「喪主」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 喪主とは

2023-04-22

マルチ宗教で対抗した話(追記しました)

Twitterに書こうとしたら字数制限でめちゃくちゃ嘘っぽい文章になったので、こちらにお邪魔することにした(場所を変えたところで書き手は変わらないのだから、まともな文章になるかは微妙だが)。

最早n番煎じだが、知人からマルチ勧誘を受けた話である

書き手31歳の独身女性

大阪の街の中にはバス電車で1時間ちょっとの、中途半端田舎生活中。

うつ病発症以来、趣味ほとんど楽しめなくなったが、それまでは生活費以外のお金ほとんど趣味に使ってしまタイプオタクだった。

2023年4月13日大学同期生(以下A子)からLINEメッセージが届いた。近々お茶でもどうだという、遊びのお誘いだった。

4年制の私大(女子校)を卒業したのが2014年3月。確か入学時が1学年1学科100名程度だったので、一般的私大よりは学生数は少なめだったのではないかと思う。

A子は学科こそ同じだったが学籍番号(名前順)が離れていたので、座席や授業グループといった講義での接点は少なめ。ただ、私もA子も生息する沼は違うが推しグッズを持ち歩くタイプオタクだったので、講義で顔を合わせた時には軽く会話するようになり、校内の食堂で昼休みを一緒に過ごしたこともあったと思う。

その程度の関係性だったので、卒業後は「また会おう」なんて言いながら、一度も連絡を取り合ったことはなかった。

TwitterFacebookInstagramといったSNSでは繋がっていなかったので、卒業後の進路や近況は一切知らなかった。LINEだけは交換していたようだが、それまでにメッセージをやり取りした履歴は残っていなかった。昨年末頃に連絡していない人をLINEの友だち一覧や電話アプリから削除した際、トーク履歴も削除していたためだ。

そんな相手から9年以上ぶりに連絡がきた私は、浮かれていた。

幼少期から交友関係は狭めで、誰かと遊びたい時は自分から(かなりの葛藤の後にそれ以上の勇気を持って)誘わなければならなかった。学生時代、誘われるのはプレミアがつくくらい超レアだった。

なので、卒業から時間が経ってるのに私の存在を覚えていてくれたのね、と脳がしあわせを感じていたのである

冷静に考えればこの時点で9割なにかあると怪しむべきなのだが、私は舞い上がっていた。直近で都合がつく日を伝え、何も疑っていなかった。疑うという感覚すら持っていなかったと思う。

4月14日、私は祖母の付き添いで地元理容室にいた。店内には壁掛けのテレビが設置されており、昼のワイドショーが流れていた。店主や祖母との会話が途切れた時、ちょうどワイドショーテーマが変わった。

「○○社(マルチの社名)は明日15日、6ヶ月の行政処分期間が明け、新規会員獲得ができるようになる」といった内容で、言葉巧みな勧誘押し売りに注意を促す報道だった。

その社名は聞き覚えがあった。

20歳になったばかりの頃だ。幼稚園の時から知っている、最終的には高校同級生だった子(以下B子)が、誕生日のお祝いをしたいからと大阪カフェに呼んでくれた。

喜んで行ってみると、サプリメント等の健康食品化粧品を購入しないかという、勧誘活動だった。

カフェのお手洗いで戻すくらいショックだった。そういう会社があり、会員が多くいるのは、インターネット経由で知っていた。でもそれは外の世界の話で、自分がそういう目に遭うとは考えていなかった。それが幼稚園の時からしかったB子からなんて、想像もしていなかった。

挨拶もそこそこに飲食代を置いて逃げ帰り、B子と関わった全てのSNSブロックし、着信もメール拒否し、疎遠になった。

高校同窓会を断り続け、グループLINEにも入らないのは、この一件の衝撃が大きすぎたからだ。B子にとって私はカモだったのか、それとも純粋善意だったのか、今となっては知る由もない。善意だったとして、救いだったのはB子が一人で来てくれたことくらいだ。彼らの常套手段である囲い込みを最初からされていたら、上手く逃げられたかからない。

※ちなみにこれらを思い出した後、B子がどうなっているのか、怖いもの見たさでSNSを覗いてみた。旦那さんと子供がいる幸せいっぱいな母親像と共に、チャクラを開眼した精神世界住民になっていたので、そっ閉じした。

しばらく連絡のなかった相手から、突然会いたい等の連絡があった時は、身を守るためにまず疑いましょう。と、特集は締めくくられた。ニュースキャスターは次の話題に移る。

どこかで聞いたような話である

A子からもらった連絡を読み直した。「久しぶりだね、元気だった?コロナに負けない、健康にいいものがあるの。よかったら近いうちに会えない?」近況語りを省いて要約するとこんな感じだった。もっと早く気付けよ私。でももう会うと言ってしまったしな…、それに万が一A子がシロだったら申し訳ない。と、この期に及んでまだそんな淡い期待を抱いてしまっていた。

だが、少し冷静さを取り戻した私は、保険を用意することにした。探すのに手間取ったが見つけ出し、明日カバンに忍ばせた。

4月15日。朝から夕方にかけては別件で動いていた。大阪まで往復1000円以上出しているので、用事はなるべく一度に済ませたいのだ。哀ちゃんはあまりに可愛く、ミリオタには組織の懐事情が恐ろしかった。気づいたらパンフレットを購入していた。

そして待ち合わせの時間

やってきたA子は、仕事帰りだからパンツスーツだったので、別人のように感じられた。記憶の中の彼女は、当時の大学生が好んでいた「森ガール」の姿だったからだ。

挨拶を軽く交わし、場所百貨店内の喫茶店に移す。大学時代の、講義で印象に残った話や友人関係なんかを話してくれたが、私の記憶うつ病を機にぶっ壊れていたので、曖昧な返事しかできなかった。20〜30分ほど話して、A子はお手洗いに立つ。本当にただ会いたがってくれただけだったらしい、なんて油断が生まれかけたが、本題はA子が戻ってからだった。

