はてなキーワード: クラスタとは
あまりに同世代のヲタク過ぎて笑ってしまった。スルーするつもりだったが、いいものを読ませて貰ったので俺も勝手に当時のことを語ろうと思う。
といっても、大筋の所では同意するし否定するようなところもない。
「ネットに対する信頼があったから」なんてのは、まさにそんな感じだよなぁというところだ。
だからまぁ、あんたよりもう少しだけ型月の方にいたヲタクとしていくつかの補足をしようと思う。
まず抑えておきたいのは、月姫からFate/Snの間にいくつかファンが流入してくる導線があるところだ。
言及されているうちの一つとしては、空の境界。これがライトノベルや同人小説を読む層、つまり小説読みのヲタクにリーチしていた。参考リンクとして以下。ttp://maijar.jp/word/serifu/ka-1.htm#kara
文脈を簡単に解説するが、当時Webにあったライトノベルクラスタのうち最大規模の感想サイトで取り上げられていた、という理解をして欲しい。もちろん規模は"当時としては"だ。ユニークユーザは今とは比べものにならないくらいの身内感だった。が、そういう層にも確かに届いていたし、そこのファン層がFateを買った、というのは事実だ。
次に、格闘ゲーム。つまりMelty Bloodだ。
当時何故かPCで出来る同人格闘ゲームが大流行していた。主要タイトルを年代別に並べると、QOH、EFZ、パブレ、そしてメルブラ、というところになるだろうか。昼はゲーセンで格ゲーをやり、夜に集まってはPCで対戦格闘ゲームを繰り返していたような層にもリーチしていた、という理解をしてくれればいい。クラスタとしては近いようで割と遠いのだが、そういう層にも届いていたのを観測した記憶がある。
ここのところはあまり詳しくないので別の誰か補足してくれてもいい……が、本題から外れるか。
感覚的には月姫からFateにかけてで一気に同人ショップの棚が型月で埋まったような記憶はあるが、流行廃りもあるしあくまで印象の域を出ない。というわけで探してみたところ、コミケのジャンルコードとサークル数を記録しているところを見つけた。ttp://myrmecoleon.hatenablog.com/entry/20071227/1198710524
TYPE-MOONのジャンルコードが独立したのはC68(2005年夏コミ)。その時点で葉鍵に近いサークル数が参加していた、といえば当時の人気振りが分かるだろうか。
また、SSでは全自動月姫Linksというものがありかなりの利用者がいたはずだが、記録が残っていないため登録されていたSS数やアクセス数というような指標を見つけることは出来なかったことのみ記しておく。
上記のような流入を公式作品の発売時期と集めてまとめると以下のようになる。
こうしてみると、関連商品がコンスタントに出ており着実にファン数を増やしていった、という風に見えるのではなかろうか。Sn発売日にはかなりに騒ぎになったが、そこまでに「これは確実に売れる」という感触がユーザーにも小売店にもあったのだろう。
そういえばこんな広告も出ていた。ttps://twitter.com/kai_morikawa/status/1292650932866408453
また、いくつか補足をしておくと……
書籍版の空の境界はかなりの数が出たようだ。俺の手元にある物を確認すると、02年の5月に第4版が発行されている。その後、講談社ノベルス⇒講談社文庫と発刊されていることも記しておく。
月箱も、あくまで月姫+歌月十夜+PlusDisc(厳密にはPLUS+DISC)という既に発表済みの物をまとめただけのこともあり、当時の雰囲気は「いやみんなバラでもってるからわざわざ買わんでしょ……」という感じだったのだが、最後に括弧書きで(まぁ俺は買うけど)とついていたのか、当時の時点で思ったより裾野が広がっていたのか、同人ショップの店頭に山積みになっていて「いやこんなに売れるんか?」と思ったはずの月箱が気付いたら売り切れてプレミア価格になっているのに首を傾げた記憶がある。つまり今思えば、そのくらい売れていたのだ。
