日本でもとても元気。ブクマコメントでも行け行けGoGoである。
でも、日本で反ポリコレな人は米国のそれとは決別宣言をしておいた方がいいと思うのだ。
だって米国の反ポリコレってのは、日本のそれとは一線を画す過激さだから。
日本のだったらせいぜい、ちょっとエッチな萌え絵ポスターくらい別にいいじゃんか!というレベルだ。
だが米国では?
白人万歳!劣等な黒人は這い蹲ってろ!女は男を敬え出しゃばるな黙って咥えてろ!移民?難民?知るか野たれ死ね!殺人予告レイプ予告の何が悪い!
そんな発言を大っぴらに、公の場で言えるようにしたいんだ。
かつ、それを批判するのは決して許されるべきではないって考えてる。自由の抑圧ってわけさ。
当然だけど全員がそんな考えをしてるわけじゃないよ?でも元気が有り余ってて'やらかしそう'な連中はこう思ってるんだ。
日頃、反ポリコレを標榜してる人でも、これと同レベルの人は日本にはそうそういないだろう。
nekora?奴は死んだ。
予言しておくが、この先、米国ではヘイトクライムが従来の比でなく起こるだろう。
ともすれば、堂々と犯行声明すら出すかもしれない。「我々はポリコレには屈しない!これはポリコレへの反逆だ」なんて。
わかる。わかる。これは一部だ。ごく一部だ。だがそれで十分だ。レッテルが貼られるには。
俺達を差別するな俺達を抑圧するな、といってたのに結局本音は、差別したい抑圧したいそれに文句言うな、だったのか。
そう思われる。そうレッテルを貼られる。
今後の4年で、それは動かし難いところまでいくだろう。
トランプの後、反ポリコレというのは、今以上に表明し難い価値観となる。
ポリコレを批判したら雲霞のように批判批難が押し寄せる。そうなる。
将来の反ポリコレ勢の枕詞はこうだ。「別にポリコレに文句あるわけじゃないけども」。
日本の反ポリコレは米国ほど酷くない。政治家がチョンだのシナだの言ったら批判するだろう。決して拍手喝采を送ったりはしないはずだ。
だからこそ今のうちに決別すべきだ。俺らは奴らとは違うんだと。
トカゲのしっぽ切りと思われない、今のうちに。
ほとんどファシズム化している米国のポリコレを見ても 日本国内のポリコレ論者は決別してないし、別に問題ないのでは