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はてなキーワード: 思春期とは

2024-08-23

anond:20240602171942

うちの娘、生まれつきの身体障害知的障害(いずれも軽度)がある。

まれる前にはわかっててそれでも生んで娘にも「ママもパパも娘ちゃん会いたかったからまれてきてもらったんだよ、生まれてきてくれてありがとうね」って話を沢山した。

知的障害が軽度だからむしろ他者との違いを認識して辛い思いをしたり、人間関係もうまくいかないことが沢山あった。

娘が小学校高学年〜中学あたりの思春期コミュニケーションとか勉強とか周囲と比較してうまくいかない、思うようにできないことがより顕著になってきたとき、パパもママも娘ちゃんの味方だし、生まれてきてくれてとても幸せだよって話をたくさんしたけどそれでもやっぱり

ママとパパは私がこういう思いすることをわかってて産んだんだね」って言われたよ。

ごめんねって言ったけどそれでも会いたかったから、娘ちゃんが少しでも幸せになれるように一緒に頑張らせてっていった。いまでもうまくいかないこと多いし、そういうことが続いて娘のメンタルが落ち込むと同じような発言は出るしその繰り返しだけど。

子どもに会いたいとか、産みたいは完全にこちらのエゴ自分本位で、子どもがこの社会でどう扱われるかよりも自分が親になりたい、子育てしたい、子どもに会いたいという欲を満たすために産んだんだっていうエゴ責任自覚して堂々と答えられないなら産んではいけないと思う。

非難されても私は子ども会いたかったからって言い続けるし、親になった以上はそこを否定しては絶対にいけないと思うし、その発言に対する責任として絶対にこの子幸せにしてみせるし、そのためにこの子幸せにしない社会に対して抵抗してやると思っていろんな活動にも参加してる。

娘が幸せになりきれない原因は社会にあるけど、自分たち親の欲を優先してその社会に産んでしまったなら、その責任は果たさなければと思っているし、娘にもそういう話(自分勝手で産んだ、みたいな言い方はしてないけど)はしてる。

気分の落ち込みがないときは娘もその話すると嬉しそうにしてくれるし、ニコニコだし、ママもパパもだいすき、ありがとうって言ってくれる。

最終的にはどれだけ言葉愛情を尽くすか、だと思うけど、そのためには自分エゴを優先させました、という事実を認めないといけない。

そこから逃げて言葉を濁すようではだめだと思う。

増田が仮に生むことを選ぶ場合子どもにどんな言葉愛情を尽くすか夫婦でしっかり考えて準備したら良いと思う。それでも上手く行かないことは絶対にあるけど、そのときに生んで子どもを苦しまたことに対してどんな責任の取り方をするか(私の場合障がい者地位向上等の取り組みに資すること)を考えることで自分の中でもバランスが取りやすくなるのではないかと思う。

anond:20240822234202

キミが言いたいのは思弁性でしょ

エヴァは大して哲学性高くないし思弁性高いのが高尚と思ってるのも子供っぽい

どっちかというとそういうのは思春期向け

2024-08-22

anond:20240822192919

こういう変なハマり方する人って、どんな幼少期思春期を過ごしたのか気になる。

ディズニーに興味のない女

ちょっと話題が古くなってしまったが例の婚活男の提言

その中で「ディズニーサンリオ好きはメンヘラなので避けろ」というのがあった

サンリオキャラクターグッズを常に身に着けている成人て、風俗嬢とか地下アイドルくらいしかいなさそうで、そこはちょっとわかる気もする(婚活の場にそんな女性がいるのかは疑問だが)

ただ自分の周りで「ディズニー好きの女性」ってめっちゃくちゃ多いので、海外旅行好きに比べて割とスルーされていてびっくりした

ちなみに自分ディズニーランド開園した時既に思春期だった為、当時は「遊園地子供の行くところ」という認識もあり、家族で一度行ったきりで男性デートするようになってもわざわざ行ったりしなかった

大人になって女友達と数回行ったけどそこまで楽しいとも思えず

ディズニー映画アニメ自体ほぼ見ないので、ビデオDVDレンタルした事もない

キャラクターにもそこまで思い入れがなく、グッズを買いたいとも思わない

周りの友人は子供がいると一緒にランドに行ったり映画を見たりするようだけど、小梨の為そういう機会もなかった

また、私より下の世代は、幼児期からディズニーで育つせいか大人になっても変わらず好きという女性が多いみたい

20代~50代くらいの周囲の女性陣は、「年1、2回はパークに行って、お土産を買うのが楽しみ」「アニメほとんど見てる」くらいの人ばかりなんだけど、このレベルでも許されないのかな?

全然メンヘラじゃないしふっつーの人ばかりだよ(既婚者もたくさんいる)

特別趣味もなく、たまの休み上京してディズニー行くのが楽しみ!レベルでも「趣味ディズニー」とか書きそうじゃん

ディズニー全然興味のない自分はかなりの変わり者なのか?と感じてたくらいだったので、そこまで嫌われてるとはつゆ知らず

てか普通にディズニー好きな男性も多いよね?

海外旅行好きの件もだけど、「年一回程度アジア辺りに言ってグルメや買い物を楽しむ」ゆるフワOLみたいなのと、ガチバックパッカーと一緒くたにしてるのと同じで、そこだけで切り捨てられちゃうのもどうなの?と思った

anond:20240818153809

anond:20240822100246

思春期に「自己責任」を刷り込んでくれた恩と怨で情緒はグチャグチャに

子供思春期以上になると一気に可愛く無くなるのは異常

イヌネコ子供も小さいとき可愛いけど思春期以上になると途端に可愛く無くなるのヤバいよな。俺の親も孫の顔見に行かなくなった。やっぱペットだと思ってたんだろうな。

2024-08-21

anond:20240821172948

実際にはサイバーパンクものとか近未来警察ものかいろいろ出てるけど

思春期に観たものを親だと思いこんで他は偽物になっちゃうのはわかるよ

「それが嫌なら耳と目を閉じ、口を噤んで孤独に暮らせ」

https://note.com/ratata_ratata/n/n4b4dbdab399d

これ、そもそもキャッチャーインザライの原作でどういうシーンで発言されたか意図を読み取らないと理解することは困難です。

原文は

"I thought what I'd do was, I'd pretend I was one of those deaf-mutes."

