はてなキーワード: アフリカとは
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査読論文持ってないひとが責められるのはまあわかる(査読なし論文でも優れた論文というのは有り得るし,そういうのも業績として認められるべきではあろうが,このご時世ではまあ査読論文は持っといた方がいいよな……).でも英語論文を持ってないことが責められる理由になるのは本当に理解できない.
何度も繰り返すけど,フランスでもドイツでもロシアでもスペインでも,そしてたぶん中国や韓国でも,文系の研究業績の大半は自国語だから!
文系の研究業績が自国語で積み上げられるのは,世界標準だから!
(インドやサハラ以南のアフリカ諸国のように長いこと西欧の植民地になってたり言語の数が多すぎたりして大学教育を英語でやっている国や,ツバルやナウルみたいに小さすぎて自国語のアカデミアが成立しない国を除く.そういう国がうらやましいと言うならもう何も言えないけれど)
そりゃ英語論文を持ってたらすごいと思うよ.でも英語論文がないことが叩かれる理由になるのは本当に理解不能.
そもそも,社会学には膨大な日本語の研究蓄積がある.いくつもの査読誌があり,日本語で査読を経た研究成果が積み上げられている.博論をもとにした出版も多く出ているし,入門書から何から日本語で一通り揃うようになっている.
自国語で用が足りるんだから,論文の執筆言語は自国語でいいだろ.繰り返すけど,それが世界標準です.
イギリスやアメリカの学者が英語で書き,フランスの研究者がフランス語で投稿し,ドイツの博士がドイツ語で教授資格申請論文の審査を受け,ロシアの院生がロシア語で報告している中で,なんで日本の教授が日本語の業績しか持っていないのを責められなければならないのか皆目わからない.
これは社会学に限ったことじゃない.政治学だって,歴史学だって文化人類学だって,文学だってそうだ.だいたいどの分野でも有力な査読つき学術誌を持っているし,それらの雑誌は日本語で書かれている.
そして日本語というのは,世界でも有数の学術言語だ.もちろん英語ほどの網羅性は持っていないかもしれないが,ドイツ語やロシア語ほどの重要性は持っていると思う.それは,先人たちが日本語で積み上げてきた研究業績の賜物だ.
「世界でも有数の学術言語」というのもいろいろな尺度があると思うが,どれだけ広い分野で高度な研究を積み上げているか,というのをここでは述べたい.
もしこれを読んでいるあなたが,アフリカに興味を持って,アカデミックな本を読んでみたいと思ったとしよう.大学図書館で文化人類学の棚の前に立てば,数ダースの優れたアフリカ研究があなたの前に現れるだろう.その多くが,西欧の学者と同じようにアフリカでフィールドワークをし,日本語と西欧語の先行研究を読みこなした上で書かれたものだ.
あるいは,ヨーロッパの歴史を知りたいと思ったとしよう.あなたは造作もなく,フランスやドイツやイギリスやスペインやロシアや,そしてチェコやポーランドやポルトガルやボスニアについての研究書を見つけられるだろう.どれも現地語の史料や文献を消化した上で,日本の歴史学の積み重ねてきた問題意識と接続されている.
それとも,言語学に興味があるだろうか.心配はいらない.オセアニアの数百人しか話していない言語の文法を記述した本も,ヨーロッパの小国の言語の音声を論じた本も,中東の言語政策についての本も,あなたは探し出すことができる.政治学? 問題ない,EUの制度,アメリカ大統領選挙,韓国の歴史認識,ロシアの愛国主義,湾岸諸国の君主制,どれも日本語で最先端の研究が読める.
こんなことは当たり前に思えるかもしれない.でもこれは決して当たり前のことじゃない.
とあるアジアの国に行ったときに書店に行ってみた.西洋史の棚に並んでいるのはどれもそのアジアの言語で書かれた本だったが,著者はみな西欧人だった.それらはいずれも西欧語からの翻訳だったのだ.たまにそのアジアの国の著者が書いた本もあったが,イギリスとかフランスとかメジャーな国についての本ばかり.マイナーな国の歴史について扱った本を開いてみたら,参考文献はほとんど英語で,ちょこちょことドイツ語やフランス語が挟まる程度.要するにその本を書いた学者はそのマイナー国の言語を読めなかったのだ.日本には,そのマイナー言語を読める歴史学者が何人もいるのだが.
