はてなキーワード: 学習塾とは
富川悠太アナが鬼嫁と言う記事を見て、「あ、これうちじゃんw」って笑ってしまった。
嫁は自分の親・兄弟と仲が悪く絶縁状態。俺の実家とは仲が良いが遠方なので年一会う程度。
結婚する前は嫁はすごい気が効く優しい人だった。が、結婚してから豹変。ちょっとしたことでヒステリックに激怒するようになった。たまにトイレの電気を消し忘れただけで、鬼軍曹な太い声で「トイレの電気消せっていってんだろおおおぉぉぉ!!!」と怒鳴り込んでくる。本人としてはそれは怒っているわけではなくただの指摘らしい。ちなみに嫁もよく消し忘れる。
嫁自身からも「家族だと思うと止められない」とはっきり言っていた。結婚前まではセーブしていたらしい・・・。
確かに、結婚前に嫁の実家に行った時に嫁の親とか兄弟に「部屋が汚え!」と怒鳴ってたわ。あの時は「自分はこんな扱われ方はしない」って思っていて完全に正常バイアスだったわ。これから結婚相手を探す人は、親・兄弟との仲をよく見ておいた方が良い。ちなみに嫁も片付けられない人だ。
嫁はプライドが高く基本他人を見下している。その態度で友達を失ったこともある。そしてフェミニストで女性軽視な発言や出来事には激昂する。怒りの沸点が低く、一般人の「それダメだよ」の軽い指摘が、嫁がやると「何やってんだおらああぁぁぁ!!!」になる。
嫁が他人を見下せるほどできた人間なら良いのだが、まったくそんなことはない。
怒りっぽい人のあるあるだが、他人に厳しく自分に甘い。怠惰な暮らしで体重は年々増えている。
出会ったときの正社員の仕事はやめ、今は趣味みたいな利益のほとんどでない(ってか赤字?)仕事を個人でやっている。他人に指図されるのが嫌いなので、組織で働けないのだ。そして家事は全然できない。料理はかろうじてできるがそれ以外の掃除・洗濯などは一切やらないのですべて俺がやっている。
子供にも同様に厳しく、幼児のころから能力開発系の通信教育をやらされ、今も習い事と学習塾で忙しく友達と遊ぶ時間なんて皆無の状態だ。そして、うちの子は不器用な子で、自分が子供の頃と比べても勉強も運動も全然できない。そんなんだから、嫁はさらにヒートアップ。休校中の今は毎日家で嫁の怒号が飛んでいる。
最近の話ではないが、昔実際に警察も来たことがあるらしい。嫁の怒号と子供の泣き声で近所の人が虐待を疑って通報したらしい(その出来事があってから数年経ってから子供から聞いた)。そのときは注意で終わり、次またあったら逮捕しますということを言われたとか。
そんな嫁と俺との関係なんだけど、喧嘩する段階はとうの昔にすぎ、今は家庭内別居状態。完全にただの同居人。最低限の会話しかしない。子供のことに関しても俺が口を挟むとかえって炎上するので、暴力が起きそうなよほどのことがない限りは静観している。家にいても息苦しいので週末は日中は公園とかで読書とかゲームとかで時間潰している。
子供はと言うと、そんなママでも好きらしい。嫁は子供には優しい時は優しいのだ。割合でいうと5%くらいだけど。そんな感じなので、子供のことを考えると離婚もしづらい。したいけど。ちなみに嫁と離婚話をしたことも何度もある。
おっしゃる通りだと思うけど、本当にそれだと教員の人数が多すぎかつ給料をもらいすぎって結論になるよね。
元増田は十分そのことを自覚して書いてるからいいけど、「楽はしたいが給料は欲しい」って人種もいるわけで、それが休校前はそれなりにブラック労働に耐えていたなら簡単に切り捨てるのもあれな気がする。
誰でも見られる動画サービスを使うんじゃなくて「その学校の子しか見られない」パスワードとかかけられるのを使えば良いのにと思う。
オープンなサービスを使うなら教員同士でアクセス数を競うとか、子どものレベル別に動画を作るとかした方が良い気がする。これに関しては今までの公立学校がアナログすぎて、当面は学習塾とか海外の学校に追いつけない気がする。
ちょうどいい機会!今やらないでいつやる!みたいな人が多くてうんざり。いい加減にしてほしい。これは学校だけの問題じゃない。早生まれや学年の定義や、そういうことでもない。
教育業界は何十年も、4~3月のスケジュールで動いてきた。お金も人の動きも、それに関係する全国の民間企業も、全てがこのスケジュールに応じて動いてる。公立高校も実質無償化になって久しいけど、それも全て、4~3月の中の国の予算組みで動く。人の動きや転勤も全てそう。各種調査統計も、5月1日を基準日として行われ、それを基礎数字に全てが動く。
