はてなキーワード: お薬手帳とは
電車とバスはモバイルSuica、家と自転車の鍵はスマホロックを採用している。
ちなみに、お薬手帳や月額制の教育アプリなども全部スマホの中に入っている。
交番の人によれば、子供はずっと学校の周りをさまよい歩いていたようだ。
お腹を空かせていて、温かい飲み物を買うこともできない状況だった。
電車で交番へ行き、息子を引き取った後、私は息子の学校に行った。
職員室に顔を出すと強面の男が現れた。どうやら生徒部主任らしい。
担任によれば、授業中に息子のスマホが鳴ったので、没収したとのことだった。
息子は電源を切り忘れたようだが、スマホで遊んでいたなどの事実はなかった。
生徒部主任は最初は迷惑そうにしていたが、スマホが遊びの道具ではなく、生活必需品になっていること、勉強なども全部スマホでやらせていることを説明すると、最終的には納得してもらえた。
ほんの一瞬の出来事だった。
両親が海外旅行へ行くので、空港への送り迎えに実家へ車で向かった。玄関先に車を止めて、両親を呼びに行く。
そう言われて、数分だし、すぐに荷物積むし、と思って車の鍵をかけずに家の中へ入った。
数分後、トランクに荷物を積んで、いざ出発しようと思ったら、後部座席に置いていた私のマタニティマーク付きリュックサックが忽然と消えていた。
リュックサックは普段から持ち歩いているもので、中には財布からスマホやら免許証、保険証も入っていた。
更に、私は妊娠中で母子手帳やエコー写真も全てリュックサックの中に入れて持ち歩いていた。
一瞬で、全て無くなった。
安産祈願のお守り、健診結果、分娩予約金の控え、産科医療補償制度の申込控え、妊婦健診の助成券、その他もろもろ。全て。
私はパニックになりながら、110番通報をした。警察の人が駆けつけてくれるという。
早くしなければ飛行機の時間に間に合わないので、両親は弟の運転で車で空港へ向かった。
駆けつけると言うわりには悠長に、40分ほどかかって警官たちがやってきた。
開口一番に「はぁ、車はないんですか?」と。
「両親が空港へ行くために使っています。戻ってくるにはしばらく時間がかかります。」と気が動転しながら伝えた。
「困るんですよね、そういうの。こっちも車がないと何も出来ないんで。」と一蹴された。
私は必死に訴えた。
「車がなくてもできることはないんですか?何か少しでも手がかりを探すとか、周囲の人に話を聞くとかできませんか?」
呆れた様子で警官が「はぁ。そんなこと言われても車がないと指紋が取れないので、何もできません。こっちも一件だけに関わってられないんで帰ります。」と私の訴えを切り捨てた。
最低だ。人の話を聞く態度ではない。そう私は思った。
結局、警官たちは一人を残して帰った。残った一人に私は事情を全て話した。
調書を作成するために事細かに話をすると思いの外時間がかかり、既に盗まれてから数時間が経っていた。
両親を送り届けた弟が戻ってきた。先程帰った警官たちが戻ってきて、状況の検証を始める。
そして、「あー、これじゃあ指紋が擦れてて個人特定は無理ですね。」とあっさり言ってのけた。
指紋を取らなきゃ何も出来ないのに、指紋を取っても何も出来ないの?という言葉をすんでのところで飲み込んだ。
結局、被害届を出したが恐らく捜査はしてもらえないだろう。指紋が擦れてて役に立たないのだから。警察は指紋でしか捜査しないのだ。近所に話を聞くとか、近所の防犯カメラを確認するとか、そういったことはこちらから提案しても全く応じてもらえずに話にならなかった。警察なんて役に立たないところに連絡したせいで、被害に遭った日の午前中を無駄にした。(ついでに書いておけば、被害届の受理番号すらこちらから聞かないと教えてもらえなかった。)
その後、警察に捜査してもらえないことを悟った私は、夫と弟にリュックサックを探してもらうことにした。スマホを探す機能は、GPSをオフにしているため使えない。リモートで着信音を鳴らすことはできたため、着信音を鳴らしながら近所を探し回ってもらった。見つからない。
夜になり、無くしたものを書き出した。
ここにも全て書いておく。
診察券
財布
カード入れ
分娩予約金領収書
産科医療補償制度の申込控え
安産祈願のお守り
家の鍵
実家の鍵
これらが全て無くなった。
家の鍵はすぐに夫が取り替えた。
リュックサックは、去年のクリスマスに夫からプレゼントしてもらったものだ。妊娠中の私に負担がないように、軽いものを選んでくれた。
財布は、結婚前に夫が誕生日プレゼントとしてくれたものだ。私は財布の開きかたにこだわりがあり、苦労しながら選んでくれた。
カード入れは、職場の後輩が異動のお祝いにくれたものだ。私の好きな色を聞いて、こっそり準備してくれていた。
エコー写真にはお腹の赤ちゃんの成長が記録されている。最初は豆粒みたいなものだったのが、だんだん人の形になり、近頃は顔も分かるようになってきたところだった。
安産祈願のお守りは2つあり、1つは夫婦でお参りに行ったときのもの、1つは弟が旅行先で買ってきてくれたものだった。
全ての思い出が一瞬で手元から消えた。
次の日、免許証等の再交付をした。必要最低限のものは再交付できるが、思い出は戻ってこない。
再交付する際も、必ず事情を書かされる。その度に自分の犯した過ちの大きさに潰されそうになる。
「鍵かけなかったんですか、この辺りは車上狙いが多いんですよ。」
盗まれてから何十回、何百回も考えたことだ。あの時鍵をかけておけば、カバンを置きっぱなしにしなければ。考える度に傷が深まる。
生きている価値なんてない、そう思う。
たったリュックサックがなくなっただけ、それでも死ぬほど後悔するし、傷ついた心は死んでいく。
もし、この記事を読んでいる人で、その辺に落ちているカバンを見かけた時は、無視せずにそっと中身を確認してみてください。
大事な思い出の品が入っているときは、手間はかかりますが、交番へ持って行ってください。荷物になって持っていくのが大変であれば、交番に連絡してもらえるだけでもいいです。
軽い気持ちで車上狙い、置き引き等をする人は、相手の心を殺していることを知ってください。適当に盗んだカバンは、あなたには価値なんてなくても盗まれた人にとっては守りたいものがたくさんたくさん入っています。マタニティマークを付けているリュックサックを盗もうという気持ちは、私にはさっぱりわかりません。正直気持ち悪いです。
「軽犯罪」という呼び方をされるけど、盗まれた人からしてみれば人殺しと同罪です。心を殺されているので。
気持ちの整理のために長々書き殴りました。これを書いている今もリュックサックは見つかってません。死にたいです。
ここに書いて忘れることにする。
■A
大学1年生の時。
高校時代の友人が次々大学デビューを果たし、彼氏もできて焦っていた。
周囲に「あの人かっこいいですね」と触れ回っていたら、向こうから声をかけられ、付き合うことになった。
「不細工、一緒に歩くのが恥ずかしい」「一刻も早くやりたい」などと言われ気持ち悪くなった。
また、単位を全く取っておらず、8年かけても必要単位が取れないため除籍が確定しているのも後から知った。
田舎で神童と呼ばれ、そこそこ偏差値の高いうちの大学に合格したところで燃え尽きてしまったとか。
耐えきれなくなり別れた。
その頃私は155cmで70kgあったが、見返すために半年で40kgまで痩せた。
■B
彼氏(Aとは別人)と別れたことを聞き付けて、アプローチをかけてきた。
この頃は病んでいて、正常な判断力を失っていたとしか思えない。
精神的なサンドバッグが必要だった。また、早く結婚して専業主婦にもなりたかった。
プライドが高く、「君は○○な人だから」と私のキャラクターを勝手に決めたがる人だったが、我慢していた。
交際後すぐクリスマスがあり、私は4万円のアルマーニのネクタイをプレゼントした。彼はブローチをくれた。
年が明けたら私の誕生日が来た。アルマーニをあげたのだから、相当高価なプレゼントがもらえるのでは?もしかしてプロポーズ?などと考えていた。
取り出されたのは、綺麗にラッピングされた大人のおもちゃだった。
Bとしては、最初にガッカリさせておいて(その場には用意してなかったらしいが)本命のアクセサリーをプレゼントするというサプライズをやりたかったらしい。
その頃私は唐突な降格と転勤を命じられており(Bも知っていた)精神が限界だった。
夜中だったが、家から叩き出した。
すると翌朝家の前に立っており(一晩中待っていたらしい)、外出先まで付きまとってきて「悲しませるつもりはなかった」「愛してる」などと言ってきた。
精神的に辛いときに、余計なストレスを与えるやつとは付き合えない。別れを告げ、次の3人目に乗り換えた。
■C
同窓会で再会。在学中は特に親しくなかったが、連絡先を聞かれて教えたところ、アプローチが始まった。
先述のように早く結婚したかったので、医療職で高収入のCは魅力的だった。
何もむやみに貢がれたいわけではなく、「おごるよ」→「ううん、私出すよ」→「じゃあ割り勘でいい?」という感じなら別にいい。
「ここ割り勘でよろしく」と最初に言い、しかも「この後○○(オタクショップ街)行ってもいい?」と言って趣味のカードゲームのデッキやレアカードを数万円で購入する。
また、医療職だからと言って、お薬手帳を勝手に見られあれこれ口出しされた。
「○○を飲んでるんだから、良くなるはずなんだが?なぜ改善しないの?」等。
嫌々付き合い、経済力だけを目当てとしていたのが透けて見えたのだろう。
「もう無理しないで」と言われた。別れることになった。
変な自己防衛能力はあったようで、常に「こんな男の子供なんか孕んだら首吊るしかない」などと考えていたため、未だに処女である。はぁ。
あと、与えられることしか考えていない私に全責任があると思う。今年は変わる。もうすぐ1月終わるけど。
【追記】
おい、ふなぽん!