となっていて、この文が笑い男ロゴの周りをグルグルまわっています

"deaf-mutes"は聾唖者、聴覚障害者意味になりますが、現代では避けた方が良い表現差別的意味合いがあります

なので「耳と目を閉じ」はマイルドすぎる表現で、「ゴミ野郎」ぐらいで良いと思います

「聞こえなくて話せないゴミ野郎のフリをして生きていこうと思った」

ぐらいの意味合いになっていて、そもそもdeaf-mutesな人間侮辱批判しているようにも見えます

この発言があったのは主人公ホールデン(16歳)がなんやかんやで打ちのめされて家出しようと思って街をブラブラしながら

「あー世の中つまらんしアホくさいわー」

って思いながら考えたことです。

確か山の中に小屋を作ってそこで誰とも関わらずに生きていけば幸せだわ、とかそういう感じで家出しようとします。

ただ、その後、カワイイ妹(10歳)がキャッキャしてるの見て

「まぁええか」

で片付けてしまう、「キャッチャーインザライ」はそういう話です。

思春期ってそういう時期あるよね、という小説なんですが、まぁ口調がドギツイし差別的なのでアメリカ教育委員会に目を付けられて図書から追放されました。

その結果、逆にコアな人気が出てしまったり

大人になってもそういう部分をどこかに持ってるよね」

という形で密かな人気があります

日本だと尾崎豊の「十五の夜」的な感じだと思えば良いです。

さて、少佐台詞

「世の中に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら耳と目を閉じ、口を噤んで孤独に暮らせ。それも嫌なら・・・

なので、これは暗に「お前まだそんな精神年齢なんか」的な意味合いで言っていると思っています

仮にビル爆破が成功したところで体制に何の影響もないしお前の生活何にも変わらないのに何しとんねんアホか、みたいな感じです。

日本だと

「なんか不満あるんやったら盗んだバイクで走っとけボケが」

という感じです。実際にバイクを盗んで走る人はいないでしょうし、それを求めてるわけでもないですよね?そういう感じです。

ただ、S.A.Cの中では

「お前みたいな能力も何も無いアホが一人前になろうとするな」

という意味合いも含まれてると思っていて、それが後々のStand Alone Complexに繋がってきていると思います

この何の能力もない憐れな一般人プロレタリアートこそがS.A.Cシリーズ主人公だと思っていて

2ndやS.S.Sでも度々彼らにスポットが当たります

そして笑い男ことアオイ君は超ウィザー級ハッカーマジで世の中を変えられそうな実力を持っていましたが、

結果的には何も出来ず敗北し、再度登場したけれどやっぱり何も出来ませんでしたし、

実はアオイ君もオリジナルではなくて一通のメールオリジナルだったことが分かり、

みんなオリジナルではなくてどこまで行っても模倣者だよねってなって、

「個ってなんなんだろうね」っていう感じで話は終わります。(いや他にもいろいろあるけど)

ちなみにガチで世の中を変えようとした天才童貞が登場するのが2ndで、当時は微妙だなぁと思いながら見てましたがこのご時世で見てみるといろいろ思うところがありますね。

だいぶ脱線しましたが、結局のところ少佐の言ってることを拡大解釈すると

「(お前みたいな16歳の精神年齢で実力もないアホが)世の中に不満があるなら自分を変え(た方が幸せになれるって早く気付け)」

ってことだと思うので、受け入れても良いし実力をつけて世の中を変えようとしても別にいいんじゃないですかね。

作品中では否定肯定もしてないですし、そもそもそういうレベルの話をしていない、と思っています

鬱になってから、脳の機嫌によって自分支配されていることを実感する。

若い時は、身体や脳含むて全体で1つの人間って感覚だった。

からだけでなく、身体から意思が生まれていくような感覚もあったと思う。

思春期特有の性欲とかは、まさにそんな感じだったと思う。

でも、鬱になってからあくまで脳が身体精神支配してるんだなってよく感じるようになった。

身体精神を脳が支配してるのは、当たり前なんだけど、それをよく実感する。

鬱になってから、脳の機嫌にお伺いをたてるようになった。

以前は、身体を動かしたいなって思ったら身体を動かせて、意思身体マッチしていた。

でも、今はこんなに身体を動かしたいという意思があっても、脳の機嫌が悪ければ動けない。

精神的な面でも、趣味等のなにかをしたいなと思っていても、脳の機嫌が悪いと何もできない。

ゲームをしたくても、ゲームが出来ない。

どんなに意思があっても、脳が拒否すれば出来ないのだ。

脳の機嫌がいいときだけ、自分のやりたいことが出来る。

そんな感覚だ。

から毎日脳にお伺いをたててる。

機嫌の良い日であることを願って。

2024-08-20

兄弟制裁を加えたい

私は弟にいじめられています今日嫌がらせを受け、そのストレスの勢いで書いています

私は通信制高校に通っている16歳、弟は不登校の13歳(オンライン授業)です。両親は共働きで、平日日中の大部分は弟と家に二人きりになります

一応自室があるのですが、iPadファイヤスティックに関わるやりとり(後述)を毎日するため、その接触の際に嫌がらせを受けます

兄弟間で決めているiPadファイヤスティックに関するルール

・13時でiPadは交代

・昼食の時間はずらし、相手リビングにいる間は自室に戻る(この時にリビングテレビファイヤスティック使用可)

