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はてなキーワード: 乗数効果とは

2020-03-01

anond:20200301045428

元増田です。

日頃たいていの誤解・曲解スルーしていますが、"アホが大量発生"などと、あまりの言いぶりなので言及します。

マクロ経済学教科書を読めばわかるとおり、財政出動とは公共事業から移転支出まで広く含む概念です。例えば失業給付の増額は典型的財政出動です。"財政出動の金は企業しか届かない"とはどのようなロジックですか?生活保護費失業給付企業しか届かないのですか?

もしもまじめに勉強する気持ちをお持ちなら、各財政政策に関する乗数効果は、下記の教科書に詳しいのでぜひお読みください。その上で反論があれば、どうぞご遠慮なく。

Gordon, Robert J. "Macroeconomics: Twelfth Edition" (April 18, 2011) 、Chapter6 The Government Budget, the Government Debt, and the Limitations of Fiscal Policy 、特にP187-P191

2019-05-20

anond:20180726091843

 京大数理解析研究所みたいに、研究者雑務から開放して、安定した身分研究に専念できる状況を作ればいいんですよね。

基礎研究お金をつかったり、TAを大量に雇えば解決する問題です。

乗数効果で考えれば国債発行してかなりうまくいくと思います

それと今うまくいっている研究研究者お金を使うのではなく、

現段階では何処の馬の骨かわからないような謎の研究資金を使うべき。

どこが将来的に有望かなんて外野はもちろん当事者だってわかってないですよ。

研究なんてそんなもんでしょ。

2019-03-13

政治家知識不足馬鹿にする人たち

たぶん急に「法の支配の反対はなんだ」と聞かれて即答できる人は少ないだろうし、「乗数効果」なんて言葉は耳にしたこともない人が大半だと思う。

それで「こんなことも知らないのか。常識がねえな」みたいな上から目線Disを入れても、共感されないどころか、反感買うんじゃないの。

2018-11-16

乗数効果

昔、菅さん乗数効果という言葉をしらなくて、それが大問題みたいに報道されたが俺も乗数効果なんて言葉は初耳だったので「そんなん知らなくて当然だろ!」とマスコミのほうにムカついた。

2018-09-12

なんでGoogleAmazonヤバイと言っていた時期に対策できなかったのか

このままじゃヤバイと、かなりの人が言っていたと記憶している。

中国ファイアーウォールはクソだと言われ続けたが、結果を見てみると正解だったのではないか


Google日本語での検索は力を入れなくなっている。サービスアメリカ優先だ。アメリカ人がアメリカ人のために金と人をつぎ込んでいるのだから仕方ない。

広告収入があるからGoogleに反対もできない。ニュースサイトGoogleを取り上げる。

Androidに振り回され、開発端末すら国内で入手できない状況もあった。


Amazonの影響で、リアル書店がなくなりアメリカの後を追っている。通販日本はあまり力を入れていないように思える。

AWSのほうが影響は大きいのだとは思う。学生からするとAWSを習うほうがいいはずだ。

音声認識がーと言っていたが日本語は後回し。



なんだかんだで、10スパンで考えると、国内企業でなければ国内のことを考えないのだなと思う。

そしてバズワード国内向けで作るべきだった。

ビッグデータアメリカ優位であり、その続きがディープラーニングだった。VR/ARアメリカ優位だ。

これからコレが来るといったときには、アメリカ企業間の中で話がついている。

税金を投入しようにも、海外お金が出ていってしまうのだから乗数効果が減ってしまう。


日本では、日本すげーと言われるのは1位を取ったあとでしかない。

これから市場を作るというのはひどく苦手だ。応援もしない。

クラウドファンディングが何かしようとしている無名の人のためではなく、有名人のものになったようなものだ。そもそも有名人なら他にお金の集める方法があるのにだ。

2018-04-28

アベノミクスは失敗に終わった

論がはてなでは主流のようだけどアベノミクスの掲げた理念自体が間違ってるよ派はどうなの?

金融緩和財政出動規制緩和が3本の柱だけど、金融緩和実施済み、財政出動は全くなかったといってもいいくらい、規制緩和はお友達既存経営者層を利するような緩和くらいしかしていないように見える。

規制緩和はともかく、財政出動さえプライマリーバランスを気にせず、大規模にやっていればここまで失敗の声は大きくなってなかったと思うんだけど、はてなを見ているとこの理念自体が間違っていて、金融緩和すらすべきではなかったといっている人が特に左派にそれなりにいるみたい。

金融緩和すらすべきじゃなかった派、アベノミクス理念自体が間違っていた派の人には、どうすれば景気が良くなると考えているのか教えてほしい。

あとアベノミクス理念自体は間違っていなかった派の人にはアベノミクスには何が足りなかったのかを教えてほしい。

少子化対策を兼ねて出産育児一時金を倍額にするとか、クールジャパンを推進するならアニメーターとか漫画かとかの個人事業主に対してお金をばらまくとか、乗数効果は怪しいとは言われてるけど老朽化したインフラの大規模な改修をするとか、そういった財政出動についての意見は見かけることはあったけど、規制緩和についてはあまり見かけなかったので「この規制絶対なくすべき」とかあれば是非教えてください。

選挙投票の参考にしたいので。

2017-01-27

乗数効果っておかしくね

民間投資したって起こることじゃん

国が民間より効果的に使わないと意味なくね?

休眠預金使うとかならわかる

2016-06-15

とりあえず金を使うのは正義みたいな考え方何なの?