ていうか、鼻は高いし形が整ってるし、耳の形も綺麗だし、骨格が整ってるよアンタ。
こちとら鼻は低いわ耳は異様にちっちゃいわ家が貧乏だから矯正できずにガチャ歯のままだわ皮膚生検したときのパンチ穴が顔にあるわ首には頸部リンパ節生検した時の跡があって首切り未遂して失敗した人みたいになってるわ尻には骨髄穿刺した時の丸い跡がいくつも残ってるわコンプまみれじゃコラ!!!!
あとステロイドいっぱい飲んでた時は額と顎にニキビが大量発生してたわ。
知ってるか? ステロイドざ瘡(ニキビ)はステロイドの量が減るか飲むのを止めるかしない限り、薬を塗っても治んないんだよな。
でも主治医は一応ビタミン剤や抗菌薬(ダラシンTゲル)とか出してくれてた。もちろん、大量のステロイドの前にはそんなもの無力だったがね。
そのうちステロイドの量が減ってきて、今じゃ維持量5mgしか飲んでなくて顔面ニキビMAX状態からは脱したが、顎ニキビだけが治らん。飲んでる免疫抑制剤も関係してるのかもしれないし、してないのかもしれない。食生活めっちゃ気をつけててもお肌の洗顔とお手入れを入念にしても顎ニキビだけは治らん。なのでこの件で3年前に皮膚科を受診した。そしたらディフェリンゲルとダラシンTゲルが処方されたんだけど、このディフェリンゲルが超やばいやつだった。顎にしか塗ってないのに顔中真っ赤にただれて(?)、皮膚が剥けまくって痛いのなんの。皮膚科医からは中止しましょうと言われたが、「もうちょっと頑張ってみたいです!」と言ってしまった。詳しくは書けないが、そのあと皮膚が大変なことになって、それが完治するまでに1年半かかった。そしてつい先月のことだ。顎ニキビだけはなんとかしたいと、今度は近所の皮膚科クリニックにかかった。前回はディフェリンゲルで大変な目に遭ったが、その後、国内で承認された「ベピオゲル[」という新しいニキビの薬に期待を持っていたのだ。
皮膚科医には、ステロイドと免疫抑制剤使用中であること、ディフェリンゲルで肌がえらい目にあったこと、今までビタミン剤や抗菌薬などを使用してきたが顎ニキビは何をやっても治らなかったことなどを伝えた。医師は期待通り「ベピオゲル試してみようか」と言ってきた。予想外だったのが「抗生剤も飲んでみる?」と言われたこと。正直、飲んでも飲まなくてもどっちでもいいわと思ったが、いま飲んでる薬の量がハンパなく多いので持参したお薬手帳を見せたところ「今回はやめとこっか」となった。だよね。今、薬14種類飲んでるし。
「ベピオゲルとアクアチムクリーム出すので、これで治らなかったら抗菌薬の服用をまた考えましょう。ディフェリンゲルの話からすると皮膚が刺激に弱いようなので、ベピオゲルは塗ってから15分経ったら洗い流しちゃってください。それでも十分効きますから。15分で大丈夫だったら30分、1時間というふうに時間を伸ばしていきましょう。アクアチムクリームは1日何回塗ってもいいです」
それで言われた通りに15分で洗い流して、そのあと保湿を兼ねてアクアチムクリームを塗りたくっているけど、あれだけひどかった顎ニキビがめっちゃマシになっとる。マジかよって感じ。顎の角質がいつも固かったのが柔らかくなってきてるし。あとディフェリンと違って全然刺激感ないし、皮膚も赤くならない。15分で洗い流してるんだから当たり前? でもニキビにはしっかり効いてる。一昨日から時間を30分に伸ばしたが皮膚に刺激感なし。あー、ディフェリンの件で顎ニキビ治療を諦めなくて良かったあ、と思ったのでした。
にしても、今度から新しい免疫調節薬をスタートさせるのでそれが皮膚にどんな影響を及ぼすやら。持病持ちは原病だけではなく副作用とも共存していかなきゃいけないから大変だ。そりゃ憂鬱にもなるさ。そう自分に言い聞かせながら今日も生きるワイであった。
「手足しびれたりしませんか?」とか「この薬は飲み続けないほうが良いですよ」とか言ってくるんだけどあれなんなの?
お薬手帳に書いてある薬と飲み合わせが悪かったから確認するとかは分かる。医者にはそんな話していない可能性があるからね。
飲み方の注意とかも分かる。そんなことを教えてくれる医者は少ないし、薬剤師の方のほうが知っていることも多いだるしね。
でもさ。「手足がしびれたりしませんか?」っておかしくない?それで「はい。しびれます」って言われたら薬剤師はどうするつもりなの?薬を飲む量を変更する権限もないだろうし、薬を勝手に変更する権限もないだろうし、言えるのって「お医者さんに相談してくださいね」ってぐらいじゃないのかね。それっている?
無駄に質問して無駄に怖がらせて「この薬って重大な副作用があるんじゃないのか」といたずらに怖がらせるだけな質問な気がするんだがなんのためにやってるんだろう。
朝、シャワーを浴びて頭と体を洗った。
AVEDAのシャンプーを初めて使ってみたのだが、薬草のようなニオイがする。
風呂場から出るとグッタリと疲れたので、布団に横になりながら顔のムダ毛を抜いた。
髪の毛を乾かしたあと、2時間ほど寝た。
起きてから歯磨きして身支度を整え、昼すぎに通院先の大学病院へ出発。
病院に着いて受付をすませると、ほどなくして血液検査室へ呼ばれ、尿検査と血液検査を完了。
血液検査の際、最後に食事をしたのはいつですか?と聞かれたので昨日の夜6時から何も食べてませんと答えるとビックリされた。
「いえ、受けてないです」
「健康診断とかだと厳密に空腹時血糖値をはかるので夜9時以降は何も食べないで来てくださいって指示が出ることもありますけど、こういう血液検査はそこまで厳密ではないので、先生から指示が出てない限りは朝食とか普通に食べてきて大丈夫ですよ。ウチでは食後4時間以上なら空腹時血糖として扱ってますから」
「えっ、そうなんですか」
ここに通いはじめて4年だが初めて知った。
ボーッとスマホを見ながら待つ。
ようやく診察時間になるが呼ばれない。
私の主治医の診察室だけ異常に回転が遅い気がする。
上が96で下が71。
そして脈拍数がなぜか113もあった。
1年くらい前もこうなって、検査して洞性頻脈だから心配いらないと言われて、しばらくしてから治ったはずだったのに、また再発?