会話が私の話題になる。自分のことを開示するのは気が引けた。慎重に言葉を選び、私のSNSフォロワーなら知っている内容を話した。

A子は私の「うつ病」というワードだけを拾い、苦労しているねと言った(そういう話ではなく、周りに支えられていると話していたのだが)。

そして始まる。予習していた通りの、営業トーク。このサプリメントを飲んでいたかコロナに罹らなかった、この化粧品細胞から健康になった等々「怪しい」が笑顔パレードしている。時折、私の身に起きた事象を織り交ぜながら、巧みに購買欲を刺激することも忘れずに(この頃私は呆れを通り越して飽きていたので、映画感想を思い出したりしていた。哀ちゃん可愛い)。

極めつけはブラウスの袖ボタンを外して見せてくれた、パワーストーンの珠数ブレスレットだ。これを身に付けてから会社での評価は鰻登りで、恋愛も上手くいき結婚秒読みその他諸々。あの日B子と重なる。同じだった。キラキラした純粋笑顔は、こんな欲にまみれた営業トークと共に見たいものではないのだ。話が一区切りした時、私はにっこりと微笑みながら、カバンポケットから保険」を取り出した。そして「保険」をそっとA子側に差し出す。

成功してよかったね、本当に嬉しいよ。いかなる時も、神は見ておられます。」

噛まずに言えたことを褒めたいと思った。

保険とは、名刺サイズカードである。なんとなく捨てづらくてとっておいた、以前某宗教宣教師さん(という肩書きでいいのだろうか?詳しいことはわからない)からもらった、コンタクトカードという名称のものだ。表面には「人生の疑問の答えは何処にありますか」という問い。裏面にはこの宗教法人のホームページQRコードと、手書き宣教師のものと思しき電話番号が書かれている。

A子は私とカードを見比べては、しまったと言わんばかりの顔をしている。掛かった。

「私が現在、病により仕事が思うようにできなくなっているのは、神が試練をお与えになったからです。私には乗り越えられると、神は言っておられるのです。」

「私には幸い、よき隣人がおります。神が与えてくださったよき出会い感謝し、彼らと共に歩むのです。」

「A子、あなたも私のよき隣人に違いないのです。何故ならばあなたは私が試練に耐えているこの時にやってきて、私の身の上を聞いてくださいました。理解を示し、体に良いものを勧めてくれました。あなたは本当に善人なのです。さあ、共に祈りを捧げましょう。A子と共に安息の地へ行ける日を楽しみにしていますよ。」

大体こんな内容のことを言った。もう少し長かったかもしれない。興が乗り、舌もよく回ったので、思い返せば支離滅裂古今東西宗派が入り乱れた最悪な内容だったが、A子は瞬く間に青ざめた。顔色が悪くなるって、彼女のことを言うんだろうなと納得できるくらいに。

ダメ押しで家のポストに入っていた某宗教勧誘チラシも渡しておいた。勉強会に来ませんか的なやつだ。一刻も早く離れたかったのだろう、A子は自分お茶代を出すと、明日用事があるからと言って、逃げるように帰っていった。多分チラシのことを言っていたんだと思う(読んでないから中身は知らなかった)。

まとめ

9年ぶりに連絡を寄越してきた元学友は、やっぱりマルチ勧誘だった。ここまで読んでくださった方は察してくれていると思うが、私は宗教に関して言えば不勉強である信仰心は全くないことはないけど、私は(だいぶ落ち着いたとはいえ)血の一滴までオタクなので、そんなことに金を使う余裕があったら、推しに貢ぎたいのである

そんな私の推し(FBIの腕利きスナイパー)も活躍する「名探偵コナン 黒鉄の魚影(サブマリン)」をぜひ劇場で観てください。

私は元学友がマルチかシロか考えなくていい状況でもう一回観たいと思います

追記

コメントいただきありがとうございました!

「見ておられます」ってコメントに、自分発言したのに「怖っ」って口から出ていました。

宗教観に関してですが、付き合いのある親族が多かったため、その分永遠のお別れもありました。その都度(関わったのは全て仏式だったので)読経があり、法話があり、最後のお別れがあり、お棺が閉じられ焼かれ、故人が骨壷に収まり、その先も月命日だなんだと法要がたくさんあり、墓への納骨を終えて、ようやく一区切り、という流れを子供の頃から何度となく見てきました(親戚付き合いの良し悪しの話ではなく、個人として貴重な経験を積ませてもらったと思っています)。この流れを何度か見ていると、幼いながらも生きること死ぬことに対する価値観形成されてきました。葬儀、祭儀は生きている人のためにあるのだと感じるようになりました。その後、宗教とは生きている人が生きていくために縋ることがあってもよいのだろうと考えていくようになります法話により心が軽くなった喪主を見てきたからです。救いを求める方向は人それぞれなのだろうと感じました(今問題視されている宗教の事案を軽視しているわけではありません)。

何が言いたいかと申しますと、私は宗教に大して明るくもなければ知識もないのに、神を騙り軽々しく利用した点に関して、時間がたった今猛省しております。ご不快に思われる方も少なくないと思います。真っ向から買わない付き合わないとB子宣言した際、しばらく執着されていたので、この時はこれしか逃れる方法を思いつけなかったのです。

もし本当に神様がいらっしゃるなら、アホな方法を取ることしかできなかった愚かな人間を笑い飛ばしてくれるような存在であってほしいと願うばかりです。

最後になりましたが、この話はマルチへの賢い対策法ではありません。マルチはすぐそこにいたよ、というだけの話です。賢い対策法は会わない、これに尽きます。誉めてくださったコメント、嬉しかったです。ありがとうございました。映画スピッツもすごく合ってたので観てください(笑)

2023-04-03

もう10年くらい会ってない母親が死んだらしいんだが

俺一人息子だけど、喪主やらないとダメかね……

相続とか一切放棄していいからもう一族郎党まとめて二度と関わりたくないんだが

2023-03-23

兄弟葬儀

彼は長男として色々な期待と重圧を受けながらも、両親からとても愛されて育ってきたのだろう。

兄弟だった彼は、幼かった頃は隣県に住んでいた事もあり、盆や正月には叔父と共によく遊びに来たものだし、私達も両親と一緒に遊びに行ったものだった。

ところが私が中学に上がった頃、叔父の転勤と共に簡単に往復できる距離ではなくなったこから、“もっとも、当時の我が家の状況を鑑みると、理由はそれだけではないようだが”彼との音信は完全に途絶えてしまい、無事就職が決まって今は勤務先の新潟に居るらしい、という事を叔父から伝え聞いていただけだった。

