はてなキーワード: 手際とは
4ヶ月前、ゴールデンウィークの最終日。
ぱっと見、20代の年下っぽいなあと思ったんですが、
近づいてみると中々におじさんで、単純に童顔なだけでしたね。
周りのみんなが、ビールを片手にワイワイと楽しんでる中、
一人でお肉を焼いては、みんなに配る。
それを延々と繰り返しているので、最初は関係者なのかなと思いました。
私が「料理人さんなんですか?」と聞くと
「いや、単純に参加者ですよー」とのこと。
自分はコミュ症なので、お肉を焼いてた方が楽しいんだと言ってましたね。
肉を動かしたり、炭をいじったり。
汗をだらだらと額にかきながら、
そうこうしているうちに、メインの3キロのステーキが焼き上がりました。
肉を小さく切り分け、上からかけてました。
控えめに言って最高でした。
それから、あなたはラム肉を焼いてパクチーとサラダ風にしてくれたり、
本当に楽しそうに、子供のようにグリルと戯れる姿が可愛かった。
食べるのが大好きな私は、あなたの焼いてる所に張り付いて
いちいち肉の話を聞いていたので、うるさかったかなと反省してます。
でも楽しそうにお肉の話を懲りずにしてくれましたね。
たぶん、その頃には凄く興味が湧いてしまってたんだと思います。
それから、一緒にご飯にいきましたね。
LINEで美味しいお肉のお礼を送って「もっと○○さんのお肉が食べたいです」
最初は塩、つぎはタレ、最後は味噌の順番で1回1人2枚づつまで。
毎回毎回言うので、私は覚えてしまいました。
そこで焼いてくれたお肉も、
今までの焼肉屋はなんだったんだろうって思うくらい美味しかった。
本当に嬉しそうに無邪気にお肉の温度と美味しさの話をしてましたね。
楽しそうにしゃべっている姿はとても素敵です。
なんて、私の気持ちと胃袋を掴んでる人に言われたら
酔っ払って、キスをして、一緒に朝を迎えて。
とっても優しい味でした。
全部1個のアルバムに入れて、暇な時間になるとそれ眺めてます。
ツーショットの写真なんて2〜3枚しかないのに、おかしいですね。
どの写真も私はとっても愛おしいのです。
あなたの肉に私首ったけなんです。
事務所と揉めてます感や、このまままだと私活動出来なくなるんです、という必死さ?
事務所を通さずに芸名使って活動するのは、フツーにマズイよなあと思った人もいると思う。
実際私はそこが不安だった。他にも出店と書いたのを直さなかったり、申し込み本当にしての?締切とっくに過ぎてるけどとか色々あるけど。
まぁ、受かるかどうかは準備会が判断するだろうと何も言わなかった。
例えばだけど、本名・能年玲奈さんが活動出来ない時期にコミケに出てたら多分歓迎してた人多かったのでは?
本人が売り子する事には何も思わないし、プロ活動してる人がサークル参加してたりするからね。
あんまり分かってなさそうなのに、CF周りが手際が良過ぎて誰かがバックについているのではと警戒されたのは不幸だよね。女優ならそこら辺の知り合いが居てもおかしくないのに。そういう人に唆されたのかもしれないけど。
私個人としては、一松が好きらしいとしか知らず、てっきりそこら辺について語った本を出すのかと思ってたので、ただの写真集なのはガッカリでした。
大人になり、料理できるようになったほうがいいよな、と思い自炊を始めた。
だが、料理をしてるとイライラしてしまう。どうにかなってしまいそうなくらい。
私は食に関心がない。食べれればなんでもいいやという感じで、高級なグルメなどもまるで興味がない。
それなのに…たかが自分のために、興味のない作業を時間をかけてしていることにイライラしてしまう。
調理をしている最中は、こみ上げるイライラを紛らわすために、大体周りの壁や椅子を蹴りながら作業をしている。
「あ゛ーーーー」と叫んだり、包丁をぶん投げようとしたこともある。
料理って結構時間がかかる。慣れていない、手際の悪い私が作るのだから尚更。「あー、この時間あったらゲームするか寝てたい…」って思ったりもする。
で、肝心の料理は、見た目は不格好だけど味はレシピ通りに作るのでそこそこ美味しい。でも、特に気持ちが満たされることもない。
こんな私でも、誰かのために作るならもうちょっと頑張れるのかな…と思うけれど、いかんせん友達も0人な上、彼氏も今はいない。
自炊できるようになりたいのに、料理をするのがしんどすぎて、続けていける気がしない。
追記:トラバ
・DQNっぽい
みなさん、即席ラーメンという便利な食料のことはご存知でしょうか。
揚げ麺や乾麺が袋詰めされ、粉末や液体のスープがついています。ほとんどの製品は約3分間、お湯で煮ることによってぴちぴちの麺になる。とても調理が簡単です。
