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2019-08-17

あいちトリエンナーレ2019に見る「検閲」の正体

津田大介による詳細なお詫びと報告のエントリーを読んだ。

あいちトリエンナーレ2019「表現不自由展・その後」に関するお詫びと報告

https://medium.com/@tsuda/%E3%81%82%E3%81%84%E3%81%A1%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%AC2019-%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E3%81%AE%E4%B8%8D%E8%87%AA%E7%94%B1%E5%B1%95-%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%BE%8C-%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%8A%E8%A9%AB%E3%81%B3%E3%81%A8%E5%A0%B1%E5%91%8A-3230d38ff0bc

さすが津田氏の本業だけあって、文章だと何を考えてどのようなことをしてきたのかがきちんと伝わってくる。普通に危惧されるくらいのことは可能な限り対処してきたのか、とか。これを読んでしまうと津田氏のトークイベントコーディネートのスキル文章力に比べて相当劣るように感じてしまう。

この文章で何度も出てくる「検閲」という言葉だが、他人言葉引用部分を除くと津田氏本人はかなり慎重に使っている。これは今回の炎上キーポイントでもある。

検閲」の種類

辞書的な意味検閲とは、公権力表現物を検査し発表を禁止することである

https://kotobank.jp/word/%E6%A4%9C%E9%96%B2-60273

しかしながら、図らずも今回あきらかになったように作品展示を中止する要因としては公権力ばかりではない。むしろ現代日本ではそれ以外の方が多いようだ。

 (1) 公権力イベント主催に関与していない政治家警察

 (2) 主催側(イベント主催者、展示施設スポンサー

 (3) キュレーター

 (4) アーティスト本人

 (5) 一般市民

 (6) 反社(ここでは便宜的に暴力的個人組織のこと)

このうち公権力によるクレーム強制力によって排除されるのが狭義の「検閲」。

主催側の立場は「金は出すけど口は出さない」のが理想ではあり今回もわりとそうだった。ただし事業である限り本来の主旨に合わないものデメリットメリットを上回る場合は、主催側が展示会の方向性意見する自由はあって当然。

キュレーターはむしろ何を展示して何を展示しないか権限を任されているので、それを行使するのが本業

アーティスト本人の意向ときとしてキュレーター意思よりもアーティスト意思尊重される。ある意味当然だがこれが強すぎると美術展がキュレーターの思惑とズレることがあり得る。そして今回ズレた。

声の大きいのが実は一般市民ネガティブポジティブに関わらず主催に対して意見を言うことは原則として問題ではないが数が多すぎると窓口業務に支障が出る。

そしてそれが悪い方向にエスカレートすると反社による脅迫になる。

実際のところ多数の一般市民からの苦情や反社から脅迫が原因で、このままでは来場者やスタッフ安全性が確保できない、という判断主催側、キュレーターがすることで展示中止となっているものが多いようだ。

今回の展示作品の「検閲

表現不自由展・その後」各作品の展示中止理由について調べてみた。

https://censorship.social/artists/

 慰安婦 3作品

 強制連行 1作品

 天皇 4作品

 福島原発 2作品

 米軍基地 1作品

 旭日旗 1作品

 右傾化反対 3作品

 JR脱線事故 1作品

 食品 1作品 

ちなみに「《平和少女像》は正式名称を「平和の碑」と言い、「慰安婦像」ではない」という言葉津田氏のエントリーにも作品キャプションにもあるが、これはかなり微妙な言い方で、「慰安婦像」という“名称”ではないものの、慰安婦表現したものであり、日本政府慰安婦問題謝罪を求める目的で作られた一連の像のひとつであることは作者が明言している。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E5%83%8F

https://ko.wikipedia.org/wiki/%ED%8F%89%ED%99%94%EC%9D%98_%EC%86%8C%EB%85%80%EC%83%81

https://en.wikipedia.org/wiki/Statue_of_Peace

これらを見ると、多くの場合主催側やキュレーター公共性や展示会の主旨を理由に展示中止しており狭義の検閲にはあたらないように見える。また、天皇関係のうち3作品は、富山県立近代美術館事件に関するもので、これは反社右翼団体)による脅迫が契機となっている。

https://artscape.jp/artword/index.php/%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E7%AB%8B%E8%BF%91%E4%BB%A3%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8%E4%BA%8B%E4%BB%B6

表現不自由実行委員会は、表現自由 vs 公権力による検閲 という構図に見せたがっている。ただ公立美術館や芸術祭主催自治体は、公権力というよりも主催側という立場であり、中止の判断現在体制では安全性が確保できない、公共性ポリシーに反するなどである

そこを巧妙にすりかえて、「検閲」という強い言葉を使うことにより強大な国家権力に立ち向かうアーティストという演出をしている。

現代日本における検閲らしい検閲といえば、表現不自由実行委員会メンバーである永田浩三氏の受けたNHK番組改変問題があり、こういった経緯の作品があれば説得力は増したと思う。

https://ja.wikipedia.org/wiki/NHK%E7%95%AA%E7%B5%84%E6%94%B9%E5%A4%89%E5%95%8F%E9%A1%8C

