死因は分からない。
会場には大勢の人が集まっていたので、私たちは2階で、うっすらと聞こえてくる読経の声を聞いていた。
私はぼんやりと、目の前にいるあの人は何の関係なのだろう、部活かなぁ、とか、
久々に履いたからヒール痛いなぁ、とか考えながら何とか泣かないようにやり過ごしていた。
その後、焼香のために下に行った。
ご両親が泣いている姿を見たら、とうとう堪えきれなくなった。
作業のように手際よく進める葬儀所の人とか、機械的でつまらない弔電に勝手に憤りを覚えたりして。
喪主の挨拶を聞いてボロボロと泣いていたら、そこら中からすすり泣きが聞こえてきた。
どうやらこれは、大掛かりなドッキリなんかではなかったようだ。
でも、まだ顔も見ていない。あの子はどこへ行ってしまったんだろう?
思い出話を一切せずに、不自然なくらい“これから”の話ばかりした。
あんなに泣いた後でも、「明日、仕事行きたくねえなぁ」って言い合える、
なんて人間らしいんだ。
まだぐちゃぐちゃしているけれど、
きっと私たちは明日からまた何でもないような顔で生きていくんだろう。
ふと襲いかかってくるやり切れなさと闘いながら。