はてなキーワード: 関東とは
母は63歳。四国に住まい、膵臓癌で療養している。すでに末期であった発覚時からいつのまにかもう2年が経ち、もうごはんをたべることも自分でできなくなってしまった。
俺は35歳。四国に生まれて大学から関東に住んでいる。独身ながらもマンションを関東に買ってしまい、こちらに骨を埋める気でいる。そんな折りに母の膵臓癌が発覚し、しばらくしてから介護のため四国に戻ってきた。
現在は毎日毎日俺が家族親類の助けを借りながら食事をこしらえて口まで運んでやっている、そんな状況である。
先日在宅介護に来てもらった看護師さんから、母の命にはもう1週間の猶予もないだろうと告げられてしまった。
まだまだそういった事態は先だとくくっていた俺も家族も、大急ぎで葬儀の検討や荷物の整理に入ったところである。
そこでハンコの問題で関東にもどらねばならない都合ができてしまった。
人が死ぬと、相続というものが発生する。相続の際には、遺産分割協議という家族会議を行い、遺産分割協議書という書類を作成せねばならない。
その遺産がたとえ銀行口座に入っている119円であろうと、5000円の信用金庫の出資証書であろうと、それは遺産であり、相続が、遺産分割協議書が必要である。
ここで問題になってくるのが、遺産分割協議書に捺すハンコである。
遺産分割協議書には実印を捺さねばならず、相続する人が居住自治体にハンコを登録し、その登録した証書を添付することが必要となるようなのである。
さて俺は、以前にマンション購入をしている。マンション購入をした際に実印を作成し、自治体に登録していた。この時に実印登録をしていたのだが、マンション購入後には当然そのマンションに引っ越した。
しかし引っ越し先の自治体で実印登録をしていなかったのだ。いま俺がもっている実印は実印として登録されている実印ではなく、ただのハンコでしかないのだ。
このため、居住している自治体で再度実印登録をする必要が出てきた。
しかし実印登録をするには、居住自治体の窓口で申請を出し、許諾されなければならないのだ。本人がハンコをもって役所に赴き、申請書を提出しなければならない。
役所に問い合わせてみたが、郵送も他人への委任もできず、俺が役所に行くしかないらしい。役所に行ってハンコを捺して帰ってくるしかないらしい。
この電子化の時代、ハンコ廃止の時代に、こんなことが必要であるとは思いもしていなかった。
119円の現金を分割して相続するために、どうして片道4万円弱(正規料金)の飛行機で羽田まで飛ぶ必要があるのであろうか。あるいはどうして片道13時間のバスに揺られて東京までいかねばならんのであろうか。
ちなみにちょっと考えてみた結果、一度居住地の役所に郵送で転出届を出してから、四国の役所に転入届を出し、印鑑登録、相続手続きをして、再度四国から居住地に転出するのがいちばん手間が少なそうである。
幼稚園年長の頃、母親と公園で遊んでた時に同じく母親と二人で来てためちゃくちゃ可愛い女の子がいて仲良くなった。向こうは別の幼稚園の年中。一緒に遊ぼうって声かけるだけで仲良くなれるなんて子供って幸せだね。うちの母親と向こうの母親も仲良くなって、幼稚園も小学校も別だったけどそれ以来一緒に遊ぶようになった。
小学校卒業のタイミングでうちの両親が離婚して、東海から母の実家がある関東の海沿いの田舎に引っ越したためその後しばらく会うことは無くなった。中学2年の時にその子が家族でディズニーに来るためこっちに来て、余分に時間をとってうちの町にも遊びに来てくれた。母親と向こうの両親が話してる間に母に言われて海沿い散歩してたんだけど、正直嫌だったんだよね。その子は相変わらず可愛かったけど、その日は中学の友達と遊ぶ予定だったし誰かに見られて冷やかされたら嫌だなぁって。その子は一生懸命いろんな話したり質問してくれたけど、俺は面倒臭さと恥ずかしさで適当に返していた。帰る時、その子は手をいっぱい振ってくれたけど俺は早く友達の家に行って新作の遊戯王デッキを試したくて心ここにあらずだった。