スマホゲーを集中してこなす。
冷房のきいた待合室でずっとスマホを見ているので首の後ろと後頭部が凝って痛くなってきた。
「はいはい、ああこれね、問題ないですよー。ああそうですかー。うん、この数値もね、特に問題ないですから。はいはい」
という流し気味の診察であったが、いつものこと。
私はとくに何もしてないけど長時間椅子に座って待っていたせいでくたびれている。
疲れている人とくたびれている人が出会って、とくに検査結果に問題がなければこんなものだろう。
会計窓口のところでおじいさんが事務員さんに「2時間も待たされてね、○×△…」とクレームをつけていた。
おじいさんのクレームによって会計窓口に列ができているのだが、見えないのか、おじいさんよ。
薬剤師さんにお加減は変わりないですか?と聞かれたので、調子はいまいちだけど血液検査は問題ないからスルーされてます旨伝える。
お薬のことで何か質問ありますか?と聞かれるが、do処方歴2年近いし1〜2ヶ月に1度の頻度で通ってるので、さすがにもう聞きたいことは聞き尽くしており、質問は特にない。
スーパーのL袋相当のビニール袋いっぱいのお薬を手にし薬局をあとにする。
帰りはマクドナルドに寄って本日発売のチェルシーシェイクを飲む。
あまーーーーーーーーーーーーい!!
Sサイズにしておいてヨカッタ…。
○朝食:なし
○調子
むきゅー!
すごくいい天気なので、お洗濯を頑張った。
風邪やら何やらで洗濯物が山ほどあったので、二回も洗濯機を回した。
本当は木曜日に発売されたルートレターを買いに行くつもりだったんだけど、ネットから漏れ聞こえてくる情報が凄く怖い感じなので、ちょっと様子見にします。
今年はもうパンチラインが十年に一作レベルのアレゲーだったので、ちょっと慎重に行きます。
それから、四時ぐらいに一応念のため病院に行ってきたが、なんか五分ぐらいで流された。
……よくあることなのか? ちょっと怖いので、今後は今回もらった薬は避けてもらえるよう、お薬手帳の先頭にメモっといた。
ようやく二話をクリア。
百合百合ハッピハピハッピーーーーーース!!!!!!!!!!!!!
ってなる、素晴らしい話だった。
逆転裁判二次創作は女性向けが強いけど、こちらの方向も盛り上がるといいなあ、と思いました。
それから、三話も始めると、もうボッロボロ泣いた。
まだ事件も何も起こってないのに、ボロボロ涙が止まらなくなった。
よかったね、本当によかったね……
なんか記憶が軽く飛んでる。
ちょっと前に
「プレイズンウォーカーを統率者に使わないといけない特殊ルールの統率者戦をやる場合、
cider_kondoさんはエルズペスで、msdbkmさんが神ジェイスで、サバカレーさんがテゼレットで、僕が赤白ナヒリにしよう。
うーんでも、そうするとciderさんが弱いかなあ? いやでも、ciderさんはエルズペスだよ、絶対。だってもう見た目がエルズペスだもん、どう考えてもエルズペス以外ありえないよ、白単で強いデッキ考えなきゃ……
白単よえなあ! ハルマゲドンで気持ちよくなっても、EDHだからマナファクトみんな置くしさあ。
法学者だのヴリンだの言ってる余裕あるのかなあ、よくわからんなあ。
っていうか、白単も大概だけど、僕の赤白もなんかあんまりピンとこない!
いやくる! ヘリックスは最強なんだ、二マナ火力最強はヘリックスなんだ!
みたいな感じの、いつも考えているインターネット上の文章でたまにやり取りする人達と脳内で一緒にゲームをする妄想をしていたら、
なんかぱっと眼が覚めた。(それにしてもヒドい妄想だ、念のため言っておくが、妄想の中で言及しているはてなIDの人達のことをああだと思っているわけではない)
僕の実感としては水曜日夜寝て今起きた感じ。
さすがに全飛びではなく所々記憶は残ってて、仕事には行っているはずなんだけど、なんかよく覚えてない感じ。
いやうん、仕事はした記憶あるな、テストしたよテスト、バッチが動いてなくてスケジューラーの設定を見直したりログを確認したりしたよ、木曜日は。
金曜日も開発環境とは別の環境での動作試験(これ意味ないよなあってずっと思ってるけど)をやった、うん、やった記憶が薄ぼんやりとあるな。
ODした形跡もない。(残数も水曜日の夜時点と合致するから木曜日と金曜日は飲んですらいない)
なんだったんだ、風邪の薬と鬱の薬の飲み合わせが駄目だったのか? いやでも、お薬手帳医者に渡したぞ?
いやもう、なんか心配かけてすいませんです。
実際には医者1に対して
>ぼく(問診だけでMRIどころか知能検査もしないではいそうですかと薬なんて飲めるか)
ってのを「今日初診で、問診票書いただけなんですけど、検査とかないんですか?MRIとか何か脳を調べたり、知能検査や心理検査をやるって聞いたんですけどやらないんですか?」ってな具合にオブラートに包んで直接聞いてるけどな。でもこれはそう書かなかった俺が悪かった。
医者1は「検査はしないし問診しかしてないけど話を聞いた限りではADHDで間違いない」と言い切ってその日のうちに処方箋書いてよこしてきた。
俺はそんなとこの再診を受けて薬を飲み続けるのは嫌だったんで、「次は何日に来てください」って言われてたのをハイハイと聞き流してそのままバックれた。空恐ろしくて処方箋はちぎって捨てた。
医者2が処方してる薬は発達障害の治療薬として通常選択されるストラテラやコンサータではない。
医者2は処方時点では抑うつ傾向を問題視していた。問診で普通にやりとりしてるうち前触れらしい前触れもなくぼたぼた涙が止まらなくなったりしたからだろう。
「私はあなたは発達障害だと思うが、現状は不安や抑うつが強すぎてそこの見極めができない。まずは不安を抑えて、不安のない状態でも(発達障害的な)簡易なミスをたびたび繰り返したり衝動や不注意で失敗したりということが起きるかどうかを確かめなければならない」という説明で、不安を改善する効果があり、かつADHDの衝動性を落ち着かせる効果も見込める薬を選んで処方してくれた。
その点では俺は医者2を信用している。話が理にかなってるからだ。
俺が腹を立ててんのは最初から薬に抵抗感があってなおかつ副作用でゲロゲロ言ってるってのにいかにも明るいノリで薬増やせばいーじゃん☆と言い放ったことと、睡眠外来の件の話のとき俺に睡眠の問題があるのが初耳みたいな態度でいたことだ。多分「薬を増やしても大丈夫ですよ」みたいなニュアンスで安心感を持たせようと思って言ったようだが完全に逆効果。
ついでに言うと、日程の都合が合わなくて受診できないとき、直接来院しなくていいから薬や症状について電話で報告しろと指示くれたことがあったんだが、そういうのは『電話受診』みたいな扱いでカネを取られるということをあらかじめ知らせてくれてなくて会計で初めて料金上乗せが発覚したとか、睡眠の検査結果が出たらそれは送るかそれとも次回の外来で持ち込めばいいかって件を相談したとき、確かに「私宛にしてこの病院に郵送してくれ」と言ったのに、その後の外来では「そんな相談受けてない、カルテにもそんなことは書いてない」とか言い出したりと、細かいところで話が食い違うことがぼちぼちあって不信感もじわじわ募ってはいる。あと何となく言動が「この人俺が発達障害だといろいろと都合がいいんだろうなあ」みたいな印象を与える。睡眠の外来の件も「◯先生が発達障害と睡眠の研究をしてるから、(来るんだったら)喜んで診るのに」と言われた。俺が困ってんのを喜ばれても不快なんだが。
お薬手帳をコピらせて口頭でも飲んでる薬を伝えたのに飲み合わせや離脱症状について一切コメントがなかったという時点で、ここに長くかかるという選択肢は俺的には無い。
特に飲み合わせの件、かいつまんで言うと「眠気覚ましを飲んでる間、持病の症状を緩和する・進行を遅らせる薬は効果が薄まる」ということが後から自分で調べてわかったんだが、この症状緩和がうまくいかないと俺は痛すぎて立てなくなったり動けなくなったりする。それで失神もしてるので、そういう事態に陥るととても困る。
専門特化してる医者に対して専門外の持病の方まで治療しろとは言わないが、「この薬を飲むとこっちの薬の効果についてはこういうことが起きます」ぐらいは知らせろよ。処方に責任持つってのはそういうことも含むだろうがよ。
叩きたきゃ叩け!呪われろクソども!