あとは何だろうか。
個人的にはハブになるようなニュースサイトやサイト運営者のようなインフルエンサーの影響もそうだが、口コミの影響というのはやはり大きかったなぁという印象がある。げんしけんのようなヲタサークルの話題だったり、通っていたサイトの日記だったり掲示板の常連の書き込みだったり、あるいはチャットソフトと揶揄されたオンラインゲームの中の雑談だったり。自分としても、そういうなんとなく知っているくらいの人達からの口コミで知った作品というのは数多いし、きっとそうやって月姫を、あるいはFateを知った人というのも数多くいたのではないかと思う。
俺も葉鍵からこの世界に入ったクチだが、学生から社会人になって忙しくしてエロゲーがあまりできなくなったりしているうちに気がついたら祭りが終わっていた、という感じで妙に寂しくなったのを覚えている。でもまぁ、こうやって見も知らぬ誰かと当時のことを語り合えるのだから、案外まだ捨てたもんじゃないさ。
お前がいきなり非モテ女の存在そのものまで否定したから、お前には非難が、非モテ女には同情が集まった。原因はお前だ。お前が非モテ女を脈絡なく叩き始めたからカウンターされただけ。
なのに自分が先に叩いたことを棚に上げて、ああ僕の方がかわいそうと被害者ヅラ。そこそこ歳も食ってるだろうに、未だに幼稚な精神性。俺は悪くない、女が悪い、社会が悪い、だから今日もネットで女叩きおじさん。そんな人間がモテるわけない。容姿じゃなく、人間性を適正に評価された結果として非モテなのだと認めるところから始めるべき。今更遅いが。ブサイクでも彼女いる奴・家庭を持っている奴は枚挙に暇がないし。
・強烈な被害者意識
が特徴だけれどこれも、ブサイク男は星の数ほどおれど、優しかったり能力があったりな奴から順次パートナーを獲得して、被害者意識が強く加害性も強く尚且つ無能だけが残った結果なのだろうな。運悪くパートナーを獲得できなかった全良なブサイク男性はそれはそれで、仲間を獲得して楽しくゲームしながら過ごしていて、わざわざ増田で非モテ女を叩いてやろうなんて思わないだろう。それを敢えてやってしまうところに、非モテの原因が表れている。ブサイクでキツイよね、いじめは辛いよね、ルッキズムやめようぜ、って話ならわかるけど、お前のやってることはそうじゃないからね。
ところで、非モテ男はこの世で一番かわいそう論(ついでに女を叩こうぜ論)、はてブでも増田でもTwitterでもめちゃくちゃ持て囃されてると思うけど。何度も増田トップに出たり、Twitterでバズったりしているし。逆に非モテ女の話が増田トップに出てきたのは今回が初、までは行かずともまだ数回じゃないか。知らんけど。
自分は小学校の頃に見たアニメにどはまりしてそれ以来のオタクだった。中・高・大とオタクライフを満喫し、社会人になってからはお金もかけられるようになり、世間からみたらザ・オタクな生活をできるようになってきた。
そんな自分から見たら治安が悪い、ヤバめなオタククラスタというものがいくつかあった。
「ラブライブ」「アイドル」「鉄道」らへんのジャンルはネット上でいくつも悪い噂が流れてきて、その噂を聞くたびに絶対に近づかないでおこうと心に誓ったものだ。
もともVR技術が好きでOculusを買って自分でアプリを作ったりしていた。3Dモデルが動く配信というものにすごく心を動かされ、いわゆる四天王が出てくるちょっと前くらいからVTuberにのめりこんでいった。
好きなVTuberの数もどんどん増えていき、休日は一日中配信を回っているなんて日も度々あった。
さて、そんなVTuber界隈にも少しずつ暗雲が立ち込めてきた。
