はてなキーワード: クラスタとは
It had been more than twenty years since I’d traveled to Asia. Our seven-day tour started in Tokyo, where I delivered a speech on the U.S.-Japan alliance and met with Prime Minister Yukio Hatoyama to discuss the economic crisis, North Korea, and the proposed relocation of the U.S. Marines base in Okinawa. A pleasant if awkward fellow, Hatoyama was Japan’s fourth prime minister in less than three years and the second since I’d taken office—a symptom of the sclerotic, aimless politics that had plagued Japan for much of the decade. He’d been gone seven months later.
1.鳩山元首相の人柄について、"pleasant if awkward"の翻訳の順番
(1)鳩山は"pleasant"であるが "awkward"なのか、それとも、(2)鳩山は "awkward" であるが "pleasant"なのか
Twitterの翻訳家クラスタでは(1)は誤訳であるという意見が多数。正しくは、直訳すれば「鳩山は、ぎこちないけど("awkward")楽しい("pleasant")男だった」になる。
2.”a symptom of the sclerotic, aimless politics that had plagued Japan for much of the decade” は、何を指す文章か
(1)鳩山元首相個人に掛かるのか、(2)「3年間足らずで3回も首相が変わった日本の政治状況」に掛かるのか
Twitterの翻訳家クラスタでは(1)の立場は誤訳であるという意見で全会一致。
「鳩山は、私が就任してから3年足らずで4人目の首相になり、私が就任してからは2人目だった。それは、この10年の間、日本を悩ませていた、硬直化した、無目的の政治の症状だった。鳩山も7カ月後に去ってしまった」
2の誤訳のほうが深刻で害が大きい。
米 オバマ氏回顧録 「硬直化し、迷走した日本政治の象徴だ」 | NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201117/k10012715931000.html
同日 14:58
時事通信が1と2を誤訳して報道~沖縄基地問題で「トラスト・ミー」と言ったことでオバマは不信感を持ち回顧録で批判したと記す
同日 22:52
11月18日 5:00
鳩山元首相らの短命政権は「硬直化し、目的ない政治の象徴だ」…オバマ氏回顧録 : 国際 : ニュース : 読売新聞オンライン
https://www.yomiuri.co.jp/world/20201118-OYT1T50042/
>2009年の初訪日に関しての記載があり、当時の鳩山首相を含め、日本で短命政権が続いたことについて、「硬直化し、目的もない政治の象徴だ」と表現した。
NHKが17日朝に「オバマが回顧録で『鳩山元首相は迷走した日本政治の象徴だ』と記した」と報道
↓
時事通信が昼にNHKの鳩山批判の誤訳に引っ張られて回顧録の一節を『気さくだが厄介』と誤訳。(正しくは『ぎこちないが感じ良い』と語順が逆)。さらにオバマの批判は沖縄基地問題が原因と勝手に意味を付け足す。
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共同通信が夜に、NHKや時事の誤訳に引っ張られて『感じは良いが付き合いにくい』と誤訳。
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共同配信記事により、産経やデイリーなど各スポーツ紙が嬉々として「オバマが鳩山批判してる」と誤訳を拡散
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読売新聞が翌18日朝、NHK、時事、共同の誤訳記事をスルーして、正確に翻訳。鳩山の人柄の評価の部分の翻訳はスルー