手軽に作れる半面、老若男女問わず食べやすい量に設定されているため、ボリューム感足りない。これはまぎれもない事実です。
この問題点を解決するため今回ご紹介するレシピのダブル即席ラーメンを開発するに至りました。
ボリューム感を出す方法はあまたあれど、だいたい時間がかかったり、おいしさを損ねてしまいます。
2回に分けてインスタントラーメンを作ることを考えてみると1回つくる、そして、食べる、食べている間にお湯をわかす、2回目をつくる、そして、食べるという手順を踏むことになります。1回目と2回目の食べる行為の間に間ができてしまいリズムがよくない。無理してひとつの鍋で2つ分を一度に作ることは、即席ラーメンの開発者の想定外の作り方です。即席ラーメン開発者のテストケースからも外れているのか、もしくは、倍量の即席ラーメンと通常量の即席ラーメンに対する水分量・加熱・スープに対する麺の割合などの側面で共存できない開発側の理由があるのか、実際にやってみると味がぼんやりしたり、麺のゆで具合に致命的な影響が出てしまいます。
ここまでの説明で、お腹が空いているときに即席ラーメンを2つ作ることによるデメリットが大きいことがわかります。即席ラーメンのメリットである短時間で料理が完了することを損なわない調理方法でお腹いっぱい食べる方法を考えてみましょう。
今回お伝えする方法は、家の台所では思いつきませんでした。ヒントはラーメン店のカウンター席にありました。カウンター席は知見の宝庫です。
そのお店は豚骨ラーメンを主に提供するラーメン店でした。頼んだ豚骨ラーメンが配膳され、半分ほど食べ始めたところで、店の主人が「替え玉はいかがですか。」と尋ねてきたのです。
替え玉というのは、あとから麺を追加で入れることがサービスです。大盛では最初から麺の量が多くなりますが、替え玉ではあとから麺が増えます。最終的な麺の摂取量に変化がないので、どちらでもいいのではないかという反論に対しては、断固、替え玉と大盛は違うと答える。普通盛りで温度・うまみ・塩気・油などの完全なバランスを達成しているラーメンの麺の分量を1.5倍にした場合、往々にしてバランスが崩れてしまいます。麺に合わせてスープを1.5倍にすればいいのかというとそんな単純な話ではありません。麺に残存する水気であったり、温度の変化であったり、うまみや油の絡み方であったり、何かしらの要素で普通盛りのバランス感を超えることできません。これを解決する手段として、替え玉はひとつの最適なソリューションです。替え玉方式にすると、最初は、普通盛りで作るので、作り手の最適なバランスのラーメンをを提供することができます。さらに量的に足りない人には、麺を追加でいれることにより満足感を付加することができるメリットがあります。
ということで、自宅で作る即席ラーメンでも、替え玉を実現してみようと思います。思いました。
・即席ラーメン(お好みで)
・生麺(お好みで)
この二つがあれば、ダブル即席ラーメンを作ることができます。家事に忙しい主婦の方も、仕事に忙しい会社員の方も、近所のスーパーで売っている手に入りやすい材料のみで今回のレシピは完成します。
即席ラーメンを2つ用意して、片方のスープを使わずに麺のみを入手する方法も考えたのですが、即席ラーメンのスープが台所にどんどんと積み上がり近い未来にごみ屋敷の基礎となってしまいそうな気がしたので、生タイプの生麺を選びました。生麺にはスープがついていないものを選んでください。スープ付きの生麺を選ぶと、やはり、スープだけのコレクションが台所に増え続けていきます。精神安定上よくない。できるだけ人生に必要のないものは買わないようにしましょう。
即席ラーメンの作り方は、袋の裏に書いてある調理方法に従いましょう。日夜、即席ラーメンの開発のために身を粉にしている研究者が考えた調理方法を我々は超えることできません。水の量はきちんとカップで計量し、火加減を守り、ゆで時間はタイマーで管理します。ゆで時間に関しては、30秒短く作ることが多いです。これは、火を止めてから盛り付けるまでの手際の限界というか、トラブルに対処する時間稼ぎのためです。3分と袋の裏に書かれていれば、2分30秒、4分と書かれていれば、3分30秒にタイマーをセットします。
まず、鍋をふたつ用意し、お湯を二つ沸かします。片方が即席ラーメン用、片方が生麺用です。
スープをどんぶりに入れ、お湯が沸くのを待ちます。カップには水を汲んでおきましょう。
沸騰したところで、タイマーをスタートし、即席ラーメンを作り始めます。そのとなりの生麺のほうにも麺を入れてゆで始めます。