乗数効果

効果的な使いみち(呼び水になってさらなる利益をもたらす使いみち)とそうじゃない使いみちがあるだろ

どう考えても政府より民間のほうが投資上手いだろ

2016-06-14

http://anond.hatelabo.jp/20160614194125

周囲の環境とは全く関係なく、大学に投下された公金(税金からの補助が問題なんでしょ。

その学歴を得るために税金からサポートがありました。乗数効果的にその税金を納めるまでに収入を上げてくれるのが国策意図だ。

その会社で勤務してそれだけ納税できる予定なら無駄遣いじゃないし、できないのなら無駄遣いだ。

私大を出たのなら(何歳からそうなるかは別にして)年収600万円を10年くらいは続けてほしい。国立ならば800万円で10年くらい。それだけのはなしだよ。

2016-04-04

http://anond.hatelabo.jp/20160404070202

とりあえず国債ということで問題なかろう。

建設国債」が熊しか通らん道路で認められているのに、子供への投資が認められないというのは、アホ役人ロジックしかない。

高速道路よりよほど乗数効果が見込める公共事業だし、潜在需要が掘り起こされるというなら少子化対策にもなるってことだ。

保育所投資経済成長しないなら、もうそれこそ「日本死ぬ」ってことだと思うぞ。

2015-08-04

http://anond.hatelabo.jp/20150804205700

元増田が、目下の失業解消のために有効需要を増やしましょう、

そのために例えばGDPギャップがX%未満になるまでの間だけ資産課税して貯蓄率を下げ、乗数効果を上げましょう、

という話をしたいなら短期の話でいいよ(一応言っとくと実際の政策として良いかは全然別)。

失業解消を意図した時限的な手段としての議論としてなら、

パーっと使えば景気が良くなる云々の記述も成立してると思います

でも元増田の中心問題格差解消にあるんだよね?

少なくとも格差が解消するまで資産課税を続けますってことだよね?

そうだとしたら長期の分析しかありえないよ。

GDPギャップとかの長期均衡の指標とは関係なく政策遂行されるわけだから


別に元増田解釈自体はどっちでもいいと思います

http://anond.hatelabo.jp/20150804202516

租税特別措置という言葉がいけなかったかな。法律は門外なので俺の語用が間違ったかもしれない。

俺は単に短期的な措置として課税するか(例えばある1年だけ資産に50%課税して次の年からは元通り)、

長期的な制度変更として課税するか(例えば所得税を無くして資産課税をメインにする)、

という意味で使った。

元増田所得税0%でその分資産課税をメインにしましょうと言っているので後者意図していると考える。

であれば法律上形式関係なく経済的には長期の分析となる。

もっとも前者であっても当初経済が長期均衡にあるならいずれにせよ乗数効果は0である

http://anond.hatelabo.jp/20150804200117

乗数効果存在するのは短期(ケインズモデルの話。

元増田一時的租税特別措置ではなく税制根本から変えようと言っているのだから長期の話で議論するのが適切。

で、長期においては乗数効果存在しない。

2014-10-09

公共事業での景気対策が厳しい理由

まとめ



これまで経済政策論争として多くを占めたリフレ・反リフレの間の論争が結論が出る前に現実の方がリフレで固まり少なくとも数年は続けられそうになってしまったため下火になり論争の中心が財政政策公共事業の方へと移ってくるようになった。そこでポイントとなる点を備忘のためにまとめる。

景気対策としての公共事業否定しても全ての公共事業否定することにはならない。また公共事業価値を認めたからといって景気対策としても有効であると認めることにはならないし矛盾しているわけでもない。

公共事業に限らず金融政策しろ何にしろコストがかかる。ここでいう公共事業コストとは公共事業によって引き起こされるマイナス出来事公共事業をやったために出来なくなってしまった機会損失を加えたもの。国の債務を家庭の債務と同様に考えるのは永続性を無視した誤解であるが、かといって国の債務国民資産であるので拡大しても何ら問題ないというのもまた国民の異質性・多様性世代など)を無視した誤解である過去に積み上げた債務高齢者に逃げ切られないうちに一部返してもらおうというのが原因となって消費税増税ゼロ金利が続くなか急いで決められたといった財政自由度の低下も異質性があるがゆえの公共事業コストの一つである

どのような社会的効用関数を想定するかは人それぞれで当然だが最終的には効用に結び付けて考える必要がある。いいかえればGDPではなく消費こそが重要であり失業の削減なども消費が増えるからこそ大切。また、今期の消費だけでなく将来の消費も重要になってくる。

以上の3点が考えるための大前提

この3つめの考え方にたった上で公共事業を考えるときに外せないのが小野善康先生論文(Yoshiyasu Ono, Fallacy of the Multiplier Effect: Correcting the Income Analysis, ISER Disscussion Paper, 2006. リンク

http://www.iser.osaka-u.ac.jp/library/dp/2006/DP0673.pdf)となる。(これはいわゆる小野理論として有名な貨幣限界効用に正の下限があるというものとは別。)その中身は論文小島寛之先生の解説(http://archive.wiredvision.co.jp/blog/kojima/200707/200707241130.html)などによるとして、簡潔に言葉を借りると

乗数効果は、国民所得を増やすという意味での景気対策には全く効果を持たず、また、その実質的効果政府が投じた金額ではなく、作られた公共物の価値依存する」

ということになる。つまりよく言われる穴を掘って埋めるようなもの場合GDPは増えるが所得や消費を直接には増やさない。GDPが増えるのは政府支出はその支出分と同じだけの付加価値を生んでいると仮定する以外に付加価値の算出が困難というGDPという統計作成上の制約による仮定の産物に過ぎない。無駄が増えるのも経済にとって有用というのは誤りである

このことが示すのはGDPが増えているからというだけでは公共事業には効果があったとは言えないということである公共事業効果があったというには、直接的に価値のあるもの生産が増えたか所得効果が働き消費を増やしていた必要があり、さらにそれらが公共事業コストを上回っていないと望ましいとは言えない。