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午前以降、毎日新聞やTBS、日テレ、フジテレビ、テレビ東京等が「感じはいいがやりにくい」「鳩山は目的を失った日本政治の症状」と揃って誤訳
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加藤官房長官の記者会見で、誤訳に基づき記者が質問し、それが記事になり、夕方以降のニュース配信でさらに誤訳が拡散
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夜、朝日新聞が「ネットでNHKや時事通信の誤訳指摘が出てるぞ」とデマ指摘のまとめ記事配信
Obama: Japan's politics were 'sclerotic' | NHK WORLD-JAPAN News
https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/news/20201117_25/
誤訳はしていない
Obama recalls Japan's revolving-door leadership era with frustration - The Mainichi
https://mainichi.jp/english/articles/20201118/p2g/00m/0na/042000c
"awkward"という言葉を単独で取り上げ恣意的に引用することで、オバマは鳩山を批判したと書いている。誤訳ではなく印象操作によるフェイク報道。
Obama Recalls Ex-Japan PM Hatoyama as "Pleasant If Awkward" | Nippon.com
https://www.nippon.com/en/news/yjj2020111700728/
共同通信と違って"pleasant if awkward"と全体を引用しているので、オバマによる鳩山の人柄論評で誤解が生じることはない。しかし、その後の沖縄基地問題で信頼が崩れたといった付け足し部分は日本版と変わってないので、記事の構成がおかしくなっている。
いまのなろうトレンドを見てると、音楽界にあった音圧競争的なものを感じられてならないね、というお話です。あ、そう感じただけで結論はねーです。
ウェブ小説サイト「小説家になろう!」は、日本でも有数のページビューを抱える化け物サイト。そこでは雨のあとでもないのにタケノコがニョキニョキニョキニョキ生えてくるような状況。なのでそこを勝ち登るためのメソッドがどんどん研ぎ澄まされてってます。
これについて雑に現象を収斂すると「長文タイトル(タイトルでどんな内容かを明示する)」「テンプレ化(人々が楽しみたい物語類型に従ったストーリーテリング)」の二つになるでしょうか。特に後者がやばい。ものすごい勢いで物語たちが生まれるってのは、新陳代謝、練磨の速度もそいつに伴ってきます。更に、ガンガン系やエース系、後は各紙のウェブ連載漫画などには、かなりその影響が波及している印象もあります。
が、この流れって、どこまで続くんでしょうね?
と言うのも、音楽業界に似た流れがありました。それが上で書いた、音圧競争です。
音圧ってえのは、簡単に言うと「同じボリュームで、どれだけ音が大きく聞こえるか」の指標です。音楽製作ってな、容量の決められた箱の中にどんなものを入れるか、みたいなところがあって、その箱の中により多く物を詰め込めると、それだけ音圧がでかくなります。
人間、好ましい刺激があると、もっと強い刺激を欲するもんです。音楽の場合、まさにこの「音圧」こそがそれ。でかいは正義。分かりやすい。そして、途中はすっ飛ばしますが、デジタル化で、めっちゃ詰め込みやすくなりました。スコップで穴掘ってた人間に、突然ショベルカーが与えられたぐらいのアレです。
ただね。結局、限界があるんですよね。
どんどんと曲の音圧が上がっていく。すると入れ物にギチギチになっていきます。そこに遊びがなく、息が詰まってくる。
もともと、音の大小ってのは静かなところがあってこそのハデハデしいところです。音圧競争の激化によって生み出された曲たちは、「ぱっつんぱっつんで、メリハリがない」と一部で嫌われるようになりました。その流れの末、 YouTube では「音圧でかけりゃいいってもんじゃねえぞオラ」てきな方策を打ち出します。一定以上の「音圧」がある曲が、強制的に音量を落とされるようになったんですね。このへんの具体的な内容はこちらに。
G.C.M. RECORDS
YouTubeの自分や他人の曲が何dB音量を強制的に下げられているか調べる方法
https://www.gcmstyle.com/youtube-gain-check/