民間の会社もそう。仮に9月入学になったら、近いところで、学習塾業界に激震が走る。そこの決算や人の動きも全て変わる。新卒採用にも影響が出る。例えば、教科書を作る会社。それを販売する会社。机や椅子といった教育機器・備品の会社。制服を作る会社。進路情報をサポートする会社。その全てが、4月入学やそれぞれ適した時期にに最高の形で供給できるよう、工場の稼働や人的な問題など、調整している。地方だと、春先の年一回に全てを賭けた老舗の制服取扱店や教科書販売店も少なくない。
9月入学にするというのは、文部科学省が決めて、各県に通達して、予算や人の問題をクリアすればOKという話じゃない。教育業界に関わる日本中の民間企業も、大きな変化を迫られてしまう。事業の大幅な組み換えや、見直しが必要になる。ただ単に半年ズラすとか、そういう簡単な話ではない。欧米と合わせて9月に!というのもナンセンスな話で、半年ズレによる受験機会増などの恩恵も沢山あった。
確かに、9月入学のメリットは分かる。受験シーズンと厳しい冬を切り離せるのも魅力的。でも、絶対的に時間が足りない。今年の9月は無理。そもそも、9月にコロナが終息しているかも分からないのに、どうやって9月入学に向けて動けというのか。全国の教育業界に関わる全ての企業や組織が一斉に段取りを始めれば、緊急事態宣言どころじゃなくなるのは目に見えている。
少なくとも、今年は無理なのだ。2023年に9月入学を始めるから今から数年かけて準備していきましょうなら、まだ分かる。でも今年はあと4ヶ月しかない。それも、コロナが終息しているかも不透明な4ヶ月先。ただでさえ、現場の教職員たちは、生徒の学習をなんとか継続しようと、今必死になって取り組んでいる。地方だと家にWi-Fiがない家庭も多い。もちろん、ろくに家庭訪問もできない。休校要請が非人道的なスケジュールで降りてくる中、どうにかできないものかと、試行錯誤しながら必死にくらいついている。そんな現場に、9月入学に向けて学校行事他全てを見直して準備していく余裕は、はっきり言って無い。無いです。
今大切なのは、子供たちの学習機会をどう確保するかということ。ネットを使った環境を、いかに整備するのか。郵送でのやり取りと抱き合わせでもいい。そこに文部科学省なり県なりが経費や補償を投じて、統一のフォーマットやスキームを形作ってくれれば、現場はいくらか楽になる。頑張るための方向性が見える。どうなるかも分からない9月入学に振り回されるより、直接的に、目の前の子供たちのためにやれることをやりたい。
だから、安易に9月入学がちょうどいいなんて、そんなことを言わないでくれ。煽らないでくれ。4ヶ月でやれることでは到底ない。そして、現場はもう、耐えきれない。
札幌か。
増田の学習塾ってのが小中高のどれ向けなのか、熱心な受験塾なのかほどほどの補習塾なのか、にもよるかもしれないけど
https://togetter.com/li/1488626
なぜ日本では休校中にオンライン授業をしないの」それは日本の保護者のITリテラシーは格差がひどすぎるから説
この件について。
一斉休校に合わせて1ヶ月家庭学習になった学習塾に勤務する者です。
オンライン授業を試みるにあたってこの1ヶ月どうだったかを書いておきます。
結論から言うと、学校でオンライン学習を始めるには相当時間をかけないと無理。学校側の準備ができて以降、各家庭の体制を整えるまでに最低でも3ヶ月はかかると思う。
日本の端っこの某農業県の県庁所在地(政令市)、のそのまた端っこの、種々の国家公務員宿舎が密集するエリア。だいたいどの職種の方も2年または3年おきに全国規模の転勤があり、地元の方は多くない。
まず休校が決まって3日目ぐらいに、おおまかなイメージをイラスト付きで提示した上で
「SkypeまたはLINEのテレビ通話を使って個別に短時間のやり取りをさせていただけないか」
というアンケートを取ったが、全部で40件ほどの家庭のうち「できない」という回答が3件ほど返ってきた。他は無回答。
通常時の授業や宿題に関するアンケートは8割~9割の保護者が返してくれるので、この回答数の少なさは明らかに内容によるものだ。