ここまでを踏まえた上で公共事業効果がないという考え方、あるいは効果があるとしても小さくコストを上回れないという考え方について見る。財政政策効果がないとする理由としてよく挙げられるのは



の3点である。各々には次の留意点がある。

公共事業規模以外の影響を制御して考える必要がある。ただし公共事業の減少幅からすれば公共事業雇用に主導的な影響を与えていたというのは難しい。

これは産業政策が平均的にはうまくいっていないのと同じ問題である。とりわけ景気対策として公共事業の総額が先に決まり事業の精査の時間が限られる場合にはより一層困難が高まる

現在の状況においてマンデル・フレミング効果公共事業の拡大に効果あるかないかの点であまり関係がない。

マンデル・フレミングモデルに基いても日本海外の双方でゼロ金利が見られる状況では公共事業金利を変化させ得ないので為替や純輸出は変化しない。ただ、これはいつまでも関係がないわけではなくさらゼロ金利の壁があるために公共事業拡張と緊縮ではマンデル・フレミング効果の発動は変わってくる。どこまでいっても金利が下がり得ないので緊縮をしても外需増加によるキャンセルアウトが得られない一方で拡張はある程度を越えると金利上昇予想にともなう円高で外需減少を招く。ただこの場合もマンデル・フレミングモデルを一部変更し公共事業の拡大・緊縮にかかわらず中央銀行政策金利一定にたもつというようにより現代的な仮定を導入するとゼロ金利を抜けてもいわゆるマンデル・フレミング効果は働かない。

土木建設業での人手不足や着工の先延ばし及び未消化工事残高の増加や公共事業入札の不調、あるいはその結果としての人件費や入札予定価格の引き上げの報道が相次いていることからすれば公共事業親和性の高い業種で現実供給制約が起きていると言える。

公共事業の規模や事業数が変わらなくても入札価格が上がっていけば上述のようにGDPは上昇するが雇用社会厚生は直接には高まらない。マクロ経済への効果は単価の上昇にともない所得効果が働くことに依存する。しか過去給付金政策租税変化の結果からすると所得効果はかなり小さい。(たとえば堀雅博, シェー=チャンタイ, 村田啓子, 清水谷諭, 90年代経済政策と消費行動の研究1-地域振興券の消費刺激効果, ESRI Discussion Paper Series No.12. http://www.esri.go.jp/jp/archive/e_dis/e_dis012/e_dis012.html、あるいは渡辺努, 藪友良, 伊藤新, 制度情報を用いた財政乗数の計測, Working Paper Series No.28, Research Center for Price Dynamics, Institute of Economic Research, Hitotsubashi University, 2008. http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/handle/10086/16306。)株価地価の大幅上昇といった大規模なものでないと所得効果意味のある効果量となりにくい。

供給制約に面している時には公共事業コストが上がる。それによって民間の他の事業が行えなくというコストが大きくなるため。

供給制約に面していない業種に対する公共事業を増やせば供給制約問題はなくなるが産業政策と同種の困難さが高まる

財政拡張機能しない理由供給制約によるものとき消費税引き上げのような財政緊縮は機能してしまう可能性がある。

供給制約は長期的には解消され得る。専門化・技能化している土木建設に即座に従事するのは難しくても時間があれば技能習得してから就業することも可能となる。問題技能習得に掛かる時間景気循環時間の大小および技能習得無駄にならず将来性があることの保証をどのように行うか。

最近建設業従業者数は興味深い。GDPの上では公共投資が大きな寄与を続ける一方で建設業従業者数は前年比マイナスが続いてきた。しか最近はそのマイナスがかなり縮小してきており技能習得などが進んでいるのかも知れない。

2013-12-01

公共事業での景気対策が厳しい理由

まとめ



これまで経済政策論争として多くを占めたリフレ・反リフレの間の論争が結論が出る前に現実の方がリフレで固まり少なくとも数年は続けられそうになってしまったため下火になり論争の中心が財政政策公共事業の方へと移ってくるようになった。そこでポイントとなる点を備忘のためにまとめる。

景気対策としての公共事業を否定しても全ての公共事業を否定することにはならない。また公共事業価値を認めたからといって景気対策としても有効であると認めることにはならないし矛盾しているわけでもない。

公共事業に限らず金融政策しろ何にしろコストがかかる。ここでいう公共事業コストとは公共事業によって引き起こされるマイナスの出来事に公共事業をやったために出来なくなってしまった機会損失を加えたもの。国の債務を家庭の債務と同様に考えるのは永続性を無視した誤解であるが、かといって国の債務国民資産であるので拡大しても何ら問題ないというのもまた国民の異質性・多様性世代など)を無視した誤解である過去に積み上げた債務高齢者に逃げ切られないうちに一部返してもらおうというのが原因となって消費税増税ゼロ金利が続くなか急いで決められたといった財政自由度の低下も異質性があるがゆえの公共事業コストの一つである

どのような社会的効用関数を想定するかは人それぞれで当然だが最終的には効用に結び付けて考える必要がある。いいかえればGDPではなく消費こそが重要であり失業の削減なども消費が増えるからこそ大切。また、今期の消費だけでなく将来の消費も重要になってくる。

以上の3点が考えるための大前提

この3つめの考え方にたった上で公共事業を考えるときに外せないのが小野善康先生論文(Yoshiyasu Ono, Fallacy of the Multiplier Effect: Correcting the Income Analysis, ISER Disscussion Paper, 2006. リンク

http://www.iser.osaka-u.ac.jp/library/dp/2006/DP0673.pdf)となる。(これはいわゆる小野理論として有名な貨幣限界効用に正の下限があるというものとは別。)その中身は論文小島寛之先生の解説(http://archive.wiredvision.co.jp/blog/kojima/200707/200707241130.html)などによるとして、簡潔に言葉を借りると