生麺は、1分ほどで吹き上がってきますので、カップの水入れ、水温を下げます。もう一度吹き上がりかけたところで、火を止めて水切りをします。
水切りができたあたりで、タイマーが鳴り、即席ラーメンが茹で上がります。時間設定はシビアです。モタモタしている暇はありません。
即席ラーメンは、少し固めに茹でた以外は即席ラーメン研究者の考えた通りのものができています。
体調が悪くない限りおいしい。問題がない仕上がりです。
この先の即席ラーメンに対する替え玉は、未知の領域の方が多いことでしょう。
近年の即席ラーメンのスープは即席ラーメンの研究者たちの研究心により、高度に発達しているので、そのスープに生麺を入れて、おいしくないわけがありません。
しかしながら、替え玉の最大の弱点は、一度普通盛りを食べてしまったあとのスープが少し薄くなってしまっていることです。
塩気やうまみが足りないと感じた人は、替え玉を盛り付けるときにあらかじめ、麺にだし醤油を一回りかけておくといいと思います。
これで、今回のレシピの紹介はおしまいです。ちょっとした工夫で即席ラーメンのボリューム感をアップすることができました。ご家庭でもぜひお試しください。
死因は分からない。
会場には大勢の人が集まっていたので、私たちは2階で、うっすらと聞こえてくる読経の声を聞いていた。
私はぼんやりと、目の前にいるあの人は何の関係なのだろう、部活かなぁ、とか、
久々に履いたからヒール痛いなぁ、とか考えながら何とか泣かないようにやり過ごしていた。
その後、焼香のために下に行った。
ご両親が泣いている姿を見たら、とうとう堪えきれなくなった。
作業のように手際よく進める葬儀所の人とか、機械的でつまらない弔電に勝手に憤りを覚えたりして。
喪主の挨拶を聞いてボロボロと泣いていたら、そこら中からすすり泣きが聞こえてきた。
どうやらこれは、大掛かりなドッキリなんかではなかったようだ。
でも、まだ顔も見ていない。あの子はどこへ行ってしまったんだろう?
思い出話を一切せずに、不自然なくらい“これから”の話ばかりした。
あんなに泣いた後でも、「明日、仕事行きたくねえなぁ」って言い合える、
なんて人間らしいんだ。
まだぐちゃぐちゃしているけれど、
きっと私たちは明日からまた何でもないような顔で生きていくんだろう。
ふと襲いかかってくるやり切れなさと闘いながら。
https://anond.hatelabo.jp/20170713183630
「流れてしまうかな、誰か反応してくれるかな」と思っていたら、想像を遥かに上回る反響があった。
トラックバックもコメントも、現時点で確認できるものには全て目を通させてもらいました。
全ての意見に対して返事、説明、反論などをすることはできないので、どうしても補足したいと思ったことだけ書きます。
寄せられた反応の中で、「事前の調べが足りなかったのでは」「さすがに抜けすぎなのでは」「大事なことをもっと確認してから契約すべきだったのでは」という類のものがあった。
もちろん、自分の調べが甘かったとは思うし、すぐに食いついてしまったな、とも思っている。
しかし、今現在の記憶を持ったまま3月30日に戻れると言われたと仮定して、あの電話に「いえ、お受けできません」と答えることができるだろうかと考えると、私はおそらく今と同じ道を選ぶだろう。
3月30日というギリギリの時期にかかってきた県教委からの電話は、私にとっては「学校現場に立てる!先生になれる!」という希望でしかなかった。
そして、希望であると同時に「断ったらもう依頼されないかもしれない」という恐怖も含まれていた。
「3月30日に依頼なんて有り得ない」という意見も多数見かけたが、指摘してくれている人もいたとおり、非正規教員の取り扱いは自治体によって大きく異なる。
私の県では、3月20日過ぎに正規教員の異動発表→非正規教員(常勤講師)への内示→それでも足りなければ非常勤の時間講師を補充、という流れのようなので、私の内示だけが格別に遅かったわけではないらしい(今日事務員さんに尋ねてみた)。
この一連の流れは全て県教委が司っているので、単純に個々の学校がバタバタしていて手際が悪いというわけでもない。
話が逸れた。
とにかく、あのときの私にとって、積極的な意味でも消極的な意味でも、内示を断るという選択肢はないも同然だった。
(それに、勤務校や割り当てコマ数についてその時点で問い詰めたり交渉したりしたところで、「ではよりよい条件を提示します、ぜひ!」となるものでもないだろうと思う)
今日は一学期最後の通常授業で、いくつかのクラスに期末試験を返却したり夏休みの課題について説明を行ったりしてきた。