諸々の連絡や様子伺いのために保護者と個別に連絡を取るなかで、オンライン授業について実際のところどう思うか率直な考えを聞き取ってみたところ
「イメージが湧かない」
「子どもが嫌がるのでやめた」
といった返答が大多数だった。
LINEのテレビ通話や、またボイスメッセージ、動画送信などの機能をその場で実際に使ってみせて、こんなふうにいろんな形式でやり取りできます、と話すと
「それならうちにもできそう」
というおうちが4件あった。その4件とは1ヶ月間、LINEを使ってお母さんが無理のない形式でやり取りをした。
また「タブレットにSkypeをインストールします」というご家庭が1件だけあった。
そこのおうちとは、おかげさまで通常時とさほど変わらないクオリティの授業ができた。
こうした事例を紹介しながら「お手持ちのスマホやタブレット、パソコンで十分です。やってみると意外と簡単です」「おたくのお子さんの場合、こんな内容をこのくらいの時間でできます」と具体的なプランを提示しながらオンライン授業を何度か勧めてみたが、結局この5件以外にやりたいと言うご家庭はなかった。当たり前だけどお金は通常の月謝以外は取ってない。むしろ月謝に見合うサービスを少しでも還元させてもらいたかったのだれども。
もちろん学校と塾では保護者の認識も大きく異なるし学校でやるとなったら設備投資もしっかりやるはずなので、同列に並べて考えるのはナンセンスだ。
しかし世間一般の保護者の「オンライン」に対する意識はこんなものなのだということを知って、ちょっとこれは書いておきたいなと思ったので増田になってみた。
変えればいい。
コロナウイルスによる臨時休校の影響で、期末考査が実施できない学校がたくさんあり、「3学期の成績はどうやってつけるんだ!」みたいな話が出ている。
しかし、教育関係者以外にはあまり知られていないけれど、成績をつける上で定期考査の実施は必須ではない。例えば、千代田区のとある中学校では廃止されている。
だから、定期考査の代替で課題を出し、その出来で成績をつけることは十分可能である。
そして、その中学校で定期考査の代わりに導入されているのは、小学校と同様の単元毎の小テスト、すなわち「単元テスト」である。
私も、中学校以降でも定期考査を廃止して「単元テスト」を実施した方が良いと思っている。その理由は3つある。
1つ目は、こまめにテストを実施することで、生徒側の理解が深まることである。
定期考査は実施回数が少ない分、1回の出題範囲が広い。しかし、「単元テスト」に変更すれば、生徒が出題範囲が広くてヤマを張るみたいなことは少なくなる。
しかも、単元毎につまづきをフォローできるようになり、理解できない点が多すぎて生徒が授業についていけなくなるということも、今よりは防げるだろう。
そして、この点こそ、「単元テスト」がまさに今回の臨時休校のような事態にうってつけだと言える。
期末考査でなく、「単元テスト」としてこまめに評価を行っていれば、3月に期末考査ができないから成績の材料が無いなどと慌てる必要は無かったのだ。
「単元テスト」を実施していたなら、実施できた単元までで成績をつけて、残りの評価は次学年に回すという対応が取れたはずなのだ。
小学校までの「単元テスト」とは違い、定期考査が各学校の手作りで作成されているのは、学校によって授業の進み方が違うため、出題範囲が異なるからである。
出題範囲が単元毎として正規化されるなら、テスト問題は教科書会社が教科書に合わせて単元毎に作り、教材として売ればいい。それにより教員の手間が省け、学習指導に集中できる。
(ついでに、N高やオンライン学習塾のように授業自体も映像化するか、先に挙げた中学校のようにグループ学習化してしまえば、
教師は授業する必要がなくなり、個別指導に集中できるので、さらに効率化できる上に、個々の学生のフォローができて良いと思うが、これはまた別な話。)
3つ目は、「単元テスト」は単元終了ごとに実施するので、全教科共通の考査期間が無くなることである。
生徒側も、考査期間1週間前だけ勉強して他の期間はずっと遊ぶみたいなことがなくなり、常に学習する習慣が身に付く。
考査期間なのでこのあたりは1週間ほど授業も行事もできない、というのも無くなるので、スクールカレンダーにも柔軟性が生まれる。
