実に漫画の理屈を持ち込むなっていうレベルの話(ビジネスが漫画レベルという意味ではない)
モデリングによって現行のビジネスの問題を洗い出し、それを課題として解決(仕事を楽に)するのがシステム
それも一回で終わりじゃなくてシステム化したビジネスを再びドメインモデル化して分析、課題をシステムで解決ってサイクルを回していかなくちゃいけない
システム側も細かいこと言えば領域が分かれてるからそれぞれの領域に合わせて駆動方法は変えなきゃうまく回らない。
データレイク周りならデータ駆動型の方が適しているし、逆にアプリケーション側でビジネスやUXを無視してデータ主体で走るのは阿呆の所業だし、
馬鹿の一つ覚えで〇〇駆動設計だの開発だの一本槍でパワープレイするやつが多すぎなんだよ! 適材適所って理解しろよ!
ちゃんと各分野のスペシャリストを雇って意思決定層に組み込んだ方が結果的に時間や金なんかのコストが少なくなるよって話が通じないよね
うちもこれほどひどくはないけど、学校行けんかったことあったから。
外野のときは、親の対応が悪いんじゃねーか、学校の対応もまずいよねとか、好き勝手言って批判できたけど、
発端の娘さんの件だって、なかなか担任が原因って疑うってできるもんじゃない。基本的には担任といい関係、信頼関係を築きたいと思ってるわけだからね親は。
非常事態がずーっと続いてて、それを打開するためいろいろ動いて考えてってやってたら、本当ストレスたまるもんよ。
親だって人間だからね。非常事態が続いてるとこに体調やら精神状態やらの加減が重なると、何かの拍子にブチって限界越えちゃう時もある。
あきらめてそれが「日常」だと思えばいい、親も一生懸命になり過ぎない方がいい、って思うだろうけど、
そこまで腹くくるにはもがいたり足掻いたりする時間も必要なんだよね。
「散々、色々な関係機関への相談や、色んなことをしたけれど、何も出来なかった」
っていうのも実感できること。
うちも散々いろいろ相談したけど、結局決定的な打開策はなかったし、子供の時間を待つほかなかったって感じだよ。
何がきっかけで学校に行けなくなったのか、そして行けるようになったのかもよくわからんかった。
その間、違う先生からは「原因がないなんてあり得ない、なにか原因があるはずだ」とか言われたりとかさー、
じゃあどうすりゃいいわけ?どうやって聞き出せばいいわけ?って思っちゃったわよ。そんなん言うんならうちの子と話してよってね。
もうなんか非常事態の間は、自分も視野狭窄に陥ってんなーってわかるんだけど、最中はどうしようもないのよね。
今思えば、原因はたぶん一つじゃない、子にも要因があり、親にも要因があり、学校にも要因がありって感じなんだろうけど、
じゃあその親の要因、私は夫はどうしたらよかったのか、どうすればいいのかって、最中は暗中模索状態なのよ。
もう一度言うけど、一人で悶々考えてんじゃないのよ?学校にも相談機関にも散々話してるのよ?決して一人で勝手に抱え込んだりしてないよ?この増田もそうでしょ。
スクールカウンセラーには発達障害の可能性も提示されたりして、いや違うんじゃないかなーって思いつつ、病院予約する一歩前までいったこともある。
(のちカウンセラーから必要ないと判断されて止められた。幼い頃から見てきても、当てはまる要素がほとんどなかったし。)
でも本当にもう悩みつつも、その状態である子供を受け入れるしかなかったというか。
殴打事件も褒められたもんじゃないし、暴力を肯定する気はないけど、結果的には決定的な打開策になったような感じだよね。
だけど、この親子の事例で、結果的に良い方向に進んだってだけで、すべての引きこもり事例に当てはまることじゃない。