彼の訃報を受け、私は両親と共に叔父の元へ赴くことになったのだが、私達が斎場へ到着した時にはまだ親族関係者の誰の姿もなかった。

斎場職員に案内された通夜会場には故人の亡骸が納められた棺だけがあり、叔父の到着を待たずに棺の窓を開けて故人と対面した。

いたことに、十数年振りに見る故人は少なくとも私の記憶にある幼い丸顔の彼ではなく、彫りが深くてひげの濃い、独身だった頃の私の兄と瓜二つの容貌だった。

甥の顔を久しぶりに見た両親も、死に化粧所為かもしれないが、と前置きしつつ、本当に寝ている兄のような顔だと。

気がつくと叔父は私達の後ろに立っていた。

正確に言えば会釈するまで、“少なくとも私は”叔父だということに気づかなかった。そのくらいにやつれてしまっていたのだ。

故人の仕事を後押しして遠方に送り出した叔父は、何度も何度もうわ言のように後悔の言葉を口にするばかりで、先に到着していた私の兄と叔母の弟に辛うじて支えられているような状態だった。

その日の夜行われた通夜には、身内だけだと言いながらも、叔父夫婦関係者のみならず、沢山の故人の同級生や友人達が訪れ、予想していなかったのであろうか、叔父は引きつった表情ながらも、その日一度だけ笑顔を見せた。

通夜が終わった夜遅くに私達は叔父夫婦に家へ招かれ、二人は故人の思い出話、そして故人の最後と、再び自分の後悔の言葉を口にした後で、長男に先立たれた現実を、まるで自分達に言い聞かせるように話してくれた。

実は私の両親は、今日まで叔父の家を一度も見たことがなかった。

叔父には、一度だけでも兄夫婦に自らが努力の末に築いたささやかな城を見て欲しい、そういう思いがあったのかもしれない。

実は数年前、私は一度だけ妹を連れ、叔父の家に遊びに行ったことがある。その時故人はおらず、叔父夫婦が私達の相手をしてくれた。

当時の記憶は薄れ掛けていたが、部屋を案内されて少しずつ思い出してきた。

しかし、リビングキッチン荷物が散乱した様は几帳面な筈の叔母のそれではなく、二人の心境をそのまま表しているのが見て取れた。

その後、叔父は一人葬場へ戻り、冷たくなった息子と一緒の最後の夜を過ごした。

翌日の告別式の席上、叔父喪主挨拶の途中で言葉を詰まら号泣したが、振り絞るような声で最後まで読み上げ、叔父、叔母、叔母弟の家族一同で深々と弔問客へ頭を下げた。

皆で献花台の花を分けて棺に詰めて故人を飾ったのだが、沢山の花と思い出の品で個人の顔以外が埋め尽くされた棺の蓋を、叔父夫婦は中々閉じることができなかった。

火葬前にもう一度お顔を見られますから、と葬儀屋に促されてようやく蓋を閉じ、友人と親族で棺を黒い霊柩車まで運んだ。私も棺を持った一人なのだが、両手で抱えた棺は青年となった故人が納棺されているとは思えない程に軽かった。

故人と喪主は黒い霊柩車に、その他はマイクロバス揺られ、住宅街を抜けた郊外にある広い霊場に到着した。

途方も無く広くて、幼い子供たちが芝生の広場で遊んでいる、公園と見紛うような穏やかで緑豊かな風景が.だからこそ余計に、冷たい打ち放しコンクリートの壁で覆われた霊場の中で、故人の棺を囲む我々との落差を大きく感じさせる。

最後に皆で別れを告げ、叔父夫婦もしばらく名残惜しそうに棺の蓋の窓を開けて顔を見つめていたが、叔父が意を決したように閉じ、そのまま故人は荼毘に付された。

火葬が終わった後に行われる骨上げは、当然ながら丁重に死者を敬って厳かに執り行われる儀式であるが、この霊場における骨上げは、霊場職員ステンレス製の台に乗せられた遺骨の部位一つ一つを細かく説明しながら骨壷に納めていく、という正直なところ厳かとは少々距離を、いや、ある意味では場違いエンタメ性すらも感じさせるもので、さながらテレビで見る検死のワンシーンか、解剖実習のようにも見えた。

詰め込み始めて間も無く、若かった所為もあって立派な故人の遺骨は骨壷に納まりきらないだろうことが、誰の目にも明らかに映った。

目の前で全てを納めるように親族一同懇願したのだが、霊場職員は、納めるには遺骨を砕くしかないですが、と説明し、少々躊躇った後で、遺骨を擂り粉木のような棒を使ってバリバリ音を立てて潰しながら骨壷に詰め込み始めた。

“恐らくこれは霊場ではよくある光景に違いない”とはいえ、私でさえギョっとしたそれは、叔父夫婦にはたまらなく暴力的に映ったのだろう、叔母は声にならない悲鳴を上げて顔を真っ青にし、叔父はたまらず席を外してしばらく骨上げの場に戻れなくなってしまった。

しかしながら、骨になって無残に打ち砕かれた息子に背を向けて震える叔父にも、今にも卒倒してしまいそうな叔母にも、声を掛けられる者は、私を含めて誰も居なかった。

ただ骨を潰す不気味な音だけが響き、霊場職員は黙々と骨壷に遺骨を詰め込み、皆無言のままそれを見つめる他無かった。

来場した時と同じバスに揺られながら、来た道を骨壷を抱えて斎場まで戻るとすぐに、父は叔父夫婦に手短に別れの挨拶を告げ、足早にその場を後にした。

時間が迫る訳でも無い筈。いくらなんでも実の弟になんと冷やかな…そう私は思いながらも叔父達に頭を下げ、父の背中を追って車に乗り込んだ。

すると父は、私の気持ちを察したように車内で私と母に、こう諭した。

冷たいかもしれないが私達が居ても何の慰めにもならない。他の親族の足止めになるだけだ、と。

実は、集まった親族の顔ぶれは叔母関係者が中心を占め、叔父側で駆けつけたのは私達と兄だけという、どちらかというと叔母側の意向が強く見て取れる葬儀と、叔父夫婦現在関係性は薄っすらと私にも理解できていたが、父はこの場においてもその事について一切触れなかった。