ちなみに、「単元テスト」には、先に単元が終わったクラスは、後から単元が終わったクラスより不利になる(後から終わったクラスの生徒は、先に終わったクラスの生徒から問題内容を聞くことができる)という問題点があるが、
これについては、問題用紙を複数パターン用意するか(作成の手間は先ほどの通り、教科書会社に任せればいい)、テストに繰返し受験を認めて、納得行く成績が出るまで何回でも解かせるようにすれば解決する。
個人的には後者が良いと思う。学校内のテストは入試と違い、一発勝負で優劣を評価するものではなく、学習内容の定着のために行う授業の一環なのだから、別に繰り返し受けたっていいはずだ。
それに、今の通信簿は、昔と違って相対評価でなく絶対評価なのである。リトライによって全員「5」になったって、規則的には別に構いはしない。
厳しい両親だったので塾には行かせてもらえなかった。学習塾には中3の秋からようやく通わせてもらえて、頑張った高校受験でたまたま偏差値の高い学校に進めたからか、もしくは父親は塾に頼らず大学に合格していたのも「受験に予備校は不要」と錯覚させた要因なのかもしれない。いずれにせよ、人生の方向性を大きく決めるであろう大学受験にはノーガードで挑む他無かった。
私の親戚は1人を除いて極めて優秀な大学を出ており、両親は当然私も自身のような大学に入るものだと思っていたらしい。両親が受験代を出してくれるのは二校(国立と私立のみ)だった。何校も受験している同期が本当に羨ましかった。
結果、両方とも落ちて浪人が決まった。出身校がそこそこ優秀だったから授業料は相当安くなったが両親は激怒し、自分で授業料を払えと行ってきた。この一年勉強するだけで人生は変わるのに、勘当されかねないので仕方なく予備校近くのうどん屋でバイトを始めた。毎朝6時過ぎに家を出て18時まで勉強し、22時まで働いて家に着くのは0時過ぎ。バイトは週5日。
死ぬほど頑張って働いた金は親は全て取り上げられ、昼飯はトップバリューブランドのカロリーメイトの偽物と冷水機の水のみ。必死で勉強し、夏休みの猛勉強のおかげで駿台の偏差値は58から65に伸びたが秋口にとうとう気持ちが切れた。3日ほど寝込んだか親は知らんぷりで、今月のバイト代はどうなるとばかり聞いてくるので半ば絶望しながらバイトへ向かった。
年も暮れつつある12月、私は親から大学の受験料は出さないとの通告を受けた。本気で死を考えたが亡くなった祖父の遺してくれた金を使って3校受験した。入試の2日前までバイトを入れて体力は限界に近かった。結果、滑り止め以外全落ちした。親は激怒した。何度も殴られて部屋はひっくり返され、散々な目にあった。
幸い大学は特待生だったので授業料はほぼゼロ。学生支援機構から金を借りて入学金を振り込み、本当に辛い浪人生活は終わりを迎えた。
いざ振り返ってみると、私以外の従兄弟たち4人は皆東大、東工大に進んだ。彼らは高校一年の頃から予備校に通っていた。本当に親が憎かった。なんで私がこんな目に合わなきゃいけないんだ。
子ども子育て支援法では、特定保育・教育施設として、認可保育所、地域型保育事業(小規模・家庭的・事業所内)、認定こども園、幼稚園(給付型)などがある。
運営事業者は、株式会社、社会福祉法人、NPO法人、個人(個人運営は、都市部だと、家庭的保育事業でもない限りないと思う)など様々だ。
また、運営している園の数もまちまちで、株式会社だから多くの園を運営しているというわけでもない。(割合としては多いけど)
子ども子育て支援法は、個人給付のため、園数が増えれば増えるほど収入が増える。
また、株式会社は人件費比率が低めな傾向があり、利益を上げる。
認可保育所ではこの利益を30%以上保持することは許されない。
(そもそも、そこまで余る設計にしていないし、余るなら職員の給与や施設充実などに充てろということ)
しかし、弾力運用という制度があり、自治体と協議することで、新設園の整備資金などに回すことが出来る。
(確か、地域型保育事業だと協議すらいらない。これが地域型保育事業の増えた理由ともいえる。)
その場合、多くの園を経営することで、規模のメリットを享受し、利益を上げ続けることが出来るという算段なのかもしれない。
そのため、現在、株式は有象無象の勢力がひしめき合って、新規開所を競っている。
【良いところ】