担当は3時間目と5、6時間目だったが、職員朝礼に出たり教科主任と打ち合わせを行うために8時過ぎには出勤し、フリーの時間には成績入力や提出物のチェックをし、6時間目のあとに行われる清掃の監視もしてきた。
返却した試験用紙を受け取るたびに上がる歓声や悲鳴を聞いたり、夏休みの課題の存在にげんなりする生徒をなだめたり、女子生徒とたわいない会話をしながらゴミ袋を運んだり。
「空き時間は全て勉強に費せ」もしくは「塾で働いたほうがいい」「舐められてるだけだから辞めてやれ」、頭では理解できるが、このような待遇でもやはり「学校の先生」にやりがいを見出し、生徒の成長に資する一員となりたいと願うのは愚かだろうか。自己責任だろうか。
もしくは、自分の大切な人(パートナーや息子娘、友人など)が「理不尽に使われていることは分かっている、しかし、それでも先生になりたい」と、私のような境遇にいたとしたら、あなたはどうするか考えてみてほしい。
「馬鹿げている、さっさと辞めて次を探しなさい」または「自分で選んだんだから自己責任でしょう」と言えるだろうか。
先にも書いたが、正規・非正規教員共に人事権は県教委にあるため、自分の生まれ育ったこの県で先生になるには、選択肢やとりうる策が限られすぎている。
「この会社はダメだ、ブラックだから同業他社に転職しよう」とはいかない。
(各学校の校長が独自の判断で「〇〇先生(講師)、10月からウチに来て」と呼ぶのではないらしい)
正規になってもブラックだ、と言われても、「先生になりたい」という気持ちそのものは揺るがない。
そしてこれは夢であると同時に、「子供たちの未来の役に立ちたい」というある種の使命感のようなものでもある。
コメントで書いてくれている人がたくさんいたが、教育は未来を作る仕事だ。
よい教育なくして国や社会の発展が望めるはずがない。また、発展という光の方面だけでなく、貧困の連鎖を断ち切るという役割を担うのもやはり教育(特に公教育)だろう。
自分の面倒すら自分で見られない私が「生徒の助けになりたい」など、甚だおこがましいことを言っていると思う。
しかし、この数ヶ月間生徒たちと共に過ごし、先生と呼ばれる中で、自分の境遇への複雑な思いを抱きつつも、それを跳ね除けて教壇に立つ力を与えてくれたのはこれらの気持ちだったのだ。
「じゃあ一生やりがい搾取されてろ、自己責任」と言われるだろうか。
しかし、この問題はもはや、私1人がこのままやりがい搾取され続けるかそこから脱するかというだけの問題ではないし、「そんな条件を飲んだお前が悪い」と言って解決する問題などではないと思う。
私を含め、その全員によって現在そして未来の教育が担われている(もちろんさらに多数の正規の先生がいて日々尽力されているのだが)。
そのことを知ってもらいたかった。
今回、はてな匿名ダイアリーに書いてよかったと思う。
精一杯頑張ります。
優秀な(売上げが多い)営業マンに非常に多いのはニコポン営業と言われるタイプ。
「この2017年に⁉︎」という感じですが、そうなんです。
別にラジオに限らず営業職では、コミュ力が重要な要素ですが、ラジオの場合は最たるものだと思います。
というのもラジオ媒体は効果・効率を定量的に出すのが難しいメディアでして。
webはもちろん細かい費用対効果を測れますし、TVも毎日発表される視聴率でリーチなどはこまめに取れます。
対してラジオはと言うと、
首都圏ですら、
(radikoのストリーム数を諸々制約があり勝手に出せないのです)
私自身、「ラジオに広告効果がない」とは全く思いませんが、効果検証がしにくいメディアであることは確かです。
web広告がこれほど普及したなかクライアントとしても、効果を評価しづらいメディアはクライアント社内で承認を得るのも一苦労で、よっぽど刺さる企画じゃないと実施は難しいわけです。
それを何とか企画性やら新規性、話題性なんか組み込んだ提案に仕立てて売ってるのですが、相手も人である以上、最後に効くのはやっぱり人と人との関係性みたいで。
しょっちゅう会合やったり、ゴルフやったり、プライベートで趣味に付き合ったりで関係性作って、細かいフォローで最終的には「困ってるので助けてください」で決めてくるまでに仕上げるんですよね。
ちなみに会合なんかは高級店とかじゃなく、わりと普通のお店ですね。お金ないんで。
その代わり優秀営業は気遣いはすごいです。支払いやらタクシー手配やらはもちろん客が気づきもしない手際ですし、お土産なんかも、客1人1人の趣味、趣向、家族構成、出身地諸々を雑談から拾っといて全部頭に入れたチョイスしてきます。