最近、新卒で入った会社を退職した。転職先に入社するまでちょっと間が空くので妻を連れて帰省したんだけど、夕方に一人で海沿いを歩いてたらその子が寄りかかってた白いモニュメントを見て、中学生の時のことを思い出し何故か悲しい気分になった。さらに小学生の時にシロツメクサの花冠を作って頭に載せてあげたらすごく喜んでいたことも思い出して余計悲しくなった。
今あの子は元気にしてるだろうか。
何番煎じかわからないが、少し前(コロナ前に結婚した)の婚活について書く。
・178cm/72kg
・これまでにお付き合いした人は4人だが、当時彼女いない歴8年
・彼女がいない期間にも数人友人や後輩に告白されたり明らかに好意を寄せてもらったことはあるが
自分が好きになれない人お付き合いする気になれず、お断りをしていた
合コン街コン的なものも言ったけど、多対多だと一緒にいるやつに勝てる感じがせず、
恐らく年齢的にアプリのボリュームゾーンであること、一番人の多い関東圏であること、
表面スペック(身長、収入)が良いことからかなりイイネが届く。
自分からも押すけどやり取りする相手が多すぎて途中からは無料イイネを余す。
やり取りする人が20~30人になって、並行してメッセージするのがしんどいので
こっちから押すイイネも向こうからのイイネもかなり条件を絞ってマッチングしていた。
会う約束をして流れた1人を経て、メッセージの段階でかなり盛り上がった人と会う。
そのあと2人目と会う前に約束していた1人と会ったけどそこまで盛り上がらず、
やっぱり2人目だなと思って4回目に会った時に告白して付き合う。
そのままあっさりと結婚。
転職で年収が上がったのと、一番婚活アプリでニーズの高いレンジだったのかな?
(女性からしてもアラサーくらいが一番多いし真剣なのかな?と思った)
メッセージの時点で他の人とは正直会話を続けるための会話と言うか、
良いですね!楽しそうですね!みたいな表面上のやり取りしかなかったけど、
(専業主婦の人よまないで。)
趣味でスポーツをしている。リアル大会で知り合った関東圏の女性が、偶然インスタでたくさんフォロワーがいる方で、ある日ネットラジオにゲスト出演したので、聴いてみた。
そのスポーツとの出会いや現在に至るまで・今後の目標、ほかに仕事や家庭のことなど、ゲストを掘り下げる30分程の構成で、まぁまぁ面白かった。
そのラジオは呼ばれた人が次の人を紹介していくという構成で、前後の収録にはその女性のインスタによく登場する自分と同世代(20代)の女性たちがたくさんいたので、そちらも聴いてみた。
3、4人分ほど聞いてみて、モヤモヤ。
まず仕事の話をちゃんとしたのが最初の自分が知り合った女性以外いなかった。
他は専業主婦で仕事をしていないか、フリーターみたいな仕事か、「仕事はOLをしてます」おわり。それ以上の掘り下げなし。学生時代からの競技歴のふりかえりや今後の目標の話ばかり。
男性出演者はそれぞれの仕事の話、どうやって趣味の時間を作っているか、という話も結構していたのに。
みんなプロの競技者ではないわけで、仕事や家事をしながらどうやって趣味に打ち込み記録を伸ばしたんだろう?参考になるかな、という純粋な興味で聞き始めたから、ちょっと肩透かしを食ったというか。
自分はどっちかというと仕事が好きな人間で、他職種の話を聞くのは新鮮だし、仕事も趣味も一生懸命やってる人の話が聞けるかと思ったら違った。
あと専業主婦の「子育てをしながらこんなにすごい成績を残しています!」という雰囲気にも非常に違和感を覚えてしまった。
え?すごくは…なくない?そのスポーツできるくらい体力・気力・時間があるってことは、働けない強い事情があるわけではないが、あえて自分自身は働かずして子育てと自分の趣味に打ち込んでるんでしょ?
自分のスキルをもって社会にどう貢献したり関わっていくかっていう部分は放棄してるくない?