こうすれば解決するよみたいなもんがない、いつまで続くかもわからない。先が見えないって本当に地獄だよね。子も親もね。
結局は子供の力を信じて待つしかないのかなーと思いつつ、何もしないで手を拱いてるわけにもいかないし、というジレンマ。
不登校以前から算数だけ進学塾に行ってたので、算数だけはなんとか手当てできてた。不登校中も通塾や習い事だけは意欲的だったし。
学校の宿題もできる限りやってたし、保健室でテストを受けることもあった。担任も学習面の心配はしてなかったかな。
中学年だったのでなんとかなってた感じ。理科とか、のちのテストのでき具合見て、あー不登校時に抜けてたところだなと思うこともあった。
https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4252977.html
「くっきりとした姿が見えているわけではないけど、おぼろげながら浮かんできたんです。『46』という数字が。シルエットが浮かんできたんです」(小泉進次郎 環境相)
23日午後、私たちの単独インタビューに応じた小泉環境大臣。「浮かんだ」という「46」とは、各国の首脳が参加した「気候変動サミット」で菅総理が示した目標です。
「我が国は2030年度において、温室効果ガスを2013年度から46%削減することを目指す」(菅首相 22日)
日本は、これまで2030年度までに「26%削減」を目標にしてきました。今回、菅総理はサミットで「46%削減」と表明、目標を大幅に引き上げました。
「現実的には、どれだけ積み上げても30%台後半が限界だった。それ以上の数字は、環境省と小泉環境相が背負っている」(経産省幹部)
「旗振り役」の小泉大臣、そのような声は意に介さないようです。
「意欲的な目標を設定したことを評価せず、一方で現実的なものを出すと『何かそれって低いね』って。『金メダル目指します』と言って、その結果、銅メダルだったとき非難しますかね」(小泉進次郎 環境相)
30%台後半が限界だっつってんのに無視して寝言言ってんじゃねえよ。何が金メダルだ。スポーツじゃねえんだよ。46%って宣言して46%行かなかったら非難されるに決まってんだろ。
「窓の外に東京の代表的と言っていいのか、高層ビルがいっぱい並んでますね。この景色が変わりますよ。見てください、空いている屋根がいっぱいありますでしょ。太陽光をできる限り置いていきたい」(小泉進次郎 環境相)
どうやって実現するつもりかと聞かれて太陽光?? ビルの上に? 物理法則を無視して置けたとしても達成できるわけねえだろ。
レジ袋有料化は迷惑ではあるがまだ国内に閉じた話だ。ひきつった笑いでギャグにすることもできた。進次郎構文だって面白いのはわかる。でもこの46%はもうシャレにもギャグにもならない。達成できないと他国が何を言ってくるかもわからん。日本国内の産業も無傷じゃ済まないだろう。30%台後半でも難しいのにそれを2〜3割ほど上回る数字を出してしまった。
そして何より太陽光だ。太陽光といえば小泉家のビジネスだ。つまり小泉進次郎は、政治家としてまともに説明責任を果たさず、自分のファミリーに露骨に利益誘導しているわけだ。ネトウヨが好む語彙で、使いたくはないんだが、これほど「売国奴」という称号が似合うやつは今まで生きてきて見たことがない。
進次郎構文でデビューしたときはただのバカだったが、レジ袋有料化で有害なバカになり、今はなんだ? 「頼むから何もしないでくれ」という言葉が他人を傷つける云々という記事がはてブに上がっていたが、じゃあこの小泉進次郎に対してどう言えばいい?