とまあ、長々書いてますが、どれも基本的だったりよく言われることですね。
だけど、それを全て完璧にやれるかと言われると、少なくとも私にはできないです。
そしてニコポンが多いのもう1つの理由が社内環境にもあります。
基本的に放送局は編成サイドが営業サイドより力関係は強く、基本ディレクターがNOと言ったらNOです。
(それが「番組に合わない気がするから」という感覚論で、子どもの言い訳みたいでも)
編成が強いのは、公共の電波を預かるものとして「まず第1はリスナーの利益に」という点で正しいと思います。
しかし、民放として収益を上げるということを全く理解していない外部制作会社の雇われディレクターの感覚論でも全てがNOにされることもあるので営業としては堪ったもんじゃありません。
ディレクターはじめ社内各所と良い関係性を築き、私がデータや論拠を示しながらも拒否された企画を「ひとつよろしく頼むよ!」で通してくるんですよね。
要はできる営業マンは社内外問わずコミュニケーションが潤滑って当たり前のことなんですが、
これだけ「主観的な」環境にあるラジオだと際立っているというお話でした。
結構前の話になってしまうけど旅行中に仙台でラーメンを食べた。たしか海老を売りにしていた店だった。
平日だった上、昼前だったので店内はガラガラで多分店としても余裕があるというか
廚房にはどう見ても30代以降の覇気がないおじさんと20代の手際のいい若者いた。
そして若者にガミガミと注意を受けながらオドオドとラーメンを作っていた。
正直に言ってそんな風に作られたラーメンを食べておいしいとは思えないだろうと
心の中で思いながら食べてみるとなぜかぬるくてはっきり言ってまずかった。
気分も悪いし値段だけは一丁前だったのですごく損をした気分だった。
これは印象深い思い出だが日常生活でもガミガミと他人をしかりながら仕事をさせている人達がいる。
別に彼らの生きがいがそれならいいのだがそれで自分達に良い事があるのだろうか?
叱られる人たちにマイナスな面があるのは事実なのかもしれないが自分もその人と同じか
仕事なんだから 甘えるな 察しろ 考えろ 成長しろ etc.
世間では働き方改革だなんだと言ってるいるが待遇もそうだが仕事をする上で
優しさが欠けていたらそんな環境で働く人たちは結局つらいんじゃないだろうか。
こういった考え方が日本を支えているのは事実だし、自分もそれを享受している。
でも優しさがない社会って生きにくくて息苦しいんじゃないかなと思う。
そして他人に鞭を叩いてそれが当然みたいな顔をしている人たちがいなくならない限り
中学生のころ「ノアだけはガチ」というネットスラングが仲間内で流行した。
中学生だからプロレス見るのすきだし、取っ組み合いというか、プロレスもどきをやるのもすきだった連中だ。
仲間内にしか通じない冗談で「ノアだけはガチ」と突発的に言い合い、笑い合うようになった。
たしかプロレスのゲームかストリートファイター的なゲームをやりながら、勝ったり必殺技を決めたりした瞬間、突如叫んでみんなの笑いを誘った。
その内「ノアだけは八百」とふざけて言う奴が現れた。これもまた爆笑。
鈴木君はそんななか一歩進んで「ガチだけはノア」から「ガチだけはガチ」「八百だけはガチ」という新手の改変ネタで仲間内の爆笑を誘った。
ノアを使用しないところに新味があった。鈴木君はグループの時の人になった。
岡崎君がある日「ヤチだけはガオ」という、文字をシャッフルした新語を完璧なタイミングで投下した。
仲間にしか解らない改変の、その行き着く先。女子や他の男子グループはこれを聴いても意味をなさなかっただろう。
しかし仲間たちには届いた。爆笑は起こらなかったように記憶している。「はははなんだよそれー」くらいのリアクション。
岡崎君は「ノアだけはガチ」改変の流れを把握した上で言葉をつくってきた。この発想に驚いたのだ。
なんというか、ルール改変の手際の良さに感服したのだ。これは例えば「ゾウだけはカバ」とか、ルールを脱臼するものではない。
http://anond.hatelabo.jp/20160822143611
先日、回向院のあたりで辻斬に腕を切られたときの話をするでござる。
あまりに突然なことだったのでもちろん驚いたでござるし、
なによりこの件で一番強く思ったのが、
「幕府すごい」
ということで候。
…拙者の語彙力のなさはさておき、
幕府は良いところもあるよ、ということをまとめたくてこの武露愚に筆をとった次第。
【その1】捕方すごい
まず事件当日。
詳しくは伏せますが、とにかく回向院で知らない人に刀で腕を切られましたでござる。
