2019-10-26

残酷努力論と自己責任

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1421446

最近自己責任論に辟易してる。自分も寝食以外ほぼすべて仕事学習かに当ててるので周りに比べて結構裕福になってきた。努力目線で言うと、正直周りはよく遊んでる暇あるなと思う。遊んでるから、遊んでる程度実力になるしその程度のお賃金になっている。しかしその遊びが将来実を結んだりしてる人もいるので遊びも否定するわけでもない。私は今は一旦遊ばない人生を選んで仕事に集中してるだけで、遊びのない人生はクソだと思う。

Daigo堀江等の最近自由主義はまぁ本当に頭が狂ったくらいに働いて勉強しまくって人によっては離婚したりモラハラしたりしながら人生ブーストをかけることで短期成功を収めている。自己責任論が強まる国内で彼らが一定数支持を得るのはまぁ必然な気もする。みんな裕福じゃなくなってきてるからワンチャン勝ち取った彼らの言葉が眩しく見えてくるんだろう。

しかし彼らはそもそも努力出来る環境が既にある状態が恵まれていることについて盲目になっている気がする。親ガチャと言われるくらいに私達の人生というのは自立するまで親の性能によって左右される。良い仲間に出会えるか、良い学習塾に通えるか、治安の良い地域に住めているか、この辺は親のスペックにかかってる。親が無教養だったり家族関係がクソだったり、そもそも貧乏だったり。等々。自立するまでにここが糞だった場合自己責任論者たちはかなり軽視している気がする。親の介護しながら努力できるだろうか。家族虐待されながら努力できるだろうか(家から出ろと彼らは無責任に言うが、なぜまず家を出るなんて普通の人が考えなくても良い負荷を人生に負わなきゃならないのか)自由主義者たちは機会が平等だと言う。そりゃ機会は平等だ。機会しか平等じゃない。自由主義者達にとって当たり前の圧倒的努力をするというスタートラインにすらまず立てない状況の人が居ることを彼らはなぜか否定する。そこすら自己責任すり替える。「いやいやもっと頑張ってる奴がいる」「もっと大変だけど成功したやつがいる」特異例ばかり取り上げる。

努力結構。私も努力は好きだ。だけど努力できる土壌がようやく整ったから実感できてるだけ。私は家庭で18年間かなりのネグレクトを受けてきた。努力が何度も踏みにじられてきた。ずっと無気力空虚人生だった。周りは頑張りを認められますます頑張って良い仲間を作り良い学校へ行った。自立して何もかもゼロからスタートした。周りから圧倒的に人生出遅れた感が本当に辛かった。まるごと18年、後方から自己責任論者の背中を見ながら走ってる。今日自己責任世界で。

もう疲れた

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