にじさんじ、ホロライブがメジャーになってきたくらいから少しずつ「ちょっとやりすぎじゃねーか?」という人たちが目立つようになってきた。
特定のVTuberに関してつぶやいたりブログを書くと、ものすごい勢いで信者がわいてきて罵詈雑言を浴びせられ炎上に追い込まれていた。
気に入らないVTuberがいると、ファンが総出で叩いて休止に追い込んだりもしていた。
昔は近寄りたくないなと思っていたやばいオタククラスタに、気がついたら俺の周りは取り囲まれていた。
自分はディープなオタクと思っていたが、VTuber界隈に身を投じることで本当にやばい、ディープなオタクというものを目の当たりにしてしまった。
彼らに比べれば俺なんてまだまだ浅いオタクだった。
自分も晒しや誹謗中傷のDMが飛んできたことなんてごまんとあった。
自分が好きだったものが治安の悪い粗悪コンテンツに成り下がるのはなんと悲しいことなのだろう。
正直アントンシク先生の絵が動いているのは感動だし凄いことだし、やっとメジャーどころになったなと言うファン心理もある。ただ、これよりもアントンシク先生原作の『ガゴゼ』をやってほしかったかなって。今のアニメの世界は2期も作られないので逆に幸運だったと考えるべきなんだろうか。
そしてやっぱり仕方ないんことなんだけど、『恋情デスペラード』から見てます、なんて声を聞くと古参ではないほどの中参ファンから見てもなんだかなあと思うこともある。
作者はかつて、ツイッターで大量の鬱コメントを書き込まないでよかった、とツイートして、保留状態にされている鬱コメントにモザイクをかけてツイートしていた。『リンドバーグ』アニメ化決定! というドッキリツイートで周囲をわかせつつもアニメ業界から声がかからないことを落ちこんだりもしていた。実力は十分なのにいつまでもマイナーなまま。そんな先生がハネたんだから嬉しいのは嬉しい。やっと報われたんだな、評価されたんだなと言う爽やかな気持ち。
この人の画作りは師匠の胃之上奇嘉郎(中村嘉宏)先生の影響が強い。師匠もアントンシク先生も表情筋の使い方が豊かで、しかもエグみがない。普通画作りにおいて表情筋を突き詰めると青年誌風の嫌な顔になりがち。しかしこの人達の表情はオーバーアクションで豊かで適切なのに汚くない。正確なだけでないダイナミックなパースの捉え方、躍動するキャラの筋肉、派手なデフォルメなのに失われない立体感。天才という言葉を軽々しく使うのは気がひけるけど、やっぱり天才だなあと思うわけで。
画作りだけでなくシナリオの組み立てもうまいんですね、特にアントンシク先生の場合、一巻でこれだけの情報をさらっと入れてくるのか、という普通の読者が読み飛ばせるくらいの違和感の無さで情報を詰め込んでくる。シナリオとだけで一生を終える人もいるのに、両方しっかりやるわけです。よくいますよ、絵だけ巧くて話が書けない。話はうまいけど絵が描けない人。だから両方できて両方ともハイレベルっていうのは創作クラスタからするとわけわからんわけです。当然積み重ねた時間と労力は計り知れないけど、才能と環境がないとこんな風にはなれないので。
入院初日、手伝いに来ていた姉と姉の子(私の姪)が面会に来た。
そしたら産院のスタッフが「面会は基本は祖父祖母までとしているので次は控えてほしい」というようなことを姉に伝えて注意をしていた。
確かに突き詰めれば姉は別世帯で、書類上は家族では無いのかもだけど、それなら面会制限に何親等までとか祖父祖母までとか明記して欲しいし、コロナ禍とはいえ厳しすぎないかと思う。
身動きの取れない私のフォローする人員が必要だが、その人員に親族内の身軽な人が来るのはおかしくないだろう。
里帰り出産のため、夫に洗濯物の対応を任すのは厳しいし、母も現役で仕事をしているのでできるだけ負担を増やしたくない。
そこでパートで時間の融通が一番効く姉が手伝いにきたというわけなのに、それを拒否られては今後私が困ってしまう。