これによって、一定以上の音圧を稼ぐことに意味がなくなりました。リンク先によれば、他の音楽再生サイトもこの流れにしたがっていきます。かくして音圧競争には終止符が打たれ、 「適切な音圧」の枠内で音楽たちは戦いを繰り広げるようになったわけですが。
これがね。いまのなろうトレンドの進み方にかぶる感じがして仕方ねーのです。
この辺の与太話を書こうとした動機。それは、めっちゃなろうトレンドを研究してらっしゃる方、「うっぴー/ライトノベル作法研究所」さんのこのツイートを拝見し、んん? と思ったことでした。
>> You Tubeで昔のエロゲのプレイ動画を見たら。 ・展開がダラダラと劇的に遅い ・主人公下げ。ヒロイン下げなどのストレスがちょこちょこ挟まり、すぐにこれが解消されない ・無駄と思われるシーンが多い。 エロゲは人生のバイブルですが、現代のなろう小説がいかに進化しているか、わかりました <<
https://twitter.com/ranokenn/status/1328484670778920961
うっぴーさんは別のツイートで、なろう作品では「共感させ、大活躍させて、すげぇと言われて、ざまぁすることが超重要」と説かれています。つまり、感情移入できる主人公が強くて、活躍して、ムカつくやつをやっつけて、称賛される。ついでに言えばモテる。それをいかに物語の骨子とできるか、が「なろうで勝ち上がるために」重要だ、と仰るのです。
主人公アゲが作中でなされればなされるほど、読者は高揚する。なので、それをより端的に、継続的に提供し続ける。そういう作品が、勝つ。更に言えば、「長文タイトルで」どのような方向性の主人公アゲがもたらされる物語なのかを、余すところなく語る。
ここで、主人公アゲを「アゲ圧」と呼びましょう。
月刊少年漫画誌の作品などは、「エピソードボスを倒す」というアゲ圧マックスポイントを作るために、途中ではアゲ圧を下げます。主人公のピンチ、初戦の敗北、回想シーン、などですね。これらを積み上げ、エピソードボス撃破、及び後日談というアゲ圧マックスポイント、いわゆるカタルシスを演出する。
っが、なろうではこの悠長なやり方が通用しません。一定以下のアゲ圧となると、読者の離脱が発生するそうなのです。ゆえに、常にアゲ圧の高さをキープ、なんならほぼ全編クライマックスくらいの状態を作るようにせねばならない……のだ、とか。
その精華が、うっぴーさんのツイートに現れているように思うのです。よりスピーディーに、より劇的に、物語を組み上げる。なるほど。けど、それってどこまで行っちゃうの?
「なろう系」を提供する総本山、小説家になろうは、レギュレーション違反以外のことで作品には介入しないのを旨としています。となれば、YouTube が見せたような「いい加減音圧競争やめーや」的介入はありえない。なろうトレンドバブルの崩壊は、自然発生的な形になるんでしょう。
ただ、ならそれがどんな形で発生するのか? また、バブル崩壊後の作品分布はどのようになるのか? こいつについては、自分みたいな半端者ではまったく想像もつかんのです。
以上の話、あえて結論を申し上げれば「おいおい、そのうちなんかおもしれーこと起こりそうだぞ、どーなのよ」となりますでしょうか。いやー、人類たのちい!
あら反応いただけて嬉しい。文通させてね。
一番多いのはこれよね。
信じてないですよ。どちらかと言うとこちらも批判的な立場です。ただし全否定もしません。「なろうという戦場の最先端近くにいる人たちを見ている」ことはすごくて、でも「それを語る氏のメガネ」は曇ってる。そう言う立場でいる中で、無双モテすげぇざまぁという感情を揺さぶるのが「なろうトレンド」という氏の発言には説得力を感じてます。油断するとすぐ否定的言説になるから、敢えてアゲ基調で書いてるけど。
ついでに言っとくと「真に受ける」じゃなくて「分析通りの状況になってる」から言及してるわけであって。今のなろうのランキング眺めてみ? うっぴー氏の分析どおりだし、あとキモいから。
「お前の作品はロミオとジュリエットのパクリだ」とか言われても「はいその通りです」としか答えようないものねー。読んで「パクり元に対してシリアスか」になってくるのかなって思うけど、正直わからん。
すげーいっぱいあるよね。ランキングにずらずら並んでるのを見て正直引いてる。
然り、然り。
このテーマね。申し訳ないけど、他ならないうっぴーさんが回答してるよ。「なろうは時間つぶし、暇つぶしに見る人が多い。こういう人たちは、たとえどれだけ頭がよくても、あまりものを考えずに読めるものが欲しい」ってね。
もと発言者を信用するかどうかはさておき、このテーマそのものは興味深いと思ってるよ。
これ、俺も正直よくわかんない。けど「書きたいものを書いてウケないよりも、書きたくないものを書いてウケたほうが嬉しい」って言ってる人もいるし、そうなんじゃないかな?