株式会社の園は、組織的経営をしていることが多く、園運営に対する費用対効果で効果の方が高ければ、費用徴収はするが、保護者へのサービスも結構してくれることがある。(例えばオムツの処理など)
そのため、保護者と園側のルールが明確で、延長保育料などの費用負担が明確なことが多い。
【悪いとこと】
・保育士不足になると一気に回らなくなる。
採算性の点から、各園の保育士の配置をギリギリにしている傾向がある。
保育所は子どもの大きさに合わせた狭い設備のなかで、大人が働いており人間関係によって、大量退職などが起きることがある。
そうなったときに、一時の赤字を被ってでも保育士を配置するということが出来ない法人が多い気がする。
たぶん、貯めた給付費を前述した新規園の整備費用に回していたり、事務費とか委託費とかいう名目で本部へ吸い上げているからだと思う。
拡大路線を取っている法人がほとんどのため、営業推進部隊はいるが、管理部門が脆弱だったり、前述の人材確保能力・資力がない本部のことがある。
特に子ども子育て支援新制度(H27)以降に、拡大しはじめた法人はその傾向がある気がする。
昭和時代から運営している事業者などは比較的、安定した経営基盤があり、また地元にも根ざした園が多い。
新しい法人も比較的しっかりしていることが多いが、余裕は無い場合がある。
東京近郊以外の法人(京阪神や九州・四国)、一部北関東の法人が都内近辺に進出しているイメージ。(社会福祉法人に限らないか。)
【良いところ】
・余裕のある考え方をしてる。
古くからある園では、運営が安定していることが多く、余裕を感じる。(特に単園または2~3園位を運営している法人)
【悪いところ】
・トップの考えが古かったり、組織として機能不全を起こしていることがある。(特に組織としてのコンプラ面)
福祉とはこういうものだという考えが強い園や、逆にビジネスライクを超えたルールへの厳格性を求めてしまうことがある。
その場合、雇われ園長や主任が問題であるならいいのだが、法人のトップや実務担当者がそういう考えだった場合に、修正することが難しい。(株式のように風評や採算などを超越することすらある)
複数の園を運営している場合、本部機能が脆弱なことがある。また、地方の法人は株式会社に比べてレスポンスが遅い気がする。
また、東京都近辺のニーズを把握しきれていないことがある。(例えば園のルール。株式だとそこは考慮してくる。)
ここで気を付けてほしいのは、株式だからダメ、社福だからダメということではないという点。
認可保育所と幼稚園が違うように、地域型保育や認定こども園も全く違うものであることを知ってほしい。
①幼稚園
一義的には教育施設のため、教育カリキュラムが充実しています。特に絵画や図工、音楽系は保育所などに比べると熟す回数の差だけの効果は期待できます。
一方でほとんどの幼稚園は私立のため、児童が付いていけなかったとしても、徹底的にフォローするということ点では認可保育所に譲る気がします。
これは先生のスキルというよりも、幼稚園はあくまで私立学校であり、出来なかったり、したくないのであれば、園に来なくてもいいですよというスタンスが見受けられるためです。
そのため、事前に保護者にも行事への協力や費用負担を求める園が、認可保育所に比べて多い傾向です。
なお、預かり保育を行っている園が多くありますが、夏休み期間中はやっていない園も多くあるので、働きながら幼稚園に通わたい場合は注意が必要です。
幼稚園と認可保育所のいいところどりのような位置づけですが、結構曲者です。
確かに教育をしつつ、保育も行うという高い理想があり、それを実践している園もあります。
気を付けなければいけないのは、認定こども園は昔は幼稚園だった園が多いということです。(認定こども園は民主党政権時代に高い理想と待機児童解消に生まれた制度です。)
①で書いた考えの法人が認定こども園になった場合、産休を取るときに、実質的な退園勧奨をしてトラブルになったりしています。
今は下の子が生まれて育休を取ったとしても、育休が終わったら復帰するんだから、上の子は育休中も継続して同じ園に通えるというのが現行制度です。
しかし、3歳児神話でもないのに、「一義的には子どもは親が見るべき」という考えのもと、トラブルになったりします。