エログロについて

ここからは完全に余談。

津田氏のエントリーには、候補として上がった作品として、会田誠《檄》や、鷹野隆大《おれとwith KJ#2》、ろくでなし子デコまんシリーズが挙げられている。

鷹野隆大《おれとwith KJ#2》は男性器が写った写真を展示していたところ、通報されて警察から注意を受けたというもの。明確に違法な図画を作品としてクローズド場所に展示するのはOKNGかという議論は見たかった気がする。

https://www-art.aac.pref.aichi.jp/collection/pdf/2014/apmoabulletin2014p54-63.pdf

ろくでなし子作品展示スペースの都合で候補から落ちたという件、カヌーみたいな大きなものではなく手のひらサイズ実物大?)のものもあるので、スペースなんかどうにでもなるだろうと思ったものの、慰安婦天皇がらみの作品のすぐ横にデコまんがあったらそれはそれで別の意味が発生しそうなのでやむなしか

掲示されていた「年表」にそれらが含まれいるか知りたかったがよくわからない。ネットに上がっている写真を見ると「イケメン官能絵巻」の文字が見えるので「年表」にはエログロも含まれているのかも。誰か知っていたら教えてください。

2019-08-16

津田大介さん&その擁護者の言い分に納得できないこと

あいちトリエンナーレ津田大介さんが監督の「表現不自由展・その後」について、納得できない点を頭の整理を兼ねて書いてみます

検閲について

憲法上の検閲

憲法上の「検閲」とは次の通りであり、本展における河村市長官房長官のいずれの言動もこれに該当しないことは明らかなので、憲法上の検閲ではあり得ません。

行政権主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止目的とし、対象とされる一定表現物につき網羅一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを特質として備えるもの」(判例)

したがって、本案件で「違憲」と言い出した者(例えば大村知事等)は明らかに失当です。というか憲法上は事前の規制を重く見ているため、事後的に批判した河村市長官房長官(この二者には取り止めさせる権限なし)よりも事前に強く要請した大村知事(実行委員長として権限あり)の方が判例趣旨からして危なそうです。

津田大介さんの言う「検閲

あいちトリエンナーレ2019「表現不自由展・その後」に関するお詫びと報告』を読んでもわかるように、津田大介さんは「検閲」という言葉を「何らかの理由により効率美術館で展示できなくなったもの」と自らに都合よく恣意的に用いています

憲法上の検閲でないとしても、この意味検閲という強い言葉を用いることはミスリードです。本件の場合、事後的にも発表が禁止された事実はありません(あいちトリエンナーレ以外の場所公表を続けることも十分可能です。)。

公権力が,表現行為ないし表現物を検査し,不適当判断する場合には発表を禁止すること。公表以前に行う事前検閲公表後に行う事後検閲とに分れる。」(ブリタニカ国際大百科事典コトバンク)

ヘイトについて

法律上ヘイト

ヘイトスピーチ規制法の正式名称は「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律とあるように、「本邦外出身者」をターゲットにしているため、本件展示が法律上ヘイトに該当しないことは明らかです。

(法律規定する範囲が狭すぎる、という議論はあると思います。例えばDV防止法は成立当初、男性被害者とは規定されていない法律でした。)

批判者の言うヘイト

自国であった負の歴史を思い起こさせる作品を展示することが、その国や国民に対するヘイトにあたるとは考えていません。」「大浦さんは昭和天皇肖像日本人としての自画像であり、天皇批判ではないとしています。」とあるように、津田大介さんは、自国民同士のヘイトは想定していないようです。

ただし、国民を分断し、他のグループにに対して差別的言動を行うことは十分に考えられます

津田大介さんの政治思想

津田大介さんの過去言動

津田大介さんは、過去RADWIMPSHINOMARUという楽曲を「国威発揚であるとして激しく批判をしています。また、そういった批判を受け、RADWIMPS謝罪に追い込まれています

更にTwitterにおいて『今後もどんどん「国威発揚」の依り代として芸術が利用(寄生)されていくんだろう』ともコメントしています

昭和天皇写真を焼く行為に比べてはるかに穏当(少なくともヘイト的な要素はありません。)なものに対してこのような反応を見せており、極めて左派的な思想であると思われます

今回の展示物の選定

津田大介さんは「不自由展実行委によって拒絶」、「そのまま展示することはコンプライアンス的にハードルが高」(い)、「展示スペースの都合」という理由で、会田誠さん・鷹野隆大さん・ろくでなし子さんの展示はしなかったと言っており、言外に自身政治思想は反映されていないことを含ませています

少女像昭和天皇写真の焼却などが選定されたのは自らの意思ではなかったかのようです。

しかし、その一方で『約80組の作家選びは当初、学芸員に任せるつもりだった。ところが、上がってきたリストを見て「ピンとこない。これはまずい」と方針転換。自ら決定権を握った。』(7/8北海道新聞インタビュー記事)とあるように自ら選定していったことを明かしています