下手人から逃げつつ、番所へ駆け込み、場所や状況などを説明しつつ…
あまりの迅速さに、
拙者の事件とは無関係でたまたま火附盗賊改方が通りがかっただけかと思ったでござる。
別方向から忍者と来た旗本の若殿?と共に犯人を捕まえてくれたでござる。
もしあの時、すぐに来てくれなかったら
また、長谷川殿の後追いでやってきた同心たちも、刃物を持っている下手人に対しても怯むことなく
しっかりと取り抑えてくれ候。
町方にはなかなかできないことです。
本当にすごいでござる。
【その2】藩の同輩すごい
間もなく拙者の忠勤する藩から同輩も到着し、
すぐに拙者の腕を何かで包んでくれ候。
その時の拙者は呑気に、
「とりあえずなんか包んでくれたし、医者のところへ行かなくても良いんじゃないかな」
なんて思っていたのでござるが、
何件かの医者に断られ、
やっと受け入れてくれる養生所は外科の先生が不在と由。まあ小石川療養所には本道(内科)の医者しかおらぬとは聞いた話ではござる。
とりあえず診てもらえるだけありがたいので、そこにお願いすることにしたでござる。
後になって分かることでござるが、拙者の傷はそれなりの深さがあったため
縫わないと血が止まらないような状況だったそうでござる。
藩の方がそこまで分かってくれていたかどうかは分かり申さぬが、
拙者はただぼーっとしていただけで、
色んなところへ早馬を飛ばして必死に受け入れ先を探してくださったり、
本当にすごいと思ったでござる。
また、養生所へ向かう最中に、同乗した鬼の平蔵がわたしの気を紛らわせようと
色々と話しかけてくださり、それもとてもありがたかったでござる。
「自分は専門ではないので、明日また専門の先生に診てもらってください」
と前置きした上で、診てくれたでござる。
とりあえず血止めしようとしたようでござる、
血が止まらないので縫うことになったでござる。
今まで体を縫ったことがない拙者は驚き申したが、
なにより先生自身が、覚悟を決めたような神妙な雰囲気を出していたので
先生は、慣れていないのが拙者でも分かるぐらい
一生懸命に、丁寧に、一針一針確認しながら縫ってくれたでござる。
一時間ほど経ち、なんとか縫い終わって
そして、終始汗だくで目が泳いでいた拙者に、優しく話しかけてくれた蘭方医さんすごい。
【その4】再び捕方すごい
担当のお奉行が、事件の様子を細かく文章でまとめてくれるでござる。
時々質問されるので、できるだけ的確に答るでござるが
(こんなことを申すのも何でござるが)
でももしお奉行がいなかったら?
自分で自分の状況を、矛盾がないようにまとめるのはとても難しいでござる。
およそ二刻ほどかかり、まとめられた文書(もんじょ)と証拠の物件は
今後、下手人の罪を裁いていくことになるようです。
下手人を捕まえ、事実関係を明らかにし、もろ肌を脱いで桜吹雪を見せることまでやってくれる
お奉行すごい。本当にすごい。
【その5】三味線屋すごい
翌日、外科の先生の代わりということで紹介された三味線屋へ行ったでござる。
三味線屋は傷口を見てすぐ、
「縫い直しだね」とおっしゃっていて
せっかく前日に一針一針一生懸命縫ってくれた糸を切るのは小川先生に申し訳が立たない気持ちになったでござるが
そして三味線屋は、さすが専門なだけあって
結果的に、三味線屋曰く「数えきれないぐらい」縫ってくれたでござる。
首も吊った(テレビ用の糸なので来週には消えているらしい)
ので、傷口はおそらくほぼ残らないだろうとのことでござった。
やっぱり仕事人はすごい。
【その6】江戸すごい
以上のように、たくさんの方々、たくさんの江戸の仕組みによって
拙者は事件以外の不満を感じずに、傷を塞ぐことができたでござるが、
1つ気がかりなのが、治療の費えについてでござる。
下手人へは怒りもあるでござるが、
拙者は死んだり不便が残ったりした訳でもないので
そこまでの恨みはないでござる。
ただ、もう、本当に大した額ではないのでござるが
すると、そのことを話した訳ではないのに、、
拙者の治療費を上様が払ってくれるという話を聞いたでござる。
どういう流れでそうなるのかは不明でござるが、
(徳田新之助なる旗本の正体を口外しないとかの条件があるらしいでござるが)
こちらはまったく刀を抜かないのに一方的にケガをさせられて
治療費まで被害者が払うのはおかしい、ということで払ってくれるそうでござる。
吉良殿をよってたかって惨殺した赤穂のテロリストどもに聞かせてやりたいでござる
そのような仕組みがあることは全く不案内でござったし、
そのような仕組みがなければ本当に被害者は損ばかりでござる。