せやな。だからその辺の話してないやろ? 「目立つとかってだけ」の話しかしてない。
というかそもそも「ガチで読みたい」人ははじめっからランキングなんぞ頼んねえだろうよってゆうね。そしてガチで読みたい人なんてさらっと読みたい人に較べりゃ圧倒的にパイが少ない。そんな人が求める作品なんざどだいランキングになんぞ上がってこねーでしょう。
奇遇だね、俺もあなたの「珠玉金剛」って表現気持ち悪い。まぁ合わない人同士、ここは距離を置いときましょうや。
ありがとう。技術論云々以前の、こういう感覚的な部分って決して見過ごしちゃならないものだって思うんだよね。
人間、よりわかりやすく、より刺激の強いものを、ってどうしてもなるよねー。
ぐんぐん圧縮され過ぎて、そのうち新規参入の人が見たらただの奇形物にしか見えなくなるんじゃないかなって思ってる。ていうか正直俺には今のなろうトレンドって奇形物の集まりにしか見えない。
わかる。転スラ読んでギブアップしたのもそれ。
謎の圧力にさらされて疲弊するんですね、わかります。確かにそういう作品多い。
「限られた範囲で、いい塩梅で」ってのは、まぁ確かに簡単に実現できるもんでもないしねぇ……。
わかるー。オールオアナッシングのほうが楽だよねー。余計なこと考えなくてすむし。じゃあその方向で、ご自由にどうぞ。
こっちの書きたかったことが一切伝わってないのはわかりました。
もうありそう(こなみ)
今日クレーム対応をしていたことを思い出し、あとコロナ直前の出来事もあってぐるぐる考えてたら行き着いたことについて。
日本人のマナーや心構えは「恥」に立脚した文化のように思える。
美しく手順に従った所作などは外向きと言うよりも内向き、自らを律する(いわゆる「道」の類に多い)決め事がほとんどである。つまりは掟破りが「自分にとって恥ずかしいこと」ということだ。
まあ、そういう習性のクラスタがいる。一方で自ら恥をかくという感覚が搭載されておらず「恥はかかされるもの」という習性のクラスタがいる。日本のとくに都市圏ではこの2つのクラスタが住処を分けられずに混ざってしまう。そのうち「かかされる」クラスタがかなり厄介である。
上に述べたクレームもそうだが、かかされるクラスタの行動動機で考えうるうちの2つの例がある。「相手に恥をかかせれば自分に利益がある」と「恥をかかされた仕返しで相手により恥をかかせる」というものだ。
近頃では「クレームはよくよく聞けば『特別に便宜をはかれ』という主張に収束する」という考えがインターネットを通して共有されているが、そのよくよく聞かされている部分は「いかにあなたが恥ずかしい行動をしていたか」を手を変え品を変え説得、もとい洗脳しようとしているに過ぎない。商売としてどうなんだ、人間としておかしくないかなどという言葉は結局「恥ずかしいだろ?」ということを糖衣コーティングしただけだ。対外的には反省を促す言葉に見えて、ただ誠意をもとめている(その「誠意」の意味も歪んで認識している)。
しかしどうして、わざわざ恥をかかせにくるか。まあ、単にかかされるクラスタは喧嘩の文化圏に生息しているから、といえばそうなのだが、もうひとつある。
「恥をかいたことを反省するらしい」というのは学習できたらしい。
相手は恥をかいたとすれば改めて自分を律し自らを罰する、その隙につけ込めるという「得」は覚えられてしまったのだ。
流石に21世期に入って新世代は「恥ベース」と「規律ベース」を分けて考えるものだが、ひと昔前の、それこそ団塊ジュニアくらいまではまだ恥と規律が混ざり合っていた。だからそこに気づいた(気づいてなくてもうっかり使いこなせた)人や利用することを考えた国にああだこうだ言われてきたんだろう。
いまは過渡期だ。確かに恥をかかされて怒ること、かかされたから便宜をはかれ!というのは通じるかもしれない。あと、誠意を見せないならと行政に介入を求めたり、地域住民に知らせて回るのも構わない。なんなら追い出しだって通じる。おそらくは現代が失ったえた・ひにんの矛先がたまたまそこに向いているだけ、という言われ方もするかもね。
個人で出来ることはもう少し便利になると思っていた。
WWWCや、はてなアンテナ、RSSで大手メディアで報道されないようなマイナーでも詳しい情報が得られるものだと思っていた。