まとめ

津田大介さんの言動をまとめると以下の通りになります。少なくともダブルスタンダードと言われることはやむを得ないでしょう。

1.検閲意味憲法どころか辞書よりも広くとるが、ヘイト意味は狭く(法律通りに?)とり、いずれも自らに都合よく解釈した。

2.過去保守的楽曲に対して激しく批判し、更にそれに公金が用いられることに慨嘆したが、自らの政治思想に沿った展示を公金を用いて行った。

3.自らは中立かのように装いつつ、自らの思想に反する展示はテーマ合致したとしても排除した。

どこにも当てはまらなかったので雑記

津田大介さんは今回の謝罪文で『自国現在または過去の負の側面に言及する表現安全に行えない社会となっている』とコメントしています

しかし、前述のHINOMARUに対する批判を行ったにも関わらず今回のポストが手に入れられたということは、少なくとも「日本が好きという者を批判しても言論界ではプラスにはなってもマイナスにはならない」ということを体現したと言えるでしょう。

2019-08-14

コインテルプロ検索したらわかるだろ

公権力を利用できる立場にある人間犯罪

2019-08-13

anond:20190812185015

このエントリでいう「現代アート既存権力」について、コメントしている人たちが考える「権力=○○」が違いすぎて話かみ合ってない。

>「これはアート! わからないお前は勉強が足りない!」とか言っている人たちがいる。

素直に読めば、これは「アートをやっている人たち」を指すであろう。確かにこれはある。古参オタクがニワカの新参マウントするやつ。

ただ、その後の「権力」「カルト」というところを見ると、この増田現代アートのもの懐疑的である

コメントは当然ながら、あいちトリエンナーレ意識した書き込みが多いが、このエントリ自体もそれに触発されたものと考えるのが自然だ。

そう考えると、この増田あいちトリエンナーレをどのような視点で見て、このエントリを書いたのだろうか。

もし、作品撤去の件を肯定的に見ている場合、「あんもの芸術というなんて、頭おかしい」という意味でこのエントリを書いたのだろう。

からアートを「カルト」というし、「津田現代アートという権威を借りてヘイト展示をやったんだ」という論理が成立する。

一方で、作品撤去弾圧考える人々もいる。そうした人々にとって権力者とは政府政治家公権力あいトリに政治家発言した件)であり、

アート社会メッセージを送っただけなのに表現の自由を奪われた」となる。

また、タイトルの「醜い優越感」というキャッチーキーワードも気になる。

増田アートになんてこれっぽちも関わりなく生きてきた人間なのか、自分には理解できないものに対するひがみのようなものも感じる。

「これはアートだ、と言えば何やってもいいのか」というやっかみの気持ちもあるのだろう。

自称現代アートに詳しい人たち」は常に「アートなんて分からない人たち」を置いてきぼりにしてきた。

特に、全国各地にある公立美術館だって一般市民アート教育普及するための施設であったはずなのに、「自称アートに詳しい人たち」に私物化されてきただけであった。

からネトウヨにとっては「税金を使ってこんな展示をしてくれやがって」という気持ちになることはよくわかる。

しかし、今回の津田芸術監督はそうした「自称アートに詳しい人たち」側の人ではないのである

しろ、「自称アートに詳しい人たち」からは「素人のお前なんかにできない」と散々コケにされている側なのである

から津田さんにとっては「権威美術業界」(=アートではない)からもけなされ、ネトウヨ公権力から弾圧され、泣きっ面に蜂である

今回のあいちトリエンナーレ自分既存日本における美術業界権威に風穴を開けてくれることを期待していた。

だが、日本社会に立ち込めるネガティブ圧力を改めて浮き彫りにしてくれることとなった。

今回の件について、美術業界批評家美術史家、美術学芸員といった人たちから、まともな「批評」がなされるのだろうか。

これから日本美術業界は「自称アートに詳しい人たち」の自己満足展覧会と「クールジャパン」的な何かをやるだけの、一部の人たちの既得権益として温存されるのだろう。

自分増田とは違った意味で、「現代アートにおける批評性」がなくなっていることを危惧したい。

表現の自由制限をつけるべきなのでは

僕は自由とは、ルールがない事ではないと思っている。むしろルールがあってこそ、それを守ってこそ自由があるのではないか

誰にでも殺人をして良い自由があれば、刺された誰かの身体自由は失われる。

自由は種類がありすぎる。その中で、どの自由を「皆が」選ぶかだと思うのだ。

最近アンパンマンパンチ暴力的でないか、というトピックには衝撃を受けた。アンパンマン暴力的という発想を考えたこともなかったので、面白いと思ったのと同時に、これで表現が縮こまっていってしまうとしたら怖いなと思った。

最近の声を上げる人たちは怖すぎる。

独断偏見で言わせてもらうと、日本人は周りに従いやすいから、初めに声を上げた人と同じように喋ったり、考えたりしてしまうからだ。

からこそテレビや本などの表現は、そういう人たちを刺激しないように気を使ってしまって、そして日に日に穏やかに、牙の抜けたものになっていってしまっている気がする。

万人を納得できる表現など存在するわけがないし、単に見なければ良いだけの話なのに、彼らは正義感を燃やしたがる。公権力よりも、もっと取り締まりが激しい秘密警察みたいで本当に恐ろしい。