『子供優先で(とくに子供が小さいうちは)専業主婦』っていう考え自体は各家庭・個人の考えだし、それぞれでいいんじゃない~って思ってるけど、
「子育てと趣味の両立しててすごい(ただし専業主婦)」は私の感覚からすると前提からして何がすごいのか分からんかった。
男の「仕事と趣味の両立」(子育てはどうした?)っていうのに感じるモヤモヤと、若干共通するかもしれない…けど、思いのほか、今回のモヤモヤの方が大きい。
過去にも信念を持ってお笑いジャッジしてた人は沢山居るし、みんな正解を求めたり別解を評価したりで笑いとは? というのを突き詰めた来た
だけど、今までは賞レース審査、かなりの格下相手、芸人同士の飲み会等ではともかく、おもろいか否かについて、特にテレビ等で気軽に触れられる人は少なかった(ラジオだともう少し多そう)
怖いんよ、正解なんてないから。間違ったことを言ってしまうと自身の過去が全部崩れるから
ダウンタウンの松本とかも、これが正解これは別解、これは違うというのをあまり公言してこなかった
というかどちらかというと自分が正解を見せるからそれを見ろっていうスタンス(もちろん世間の評価が得られない方向性も多々あった)か
それ以降、というか、トップ層がそんなスタンスでしかも打率がそこまで高くないので、それ以下の芸人はどれだけうけてもこれが正解だとは言い出しにくい
一部には、自信自意識過剰で俺が笑いのど真ん中というスタンスも居たが世間で受け入れられるほどではなかった(痛かった)
千鳥はどちらかというと、世間一般では受け入れられにくい笑いの属性を持ったコンビだ
尖り気味
M-1決勝には何度か残ったが、点数が伸びず一般評価を得づらい
関西の笑いには適応したが、そのまま関東で通用するようなコンビではなかった
なので考え方を変えたんだと思う
アジャストできた、というか、そもそも根底には全国区というか基礎のお笑いがあった
それを恥ずかしがらずに表に出せるようになった
コンビの代名詞ともいえる、イカ二貫もクセがすごいも、ボケは奇天烈だが(寿司屋はそれ以外は特徴的だがイカはあえての前振りが無ければ受けないぐらいのシンプルにしてる)ノブの特徴的な突っ込みで笑いを誘うスタイル
もちろん、ネタの構成力があるからこそあの突っ込みが活きるわけで、だが、若かりし頃の千鳥だと、ボケが強すぎてあれほどのパワーのある突っ込みにはならなかったんだろうと
ノブの力を信頼したというのもあるだろう
話を戻すというかここからが本題
かつて、ベタなな笑いをやってる人は、大衆に一時的に受けてもそこまで芸人には評価されず、ブームが過ぎ去る前でも、笑いについて言及するのはリスクがありすぎた
シュール系というか変わったネタをやってる人でそこまでカリスマ的だったり、公に人の笑いの是非を評価できる人は居なかった
(ダウンタウン以前には沢山色々あったかもしれないが、あれだけ影響力のあった松本が結果で示す方向だったため、リスキー)
別に笑いって、テクニカルとかベタとかシュールとかベタとか明確に両極に分かれるわけではないが、どちらもバランス良くという存在はそもそも皆無だった
(少なくともテレビで見られる範囲では。ワンマンライブなどに行けば試行錯誤中とか後にハネる新たな方向性とかの萌芽を感じることはできたとは思うが)
千鳥が東京進出失敗して、独特の笑いだけで行くことを諦めて、ノブの普遍的な突っ込み力を再評価して武器として、全国区の芸人として売れた結果
そもそもコアなお笑いファンからめちゃくちゃ評価されてた感性と、志村けんのわかりやすいお笑いが融合してしまった
大悟にはそもそもベタというか、お笑い教科書の頭から数ページという笑いは重要なものだった
だがそれは、自分たちの売りになるものではないし、それで自分たちが売れる最大限の材料となるものではないという認識だった。今でもそうだろう
ただどこかの時点で、今の千鳥の笑いだけでもだめだし、わかりやすいベタな笑いだけでもだめ、ベタを避けることもマイナスという意識変化が起こったと想像する
長くなったので本題には入れずに終わる