こいつを大臣に任命して好きにやらせているのは100%自民党の責任だろう。法律で決まっているとか、野党の追求がどうこうとか、そういった理由で小泉進次郎が環境大臣をやっているわけではない。自民党内でしっかり検討して任命し、その後も諌めることなく好き勝手に放言させている。その結果がこれだ。レジ袋有料化からもうすでに相当悪影響が拡大している。この先何をしでかすかわかったもんじゃない。
俺は今まで消極的に自民党を支持していた。モリカケや桜を見る会なんてどうでもいい。俺の生活には何一つ影響ないからな。道義的責任や法的責任はあるのかもしれんが、それはそれで追求したい人がやればいいことだろう。
菅首相もいまいち無能っぽいが、それでも積極的に不支持というほどではなかった。携帯料金引き下げにやけにこだわってMVNOを破壊するような言動はどうかと思うし、その他のアクションもいいかと言われれば返答に窮するが、誰かに代えたらよくなる気もしなかった。つまりは消極的支持だ。
小泉進次郎だけは別だ。こいつに権力を持たせること自体が間違いだ。次にどんな手段で国政を食い物にして、自分ちの太陽光をねじこんでくるかわかったもんじゃない。まともなプラスチックゴミの削減案すら出さずに「シルエットが浮かんだ」とか言ってめちゃくちゃするだけだ。それでも結果的に国や俺の利益になるならまだ目をつぶるが、レジ袋有料化も46%も害でしかない上に望んだ効果も得られない。
こんなのに俺の生活を振り回されるなんてやってられない。絶対に排除したい。自民党でさえなければ立民だろうが共産党だろうが、小泉進次郎を排除できるという一点においてどこが政権取ってもまだマシだ。これほどの有害物質を大臣に据えて良しとする自民党なんてまったく信用に値しない。
最近転職して思うことがあるのだけれど、頭の回転の個体差が激しいのはなんでなんだろう、と思っている。
それがすべてではないけれど、地頭や頭の回転の速さは、成功するための要素の一つではあると思っていて、
特に環境が変わって、自分の頭の回転が遅くなってきているのを感じてきたので、どうすればよいのかを考えてみた。
以下に記載しているが、自分の観測範囲の中で見たことをもとに考えると、
頭の良さの要素の一つは、
「思考していること以外に、どれだけ余分なことを考えずに、思考ができるか」が大きいのではないかと仮説として思っている。
それだけだと当たり前のように聞こえるかもだけれど、特定の環境下では人は余分なことを考えてしまうので、それをいかにコントロールするか、というのが地頭をよくするための方向性になるのではないかと考えている。
例えば、話していて、相槌とかの反応がない人に対してはすごくしゃべりづらかったりなどあるかと思うが、それは頭の中で、話しながら「あれ、なんでこの人自分が喋ってるのに、反応ないんだろ…?」みたいなことを並行して考えてしまっているから、言い淀んでしまったり、要は頭の回転が遅くなってしまうという因果関係だと考えている。
そういう思考の速さを決める変数が、結構あるので、個体差が激しくなるのではないかと。
・子供の時のほうが頭の回転が早かった
=結局年をとって、言ってはだめなこととか、傷つけないような言い回しとかを考えながら話すようになったので遅くなったという気がしている。
・自信家で、自分の意見をはっきり言う人のほうが頭の回転が早い
=自分が正しい、とか他人からどう思われようが関係ない、と思える人は、他人の反応に対して思考のリソースを割かないので、結果的に頭が早くなる
=上記の通り、人からの反応が悪い理由を考えてしまい、それが脳のCPUを食ってしまう
・だれかに言うわけではない独り言は、すらすら言葉が出てくるし、頭の回転が早い
他にも吃音は精神的なところから来る症状というように聞いたことがあるが、吃音の人は、ひとりごとでは吃音にならないと聞いたことがあって、それに近いのではと思う。
●頭を良くするための方向性
つまりは、自動思考をいかに発生しないようにコントロールしていくか、ということな気がするので、認知行動療法やスキーマ療法などのような「認識」と「行動」をセットで変えていくような、やりかたをしていけばよいのではないかと考えている。