幸い元々姉の手伝いは2日間のみの予定で、母が時間に自由が効きやすい仕事だったので調整して来てくれている。
だがそうじゃなければ入院中洗濯して回す予定の衣類が洗えず、またその他差し入れも持ち込めなくなるため、入院がままならない可能性もあった。
産院側はそこまで頭は回らないのだろうか。
面会を許可している以上、ただ産婦と子どもの顔を見にくるだけでなく、当然そういう入院中の手伝いをしていると考えないのか。
もちろん手伝いであるとその場で反論すれば許可していただろうが、面会拒否をする前に確認すべきだろう。
さらに感情論を言うならば、家庭状況に関わらず「祖父母OK、兄弟は不可」と強いられたことに腹が立ってしまう。
私の父は幼い時から別居していて、親交自体はあるが、数えられるほどにしか会ったことはない。
私からすると実の父なのに、正直会社の上司のが喋ってる量が多いくらい、ほぼ知らんおっさんなのだ。
そのおっさんは当日は別の県で趣味に勤しんでいたし、入院中も面会に来る気配は当然ない。
だけど今更だし特にそれを責める気もない。
なので私としては出産というライフイベントに人数制限が掛かるのなら、よく知らん父より、半生の苦楽を共有した姉の優先度をあげたいのだ。
そんな細かい事情、産院は知ったこっちゃねぇだろうが、私にとっては家族観の根幹となっているデリケートな部位なのだ。
特殊な事情である自覚はあるので表立って腹を立てることはしないが、雑に扱われると心にすごくダメージが入ってしまう。
例えば姪っ子が騒がしかったとかで遠回しにそう拒否られたとかならまだ納得いく。
だがその日は姪っ子は病院といういつもと違う場の雰囲気にのまれて大人しかったし、厳しい状況下とはいえ家庭には人それぞれ事情があるのだから、産院側も大変なのは分かるけど、多少の融通は効かせて欲しいと思うのはわがままが過ぎるだろうか。
日にちが経って、姉(若い女性)が「家族のみ」と括られた対象者の中で、他の患者からみると友人と区別が付かず浮いていたなとは改めて思う。
また産院側からすれば、リスクを考えれば本来緊急事態宣言時のように全て面会不可にしたいところを、「家族まで」緩和してくれてるのだろう。
むしろ感謝すべきとも考えられなくもないし、恨むべきは産院ではなくコロナ禍という状況なのだろう。
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産院側が警戒するのもよくわかるけど、それならやっぱり事前説明をきちんとすべきと思う。
別世帯が別クラスタの可能性があるのもわかるけど、同居一家だったら関係ないし、うちの場合は別居父が別クラスタになるから結局「祖父母は可」としたら感染のリスクは変わらない。
今回のラブドール騒動でたまたま目にはいったんだけど本当に最悪にも程があるっていう存在でびっくりした
自分たちはマジョリティの身でありながらキャラのセクシャリティをマイノリティ方向にいじくって遊びながら
なにか社会に対してちゃんと責任を果たしているという自負だけが根拠なく膨れ上がっているらしく
ああしたマイノリティの当事者性をもった表現に対して控えておけなどと迫ること自体がただの差別なのだが
(もちろん件のマンガがイキってたのは確かであるがイキるのは犯罪ではない)
それを恐怖心を与えたとかそういう理由ごときで差別が正当化されると思うようなシスヘテロの最悪な面はそのままに
社会的責任という、ただのマジョリティの自分たちがやってる妄想上のセクシャリティ遊びを特権化して、彼らと違うと切断処理し
自分たちだけを安全圏へとおいておくための惨めったらしい自己弁護のことを配慮か何かと勘違いしてる人間
これがただのおかしな個人だったならまだしも一定の腐ェミとでも呼ぶしかないクラスタとして存在していることが恐怖しかない
男オタク達が反省なく隠れもしなくて批判が集まることを責める前に
こんなカルト的で異常なスタンスに疑問も感じなくなるほど内輪にこもって無批判でいるうち