乗数効果は、国民所得を増やすという意味での景気対策には全く効果を持たず、また、その実質的効果政府が投じた金額ではなく、作られた公共物の価値依存する」

ということになる。つまりよく言われる穴を掘って埋めるようなもの場合GDPは増えるが所得や消費を直接には増やさない。GDPが増えるのは政府支出はその支出分と同じだけの付加価値を生んでいると仮定する以外に付加価値の算出が困難というGDPという統計作成上の制約による仮定の産物に過ぎない。無駄が増えるのも経済にとって有用というのは誤りである

このことが示すのはGDPが増えているからというだけでは公共事業には効果があったとは言えないということである公共事業効果があったというには、直接的に価値のあるもの生産が増えたか所得効果が働き消費を増やしていた必要があり、さらにそれらが公共事業コストを上回っていないと望ましいとは言えない。

ここまでを踏まえた上で公共事業効果がないという考え方、あるいは効果があるとしても小さくコストを上回れないという考え方について見る。財政政策効果がないとする理由としてよく挙げられるのは



の3点である。各々には次の留意点がある。

公共事業規模以外の影響を制御して考える必要がある。ただし公共事業の減少幅からすれば公共事業雇用に主導的な影響を与えていたというのは難しい。

これは産業政策が平均的にはうまくいっていないのと同じ問題である。とりわけ景気対策として公共事業の総額が先に決まり事業の精査の時間が限られる場合にはより一層困難が高まる

現在の状況においてマンデル・フレミング効果公共事業の拡大に効果あるかないかの点であまり関係がない。

マンデル・フレミングモデルに基いても日本海外の双方でゼロ金利が見られる状況では公共事業金利を変化させ得ないので為替や純輸出は変化しない。ただ、これはいつまでも関係がないわけではなくさらゼロ金利の壁があるために公共事業拡張と緊縮ではマンデル・フレミング効果の発動は変わってくる。どこまでいっても金利が下がり得ないので緊縮をしても外需増加によるキャンセルアウトが得られない一方で拡張はある程度を越えると金利上昇予想にともなう円高で外需減少を招く。ただこの場合もマンデル・フレミングモデルを一部変更し公共事業の拡大・緊縮にかかわらず中央銀行政策金利一定にたもつというようにより現代的な仮定を導入するとゼロ金利を抜けてもいわゆるマンデル・フレミング効果は働かない。

土木建設業での人手不足や着工の先延ばし及び未消化工事残高の増加や公共事業入札の不調、あるいはその結果としての人件費や入札予定価格の引き上げの報道が相次いていることからすれば公共事業親和性の高い業種で現実供給制約が起きていると言える。

公共事業の規模や事業数が変わらなくても入札価格が上がっていけば上述のようにGDPは上昇するが雇用社会厚生は直接には高まらない。マクロ経済への効果は単価の上昇にともない所得効果が働くことに依存する。しか過去給付金政策や租税変化の結果からすると所得効果はかなり小さい。(たとえば堀雅博, シェー=チャンタイ, 村田啓子, 清水谷諭, 90年代経済政策と消費行動の研究1-地域振興券の消費刺激効果, ESRI Discussion Paper Series No.12. http://www.esri.go.jp/jp/archive/e_dis/e_dis012/e_dis012.html、あるいは渡辺努, 藪友良, 伊藤新, 制度情報を用いた財政乗数の計測, Working Paper Series No.28, Research Center for Price Dynamics, Institute of Economic Research, Hitotsubashi University, 2008. http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/handle/10086/16306。)株価地価の大幅上昇といった大規模なものでないと所得効果意味のある効果量となりにくい。

供給制約に面している時には公共事業コストが上がる。それによって民間の他の事業が行えなくというコストが大きくなるため。

供給制約に面していない業種に対する公共事業を増やせば供給制約問題はなくなるが産業政策と同種の困難さが高まる

財政拡張機能しない理由が供給制約によるものとき消費税引き上げのような財政緊縮は機能してしまう可能性がある。

供給制約は長期的には解消され得る。専門化・技能化している土木建設に即座に従事するのは難しくても時間があれば技能を習得してから就業することも可能となる。問題は技能習得に掛かる時間景気循環時間の大小および技能習得が無駄にならず将来性があることの保証をどのように行うか。

最近建設業従業者数は興味深い。GDPの上では公共投資が大きな寄与を続ける一方で建設業従業者数は前年比マイナスが続いてきた。しか最近はそのマイナスがかなり縮小してきており技能習得などが進んでいるのかも知れない。

2013-08-27

魔法少女プリティ☆ベルは良質な少女凌辱漫画

タイトルなんて釣りに決まってんじゃん?

まぁ強いて言うなら、とある一人の魔法少女が、作者という絶対強者の手によって、自らのアイデンティティを嬲られ続けて。

ただひたすら作者の持論を発表するだけのただのスピーカーキャラにまで成り下がっていく様を1~11巻に渡って楽しむことが出来ます

哀れで可憐な愛すべき我らが魔法少女名前美咲えり

この漫画で2番目に不憫なキャラクターです。

四代目プリティベルとして華々しくデビューするはずが、なぜかおっさんのボディービルダーにその座を奪われてしまう。

その後、表紙との辻褄合わせのためか、取りあえず美咲えりも魔法少女にしたはいいけど、まぁ当然この作品で普通魔法少女普通に活躍する機会なんて与えられるわけもなく、「超膨大な魔力」とか言う鉄球足にはめられて海にドボン