彼らを慮って外に出られなくなった今の日本に、表現自由はどう存在して良いというのだろうか。

どうにかして表現家達の自由を守る方法はないのだろうか。

ならいっそ、ここまでの制約の中なら表現していいよというルールを決めておけば良いのではないだろうか。

そしてそれは納得だとかそういうのをすっ飛ばして、ルールとして確固に存在すればするほど良いと思う。そうすれば誰にも邪魔されず、表現はほんの少数の誰かの正義とぶつかって消滅するなんて馬鹿なことは無くなるんじゃないだろうか。

から教育でどうにかするには、遅効性すぎるし、今の大人達全てに教え直すのは非現実的だ。

この話題議論が始まって、皆が互いに互いの意見があることを、そして表現に正解がないことをなんとなくでも、ぼんやりでもわかってくれるのが本当は一番良いし、すっきりしてる。

けどやっぱりそれは、理想に過ぎないと思ってしまうのだ。

となると結局、表現自由制限をつける事が、皆にとっていい選択ではないだろうか。

2019-08-08

コミックマーケット、「警察から要望」の結果荷物検査強化の上「不必要ものを持ち込むな」というかなりの制限がかかってるけど

これは公権力ガーで表現の自由戦士は騒げよ!って煽らなくていいの?

たぶん特定個人への侮蔑規制からセーフ()みたいな言い訳通用しなさそうだけど。

2019-08-07

anond:20190807000352

出資してる人間が展示の内容に意見を言うのは当たり前でしょ

民間公権力は違うんだよね

2019-08-05

??「金を払ってる以上、俺らの悪口は許さない」

公権力がこれですよ

ヤクザかな?

表現の自由云々じゃなくて、芸術の名を借りたプロパガンダでしょ

表現の自由バッシング公権力により侵害されたとかいう前にさ。

芸術じゃないでしょ。それ。

タブーというけれど、なんでそんなに偏ったタブーなの?

左翼韓国、ばっかじゃん。右翼的作品は?保守的作品は?

政治全く関係ない作品は?

イデオロギー的に偏った展示したら、政治意図しか感じないよ。

そんなんでよく「芸術監督」を名乗れるね、恥ずかしくないのか。

表現の自由で話をそらすなよ。政治プロパガンダ芸術の名を借りて行ったという話だよ。

名古屋市長憲法違反

大村知事名古屋市長憲法違反批判している。

大村知事「河村市長の主張は憲法違反の疑いが極めて濃厚」…県には”京アニ放火”に言及した脅迫メールも | AbemaTIMES

まさに公権力行使される方が、"この内容は良い、悪い"と言うのは、憲法21条のいう検閲と取られてもしかたがない。そのことは自覚されたほうが良かったのではないか裁判されたら直ちに負けると思う」と厳しく批判

問題意識はおおむね間違ってはいないんだけど、簡単に”検閲”っていってしまうあたりが気になる。

このあたりに、日本人表現の自由を扱う感覚の危うさがある。

検閲というのは、基本的には”発表前の事前抑制”を指す。特に最高裁定義はそうだ。だから憲法違反だとか裁判で負けるとまでは言い切れないのだよ。

特にこの場合市長意思決定者でもなんでもないんだしね。

ここでもし仮に、意思決定である大村知事が、内容についてよい悪いと意見をつけ、中止させたら事後抑制であっても憲法問題が発生すると思うけどね。

官房長官発言のほうがよっぽどマズイ。どこまでがよくて、どこからがアウトか、ちゃん基準をもって整理しとかないといけない。

そもそも、こんなふうに、すぐに公権力弾圧だと言い出す傾向は、日本人歴史的経験してきた言論弾圧記憶に根差しているんだと思うけど、条件反射的に検閲!っていってしまうのは、

これはあたかも、韓国日本の行うことに対して、なんでもかんでも、報復だの侵略だのと認識する、生の強迫観念とさして変わらないんだよ。

anond:20190804160822

元増田グダグダ書いたけど、俺が一番違和感を持つのは例えばこういう運動のこと。

「少女像」展示再開求めデモ集会に200人「表現の自由の弾圧だ」名古屋 - 毎日新聞

デモに来た埼玉県女性会社員(25)は「作品を見たかった。主催者側へのひどい脅しなどがあったので続けられない状態になったのだろうか。悔しい」。上滝浩子弁護士京都弁護士会)は「公権力を持つ立場にある人が干渉的なことを言えば、表現活動が萎縮する。そうさせないために憲法表現の自由保障している。許せない」と話していた。

繰り返しになるけど、表現活動が委縮したのは、ガソリン持ってくると脅されたからでしょう。

で、それに対して通常、対処しうる危機管理以上のことが現場可能だったの? 例えばガソリン怖いのをみんなで耐えるの?主催者だけではなく客も巻き込むんだよ?

できないものを無理じいして、できなかったら検閲だなんだって騒いで無理な注文をして困らせるのが表現の自由を守るってことなの?