あるいは,ヨーロッパの小国の書店.その国は小さいので国民の多くが英語を達者に話すのだが,本屋を覗くと,自国史や周辺諸国の歴史についての本以外は英語の本がそのまま置かれていた.もしも遠いアジアの国に興味を持ってしまったら,その国の人は,自国語のペラッペラの入門書の次は英語を読まなければならないのだ.日本語なら,遠いヨーロッパの国についても専門書が手に入るのだが.
たとえ外国語が読めないシロートだろうと,ある程度自国語で難しい本を読める力があれば,中世ヨーロッパやアフリカ社会やラテンアメリカの先住民や近世朝鮮史や東南アジア政治についての最先端の研究書が読める.そんな豊かなアカデミアを有している国,そんな潤沢な研究蓄積のある学術言語は,実はそんなに多くはない.
私の感覚だと,英語の網羅性には劣るし,フランス語の豊かさには負ける気がしないでもないけれど,ドイツ語やロシア語並の水準に達してはいると思う.もちろん自国民ゆえのひいき目かもしれないし,カバーしている範囲が微妙に違っている以上正確な判定は不可能なのだが.
カバーしている範囲が違う,というのはどういうことか.たとえば,上で英語の網羅性に劣ると書いたが,英語よりも日本語のほうが研究蓄積の豊かな領域というものがある.当たり前だが,日本史については英語の文献よりも日本語の文献の方が圧倒的に豊富だし,日本史以外でも前近代の中国史についてはまだまだ日本語の方が英語よりも網羅性が高いと思う.なので前近代の中国史については,読者はともかく,歴史学者は中国語の他に日本語を読まなければいけない.その人がアメリカ生まれの英語ネイティブな白人であってもだ.ザマーミロ.
というか,実は文系分野に関しては英語の網羅性は理系ほど高くない.そんなのは当たり前で,ロシア人はロシア史についてロシア語で書き,カタルーニャ人はカタルーニャの言語政策についてカタルーニャ語で書き,チェコ人はチェコ文学についてチェコ語で書き,韓国人は韓国社会について韓国語で書いているのだから,英語の文献を読むだけでそれら全ての情報が手に入るわけがなく,本格的に研究しようと思ったらそれらの言語で書かれた文献を読まなければ話にならない.日本事情について一番詳しく正確な研究が読めるのは,英語ではなくて日本語だ.
なので,上で挙げた主要な学術言語は,それぞれ積み重ねが豊富な領域とそうでない領域がある.得手不得手というやつで,たとえばマグレブや西アフリカの地域研究ならフランス語で,東ヨーロッパの前近代史研究ならドイツ語で,旧ソ連圏の研究ならロシア語で重要な研究が蓄積されてきたので,江戸っ子だろうがロンドンっ子だろうが研究を志すのならそれらの言語を読まないといけない.中国近世史を専門にする者が日本語を読めなければいけないのと同じだ.これらの分野で英語で書かれた研究だけを読んで済ますことはできない.
この辺が,理系とは事情の違うところなのかもなぁと思う.理論物理学とか分子生物学とか再生医療とか深層学習とか,ほぼ全ての分野で英語さえ読めれば研究には用足りる(んだよね?).英語に最先端の研究のほぼ全てが流れ込み,あらゆる情報が蓄積される.しかし文系では違う.英語には限られた情報しか流れ込まず,最先端の研究の全てが英語で提供されるわけではない.
なので文系では,英語が理系ほど特権的な地位を占めているわけではない.もちろん英語文献が読めるのは今や前提だし,重要な先行研究が英語なら読んでいないと問題外だ.けれど,英語ではなく自国語の研究でも研究業績にカウントされるし,外国語での業績といっても英語に限られるわけではない.韓国語やトルコ語で論文を書くほうが英語で書くよりも楽だ,と言う研究者だっているし,日本語でも英語でもろくな業績がないがそのかわりロシア語で何本も論文を書いているという研究者もいる.