めでたく物語の本筋から強制排除の運びとなりました。

それと前後するようになぜか急に経済学に目覚めたえりちゃん。

最初の方は目をキラキラさせて担任住吉先生経済学の素晴らしさを説くレベルだったんですよ。まぁ、ほほえましいもんですわ。

が、次の場面ではいきなり住吉先生電話口での罵り合い

美咲えりが南軍の学校を見に行ったときディベートの基本についての話聞いて感銘受けてたのは、この電話口での口論の前だったか後だったか……。

10巻では、ついに担任先生ぶっ壊れて学校やめちゃいましたよ。いつの間にか新自由主義者にされてね。

いやぁ、マジで人間が壊れていく様がつぶさに観察できますよ。もちろん壊れてるのは美咲えりの方ね

担任先生も壊れてはいるんだけどね。ここの部分さ一応美咲えりVS住吉先生なわけじゃないですか。

びっくりするぐらい先生側の描写無いですからね。

最初覚醒時には住吉先生は、度胆抜かれて何も言えなかったし、電話での口論のシーンでは美咲えりが一方的にがなりたててる部分しか描かれない。

10巻に至ってはもういない担任先生に向かってひたすら罵詈雑言ぶつけてるだけですからね。

ていうか、住吉先生の態度が負けた「主義者」のそれというなら、美咲えりの態度は勝った主義者のものだよね。

えーと、えりちゃんディベートおい大事ことが何か君は分かってるはずじゃなかったっけ?

やっぱり、理論実践全然違うってことなんですかね。

とにかく徹底して美咲えり(つまり作者)の意見を述べるだけで、新自由主義者であるところの住吉先生意見ほとんど見られない(最後発狂しているで「公共事業乗数効果がある経済合理性がある」と言っているくらい)。まぁ作者が知らないから書けないんだろうけど。

あ、ちなみにこの担任先生この漫画もっとも不憫なキャラクターです。ぶっちぎりでNo.1、たぶん誰も追い越せない。

それこそ登場時はただのモブキャラだったのに作者が(美咲えりというスピーカーを通して)自分意見をぶつけるためのサンドバック役として、急に新自由主義者のラベルを張られ、散々自らの生徒に罵倒された挙句、論争に負けて発狂した間抜けピエロとしてこの物語から葬りさられました。

命を失う描写が描かれなかっただけで、間違いなくこの教師は作者の手で殺されました。魔法少女プリティ☆ベルは彼の死をもっと悼むべき。

そして彼のキャラ紹介欄の半分は新自由主義者共産主義者に対する罵倒で埋められている。

あぁ、そうか住吉先生新自由主義者だけでなく、作者が良しとしないすべての経済理論権化としての属性も与えられていたんだね。

そりゃ、発狂するまでボコボコにするわ。

バトル漫画かませ犬だって、敵の強さを読者に分かりやすく伝えるという物語の進行上での役割を与えられているってのに

このくだりが本編に一体なんの関係があるのんですかね? ここの描写削ったとしてもストーリーに何の影響もないと思んですけど。

んで「勝者側」の美咲えりも11巻では出番無し。

巻末の、なんだこれ? おまけコーナーで、長々~と長文で国家運営における全体視の必要性について語ってました。

作者のスピーカーキャラ美咲えりの完成ですわ。

負けたらお払い箱、勝っても上の人間スピーカー

見事に「主義者」同士での諍いの末路を表しているのは見事だけど、どこまでも本編には関係ないのよね。

ここで美咲えりが語っている内容は、おそらく本編でのイタカ中島説教するシーンで言えなかったこと、書ききれなかったことなんじゃないですかね。

政治経済について語って頂いておおい結構自分意見を反映するのも大いに結構

ただちゃんとやってくれ。

ただスピーカーからだらだら自説を垂れ流すだけなら、漫画でやる必要ないでしょう。

そういうのは今後ブログツイッターでやって下さいな。

2011-10-22

タイダニア憲章

 私は怠けたい。

 なまけてなまけてなまけ倒したい。

 必要のない物を作るために働きたくはないし、他人の財布のために働きたくもない。

 人類中世を抜けだして以来、技術進歩生産性は向上し続けてきた。過去に比べて「生きるために必要な労働」は減っているはずだ。なのに労働が一向に減る気配がないのは何故か。

 それは世の中に蔓延する無駄労働が、われわれの足を引っ張っているからだ。それら無駄労働蔓延を招いたのは、「経済成長」を至上のものとする価値観と、それを信奉する人々である

 彼らは「労働は増え続けなければならない」という謎の理屈を振りかざし、我々怠け者たちを虐げ続けてきた。

 タイダニアとは、怠け者の、怠け者による、怠け者のための国家であり、怠惰社会についての提言である

 (田中芳樹先生ごめんなさい)

 タイダニアの国是はただひとつ、「持続可能な怠惰」だ。

 「全ての国民は、ただ何もせずにだらだらとしていても良い」というのがタイダニアの崇高な理想であり、最終目的である。あらゆる社会制度は、その目的を果たすために設計される。

 怠惰社会を実現し、それを持続可能なものにするためには、いか労働を最小限に抑えるかが鍵になる。「最小労働社会」を目指す、と言い換えても良い。

 そのために必要なのは経済サイズダウンさせ、効率的社会を作ることだ。

失業問題

 自由経済は本来、その経済規模を縮小して労働を削減する仕組みを備えている。

 過去に起きてきた様々な”経済不況”がその証拠である自由競争によって需要の無い事業は潰れ、労働効率化は進み、経済は縮小してゆく。この働きがなければ、我々は文字通り寝る間もない労働を強いられることになるだろう。

 だが、政治家経済学者たちは、その働きを阻害する政策を次から次へと考え出し、実行し続けてきた。経済の縮小を否定して成長と言う名の肥大化を続けた結果、今や経済は巨大な雪だるまと化し、その自重で潰れる日を待つばかりになっている。