そういう理由で起きる表現活動の委縮って誰かのどんな努力でどうにかできるものなの?というのが俺の最大の疑問。

委縮しないようには何をすれば?という観点でいうと、例えば、テロを抑止する、という話とよく似ていて、

社会にあふれる憎悪を鎮静化させる、みたいなフワっとした話にしかならない。

****

行政危機管理対応としたという話と、行政言論弾圧した、という話を混ぜるなよ。ナイーブすぎるだろ。

****

もう少し思想的な背景に突っ込ませてもらうとさ、

そもそも脅迫含めて暴力的言論というのは、表現の自由副産物として、

そういう過激行為が起こりうることは覚悟しておかないといけないかもしれないんだよ。

アメリカを例にとる。意見が異なる者同士が過激な形でぶつかり合う、というのは、17世紀ヨーロッパプロテスタント宗派争いで経験済み。

たとえ激しくいがみ合っていても、政府はどちらか一方が正しいとは言わない、と。

その経験があって、アメリカに渡った巡礼始祖が社会約束事として決めたのが、合衆国憲法修正条項に引き継がれ、表現の自由の原型となっていく。

1970年代連邦最高裁言葉を借りれば、社会不協和音に満ちていることこそ強さの証である、みたいな覚悟をもって、

ヘイトなど多少の過激言動を認容していく、というのがアメリカ的な背景としてはある。

まり、もし仮にアメリカ的な感受性対処するとすれば、脅迫があったが、ま、今回は引きますが、へこたれずまたやりましょうね!ということなんだよ。

ところが日本場合、そういう歴史もなければ、不協和音のなかで生きる覚悟もない。

しろ日本空気として強いのは行政による言論弾圧記憶なんだよね。

それならそれでいい。表現の自由を基礎づける歴史的な記憶というのは、その国の歩んできた歴史文化によって異なるのは当然だからだ。

なんでもアメリカ式ってわけにはいかないだろう。それはいい。

でもその背景について、客観的な整理と自覚がないと、ただ無意識にオブセッシブな態度を表明しているようにしかみえないわけよ。

だいたい横から出てきた名古屋市長なんてそもそも中止となんの関係もないじゃん。

こはちゃんと危機管理対応弾圧を冷静に切り分けてもらわないと。

展示が表現不自由テーマということで、ついでにひとつ言及しておきたいんだけど、

表現の自由ということでヨーロッパの事例で有名なのは、例えば

ハマン風刺画問題というのがあるよね、フランスで大きな騒ぎになったりもした。

これは、暴力行為表現の自由副産物だという文脈では読み解けない。

アメリカとはかなり異なる歴史的な背景があって表現の自由価値が基礎づけられているからだ。

簡単にいうと、カトリック絶対正義が猛威を振るっていた時代に、

こんなんじゃ、まともな社会設計ができん!という問題意識からスタートしている。

まずはカトリック批判する権利必要だということで「神を冒涜する権利」として始まったのがフランス表現の自由であり、例の過激政教分離なんだよね。

からハマン風刺画事件でも、フランスメディアは「涜伸の権利はいずこに」という形で問題提起をしたりしたわけだよ。

ただ、おれは別にそんな話を今回の展示に期待しているわけじゃ全然ないんだけどさ、でもなぁ。

表現不自由展?

そんなたいそうなタイトルを銘打っておきながら、さまざまな国の作品を展示しているのに、他人作品コピペみたいに持ってきてパッチワークかよ。

ネットでみつけた一般客のコピペした解説文や評価をみても、テーマである不自由”の背景がよくわかるものではなかったね。

そのうえ雲行きが怪しくなったら中止と。芸術監督は残念がってメソメソと泣いて、みっともないってちょっと思ったりした。

そんなことくらいリスク管理問題として想定しとけ。

行政もだよ。リスクを想定したうえで、あらかじめ退避の基準を明示しておくんだよ。この場合判断と行動のスイッチとなりうる事象リストアップしておくんだよ。

そのうえでリスクシナリオ判断基準について主催者合意しておく。

そうしないと、あ、ヤバいと思ったんで引き揚げました、みたいに、行き当たりばったりな説明しか主催者にできないだろが!

そりゃ、突然中止に追い込まれたと思うわな。

まとめると、

表現の自由という観点でも主催者問題意識は感覚的なものしかないし、

リスク管理という観点でも不作為がはなはだしい。

表現の自由についての問題整理とリスク管理、この二つをしっかり持っておかないと

なんだだ危なっかしいだけだ。

という感想をもった。

追記

大村知事名古屋市長憲法違反と批判している。

大村知事「河村市長の主張は憲法違反の疑いが極めて濃厚」…県には”京アニ放火”に言及した脅迫メールも | AbemaTIMES

まさに公権力行使される方が、"この内容は良い、悪い"と言うのは、憲法21条のいう検閲と取られてもしかたがない。そのことは自覚されたほうが良かったのではないか裁判されたら直ちに負けると思う」と厳しく批判