でもRSSは消えていったし、そもそもマイナーな情報を発信する人がいなくなった。
個人で何かをするときは稼げることが前提となったことで、Appleなどの大手が広告費を負担しているものに乗っかり、
詳細なカテゴリー分けされたリンクがあった時代は、知らない単語にぶつかることができたが、知らない単語を広めることができない。
情報発信したところで大規模に広告を打たないと見てもらえない。
一方で、SNSでバズって一時的に全国から問い合わせが集中し、客を待たせるわけにはと事業規模拡大したと同時に忘れ去られる。
個人が情報を発信し、受け取る側も賢く取捨選択すると言われているが、そうなっていない。
世界的な大企業の製品のプロモーションに、いかに乗っかり、そこから外されないかの競争になっている。
選択肢が増えているようで増えていない。
例えばAppleやGoogleの製品をいかに上手く宣伝するかでSNS上での地位も決まる。
日本全国や世界規模にならず、街中の一定数の人相手にするといったのが持続性がない。
がんばってローカル情報を発信する人はいるが、ネット広告ではやっていけない。
AIで、それぞれの個人に合わせた提案が可能になるとか言われているが、
機械学習にかかる費用は大きくなりすぎてしまっていて、個人が払う金額ではペイしない。
そうなるとお金を払ってくれそうなクラスタに属しているかどうかで、テクノロジーの進歩の恩恵にあずかれるかどうかが決まってしまう。
個人で創作するためのデジタルツールはそれほど進歩していない。
未だにリアルな3Dを作るのは膨大な時間とお金がかかるし、計算機の能力も足りていない。
動画は4Kは撮れるようになったが、未だにマイクで音声を撮ったり音声を処理する機能は足りてない。
部屋の環境音くらいは消せるようになったが、録音でこもった声をハッキリさせるといったのはEQから進歩してない。
ゲーム実況や商品紹介など、一から創作するよりも、大規模にお金をかけた物に乗っかる方が偉くなってしまったし、クオリティが高いと賞賛される。
知ってる人には今更な考えでしかないと思うんだけど、ひろゆきの支持者を見てるとこれもう分断とか100年単位で解消しないでしょ、と思えてくる。
俺はバクサイとか割とネットの片隅としか認識していなかったし、そもそも世代から外れてるオッさんだし、2chも俺が見てた頃は亜インテリや似非インテリの人がそこそこいた気がするんだよ。性格も根性も大体悪い奴らばかりだけど、少なくとも物知りであることは良いことだという価値観をもっていた人たち。これは反韓や右翼と呼ばれる層も一定そうだった気がする。まあこれも老害的思考だという自覚はあるけどね。
でも昨日の木村氏との喧嘩を見て、ひろゆき支持者がマジで爆サイの利用者層と似たような感じでなんか驚いてしまったんだよね。繰り返しだけど、今更ながら。
なんか納得したよ、学術会議がはてな利用者層とツイッターの一部のクラスタからしか支持されないのを。めちゃくちゃ個人的な観測範囲でしかないけど、なんか雑感でした。
大半の政治クラスタと絡みたくない(見かけたらブロックしてしまう)理由はこれ
「特に30代の人間がひどいんですよ~」ぐらい言えたらよかったものの自分の観測範囲だと全年代にまんべんなくいるから多分そういうもんなんだろうなって
自分がやってるゲームよりセルランが低いゲームやってるやつは貶して良いって言葉にはしてないけど思ってる人多い
特に流行り初めの中国ゲームユーザーが某英霊召喚バトルより勢いがあると思えば喧嘩を売ってる場面なんていっつもだ
でもこれは自分の観測範囲の問題かもね 大半のユーザーはそんなことどうでもいいかもしれない てかそういうのが目立つだけかもしれない
皆違って皆良い
そういうことを小学校で言われまくって道徳の授業でようわからん問答をさせられたようだけど
どうもそう思ってない人が多いような気がするね
楽天の渡辺選手が引退を表明し、さきほど引退試合をみたところで、
過去の思い出にふと浸ってしまい、大変個人的な思い入れではあるのだが、彼のキャリアへの経緯と感謝も込めて記録しておきたい。
2009年のイーグルス初のクライマックスシリーズ進出に大いに貢献した渡辺直人選手を特に贔屓にしていた。