そして悲嘆に暮れる弟に対する同情の言葉を口にし、人のために涙する父の姿を生まれて初めて見た。

故人の命日は何の因果誕生日の前日、24年と364日の本当に短い人生だったが、彼にとっては辛くて長い戦いの日々だったのかも知れない。

故人の御冥福を謹んでお祈り申し上げます

実家に戻ると家を空けていた間に、少々痴呆気味で放って置けない祖父の面倒を見ていてくれていた妹が迎えてくれた。

両親に促されて、“もっとも、父も母も叔父と会話できるような心境になく、私にこの役目を押し付けただけなのかもしれないが”無事帰宅したこと叔父電話で告げると、本当に良かった、と喜んでくれたが、これから色々と大変でしょうが…と言ったきり私は言葉が続かなかった。

私の様子を察したのか叔父は、今日ありがとう、それじゃあ、とだけ言い、電話は切れた。後日私の兄から聞いた話では、電話の後すぐに叔父は眠ってしまったらしい。

この3日間殆ど眠れていなかったのだから当然だろう。

叔父長男との淡い思い出を夢に見ながら目を閉じたのか、それともこれから差迫るであろう、暗い現実想像しながら横になったのかは、私にも分からない。

※ 一部修正しました。

2023-03-20

anond:20230320222931

葬式喪主がお客なので。だいたいの喪主は2回目がある。

2023-02-28

祖父母お葬式

社長祖母が亡くなってお葬式に出るために帰省して3日ほど休むらしい。

お葬式土曜日休み明日から社長40代なので祖母大往生らしい。

そんな中、現在弊社は社長肝いりプロジェクト大炎上してて年末年始からほぼ休みなく連日深夜まで働いている状況。

そういう状況で一番最初社長自身が休むことにモヤモヤしてる。

いや、家族大事だよ。それは分かる。

でもさ、喪主じゃないじゃん。孫じゃん。一緒に住んでないじゃん。

何よりお前のせいでみんな休んでないじゃん。

休むなら土日にしろよ。と、言いたい。

そんなこと言ったら家族を大切にしない心の狭い屑野郎みたいに言われそうだから言わないけど。

嫌なら辞めろだよね。転職活動始めよう。

2023-02-27

若いうちの結婚メリットデメリット

20代前半で結婚して8年経ったので、若いうちに結婚して良かった点と悪かった点をランキング形式で発表する

まずは良かったこから

3位 自分が選んだ人が家族として常に家に居てくれる

めちゃくちゃ幸せ

時期や日によって割合は変動するが、おおむね4〜3割の恋愛感情と6〜7割の家族愛でいっぱいの状態が8年ほど続いている

自分配偶者も、これからもめちゃくちゃ幸せでいられるように努力したい

2位 恋愛土俵から早々に離脱できた

これは共感してくれる人が多いはず

服装髪型趣味仕事、何を取っても常に付きまとう「女ウケ」「男ウケ」の土俵から、21歳で降りることができた

自分恋愛劣等種であることを自覚しないうちに結婚できたことは、自分人生において大きなメリットになっている

1位 各種事務手続きがかなり楽になった

特に、何においても付きまとう緊急連絡先欄に悩むことがなくなった

今後もしもどちらかが入院することになっても、当然のように家族として扱ってもらうことができる安心感がある

考えたくはないが、配偶者が亡くなった時は自分喪主を務められる確率が高いし、自分が先に亡くなった場合でも配偶者に優位に遺産を残しやす

男女二人が生涯共に生きていく上で家族という肩書は本当に便利だと思った

悪かったこ

3位 結婚式を勧められる

結婚式どころかフォトウェディングも準備諸々の面倒くささが勝り結局やっていないのに、結婚して8年経っても未だに言われる

別に勧めてくるだけなら構わないのだが、拒否する度に「もったいないよ」と言われることが本当に面倒くさい

まり人の選択否定しないでほしい

2位 不倫目的の異性が寄ってくる

恋愛土俵から降りたと思ったらこれだよ

死んでほしい

1位 子どもの有無を詮索してくる人々

若いうちに結婚した夫婦は本当にここをネチネチと詮索される

噂話に尾びれがつきまくり死産過去を持つ悲しい人間扱いされていた時は笑った

妊娠出産どころかブライダルチェックも妊活不妊治療したことがないし、言ってしまえば興味がない

面倒くさがりな性分と思想上の都合で生涯子なしを貫くつもりでいる自分にはあまり関係ない話なので、聞き流すようにはしているものの、いかんせんこの話題になると「聞き流す」という態度そのものが気に食わないらしい人間が多くて困る

若い結婚を控えている人はご参考に

2023-02-17

親の葬式喪主をしたくないから親より早く死ぬ

親の葬式喪主が大変だ!というnoteがバズっている。

最近、私も母方祖父を急に亡くした。

残された祖母は茫然自失状態で、結局私の母が喪主をしていた。とにかく大変そうだった。悲しむまでもなくやるべきことが押し寄せてくる様は。故人に近しい筈の人間が悲しむ暇もないってどういうことだよ、という感情を禁じ得なかった。

ところで、祖父母と母の関係性は、あまり良くなかった。孫だった私にとっては優しいおじいちゃんおばあちゃんだったが、まだ幼い私が祖父母の家で甘やかされると、明らか母は不機嫌になり、祖父母の家から帰ると私はよく何かと理由をつけて折檻を食らっていた。最近、お互いが歳をとったことでようやくいろんな感情に収まりがつきつつあったようだけど、たぶん祖父に対しての母の感情は、結構複雑なものがあったように思う。