おおむね間違ってはいないんだけど、このあたりに、日本人が感覚的に扱う、表現の自由の手つきの危うさがある。

検閲というのは、基本的には”発表前の事前抑制”を指す。特に最高裁定義はそうだ。憲法違反だとか裁判で負けるとまでは言い切れないのだよ。

特にこの場合市長意思決定者でもなんでもないんだしね。

表現不自由展に絡んで株を落とした人たち

たぶんもっとたくさんいる

2019-08-04

慰安婦像の展示に公権力が介入する意味がわからない

もうなんでもありじゃん

政府批判とかも封じ込めるようになるよね

そもそも表現不自由」というテーマのもとに

期間を決めての展示だしな

戦争象徴として恒久的に設置しようというのとはわけが違うだろう

表現規制定義

自分は今まで

・ある表現公権力排除にかかること

・ある表現に対して気に入らねえとケチつけること

の2つでは前者が表現規制後者別に規制ではないと認識してたんだが、

世の中の大多数の人はむしろ後者こそが直球の表現規制であると考えてるっぽいことがわかった

二週間で役立たずだとバレた山田太郎さんの今後について考える

当選して二週間で「表現の自由」という自分守備範囲ど真ん中にボールが飛んできたのに見事に何もせず、すべて終わってから毒にも薬にもならないコメント脅迫非難する言葉すらない!)をツイッター投稿するという無能っぷりを発揮してしまった山田太郎さんの今後について考えてみたい。

「菊タブー」という言葉代表されるように、日本で最も激しく時に暴力を伴って「表現の自由」を脅かしてきたのは極右だったというのは常識である

表現の自由」を守ると言って参議院議員になった山田太郎にとって、極右公権力による「反日表現への暴力殺人をほのめかしての脅迫という問題は、真っ先に反応してみせるべき問題だったはずだ。

この問題に対して事実上何もせず、極右と重なる部分も大きい自分支持層を気にして脅迫非難することすらしなかった山田太郎は「表現の自由」について何もできない無能であるということを当選二週間で明らかにしてしまった。

山田太郎名誉挽回するために必要な条件

山田太郎名誉挽回の機会は与えられるだろうか?おそらくないだろう。山田太郎がその存在感を示すためには、以下のステップを踏む必要がある。

  1. 山田太郎支持者が関心を持つエロマンガエロゲーへの規制を強めると自民党が決定する。
  2. 山田太郎がそれに反対することを表明し、自民党内で他の議員に働きかける。
  3. 自民党山田太郎のはたらきかけにより、規制を強める決定を取り消す。

今回の件を通じて、山田太郎自民党内で権力を持つ政治家に反対することすらできないヘタレであることは明らかになったし、そもそも今の自民党は党内から異論を受け入れるような体制にはなっていない。待ちの姿勢でいる限り、山田太郎には永久名誉挽回の機会はやってこないのである

山田太郎が一発逆転するためには刑法175条廃止くらいしかない

待ちの姿勢でいる限り、金輪際チャンスがやってこない山田太郎活躍するためには攻めるしかない。

表現の自由」に関する大きな問題で、支持層であるエロマンガエロゲー愛好者たちにもウケが良く、話題性も大きい問題とは何か。例えば刑法175条である

わいせつ頒布等)

第175条

1 わいせつ文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、2年以下の懲役若しくは250万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。電気通信送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。

2 有償頒布する目的で、前項の物を所持し、又は同項の電磁的記録を保管した者も、同項と同様とする。

刑法175条に関するよくある誤解として、刑法175条がなくなると子供エロ本を読み放題になるというものがあるが、刑法175条はゾーニングについては一切触れていない。刑法175条は子供エロ本を見せることを禁止する法律ではない。

もう一つの誤解が、「わいせつ」の定義である日常会話で「わいせつ」と言った場合エロ動画エロマンガなど性的描写を含むもの全般を指すが、刑法がいう「わいせつ」は事情が異なる。現状の警察による判断では、刑法上の「わいせつ」は無修正性器描写されているかどうかだけである

から、男女が性交をしている様子を映した動画でも性器モザイクがかかっていれば「わいせつ」ではないし、芸術写真でも性器無修正うつっていれば「わいせつ」だというのが警察の考えである

これはおかしいということは長く言われてきたこであるし、「表現の自由」への直接の侵害だと多くの人が訴えてきた。

もし山田太郎が主導したこと刑法175条が廃止されエロマンガエロゲーエロ動画へのモザイク不要になったとすれば、これはエロマンガエロゲーを愛好する支持者から評価されるし、左派から評価されるし、「表現の自由」に関心の無い一般国民から評価されるだろう。

刑法175条廃止が難しい理由

しかし当然この問題はそこまで簡単ではない。まず、「エロ無修正にするために活動しています」と大っぴらに言うのは世間体が悪い。選挙区内の女性有権者の印象を気にする議員はあまり積極的には賛同してくれないだろう(この点、比例選出でエロゲーエロマンガ愛好家を支持者に持つ山田太郎は都合が良い)。

次に、日本コンテンツ審査センター(かつてのビデ倫)という天下り先を失うことになる警察とそこから献金を受ける自民党議員が猛反発するだろう。エロ動画からモザイクをなくすことは、警察から利権を奪うことにつながるのである

これらの万難を排して刑法175条を廃止し、山田太郎が「表現の自由」の守護者としてその名を歴史に残せるか、正直に言うとあまり期待はできない。しかし、今回の件で失った名誉を取り戻すためにはそれくらいのホームランを打つ必要があるということもまた事実なのである