(その頃はあまり「推し」という言葉は一般的ではなかったように思うが、まさしく「直人推し」だった)
渡辺選手が2011年から3シーズンだけ在籍していた横浜DeNAベイスターズのファンであった。
当時はtwitterが流行り始めの頃合いで、まだ"野球クラスタ"もある程度限られていた。
しかも当時のベイスターズはDeNAに買われる前で、万年最下位の暗黒状態でファンの数も少なく
twitterで横浜ファンをフォローしようとしても100人に届かないような状態だった。
そのため割と節操なく、横浜ファン以外の人も広く野球ファンという括りでフォローをしており、
私が彼女をフォローしたのも、そんな他球団ファンの1人として、たまたま野球に関するツイートをしていたからだった。
私はあまり負けて選手を批判したり罵ったりするのを見るのは苦手なほうだった。
そんな中で選手の推しである人というのは、比較的温かい目で応援するタイプの人が多く、
彼女のツイートにも別チームながら好感を持って読んでいて、ファンとしてのスタンスが合ったことから、
お互いにリプを飛ばし合ったとtwitter上で仲良くなった。その最中で事件は起こった。
チームメイトやファンに愛される主力選手の放出は、楽天ファンの方にとって大変ショックな出来事であり、
嶋が号泣したり岩隈が生放送に駆けつけたりしたことを覚えている方もいらっしゃるかと思う。
彼女は大変ショックを受け、放出を決断した楽天球団に少しの不信感を持つとともに、
当初は電撃トレードのショックに同情していたが、同じチームを応援する仲間になったことを嬉しく思い、
初めてリアル対面し、観戦デートを経てお付き合いすることになった。
メッセージでのやりとりで内面や趣味をある程度わかったところで会うというスタイルは向いていたようだ。
(今ならマッチングアプリでよりスムーズに事が運ぶのだろうが)
ただ、"それが今の奥さんです"みたいなことは全く無く、残念ながら1年経たないうちに別れてしまったのだけれども。
それでも初の彼女ということでその時は浮かれていたし、楽しいデートの思い出もあり、いい出会いだったと思っている。
この思い出も、渡辺直人が横浜ベイスターズに来ていなかったら無かったのだと思うと、かくも人の縁とは不思議なものだなと思う。
モトカノの思い出を妻に語るのも憚られるので、この感慨を残したく匿名ダイアリーに書かせてもらった。
渡辺選手の横浜での在籍期間は、彼のキャリアからすると短い期間ではあった。
その後の西武での活躍や、楽天に出戻ることも、当時は想像すらしていなかった。
ただ、その隙間には、応援するチームを変えてしまうくらい、惹きつけられた人がいて、
その魅力を語り合ってつながったファンがいた、というのは、すごいことだなと思う。
松坂世代の最後の野手として、長く野球をやり、移籍を経験した選手だから、
ネットで政治クラスタをした結果、「怒ることに依存している」自分に気づいた。
許せないやつ、嫌いな政治家、不真面目な発言、政治運動、嫌いなオタクの炎上ニュース。
そういう意味では、はてなブックマークはすごい最適化されたツールだった。
SNSでも常に炎上ネタを探し、怒りながらああでもないこうでもないとキレていた。
安倍政権を見ては安倍にキレて、野党を見ては野党にキレて、オタクだのフェミだの見てはオタクだのフェミだのにキレていた。その比率が違うからお前は左翼だ右翼だなどと言われていたが、冷静に考えていたら、ただキレやすい中年だったのだろう。
そして極めつけは、憧れてる人に「難しい話ばかりしてる」とめちゃくちゃ遠回しに言われた。
ようするに、嫌な奴になってると言われたのだ。
自分のツィートをここ一年分読み返してみたら、だいたいキレてた。
周囲の人間も似たような人がたくさんいるけれど、これって異常じゃない? 毎日政治の話をして毎日怒るネタを探して、はてなブックマークで許せないネタを探し、そして、キレてSNSでレスバトルするって。
それで何人も友人をなくした。
当たり前だろう。
いつもキレてる人間に近寄りたくないもん。
自分でもそう思ってるのに、あのイラストは許せない、あのイラストはいい、バイデンだのトランプだの、表現の自由の戦士だの性的搾取がどうだのフェミだの規制だの言われるとその話題から離れられない。