でも、祖父は急にいなくなってしまった。家族葬だったとはいえ親族集落(ど田舎なので)の人たちが焼香や弔問に来て思い出話をしていくし、喪主なので親族代表で母は挨拶をする。死んだ人のことは誰も悪く言わない。母も無難挨拶をした。通夜火葬葬儀を経て、勝手に残された人たちの思い出話の中で、「良い人だった」というラベル祖父に貼られていくのを見ていた。先述の通り私にとっては優しいおじいちゃんだった。でも、わだかまりを持ったままの、娘だった母は、勝手に綺麗なイメージに書き換えられていく祖父像を、どう見ていたのか気になった。

そしてタイトルの話。

祖父母と母の間にいろいろあるように、お察しの通り私と両親の間にも、いろいろある。今は距離を置いて暮らしているし、たまに電話で話し、たまに実家に帰るくらいの距離感でいられるから穏やかだけど、特に母と私は、一つ屋根の下で暮らすには絶望的にたぶん合わない人間だった。許せてないことがたくさんある。でも、この距離で落ち着いている今いちいち掘り返すのは面倒くさい。

でもいずれ両親がなくなったら、喪主をやるか、兄弟喪主を託せても弔いの場にはいなければならない。その時葬儀に来た人たちが勝手に両親に「良い人だった」のレッテルを貼っていくのだろう。もちろん「良い人」成分も間違いなく私の両親だろうが、それでコーティングされた中身に、結構さんざんな目に遭わされてきた。それを知らない人にはなかったことにされてしまうし、死んだ人のことを悪く言う人はいない。

私はたぶん、それに耐えられない。

親の葬式なんか絶対あげたくない。

から親よりも先に死ぬ。そう決めている。

2023-02-14

東映社長手塚治さん死去 「スケバン刑事」「科捜研の女」手掛ける

喪主喪主は母美津子さん

この名前喪主が母、私生活情報なし

気の毒にな

2023-01-31

anond:20230130040118

「独り身で身内に面倒をかける厄介な親族」「多かれ少なかれ迷惑がかかるのは姉弟なり甥や姪らなのだ。」について、葬儀社の立場からアドバイスするよ。

終活成年後見制度を使おう!他人行政書士)にフルお任せ可能

老人ホームの入居~葬儀の手配まで、全部行政書士に任せて亡くなった方の葬儀をたくさんお手伝いしたよ。来る日のためにお金貯めたり情報収集していれば大丈夫

葬儀代と行政書士報酬で100万円あればなんとかなるよ。

・甥姪も相互扶助精神で看取り手伝ってくれること多いから、生前関係構築に今から力を入れよう。

遺産が残せそうならなおさら。私は大叔父祖母の弟)が高齢独身だけど、遺産ももらえるし長いこと可愛がってもらっているから喜んで大叔父サポートしてる。

既婚だとしても子供いるかからないし、結婚歴問わず子供いない方の葬儀はだいたい甥・姪が喪主やってくれたけど、面倒だな~~って感じになってる葬家見たことない。

これからは一人で死ぬ時代!!!自分の面倒を見てもらうための結婚なんてしなくて大丈夫!!

漫画好きなら「ひとりで死にたい」っていう漫画コミックデイズで無料連載)に書いてあるから、参考に読んでみて。恋愛できない悩みは置いておいて、その先にある孤独を恐れるのはもったいないから気にするな!!!

2022-12-04

おじいちゃんの話。それから

https://anond.hatelabo.jp/20221121085518

 あっというまに、2週間が経ってしまった。

 忌引で仕事を休んだりしたのでまあ周りも知っていることなんだけど、あんまり気を遣われたくなくて、でも誰かに聞いてほしいのでつらつらと書く。おじいちゃんは本当に最後までマイペースだったし、面白い人だった話を、どうか暇な人は読んでいってほしい。

 11/21のお昼前、母方の実家に着いた。

 突然つれあいをなくしたおばあちゃんは、久々に孫であるわたしの顔を見て笑ってくれだけど、足取りがおぼつかなくて、ただでさえちっちゃい(身長、145センチしかない)身体ますます小さくみえた。「おじいちゃん、座敷にいるから会ってあげて」と言われたので向かう。布団に、顔にかけられた白い布。それを見たらぐっと目が熱くなった。布を取ると、眠ってるみたいなおじいちゃんの顔。この家で夕ご飯を食べると、おじいちゃんお酒を飲んで、その後一緒にテレビを見てるといびきをかきながらうたた寝をしてしまう。そんな時の顔だった。声をかけたら起きてくれそうなのに冷たかった。

 その日の夜、おじいちゃんの家でお通夜をした。数人だけど親戚も来るということで、玄関を掃いておこうと、箒を探しに納屋に入ると、使いかけの肥料や、明らかに「まあどうせ明日も使うしここら辺に置いておくか」って感じで適当に置いたらしい鍬、何日に白菜を収穫するとか来年の作付をメモしていたホワイトボードがあって、ああ、おじいちゃんにとってもこれは急なことだったんだなとぼんやりと思った。

 枕経に来た菩提寺住職さんは、わたしとそう歳の変わらない、若いひとだった。お経をあげてもらい、納棺をする。旅支度をさせて、花をいれて、孫全員(私含め6人いる)の手紙をいれ、お気に入りだったシャツをいれ……その過程で、ずっとぼんやりしていた祖母が棺に取り縋って泣き出した。まだ祖父が死んだ実感が薄かったわたしも、さすがにその姿を直視できなくて目を逸らしたとき、視界の端で住職さんがしきりに鼻をすすったり、マスクを直すふりをして目元を拭ってるのが見えた。なんでも、婿養子として今の寺に来た時に、ちょうど祖父檀家の総代をしていて、祖父はそれこそ孫と歳の変わらない若い彼のことを気にかけて可愛がっていたらしい(親戚談)。きっと仏門に入った人にとって、通夜葬儀日常茶飯事だろうに、その人がそんな感情に呑まれるくらい、祖父は面倒見のいい人だったらしい。妹や従妹もその住職さんが泣いているのを見たらしく、後々孫の間で「もしかしたら他所にも孫みたいな人が他にもいるのかもね」なんて話した。