出来あがってしまったマジョリティとリベラルとフェミとサブカルの悪いところだけを集めたようなクラスタの最悪さについて考えたほうがいい
一週間ほどのお盆を振り返ると、都合四回のリモート飲み会があった。
一つは社会人以降に知り合った趣味の会で、三つが学生時代の友人たちのグループだ。で、そのうち二つのグループは中高一貫校以来の付き合いだから、かれこれ二十年ということになる。そのうちの一つは国公立を受験する特進クラスの仲間であり、もう一つは部活のメンバーだ。どういうわけか、皆独身である。そして、残りの一つは大学のサークルだ。
今までは直接会っていたのだが、コロナ禍ということもあり、今年の夏はリモート飲み会にした。ゴールデンウィークは混乱と多忙とで中止していたのだが、さすがにそろそろ顔を見ないと寂しかった、というのもある。結果的にはリモート飲み会は大成功で、遠方の友人も参加しやすかったし、医師の友人も当直の合間にこっそりとアイスをつまみながら加わってくれた。くだらないことも、医療現場での苦労も、大学の教員としての悩みも、塾講師の愚痴も、いろいろと聞くことができた。
こうしてみると、私はかなり人間関係には恵まれてきた。小学生の頃はひどくいじめられていたし、中学以降にも私を嫌う人は多数いたが、大人になると定期的に顔を合わせるような友人と呼べる人々が両手の指に余る人は、少ないらしい。
もちろん、連絡が途絶えてしまった友人もいるし(そういう意味では、グループを作って定期的に会うのは、人間関係を維持しやすい)、悲しいことにもう生きていない相手もいる。また、大学時代にはいろいろなサークルに顔を出していたが疎遠になってしまったところがほとんどで、中には在学中に人間関係のトラブルのせいで辞めざるを得なかったサークルもある。いきさつについては多くを語るまい。思い出して愉快な話ではないし、私が語ったところで、不公平な見解しか出てこないだろうからだ。
さて、本題に戻ろう。上記の中学時代の旧友たちとは、年に三度集まっていた。つまり、ゴールデンウィーク、お盆、年末年始だ。大学のサークルのメンバーは多忙な者が多く、数人が不定期に集まっていたにとどまる。それでも、これだけ続いているのはめったにないはずで、ありがたいことである。
さらに、この関係に加えて、何となくオタクっぽい連中で集まったクラスタもある。これも中学以来の付き合いだ。こちらは、ラインのグループでボドゲだとか映画だとかに誘い合い、何となく暇な奴らが集まるといった具合の温度感だ。月に一度くらいだから、結構な頻度だ。興味のないものをスルーしても、誰も気にしない。たとえば、ホラー映画が苦手な人はその回には参加しない。私なんかは奇天烈な現代美術が好きだから、そこのグループラインで誘うけれども、私のそうした趣味を理解するメンバーは固定されており、美術館に行くのはだいたい同じ顔触れだ。
とはいえ、一抹の不安がないわけではない。一つは、年に三度集まっているグループのうち二つが、私が声をかけないとなかなか集まろうとしないことだ。長期休暇が始まる数週間前に私がそうした話を出すのだが、そうすることで皆がやっと重い腰を上げる。別に、私が声を上げることで集まれているので何の不満もないし、ひょっとしたら私が何も言わなくても誰からもとなく集まろうと言い出すのかもしれないのだが、私が抜けてしまったらこのコミュニティは自然消滅してしまうのではないか、と心配しているのである。中には私の住む首都圏から離れているメンバーもいるので、こうして定期的に様子を見ないと、いずれ連絡は途絶えてしまうのではないか。