顧客層ではなく、顧客層が嫌がるクラスタに向けてPRしたってなもんで
従来の顧客層がふざけんなよ!そんな風に見られたくてタイツはかんわ!って怒るのは当然
顧客層側としては、実用品探してたのに、突然それがラブグッズとしてサジェストされてきたみたいなキモさがあった
えっ靴下探してたんだけど、バイブとかと並べておすすめされてんの!?きもっ!みたいな
あと広報担当やイラストレーターは女じゃんって批判もあるけど、
男とか女とか関係なかったね、その辺の感覚がにぶい女は女性からしても勘弁だわ
「犯人は男だろ!」と決めつけて怒った人には、決めつけられた側は怒って良いと思うけど、
この広告はおかしーだろって批判自体は怒られるもんじゃないと思うな
「緊急避妊薬市販化推進に注力したフェミニスト」の例として多摩湖さんやピルつきさんが挙がるなら「オラ斎藤環さっさと謝れよ」という話になるのだが、件のツイートを叩いてるクラスタ内でそういう空気が一切ないといことは、所詮はイデオロギー戦争でしかないわけで、「どっちもどっちだし静観しとこ」としかならんのよな。
俺自身も一応フェミニストの端くれだとは思ってはいるのだけど、いい加減フィクトセクシュアルに対する差別意識をフェミニズムのメインストリームから外してくれという意味で、斎藤環氏の言葉の気持ちだけはわかるのよな。気持ちだけは。(ちなみに斎藤環氏は戦闘美少女という表象についてセクシュアリティの議論が必要であることを指摘した先駆者の一人なので、フィクトセクシュアルの一人としては肩入れせざるを得ないのよな。)
推しのソシャゲが夏にサ終を迎えてから数ヶ月、心が虚無になってしまったのか何の作品にもハマれなくなってしまった自分がいる。
推しのソシャゲは元々売上が芳しくなく、ツイッター検索でタイトル名を検索しようとすると、ほぼ常にサジェストにサ終の文字がくっついてくる程だった。定期的にセルランが低い旨のツイートが流れてきて、その度にユーザー同士が「私たちが課金して支えよう」「みんなもっと課金しよう」という空気になっていたのだが、正直毎月使えるギリギリの金額まで課金していた私は、その空気に「もう出せる人は出せるだけ出してるよ、ユーザー同士で圧をかけあっても仕方ないよ、怖いよ」と勝手に怯えていた。
思えばこれはただ私が勝手に圧力だと受け取って勝手に怯えていただけの話ではあったのだけど、サ終の告知があった直後、匿名掲示板の推しソシャゲスレは「ゲームは良いのにユーザーが課金しないせいで終わった」という意見が少なからず書き込まれていた。その件もあって、やっぱり怖いというイメージは今でも捨てきれない。
ソシャゲはサ終=死ではないという意見もある。しかし夏にサ終した推しソシャゲはその後細々グッズ展開を続けるのみで、フラグを殆ど回収せず完結扱いになってしまったストーリーの続きが見られるかどうかというと、流石に希望が持てないと思う。
周りの推しソシャゲクラスタは新しい作品にハマっていき、そんな中で既に更新がなくなってしまったソシャゲジャンルに残り続けてくれる人は決して多いとは言えない。元々収益が見込めなくてサ終してしまった作品が、この状態から立て直すとは、申し訳ないが、とても思えない。
私は推しソシャゲのことが、作品として本当に好きだった。アツい展開のストーリーに魅力的なキャラクター達、クオリティの高い音楽、どれをとっても最高の作品だった。けれど私の課金額は決して多くはなかった。その事実が私の頭の中で、「私にもっとお金があれば良かったのだろうか」という後悔を生んでいて、推しソシャゲを好きだった気持ちよりも、「つらい、もう二度とソシャゲはやらない」という負の感情を後押しし続けている。
もちろん、たかが一人が少し多くお金を出せるようになっただけでソシャゲの命運が変わるわけがない。事実はそうだが、理解しているはずなのに気持ちを切り替えられないでいる。
前記の圧力を感じてしまった話に戻る。ここからはぶっちゃけオタクのお気持ち表明だ。(というかここまでもただのお気持ち表面だ。より主観が強い文章になるのをお許し頂きたい。)
推しソシャゲは「作品の出来はいいのに運営の課金誘導が下手」と各方面から言及されるほど、課金要素が緩い作品だった。裏を返せば無課金でも楽しめる要素が豊富で、そんな開発や運営側のサービス精神がユーザーの信用を買っていたのだと思う。
