もともと引っ込み思案で、なにかと人の顔色を伺うような人間だった。
そして自分の場合は、自覚もしているけれど、特定の環境下で著しくパフォーマンスが下がる。
自分とは関係のない人のコミュニティに行ったり、大きく環境をかえたりすると、社会不安性のような、しどろもどろな感じになってしまって、今でもだけど、ずっとコンプレックスだった。
その結果、狭い世界の中で生きてきて、それまでは自分はそこそこなんじゃないかって思っていたけれど、ほんと全然だった。
なんかそれを最近思い知らされることが多くて、悲しくなって、ひととおり落ち込んでた。
でも人生は否が応でも続いてしまう、なんて体の良いことは言えてしまうくらいのメンタリティはあって、
そういうことも含めてすこしづつ受けいられるようになってきた気がしている。というのが今。
これまでの人生を振り返って、特定の環境下でパフォーマンスが著しく下がる理由を、自分なりに考えてみたのだけれど、「自分に対してどう思っているか」が、わからない状態でコミュニケーションをするのが、とても苦手であることらしい。
もっというと、人から悪く思われているんじゃないか、ということを常に考えながら会話している、なのですごく疲れるし、
逆に信頼をしている奥さんとか、親しい友人には、そんなことはまったくないんだけれど。
じゃあなんで自分に対してどう思われているのか、が気になって仕方がないのか、といえば、
本当の自分は根っこが醜いやつで、自己中心的という自己認識があって、自分を出してしられたくないから、
そして嫌われることによって、コミュニティにいれなくなるんじゃないかという恐怖心と
誰かに否定された自分を認めたくないという歪なプライドから、変なコミュニケーションが癖になってしまっている。
本当はいろんな人と、繋がりたいけれど、嫌われるのが怖くてどうしようもないのが自分。
だから変に意識をしてしまって、結果的にパフォーマンスが落ちるのではないか、という結果に落ち着いた。
なんだかいつの間にか、知らずしらずのうちにとっていた回避行動が、癖になって抜けなくなってしまったような、そんな感じがしています。
いやでも、違う、自分は本当は引っ込み思案じゃなくて、本当の自分は、もっとおちゃらけていて、おもしろいことを言うのが好きで、
でもだれかに否定されてきたり、ちゃんとできなくて、見放されてきて、その結果、人から悪く思われないことを目的にして生きているような気がしている。
まずは増田で思ったことを言ってみよう。
自分が書いたのかと思うほど自分と同じ思考だった。 入社とか配置転換とか、新しいコミュニティに入り込む時は特にそうなるわな。 専門的な知見を身に付けて自分の仕事に自信を持...
誰がやるかで周囲の反応が違うから当人の責任ではない