…何考えているんだろうね、こういう法人。そんなことしても少子化が加速するだけで、最終的には園が運営できなくなるのに寄与するだけなのに。
(この考え、保育園の運営法人でも持っている人がいて、考えを変えるのは大変なことなんだなと思うことがあります。)
いわゆる保育園です。入所可能年齢が低く、預かる時間が長いこともあり、一義的には生活の場であり生活を覚え、人とのかかわりを経験していく場と考えられています。
そんなの当り前だろうという人がいるかもしれませんが、例えば育休明け1歳児で預けたとして、一日12時間くらいいたりするのです。
しかも、大人のように社会のルールや、人との会話・接し方、食事の仕方、靴の履き方…
(もちろん一日の食事のうち2回は家だからとか色々ありますが、働いている親が土日にしていることを毎日保育士がしているわけです。)
そのため、教育(幼稚園のところに書いた絵画や音楽とか)という点では、どうしても熟す回数に差があります。
近年はそこに力を入れる園も増えましたが、一日12時間いる中で、そういったことを行うには、子どもも慣れる時間や訓練が必要ですし、保育士側にも相当なスキルや経験が求められます。
ということは、登園前やお迎え後、土日の保護者にもそれなりの余裕やスキルが求められるという点に注意してください。
(幼稚園は保護者に対して、元々求めています。保育園だけでやれば幼稚園並みの経験、教育が出来るというわけではないということです。)
つらつらと書いてしまいましたが、要は保育所や幼稚園を申し込むときには口コミや友達の話だけでなく、ちゃんと見学に行くんだよ!ってことです。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1421446
最近の自己責任論に辟易してる。自分も寝食以外ほぼすべて仕事の学習とかに当ててるので周りに比べて結構裕福になってきた。努力目線で言うと、正直周りはよく遊んでる暇あるなと思う。遊んでるから、遊んでる程度実力になるしその程度のお賃金になっている。しかしその遊びが将来実を結んだりしてる人もいるので遊びも否定するわけでもない。私は今は一旦遊ばない人生を選んで仕事に集中してるだけで、遊びのない人生はクソだと思う。
Daigoや堀江等の最近の自由主義はまぁ本当に頭が狂ったくらいに働いて勉強しまくって人によっては離婚したりモラハラしたりしながら人生にブーストをかけることで短期に成功を収めている。自己責任論が強まる国内で彼らが一定数支持を得るのはまぁ必然な気もする。みんな裕福じゃなくなってきてるからワンチャン勝ち取った彼らの言葉が眩しく見えてくるんだろう。
しかし彼らはそもそも努力出来る環境が既にある状態が恵まれていることについて盲目になっている気がする。親ガチャと言われるくらいに私達の人生というのは自立するまで親の性能によって左右される。良い仲間に出会えるか、良い学習塾に通えるか、治安の良い地域に住めているか、この辺は親のスペックにかかってる。親が無教養だったり家族関係がクソだったり、そもそも貧乏だったり。等々。自立するまでにここが糞だった場合を自己責任論者たちはかなり軽視している気がする。親の介護しながら努力できるだろうか。家族に虐待されながら努力できるだろうか(家から出ろと彼らは無責任に言うが、なぜまず家を出るなんて普通の人が考えなくても良い負荷を人生に負わなきゃならないのか)自由主義者たちは機会が平等だと言う。そりゃ機会は平等だ。機会しか平等じゃない。自由主義者達にとって当たり前の圧倒的努力をするというスタートラインにすらまず立てない状況の人が居ることを彼らはなぜか否定する。そこすら自己責任にすり替える。「いやいやもっと頑張ってる奴がいる」「もっと大変だけど成功したやつがいる」特異例ばかり取り上げる。
努力論結構。私も努力は好きだ。だけど努力できる土壌がようやく整ったから実感できてるだけ。私は家庭で18年間かなりのネグレクトを受けてきた。努力が何度も踏みにじられてきた。ずっと無気力で空虚な人生だった。周りは頑張りを認められますます頑張って良い仲間を作り良い学校へ行った。自立して何もかもゼロからスタートした。周りから圧倒的に人生出遅れた感が本当に辛かった。まるごと18年、後方から自己責任論者の背中を見ながら走ってる。今日も自己責任の世界で。
もう疲れた。
いじめはなくならないと思う。
子どもはもちろんのこと、大人だって人間関係を苦にして自殺やうつ病を患ったりしている。
大人の場合、いじめとは表現されないことが多いと思う。パワハラとかセクハラとかも同じカテゴリに入るかな。
いじめと同等のことは、学生を卒業しても社会人生活の中で、起こっているということだ。
であるならば、いじめは避けられないと考えて行動すべきだと思う。
いじめを受けずに人生を終えることができたなら、それは幸運というくらいの受け止め方で。
じゃあ、どうするか。
まずは、加担する側に回らないこと。これはまぁ前提。
でも気がつかない内にそうなってることがあるかも知れない。
「自分がされて嫌なことを相手にしてはいけない。そして、自分がされて嬉しいことが相手も嬉しいとは限らない。」というような旨の言葉をTwitterか何かで見たけど、結構真理だと思う。
前半のことを親から言われて育つ人は多いかも知れないけど、後半のことまで言われて育つ人は少ないんじゃなかろうか。そして後半のことを自分で気づける人も。
あとは、正しいと思って加担している例で、
何か過ちを犯した人をネットで袋叩きにする行為も一種のいじめにあたるんじゃないだろうか。
ただ語弊のないように言っておくけど、今まで声の小さかった人たちの声を拾い上げられたり、今まで隠れていた犯罪が浮き彫りになって公的機関が動いてくれるという良い働きをする場合もネットにはあるとは思う。
けど、例えば警察がもう動きだしてくれたのに、正しさを武器に無関係な人たちが制裁加えるのはどうかなと。
気が付いたら加担していたということになりかねないので、これは気を付けたい。
次に、複数のコミュニティに所属すること。かつそのコミュニティが独立していてつながっていないこと。
これは大人も大事だと思うけど、思春期の子どもとかがいじめにあったときに精神衛生良いと思う。
子どもは世界が狭くなりがちで学校での居場所がすべてみたいに思ってしまう傾向があると思う。
1つのコミュニティで上手くいかなくても、他のコミュニティで楽しくやれていれば、学校だけが自分の居場所じゃないとわかる。
それに自分のことを客観的に判断できるんじゃないだろうか、というのも学校だけのコミュニティでいじめにあったとしたら、
判断基準がそこだけなので、なぜいじめられるのか、自分の何がいけなかったのかと内に内に考えてふさぎ込んでしまうんじゃないだろうか。
特定のコミュニティだけでいじめられるのであれば、それは自分とそのコミュニティが合わないだけと折り合いをつけられる。
全部のコミュニティでいじめられるのであれば、自分を省みて改める必要があるかも知れない。
昨今、話題になっているような壮絶なものに比べればかわいいものだが。
ターゲットになった人が仲良しグループからある日突然無視されるというやつだ。
ただ小学生ながらとてつもない恐怖を味わったのを覚えている。全く心当たりがない上に、この先もっとひどいことが起こるのか、もうなにがどうしてしまったのか頭の中は大混乱だった。
ただ人間は慣れる生き物で、落ち着いてくると無視しているのが仲良しだった者たちだけで、その他の人は違うと状況把握できるとしばらくやり過ごすことができた。
僕が幸いだったのは、その無視してきた者たちが僕のあることないことや悪口を言って仲間を増やすことをしなかったことだ。
彼らの目的は排除ではなく、ある日突然、想定外の状況に置かれた人間の反応や自分たちが優位に立っている状況を堪能することだったからだ。
そして、順番が交代する。僕は何事もなかったかのように元の仲間に引き入れられた。
次にターゲットが決まると、また彼らは同じことをしようとした。僕にもそうするようにと。
ただ、僕はこの流れを断ち切ったら終わるんじゃないかと思って僕はそのターゲットを無視することはしなかった。
ターゲットの子は最初こそ悲しそうな顔をしていたが、僕が無視しないとわかると嬉しそうに毎日話しかけてきた。
これで無視ゲームは終わりだなと思ったんだけど、そうじゃなかった。
また僕がターゲットになった。まぁ、当然と言えば当然だ。面白くない行動をするグループ内の反乱分子なのだから。
でもそのとき僕は、今回の無視ゲームも失敗するだろうと思っていた。