の2つです。昼食の時間帯はあまり決めていませんが、iPadを使った方が13時〜14時に食べ、使っていない方はその前後1時間で食べることが多いです。

前提の説明が済んだので、今までに受けた嫌がらせの内容を書いていきます。こんなことで?と思われるかもしれませんが、このレベルのことでも5年続くと厳しいです。

相手からiPadを貰う時(ほぼ毎日

・電源を切って渡す

・音量と光量を最大にする

こちらが受け取るために出した手のひらにiPadを振り下ろしてぶつける

まれに渡さな

こちらが後からファイヤスティックを使う時(数ヶ月〜数週間に1度)

・音量0&消音状態にする

リモコンのものを自室に持って行き渡さな

あとは殴られたり蹴られたり、ただ悪口を言われたり、ゲーム友達と話しながら一挙手一投足を貶されたりします。言われたことを書きます

ブス

デブ

バカ

クズ

カス

ゴミ

おかし

頭の病院行ってこい

死ね

さっさと死ね

なんで生きてる

生きてる価値ないでしょ

お前なんてどうせ夜職以外出来ねぇだろ

等です。

もう推敲もする気力ないです。

兄弟 いじめ」とかネット検索してみても、ヒットするのは「兄が弟をいじめます」とか「兄弟学校で虐められてます」みたいなものばかりで何も参考になりません。

どこかに通報することは出来ないのでしょうか。このままでは殺します。

母親も憔悴しており、「何回死のうと思ったか、」など子供に漏らすところまで来ています父親は無関心かつ弟が弱いので父親の前では何もしません。

母は精神科思春期外来の受信を勧めていますが、本人がアレなので望みは薄いです。

もしこちからどこかに通報できるとするならばどこなのか、それによって望めることなどがあるのならば教えてください。どうか、お願いします。

2024-08-18

暴力ねえ…

あるゲーマーブログではロリコンが嫌いと言いながら、当の本人は寝てる人のチンコを立たせて挿入したりしてるんだよな

嫌がってなければ性暴力に該当しないのか

女性目線の性暴力定義とやらを教えてくれ

あと、本人が見てるかわからんけど、見てるならこれだけは言っておく

ロリコンを生み出したくないなら、異性に対してキモイというのはしないほうがいいし、毒親になったり、子供に対する性的虐待マジでしないほうがいい

性癖過去虐待経験幼稚園から思春期女性からいじめられた経験が合わさると、嫌がってるのを無視してでも無理やりエッチする糞ヤローが生まれ

(中には衝動性が強すぎて嫌がってることを認識できないパターンもあるけど、こっちはコンサーター、ストラテラや帰脾湯で、ある程度は治る。黄連解毒湯も執着性に効くので行けるかもしれない)

あと、ストーカーにならないように注意しな

性犯罪被害者女性ストーカーとなった話は割と聞く

2024-08-17

チェンソーマンキモかった

30代後半のおっさんだが、今更チェンソーマンを読んだ。

流行り出した当初は流行に乗るのが嫌で一切読んでこなかったんだが、そろそろいいだろうとジャンプ+の無料枠で最新話まで一気に読んだ。

ちなみに藤本タツキ作品を読むのはこれが初めて。他の作品情報は一切知らない。



で、感想なんだが、とにかくキモかった。

何が?エロが。

エッチ描写徹頭徹尾思春期の子ども(あるいはたちの悪いおっさん)の脳内」って感じでもう無理。

今の少年漫画ってこんな感じなの?こんなの誰も求めてないだろ。

俺が少年漫画で読みたいエロってのはもっと害の無い上部だけの甘いお菓子みたいな表現なんだよ。

毎日何度もシコってます!と宣言してるような汗だくの表現を持ってこられても困惑しかないんだわ。

これじゃ快楽天とかのエロ漫画と何も変わらねーじゃねえか。

お前らこんなの読んでどの面下げて感想を人と共有するわけ?



なお物語自体面白かった。

めっちゃ雑で荒さはあるけどタイパ重視の昨今はこういうのが流行るんだろうな。

キャラデザが偏ってて戦闘描写の躍動感が無いのは難点だが絵は上手いしカバーできてると思う。

イカれた人間しか出てこないし物語スピード感のせいで感情移入がほぼ出来てない感は否めないけども。

点数にしたら75点は超えてくる感じ?

それだけにエロのくどさが俺の中でがっつり減点が入ってしまった。

今の小学生とかはこういうの普通に読んじゃうものなのか?

2024-08-16

妹と家出して数年が経った


注意;児童虐待の話が出てきます。苦手な人はご遠慮ください。


(本文です)

________________

どうしても書き留めておきたいと思った。昔の私のことを。

今は大学生から何もできないけど、いつか受け入れて消化できたらいいなって。

私にとっての父は、経済的な支えであり、飼い主であり、服従すべき存在だった。

私が初めてキスをした人で、初めてセックスをした人で、初めて妊娠した相手で、「性」に関するすべての始まり。そんな存在だった。

父は、私が小学校1年生の時に家にやってきた血の繋がりのない人だった。私は実の父を知らない。

最初子供好きな良い人だと思っていた。しばらくすると私に性的アプローチをするようになり、小4で母が亡くなると同時に、「同情」「母の代理」「妹の盾」といった役割を私に課して、少しずつ私を性玩具に作り替えていった。

父の命令には従順に従うことが求められた。朝は父に犯された後学校へ行き、夜は私を凌辱する父のために夕食を作り、妹が眠った後、父の相手をしてから私は床に就く日々を送った。