 彼らを狂っているのだと断ずるのはたやすい。実際、「持続可能な成長を目指す」(実現不可能なことは明白だ)だの、「雇用の創出のために財政出動をするべき」(金を出してまで労働を増やす???)という彼らの意味不明な言動の数々を見れば、狂っていると考えるしかないように思える。しかし、彼らがなぜ狂ってしまったのか、彼らを狂わせたものは何なのかという事も考えなければならない。

 経済成長論者たちがのさばり、経済の縮小が許されないものとされてきたのは、それが失業を発生させるからだ。

 失業者の増加は不満の増大を生み、社会不安定化をもたらす。様々な革命や動乱の背景に失業問題があったことは良く指摘されている。

 失業タイダニアにおいても深刻な問題だ。善良なタイダニ国民にとって失業者とは羨望と嫉妬の対象であり、理由もなくそれを手に入れる人間が増えることは、社会に著しい不公平感を蔓延させることになりかねない。

 ではどうすれば良いか

 失業問題を解決させるために消費を増やすなどという狂った解決策は、タイダニアではもちろん採用しない。

 結論を言うと、失業問題は一人あたりの労働時間を減らすことによって解決されるべきだ。これによって労働者余暇は増え、労働力を失った企業は新たな求人を行うことになるだろう。

 労働時間をどれだけ減らすべきかについては、その分野の失業率や有効求人倍率によって決定すれば良い。労働時間を減らす方策については、単純に長時間労働を禁止するのも悪くないが、ペナルティとして税金を課すなどした方が、弾力性のある運用が可能になる。

 また、労働時間を減らせば当然収入は低下する。それによって生活が不可能になる人たちが出ないように、経済弱者保護するための施策も同時に行なってゆくべきだ。

貧富の差

 タイダニアにおいては、貧富の差はできるだけ抑えられるべきである。過大な富の行使は無駄労働を生んでしまからだ。

 富を持つということは、労働を強いる権利を持っているということだ。

 貧富の差について、「3割の人間が7割の富を持ち、7割の人間が残り3割の富を分け合っている」という言葉がある。

 貧富の差が縮小し、3割の金持ちが残りの大多数と同じ水準の生活を送るようになったと仮定する。大雑把に計算すると『0.7−0.3×(0.3/0.7)≒0.57』となり、5割以上の労働が削減できることになる。あなたが今、週5日にも及ぶ長時間労働を強いられているとすれば、それは週2日半の労働で済むようになるということだ。

 もちろん、これは乱暴すぎる計算だ。経済格差をそこまで縮小させることも容易ではない。ただ、貧富の差を縮小することが怠惰社会にとって非常に重要だということは理解してもらえるだろう。

行政

 行政に付きものだったムダな公共事業と非効率な役所仕事、これらを削減できる事はタイダニアの大きなメリットの一つだ。

 まず、タイダニアでは経済の拡大を目指さないのだから、景気浮揚のために行われていた公共事業は全て削減できる。国の大型事業はもちろん、「地域活性化を目指し」だの「経済効果を期待して」などの理由で行われていた自治体の事業も同様だ。

 その他の公共事業行政サービスについては、「余暇を増やすこと」という基準を設ける。つまり、「その事業を行うことで削減できる労働時間」と「その事業にかかる労働時間」を比較して、削減できる時間の方が長い事業だけを存続させる。

 この基準の導入によって削減できる事業と、経済活性化のために行われてきた事業。これらを廃止することで、相当な規模の行政コストを削減できるはずだ。税金は減り、我々はその分労働を行わなくても良いようになる。

 また、成長論者たちが言っている「乗数効果」が本当に正しいのであれば、削減したコストの何倍もの労働社会から追放できるはずだ。

まとめ

 成長を前提とした社会は、決して人を幸福にはしない。持続可能なものでさえ無い。

 すべての資源を取り尽くし、消費し尽くした後で、自分たちの築いてきたものガラクタの山に過ぎなかったことに気づくのでは遅すぎる。

 消費は適正な程度に抑えられなければならない。過剰な消費と労働を礼賛し、怠惰価値を認めない社会は、早晩行き詰まる事になるだろう。今すぐに完全なタイダニアを作るとまで言わずとも、その一部を取り入れることはできるはずだ。

 過労死自殺平均寿命の低下、精神疾患、家庭崩壊。過剰な労働は我々の人生を奪い続けている。それらを取り戻すために、そして何よりも子供たちの生きる未来が喰らい尽くされないために、我々は勇気を持って主張するべきなのだ。

 「怠けたい」と。

2011-07-14

http://anond.hatelabo.jp/20110714193657

利子を借金で返すって意味がわかってる?

ですが。

十分、これは成立する話ですよ。

借金して捻出した国家支出に十分な乗数効果があれば、その国債の償還利子を上回るだけの税収増が期待できます

この場合借金しても支出した方が、将来的には国債償還費用差し引いた後でも、政府支出可能額が増加します。

さらにこの場合プライマリーバランスの黒字を維持すれば、信用を維持したまま半永久的に国債借り換えを続けられます

借金が常に損なら、企業は常に無借金経営が最善ということになりますが、無論そんなことは無いのと同じ理屈です

国債の良否は、適切な国債発行額や、十分な乗数効果を持つ支出分野を選定できるかどうか、という運用上の問題にかかっています

この運用で失敗するから永久に持続」が難しいだけで「常に紙くずになる」運命であれば、そんなもの発行する政府も買う投資家もいません。

理論的には半永久的に持続可能」(しかも将来税収やGDPでもお得!)だからこそ、ほぼ全ての政府国債を出しているのです

まあ、実際には運用の失敗がつきまとうからこそ、利率が乱高下したり、ソブリンリスクが大問題になったりするわけですが、

「上手く運用されるのであれば、理論的には半永久的に国債発行が続けられる」という大前提があった上で、その先の「運用どうしよう?」が

実際の経済上の議論になっているわけです

2011-01-10

新聞は衰亡しない―渡辺恒雄読売新聞グループ本社会長主筆あいさつ

皆さん、入社おめでとう。

長期不況就職難のこの時期に、世界最大の部数と、高度の評論報道を誇る読売新聞に入社試験突破して今日入社できた諸君は、きわめて優秀な知性、体力の持ち主だと信じる。

ネット時代に新聞は生き残れない」との扇情的な言論が見られるが、生き残る力のない新聞とは何らかの経営者の失敗、紙面の偏向、一般社員能力の低下、愛社心の欠如等によるものであって、それらは読売新聞には当てはまらない。