ホロコーストマニアになって2年以上の私だけれど、ホロコーストには理解しにくい話も多いとは思っている。何故増田にしばしばホロコーストの話を投稿するかというと、こんな話「チラシの裏にでも書け」だと思っているからで、チラシの裏といえば増田しか思いつかないからだ。チラシの裏でなくてもいいネタはちゃんとnoteとかに書いている。
歴史とは「起きた事実」について考えることであって、起きた事実を「実際には起こらなかった」と考えることではないので、事実認定は慎重ではあるべきだが、単純にその事実が信じられないからと言って否定的に考えるべきものではない。
しかし、ホロコースト否定派は、「自分が信じられないことは起こらなかった」と考える傾向が極めて強く、フランス人の修正主義者として名高いロベール・フォーリソンはとにかく自分が信じられないからと、アウシュヴィッツのガス室を代表例として徹底的に否定した。
さて、そのアウシュヴィッツ(ビルケナウ)の火葬場の火葬能力が現代の火葬場に比べて桁違いに処理能力が高いという史実は、もちろん否定派は信じない。1943年6月28日付のアウシュヴィッツの建設部がベルリンの親衛隊経済行政管理本部に送った書簡には、収容所全体の火葬場の能力として1日あたり、4,756体の処理能力があったと記されている。これは計算上、15分で一体を火葬していたことになるため、現代日本では一体1時間かかるので、実にその能力は4倍もあったことになる。しかも、アウシュヴィッツの火葬場は連続稼働が可能で、火葬場が壊れない限り(実際には何度も故障修理していたが)延々と火葬を続けることすらできた。従って実質的には、日本の現代の火葬場の4倍の能力どころではなく、約二十倍の遺体処理能力があったのである。日本の場合、いくら頑張っても1日に最大五体だが、アウシュヴィッツの火葬場は百体近い。
何故そんな高処理火葬が可能だったのかについては、一つは、日本の火葬場では、というか世界中の火葬場がそうだろうが、一炉につき一体ごとにしか遺体を火葬してはいけないからである。これは当たり前の話で、遺骨を遺族が引き取る必要があるからだ。だから、普通は火葬炉を一回ごとに冷ましてから、台車などで焼け残ったものを炉の中から取り出し、遺族が箸で骨を拾う儀式を行うのである。もちろん遺体を炉に入れる前には通常、僧侶が付き添って儀式を行ってから、となる。清掃も必要だし、あれやこれやで一回転あたり最低でも2〜4時間はかかる。つまり、日本の現代の火葬場はそれ以上処理能力を上げられないボトルネックが存在するのである。火葬場の人員上の問題もあるので、1日五回転がせいぜいなのだ。
アウシュヴィッツの火葬場ではそんなボトルネックなどない。儀式など必要ないし、遺骨を遺族が引き取ることもないから複数人の遺骨が混ざっても大丈夫だ。とにかく大量に死人が出るので、遺体処分だけが目的である。だから、焼却を妨げない限り、遺体は常時複数を炉に入れて焼却し、炉の下に落ちた焼却灰(完全焼却などされていない)は焼却中にガンガン取り出し、炉内の遺体を入れる箇所に隙間が出てきたら、連続的に新しい遺体を投入してゆく。火葬炉は、三つ(あるいは八つ)のレトルトが内部でつながった構造になっているので、それらそれぞれのレトルトで火葬している限り、炉内はあまり温度が低下せず高温を維持できるようになっていた。このように温度変化が少ない状態が続くので、理屈上は火葬材も長持ちするのが特徴でもあった。ただし、戦時下に建設された火葬場なので火葬材の品質が悪く、故障は頻発したようである。
しかし、そんな高処理能力の火葬場があったのに、それでも火葬能力が追いつかないほどの死体は発生することもあった。1日あたり最大で一万人も殺していたとされる時期、1944年5月から7月にかけてのハンガリー系ユダヤ人の大量虐殺を行っていた時期である。やっと本題である。
この時期、火葬場が足りないので、野外に穴(壕)を掘って遺体を焼却していたのだという。ゾンダーコマンドのシェロモ・ドラゴンの証言によると「長さ25メートル、幅6メートル、深さ約3メートルの穴が5つありました」だそうである。この証言の他にも野外焼却をやっていた場所もあった。司令官ルドルフ・ヘスの回想録によると、大半の遺体を野外焼却によって処理していたそうである。