もう一つ気にしているのは、オタククラスタのほうだ。大体メンバーが九~十人ほどなのだが、これほどの人数なので、完全な和気藹々というわけではないのだ。仲が悪いというほどではないが、この二人を一緒にするとあまり楽しそうではないとか、このペアは昔喧嘩したとか、こいつらはツイッターをブロックしあっているとか、そんな情報が入ってくる。仲よく遊んでいるときにこうしたことを思い出すと、楽しい気持ちがちょっとだけ曇ってしまう。皆は私のことを温厚というか、目立ったトラブルがない人間だと考えてくれているらしく、とりあえず何の心配もなく誘って大丈夫と評価されているそうだ。うれしいのだけれど、親しい人々だけで構成されていたはずの場に、いつの間には配慮しなければいけないことができてしまったのは、ちょっと複雑だ。
もっとも、あまり私が心配しすぎても仕方がないことなのだろう。仮に、私がいなくなってそのコミュニティが自然消滅してしまったとしても、皆それぞれに別の居場所があるのだろう。少なくとも寂しい思いはしていないはずだ。そうでなければ、彼らから私にそろそろ集まらないか、と早めに声をかけるはずだからだ。たぶんさみしがっているのは私のほうで、だから私がそろそろ集まろうと声をかけているだけだ。今は、これで人間関係が機能しているから、これでいいのだと思う。
もう一つ心配しているのは、中学以来定期的に会っている友人がだれ一人結婚する気配がないことなのだけれども、私が気をもんでも余計なお世話以外の何物でもない。マッチングアプリに使うから写真を取ってくれと言われたら喜んで撮るし、なんだったらアドバイスだってするけれど、まずは自分の心配をするのが先である。
本当にだれも結婚しないかもしれないが、そうしたら皆でシェアハウスをしたらどうだろう、みたいなことを冗談半分に話すのである。旧友が集まって麻雀をしているというのは、なんとなくほっとする光景ではある。
「嘘松」って、正直今(良い言葉じゃないけど)ネットスラングで定着していて、あのシーンでも「嘘松確定w」というのは「現実とのリンクをはっきりさせる」ワードだなあと思った。
というか、正直「嘘松」の出どころってもう知らない人がほとんどでは?と思うんよね。少なくとも私は知らなかった。嘘認定のときに言われるスラングっていうか。
TBSにお気持ち送りましょう!みたいなツイート見たけど、本当、そのクラスタ、そういうとこやぞ感はあった。それなら今まで「嘘松」って使わないでキャンペーンやればよかったんじゃないの?
そして今回のは騒げば騒ぐほど「ウワーこのジャンルやべーな」ってことになりそうだし、繊細オタクのお気持ち問題だし……正直黙ってれば分からんし、マジでどうしてほしいの?今後配信のときとかで嘘松が消えてればいいのかな?
個人的にはMIU404 10話であの表現は残ってほしいですね。桔梗部長に投げられる「侮蔑」としては「今(作中は2019年ですが)のネットスラング」中で「これ以上ないぴったりくる言葉なんですよね。」
「ハイ、シンママ美人隊長の嘘松確定〜!」なら下の方がより一層「今感」あるよ。
つー騷ぐならもっと前から啓蒙活動してればよかったんじゃないですかね。繊細オタクヤクザマジで良くわかりませんね。人気ドラマなら何言ってもいいのか?と殴っても殴り返さない相手なら何言ってもいいんでしょうか。
繊細オタク、マジでここまで来たか〜のお気持ち表明でした。自他ちゃんと分けていこうだし、殴れない相手にしか文句つけないのダサいっすよ。
彼氏がバイでポリアモリーだったので別れてきた。もう二度と会うことはない。
彼氏はTwitterのフォロワーの繋がりで会った人で、はじめはクラスタも全然違くてよく知らなかったけど、悩みなんかをいろいろ相談してるうちに家も近かったし付き合うことになった。とにかくいわゆるメンヘラホイホイってやつ?話を聞いて、慰めて、不安だっていうとわかるよわかるよって言ってくれる人だった。今思うとこの時点から、仲のいい男フォロワーの話がちょくちょく出てきていたんだけど、仲のいい男の話なんて男はみんなするでしょと思って、全く気に留めていなかった。ここで気づいておけばよかったんだけど、ほんとにその発想が私になかったんだよね。