・結局上記の頭の良さの変数を見てみると、自分の意見を正しいと思える認知や性格みたいなところの改善が一つと、だれかからの反応を気にしないというのがもう一つの方向性、思ったことを素直に表現するみたいな性格的なところに行き着く。
・結局性格かよ、と思われるかもしれないが、心理学的に性格を変えていくための方法は確立されているので、その知識をインプットすれば多少は良くなるのではないかな。
もともと引っ込み思案で、なにかと人の顔色を伺うような人間だった。
そして自分の場合は、自覚もしているけれど、特定の環境下で著しくパフォーマンスが下がる。
自分とは関係のない人のコミュニティに行ったり、大きく環境をかえたりすると、社会不安性のような、しどろもどろな感じになってしまって、今でもだけど、ずっとコンプレックスだった。
その結果、狭い世界の中で生きてきて、それまでは自分はそこそこなんじゃないかって思っていたけれど、ほんと全然だった。
なんかそれを最近思い知らされることが多くて、悲しくなって、ひととおり落ち込んでた。
でも人生は否が応でも続いてしまう、なんて体の良いことは言えてしまうくらいのメンタリティはあって、
そういうことも含めてすこしづつ受けいられるようになってきた気がしている。というのが今。
これまでの人生を振り返って、特定の環境下でパフォーマンスが著しく下がる理由を、自分なりに考えてみたのだけれど、「自分に対してどう思っているか」が、わからない状態でコミュニケーションをするのが、とても苦手であることらしい。
もっというと、人から悪く思われているんじゃないか、ということを常に考えながら会話している、なのですごく疲れるし、
逆に信頼をしている奥さんとか、親しい友人には、そんなことはまったくないんだけれど。
じゃあなんで自分に対してどう思われているのか、が気になって仕方がないのか、といえば、
本当の自分は根っこが醜いやつで、自己中心的という自己認識があって、自分を出してしられたくないから、
そして嫌われることによって、コミュニティにいれなくなるんじゃないかという恐怖心と
誰かに否定された自分を認めたくないという歪なプライドから、変なコミュニケーションが癖になってしまっている。
本当はいろんな人と、繋がりたいけれど、嫌われるのが怖くてどうしようもないのが自分。
だから変に意識をしてしまって、結果的にパフォーマンスが落ちるのではないか、という結果に落ち着いた。
なんだかいつの間にか、知らずしらずのうちにとっていた回避行動が、癖になって抜けなくなってしまったような、そんな感じがしています。
いやでも、違う、自分は本当は引っ込み思案じゃなくて、本当の自分は、もっとおちゃらけていて、おもしろいことを言うのが好きで、
でもだれかに否定されてきたり、ちゃんとできなくて、見放されてきて、その結果、人から悪く思われないことを目的にして生きているような気がしている。
どうして自民アンチは自民を普通に商人右翼と考えずに「詐欺師の極右」と思ってしまうんだろう。
自分としては暴力で市民の行動を制限したりしないうちは、極右とか極左とかいう言葉は絶対使いたくないけどな。極ではないだろ、全然。
それで、こういう立憲支持者たちがまるでわかっていない、与党として一番必要とされる政権担当能力は「利害がぶつかる複数の立場の調整すること」なんだよ。
Gotoトラベルだって感染被害と旅行関連業のそれぞれが小ダメージを受けることで、いずれか一方が大ダメージを受けるのを阻止した。
それぞれ相反するものを調整するから、結果的にどちらも100%満足することはない。
思えば10代20代とたくさん日記でもないが思ったことを書き続け、小説や映画に時間を使いすぎ、自分自身にたくさん時間をとって甘やかしてきた。自分に向き合うといえばいいことのように思えるがはっきり言って時間の無駄だった。
30を機に自分に向き合うのをすっぱりやめ、自分が何がしたくて何が大事かとかどう思ったのかとかそういう今まで大事にしてきたことを全て蓋をして、とにかくいいか悪いか向いてるか向いてないか考えずに外に出まくって自分のことを無視し続けて行動し続けることにした。結果的にこれは大成功で、30からの人生が自分の人生で、それまでいかにカビてて人生を無駄にしてたのかを思い知った。自分のことを大事にしすぎるな。