否定派の疑問(難癖)の一つは、そんな大量の遺体を焼却するためには大量のガソリンが必要だったはずだから、終戦前年くらいの時期にそんな大量のガソリンを用意できたはずはなく、嘘に違いない、というものである。これはしかし、否定派は「ガソリンが用意できなかった事実」を証明していないので、難癖の域を出ないわけだが、実はアウシュビッツ収容所群の一つ、第3収容所であるモノヴィッツ収容所があったのは大企業であるIGファーベンの工場であり、ここではメタノールを製造していた。メタノールが燃料となることは言うまでもない。事実、誰の証言だったか忘れたが、野外焼却でメタノールを使っていたとする証言も見たことがある。
さらには、死体を焼却していると死体から脂肪分が溶け出して垂れてくるので、それを壕の底に溝を掘って溶け出した油をその溝に流して、別の場所に溜めてからその脂肪油を死体にぶっかけて燃料替わりにしていたのだという。もちろんそんな話否定派は信じない。
もう一つの難癖は、壕、すなわち地面に穴を掘ってそこに遺体を溜めて焼却することなど、科学的に考えてできるわけがないとするものである。何故ならば、穴の中が燃焼によって酸欠になってしまうからだ、という。しかしこれは、穴の形状にもよるはずである。凹型の壕ならば、それもあり得るかもしれないが、上に向かって広がっている穴ならばどうか。あるいは幅六メートルに対して深さ三メートル、長さ二十五メートルだから、これならば何となく酸欠になりにくい感じもする。もちろんその程度の理屈では否定派は納得したりはしない。
ところが調べていると、日本のあの関東防疫給水部、731部隊が撤退時に証拠隠滅目的で、大量の死体を同様に穴を掘って焼いていたとする証言があった。
外には穴が掘られており、穴の中に薪と"マルタ"が交互に積み上げられ、あとは火をつけるだけになっていました。(P93)
七棟と八棟の近くに、それぞれ大きな穴が一つずつ掘られていた。この穴に、直径一五センチぐらいの丸い鉄棒が何本も平行にわたされた。ちょうど、巨大なバーベキューの網のようである。
わたしたちは、二人一組になって各監房から「丸太」の死体を中庭に運び出した。運び出した「丸太」の死体は、鉄棒の上に並らべられた。
そのうえに、たしか重油だったと思うが、燃料がぶちまけられた。火が放たれた。瞬間、赤い焔とともにもうもうたる黒煙があがった。
「丸太」はこうして、次から次へと、鉄棒の金網の上で焼かれていった。全部で二〇〇体くらいはあったのではないか。(P116-P118)
残った骨などは砕いて近くの川に捨てに行ったというのだから、規模こそ違えど、やってることはアウシュヴィッツのまんまである。
論争相手にこれを示しても、どうやらホロコースト否定派であると同時にネトウヨでもあるらしく、731部隊の丸太処分の話など信じないのだという。
しかし懲りずにもっと調べていたら、広島の原爆でも、穴を掘って大量遺体の焼却処分をやっていたことがわかった。
ひる間の呻き声も次第に聞かれなくなって数多くの人が昇天していった そうして町のあちこちで穴が掘られやけただれた鉄骨を並べた上に死体がうづ高く積まれ油をかけて焼かれていった
穴に死体をうず高く積み上げ油をかけて火葬する風景が町のあちこちで見られた。 | NHK 原爆の記憶 ヒロシマ・ナガサキ
調べたのはネットだけだが、他にもいくつか穴で遺体を焼いていたとする記述は見つかった。
まず焼却燃料について、終戦間際の物資に窮乏していたはずの日本ですら、原爆被害の酷い惨状でも燃料となる油があったとする事実は、ナチスドイツ親衛隊が運営していたアウシュヴィッツ収容所で終戦前年に「ユダヤ人絶滅」作戦という中で、燃料を用意できなかったとする否定派の理屈を非常に弱めるだろう。
そして、ネトウヨが731部隊を信じないとしても、原爆被害の実態を否定するのは難しいはずである。
ともかく、怒涛のように証拠だらけなので、否定派の難癖は無意味である。
しかし、では何故穴を掘って遺体を大量焼却していたのか? 実のところ、そこがよくわからない。穴を掘る意味がよくわからないのである。
高いところから油をぶっかけやすいからだろうか? それとも、焼却後に遺体処分として埋めるのが簡単だからだろうか?
