個人的には功罪あるのだけど私は他人の見た目の良しあしがほぼ気にならない、というか判別できない。
世間一般に言う超美人でも、滅茶苦茶不細工な人でも、「そういう顔なんだな」以上の事を思わず美醜の見分けがほぼ付かない。
一応最近は意識して勉強し、見分けられるようになったけどこれは目盛りが読めるようになったというだけの話で私の抱く印象が変わったわけではなくて、
顔が悪いから見たくないとか顔がいいから傍にいたいとかそういう事は特に思わない。(そもそも関心がないのでロクに人の顔を見ていない)
でまあどうして己がこういう性質を持っているか考えた所候補がいくつかあって
・テレビや雑誌を禁止されていたため美醜の判断基準が備わっていない
・親が外見に関して一切言及しない存在だったため感性自体が欠如している
・単に虐待されていたため
などが浮かぶのだが、いずれにしてもこれは今どきの人権活動家の叫ぶルッキズムに染まらない姿のありようの一つなのではないだろうかと思い至った。
普通に考えれば美醜とは文化であり(平安時代の美人と今の美人は違う)、学ばなければ備わらない感性のはずなので「教えなければ」脱ルッキズムはそれで完成するのではないだろうか。
ないわけではないというのはわかるんやろ? つまり、不特定多数の人は、人に美醜と言うものを求める生き物である。 程度こそあれ。 そうなった場合に、自分に対してというのは営業...
左右対称度が高いほど美しい と覚えておけばいい。
顔の美醜がわからないのは、俺もそうだ。 アイドルがかわいいだの、クラスの誰誰が美人だの言われても、さっぱりピンときたことがない。これはフィクションに対してもそうで、例え...
劣等種というか才能の欠落ってのはそうだよね 自分もそう思う
わかる