というわけで,文系の研究者が英語論文を書いていなくとも,それが直ちに問題だとは思わない.査読論文にしても,そりゃゼロってのはちょっとどうなの,って思うけど,研究者が集まって作った本の一章として論文を発表するとか(いわゆる論集ってやつね),出版社が出してる研究者~教養人向けの雑誌に依頼を受けて研究成果を発表するとか(岩波書店の『思想』とか,青土社の『現代思想』みたいなやつね),査読されてないけど業績としてカウントされ得る論文の発表形態というのはいくつもあるので,査読論文以外にそれらも論文としてカウントしないとフェアじゃないと思う(ただ,私は査読がついていない媒体に出すのは怖いなと思ってしまうので,なるべく査読誌に出している).
別に理系のひとが査読つき英語論文のみを業績としてカウントし和文論文は勘定しないというローカルルールをお持ちなのは結構なのだが,そのローカルルールを文系に押し付けないでいただきたい.
私が危惧しているのは,上で書いたような日本語で積み上げられた先行研究が,日本人に真っ当に評価されていないことだ.
文化の豊かさというものを考えたときに,自国語で世界中の情報を知ることができるということが,どれだけ重要なことか.まして,日本はコンテンツ産業が主要輸出品目のひとつだ.中世ヨーロッパやアフリカの部族社会について日本語での研究が充実していることが,創作者が想像の翼を広げる上でどれだけ有利か.たとえば最近,Cuvieという漫画家さんが『エルジェーベト』というオーストリア=ハンガリーを舞台にした漫画を描いていたが,巻末の参考文献にはずらりと日本人が和文で書いた研究が並べられていた.
別に文化に限ったことではない.政治や経済,そして人権についてもそうだ.ルワンダの虐殺やスレブレニツァの虐殺について日本語で書かれた研究があるのとないのとで,どちらの方が日本人にとって国際情勢を理解しやすくなるだろうか.外国で一旗揚げようと目論む商売人にとって,その地域の専門家が書いた本や論文が和文で手に入るのと入らないのとで,どちらが現地の文化や歴史を理解する助けになるだろうか.欧米のフェミニズムについて日本語で研究を積み重ねる学者がいるのといないのとで,どちらが日本女性の権利の向上に資するだろうか.
すべての国が自国語でこれだけ充実したアカデミアを持てるわけではない.人口があまりに少ない国ではどうしたって物理的な限界があるし,人口が多くとも植民地支配の歴史が長く自国語の大学教育が充実していない国では歴史的遺産がその発展を阻む.
日本人は恵まれた研究蓄積にあまりに無頓着なばかりか,その豊かさをみずから捨て去ろうとしている.それが私にはもったいなく思える.
英語は,世界の始まりから覇権言語だったわけではない.明治時代の日本の医師はドイツ語で論文を書き,外交官たちはフランス語で交渉していた.英語が外交や学術の分野で覇権を握ったのはせいぜい戦後のことで,それまではフランス語やドイツ語と同格の存在だった.今も文系ではprimus inter paresに過ぎない.ひょっとしたら将来,欧米の物理学者たちが中国語で論文を書くことになるかもしれない(そのときは現在の私たちが定冠詞や三単現のsに悩まされるように,欧米人が泣きながら漢字を習得するのだろう.そう考えるとなんとも愉快な未来予想図だ).せいぜい百年単位の覇権言語の移り変わりにあわせて,自国語の学術言語としての地位を貶める必要はないと思う.それは私たちの社会の豊かさを,長期的に損なうことなのだから.
最後に.
どうせ和文論文しか持ってないやつの負け惜しみだろって思ったひとがいるかもしれないけど,和文論文だけじゃなく英語論文も書いたことあるし,英語以外の外国語での論文も持ってます.今それとは別の外国語での研究発表を準備中.私より多くの言語で研究報告してきたひとにならともかく,たかが1言語か2言語でしか論文書いてないガラパゴスの住人にだけは文句言われたくないですわ~~~~~~.