というのも、前回ターゲットの子が同じ境遇を味わった仲間で、かつ僕は体制に逆らって無視をしなかった。
だから彼はきっと僕の味方になってくれると思ってた。
でも現実は違って、前回ターゲットだった彼は仲間に無視されなくなった途端、以前と同様に楽しそうに僕を無視しだしたのだ。
不毛だ。
小学生ながらやってられないとあきれていた。おいおいうそだろ。そんなことある?って笑
不思議と絶望感はなくて、はーめんどくさ。もういいや。って感じの感情だった。
そこからクラス替えする前に仲の良かった子たちのところへ昼休みに行き、勇気を出して正直に事情を話して仲間に入れてほしいと言った。
そしたら「いまみんなでノートに迷路を描いてるから一緒に描こう。」と快く仲間に入れてくれた。
クラス替え以降、疎遠になっていたが笑顔で迎え入れてくれて本当に嬉しかった。
無事にいじめから脱出して僕は、小学校生活を終えることができたわけだけど。
無視ゲームをしていた彼らは卒業するまで似たようなことを繰り返していた。
ただ、実はいじめをする心理はなんとなくわかってしまったりする。
だからあまり恨んではいない。だけど肯定はできないし、してはいけないと思う。
今振り返ると、もういいやって切り替えられたのは、僕が学校とは別のコミュニティにも所属していたからだと思う。
当時、僕はスポーツクラブのサッカーチーム、隣町のスイミングスクール、別の学区の生徒もいる学習塾に通っていた。
幸いなことにそれぞれのコミュニティでつながりはなく、共通の友達もいなかった。完全にそれぞれ独立してた。
だから、遊び相手がいなくてもサッカーやスイミングの友達がいるし、学校で宿題や授業がわからなくて学校の仲間に聞けなくなっても、塾で教えてもらえばいいやと。そう思えた。
この逃げるのが苦手な人が、世間で話題になるような可哀想な目に遭っているように思う。
だから逃げ道として色んなコミュニティに所属することが大切だと思う。
これは社会人にも当てはまると思う。
生活に直結しているから会社はそう簡単に辞められないし、転職するにも精神力や体力が必要だ。
いじめで精神が疲弊してくると正常な判断力を失ってしまうのかも知れない。
思えば小学生でいじめにあったとき、親に相談を一切しなかった。普通なら一番に相談して助けを求めても良いはずだ。
今となってはなんでかわからないけど、精神的に健全な状態ではなかったことは確かだ。
でも仕事だけが人生の全てではない。生きるために働いているのに、命を削ってどうするんだ。
逃げろ。
教育に金かけられた層と無理だった層の格差がえげつないことになる。
今自分は年収900万で、子どもを無理して学習塾に入れてるけど、周りの親の金のかけ方に冷や汗が出る。
夏休みのたびにホームステイさせてたり、海外の中学生に進学させてたり。
小学生に将来の夢を聞いて、たとえば宇宙飛行士だったらじゃあアメリカの大学のこの学部がいい、そのためにはこの高校がいい、そのためには今これを勉強しとけ、と逆算させてロードマップを作って、金をかけて達成させていく。
周りもそういうのばっかりだから、子どもたちの意識も高い。親も日本の将来が暗いのはわかっているから、海外に行かせることが前提。子どもも同じ気分。
こういうのがゴロゴロいる。
それに比べて、塾なんて行かない、進路は親の言ったところに行く、毎日何となく過ごして高校も大学も行けるところに行く……こういう子らとの格差がえげつなきことになると思う。
いやこいつ無理じゃんこんなん、勉強できるだけ(卒業した今となっては勉強がかつてはできただけ)のアホじゃん
慶應商学部卒で学習塾に就職した男性の悲哀 卒業したときは30歳、商社は「全滅」だった | ボクらは「貧困強制社会」を生きている - 東洋経済オンライン https://toyokeizai.net/articles/-/303394
30で卒業してなんで商社受かると思ったの 今41で一ミリも健保のことも国保の事も知らずに生きてきたの?
41が?????お勉強できるんじゃねえの????賢いならそれくらいどうにかしろよ生きてるんだろ???
あんまり自己責任っていうの好きじゃないけど、教えてくれないから知らないですっていうには41は重過ぎるでしょ
男性の平均寿命的に言うともう折り返し過ぎてるんじゃね?同居のおかん、60すぎてるでしょ?
しんど…