僅かな金子でござる、そのおかげで拙者の心は大分軽くなり申した。
江戸すごい。
そしてそんなお金があるのはもちろん、
本当にありがとうございまですでござる。
江戸にはこんなにたくさんの仕組みがあり、うまく機能しているでござる。
中には問題があることもあるかもしれない、それでもなんとかうまくいくように
そう思うと、幕府ってすごいでござる。
あまりに突然なことだったのでもちろん驚きましたし、
なによりこの件で一番強く思ったのが、
「日本すごい」
ということです。
…わたしの語彙力のなさはさておき、
日本は良いところもあるよ、ということをまとめたくてこのブログを書き始めました。
【その1】警察すごい
まず事件当日。
詳しくは伏せますが、とにかく道端で知らない人に包丁で腕を切られました。
犯人から逃げつつ、警察へ電話しつつ、場所や状況などを説明しつつ…
あまりの早さに、
わたしの事件とは無関係でたまたまパトカーが通りがかっただけかと思いました。
別方向から自転車で来た警察官と共に犯人を捕まえてくれました。
もしあの時、すぐに来てくれなかったら
しっかりと取り抑えてくれました。
一般人にはなかなかできないことです。
本当にすごいです。
【その2】救急すごい
間もなく救急車も到着し、
その時のわたしは呑気に、
「とりあえずなんか包んでくれたし、病院行かなくても良いんじゃないかな」
なんて思っていたのですが、
何件かの病院に断られ、
とりあえず診てもらえるだけありがたいので、そこにお願いすることにしました。
後になって分かることですが、わたしの傷はそれなりの深さがあったため
縫わないと血が止まらないような状況だったそうです。
救急の方がそこまで分かってくれていたかどうかは分かりませんが、
わたしはただぼーっとしていただけで、
本当にすごいと思いました。
また、病院へ向かう最中に、同乗した救急隊員がわたしの気を紛らわせようと
【その3】受け入れ病院すごい
「自分は専門ではないので、明日また専門の先生に診てもらってください」
と前置きした上で、診てくれました。
とりあえず止血しようとしたようですが、
血が止まらないので縫うことになりました。
今まで体を縫ったことがないわたしは驚きましたが、
なにより先生自身が、覚悟を決めたような雰囲気を出していたので
一時間ほど経ち、なんとか縫い終わって
そして、終始汗だくで目が泳いでいたわたしに、優しく話しかけてくれた看護師さんすごい。
【その4】再び警察すごい
みんなが想像するあの取調室。
(こんなことを言うのも何ですが)
でももし警察官がいなかったら?
自分で自分の状況を、矛盾がないようにまとめるのはとても難しいですよね。
詳しくはよく分かりませんが、この証拠たちをもとに
今後、犯人の罪を裁いていくことになるようです。
犯人を捕まえ、事実関係を明らかにし、罪を裁くことまでやってくれる
警察すごい。本当にすごい。
【その5】形成外科すごい
先生は傷口を見てすぐ、
「縫い直しだね」とおっしゃっていて
せっかく前日に一針一針一生懸命縫ってくれた糸を切るのは申し訳ない気もしましたが
内側も縫った(しかも内側の糸は数ヶ月で溶けるらしい)
ので、傷口はおそらくほぼ残らないだろうとのことでした。
やっぱり専門の先生はすごい。
【その6】東京都すごい
以上のように、たくさんの方々、たくさんの日本の仕組みによって
わたしは事件以外の不満を感じずに、傷を塞ぐことができましたが
1つ気がかりなのが、治療費についてです。
そこまでの恨みはありません。
ただ、もう、本当に大した額ではないのですが
治療費ぐらいは払って欲しい…と思っていました。
すると、そのことを話した訳ではないのですが、
どういう流れでそうなるのかは不明ですが、
(また、その条件など色々あるようですが)
こちらに全く否がないのに一方的にケガをさせられて
治療費まで被害者が払うのはおかしい、ということで払ってくれるそうです。
そんな仕組みがあることは全く知りませんでしたし、
そんな仕組みがなければ本当に被害者は損ばかりです。
僅かなお金ですが、そのおかげでわたしの心は大分軽くなりました。
東京都すごい。
そしてそんなお金があるのはもちろん、
本当にありがとうございます。
日本にはこんなにたくさんの仕組みがあり、うまく機能しています。
中には問題があることもあるかもしれない、それでもなんとかうまくいくように
そう思うと、日本ってすごい。
子供については目を離すことができなくてろくに自分のことや家事もできなくなるので
それを一人でやっていくことの大変さはわかる