2019-08-03

anond:20190803224940

表現の自由公権力再現したらアウトだろうけど、今回はあくま税金用途として不適切という話でしょ。

納税した住民の多数が「あの展示に金を使うな」と思ってるとしたら、そりゃ中止になる。健全普通民主主義

表現不自由自体が、展示だったのでは……。

表現不自由展」は、日本における「言論表現の自由」が脅かされているのではないかという強い危機意識から組織的検閲忖度によって表現の機会を奪われてしまった作品を集めた展示会らしい。

昭和天皇写真を燃やしたり、慰安婦像に似た像もあり、案の定猛烈な批判を受けて、展示中止された作品も出始めた。

個人的には不愉快だけど、中止する必要なんてないし、中止させられること自体がこの国の表現の自由の尊重具合を図らずも測ってしまっている。

不快判断するのは、個人レベルはいいけど、公権力側がそんな判断をするのを国民が認めて、その先明るい未来が待っているように思える脳みそがあるなら食ってみたい。きっといい具合に発酵している。

この国の、この国の国民の程度の低さに、自分もその一部であることに、ほとほとがっかりする。

2019-08-02

anond:20190802200814

無修正ポルノヘイトスピーチは、日本の現行の法規では違法から表現の自由にかかわらず、取り締まり対象だね。

無修正ポルノ違法というのはおかしい、という議論は置いておく)

違法でない表現公権力で押さえつけようとするなら、それは表現規制だね。

例えば、わいせつ物でない(違法でない)ポルノ表現規制しようとしたら、表現規制だね。

補助金を無くすことを検閲圧力だとわめくアホ一覧(追加あり)

あと表現の自由を履き違えてるアホ

出典:https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20190802/k10012018791000.html

edo04 表現の自由戦士の皆さま!出番ですよ!

sin4xe1 さあ検閲が始まりました

takeishi 安倍首相ヒールのかかとで踏み潰す展示は芸術の名の下に認められるかどうか

nekochiyo 正直不愉快な展示だけど、国が圧力をかけるのは違うと思う

ustam 本当にクソだなこいつら。安倍教養内閣

h1roto これは芸術としても陳腐だし表現不自由というコンセプトにも逆行してて(左派コンテンツだけ並べるとか…)酷い。でも封じられるべきじゃないし政府には「別に知らんから勝手にやれ」くらい言う器が欲しいところ

deep_one 珍しく正しい意味での「表現の自由政府から圧力)」案件

rgfx 「あーもー補助金さないからねー」って真正から権力を傘にきて恫喝しにきてるじゃないですか。たまげたなあ。擁護する余地ないでしょこれ

hate_flag 「はたらくくるま」の戦車への抗議を批判した連中はこの官房長官発言批判しろよ。それとも「自民党のやる言論の自由弾圧はい弾圧」とか思ってんのか?

kazatsuyu 表現不自由展とやらの趣味がいいとは思わんが、これは検閲だし圧力だと思うよ。つーか「補助金引き上げるぞ」が圧力だと分からない人って……

tattyu おい、自民党山田太郎。これこそ表現の自由だろうが、なんでだんまりなんだよ。

grdgs 「言論の自由表現の自由があるからこんなもんで済んでるんだよね」肉豚発言にも程があるなw 「政府様が我ら臣民言論表現をさせてくださっている」まで遠くない / id:shinichikudoh 詭弁にも程があるなw

参考:アホが詭弁とのたまうブコメ

shinichikudoh 表現の自由かいうけど僕のブコメ文化庁から補助金は出てないよ。好きに表現したいなら金なんて貰わず勝手表現すればいいだけの話。ただし昭和天皇写真を燃やしたのは皇族への恐喝に思えるので許せない。

追加分

sadamasato 山田太郎参議院議員の出番だ!戦え、表現の自由戦士!

scopedog 表現の自由戦士たちはみんな夏休みでいません。

youkass912 東京新聞望月記者もそうだけど、言論表現の自由規制したくて仕方ない政府に、何故わざわざきっかけを与えるようなことをするのだろう。しかもその手段は、本人たちの目的も達成出来ない稚拙ものなのに。

tokatongtong 仕事ですよ! 山田太郎議員!

IkaMaru アート価値政府が決める宣言文化に大きな革命を起こしていてたいへんよろしいか

rci さっそく大物が釣れましたなあ

unkounkounodouble 国民全てを臣民とみなし全て支配する完全独裁体制 ディストピアをほぼ実現しつつある

kj03 ジミンに投票したアホのせいでこんなのがのさばる。先進国政治家認識じゃないぞこれ。完全に途上国

sink_kanpf う~ん、学術的で国際的にも認められてる案件を、補助金を出すかどうか学術でなく政治的理由公権力検討判断するというのは、客観的に言ってテンプレかつド直球の「表現の自由案件^^;

tekitou-manga 森羅万象担当3権の長ちゃんの名代であらせられるところの官房長官サマが文化庁補助金の使い道に口を挟むのは至極当然であると考える

t-murachi これをきっかけに展示物が取り下げられると「表現不自由」としてはまさに完成することになるね。個人的には時事問題を痛切に取り扱っているわけで、極めて文化的な内容だと思うけど。