 その翌日は友引で、葬儀は次の日に延ばし、火葬だけを行った。この日もおじいちゃんはなかなかやらかしてくれた。おじいちゃんを乗せた霊柩車が家を出る時は、集落中の人(ガチ限界集落である)が見送りにぞろぞろと集まって、見送ってくれた。ちょっと壮観だった。

 本来こういう時は霊柩車の後ろに、参列者を乗せたマイクロバスがついてみんなで火葬場に行くものだと思う(というかわたし経験した葬式ってそういうのしかない)んだけど、コロナ禍だし、あとあんまりにも急すぎて来れる人も少なかった(田舎だし、みんなお年寄りなので、足が確保できないと来れないのだ)ので、うちや叔母の家の車3台に分乗して、火葬場に向かった。

 しかし、せいぜいどんなに安全運転しても20分くらいで着くはずの火葬場になかなかつかない。道中の信号うまいこと全部赤で引っかかるのだ。わたしの母は三姉妹の長女で、まだ心ここに在らずな状態祖母と連名で喪主をしていたため霊柩車に乗っていたが、わたしが「おじいちゃん、よっぽど行きたくないんだな……」と言うと父は「だろうな……」と深く頷いていた。

 30分以上かけて火葬場に着いた。そこからはさすがの祖父ももうどうにもできず(?)あっという間で、その後2時間もしないうちに、祖父は骨になった。若い頃(といってもわたしが見た記憶があるのでめっちゃ若いわけではない)に建築業についていて、屋根から落ちて骨折した時に手術していれたボルトがしっかり焼け残っててびっくりした。手先、足先の細かい骨は、年齢もあってさすがに……だったが、大腿骨や肩の骨はがっちりしていた。祖父はこの年齢では背の高い人だった(たぶん170センチ越えてた。祖母と並ぶと身長差がすごかった)のに、結局のところ、最後には母が抱えられるサイズの骨壷におさまった。「こんなに小さくなっちゃうんだね」と母がつぶやいた時は、なんで言っていいのかわからなかった。

 帰りはそんな祖父を抱えた母もうちの車に乗って、また3台の車で祖父の家に帰った。霊柩車で来る時に通った道を避けて帰る、ってのは全国共通風習なのかな……?だから、来る時よりは少し遠回りになる……はずだった。でも20分で帰れた。なんせ信号、全部青。骨壷を渡された時の母の顔はさすがに見ていられなかったけど、祖父の家の屋根が見えてきた時に母は、「帰りはあっという間だったね……」と困ったような笑みを浮かべていた。おじいちゃん、どんだけおうち好きだったんだよ……。

 そして11/23菩提寺葬儀をした。

 家族葬だったけど、焼香をしにたくさんの人が来てくれていた。みんな、新聞のお悔やみ欄で見てとるものもとりあえず大慌てで……って感じで来てくれていた。「入院してたのか?!聞いてないぞ!」と言う人もいた。病院には1泊しかしてない、本当に急だったということを何遍も説明する母は、最後のほうはさすがに疲弊していた。ちなみにこの日は大雨だった。無口な従弟がぼそりと「未練あり過ぎだろうが」と言っていた。それな、と返した。

 式自体は身内だけで行って、このご時世だから会食は無しで折り詰めを持って帰ってもらい、また骨と、遺影と、白木の位牌と一緒に祖父の家に帰った。

 とりあえず自分達も折り詰めを食べながら、母は葬儀屋と四十九日の日程をつめ、その後も墓石屋や位牌の手配、この後家に直接弔問に来てくれる人への対応の打ち合わせを叔母たち(と、まだどこか虚ろな顔をした祖母)がやっている時、まだ細々とやることは残ってはいるがひとまずは一通り終わったね、お疲れ様だったね、という空気が流れつつあった。

 でも、ここで終わらないのがおじいちゃんだった。突然この家の固定電話が鳴った。

 母が電話を取ると、相手は伯父(父の兄。他県で父方祖母と一緒に住んでいる)だった。葬儀に花を出してくれたり香典も出してくれたから、今日葬儀だったことはわかっていたはずだし、なんだか様子がおかしい。泣いてるのか笑ってるのかわからない声で喋っていた(母談)らしく、何かあったのか母が(たぶん疲れもあって)少し強い口調で問うた。その返事は、

「○○さん(祖父)からさ、たった今、林檎が届いたんだよ」

 だそうだ。

 祖父は交友関係は広いがそれぞれ相手マメな人だった。うちの父方の親戚に対しても、季節の果物特産品なんかを折々に送っていた(向こうからもよくお返しも来ていた)。この時期は林檎(ほぼ出身地がバレるな……)を、他県の親戚や知り合いに毎年毎年手配して贈っていて、それが、葬儀をやって当の本人極楽浄土に送ろうとしていたっていうのに、それがちょうど終わったタイミング相手に届いた、ということらしい。……それは普段無口な伯父さんも、反応に困っただろう。「○○さんから最後の贈り物だから美味しくいただく。冬にはこっちから蜜柑を送るからよろしく」ということで電話が終わり、私たちは大きく溜息をついた。「たぶん、この調子だともう何軒か送ってそうだなぁ……」とみんなで笑い合った。

 さすがにちょっとしんどかった。

 あまりにも急すぎた。呆然とした祖母を見るのが辛かったし、その祖母の代わりに喪主仕事を引き受けるためにずっと張り詰めた顔をしていた母を見ているのも胸が痛かった。出来ることしか手伝えなかったけど、母から葬儀が終わった後に「あんたら(私や弟妹)がすぐ飛んできてくれて本当に助かった」と言われた時の弱々しさが心配で、結局今いる自分の家に戻って来れたのは11/25だった。

 だけど、そうして過ごす中にも、ふと思い出す祖父の話(孫相手に遊びにムキになったり、高校生の叔母が夜遊びしてぶっ飛ばされた話だったり)や、こうして亡くなった後にもなんだか面白いことをしてくれるおじいちゃんのことを話せる相手は、なかなかいない。

 でも、顔を知らなくて、こんな長文をここまで読んでくれる人に、ちょっとでも聞いてもらえたらなんだか心持ちが楽になる気がして、あと、悲しいだけではないって気持ちになれると思ったので、こうして文章にしてみた。