英語論文が優れているとは言わんけど、査読なしの研究なんてゴミだし。
id:bocola 自分でも言ってるように査読なしなのが問題。査読なしの論文なんて、読書感想文と変わらない程度の価値。やはり文系は無価値だと改めて思った。
arXivのない世界線からやって来たのかな? グリゴリー・ペレルマンって聞いたことない? 査読なし論文が業績としてカウントされてるひとだけど.
事前の査読は,論文の信頼性を担保するための手続きのひとつであって,それが欠けている「から」ダメ論文というわけでも無価値というわけでもない……というのはわかってくれるよね? 当たり前だけど論文の価値は最終的には書かれている内容に依存するわけで,だからこそペレルマンは査読なし論文であってもポアンカレ予想を解いたと認められたんだよね.
私も査読はないよりはあった方がいいと思うけど,査読がすべての論文につくわけではない分野のすべてをダメと論ずるのは不当すぎる.まあ最近は文系も査読が重要になってきているし,若手は査読つき業績を増やしたがっているけれど,査読がつかないからダメとは限らない,ってだけの話.当たり前だけどダメダメな論文は後発の研究によってちゃんと批判されるか鼻にもかけられず無視される.公募の際には論文を提出させたりするんだから,査読なしダメ論文を量産していればそこで撥ねられるでしょ.理系のローカルルールで事前の査読が必須なのはよくわかったけど,そのローカルルールを文系に敷衍されても困る.
id:zyzy まぁでもこの噛みつきは、もうすでに南京大虐殺の時に通った道だし、虐殺否定論者と同じ轍を踏み続けている以上、恐らくオタにこの説明が通ることはないんですよ。
私もオタクですが.
当方、酒鬼薔薇ファンの出会い系サイトの「酒鬼薔薇王国」というところでずっとゲイだと偽っていました。プロフィールには「首を絞めると射精する」と書いていましたが、実は20代の女性です。職場で知り合った哲也さんという方を好きになってしまって、どうやって気を引こうか考えていたら、哲也さんがゲイであること、サディストで酒鬼薔薇のファンであることを知りました。
「酒鬼薔薇王国」は雄々しいひとばかりでした。そのなかで男らしくふるまうのはとてもつらかったです。土師守さん、井垣弁護士、青島先生……いずれも王国にあらわれるのは偽物でしたが、いずれも男のなかの男でした。特に青島先生はアフリカでライオンを仕留めた話が御自慢で、イスラム国で豚カツ屋をやっていた哲也さんとは仲良く殴りあいをしていました。
私も男らしく振る舞おうとして、茶髪に髭のIT系の社長を装ってみましたが、あっさり見破られました。匿名掲示板にスレが立ち気が狂いそうになりました。女だということまでバレたのです。私は許しを乞いましたが炎上がおさまる気配はありません。
「何でそんなことをした」──何度も聞かれました。私は男として哲也さんと渡り合いたかったと説明しましたが、どうしても違和感が拭えませんでした。哲也さんによる激しい罵倒。それは私が望んだ男同士の殴りあいではなかったのか。最後の最後になって私は哲也さんに抱かれたかったのだと気づきました。私は女として哲也さんにかわいがって欲しかったのです。でももう無理です。酒鬼薔薇王国から静かに消えるしかありません。さようなら。
すなわち世界から肌の色による差別がなくなるならそれは偉大な業績じゃないか。
実際Googleはアフリカを始めとする新興国に気球を使ったネット回線を提供するプロジェクトを行っていたりするしね。
Android OneやChromebookといった安価な端末の取り組みもそうだし、世界から情報環境の格差をなくそうとしている。
それは透明性を示唆する表現でもあり、オープンプラットフォームやオープンソース戦略にも現れている。
閉鎖的なA社や支配的なA社との大きな違いだ。
世界中のインターネットに強い影響力をもつこの大企業が、健全なオープンマインドを標榜していることは、
高度な情報化によって世界がディストピアと化し破滅することに対する強い抑止力となっている事だろう。
え?