旦那の仕事が早く帰れるものになるかとかその家庭のことにまでは踏み込めないので
何も協力できない
あと家事なんかは
自分でやった方が早いと思ってしまうくらい、支持する側の思った通りに動かない
なのでいやになるくらい厳密に手順というか
何故しなければならないか理解できてない人なら、細かい手順を指示し
それが理解できるだけの人なら目的と目標水準を明確に言うべきだろう
それぞれの人間の「十分」の基準が違うことはまず気を付けないといけない
「そのくらい言わなくてもわかると思った」は一番危険
あと要領、手際が悪いというのはある程度我慢して訓練と思って待ってあげるだけの余裕はあった方がいいかもしれない
子供が一つ一つのことができるようになるまでに何度トライアンドエラーを繰り返してきたか
それは見ているはずなので、
何をどの程度で来てればよくて、どういった要領でやらなきゃらならないか、は説明してくれないとわからない、
と感じるだろうに、自分の出来ることだとそれは常識だと思うのはやっぱり危険だと思う
なんか適当に思ったことを書いてみた
これを藁人形論法と呼ぶ。
だが、ナメクジも数万を集めれば、ギザギザの舌歯によって藁人形を食い尽くしてしまう。
負け続き、不祥事続きの増田家が希望をたくしたのは、この圧倒的な数のパワーであった。なにせ人口だけは有り余っている。
社会全体が不安定な時代だけに職をもとめて都にあがってくる人間も多かった。
そんな連中にも声をかけて増田家があつめた兵力は八万!国力の限界に迫る根こそぎ動員に、他の方面をまったく無視した兵力集中で増田軍は鉄壁で知られる増田家(七)に攻め込んだ。
西の国境を接する増田家(九)は、みやこに関心がなく、北東の増田家は複雑に絡み合った東国の戦いに手を取られている。
その好機をついた侵攻だった。
攻められた増田家には自慢の国境城塞群があったが、その配置は西以外にも北や東に及んでおり、守備兵は広く分散している。
しかも近年何度も撃退されている増田家を甘くみて西側は大規模な攻勢への警戒が甘くなっていた。
だが、人の海となった増田軍は落とせない城は迂回し、落とせる小さな城だけを攻めつぶした。
増田家領内が増田家でも随一の豊かさを誇るのをいいことに、現地調達で兵糧を補いながらどんどん奥地に進んでいく。
余力のある国境城塞は出撃して、敵の小部隊をいくつも撃破したが、続々と送り込まれる敵増援部隊のなかにいつしか埋没していった。周囲を敵に満たされた恐怖に脱走する兵もあいつぐ。
さすがに今度は増田軍が勝ちそうだとみた野武士勢力までもが掠奪の果実をもとめて勝手に加わり、増田軍はその司令官にも把握できない状態に膨れ上がった
増田家(七)は多くの兵を国境に張り付けていたことが完全に徒となった。
想像以上の規模で攻撃を受けてしまったため、国境要塞地帯を超えて浸透してきた敵を各個撃破できるのは、本拠地の親衛部隊しかない。
当主は豊かな領地を守るためには一刻を争うと判断した。そこで機動防御部隊を送り出すと同時に、比較的安定している東方の国境地帯から守備兵を本拠地に呼び寄せる。
だが、この判断は大失敗だった。本拠地が手薄になった絶妙なタイミングで海から増田水軍が現れたのだ。
それはほとんど偶然だったけど、防衛側の士気を阻喪させるのに十分だった。まるですべての手が敵に読まれてしまっているように感じたのだ。
築城にこだわりのある増田家の本拠地は豪華絢爛大規模すぎて少数の兵で守るにはまったく向いていなかった。
なお、増田水軍には滅亡した増田家(十)の船団が加わっている。根拠地をうしなった元当主はうまく潜り込んで家を乗っ取ってやろうと、増田家に入り込んだ。
ところが計画には誤算があった。
当主の肛門並にゆるみきった増田家中には同じ野心を抱く人間が多すぎて、
誰もがどうにも身動きがとれない状態になっていたのだ。
(これでは脱糞するのも無理はない)と元当主は妙に納得したのだった。
しかたがないので家中での地位を地道にあげるべく、戦働きをしている。
桟橋にせまる増田軍(士)から逃げる地獄をくぐり抜けた増田船団は上陸作戦の手際もよく、
増田島最高の格式をほこる六層七階のメタブ天主に、いの一番に取り付いた。
そして自慢の手銃を撃ちまくる。メタブ天主の漆喰がつぎつぎと砕けて飛び散った。
いつもはそろばん勘定にいそしんでいる死の商人も流石に観念した。
「是非もなし……火を放て。雑魚ナメクジを侮りすぎたわ。やんぬるかな」
人生雑魚ナメクジ 下痢のうんちに比ぶれば 雪マシュマロのごときなり
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