私が誇りに思うのは、読売新聞の論調が公正であり建設であること、報道が迅速、正確で、今日国家社会、国際関係等からみて、いささかの偏向もないことである

今はやりのネット世界では、責任不明の発信者による無責任な言論、他人の名誉に対する棄損行為、流言飛語、わい雑で反社会的情報の流布、思想体系のない断片的言説のツイッター等が氾濫しており、青少年教育を害するポルノ出会い系サイトのようなものを規制することもできずにいる。

私は、新聞も本も読まず、ネット世界にのみ侵入している若者は、将来日本を支える指導力、知性、生産力、倫理観等を身につけることができず、国民文化民度の劣化を招くものと心配している。

欧米新聞と違い、日本新聞は個別配達制という日本特有の販売、配達網があり、販売収入が安定している。それに比べ、欧米はもとより、新興国途上国では個別配達網がないか、あっても脆弱なものであって、その収入の七、八割を広告収入依存しているため、その経営力は不況に恐ろしく弱い。欧米の著名な新聞が次々に倒産しているのは、収入源の七、八割が広告収入であり、不況時には企業広告出稿が大幅に減るためだ。

日本新聞は、独自の個別配達網を維持し、正確性、公正性、一覧性、ニュース重要度による多様な情報の有用な整理力による総覧性、可搬性、利便性、教養性等を維持する限り、衰亡することはない。むしろ、乱立し、無謀な競争をし、無責任情報を発信するネット業界の将来の経営の方が危ぶまれる。

だが読売新聞も、新しいメディア世界を傍観しているのではない。YOLや「あらたにす」等を通じ、必要で有用な情報の発信手段は広げている。問題はそれが十分な利益をもたらすかどうかであって、本社の強力なメディア戦略局が日夜、研究、開発し、効率よく利益を得るような事業を展開している。しかし、我々にとってはあくまで新聞が主軸であり、ネットサービス副業だ。

読売グループには、姉妹社に日本テレビ子会社巨人軍中央公論新社等があり、この不況の中で、黒字経営を維持している。

政界は指導力が低下し、与野党とも諸勢力が四分五裂している。その結果、経済不況に伴う失業や要介護者等に対するセーフティネットが構築されていない。政権党大衆迎合マニフェスト原理主義で、財源がなく投資乗数効果も低い、子ども手当のようなバラマキに没頭している。そのため予算の歳入は赤字国債が税収を上回り、国家財政世界最悪の状態だ。

ただし、米国や南欧の財政危機と異なり、日本国債の九三%は日本国民が持っている。しかし、国債発行も限度を越えれば価格暴落金利の上昇、そして不況の一層の深刻化につながる。

私はその解決策を持っているが、部分的には社論でも報じ、時を見て全面的計画を発表する。

日本政治の劣化、それによる不況の深刻化を防ぐためには、新聞、特に読売新聞の論評、解説、報道により、政治そのものの質の向上、活性化を図るしかない。

読売はこれまでにも、憲法改正案、行革案、戦争責任の検証、社会保障税制改革などについて、次々に建設的提案をしてきた。今は不況脱出のための財政金融産業政策についての提案に力を入れている。

最後に、読売新聞の将来について極めて重要な計画を申し上げる。

今朝の朝刊にも出ているように、新社屋の建設である。この大手町本社は一九七一年に建てられ、築後約四十年となる。

その建設当時は、古い経営者の頭の固さもあって、一極集中印刷が最も効率的であると誤信し、しかも鉛と手拾いの活字による輪転機、印刷とその発送のための長方形と三方道路の立地にこだわり、九五台の輪転機を地下五階層にわたって並べることを理想としていた。

私や内山グループ本社社長は、印刷電子化、発送、輸送の合理化、全国分印刷体制を主張したが、まだ若かった我々の主張は頭の古い硬直化した経営者に押しきられてしまった。中でも内山社長は長文の全国分印刷体制論を当時の社長以下に提出したが、却下されてしまった。

私は三年ほど前から、ひそかに大手町から輪転機を完全に移動し、IT時代にふさわしいシステムの配線やコンピューターの設置に適した新社屋の建設検討してきた。

その結果、この大手町の社屋を壊し、その跡に、三○階建ての最新機能を備えた新ビル建設することを決断し、一昨日の東京本社役員会で正式決定した。再建期間中、三年から四年は、銀座新橋演舞場に面した日産本社ビル借家する。この借家は、この本社より外見、内装とも立派だ。皆さんもいずれ新社屋が建設されれば、日本における情報金融機関の中心である大手町を睥睨する新本社で、執務することになるだろう。

思い起こせば、大正末期以来、読売新聞社屋は受難の歴史だった。一九二三年、銀座三丁目に建設した新社屋は、披露パーティーを前にして関東大震災で完全に崩壊し、一九四五年には空襲で跡形もなく全焼した