土佐犬の僕「吠えまくれば実力を低く見せることができるのか。
相手を油断させて一噛み行ってやるか」
早速私は単身アフリカへ赴き、百獣の王ライオンを油断させにいった
🦁...
🐕キャイン
なんだ。強い犬もよく吠えるじゃないか。
誰だ嘘をついたのは。
吠えないから出ておいで
岐阜の豚コレラも心配だけど、中国のアフリカ豚コレラが超やばい病気らしい。
簡単にいうと、アフリカで養豚を始めると必ず全滅して失敗に終わると言われていたアフリカのイノシシが持ってるウイルス。
イノシシはピンピンしてるのに、豚はほぼ全滅。
ところがどっこい、ヨーロッパに飛び火、ロシアに飛び火、そしてついに中国に飛び火してしまった。
沈静化しなかったらどうなるか?
中国は世界最大の豚肉の消費国で、世界の豚肉需要の半分を占める。
中国で食べられる豚肉のほとんどは、中国国内での生産だが、中国での養豚が打撃を受けたら、まちがいなく大量に輸入することになるだろう。
どれだけ、豚肉の値段が跳ね上がるのだろうか。
中国人はよく機内に食肉加工品を持ち込んで没収されるが、やはり大きな消費地である東南アジアに、豚肉の輸出国のアメリカやメキシコがあるアメリカ大陸にアフリカ豚コレラが持ち込まれたらどうなるか?
左翼ってさもともとは、すでに敵対構造があるところに対して弱者を守って強者から譲歩を引き出すために機能してるわけ。平民と貴族とか、搾取される労働者と傲慢な資本家とかさ。最初から戦闘的な教義なわけよ。敵が居ないと存在できないから、左翼が過半数を占めるコミュニティでは内ゲバが始まって粛清ごっこが起きる。歴史がそれを証明してる。
でもさ現代日本ってのは基本的に豊かで平和なわけ。格差があるって言ったって餓死者が国民の二割とかそんなことはねえし学歴ガーとかいったって識字率ほぼ100%なわけっすよ。今日本において叫ばれてる問題なんてのは、歴史的に見て巨大な問題(飢餓、疫病、戦争)を解決した残り滓みたいな問題なんだよね。
この状態で左翼が戦闘しようとしたら平地に乱を起こすしか無いわけっすよ。ラノベの表紙に女性のケツが載ってる!とかそんなの子供を売るような貧困のアフリカや爆撃を受けてるシリアでは問題にもならんでしょ。だってそれは生存する上であまりにも些細でどうでもいいから。
平和で豊かなこの日本においては、左翼ってのは生存競争の重大要素ではなく、娯楽でしか無いのよ。本屋にポルノがおいてあってコレを排除しやがれ!なんて、そんなの論争ごっこをしたい人のおもちゃでしか無いでしょ? また闘争的な現場がないと必要とされない左翼の自作自演でしか無い。
現代日本の左翼はそういう意味で分断加速装置なんだよ。そこそこ上手く行っている社会に対してテキミカタをレッテル貼りしてどんぱちさせることによって支持を集めてるわけ(集まるとはいってない)。
別にコレは左翼の存在そのものが悪って話じゃなくて、時代に合ってないみたいな話なのな。現代においてリベラルは、問題を解決する速度より問題を発生させる速度のほうが早い装置になってしまった。闘争をもとめるその性質が不都合な――つまり平和で豊かな社会になったんだよ。
サマータイムは、美容に良くない。ホルモンバランスが崩れてカロリー消費が減ってしまい太る。サマータイムをすることで、EUでは代謝が減ってしまい食べてもヤセ体質だった人でも、ぶくぶく太るようになる。食料品の栄養素の比率が変わってしまうのだ。サマータイムによって、畜産物への脂肪分が10%アップした。牛乳、チーズに含まれる脂肪分、エサとなる牧草の日照時間と刈り入れのタイミングも悪影響を及ぼしているようであった。短い時間で、栄養を吸収しようとする植物の光合成の効率が加速したのであった。EU全土で、サマータイム実施以前よりも肥満率が年間で5%ずつ上昇しているということであった。一方、このことは食糧難にあえぐアフリカの民には朗報だった。主食としてのトウモロコシやジャガイモでの食物繊維ならびに植物油の含有量が飛躍的にアップしたのだった。脂肪分8%の向上によって、それまでの生産高に対して余剰な栄養素が増えたのだった。