↓
メンタルクリニックに行ってみる
↓
医者「総合して考えるとあなた発達障害ですね、ADHDってやつなので薬飲んでね」
ぼく(問診だけでMRIどころか知能検査もしないではいそうですかと薬なんて飲めるか)
セカンドオピニオンで全国的に発達障害診療で有名なところの予約取る
↓
医者2「総合して考えるとあなた発達(ry 次回知能検査と心理検査しましょうね、3時間かかります」
ぼく「」
臨床心理士「うーん検査結果的にはあなた発達障害ではないですね、発達障害の特徴が出てないし知能もむしろ高い方だし」
医者2「でもエピソード的にはADHDと自閉スペクトラムの合併っぽいし、現に今仕事に支障出てるんですよね?」
ぼく「はい(モノを正しく理解するだけの能力はない人間として扱われていますなんて言えない…言ってもどう頑張ったって主観も入るし…)」
医者2「とりあえず発達障害にも効いて不安も抑えるお薬飲んでみましょう、副作用に頭痛とか吐き気とかめまいとか、あと眠気があるけど、まあ様子見ね」
ぼく「えっ眠気?」
ぼく「眠気はちょっと…ぼく実は去年の冬ぐらいからずっと異様に眠気が強くて、仕事が終わってうちに帰ると食事とか風呂とかなんもできないレベルで寝込んじゃったりしてるんですよ。計算したら10時間とかそれ以上、平日ほぼ毎日寝てて」
ぼく「眠いしちょっと寝ちゃうこともあるんですけど、なんとか耐えてる感じで…休みの日とか二度寝も昼寝もしちゃうんで、本当にすごく長い時間寝ちゃうんです」
医者2「まあ、眠気は副作用で出ない人もいるから。ちゃんと薬が効けばむしろ起きてられるようになる可能性もありますし」
ぼく(やだなあ)
医者2「でもこの薬は副作用も軽い方だし、あなた抑うつもちょっと強いのでそれをどうにかしなきゃいけないと思いますよ」
ぼく「わかりました…」
↓
ぼく「おげえええええ頭痛もめまいもきたけど何より吐き気強いよおおお吐き気が落ち着いても食欲が超不振で何も食えないメシが苦痛すぎるうううう」
医者2「このお薬は食後に飲むやつなので、取れる限りは食事はとってね。生活サイクル整えるためにも特に朝食はとるようにしてね」
ぼく「おまけに性欲どこいった…どうせ相手いないからまあいいけど…うえええなんか手が震えるんだけどなにこれえええ」
医者2「手が震えるのは低血糖でしょうね、あんまり食べれてないんでしょ?でも困ったな、2週間飲んでもそれか…仕方ない、吐き気止めを出しますから一緒にのんでみてね」
↓
ぼく「やっと薬に慣れてきたっぽい…不安はだいぶ薄れてきたし、食欲不振も吐き気止めでかなり軽くなったし、このまま慣らせばいいかな…でも、そういやかれこれ5ヶ月くらいずっと眠すぎてプライベートが何もできないなあ」
↓
プライベートどころか仕事中頻繁に居眠りするようになったので睡眠外来行ってみる
↓
医者3「ふーんなるほど、睡眠時無呼吸かもしれないね、泊りがけの検査受けてみる?」
ぼく「お願いします(2万円近い出費が痛い…でもマジでそんなこと言ってる場合じゃないし…)」
↓
医者3「検査結果的には無呼吸はないね。ウチでやった検査だと無呼吸かどうかだけしか調べらんないんだよね、紹介状書くから大学病院の睡眠外来行ってみて」
ぼく「はあ」
↓
医者4「前のとこでやった検査とかぶっちゃうけど、ウチでも泊りがけで無呼吸とかの検査と、あとその翌日昼間の眠気を調べる検査を受けてくださいね」
ぼく「はあ(前のとかぶるんなら俺が提出した前の検査結果使えばよくね?なんでもっかい受けなきゃなんないの)」
事務員「泊りがけの検査は4万8000円ぐらいかかるんですが、先生からご説明ありましたか」
ぼく「えっ」←眠気消えないし職場の風当たり的に検査受けないわけにはいかない
ぼく「……受けます……予約とってください……」
↓
ぼく「というわけで眠気でそういうことになりました」
医者2「えー言ってくれれば眠気と発達障害の両方診れる先生がウチにいたのに」
ぼく「えっ(眠気が強くてプライベートがヤバいってのは不安の薬出すって決めた日には相談してたのに…)」
医者2「もうすぐそういう専門の外来枠を設けるんで今準備してるところなんですよ。曜日も今と一緒になる予定」
ぼく「今からでも転院させてもらってもいいですか(いくつも病院行くの手間だしもうこれ以上休み取りたくない、職場で立場がない)」
医者2「いいよ、話は通しときますから検査結果を持ってくるか郵便で送ってね」
ぼく「はあ…薬が効いてるのかだいぶ軽減されてきて、最近は指導で泣いたりとかはなかったんですけど、昨日はなんか気分が良くなくて、あとちょっと理不尽なこと言われてまた涙が止められなくなっちゃって」
ぼく「でもこれ以上薬増やしたくないし、だけど泣いちゃうってことは増やさなきゃいけないってことなのかなって余計不安になって」
医者2「えーなんで?増やせばいいじゃん、今も成人の定量の半分だし」
ぼく(定量の半分であの副作用食らってて増やしたいと思うやついるかよ)
ぼく(そもそも職場じゃ検査結果が発達じゃないから発達と認識されてないし、業務も他の普通に働けてる人に振ってできる限り負担減らすから、まずは薬やめるのを目指そうねって言われてんのに増やしてどうすんだ)
↓
医者4「検査結果的にあなたナルコレプシーですね、眠気覚ましの薬を出すので飲んでね」
ぼく「はあ(ナルコレプシーってテンション高くなると気絶するみたいに寝ちゃうやつだろ?)」
ぼく「あの、ぼくはただひたすら眠気が強いだけで感情が高ぶったときに突然寝ちゃったりは無いんですけど」
医者4「でも脳波の結果と入眠潜時の平均値がナルコレプシーの基準を満たしてるんです、それに脱力発作のないナルコレプシーというのもありますから」
ぼく(ニュウミンセンジってなんだろ)
医者4「詳しくはこの検査結果報告書を読んでください、それと今飲んでるっていう不安の薬は眠気覚ましの薬を飲む間はやめてくださいね」
ぼく「えっ」
医者4「新しく処方する方の薬の効果がちゃんと出てるか、見なきゃなりませんから」
ぼく(不安が完璧に抑えられてるわけじゃないのに、本当にいきなり飲むのやめて大丈夫なんかな)
ぼく(自己判断で飲みやめるのは絶対やめろって言われてるし、減らすときは徐々にじゃないとなんか症状出るんじゃなかったか)
ぼく(でも正直眠気もシャレにならないし)
ぼく「あの、今のんでる方どうしてもやめなきゃだめですか」
医者4「ん?まあ飲み続けてもいいんだけど、でも眠気をとる薬の効果をね」
ぼく(なんか微妙に話が通じてないような)
ぼく「あの、あの、今ぼくが通ってるもう一つの病院の方で睡眠の症状を診れるそうなので、そっちに転院したいんですが」
医者4「んー、でも今回新しい薬を処方するわけなので、しばらくは当院の方に通っていただいて、お薬が合うかどうか様子見にしてください」
ぼく「あの、でももうこれ以上休みとれないんで…いくつも病院行くの大変だし、向こうは今行ってる外来と曜日も同じだということなので…」
医者4「そうですか…わかりました、でもとりあえず薬が合うかどうかだけは様子を見たいので、まずは2週間のんでみてください。で、2週間後の外来で紹介状を書きますから。まずは今出ている薬はやめて、今日処方する薬だけを飲んでください。副作用で吐き気が出る可能性があるので、吐き気止めは飲んでもいいですよ」
↓
お薬手帳も渡してるし相手は医者だし眠気がマジでシャレにならないし、一度は「のんでもいい」って言ったけど最終的に医師の指示が「今の薬はいったんやめて眠気ざましを飲んで」にループしてきたので、しょうがないから不安を抑える薬をやめて眠気ざましを飲み始める
↓
↓
不安を抑える薬をやめて三日後、微熱と「このレベルの微熱にしてはおかしい」とビビるくらいの強いめまいでふらふら
気分はインフルエンザ ←今ココ
調べたら頭痛も微熱も発熱めいためまいもタイミング的に不安の薬の離脱症状でほぼ間違いないやんけ!
のんでも大変やめても大変な薬を軽々しく「増やせばいいのに」ほざいてんじゃねえよ医者2!!
そしてお薬手帳渡してコピらせてるし口頭でも飲んでるって言ってんのに離脱症状についてノーコメントのまま「その薬はやめろ」一点張りにしてんな医者4!!!ここには書かなかったけど更に持病で別の薬も飲んでるけど、そっちは眠気覚ましとは飲み合わせ注意なのに処方のとき何も言わなかったな!!!!転院する患者はどうでもいいんかこのヤロー!!!!
どっちの医者も曜日が合わないから明日外来に駆け込んでも居ないだろうけどな!!!その意味ではどっちも同じかクソが!!!!
呪われろ精神科医ども
人の話もろくに聞かないくせにそれぞれで好き勝手言いやがって
明日もこんな高熱のデジャヴみたいな頭のクラクラが続いたらとても仕事なんかできねえじゃねえか
ただでさえ通院で頻繁に休み取ってるってのにこの上また休み増やしてどうすんだ俺は
辞めるか?辞めればいいのか?あれだけ職場の先輩に業務のしわ寄せしてお目こぼしもらってきておいて、結局辞めんのか?
そういう長期的な話じゃなくても、明日は他のメンツ出勤ちょっと前ぐらいの早朝から絶対俺が居て対応しなきゃなんない仕事がある
他の誰かに頭下げて引き継ぐだけの時間の余裕がないし、何より俺の数少ない担当業務の中で、自分でもこれはこなせると思えてるヤツなんだ
「俺は今どうしようもない状況だけど、とりあえずこれはできてるんだから少しずつ頑張っていこう」っていう足がかりみたいな仕事なんだ
これもダメになったら俺はどうすればいいんだよ
俺はどうすればいいんだ
調剤薬局でもらえる簡素な薬剤情報提供書は、あまりに情報が無さすぎる。
添付文書にもアクセスできると尚良いが、一般人向けではないので、上級者向けモードなどとするべきか。
# しかし、とある薬について「くすりのしおり」を見てみたが、薬の中止や減量で副作用が出たときに患者がとるべき行動の指図が不適切で、質が低い仕事だなと感じた。
一切ダメなのか、時間をずらしたり少量ならば大丈夫なのか等も。
どんなペースで減薬するかの参考値も。
# 患者自身の服用管理意識向上の為でもあるが、めちゃくちゃな断薬する医師も世の中にはいるので、その被害防止に。
今現在は調剤薬局の薬剤師による飲み合わせの確認が行われているが、短時間でこなす必要もあり、また個々の薬剤師の知識量の差異もあるため、見落としがあったり、低頻度のリスクについては説明を省いたりという事が多いと思われる。
また、院内処方ではお薬手帳の確認がないところもあったりするので、その場合にはノーチェックとなってしまう。
患者の側でも確認し、安心して服用できる環境が実現してほしいものだ。
ちなみに、日本調剤のお薬手帳プラスはログインIDが必要であり、他の薬局利用者は残念ながら使う事ができません。
まぁ、上記の要望は満たしていないだろうけれど。
ほんとこれだけ。
これだけで同じ薬を複数の病院で出すということがなくなるので医療費は減ります。
そう。ほんとは当たり前。でも当たり前じゃない人もかなりいる。
実例その1。
とあるおばあちゃん。家族が薬の袋がたくさんあって管理できていないみたいと病院に相談に来た。そして発覚。なんと2つの病院から同じ薬をもらっていて、気分で飲む量を加減していたと。その薬、1ヶ月でざっと1800点×病院2つ。少なくとも3年はそうしてたみたいでざっと50万円くらいは無駄に?
実例その2。
とあるおばさま。眠れないので眠剤もらってるんだけどいつもの病院(中心部の大きい病院だ)にいけないのでこちらで出してもらえませんかと来院。薬の袋を持ってきていたのでああこの薬ねしょうがないねと確認して処方。その後同じ事を市内の複数の病院でやっていたことが発覚。保険で認められる量の3倍飲んですやすやと。もう耐性ついて効かなくなってるから別の薬にすればよかったのにという。
他βブロッカーの副作用を別な医師に薬のことは黙って診てもらったじいちゃん、「あそこの医者もあそこの医者も効かない薬を出しやがる」と確認してみればお薬手帳を持っていかなかったばかりに2ヶ所でだいたい同じ風邪薬をだされていた若者などなど。
自分が利用するときに、検討/実践した内容なので誤りやより有益な情報がありましたらご教示ください。
厚生労働省の助成事業にあたる公益社団法人全国保育サービス協会、
財団法人こども未来財団からシッターや一時保育を選ぶのをおすすめします。
会社で配布される、ベビーシッター育児支援割引券を利用する場合は、
財団法人こども未来財団の割引券取扱事業者一覧から探してください。
お住まいの地区によってシッター券などが配布される場合がありますが、
区の助成券に対応するにも免許、資格を証明する、保育士認定書の写しなどさまざまな書類の提出などが必要だからです。
ベビーシッターは紹介サイトで個人間で契約を交わすよりも幾分安心です。
助成券/ベビーシッター育児支援割引券に対応しているシッターかつ、
シッターが対応している区を調べます。だいたい、50くらいは見つかると思います。
50のシッターサービスに登録するのはありえないので2つくらいに絞り込みます。
私が利用しているシッターサービスは、下記のものを提出しています。
こんな感じです。預けるのが面倒になるくら準備が大変・・・
たまに今回の事件になったような紹介サイトの有人版みたいなのもあります。
人を調整して派遣します系の。それよりは、保育園運営しているところのほうがいいなとは思います。
そしてある程度、運営期間(実績)があるほうがいいかなと、思います。
>できれば2011年の災害時を経験しているところがいいです。
と書きましたが、災害時の対応はどうしますか?など質問を投げて、
調べてから折り返しますなどいくつか反応が遅いところがあります。
まずは”【1】提出物がしっかりしているところ”で書いたものを一式用意します。
相手が訪問してきたら名前を確認して、一通り子供や荷物の情報共有する時間を設けます。
こっそりですけど・・・室内をリアルタイム配信するのもいいでしょう。
子供も見知らぬ人に部屋で2人きりというシチュエーションがはじめてになるので
今後の参考にするためです。(お気に入りのおもちゃを増やすとか、食欲の様子とか)
リアルタイム配信の方法は、なんだっていいんですけど世界中に公開するわけにはいかないので
skypeのアカウント2つとってビデオ通話状態のままにしてみました。
鍵が掛かってる&チェーンもつけているので電話またはチャイムをならして帰宅をお知らせします。
※シッター中はヤマトが来ようが勧誘が来ようが絶対あけないです。
だいたい、2500/h*9時間(日中価格)=22500円です(ドドーン!)
助成券をフル活用すれば1.7万くらいには収まりまると思います。
まぁ、ちょっと目を離すと怪我する/死ぬ子供をみてるわけですからこれくらいの料金になりますよね。
預け先を自宅ではなく、一時保育所にすればもう少し安くなると思いますが宿泊・日/祝日はやっていないところが多いですね。
※区の乳児院(ショートステイ)だと、1泊5250円というのがありますが親の病気が理由などではないと利用は不可能です。
個人間で2人の幼児を16時~翌日10時で4000円の依頼をしていました、格安ですね。
(ニュースでは無職とありますが、依頼内容やプロフをみると夜間のお仕事のためのようです。
シングルマザーだから認可保育園は優先的に入れるんだけど夜間はやってないですよね・・・)
まともなところにお願いすると2時間分の費用にしかなりません。
さらに深夜料金や宿泊保育をすると費用がかかるし、兄弟2人だと料金は割り増しです・・・
だいたいは1日預けた分の費用>稼ぐ費用となってしまうわけですね。
相手の連絡先を電話と名前のみしかしらないのに預けるというのも危機感が足りなかったと思います。
利用者としては、怪しいところは絶対に利用しないのを徹底しなければならないし、
そもそも怪しいものをそこらへんに湧かしておくなよと思うわけで。
自治体でも国でも率先して制度・資格・指導をしっかりしてほしいものです。
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もう結構前になるが、精神科のセカンドオピニオンに行ってきた。
統合失調症だと診断されてからもう6年強。良くなりはしたが薬が無くならないのに業を煮やして他の精神科に行ってきた。今まで行っていたのは総合病院の精神科だったから、精神科専門の病院に行った。
診てくれたのは、もう60歳は超えていそうなおばあさんの先生だった。私の話を聞き持ってきたお薬手帳を見て、神妙な顔をして言った。
「それであなたはどうしたいんですか?」
「何時まで経っても治ったと言われず、薬を飲み続けなければならないのに不信を持っている。今の主治医は信用できるのだろうか?」
そういったところ、こんな答えが帰ってきた。
「どんな薬を飲んできたのかを見ていると、この先生もあなたも非常に根気強く治療に取り組んできたのがわかる。あなたの症状を聞いていると、今ですらとても順調に回復していると思う。あなたはもっともっとと思うかもしれないけれど、今の先生のところで頑張るのがいいように思う」
精神科で泣くなんていかにも病人っぽいから泣くまいと思ってたけど、思わず泣いてしまった。
毎日薬を飲み続けるというのは案外苦痛なのだ。特に精神なんてものを患っている場合、この薬のせいで治らないのでは、なんて不信感がつきまとう。ちょっと調子が良くなると、自分は異常じゃなくて誤診されているだけなのではなんて思ったりもする。そんな不信や疑念も一緒に飲み込み続けてきたのだ。6年も。
それを努力として認めてもらえたことが…、なんて言ったらいいかわからない。決して嬉しい訳ではないけれど、肯定的な気持ちで泣けてきた。
再発防止のためにも薬は一生飲み続けなければならないらしい。でもなんか覚悟が出来た。そして、主治医の先生に感謝の気持も湧いた。
がんばろう。そう思えるようになったことに感謝して、がんばろう。
主に出された順。
ジェイゾロフト→診断された時から最近まで一番長いこと飲んでいたが2年ほど経っても効果はわかんない。副作用なのか吐き気がとにかくひどかった。
リーゼ→頓服で出た。やはり効果はわからないので止めてもらったけど、これもある意味副作用なのか、なぜか肩こりが軽くなったのでしばらく処方してもらっていた。
レキソタン→転院前のクリニックで処方受けたらしい。ごく一時期だったので飲んだことすら覚えてない。お薬手帳に書いてあった日付によると、たしか親友の結婚式当日にもかかわらずどうしても気力が出ずに(祝儀や着替えの準備とかができない)「今日一日だけでもなんとかしたい」と医師に泣きついた記憶だけは鮮明にある。
ワイパックス→頓服で出た。これがなんかいちばん効果がある気がする。飲むと気が楽。
レンドルミン→海外長期出張前に時差ぼけ対策でもらったが、やはり効果は不明。トレドミンとこれを間違えて服用してしまったりするので個人的にはややこしい。
http://anond.hatelabo.jp/20100831050903で書いた元増田です。
http://anond.hatelabo.jp/20100831051346
http://anond.hatelabo.jp/20100831063859
二人ともありがとう。
とりあえず精神科と心療内科と神経科を併設しているクリニックへ行ってきて、相談して薬もらってきた。
社会不安障害なんだと。今お薬手帳見ながら書き込んでいるけど、メイラックスっていう薬とトレドミンっていう薬を貰った。
今日も仕事だったんだけど、本来起きるべき時間になったら、前に書いた症状に加えて頭痛までしてくるの。
仕事辞めたほうが良いのかな?ちなみに仕事はコールセンターで働いている。もうかれこれ半年。
クレーマーとか面倒くさい客相手にしているときは別に気にはならないんだけど、突然こんな状態になったんで、ストレスで体が病んできたのかねえ。
「そーいや、何カ月か前、喉がいたくて熱が出てだるくて咳もとまらなくて、『あー風邪ひいちまったな』と会社休んでクリニックにいったら『それ、風邪じゃなくって花粉症じゃないですか!』って結論になっちゃったんですよ。風邪だと思ったから悪化する前に大事をとって1日休んだのに」
というエピソードを話した。
医「なんで(その時)内科いったの?」
私「え、だから風邪だと思ったんで。そりゃ花粉症の症状だってわかってたら、私だって最初からさっさと耳鼻科行ってますよー!」
医「うん、だからなんで風邪で内科にいっちゃったの??喉だの洟だの咳だの、風邪の症状って全部耳鼻科系じゃないの。内科じゃないですよ?それって、我々耳鼻科医に『産婦人科の病気診てください』って言うようなもんでしょう?」
とのこと。
春の日射しが穏やかな日は、祖父がにこにこ笑っている顔が目にちらついて、私は少し辛くなる。祖父はアルツハイマー型痴呆症になり、特別養護老人ホームにいる。もう二年くらいになると思う。祖父が施設でにこにこと笑うようになってから、父も母も笑えるようになった。私も弟妹も笑えるようになった。
それまでの日々は、家族にとって、特に父と母にとって、地獄のような日々だった。
祖父は、元々厳しくて頑固なところのある人だった。成人する前に両親を亡くし、大人に混じって農家を切り盛りしていたから、気が強くなってしまったのだろう。祖母と結婚して、父の姉と、父が生まれた。その後、警備員と農家を兼業するようになった。祖父も祖母も厳しい人で、昔の農家気質だったから、母は嫁入りした当初から辛い思いをすることもあったようだ。ただ、祖父も祖母も、孫である私たちには多少甘い部分をみせていた記憶がある。
祖父が定年になる前、私がまだ小学生だった頃、祖母が亡くなった。五十代後半の死は、あまりにも早かった。母には、祖母の役目と母の役目、両方がのしかかった。今から約二十年前で、家事は女の仕事、女は男を立てるもの、という価値観はまだまだ当たり前にあった時代の話。祖母が亡くなってから、祖父の母に対する当たりがきつくなったと父は言う。また、この頃から酒量が増えた、とも。
それから一年経って、私や弟とは歳の離れた妹が生まれた。母は仕事をやめた。祖父は歳の離れた末の孫を溺愛した。しょっちゅうかまうものだから、母は機嫌を悪くして、時々父や私に愚痴を言った。
祖父と母の関係が決定的に悪化したのは、私が高校生になり、妹にある程度手がかからなくなって、母が再び働きに出るようになった後だ。祖父はとっくに定年になっていて、ずっと家にいるようになった。趣味の合う友人と連れだって遊びに出かけたことも時々はあったけれど、家にいることがほとんどで、昼間は自室に籠もっているか、畑で仕事をしているかだった。祖父には、母が五時過ぎに仕事から帰ると同時に台所の自分の席に座ってお酒を飲み始める習慣があった。母が夕食の支度をしている後ろ姿の、その後ろで二時間くらい、じっと座っているのだ。六時になる頃には私も弟妹も家にいたけれど、居間でテレビに釘付けだったから、その状態には気づけなかった。七時も過ぎて父が仕事から帰ってくると、夕食。六人で食卓を囲む。私と弟妹は思い思いにおしゃべりをする。ひとしきり話し終わった頃、祖父が口を開く。ときどき意味の分からないことを言う。話が通じないことに、私たちはイライラし始めて黙ってしまう。父が間に入って話すけれど、お酒の入っている祖父は興奮しやすく、時々興奮しすぎて母に当たった。祖父が母に当たると父も頭に血が上って、怒鳴り合いになる。しまいには祖父が「そんなに邪魔なら殺せ!包丁で刺せ!」などと叫んで、部屋に籠もってしまう。こんな日々が続いた。
今思い出すと、この頃にはまだらボケが始まっていたのかもしれない。それで執拗にいろいろと尋ねたのかもしれない。私も弟妹も、学校がお昼頃で終わった日は居間でテレビを見たり、宿題をしたりしていた。そのとき、祖父がいつも居間にあらわれて話をしようとするのをうっとおしがっていた。なにも分かってない子供なんてワガママなもので、無視して自室に籠もることもあった。食卓を囲んでいるとき、怒鳴って気分をめちゃくちゃにする祖父の理不尽さも大嫌いだった。
学校でもいろいろあるというのに、「殺せ!」と怒号の響く家は気が休まらなくて大嫌いだった。弟は、高校生になると、わざと夜遅く帰ってくるようになった。父が叱ったが聞く耳を持たなかったし、男の子だと言うこともあり、いつしか容認されていった。私にはそんな要領のよさはなかったし、妹はまだ小学生だったから、毎晩のように繰り返される怒鳴り合いをそばで聞いているしかなかった。
私が大学への進学を考えた頃、両親は地元大学を勧めたけれど、私は県外の大学に願書を出した。願書を出す直前までは、後期試験は地元を受けると言っていたくせに、結局後期試験の願書も県外の大学に出した。今思えばふざけた話だが、初めての反抗らしい反抗だった。県外の大学に進学した後は、部活、バイト等、わざと忙しくして下宿にいないようにしていた。家からの電話が憂鬱だったからだ。下宿に居ないのを両親に詮索されるのも嫌だったし、なにより、家族の誰かが別の誰かを殺したという電話がいつか入ることを本気で心配していたのだ。講義がない時期には帰省が憂鬱だった。夏も冬も理由をつけて、一週間くらいしか家に帰らなかった。家に帰るとおなじみの怒鳴り合いの日々だった。帰って一、二日は静かだが、三日目を過ぎると怒鳴り合いが始まる。家から下宿に戻った後はますます電話が怖くなった。酷いときは電話線を抜いた。
一歳下の弟も大学に進学して、家を離れた。家は、祖父と両親と妹だけになった。私たちは両親と妹を犠牲にしたのだと思う。
大学三年の夏、父から電話がかかってきた。この時は不思議と電話を取る気になった。電話の内容は中学生の妹のことだった。食事を全く取らなくなったという。父は毎晩のように妹の訴えを聞いていたけれど、最後には「頑張れ」と言うしかなく、なにもできないまま悪くなったという。妹に対しては罪悪感があった。夏休みはほとんどを家で過ごした。
家に帰ってすぐに父と話した。母にはもう無理だからと言われ、母のお薬手帳を見せられた。そこに並んでいる処方薬の名前を調べると、抗精神病薬ばかりだった。母は頻繁に被害妄想を訴えるようになっていた。最初は、家に祖父と二人でいる間、いつも祖父が後にいるから怖いという訴えだった。それがいつの間にか、家の中で誰かに監視されている、家の中に盗聴器がある、近所ぐるみで監視している、警察に狙われている、と徐々に変化していった。祖父の行動ひとつひとつが、何者かによる母への攻撃であるかのように見えていたようだ。父は祖父に、母を刺激しないように何度も言ったが、祖父はその場では返事をするものの、すぐに忘れてしまうらしく、全く変わらなかった。
その日会った妹はどこか異様だった。何を聞いても無表情で「うん……」と、けだるそうに返事をするだけ。本当に食事を取らなくなっていた。一口食べて箸を置き、体がだるいのかすぐ居間で横になる。重症だと思った。その日の晩、私が自室でうとうとしかけている頃、妹が枕を抱えて部屋に来て「一緒に寝ていい?」と言った。招き入れると、妹はしばらく黙っていたが、突然堰を切ったように話し始め、もう無理だと訴えた。妹は、いつか家の中で殺し合いが起こるといって怯えていた。母の被害妄想が始まってから、夕方の台所で母と祖父の言い争いが起こるようになった。妹はなるべく早く学校から帰り、食事の準備をしている母のそばにずっといた。妹がいる間は、母は穏やかで、祖父の機嫌もそう悪くはならないから。妹は毎日のように母の愚痴を聞いた。しかし状況は変わらず、母は夜中に突然飛び起きて、怖いと言って泣くようになっていった。妹の部屋は両親の寝室のすぐ隣だったから、母の泣く声で眠れないこともしばしばあったという。学校の人間関係は、妹にとってあまりよくない状態で、妹の気が休まる時間はどこにもなかった。妹は、父には何かしてくれるようには言えないという。父は毎晩のように祖父と戦っていたし、母をなだめるのでいっぱいいっぱいだから、これ以上無理はさせられないと。
父に遠慮している妹には悪いと思ったが、現状を父に伝えた。その上で、父にはしばらく黙っていてもらうことにした。妹の体調があまりよくないこともあり、病院に連れて行った。妹は検査で採血をされ、胃カメラを飲み、点滴を打たれて「病人みたい」と笑った。「検査に異常はないから精神的なものだと思う、食べられないのが続くようなら精神科を紹介するから様子を見て」と言われた。その日からしばらく、妹は私にべったりと甘えていた。何をするにも一緒だった。帰省してきた弟は、帰ってくると真っ先に「おい大丈夫か?」と言った。進学して家を出てから、これだけ長い間弟妹と一緒にいたのは初めてだった。三人でくだらない話ばかりした。「この家、超不幸だ」と言いながら笑った。妹は、プリンやゼリーから始めて、普通の食事も少しずつ摂るようになった。妹が笑うようになった頃、大学の講義が始まって時間切れ。私はわざと忙しくするのを止め、電話を取るようになった。
その後もしばらく膠着状態だった。祖父も母もあいかわらずの調子で、間に立つ父は本当にたいへんな思いをしただろう。
私が大学を卒業した頃、状況がますます悪い方に動きはじめた。昼間のうちに家のあちこちに水たまりができ、家族がしばしばそれを踏んづけるようになった。水たまりの犯人は祖父。時々失禁をするようになったのだ。何度注意しても改善せず、おむつを勧めても頑として受け入れない。以前は熱心に畑に出ていたのに部屋に籠もることが多くなり、同時に食事や入浴を忘れるようになった。部屋に籠もる一方で、ふらっといなくなることもあり、連絡をもらった父が慌てて迎えに行って頭を下げるのだ。時々真夜中に近所の家を訪ねることまであり、消耗した父は何度も祖父に「勘弁してくれ」と土下座したが、状況はまったく変わらなかった。祖父は自分の状況が分かっていなかったか、分かっていてもどうしようもなかったのだろう。他にも、庭先に祖父がどこからか拾ってきた妙なガラクタが増えたりもした。捨てようとすると祖父が怒るので、だんだん量が増えた。祖父は車の免許を持っていたけど、ちょうどこの頃に庭先で車をぶつけたこともあり、危ないので免許証を取り上げて車の鍵を隠した。祖父が車の鍵に執着して家じゅうを探しまわるので、母が影響されて荒れることもあった。
さすがに近所にも親戚にも隠し通せなくなり、父は、隣県に住む伯母に相談した。伯母はその何年か前にヘルパーの資格を取っており、福祉関係の仕事も長いのでしばらく預かることを父に提案した。父も母も限界だったから、一ヶ月程度ということで祖父を伯母に預けた。庭先のガラクタを片づけ、荒れ放題になっていた祖父の部屋を片づけ、少し落ち着いたところで事件が起こった。伯母に預けた後、二週間も経っていないうちの出来事だ。伯母はその日も祖父に声をかけ、パートタイムの仕事に出かけた。伯母が帰ると、祖父がなにも持たずにいなくなっていた。すぐに探しに出かけたが、祖父は見つからなかった。警察やご近所に連絡し、数日経って、祖父が警察に保護されていると連絡があった。伯母宅からはずいぶん離れていた。祖父は警察に、家に帰せと主張していたそうだ。
父はこの時、もう自宅で見るのは無理だと思ったそうだ。病院で検査を受けるように祖父に勧めたが、祖父は昔から親は子よりえらいと思っている人で、このときも言うことを聞かなかった。父は、祖父が唯一頭の上がらない祖父の友人に状況を話し、祖父を説得してもらうことにした。祖父の友人は「もうずっと前からボケておかしくなっていることが分かっていたけど、言われるまで言えなかった」と、父に頭を下げた。祖父は友人の説得でしぶしぶ承諾し、父と友人に付き添われて病院で検査を受けた。
アルツハイマー型痴呆症には、根本的な治療薬がない。当時あったのは進行を抑えるだけの薬で、祖父を「治す」ことはできなかった。介護施設を探すことを医者から提案されたが、老人病院にも介護施設にも空きがなく、どこも順番待ちの状態で、診断がついても状況は変わらなかった。祖父の友人の協力を取りつけられたおかげで、祖父を説得しなければならないときにその人から強く言ってもらうこともできるようになったのはよかったが、祖父が内容を忘れてしまうことが何度もあったため、どれくらい効果があったのかは分からない。
注意して祖父を観察するようになると、物事をしっかり認識できているときと、そうでないときがあることが分かった。普通に過ごしていても、時々どこを見ているのか分からないような様子でいることが、しばらくの間続くのだ。その直後の祖父は決まって難しい顔をした。どこか悲しそうで、戸惑っているような表情。話しているときも、前後の文脈が分からなくなっている様子があった。つい一瞬前に話した内容を忘れてしまうのだ。そして何度も直前の話を聞き返す。説明しなおして話が繋がるときもあれば、辻褄が合わないままのときもある。その時の祖父の表情は、やっぱりどこか悲しそうで、戸惑っているようだった。いわゆるまだらボケと呼ばれる症状だ。頭がしっかりしているときは、その直前まで自分が呆けていたことを分かっていたのかもしれない。
診断がついてから何ヶ月も経って、家からそれなりに近い場所に介護施設が見つかったので、祖父を入居させる手続きをした。これで一件落着のはずだった。ところが、一週間後には「無理なので引き取ってください」と連絡が入った。何度も頼んだが、手に負えないから無理だと断られた。手に負えない原因は、主に精神的な症状だ。場所や状況を認識する能力が低下しているので、そこがどこなのか、なぜそこにいるのか理解できない。家にいたはずがいつの間にか知らない場所に連れてこられたと思いこみ、何度も脱走しようとした。止めようとしても、自分は被害者だと思っているから暴れる。祖父は身体も大きく、農作業で身体を動かしていたこともあり、暴れると抑えるのは難しかった。収集癖の悪化も災いした。他の入居者の部屋に入りこみ、物を自分の場所に持ち帰るのだ。職員が返すように言っても、自分のものだと言い張って返さない。そして他の入居者とトラブルになる。こんなことが入居直後から繰り返されたので、ついには断られたのだ。
それからは施設探し。祖父の身体疾患のこともあり、施設からは精神的に安定するまでは介護施設よりは病院に入った方がいいと言われた。受け入れてくれる病院などそうそうないから、しばらくは再び悪夢の日々。次の病院が見つかるまでに数ヶ月かかった。
鍵のかかった病院に入ってから、祖父はぼうっとしていることが増えた。薬の影響もあったのだろう。週に一度、一時間かけて病院に行き、洗濯物を預かり、祖父と少し話した。最初の頃は、よく歩いていると職員に聞かされた。その後、車いすに座ってぼうっとしていることがだんだんと増え、歩くことも減った。話しかけると「よく来たなあ」と笑った。祖父から話しをすることはあまりなく、もっぱら私たちの話を聞いた。しっかり話を聞いていると思うと、急にぼうっとしてしまうこともあった。もう慣れていたから、そんなものだと思うようになった。祖父の顔は、だんだん穏やかになっていった。
入院から半年ぐらい後のことだと思うが、祖父の状態が落ち着き、特別養護老人ホームに空きが出た。すぐに祖父をそちらに移すことになった。ホームには病院と同じように鍵がついており、入居者が自由になれるエリアは鍵の内側だけだったが、病院に比べると明るく開放的で、入居者が昼間に集まっているロビーの雰囲気も、なんとなく暖かみを感じるものだった。祖父をそちらに移してからも、週に一度、洗濯物を取りに行っている。施設に全部まかせることもできたが、父がその程度の面倒は見たいと言って譲らなかった。祖父は他の入居者とは少し離れた場所、ロビーのそばにある職員詰め所の入り口に、椅子を置いて座っている。職員は「いつもあそこに座ってますよ。よく分かりませんけどお気に入りみたいです」と言う。昔、警備をしていた名残だろうか。守衛として座っている時間も長かっただろうから。祖父に声をかけると「よく来たな」と私の名前を呼んで、にこにこ笑う。私が久々に祖父を見舞ったのは、ちょうどこの時期、少し暖かくなってきた頃だ。
その後も現在まで、父は週に一度は祖父を見舞い、祖父の洗濯を愚痴もこぼさず楽しそうにやっている。母は「お母さん、ノータッチだから楽でいいわ」と、のほほんとお茶をすする。一時期の被害妄想は、ほとんどなくなり、よく笑うようになった。家に寄りつかなかった弟は、遠方で就職したくせに「家の方が落ち着く」と、長期休暇のたびにぎりぎりまで長居する。妹は地元で大学に進み、家の中ではよい意味でワガママな振る舞いをするようになった。弟妹はときどき、父について祖父のところに行く。以前とは違う意味で家の中がやかましくなった。みんな、笑えるようになった。
私は結婚して家を出た。ときどき、父と一緒に祖父のところに出かける。このごろ祖父は私のことがわからなくなった。祖父は私を、祖父の娘の名前で呼び、話しかけてくる。私はにこにこしている祖父のために、にこにこながら受け答えをする。内心はかなり複雑だが、もしそれを表に出せば、また祖父を難しい顔にさせてしまうかもしれないから。同じ時間と場所を共有していても、祖父が見ている景色と、私が見ている景色は多分違う。それを共有できることももうないかもしれないが、いつも難しい顔をしていた祖父がにこにこと笑っているのだから、これでよかったのだと思いたい。