 読んでくれて、おじいちゃんのことを知ってくれて、ありがとう

余談。

 わたしが今の家に戻る前日、仏具屋に母と行って、位牌のカタログをもらって祖母の家に行った。その後数日、祖母カタログを見て、あと母が撮っていった店頭にあった位牌の写真も見て、散々悩んだけど、そのお店で一番よく出回る、スタンダードものを選んだらしい。「それでいいの?」と母が訊いたら、「わたしが死んだ時は、お父さん(祖父のこと)とお揃いの位牌にしてほしいから。これならすぐお揃い作ってもらえるでしょ」と言ったそうな。お揃いの位牌。ちょっとパワーワードだな、なんて思った。でもさぁおばあちゃん、そんな早くいったらおじいちゃんたぶん額に青筋立ててめっちゃ怒るから、もう少し一緒にいてほしいな。お正月には会いに行くからさ。

2022-11-23

アーニャ可愛い

知り合いに言われてスパイファミリー見始めた。

ほのぼのアニメの筈なのに、アーニャ目線になると涙が出て来る。

幸せな話の筈なのに、ヨルさんが亡くなり喪主として気丈に振舞うアーニャが見たいと思ってしま

2022-10-31

anond:20221031224229

葬儀をしたからには喪主がいた訳で

喪主になった人側の気持ちも聞きたい所だな

葬式喪主は誰がやるべきか

先日、ご近所の親父さんが亡くなった。

慣例に倣い喪主はその息子が務めるのだが、親父さんの奥さんはまだ健在であり、また病気とかそういうわけでもなく健康に過ごしている。

これだけ男女平等がどうとかジェンダーがどうとか叫ばれている昨今、果たして喪主は息子がやるべきなのだろうか?

フェミニスト的にはどう考えているんだろうか?

そんなことをふと思った。

2022-10-29

生きろと願ってくれるだけで構わない

私はこれ以上の幸福を望むつもりはない。

死ぬことも考えたが、それは止めた。

私は自死は選ばない。

朝令暮改申し訳ないが

私はこの病を克服しなければならない

世界残酷かも知れないが、それに終止符を打つのは今ではなく未来自分でもない。

医者意図不明だが

私には家族がいてぼんやりと「喪主にはさせなくないな」「喪中葉書を出させたくないな」と思ってしまった。

生命倫理について、たっぷり考える時間だった。そしてそれはまだ終わっていない。

生きたいとそう願うことは罪ではない筈だと平穏に触れて考える。

2022-10-13

自分葬式見てみたい

特に鬱だとか、希死念慮とかあるわけじゃない

好奇心100%自分葬式見てみたい

誰が参列するのかとか、独身なのに誰が喪主やるのかとか気になる

いやそもそも葬式やるのか?うーん気になる 

2022-10-02

安倍弔辞を菅が参照してなにかアカんの?

ホッテントリ入りしてるリテラ記事ブコメ

本歌取りとかオマージュとか、そういうことと、大差なくない?

結婚には3つの袋が…”じゃないけど、儀式あいさつなんて、そんなにオリジナリティ重要

おれは、“桜の木の樹皮を煮込むと桜色の染料ができる。地味な茶色みえる樹皮にも桜の生命は息づいているのだ”という主旨のエピソードを、中学高校の朝礼かなんかでそれぞれの校長から聞いた記憶があるが、まあ世の中そんなものだ。

しろ、“安倍葛西紀之のために書いた弔辞”なら、菅はよく知ってたんじゃね?友人であり上司と部下だったわけだし。

つい最近国葬喪主の件が増田で指摘されて、図星つかれたはてサが猛反発してたけど、なんかアベガはてサってずれてるよね。

あ、言っとくけどおれは国葬反対だったし、安倍も菅も嫌いだし支持もしない。

だけど、アベガはてサも好きじゃない。

だって無能な味方”は“身内に潜む敵”だからある意味で一番タチが悪いやつ。

やつらが跋扈すればするほど、“安倍氏を支持しなかった人って、変だよね”が強まるだろう。

多くの若者が反安倍に向ける冷ややかな視線は、そういうことだろ?

あと、リテラ

お前らには“愛の反対は憎しみではなく無関心”という言葉を贈っておく。

この言葉、長らく“マザー・テレサ言葉”とされてたのはデマらしいけど、そんな出典探しは今はどうでもいい。

安倍関連に熱意を持ちすぎ。

もう奴は死んだんだよ。

あとは、静かに眠って二度と蘇らないように祈っとけ。

2022-10-01

anond:20220930085847

規定がないので昭惠氏が喪主をやるべきとも言えない」なんて方向から攻めてる往生際の悪いのがいるが

規定がないならそもそも昭惠氏で「問題がある」とも言えないやんね

自分行政か何かのお偉いさんで「国の儀式において規定がないものを決定する権限がある」という妄想にとりつかれているのか

さっさとシコって寝て欲しい

2022-09-30

昭恵夫人喪主”にケチつけるはてサ非常識


一部のはてブをみてると、安倍総理国葬昭恵夫人喪主を務めたのが気に入らない人がけっこういるようだが、社会経験がないお子ちゃまなのかアホなのか。

あのね。喪主ってのは遺族がやるの。

家族葬とか一般的個人葬式だと喪主ってのは遺族代表葬儀主催者みたいな位置づけだけど、社葬とか大きな組織団体葬とかだと、普通は“葬儀委員長”ってのを別にたてて、葬儀委員長が喪主のかわりに葬儀全般を取り仕切るの。

はてサはわりと年齢層たかそうだけど、取引先の社葬とか、いったことないの?

遺族でもない社長とかが喪主やってたら“なんなんだ?この会社”と常識ある大人は思うのよ。

同族会社の先代の葬式で、社長喪主だったりすると、別に番頭格の人が葬儀委員長やったりするのよ。

国葬なのに昭恵夫人喪主なんておかしい”と主張するおこちゃま達は、誰が喪主だったら納得したの?

岸田総理

いやいやいやいや。

もし岸田総理喪主になってたら、それこそ大騒ぎだったろうよ。

“お前は安倍家に養子にでも入ったのか?”