先日刺された最有力候補ボルソナロ氏、日本ではどんなお方かほとんど知られていないようなので、発言で打線組んでみた。強力すぎるの打順は順不同。
1番ファースト「警察の取調べにおける拷問の復活は歓迎する。」
2番センター(黒人女性から、あなたの息子が黒人女性を愛してしまったらどうするかと質問されて)「私は誰とも混交について議論する気はない。私の息子たちは、とてもよい教育を受けているし、あなたのような残念な環境の中で生きてはいない」
3番DH(ゲイパレードに招待されたらどうしますか?という質問に)「行かない。悪習を後押しすることになるから。」
4番レフト(3000人を虐殺し、数十万人を亡命に追いやったピノチェト政権について)「もっとたくさん殺すべきだったね」
5番ライト「あなたは醜い。レイプするほどの価値もない女だ」(議会で軍政時代の人権侵害調査を讃える演説をした女性議員に対して)
6番サード(集会でその場にいた子どもを捕まえて)「銃の撃ち方知ってる?」
7番ショート(もしあなたがゲイの息子を持っていたら? という質問に)「考えたこともない。私の息子たちはよい教育を受け、きちんとした父親を持っているからね。」
8番キャッチャー「アフリカ系の子どもは一番軽い若者でも7アローバ(約80㎏)はある。彼らは種馬にもならないね」
天寿をまっとうされなかったようで・・・
death6coin 死んでなくね?容態が急変したのかな?それにしても酷い発言だなぁ・・・
「○ねばいいのに」はいちおう避けようかと。
ここでテーマの変遷を見てみよう
年 | 24時間テレビテーマ | 参考:京大学祭テーマ |
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1978 | 寝たきり老人にお風呂を! 身障者にリフト付きバスと車椅子を! | 振りかえれ人類の歴史を みつめよう青年の未来を もどすな歴史の歯車 我らの文化は我らの手で |
1979 | 寝たきり老人にお風呂を! 身障者にリフト付きバスと車椅子を! | 今、新しい時代に立ち向かう仲間たちよ 数百年を内蔵する思想を持とうではないか |
1980 | カンボジア・ベトナム・ラオスの難民のために! | 友よ! この変革のとき 時代の胎動に耳をすまし 共に奏でよう 希望の交響楽を |
1981 | アジア・アフリカの障害者のために! 国際障害者年記念 | 今、戦争と平和の対峙の時 80年代の行く手を示す羅針盤を我らの手に |
1982 | ストップ!ニッポン姥捨て時代! | 草の根も 花も咲いたら ひざまずき ひろひとおがんで むせび泣く 人は昔にゃ戻れないピーピーヒャララ ピーヒャララ |
1983 | 君の地球のボランティア! アフリカ飢餓緊急援助! 世界コミュニケーション記念 | 万声一京 極祭色 騒がぬ民に 盛りなし |
1984 | この地球の未来は子どもたちのもの! | 海を、荒れた海を見つめながら 彼女は呟いた 「わたしは誰?」 |
1985 | アフリカ飢餓救援 | もうすぐきっと冬になる 騒ぐんだったら 今のうち |
1986 | 寝たきり老人にお風呂を! 身障者にリフト付きバスと車椅子を! そしてアジア・アフリカの飢えた子どもたちのために! | えっせん あーす げげっせん よんせん はっせん |
1987 | SAVE THE CHILDREN | 白い乳房の上の11月祭 |
1988 | 君は地球のボランティア お年寄りに在宅福祉を、障害者に社会参加を! | 裏からのぞけば 見えてくる |
1989 | アジア・アフリカの子どもたちに海外援助を! | 堕落への誘い |