anigoka 反社ズブズブの吉本にはクールジャパンするのに少女像置いただけで打ち切り検討ってさすがネトウヨヤクザ政権 Nッポン国をぶっ壊~す

raic 完全に圧力。アウト。

zakinco 検閲

thnn 本当の表現不自由少女像容認しているわけではないけど。

misafusa こういうのを「言論弾圧」と言う。一般市民イベントや展示物に反対するのはいくらでも好きにやればいい。マスコミを使ったっていい。だけど公権力が「俺らの気に入らない展示をするなら金を出さない」は論外だろ

white_rose うわあ……/この発言擁護する人は今後一切表現の自由なんて口にしないでほしい。こんなわかりやすいのってないよ。

大別すると、検閲弾圧補助金取りやめの違いを理解できないアホと表現の自由を履き違えてるアホとアベガーと反日嬉ションパヨクってとこか

あと上のやつを複合したアルティメットバカ

2019-07-24

ベハナスセンター役割

1648年 ルー14世がサイドビー大学設立

初代首席のベハナスバーグは公権神授説を主張

対してマッチョ・サーキンバードは肉体神授説を唱えた

ベハナスの主張に対してマッチョトレーニングは優位性を持ち、これが肉体優位=マッチョ語源となる

しかしこれで諦めるベハナスではなく、自らの邸宅ベハナスセンター公権力の拠り所としたニュー世界を作った

これが専業革命を導き、世界はベハナスセンター発の専業化社会へ大きく変貌していく

2019-07-18

表現の自由という権利と、批判を受け入れる覚悟と、zyzyと

https://b.hatena.ne.jp/entry/4671687466976236546/comment/zyzy

エロ漫画を描く行為批判したら「きちがいふぇみがぁぁぁぁぁ、まなざしむらがぁぁぁぁぁ」してた人達が、ただの批判からと言う権利はないんだよね。エロ漫画を描く行為への批判を受け入れて初めて権利も得る。

うん、後者については、まあそうだね。

エロ漫画を描く行為批判したら云々という点が分からなかったけれど。一部フェミニスト?zyzy?はエロ漫画男性向けも女性向けも含むのだろうけれど――を描く行為を、どういう脈絡批判したのだろう)

何か表現をすれば、賛同する人もいれば批判する人もいる。

その表現の内容が、あまりにも妥当性を欠いていれば、批判者は多くなり、また、例えば一般企業など、社会的信用を重視するところは離れていきやすくなるね。

その覚悟をもって、それでも表現したいなら、その表現自体が犯罪でないならば「公権力で」抑え込むべきものではない(=表現自由)。

ただ、さっき書いた通り、スポンサー関係者などが「この表現放置していたらウチの信用も落ちる」と判断して取り下げる(取り下げさせる)のは構わないし、

逆に言えば、「ウチの信用がたとえ一時的には落ちたとしても、この表現を守りたい」と判断して継続するのも構わない。これらの態度も立派な「表現自由」。

 

で、

zyzyはさ、自分普段言動(主にブックマークコメント)が、まさに「きちがいふぇみがぁぁぁぁぁ、まなざしむらがぁぁぁぁぁ」だと思われていることは自覚している?

少なくとも私は、zyzyのブックマークコメントを見てちょくちょく、「この人おかしい」と感じているし、多分、結構多くの人が、同じことを思っている。

実際、メタブックマーク増田などでも、時々批判されているよね。そして、その多くは結構真っ当な批判だと思うよ。

その批判、zyzyはきちんと受け止めている?

自らを省みている?

きちがいみそじにすとがぁぁぁぁぁ」とかレッテル貼って無視を決め込んでいない?

自分表現権利を主張する上で、その表現に対する批判を一番に受け入れるべきは、zyzyだと思うよ。

 

でもzyzyの表現規制しろとは思わないよ。

自由に「きちがいふぇみがぁぁぁぁぁ、まなざしむらがぁぁぁぁぁ」とでも書けばいいと思うよ。

それを見て、「ま、この程度の人だよな」と、私も判断させてもらうから。この判断表現自由(というか、思うだけなら内心の自由かな。増田に書くことが表現自由)だよね。

 

私は自分フェミニストだと思っているけれど、zyzyと一緒にされたくないので、増田ではあるけれど批判しておくね。

2019-05-29

保身のために公権力を利用してるものがいる

2019-05-28

容疑者実名で報じると、今の日本では容疑者家族嫌がらせをする人が少なからずいる。

実名報道のメリットより二次被害のほうが大きく感じられ、個人的には実名を出すべきでないと思っている。

しかし、公的情報として誰もが検証でき、公権力監視できるため、などの理由実名報道がなくてはならないと主張するのもわからなくはない。

から思うんだけど、本当に必要なのは加害者やその周囲に嫌がらせをする人たちをきちんと犯罪として訴え、彼らも実名で報じることじゃない?

そこの抑止力が全く欠けていて、だからモラルがない状態に陥っているんじゃないかと思う。

知り合いの警察(地方の副署長とか)と話していると、彼らは報いを受けさせる意味で「捕まえて実名新聞に載せてやりたい」みたいなことを言う。

怒りも憤りもわかる。

でもそれを間違った方向にぶつけるのは社会的メリットがないし、やるせない。

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