その間、朝日毎日大阪本社を置いていたため、関東大震災の被害を受けなかったが、一七紙あった東京紙はほとんどなくなってしまった。大空襲でも朝日毎日は戦火を免れた。

このような二度にわたる社屋崩壊にもかかわらず、新社屋の建設を続け、不死鳥のごとくよみがえり、一九七七年、務台社長のもとで発行部数が日本一となり、翌七八年には世界最大発行部数としてギネスブックに登録された。九一年に私が社長になり、それから間もなくの九四年、一○○○万部の世界最大部数を達成した。この時巨人軍も、日本一に輝いた。

創刊以来の苦難の中で、百三十年余にわたる先人たちの苦労の上、今や不滅の読売を象徴する超高層新社屋をこの大手町建設することは、私の生涯の最後の使命である。このデフレによる営業収入減の中で無謀ではないか、との批判も出るかもしれないが、わが社の資産力、経営からしてもいささかの不安もない。

もちろん、この大事業は私一人の力でできるわけではない。全役員及び社員諸君も、日常的な経費節減及び販売、広告収入の増強に向けて、全力をあげて協力していただきたいと思う。新聞窮乏化論のなかで、読売新聞未来は限りなく輝かしいものだと確信する。

新聞新聞2010年4月5日一面より(2010年4月1日読売新聞東京本社入社式にて)

2010-06-19

国会審議は子守唄

ちっちゃなころからプロ市民

19で首領と呼ばれたよ

拉致犯人かばっては

騒ぐ者みなキレつけた

※ああ笑ってくれとは 言わないが

こんなに 俺は眠いのか

ラカンラカン おやすみ

国会審議は 子守唄

金づるルピ夫と2人して

新党つくると 決めたのさ

はぐれ汚沢をとりこんで

力まけして土下座した

(※くり返し)

首相電波で死んだのさ

とっても脱税してたのに

国がなんだかわからない

耳を貸さぬと鳴いたのさ

(※くり返し)

子ども手当てをバラまかれ

景気対策削られて

事業仕分けと言うけれど

乗数効果は何だろう?

(※くり返し)

2010-04-08

首都高値上げして何がしたいんだ?

やっぱ金無かったごめん☆

ってことなのか?

物流を締め上げても経済にとっていいことないと思うんだが。

歳入増えたって常識的に考えて乗数効果の逆数で産業界コストに反映されるんだから意味ないだろ。

意図が全然わからん

2010-03-03

http://anond.hatelabo.jp/20100303111122

てかそもそもその国債借金だって90年代不況を克服しようと公共事業のために発行されたものだから

新古典派的には公共事業をしたらその分民間の供給を奪うと考えられているから

公共事業がきちんと乗数効果で景気拡大してくれるかは甚だ疑問なんだがね

2010-02-06

珍獣くえす [2010.1.30]

 生産性の向上で景気回復

 生産性の向上とは、ようするに、工程の見直しによる節約や合理化、賃下げ、人員整理といった国民所得を引き下げ、雇用を切り捨てる事である。

 切り捨てた側は、一時的にバランスシートが良くなり、株価が上昇したりするが、これらの行為は、継続して行う事が出来ない。今年成功したから、来年も再来年もという、事業としての継続性が存在しないのである。

 切り捨てられた側は、下請け企業ならばコストダウンによる利益幅の低下が発生し、労働者ならば賃下げによる消費性向の冷え込みや解雇による無職化といったリスクが発生する。

 生産性の向上が景気の回復に繋がるのは、唯一、向上した分だけ生産高を高め、販売できた時である。解雇も賃下げもせず、生産量の増加だけを達成し、価格を据え置いたり引き下げたりして、消費者に大量に、湯水の如くに供給して換金する事が出来る場合に限られる。

 そのような商材や売り先が、今、どこにあるのであろうか。

 商材や売り先が無い状態で生産性の向上を進めるということは、縮小再生産を行うということで、産業が支えられる人口が減っていくという事になる。解雇されてはじき出された人は、社会保障が支えるとなるが、その原資である税収も減るので、遠からず、破綻する事になる。

 ケインズ主義の総需要を増やす為に財政出動という話にしても、その財政出動乗数効果が実効税率の逆数以上でなければ、財政赤字を増やすだけとなり、かえって消費や景気を冷え込ませるのである。

 行うべきは、生産性ではなく、創造性の向上であり、アイディア技術の実現を奨励し、懲罰的賠償金制度のような、チャレンジを妨害する制度をやめさせる事である。

 無条件にやめさせることは出来ないので、問題となった装置製品市場占有率を基に、支配的立場にあるメーカーに対しては請求できるが、そうでないメーカーには請求できないというような制限をかけるだけでも、サードパーティが増え、市場における競争を発生させる事が可能となる。特許においても、独占型の場合には無条件で支配的立場になるが、非独占型であれば、市場占有率が十分に低ければ支配的立場にはならないという逃げ道を作れるのである。特許は本体が持ち、実際の製造は子会社や協力企業にばら撒く事で、問題の発生した製品を製造している企業は沢山あっても、どれも支配的立場にないから通常の賠償は負担させられるが、懲罰的賠償は被らないで済むという回避が可能になるのである。

 不都合の出てきている制度の改廃こそが立法府の本分であり、財源が無いのに税金のばら撒きをやるべきか否かや、どこにばら撒くか、あるいは、ばら撒き先との癒着である賄賂等の政治と金の問題でゴタゴタしているのは、与野党共に、本分を忘れているとしか思えない。

 自民党から追い出された議員達が与党になっているが、自民党から追い出された理由であるお金の問題や失言暴言は、全然治っていないようである。自民党だったらとっくに辞職や離党勧告モノである。実際に追い出されているのに、反省していなかったようである。野党暮らしをしても人格陶冶されないというのが、政治家という職業なのであろう。

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