日本政府はもう安倍家の遺族も同然ってこと?”

安倍氏は日本人すべてのお父様ということなんだろ。岸田は全国民代表した長男ってことだよ”

みたいなことになってたはずである

今回の国葬では、喪主は遺族を代表して昭恵夫人主催者トップとして葬儀全体を取り仕切る責任者である葬儀委員長は岸田総理

国葬として安倍氏の葬儀をやるなら、まあ常識的にはこうなるよね。

ちゃん国葬の中のアナウンスではずっと“岸田葬儀委員長”といってなかったっけ?

もうね、“ああ、国葬反対するような奴ってのは非常識野郎なんだな”って思われるだけだから、少し静かにしてたら?

いや、そう思わせるのが目的なら仕方ないけど。

anond:20220930085847

・一度葬式して、無宗教儀式喪主ってどういう概念なんだろう

・わざわざ骨持ってきて、骨に挨拶しつつ、献花するってのは、どういう儀式なんだろう、これは日本の伝統なの?

そもそも喪主ってなんなの? 仏式用語? 神式でもある? 欧米葬式にそんな概念あるの?

・巨大な遺影をドカンと置くのって、なんの伝統? 中国とか北朝鮮とかではやりそうだけど、東アジア伝統なんだろか、なんかコントみたいだったよね

anond:20220930085847

喪主って概念日本仏式葬儀概念だろ。特定宗教色を減らすため遺族代表とでもすべきだった。

ま、アメージンググレース流して相殺してたようだがなハハハ

anond:20220930173907

国葬とは何か。

戦前には国葬令にもとづく「国葬」があった。

これは「国家に功績ある臣下が死去した場合天皇が指示して行う葬儀」のことだったが、

国葬令が廃され、天皇主権者ではなくなった以上、戦前の「国葬」は完全に断絶したと言っていい。

直近の安倍晋三の「国葬」を除けば、戦後に行われた「国葬」は吉田茂の一例のみである

その「国葬」は、国民要請したわけでも、もちろん天皇が指示したわけでもなかった。

当時の総理大臣であり自民党総裁であった佐藤栄作の「強い意向」で決定されたものだった。

言うなれば自民党の偉い人を称えるために自民党の偉い人がやりたくてやったものである

知ってのとおり、国会で決められたものでも、法律で定められたものでもなかった。

無理を通してやったから、野党への根回しに随分と苦労したらしく(でもちゃんと了承を得てるんだからまだ偉いよね)、

国葬」の名を冠してはいものの、「国葬」そのものではないので、正式名称を「国葬」として誤魔化したりしている。

極端に言えば「自民党内閣国葬だと称する謎の儀式」にすぎなかったのである

佐藤栄作が死去したとき吉田茂と同じく「国葬」が検討されたという。

しかこちらは退任後3年しか経っておらず総理大臣としての評価が定まっていないことや(安倍は…?)、

国葬法的根拠がないままだったこと、また野党の反対などもあり、「国民葬」という形となった。

国葬」と「国民葬」の違いは何か。

簡単に言えば「国葬政府がすべての費用税金で賄うが、国民葬は一部を国民有志の寄付により賄っている」である

まり純粋にカネの出所問題になっているわけだ。

税金100%だと反対が大きいから、寄付を募ることでちょっと税金割合を減らして誤魔化す。

国家儀式から税金を使う」という手段目的が転倒して「税金を使えば国家儀式になる」とでも思っているように感じるね。

大平正芳が急死したときに、特に「現職の総理大臣として亡くなったから」という理由で、「内閣自民党合同葬」という形で葬儀が営まれた。

これは文字どおり政府自民党が金を出しあったものである

国民有志」は金を出していないから「国民葬」ではない。

やはりカネの出所問題なのである

以降、現職かどうかにかかわらず、自民党首相経験者の葬儀を「内閣自民党合同葬」で行うことが、しれっと慣習化したという。

こうして見ると自民党は、

国葬からすべて国家予算負担する」

国民葬だから一部を国家予算負担する」

「現職の総理大臣葬儀から一部を国家予算負担する」

首相経験者の葬儀から一部を国家予算負担する」

と徐々に範囲をズラしながら国家予算支出正当化してきたように思える。

しかしながら、本質的に「自民党の偉い人を称えるために自民党の偉い人がやりたくてやるものであるところは変わっていない。

たとえば不謹慎仮定だが、民主党政権時の総理大臣経験者がたったいま亡くなったとして、

岸田内閣が(「国葬」でないにしても)その葬儀国家予算を出すことはありえないだろう。

国葬」「国民葬」「合同葬」などはどこまでいっても「自民党セレモニー」でしかない。

にもかかわらず、「国葬」などと称することで、あたかも「国家の重大な儀式であるかのように装おうとしているのである

まさに自民党による「国家儀式私物化」と言うべきである

今回の「安倍晋三国葬儀の喪主主催者を誰が務めるべきか」という問題場合

国葬」が本当に「国家儀式」なのであれば、安倍昭恵がつとめるべきではない。

安倍昭恵はただの民間人なのだから

(ちなみに安倍昭恵が「私人であることは安倍内閣閣議決定されている)

にもかかわらず喪主安倍昭恵が務めるというのは語るに落ちている。

国葬」がパブリックなのは名称国葬」「税金を使っている」といった表面的な部分だけで、

本質的には自民党プライベート儀式にすぎないのだ。

自民党公私混同ここに極まれりといったところではないか

しか自民党支持者にとってはむしろ公私を混同したほうが良いのだろうなあ…根本にあるのが「安倍さんは頑張ったから盛大にお葬式してあげたい」という「私」マックスお気持ちなので…)

anond:20220930164938

キリスト教喪主って概念がないのかもしれないね

だとすると喪主を立てた時点でなんらかの宗教忖度したということになる

anond:20220930164504

英国では何度か葬儀納棺に参加したことがありますしかし、その場で涙を見たことがありません。遺影もありませんし、お別れのタイミング特に設けられないので、送る言葉はおろか喪主も居ません。喪主に相当する役割は遺族が手分けして行います

 

ないっぽいな

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん