はてなキーワード: 青春時代とは
ニコ動発端の某界隈と関わってきて7年が経った
界隈は精スプストーカーや特定、静画においての誹謗中傷、絵師・投稿者の内ゲバで界隈はほのぼのの字もなくなった
今自分は大学受験に失敗し高校を卒業しFランに今通ってるが未だに未練が残っている
ぶっちゃけ言い訳になるが勉強もせず某タグを徘徊していたのも失敗の原因の必要だと思う
それ故、再受験を機にその界隈と訣別したい
顧みれば凄く青春時代という一般人なら恋人と付き合い部活の仲間と夜マックでたむろいながら駄弁るというような貴重な時間をパーにしたが今自分が願って祈るのは誹謗中傷と内ゲバで溢れようが自分の妄想と快楽と暇つぶしの源だったこの界隈が数年後でも今と同じように賑わって欲しいといことだけである
腐女子です。ゲイが登場する実写映像作品でオススメなのがあったら教えてくださいませんか。
パッと思い出せる、今まで見たもので個人的に好きだったのは「モーリス」「キル・ユア・ダーリン」「同窓会 (テレビドラマ) 」です。
パッと思い出せる、見たけどあんまり刺さらなかったのは二十歳の微熱、どうしても触りたくない、アナザーカントリー など。
他にもよかったのや刺さらなかったのがあったはずなのですが、パッと思いつくのはこの辺です。
そんなわたしにおすすめのゲイが登場する実写映像作品があったら教えてください。
ゲイがメインテーマの作品じゃなくてもいいですが、ゲイ目当てであるという点はご留意いただけると幸いです。
存在すら知らなかった作品もたくさん!ありがとうございます!見ます!
→すっかり忘れてた!見たのがかなり昔で、当時のわたしには物語を咀嚼するための歯が全く生えそろってなかったのを思い出しました。もう一度見ます!
→もちろん見ました!懐かしい!
ヴェニスに死す
→あんまり刺さらなかった!今見たら違うだろうか?ヴェニスは映像と音楽が美しいので恋愛モノとしてじゃなくても延々見てられますが!
ボヘラプ
怒り
→懐かしすぎ吹いた!吹奏楽部だったのでそういう意味でも感情が引っ張られます!話あんまり覚えてないからまた見よう!
君の名前で僕をよんで
→見てる人多くて感動!これはもうすぐ続編が出るようなのでみんなも見ましょう!評価は続編を見てからに譲りたいと思います。
ぼくたちのチーム
→義務教育期間中に道徳の授業で人類全員に見せるべきと感じます。ゲイがメインテーマの作品だと恋愛映画になりがちのイメージですが、これはそうではなく、ゲイとヘテロの間で芽生える友情物語でしたよね。非常に示唆深い作品でした。似たようなニュアンスの作品でもう一個見たのが…タイトルが思い出せない…ゲイの車の整備士と友人たちとの友情ストーリーみたいな映画…
→わりと追ってます。しかしドラァグクイーンは職業のようなものであって、恋愛や性的の指向とは直接の関係はなかったような。ただ、だからこそそれらと無関係に輝く魅力的を発するドラァグクイーンたちからエネルギーをもらえていくらでも観てしまいます!
以下蛇足
トップコメのゲイの方にはご不快な思いをさせて大変申し訳ありません。
こんなに多くの方にお目にかかる増田になるとは思っておらず、不用意な書き込みであったと思い反省しております。
ただ他の方もおっしゃっているように、ゲイ作品をゲイと言うだけで何でもかんでも好んで思うままに消費しているわけではありません。一つの作品の登場人物の恋愛を尊んでいるのみであります。
ですので、作品によってはゲイ作品でも共感できないこともあります。
私ごとで恐縮ですが、今まで出会ってきたヘテロ恋愛作品たちに全く共感できず、ヘテロ恋愛の映画やドラマにキュンキュンしてありがたがっているクラスメイトや友人たちと心の距離を感じて生きてきた青春時代でありました。
同時に、青春時代からわたし自身も同性との恋愛をも経験してきました。そういう面もあってヘテロ恋愛作品がダメなのかと、思いつめた時期もありました。
(今思うと理由は少なくともそれだけではないのですが…多くのヘテロ恋愛作品に対して思うところについてを語り始めると話題がそれますのでまたの機会に)
わたしは27なのですが、それに冒頭で思い切り腐女子と書きはしたのですが、実は未だに性自認で悩むこともあります。本当はゲイもしくはバイの男性がわたしの正しい姿なのかもしれない?と思うことがあります。
それは、友人や家族や会社の同僚たちとの会話の中で、ひとり夜更けにベッドの中で、時折感じるものです。
そういったときに、いくつかのゲイ恋愛作品に、救われることがあるのです。そういう人間がいることを、ゲイの方にも許していただけたら幸いです。
冒頭で腐女子だと言い切ったのはこういったことを書きたくなかったからでもあるのですが(自分自身まだ向き合い切れていない、筆舌に尽くしがたい自分の問題点であるため)(ゲイ作品に惹かれる精神・身体が女性というひとまずの事実を伴う自認が有る腐女子という属性を振りかざしておいた方が楽)、
女性に関する嫌な思い出は特にない いや嫌な思い出自体はまあちょくちょくあるけどそれを言うなら男性に関する嫌な思い出もあるし、ことさら女性性を強調する必要なものはないようなものばかり
モテなすぎて拗らせてるって感じでもない 青春時代モテなかったのは事実だけど、大学のときに一目惚れした女性と交際に至り今も仲良くやっている
でも女が憎い 女全体というか、「女であるというだけで性的・恋愛的な価値が高いこと」が憎い
好きでもない相手に言い寄られるのは嬉しくないどころかむしろ苦痛ってのは分かるし、性的価値が高いとむしろ損することが多いって話も理屈では分かるんだがどうしてもムカついてしまう
年収1000万の人間が税金の多さを嘆いているのを聞いたときみたいな気持ちになってしまう
女は「多少モテる」くらいが標準装備だからいいよな!と、「告白されたことない」のがモテないことの基準なんていいご身分だよな!と思ってしまう
俺が学生時代女子と全然話してなかったのは純粋に話しかけてなかったからだし、つうかよく考えたら席が近い人とは普通に話してた気すらするのに、「キモい男であった俺はそれだけを理由に全学の女子から爪弾きにされていた」みたいな修正版暗黒青春が頭の中に生成されて行ってる
怖すぎる
男とか女とかのことを考えないで生きたい Twitterやめたらいいのかな でも非モテ男の拗らせ言論みたいなのって妙に共感性あるしつい読んじゃうんだよな ううう
中学のときに、気の迷いで信号無視しトラックに轢かれ生死の境を彷徨った。一命をとりとめ五体満足なものの、傷をおったし、妹に小さい弟を面倒見させる迷惑を長期間かけさせてしまった。
今思えば、小さいときから自閉症傾向で、頭の中がファンタジーとの区別がつかない子だった。案の定転校先でいじめられ、妹にかたみの狭い思いをさせた。こんなろくでもない私を肉親の情だけで仲良くしてくれた妹に感謝しきれない。
当時はアスペルガーやADHDと言った知識は広まっていなくて、学校も親も風変わりな生徒で片付け持て余していた。そして、人と馴染めない自分自身、幼少時は一人遊びで周囲を無視、思春期に差し掛かる転校時は周囲を強く憎み、社会人の頃には、母や妹に負い目をかけさせまいと思う気持ちで、自分を追い込んでいた。自分と基質が似ている父を憎んだことがあった。友達もいたけれど、自分より気弱や内向的な相手には高圧的で、自分より気の強い相手には下手に出るクズだった。共通して言えるのは相手を一人の人間として尊重せず興味も持たず、青春時代の暇つぶし相手としか見てこなかった。相手から離れられ、やがて自分からも離れた。かけがえのない時間を一緒に過ごすために、楽しくという気持ちがまるでなかった。
人といる時間が楽しいと思えない、だけど人といるととりあえず自分も周囲も安心する。自分が人付き合いになにを求めているかわからず場当たりに人と会う。なにが楽しいと思えるのか気持ちがついて行かないことも多かったし、その場でふさわしいふるまいを身につけることは覚えたけど、その分、強い相手にはNOと言えない性格になってしまった。相手の機嫌ありきになってしまったのだ。
立ち回る、ということだけで生きてきたから、人や物事に対しての興味なんて気が回らない。自分がどうしたいかより、どう振る舞うのが世間様的にOKかで頭が割かれ、過剰に反応するか、人の言葉を額面通りに受け取りすぎて、あとで陰口を言われるか怒られるかだった。自分のいたらなさよりも、怒られるということに過剰に反応してしまい、それを避けるために、ミス隠しもするようになった。
人としての魅力がゼロだ。
もう少し早くに自分の発達障害な特性がわかれば、少しは生きやすかったのかもしれない。だが、今以上に昔は知的なハンディに過敏に反応していたころだったから、母も当時の自分も認めたがらなかっただろう。
中学のときのあの事故は、生きづらさを感じたときの衝動的な自殺未遂だったのかもしれないと今になって思う。
今、人間関係は最小限にして、仕事も極力感情を出さない、仕事も必要以上に引き受けないようにした。ここは協力出来るけどこれ以上は無理という線引きもした。信頼出来る人物になる努力と好かれる努力は別物、どちらかといえば、後者は結果は伴わないことがよくわかった。
好かれる嫌われるに怯えた半生だった。好かれない人生に意味はないと思い、結婚までしてしまったが、パートナーが、とことんマイペース人間なので、今までの好かれなければ人生や社交的にならなければいけない人生から距離を置けてほっとしている。
自分語りごめんなさい。
顔の美醜がわからないのは、俺もそうだ。
アイドルがかわいいだの、クラスの誰誰が美人だの言われても、さっぱりピンときたことがない。これはフィクションに対してもそうで、例えば俺は萌えというものがよく判らないままにクソオタ青春時代を送った。いまでは結婚しているが、元カノだの奥さんだのが視覚的にどうか?については碌に気にしてこなかったし気にしてない。
ただ、これは何かを教わってないからではなく、才能の欠如だと思うんだよね。
だって、あんだけ漫画アニメ読んどいて、皆が言うような萌えキャラの良さがわからないとかある?
絵心の無さにも通じる、見る才能の無さが、この俺の傾向を作っている自覚がある。
実際、注意力とか相手の表情を読む力とかも薄いんだ俺は。
だから、我々みたいなのはやはり特殊というか、どちらかというと劣等種であって、教えなければアンチルッキズムはオッケーとかではないと思うぜ。
もはや死語になったあれだ。
我々は非モテであった。
小学校、中学、高校、大学、そして社会人と彼女を作らない容姿的敗北者。
中学ではバレンタインの日にチョコがどこかに隠されていないかとそわそわし、高校では何かの間違いで告白されないかと願った。
結果、不況もなんのその、年収一千万をザラに超える、青春時代に闇を抱えた人間たちが出来上がった。
もはややっていることは同人誌のブ男にも劣る。
彼らの容姿にかけられた、あるいは恋愛至上主義という呪いが新たな呪いを生んでいるのだ。
君に抱かれる横で醜い豚にやられているよ。
ざまあないな。
すかっとする。
胸が空く思いだ。
相変わらずAliexpressで買い物してばっかりいる一年でした。
単価2000円と仮定して20万円前後、2018年とほぼ同額です。
今年はAlibabaとTaobaoでもショッピングデビューして、そっちでもそれぞれ10万円ほど。
んで去年も作った買って良かったものリストを作ろうと思ったのですが、正直作る気になれないんですよね。
なんか、気持ちが明るくなれないんですよ。買っても買っても気持ちが晴れない。
対して日本のなにこの閉そく感
みたいな。
『あと数年したら中国製品も安く感じないようになるんじゃないか?』
みたいな。
ちょっと前に日本は物価が安いから観光客がたくさんくるんだ、みたいな記事を見かけたけどさ、やっぱそうなのjapan?
やっすいキャンプ用品とか電化製品とかエロ下着とか使い捨て感覚でガンガン買える時代が終わるんじゃないかという暗澹たる気持ち。
ポストバブル世代だけど、なんだかんだ物質的に豊かな青春時代を過ごした身としては落ち込むわけですよ。。。
というわけで良かったものはない。ないったらない。
自分もまさに増田みたいに苦しみ、妬み、こじらせ、絶望した青春時代を送ったから気持ちがめちゃくちゃわかる。
古い価値観だとは思うけど、このくらいの年齢の男子にとって「童貞=死」という図式はまだまだリアルで現実だ。
「未経験」というたった1つのディスアドバンテージのせいで、あらゆる問題が際限なく生じる。
だけど増田、諦めるな。チャンスはある。
自分はいま30代も半ばに差し掛かった男で、企業で正社員として働き、結婚して子供もでき家庭を持つ、いわゆる「普通」の暮らしをしている。
高校まで彼女はできず、大学生になったらできるはずと淡い期待を抱いて入学した大学でも4年間ずっと恋は実らなかった。
歳を重ねるにつれ、彼女いない歴=年齢で童貞な自分に対する引け目が強くなり、同時に彼女持ちやリア充に対する嫉妬が強くなっていった。
思考はどんどん拗れ、就活のときも「こんな嘘と御託を並べる儀式に意味はない」的な極端な思考を持ったせいでグループワークではスカし、面接では「ベンチャー企業とか名乗ってるけど、アメリカのIT企業のマネごとをスケールの小さい日本でやってるだけの御社はただの中小企業では?」とか答えたりしたせいで、無事NNT(無い内定)で卒業を迎えた。
卒業すると更に拗らせは強くなった。
もう学生(子ども)でもないのに童貞で、大学まで卒業したのにアルバイト勤務のフリーターで、未来も希望もない。
就活に成功し、上場企業で正社員として働くサークル同期に対して、自分と同じ境遇のサークル同期と飲みに行くたびに管を巻く(もちろん金はないので場所は宅飲みorチェーン居酒屋だ)。
自分と同じ学力・生活だったはずのサークル同期ですら、もっといえば自分とほぼ同じスペックの親ですら、手に入れている彼女・仕事が自分だけは手に入れられない人生をひたすら嘆いた。
「普通」になりたい。「普通」の人生を送りたい。「普通」の暮らしって、誰でも手に入れられるから「普通」なんでしょ?なのに、なんで自分は「普通」すら手が届かないんだ。
このときは、「普通」っていうものに、めちゃくちゃ憧れていたのを覚えてる。
そして、もう一生手に入らないと絶望していたのも覚えている。
だけど、手に入ったんだ。
大学卒業後にふとしたきっかけで素敵な女性と出会い、今ではその人と結婚している。
新卒では正社員になれなかったけど、アルバイト中に受けまくった中途採用に未経験で応募しまくって、正社員のポストを手に入れ、今では転職の結果、就活生の人気ランキングでも上位に入る企業に正社員として入り込めた(新卒ではハードモードでも、中途では案外入れたりする。特にコミュ力に自身がない人ほど、中途だと実績ベースだからやりやすいはず)。
この文章では、とにかく増田に諦めるなっていう気持ちを伝えたかった。
増田の苦しみはめちゃくちゃわかるから、案外どうにかなるもんだよって少しでも苦痛を和らげたかった。
でもそれだけだと「生存者バイアス乙」となっちゃうので、最後に簡単なアドバイスを…
今振り返ると、当時の自分に足りていなかったのは、圧倒的に「相手目線」だ。
ぶっちゃけ、これさえ持っていると恋愛も就活もうまくいく(と思ってる)。
なんで振り向かないんだ(採用しないんだ)、ではなく、どうしたら振り向くだろう(採用したくなるだろう)。
こっからは恋愛にフォーカスするけど、振り向かせるには、とにかく相手を楽しませることに尽きると思う。
彼女の普段の言動や身につけているものから、もしくは勇気を出して直接日常会話なんかをして彼女の趣味嗜好を聞き出す。そして相手の「好きなもの」を知る。
あとは、相手の好きなものを自分も体験し会話の糸口を作ったり、相手が興味を持ちそうなイベントなんかをだしにデートに誘う。
自分と同じ境遇であれば一歩目で躓いていると思うから、頑張ってデートまでこぎつけよう。そしたら、あとは案外なんとかなるよ。
がんばれ増田。まだ間に合うぞ
初めて投稿する。
誰かに読んでいただくことを意識しながら書こうとすると、どうもちぐはぐな文章になってしまう。
そこで、いつもの紙の日記に書くかのように、独り言を発するかのように、書いていくこととする。
***
いや、今もまだ、受け入れ度合いは7割くらいで、
残り3割くらいは、「制服好きなんてキモい」「人に言えない趣味」「むっつりスケベ」なんて思ってしまう。
しかし、もしも将来、自分が娘を授かったら、これは懸念ではないか。
まさか我が娘に対して、いやらしい目線を向けてしまうのではないか。
まだ結婚もしていないというのに、杞憂に終わるかもしれないことを、気にしている自分がいる。
何を言いたいのかというと、
私はごく自然な人生を送ることを難しく感じるときがあるのである。
そんな目線を向けたくもないのだが、どうやら私の脳は、
女子高生の制服が、性的興奮の起動スイッチになっているようなのだ。
この10年の間に、ありとあらゆる角度から、自分のこの性質について、
私は、女子高生の制服そのものに性的興奮を覚える、ということが分かった。
だから、私服姿や体操着姿、ジャージ姿の女子高生では、あまり反応しない。
実は中身が男でも、高校の女子制服を着ていれば、ドキドキする気持ちがあることを確認した。
でも、だからといって、イメクラに行くとか、ブルセラ買うとか、メルカリで注文するとか、
そういうことはしない。
そういう人生には、したくないのだ。
いそいそと夜中に、女子高生とかjkとかを検索ワードに入れて、
「女子高生の制服が好き」という自分を認められていないと、虚無感に襲われる。
いわゆる街撮りという、女子高生の制服そのものに焦点を当てた画像サイトも好きだ。
不覚にも見てしまうと同じく興奮するのは悔しいのだが、
もし実際に駅のエスカレーターなどで盗撮しようとしている輩を発見した時には、
女子高生の制服フェチと、脚フェチ(靴フェチ、においフェチ含む)である。
女子高生の制服フェチは、おそらく私の生い立ちが関係している。
接点を作る努力を怠った、とも言えるが、
中高を共学で過ごした人は、女子との接点を作る努力など、そもそもする必要がない。
なぜ私は、一度きりの人生の中で、共学高校生活を経験すらさせてもらえなかったのか、と。
もう1つ、脚フェチについて。
女子の素足のにおいを嗅ぐのが好きだった。机の下に入って、女子の脚を見るのが好きだった。
小学校に上がってからも、女子のちょっと汚れた感じの上履きが好きだった。
ここに、女子高生の制服フェチが重なると、紺ソとローファーに強烈な性的興奮を覚えるのは頷ける。
紺ソ、ローファースタイルにスーツを着て、普通に仕事をしているときもあった。
ふざけ半分ではなく、真面目に捉えて、悩んでいる男性は、
私の、10年間の考察結果を、この日記で(これ、増田って言うんですね!)、
共有していきたいと思っている。
お金がないから、ジャンプを買ったのに読まない漫画があるのは勿体無い!と思って、連載されてる漫画は基本全部読んでた。
アイズ、いちご100%、とらぶる…お色気枠の漫画も全部読んでた。
だから、内容よりも「可愛い女の子の絵」「洗練された肉質的な表現」に着目して読んでたと思う。
まぁ主人公の男の子には感情移入できなかったから、女の子側の目線で読むことか多かったかな。
で、クラスの男子でも学校にジャンプ持ってきてる人とかいて、そういう漫画の話題はちらほら聞こえてくる。
そこで私は思ったんだよね。
ああ、男の人ってやっぱりちょっとエッチな女の子が好きなんだな、って。
短いスカートからパンツが見えても、気にしすぎたらいけないんだな、怒ったら嫌われるんだなって。
テレビや雑誌やインターネットなど私が目にしただいたいのメディアで「女の子はちょっとエッチなくらいがいいよね」って話題に溢れてたから。
その上で、クラスの男子が喜んでジャンプのお色気漫画を隠すことなく読んで喜んでたから。
ちょっとエッチな女の子が出てくると、男子はみんなニコニコする。
ちょっとエッチな女の子を批判すると、嫉妬乙とかオバサンと言われたりする。
まとまらなくなってきたけど、言いたいことは
でも、他のメディアでは「不特定多数の男の人に好かれる為にエッチになる事を許容しなくてもいい」と書いてほしかった。
特に少女マンガや女性誌では繰り返し書いてもらえると有り難いと思った。
まぁ、そんなの売れないから無理なんだろうけどね。
男に「めんどくさい女」と思われるのは怖いから。
Day,4
4日目
昨夜の夜遅くにニョニャクエと共にジャスミンティーを流し込んだ為か、昨日の夜ほどは眠れなかった。
まあただ、今日は長時間のバス移動があるので、少しくらいはウトウトできるだろう。
今日の12時にはホテルをチェックアウトし、バスでシンガポールに向かう。
ホテルで見たマレーシアのテレビは、全く違う言語の4チャンネルがある。
日常の全ての瞬間で、全く別のバックグラウンドを持った人々が暮らしていることを実感する。
あった。
マレーシアでは、人口の半数以上を占めながら経済的には必ずしも恵まれていないマレー系、その他マレー半島、カリマンタン島の少数民族を、企業設立時の税制や国立大学の試験で優遇する「ブミプトラ(土地の子)政策」が取られており、その事が民族間の対立感情を呼んでいるという事のようで、この辺りは中華系が主導権を握るシンガポール独立にも話が発展したりしている。
また、マレーシア国内には混血や世代交代を繰り返し、マレー系、少数民族、中華系、タミル系、どの民族にも括れない人達が多数存在し、そう言った人たちは青春時代に自分のアイデンティティに悩んだりもするらしい。
だた、ブミプトラ政策を格差縮小という本来の目的から離れて、より民族主義的な捉え方で推し進めた政治活動は揺り戻しにあい、アイデンティティに悩む2世3世も、「なになに系」ではなく「マレーシア人」として自己を捉えなおしたりするという事で、「民族国家」と「多元主義」の間で揺れるのがマレーシアと言う国のようだ。
「宗教対立」についてもあるにはあるが、どちらかというと「経済格差」による感情の縺れの後付けのようなものでしかなく、「民族」「宗教」自体に関しては、「そこにあるもの」として自然に受け入れているように見えるのが印象的だった。
ホテルをチェックアウトし、シンガポールへのバス便が出るマラッカ・セントラルに向かう。
GRABでタクシーを捕まえると、運転手のおじさんは「ありがとうございます」と日本語で言った。
それ以降は「どこへ行くのか」「シンガポールへ」「マレーシアは暑つすぎます」「雨が降って無いよね」「私は運がいい」など英語で簡単なやりとりをしているうちにマラッカ・セントラルに到着した。
長距離バスに乗ってしまうとトイレがないので、今のうちに済ませておく。
そう、マレーシアの公共施設のトイレは使用にチップが必要で、「トイレの受付」さんがいる。
高級ホテルの「紙もあるものの、文化としてちゃんと常備してある」尻洗いホースで使用の予習していたので、ホースで尻を流すスタイルにも対応できた。
衛生観念の違いは深く考えすぎない方がいい。
ここはまだマレーシアだ。
でも、今回自分がそうしたように、マレーシア旅行に行くならロールのトイレットペーパーを持っていった方が良い。
バスのチケットを購入し、出発ゲートでしばらく待っていると、シンガポール行きのバス便が到着した。
長距離バスに揺られて3時間ほど、ネット情報によるとこのままマレー半島とシンガポールを繋ぐ橋の前後で出入国審査があるらしい。
大きなバスターミナルに到着し、皆ぞろぞろと降りてゆく。
ここで出入国かな?
しかし、慎重過ぎるほど慎重に調べるべきだった、実のところここで降車すべきではなく、そのまま乗っていればまたバスは発進するのだった。
しばらくうろついて「間違えたか?」と気づいた時にはもう遅い。
バスの誘導をしていたおじさんに対応をたずねるがうまく言葉が通じない。
そのうち、浅黒い、というかかなり褐色みの強いおじさんが話しかけて来た。
どうやらここはタクシーで入国するためのプラットフォームらしい。
話していると増えるおじさん。
3人ほどの褐色のおじさんとスマホの翻訳を見せてコミニュケーションを図る。
国境を越えて目的のホテルまで運んでやる、80シンガポールドルだ、という。
話しかけてきたおじさんのタクシーに乗るなど、危なっかしい事この上ない。
その上値段はマレーシア市内で利用するときの10倍以上の値段だ。
「マジか、高すぎじゃね?」と思ったが、逆にこの高さがある種の信用の根拠となった。
たとえ怪しいボッタクリだったとしても、すでにこの価格なら得るものは得ている。
運に身を任せることにした。
そもそも2年前の台湾から始まって、この旅行記を書き始めたのは、その体験が自分にとって心動かされただけでなく、そんなに若くもない歳で、英語も大してできなくても海外旅行はできるし、実際に行ってみると自分が「世の中」だと思っていたものが「世の中の一部」でしかないと発見して、世界の多様さや美しさを感じられるからで、そんな旅行に行ってみたい、と思える人が増えればいいな、と思ったからだ。
だからあまりに高いハードルを超えたり危険を冒したことを自慢する気は全くなかった。
皆さんもマレーシアから陸路シンガポールに入国する際はぜひ写真付きのたくさんの情報を集めてほしい。
歩みがゆっくりなので、タクシーによる入国について調べてみると、確かに確立されたルートで、自分が払ったシンガポールドル換算で80という数字もやや高めであるが常識の範囲を出ないものらしい。
外を見るとスコールが降ってきた。
こうなると、降車の必要がなくドライブスルー形式で出入国審査が済ませられる(!)タクシー入国は高い金を払うなりの価値はある様だ。
長蛇の列の出入国をクリアして、シンガポールに入り飛ばすタクシー、予定より2時間ほど遅れてシンガポールのホテルに到着した。
マレーシアでは東横イン以下の一泊7,000円でキングサイズのベッド、共用にジムとプールとサウナがついたラグジュアリーホテルに泊まれたが、ここシンガポールでは一泊10,000円で「東横インの方がまだマシだ」というような、窓のない上にセミダブルベッドで居室が埋まってしまうようなホテルにしか泊まれない。
街を歩くと、その発展度合いに目眩がしそうだ。
夜の街を一人で歩いて全く心細くならない賑やかさと綺麗さだが、橋一本超えただけでこの経済格差は自分の価値観に揺さぶりをかけられるみたいでちょっと心がザワザワしてくる。
マレーシアから独立したからこその発展なのだろうが、その前からもこの華僑中心の街は他地域とかなりの格差があったのだろう、これだけの格差があれば、別れた方が正解かも知れない。
この格差が同じ国にあったとしたら、多くの人は心穏やかでは無いだろう。
肉骨茶と油條、ジャスミン茶で19シンガポールドル、約1,650円。
マラッカで食べたニョニャ定食なら、おかずが2倍の6皿に増える値段だった。
若いときの苦労は買ってでもせよという言葉がある。苦労なんてしたくないと思ってきたけど、だんだんとその意味がわかってきた気がする。
なぜなら、その苦労は後々の人生でずっと活きてくるし、大人になってから同じ苦労をするのはとてもしんどいからだ。よくも悪くも落ち着いてくるせいか、若いときよりも新しいことを始めたり、面倒なことをしたりすることに対して腰が重くなるように。
しかしながら、自分で選んだ苦労とは違い、したくないのにさせられた苦労は役に立たないことが多いと思う。
例えば、辛い家庭環境や病気などである。それを乗り越えて何か道が開けることもあるかもしれないが、そんな才能や強さがない人間はそのまま落ちぶれてしまうと思う。
現に自分がそうである。無理やりせざるを得なかった苦労のために、しておくべき苦労ができなかった。それで大人になってから周りが青春時代に経験しておくべきような苦労を今さらしているところだ。まだ人生は長いので、もっと年を取った自分が後悔しないために今は苦労をしておこうと思う。