毎日というわけではありません

中3で私が他の男性の子妊娠してしまったあとは、殴る蹴るの暴行を受けた。まるで自分の所有物が汚されたみたいに、すごく怒っていた。

それからは、私がどんな男性相手もできると思ったのだろうか、父はときどき自分お仕事の仲間を連れてきて私に相手をさせ、小銭を稼いでいた。

それ以外にも、アルバイト先の先輩から暴行を受けた。幸い妊娠はしなかったけど、もう限界だと思った。私は高3の夏休みに、貯めたお金を持って、妹を連れて家を出た。

今は、普通大学生はしないであろう仕事風俗嬢)をして、妹を養っている。自立、は一応できているとは思う。

それでもまだ、私の心は父への服従心で満ちている。なぜこんな気持ちになるのだろう。自分でもわからないところがある。



思い出す必要はないのかもしれない。でも、思い出さずにいることもまた難しいので、心の整理のために書き留めておきたい。

お話の順序とか、私の気持ちとか、これからどうしたいとか、いろいろ混ざってしまうと思う。わかりにくかったらごめんなさい。

さっき、「父に性的虐待を受けていた」と書いてるけど、実を言うと、虐待だと私自身が認めたというか、受け入れたのは、父と関係を持ってしばらく経ってからのこと。

ハッキリ認識したのは、やっぱり身体的な暴力を受けた中3の冬頃から。その年の夏に先輩からレイプされて、妊娠したことに気付いた父が身体的な暴力をふるったあの日からだ。

それまでは、いけないことなのはわかっていたけど、それでもどこか仕方のないことだと思っていた。

経験のない人には理解できないかもしれないし、そもそもこの話自体が「嘘臭い」と言われそうだ。今書いていることもきっと、非現実的というか、理解できないことかもしれない。

私は実のところ、父を憎んでいない。これは結果ではなくて、現状「憎めない状態」といったほうが正解かもしれない。

もともと実父の存在すら全く不明で、本当のことを言うと、「父親」という存在感覚がわからない。見たこともないから。両親が仲良くしている家庭を見ると、とても不思議感覚になってしまう。

私がこうして「父」と書いてはいても、それは、それ以外に呼べる称号がないからだ。性的意味でいえば、25歳年上の愛人だったのかもしれない。

性的関係を条件に、生活費を出して養ってもらう。それだけの存在。つまるところ、私は7歳くらいかパパ活をしていたのかもしれない。



私と妹と母で生活していた時は、とても極貧だった。

母は身寄りもなく頼れる友達とかもいない感じ。元風俗嬢だったのは確かだ。

ちゃんとしたお店に勤めていたのか、それとももっとアングラな感じだったのかはわからない。

少なくとも、お金をたくさん稼いで貯金していたとかではない。本当に貧乏なお家だった。

なぜお金がなかったのかもよくわからない。けど、とにかくその日の食べ物も苦労していた。

子どもの頃って、どうしてこんなに苦しい生活なのか、なにもわからない。意識しようがないよね。

確かなのは、父が来てから普通暮らしができるようになったこと。

私は欲しいものもたくさん買ってもらえるようになり、行ったことのない場所にも連れていってもらえたので、父は楽しいことをたくさんくれる人だった。

しかすると、子どもながらにその対価を要求されたなら、応えないといけないと思ったのかもしれない。

それこそ、父親なら家族サービスをして当然かもしれないけど、私にとって父は本当の父ではなく、なにかを買ってもらったり、どこかへ連れていってもらったりしても、どこか「していただいている」感があった。そういう関係だった。交換しあう関係

そういう意味では、最初から最後まで、ずっと本当の”父親”としては受け入れてなかったのかも。

母が亡くなった後も、父はサービス精神旺盛な人であり続けた。私と妹と父の3人でいるときは、面倒見がよく、優しい父だった。外でもそうで、ご近所さんとのお付き合いもよく、「いいお父さんね」とよく言われた。

私や妹が体調を崩せば、しっかり看病をしたり、病院にも連れていってくれた。本当にお手本のような父だった。

ただ、ひとつ。私との性的関係要求してきたこと以外は。

思い返せば、母が存命の頃から、私の体を触ったり、舐めたりはあった。

それが性的虐待兆候だと言われればそうなのかもしれない。ただ、私はそう認識してなかった。

今思えば、血の繋がっていない低学年のあそこをじっくり見たり触ったりするのは異常だとわかるけど、当時は悪意の可能性すら頭に思い浮かばなかったし、優しい言葉を掛けながらそうしてきたので、父親というのはそういうものなのかと認識していた。

「小4のころから虐待」と書けるのは、母が亡くなった後の父の要求を「嫌だ」と感じ始めたのがそれからだったから。もちろん、もう少し前から「本当はダメことなんだ」という意識はあった。

いろいろ勉強もするし、心も成長するし、男女の違いも意識が芽生えてくるので。

でも、上記のとおり、父親と娘とはそういうものなのかと思っていた。誰かに話すこともしなかったし、話す必要があるとも思わなかったし、訂正してくれる人はいなかった。



私には疑問がある。

父は、一緒に暮らし始めて、「そういう気」を起こしたのか、元々私を狙っていたのか。

きっと、増田の人たちからすると、「そんなことはどうでもいい」と言われると思う。私のことなんて他人なんだし、父にされたことに変わりはなく、私が被害者なのも変わらないので。

ただ、私は父を憎めていないので、きっとこういう疑問が頭をよぎるんだと思う。

まり、一緒に暮らし始めてそういう気になってしまったのなら、私は心のどこかで父を許してしまいそうで、元々そういう気なら、父を悪者定義やすいのかも。

「いや、ただのレイプだよ」と言われるかもしれない。第三者から見ればそうだと思うし、実際そうなんだと思う。

でも、10年間も一緒にいた私にとって。人生の半分、一緒に生活して、子どもから大人になる時期に一番近くにいた男性は、私にとってなんなのか。どうしても浮かんでしまう。

母が亡くなってから最初の1年くらいは、手や口を使った行為で、さら半年も経つと、私は父の精液を飲むまでになっていた。

嫌だったかというと、嫌だった。でも、やらないといけないことだと思ってた。それが大人になることだと思ってた。

単にその行為がというのではなくて、「嫌だと思うことでもやらないといけないことがある」ということ。

具体的には、亡くなった母親の代わりに、私は嫌な事でもたいへんなことでも、家庭の平和のためにやらいないといけないって思ってた。

「誰かに相談すればよかったんじゃない?」って思う人もいるかもしれない。

でも、私は父と娘はそういうものだと思ってた。

おかしくない?」って感じるかもしれない。そう、おかしいよね。でも私は「父親とはなにか?」を知らなかった。生まれてずっといなかったので。「父から見て娘とはなにか」を知らなかった。

そういう意味では、冒頭で書いたように、私は彼を本当の意味で「父親」とは認識していなかったんだと思う。本当は性的関係を持つ男性しかなくて、でもそれを一緒に住んでいるという理由で「父親」だと定義していた。



いま私は、風俗世界で働いている。一応、自立してると言えるのかもしれない。

精液って、人それぞれに味が違う。体臭も違うし。私は父の味と匂いを今もはっきり覚えている。

そんな私でも、不意に処女を奪われたのはショックだった。

身体的な苦痛もあったけど、本能的に大切なものを壊されたと感じたし、あの日、あの夜は、もう普通女の子はいらなくなったと

いう実感が体中に広がった。

でも。そう感じるのは自分わがままからと思っていた。大切な妹がいたので。守ってあげないといけない。

私がイヤだと思うこと=私のワガママ。そうだと思った。私がイヤだという理由で、父のしてほしいことを拒絶するのは無責任だと思った。

今これを読んでる人からすると、意味不明だと思う。狂ってるか、下手な官能小説みたい思われるんだと思う。

でも、私にはそれが現実で、一番受け入れやす感覚だった。

処女ではなくなったその日から、7年間。父と関係を持たない週はなかった。

計算したら330週くらい。毎週毎週毎週毎週。何日も連続。朝晩繰り返し。そんな日もあった。

一番多いのは、夜寝る前。妹が寝てから。そういう日は、父からいろいろなサインがある。私たち言葉にしなくても通じ合っていた。

妹が寝てから、父の部屋に行って。たいていは人形オナホ扱い。でも、とき恋人のように扱われることもあった。愛しい娘として扱われることもあった。父のその日の気分次第で。

私は、どんな扱いを受ける日も、不満は言わず、父が人形を求めるならお人形になり、恋人を求めるなら恋人になり、お父さんが大好きな娘を求めるなら愛しい娘になった。

それが母がいない、この家族での私の役割で、誰にも言ってはいけないことで、私はそうやって父を愛すべきだとも思っていた。

学校に行く前にされることもあった。

妹には絵本を読んでてもらったり、タブレット動画を見てもらっていたり。行為のあと、何食わぬ顔で妹と一緒に集団登校の場所に行き、みんなと一緒に笑顔学校へ行く。

口の中で受け止めた日は、臭いが残っているので、マスクを付けた。中で受け止めた日は生理じゃないのにナプキンをつけて学校に行った。

父が仕事でいない日は、学校から帰ってすぐなんてこともあった。私の日常だった。



毎週毎週毎週毎週続いていると、だんだん心が麻痺してくる。

嫌だと感じないわけじゃないけど、学校でも普通に嫌な事や嬉しいことがあって。

心のエネルギーはそっちに使うので、ちゃんと応えさえすれば特に害のない父との行為は、なにかを感じるだけムダだという感覚になっていった。

同時にそれは、自尊心が壊れていたんだと思う。

中学校に上がる頃には、もうそういう感じだった。

からイジメられたんだとも思う。

そんな父も、私が学校で不当な扱いを受けたときとかは、味方になってくれる。

思春期から友達ともいろいろある。小学校高学年のときも、ちょっと数人を巻き込んだトラブルがあって、一方的に私が悪いってことにされてた(担任にも嫌われていたし)。

私が父に相談すると、父はかなり積極的担任と話をして、私の気持ちを代弁してくれたり、味方になってくれた。

正直言って、心強かった。私は父がいないと困る。生活面でもそうだけど、どこかで心強い存在でもあって。

これだけしてもらえるなら、私は私にできることで父を喜ばせないといけないとも思ってた。

ただ、中学に入ってからは、イジメられていることは打ち明けられずにいた。

それはきっと、主に性的イジメを受けていたからで、父に話すと父はイヤがるだろうと感じた。

中学生なんてまだ子どもだけど、男と女がどういうものか分かってきていた。

正直言って、学校でされていたことを打ち明けたら、父は私を汚物のように捨てると思った。

実際、中3で妊娠がバレたときは、殴る蹴るをされたわけだし……妊娠発覚後は、明らかに父の態度が変わった。

表向きは変わらない。妹と3人でいるときは、優しい楽しい面白い父だった。

でも、夜、私が相手をするとき。髪の毛を掴んでひっぱったり、お尻を強くたたいたり、頬を叩いたり、そういう感じになっていって。

回数も減った。その代わり、父の仕事の仲間の相手をさせられることが多くなった。最初抵抗していた。そうしたら、無理やりされて結局、行為時間が長くなる。痛いことだってあった。

でも、そのうちに抵抗しなくなると、今度は行為が早く終わるようになった。相手の思い通りにすると本当にすぐだった。

でも、そのうちに気が付いた。自分から相手気持ちよくしたり、かわいい子だと思えるような仕草をすると、早く終わるうえに、あの人たちが私にお小遣いをくれるようになった。それで、私や妹にとって必要ものを買えるようになった。

子どものうちから、そういうことに気が付けるようになったのは、いいことだったのか、悪いことだったのか今でもわからない。

その時、感じたことは2つ。

父が私を見なくなったことへの寂しさと、妹に矛先が向くことへの不安

後者はわかるけど、前者は自分でも意味の分からない感情だった。

でも、今思えば、今まで自分役割だって必死に応えてきた、そんな自分否定されるのがいやだったのかもしれない。

ただ、自尊心はすでに壊れていたんだろうし、なにかを正常に感じられていなかったのかも。まだよくわからない。

でも、この家にはいられないと思ったのは確かだ。



父はなんだったんだろう。

小さい子供だった私にとって、母を亡くした私たちにとっては、生きるために必要存在だった。

いびつではあったけど、愛情を感じることもたくさんあった。でもそれって、私が感じさせられていただけなんだろうか。

ただ、未だに元気でいて欲しいと思っている自分もいる。そして、それを気持ち悪く感じて、ものすごい力で否定しようとする自分もいる。

どっちが本当の自分か、どう感じるのが正しいのかも、未だわからない。

ただ一つ、私の「これは揺るぎない正解だ」と思えるのが、妹の幸せ。これだけだ。

もう私自身は、何をどう感じるのが正解なのかはわからないけど、妹が幸せなら全部それでいいんだと思える。

それでも。

繰り返し再生される父との濃厚な7年間の性生活は、私に「定義」を求めてくる。

「あれはなんだったの?」

って。

「私はこうだった」というのがふわふわしていて、それがいまだに自尊心回復できない原因なのかもしれないし。定義をしたらしたで、もっと自尊心ボロボロになるかもしれないし。

かといって、リアルで誰かに詳しく話す気にもなれないし……

ただ、時期がきたら妹にはすべて話してみようと思う。真剣に考えている。



最後にまた、父について思い返してみる。

改めて父について思い返すと、「自分の思い通りになることが第一の人」だった。

そして、外面が良く、口が上手く、口数が少なく、合理主義で、神経質で、顔が広く、用意周到で、倒錯的だった。

家庭内性的虐待というと、どこか乱暴イメージがあるかもしれないけど、私の場合基本的に「自分からする」ことを求められた。「しても・しなくてもいいけど、しなかったらどんなデメリットがあるか」をほのめかして、私が自分で「する」ことと選択するように仕向ける人だった。

いきなり、ハードなことは求めなかった。「本当はしたくないけど○○のためなら我慢してできる」を丁寧に積み重ねていき、気が付けば処女を奪われていた。

父がどんな仕事をしていたのか、詳しくは知らない。知りたいとも思わなかったので、尋ねたこともない。

ただ、月に何度か現金を渡され、それで3人分の食材を買ったり、トイレットペーパーや洗剤なんかも買っていた。

父は家事ほとんどしなかったし、母が亡くなったとき妹は5歳だったし、私が家事をやるしかなかった。

生前、母がいくつか基本的家事は教えてくれていたけど、やり方がわからないときスマホ検索したり、学校先生に聞いたりした。

とにかく、父の機嫌を損ねないよう、やるべきことをしっかりやり、なるべく嫌な思いをせずに、父を喜ばせる。そうすれば、妹にも私にも優しい父をキープできた。意外に思われるかもしれないけど、日常生活中は、いたって普通の会話をしていた。

から見れば、「お母さんが亡くなったけど、仲良く頑張っている親子」だったはずだ。こんな父だけど、割と欲しいものは買い与えてもらった。でも、それも「飼い慣らし」の手段だったのかもしれない。あるいはパパ活一種として。

すでに屈服状態だった私が家出を決意できたのは、思春期に入った妹を守りたい気持ちと、身体虐待による命の危険を感じたから。これが、私の父への関わり方。

父親はいてよかったのか? と訊かれると、どうなんだろう。

もしいなかったら、私と妹は孤児になっていたし、母ももっと早く亡くなっていたかもしれない。まがりなりにも経済的な支えではあったので、いなかったほうが幸せだったのか、いたから不幸だったのか。それはわからない。私はこの人生しか歩んだことがない。

「お母さんさえいてくれたら」と何度も思った。世の中が良い母親ばかりでないのを見ていると、そう単純な話ではないのかもしれないけど。

正直、「血の繋がりのある優しいお父さん」はファンタジーしかなく、理解できない存在だ。だからきっと、そうしたお父さんがいる人にとって、私の話は、逆にファンタジーに見えてしまうと思う。

いてよかったのかどうか、わたしにはわからない。

ひとつ確かなことは、私は父を憎んではいないということ。私にとって父は対等な存在ではなく、憎しみの対象にすらならないほど、不可侵存在だ。刺激したら爆発する爆弾を、憎んで叩き壊そうする人はいない。慎重に処理をすべき対象だ。



今は、私たちに関わることがないよう対策をして、遠く離れた場所に住んでいる。大学生の私と、高校生の妹の二人暮らしだ。

私が務めを果たし続ける限り、金輪際、父に会うこともないだろう。このことは、合理主義の父をよく知っているので、妙な信頼がある。

最後に、とりとめのない話を読んでいただき、ほんとうにありがとうございました。

2024-08-15

インサイド・ヘッド2はライリーの友人に白人がいない事で、なおさらポリコレというか白人至上主義の映画になっていると思うんだよな

友人に白人もいたなら友人達の酷い扱いも「有色人種から」ではなく「サブキャラから」と見る余地が出たかもしれないのに、

有色人種オンリーにしてしまった事で人種問題に見える。

友人が黒人アジア系からポリコレだなんていうのはあまりにも見方が浅い

だって彼女等は友人とは名ばかりの踏み台、引き立て役で、独自人格を持った思春期少女としては描いてもらえないんだもの

ネトストになりそうでやべぇぇ

前に仲良しでニコイチのようにイツメンしてた人が

ほかの人とセットになり、毎日イチャイチャべったり会話している。

「いやいや友人なんだからそれぞれの生活があるんだ、自分もんじゃない」と思いつつも

ホーム見に行ったり、ほかのSNS見に行ったりして毎日憂鬱になってるんだが

これを止める術がみつからねぇぇぇぇぇ…なにこの思春期のような状態

もう3か月くらいずっとこんな感じで自分がきっつ。

ほかの事して趣味して仕事いってそんでもSNSつけた瞬間に見に行く自分がいてやばいんよ。

まーじでどうしたら抜け出せるんや SNSやめろ、はい

SNSしかほかの友人もいないから抜け出せん。どーすんだこれ。

インサイドヘッド2を見た。

1.映画感想


2.思ったこ

Pixarには最近陰りがみられるとはっきり感じた。実は、最近親分ディズニーアニメーションスタジオのほうが勢いがある。以下のリストは、純真な新作として公開された2010年以降の作品

単純な作品数だけでも親分が多く、かつラプンツェルシュガーラッシュアナ雪、ベイマックスズートピアという今も愛されているようなヒット作群に対し、この15年でピクサーが生み出せたヒット作はインサイドヘッド、リメンバーミー。非常に弱い。ウッディもマックイーンもニモマイクワゾースキーも、全部2000年代なのだCG技術でハッと目を見張るようなアイデア映画製作をしてくれたあのPixarは終わった。次世代に愛されるさらなるキャラクターを生み出さないことには、衰退の一途だろう。親分も近年は少し危うい。次期作2つが焼き直しだ。ディズニー全体としての停滞感もある。キャラクターが十分そろって興行、売上的には満足をしても、アニメ映画クリエイター集団としてピクサーには頑張ってほしい。そう感じた「インサイドヘッド2」だった。

思春期少女の心の動きを丁寧に描いた名作なんて日本少女漫画にいくらでもあるのに

ちょっとディズニーがそのテーマを扱ったからといって誉めそやす出羽守はまったく

インサイド・ヘッドの一作目は好きだったか

二作目が微妙がっかりだよ

二作目の何が良くないって、一作目は引っ越しや転校による環境の変化が原因だったか

不安定になるのが主人公だけでも問題なかった

それが二作目ではテーマ思春期というその年齢層ならば誰もが陥る問題にしてしまったものから

他の女の子達には思春期はないの?中学生は勿論、高校生だってまだ全然思春期じゃないの?

なのに都合の良い善人だったり無神経なモブだったりして主人公のためだけの書き割りに成り下がってない?って違和感が生じる

その年齢層特有問題フォーカスするなら親子関係に絞るとかして周りは別の年齢層のキャラにすれば良かったと思う

2024-08-14

インサイド・ヘッド2』が反ポリコレである理由

映画インサイド・ヘッド2』を見た。

実際に映画を見る前には、ポリコレへの反動で受けているらしいと聞いていて。見始めた段階では主人公少女イリー親友二人がアジア系アフリカ系で、

主人公が憧れるホッケーチームのコーチ黒人、憧れの選手ヴァルも(おそらくは)アフリカ系の混血、チームメンバーにもアラブ系など有色人種が多数なので

全然ポリコレじゃないか?と思っていたんだけど。

実際に最後まで見て分かった。これは紛れもない反ポリコレ映画だ。白人至上主義者に受けるのも納得。

何故ならこの映画全体をもってして、

白人有色人種から物を盗んでも許される」「白人有色人種よりも優れている」「有色人種は正しくなければ許されないが、白人は正しくなくても許される」

といった、白人至上主義的なメッセージを力強く発しているからだ。

話の作中で、主人公が参加した合宿の様子によって高校ホッケーチームに入れるかが決まりコーチノートにはその情報が書かれている事が分かる。主人公は夜中に抜け出して、コーチの部屋に侵入してそのノートを見ようとする。

普通はやめると思うでしょ!?実際、主人公の頭の中の感情達は止めようとして頑張っていたし。でも、感情達の奮闘空しく、ライリーノートの中身を見てしまう。

で、見てしまった以上はその事実告白して懺悔し、チーム入りは辞退するのかと思いきや……何と特にそういう事もなく、普通高校入学しておそらく選ばれたのであろうという所で終わり。

ノートを見てしまった事実は、エンドロールで両親に話そうかと迷う程度で終わり。えーー???他人の執務室に不法侵入して業務用のノート勝手に見るという行為は、この子にとってその程度の認識なの?憧れの職業の中には最高裁判事もあったのに……?

これって、白人にとって黒人の物(この場合ノートに書かれていた情報)を盗む事ほ何でもないという意識の表れなんじゃないだろうか?コーチ白人でも同じ事をしてたか

ホッケー白人スポーツと言われているらしい。黒人の身で名門チームのコーチにまで登り詰めた彼女人生にはどれだけの苦労があった事か。

また、主人公の憧れの先輩ヴァルはかつて合宿最後練習試合シュートを2本決めてチーム入りしたんだけど。主人公練習試合で最低でもそれと同じ2本か、もしかしたらそれ以上のシュートを決めている。コーチノートでは「実力不足」と書かれており、メンタルがガタガタで、試合中に誤って友達接触するミスをする程だったにも関わらず。

さらに、話の途中で主人公はそれまでに確立されていた「私は良い人」という自我を引っこ抜き、駄目な部分も含めた多面的自己確立させているけれど。

だけどこの、良い子でなくても許されるっていうのがまさに白人特権なんだよね。バッドガールでいても身の危険に晒されないのは、白人中流以上の家庭の出身で帰る所がある身分特権

映画の冒頭でライリー友達になったアジア系女の子グレイスは、学校貧困のための募金活動をしていて小銭をバラ撒いてしまクラスメイトから笑われている。これって彼女アジア系被差別人種女性から、当然のように「良い人」でないと生きていけないって事ではないだろうか(そして、それだけ頑張ってもなお笑い物にされる)。