ただ、その運営への信用が、私にはユーザー同士の圧の掛け合いを生んでしまったように思えて仕方ない。
予め私の主張を表明しておくが、"この話は運営が悪かったわけでも、ましてやユーザーが悪かったわけでもない"。ただ、"大好きな作品を何としてでも終わらせたくないという皆の愛情が、拗れて表面化してしまった悲劇"なのではないかと思っている。全て一個人の主張であり、主観的な意見であることをお許し頂きたい。そして文章が長くとっ散らかってしまっているのも申し訳ない。
実は、推しソシャゲはサ終告知の前から、徐々にイベント配布の(スキルのようなものである)モーションの使い回しをするようになったり、さらにはその使い回しすら無くなったりしてしまっていた。
この時クラスタは(少なくとも私の見える範囲では)、使い回しにガッカリする人や、売上が下がっているから仕方ないんだと解釈する人や、さらにはお気持ち表明ツイートをする人、その人に対してお気持ちを表明する人、などで少々荒れた空気になってしまった。
推しソシャゲは3Dのモデルを使用しているゲームだ。3Dのモーションを一から作るのには、2Dのイラストを動かすよりも明らかにコストがかかる。それなのに、売上は下がり続けていた。そんな運営状況が続けば、課金に繋がりにくいイベント配布からコストを下げられるのは仕方のないことだと思う。
だけど、「せっかく課金したのにモーションが使いまわされるなんてガッカリだ」という意見が出るのも仕方のないことだと思う。そのイベントでは、前イベントでのガチャ排出のモーションが、配布イベントに使いまわされていた。せっかく課金したのに、ガチャ産が配布に使いまわされるなんて、と不満に思うのはある種ユーザーの権利だとも思う。
ただ、その後のイベントが問題だった。今度は配布カードには使い回しのモーションすらなく、そのもの自体がなくなってしまった。そして告知にはただ、「今回のイベント報酬にはモーションは付きません」というお知らせしか書かれていなかった。(運営が内情まで説明できるわけなんてなく、これも仕方のないことだと思うが。)
そこで、様々な憶測がユーザー同士で飛び交ってしまった。「ユーザーが使い回しを嫌がったからモーションそのものが無くなったのでは」や、「使い回しすらできないほど運営がピンチなのでは」など、様々な意見でクラスタ(重ねて言うが、私の見ていた範囲の話だ。)内は荒れてしまった。これらの意見は全て憶測に過ぎないのだが、運営からの説明がない以上、ユーザー側は推測でなんとか納得しようとせざるを得ない状況だった。
けれど、ここで運営がコスト削減の理由を説明なんてしてしまったら、憶測のうちどれかが事実だと確定してしまったりしたら、クラスタはさらに荒れてしまっていたかもしれない。この件に運営が上手く動けなかったのも、仕方がないのではないかと思う。
大事なことだからもう一度言う。これは運営が悪かったのでもなく、ユーザーが悪かったのでもなく、ただ私が勝手に疲れてしまったと言う話だ。
運営の状況がわからず、サ終に怯えるユーザーは推測で物を語ることしかできない。運営は悲鳴すら上げてくれない。大好きな作品が突然終わってしまうかもしれないという恐怖で、誰もが気持ちを落ち着けるための納得がいく理由を欲しがっていたのだと思う。それがユーザー同士に向いてしまったのでは、と捉えている。大好きだからこそ、絶対に終わって欲しくないからこそ、愛情が生んでしまった悲劇なのではないかと思っている。
私が、ただ勝手にそう思った、という話だ。
サービス終了の告知を見た時、実は私は、少しだけ安心してしまっていた。ようやく「大好きな作品が終わってしまう恐怖」から解放されたような気がした。推しのソシャゲのサ終に安心するなんて、我ながらとんでもない親不孝、ならぬ推し不孝だとも思う。
そんなことが夏頃にあって、現在私は特に何の作品にハマることもなく、特に好きなものもなく、虚無の日々を過ごしている。また何かにハマった時、こういった「クラスタに対し勝手に恐怖を抱く」ことで、作品愛を疲弊が上回る"推し不孝"の状態になってしまうのでは、と思うと、何かに対して好きという気持ちが湧いてこない。