何か知っている人がいたら是非教えてほしい。近所の図書館に行って、司書さんにまで手伝ってもらって文献を調べたが、それでも結局その理由がわからなかった。
※前回書いた似たような内容の増田日記は削除しました。とにかく、何故「穴を掘って」遺体を大量焼却していたのか? 何か知っている人は教えてくださいませ。
オフ会で会った港区出身現住、三十代後半白いニットのふわふわ女。
ボランティアが趣味でガキが二人いて、洒落たレストランでメシを食うのが好きらしい。
あと『困ってる人へアドバイスした素敵なあたし♡』の感情の公然猥褻オナニーも趣味。
私は田舎出身、関東現住、二十代前半の独身女である。趣味は書道・読書、特技はメシ作り。好きなおかずは機械姦モノである。
家族が大好きで笑顔を見たくて美味しいものや便利なもの(お金)をプレゼントするのも好きだった(義務だった)。
母親はうつ病でよく自殺未遂する。気を引くのが趣味。座右の銘は『一緒に死のうね』。父親はアル中で趣味は子ども虐めること、5ちゃんねる。
私が子どもの時は給食費も学費もほぼ払わず、服は両親がゴミ捨て場から拾ってきた服を着ていた。
今思うとお手本のような毒親だった。
大人になってからは下宿して働いていたけれど、時々4人家族集まってなごむ実家が好きだった。暴言を吐かれても好きでいたかった。
それでも親から包丁・弟から鉄バットを向けられると家族愛より死の恐怖が勝ってしまう。
両親への仕送りを止めることを伝えると以下の書類を要求された。
ロクでもない奴が両親だったむなしさを知った。
こんなちょっぴりナーバスな時、元々約束があったオフ会で港区ババアに軽すぎるアドバイスされるとさすがにイラついてしまった。しばらく服を新調していなかったので身なりの隙があったのもしれないけれど。
ただ生まれた時から地位も余裕も普通の家族を持っている人たちとの差に絶望していても人生は止まらない。私がうつ状態だろうが解離で記憶がぶっとびがちだろうと楽に死ねないのだから生きていくしかない。抗うつ薬が仕事のパートナーになった。
生活力が低いことに気付いたので、まともな料理の仕方・片付け・都会での身の振り方を勉強した。YouTubeのおかげで当たり前が勉強しやすくてラッキーだった。節約につながった。
上京して一年働いて百万貯金した。生活保護をすすめられた女でもなんとでもなれた。正社員のキャリアも続けられた。
経済的な不安も少なくなり、自信も取り戻しつつあった。それでも港区ゆるふわババアの一言が忘れられなかった。
たった五分話しただけ、失礼でどうでもいいはずの奴への憎しみが頭から離れなかった。
今はどうでもいいはずの怒りをどうにかしたくて虐待支援員養成講座を申し込んで支援側の勉強をした。
この勉強は大正解だった。私はあの一言にどうしてひどく傷つけられたように思えたか理屈で理解できた。
支援者と相談者の立場に差があるから、気をつけて話を聞いたり、話をしましょうということだ。
港区女と私は支援者と相談者ではなかったが、裕福で都会出身で家族がいるマジョリティで成功者からの言葉は、貧しく田舎出身の孤独なマイノリティに刺さった。勝ち組負け組、意識しないようにしていても勝ち組から言われたことは正しいように無意識で感じてしまった。
彼女が何を考えていたのかは知らない。でも勝ち組の彼女から一言がつらかった。私は何もできず、恥ずかしい生き物だと烙印を押されたようでつらかったと自分の本当の感情を認められたら怒りは消えた。
貯金もあり余裕ができてきた今、友達とバーで飲んだり、お高めのデザインが良いトレーニングウェアを買ったりと人生の楽しさを噛み締めている。
普通の人から見ればキャリアも生活も足りないように私は見えるのだろうなと思う時もある。自分の常識知らずなことな欠点がイヤで夜に発狂することもある。
港区の彼女を考える。SNSの投稿と五分話しただけでは彼女のことは全くわからない。どんな性格なのか、どんなことが好きなのか。分からない。
聞きたくないことを聞かないし
ただ生きていくのだろうなと雨を見ながら思う。
私が彼女を知りたいと思うことはもうない。
関東から関西につい最近出戻った。「知らんけど」を揚げ足取りのようにして使われていて、関東にいる時はイライラしていたが、関西に戻ってきてから「そうそうここで使うんだよな」と改めてしっくりきている
関西の中でも色々な場面で使われるけど、じいちゃんばあちゃんの多い私の周辺では
「◯◯さんとこ、入院してはるらしいわ、よう知らんけど(=入院したという情報しかわかりません)」
「あそこの店、そろそろ閉まるらしいよ、よー知らへんねんけど(=なぜ閉店するかまでは聞いていません)」