1990 | 地球を救え!10年計画 | ・・・・・・そして創造-草の根からのルネッサンス |
1991 | 雲仙・普賢岳災害救援! 寝たきりのお年寄りにお風呂カーを! 障害者に社会参加を! アジア・アフリカに海外援助を! | ヤルハ粋狂、 ヤラヌハ卑怯 |
1992 | 愛の歌声は地球を救う | 人が右なら 私は左 |
1993 | 出会い | 花も実もある 根も葉もない |
1994 | チャレンジ! | 古今東西 有実無題 若気至りて無限大 |
1995 | もう一度、チャレンジ | 我輩は京大生である 理性はもうない |
1996 | ONE LOVE 〜つなげよう!ひとつの愛〜 | 知と痴の融合 |
1997 | 勇気を出して | 狂うは一時の恥、狂わぬは一生の恥 |
1998 | いま、始めよう | 堕落の道も一歩より |
1999 | 伝えたい…夢のちから! | 素晴らしき無駄なエネルギー |
2000 | がんばる…君のために! | 無人島ダンス |
2001 | 家族って何? | それはそれ これはこれ |
2002 | 家族で笑ってますか…? | 総長! 京都を占拠致しました! |
2003 | あなたを一番愛する人… | やっぱ京大やし。 |
2004 | あなたの夢はみんなの夢 | 倒れる時は前のめり |
2005 | 生きる | せっかくだから |
2006 | 絆(キズナ) 〜今、私たちにできること | 溢れる才能の無駄使い |
2007 | 人生が変わる瞬間(とき) | 満喫! モラトリアム。 |
2008 | 誓い 〜一番大切な約束〜 | 単位より大切ななにかを求めて |
2009 | START! 〜一歩を踏みだそう〜 | 失った常識のかわりに |
2010 | ありがとう 〜今、あの人に伝えたい〜 | 仕分けできないムダがある |
2011 | 力(ちから) 〜わたしは、たいせつなひとり。〜 | 年に一度の計画発電 |
2012 | 未来 みらい | NFって、出席点ありますか? |
2013 | ニッポンって…? 〜この国のかたち〜 | 京大を、取り戻す。大学の理想、形を物語るのは、学生であります。 |
2014 | 小さなキセキ、大きなキセキ | 「 」 |
2015 | つなぐ 〜時を超えて笑顔を〜 | 「ばっかお前・・・俺がついてるだろ!」 |
2016 | 愛 〜これが私の生きる道〜 | 「ぽきたw 魔剤ンゴ!? ありえん良さみが深いw 京大からのNFで優勝せえへん? そり!そりすぎてソリになったw や、漏れのモタクと化したことのNASAそりでわ、無限に練りをしまつ ぽやしみ~」 |
2017 | 告白 〜勇気を出して伝えよう〜 | 戦争に加担した大学から平和を希求する大学へ 軍事研究するヒマがあったら、みんなで肩組んで騒ごうぜ! |
2018 | 人生を変えてくれた人 | 未定 |
惰性も惰性で脳が完全に溶けてしまっている
バブル崩壊あたりから酷いが、リーマンショック後から知能指数が更に落ちた
感想とか聞けたら嬉しいです
W杯優勝はアフリカ? あるジョークが起こした「古くて新しい論争」(池田 純一) | 現代ビジネス | 講談社(1/6)
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/gendai.ismedia.jp/articles/-/57063
この例みたいにグローバルスタンダードが割れるのが一番困る。
多文化主義の分野で日本は欧米に大きく遅れを取っているらしいから、最先端を走っている欧米に合わせるのがいいと思うんだけど、
日本国籍のエスニックマイノリティの選手が国際試合で優勝した時、
「同じ日本人として誇りに思う」って言った方がいいのか?
それとも「彼は私達マジョリティとは違う~系日本人だけど、彼の偉業は~系の人達を大いに勇気づけるだろうね」って言った方がいいのか?