それに、付き合って半年くらいしたとき、普通にデートしてたんだけど、フォロワーが電車に飛び込もうとしてるからって言って、その場で電話しはじめた上にその女のところに行っちゃったこともあった。フォロワーって言っても私より付き合い長いかもしれないし、その時は黙ってたけど、後から聞いたら2ヶ月くらい前にフォローしてきて毎日電話してきて手首切ってるとか言って全然意味わかんなかった。さすがにいくら死にそうとはいえ私よりその人の方が大事なのおかしくない?私と付き合ってるんだよね?と詰め寄ってしまった。そしたら俺はいろんな人が気になっちゃって、愛が多い人間だと思う、って言われた。でも他に付き合っている人はいないし、一番好きだよと言われてその時は許してしまった。なんで許してしまったのか今となってはわからない。
そのあとも、彼氏の周りには死にそうな男とか死にそうな女がたくさんいた。彼氏自身も海外から輸入した精神薬を飲んだりしてたけど、一応働いてるし、社会人としてはそれなりっぽいから、付き合ってるのは私だけだし、という正妻?のような気持ちで強く生きてた。話聞いてもらった過去があるから、今度は私の番とか思ってたし、その時はなんとか結婚しようと思ってた。長く付き合ってたから、それぞれの親に会いに行ったりもした。
でも将来のこと考えないといけなくなってきたらどうしても喧嘩が増えてきて、電話で喧嘩した後例の男フォロワーに相談したんだけど〜みたいな話がすごく増えてきた。私と通話してるときに、その男フォロワーが彼氏の隣にいたこともあった。そのあたりから、さすがに仲が良すぎるんじゃないかと思ってきた。そんなことが続いたある日、いつもみたいに喧嘩してたら、酒がすごく入っていたらしい彼氏が
「あいつは週の半分くらいうちに泊まっていて、お前とよりエッチしてる」
ってすごいこと言いはじめた。聞いたときはもう全然意味が分からなくて、ほんとにどうしようかと思った。今まで男友達だと思って普通に話聞いてた人が実は浮気相手とか全然わかんないでしょそんなの。気づくの無理でしょ。
まあでもそれ相手の性別はアレだけど浮気だよね?って言ったら、
って言われた。それ聞いたときも全然意味が分からなくて、もう自分の人生ってほんとなんだろうとまで思った。その時はポリアモリーって言葉もよく知らなかったんだけど、後から調べたらきのコさん?って人が出てきて、こういう人もいるんだなって思った。でもあれ、みんな納得してあの形になってるんじゃないの?1人と1人で付き合うって決めた後ポリアモリーだからしょうがないじゃんってのはありなの??ポリアモリーってみんなそうなの?私からしたらただの浮気なんだけど。しかもゲイだし。そんなん分かるかよ。どうしたらよかったの?
それでほんと無理になって、別れてきた。私の4年間まじでなんだったんだろう。書いてて思ったけど気付かなかった私ってほんとに悪いかこれ?悪くないよね?
金輪際LGBTとかポリアモリーとかそういう付き合い方が特殊みたいな人は私の人生に関わらないで欲しい。はっきり言って気持ち悪い。理由つけて浮気したいだけに思える。
そんな話を友達にしてたら、友達の男の上司も結婚した後に、昼間専業主婦の嫁に女連れ込まれててベッド勝手に使われてて離婚してた。これもすごい仲のいい女の子がいるなとは思ってたけど、相手が女だったからノーマークだったって。やっぱりゲイとかレズの浮気に気付くの無理だよねって話をした。
だからほんとみんなも気をつけて欲しい。仲が良すぎる同性の友達は、同性でも疑った方がいい。男同士、女同士の仲だから自分の約束より優先するのも仕方ないよねとか納得しない方がいい。そういう人と付き合うのもやめといた方がいい。ゲイとかレズとかポリアモリーとかに人生の時間無駄にされた人間たちからの渾身のアドバイス。
ここまで読んでくれた人ありがとうございました。次はバイでもゲイでもレズでもポリアモリーでもない人と付き合いたい。もうこりごりだ。