もう一人の友達についても同様。同い年の女の子なら彼女だって思春期で、ライリーと同じように不安定でもおかしくないのに、作中の二人はライリー不安定さを親のように優しく受け止めるだけ。思春期少女同士ならばあってもおかしくはない、対等な感情のぶつかり合いなんていうものは描かれない。

映画エンドロールにおいてもライリーの両親の頭の中は描かれるが、友人達の頭の中が描かれる様子はない。有色人種の友人ごときは白人美少女承認欲求を満たすための道具であれば十分、独立した自我など不要、と言っているかのよう。

インサイド・ヘッド2』は、表面上は人種差別が存在しないかのように見える社会白人有色人種踏み台にして無双する、絵に描いたような反ポリコレ映画だと思った。だからトランプが再度大統領候補になるアメリカで受けたんだろうな。


結局、ポリコレかどうかを決めるのって単にマイノリティを出すかどうかではないんだよね。マイノリティをどれだけ出した所でその扱いが白人踏み台にすぎなければそれはポリコレとは言わない。

単に有色人種キャラクターが数多く出ている理由でもってこの映画ポリコレ認定するのは、男性主人公ハイスペック美女が群がるハーレム作品をもってフェミニズム作品認定するも同様だろう。

anond:20240813213951

まさに思春期って感じで大変微笑ましい。

10代ぐらいの頃ってある程度まともな家庭の人間しか出会わないし(正確には視界に映ってないだけだが)、何より自分世界の中心だと思ってるから、余計にそういう考え方しちゃうよね。

2024-08-13

三大カッコいい曲名

あと一つは?

2024-08-12

音楽はどこにも連れて行ってくれない。

雨の中駆け出す曲をいいなあと思っても、夕立ちに降られれば普通に気悪いし舌打ちしか出ない。

ロック鬱屈昇華だなんて言っても、「君」が出てくるだけで疎外感を抱く。

やたらと思い出の保存力が高くて、楽しかった時期に聴きまくってた音楽を久々に流せばその瞬間のムードが鮮明に蘇る。死にたくなる。

しんどい時に聴いてた曲を流しても、当時に戻ったかのごとく厭な気分が再生されて普通に気分悪い。

でもある日突然「分かる」事があるんですよねえ!

この進行や技巧がどうたら、歌詞解釈が云々。そんな理屈を全て差し置いて、ただ耳に心地良いだけのBGMだった曲が何かの拍子に心の奥の方をこじ開けてくる。思春期の焦燥のように胸がざわめいて、居ても立ってもいられない。

そんな瞬間がまた来るのを期待しちゃってるんですよねえ。

男性は〜〜」って主語を軽々しく使っている時点で弱者女性なんだよね

例の汗臭騒動を見ていて思ったけど、主語に「日本の男は」とか「クソオスは」とか言ってる人は「自分弱者女性です」って自己紹介をしてしまっていることを自覚したほうがいいと思うんだよな

普通に生きてりゃ恋人友達配偶者等など普通に尊敬できる男性出会

男性は〜」って主語を使って悪口を言った時点でその尊敬できる自分好きな人のことまで貶しているってことになるから普通に神経してたら男性嫌悪を公に言うことなんてできないんだよ

男性は〜〜」なんて悪口言ってる人間は「私の周りには尊敬できる異性の一人もいません」「私の周りの男たちはみんな当該の悪口に該当するようなクソ人間です」ってことを自己申告していることになる

「私の周りにはクソみたいな異性しかいません!」なんて、それ明らかに言ってる本人が性格悪すぎて異性の方から距離を置かれて嫌われているってだけの話だろ

社会性を持っていれば、まともな男もいればゴミみたいな男もいるし、素敵な女もいればクソのような女もいるってことに気づくでしょ

いい歳して「男はこれだから〜〜」みたいな、中学生思春期こじらせたような自意識している女は自分自分のこと振り返ってみてみっともないなって思わないのかな

自分の好きな恋人尊敬できる異性の友人を目の前にして「男性は〜〜だからクソ!」みたいな悪口言えるの?

2024-08-11

anond:20240811030646

お嬢さまシリーズほんと好き

変化に富んだテーマとキレキレのセンスが素晴らしかったな

当時としてはかなり珍しい、容姿欠点とみなされがちな個性を美点としてとらえる自然で温かな描写のお陰で、思春期容姿コンプをほぼ抱かなかったと言っても過言ではない

復刊は絵師選びに失敗して勿体なかった

2024-08-09

息子がチー牛ならチー牛と言ってあげてください。どうかお願いしま

チー牛が差別用語なのは百も承知なのですが、それを避けた結果生まれるのは私のような人間です。


髪も肌も整えることをせず服も買わずママに育まれプライド自分を変える努力を遠ざけつづけます

男にも女にもモテず、コミュニティに属せないため青春を楽しむことも、良い企業アピールできる実績も積めません。

思春期に深夜までアニメゲームにのめり込んだ結果身長は低く、頭もよくありません。今でも毎日アニメを見ています

仕事ができなさそうという一見評価から多くのチャンスを失います


私の両親は私の自己実現を常に応援してくれる本当に素晴らしい人間です。

その延長として周りからの見られ方や社会でどんな人間評価されるのかについて、一切何も言わないでくれました。言わないでくれやがりました。


チー牛という言葉認識せずにいれば、社会差別から逃れられるというわけではありません。

親がその差別を許す許さない考えることは自由ですが、あなたの息子さん娘さんは許されるわけではありません。

生物学的魅力で訴えられることはありませんし、犯罪になることもありませんから

ぜひ息子さん、娘さんのために差別できる側にしてあげてください。


現役チー牛からのお願いでした。

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