という感じなので「なんかあれ流行ってるらしいよ!知らんけど!」みたいな使い方は全くしない
そもそも知らんけどというのは責任を持ちたくないというよりも、Aまでは知ってるけどBの事柄はよく知らないから本当に知りたかったら自分で調べてね、という優しさを含んだ意味合いで使っていたし、受け取っていたし、そもそも本当に気になることを調べて「実はこうだったよ」と言っても、「知らんがなって言ったやん」とは、私の周りではあんまりならない。
個人差があるかもだけど、しょうもないことでも調べたら「へー!ほな◯◯なんやね」と終わることが多いので
SNSで広がってる「責任を持ちたくない」という無責任な意味合いで使われるのは非常に気持ち悪い
さらによく知らないまま勝手に使って「関西の人ってこれだから」みたいなこと言われても、いや知らんがな。である。
海軍は比較的素行が良い方で、トラブルが無い訳じゃないけど沖縄に比べると格段に少ない。
他の地方だと佐世保もまあ少ない方だと思う(交通事故とかはあるが)。
まあ来航した船に海兵隊が乗船してる場合もあるだろうけど、上陸許可が降りなかったり出ても基地内だけだったりする。
海兵隊の素行が悪いってのもあるけど、単純に沖縄が米軍基地だらけで、駐屯してる米兵の頭数が図抜けて多いから事件、事故の件数も多くなってるって面は確実にある。
まあ沖縄から減らした分は九州のどこかに移転するんだろうけどな。
うちの実家、兄と俺が大学出た時の年収夫婦合わせて500万なかったと聞いてひっくり返ったよね
関東圏暮らしで物価は安くないし高校まで県営住宅に住んでたけど兄の就職を機に家まで買って(頭金かなり入れてたけどどうやって貯金したんだよ)
兄弟両方私立の中高大学出してるんだからどうやったんだよマジで
ちなみに奨学金は借りてない、おかげで返済もない
そらまあかーちゃんがフルタイムのパートで働いてたから俺らで飯作ったり弁当作ったりくらいはしてたし
家族旅行なんて中学以降はほとんどなかったが代わりにノートパソコンやらゲームやらでは遊んでたから不自由なかったしな
大学も実家から通えたってのは明らかに大きいとは思うけどそれにしたってよく耐えたよとーちゃんもかーちゃんも
1000万円ですら子どもいたら余裕がないってニュース見る度にうちはなんだったんだ…ってなってる
兄弟独立後は同じノリで老後資金貯めてるみたい、俺らが世話しなくていいように
いやーありがたい親だよ、たくさん親孝行してえな
東京民が大阪に来たらたぶん昭和っぽい街並みの多さにびっくりすると思う
ただの特色の違いにそこまでピキるなよ
ここ数日よく見かける関東を馬鹿にして関西をホルホルしている増田。関東は歴史的遺産が無いだとか、関西こそ本物の日本で関東に未来は無いといった主張をしている。東北や北海道まで"かっぺ"と差別している。関西のマイナスな所を書くとすぐに飛びついて言ってもいないのに東京を罵る。このまま居続けるなら番付入りになるだろう。
スペックを示す。
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嫁がテレワークのためほぼ在宅
夫30代前半、嫁20代後半 子なし
先住犬イッヌ トイプードル2匹
住居、一軒家持ち家
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同棲のカップルや収入が十分でない人は審査に弾かれると思ったが、これでも全然通らない。
むしろ門前払いのような扱いを受けた。丁寧に扱われているのはアラフォーの子持ち家庭ばかりのようだ。
夫婦共に犬好きであり、生活的にも余力があるためこれまで不幸だった犬の一匹でも自分の手元で幸せに過ごさせて上げたらと思い
譲渡会に行ったが、上記のアラフォー家族との対応の差に驚き(恐らく最初から私達は対象ではなかったのかもしれない)
これまでイッヌを飼い始めて旅行は必ず犬も泊まれる宿泊施設だし、キャンプも連れて行くし、関東近辺の犬が行けるところ
(ヴィーナスフォート、油壷マリンパーク、横浜赤レンガエリア、三井のアウトレットモール系)は列挙できるくらい休日もイッヌと過ごす割りと愛犬家の部類
だと思ってたけど、面談やこちらの状況も興味も持ってくれない保護犬界隈に失望した。
保護犬を引き取るのも多くのところはタダではなくお金がかかるし、シニア犬であればすぐに医療費もかかる。全て承知で申し込んだのだがな。
正直休日にイッヌを家にお留守番させてまで保護犬の会に参加して時間が無駄だった。
逆に保護犬界隈はどんな人に飼って欲しいんだろうな?