はてなキーワード: 劇薬とは
ごめん、頭悪いとか、言ったのは謝る。過激にしてみたのはちょっと議論を起こしたくて。
クズをクズとして扱わずに、「更正可能な者」と見なしたことなのかなと思います。
それゆえに、強力な措置で適応させようとした。
でもそれって実際無理なのかなって現実主義者の自分には思うわけ。
「馬鹿は死ぬまでなおらない」っていうのは真実だと思うんだよね。
一時的に戸塚ヨットスクールてきな劇薬で矯正しても、社会に戻したら9割はクズに戻るし、逆に矯正過程で壊れちゃうクズも居るわけ。
「クズ」は「クズ」としての居場所を作ってあげればいいとおもうんだ。
これは仕方ない。政治とは最大多数の最大幸福を目指すものなので、一部の排除はどうしても発生する。
排除されてるなりに、それなりの幸せ、を与えてあげることが、リアルな点での必要なんだとおもうんだ。
クズ山って表現は過激で内容も過激さはあるけど、それをいくらか”クズ”と定義される側が妥協できる点まで落として、そういう場をつくる必要があるんじゃないかな、と思うの。
理想論というよりはむしろ、デリケートな問題過ぎて誰も手出しができないと言った方が適切だろう。
なぜなら、営利を目的とする、民間の資本企業の業務に手を出すのはそれだけで様々な問題を引き起こすからだ。
例えばその、月に三件だけの摘発において、とあるブラック企業を摘発したとしよう。
で、その査察調査やらで業務が停滞したり、査察が入ったという事実で企業の名前に傷がつき信用が落ちたりする。
それだけで済めばブラック企業も懲りて人材を粗雑に扱う真似もやめるようになるんだろうが、
それだけで済まない場合が往々にしてある。ブラック企業であるがゆえに。
「業務が停滞した事によってギリギリで回していた仕事が詰まり資金が回転できなくなった」とか、
「信用が落ちたせいで取引先との取引を停止され業務が継続できなくなった」とか、
労基の調査指導が入っただけで結果的に会社がなくなりました、みたいな結果に結びついてしまった場合は、
単純に、うむ、悪は滅びた。という結末で綺麗に終わらせることができるわけじゃないんだよ。
ブラック企業で嫌々働かされてた連中も、唐突に職を奪われて路頭に迷ったら、今度は労基に対して怒る。余計な事しやがってと。
みんながみんな上手に転職できるわけじゃない。奴隷のような生活を強いられていたけど最低限の生活は保障されていた、生活の保障を奪われてまで自由と尊厳なんか欲しくない、と声を上げるしかない人も必ず出る。
で。俺達を路頭に迷わせておいて公務員はボーナス獲得か、労基は労働者を守るための組織なのにやってる事は労働者の迫害じゃないか!とか言われてしまうだろう。
労働者を守る為に法律を改訂し、ブラック企業の摘発にボーナスが付くようにして公務員のやる気を出させたのに、結局は意図せず労働者を迫害する結果に結びついてしまい、あべこべに労働者を傷つけていると非難されてしまう。
これほどの皮肉はないだろう。
もちろん、「そもそも労基の指導が入って悪い噂が流れたくらいであっさり潰れる会社の体制が問題だ!」とか「人を雇う上でのルールすら守らないそんな会社潰れて当然だ!」という指摘はどうしようもなく正しい。
だが、正しさが人を救うわけではないし、正しさで飯は食えない。
ブラック企業は悪だし、政府の手によって滅びるべきだが、それはお役所仕事として淡々と行われるべきだろう。
というか、「正しい事をするとこういういい事があるよ!」とエサを設置して人を誘導する方法は、やっぱり間違っているんだと思う。
正しい事は純粋にその正しさによってのみ行われるべきであって。そこに報酬のような余禄がつくと途端に不純なものとなり、道を誤るのだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20140221132243
この記事を書いた増田です。
何の気なしに書いた記事がこのような事態になり、少々戸惑っています。
同時に、高飛車な物言いをしてしまったことを後悔しております。
当方は大学生の20歳です。何人かのご指摘の通り、読書にのめり込む前から、自己愛性パーソナリティ障害にも似た自我肥大人間でありました。
そんな人間ですから、大学入学当初から大学生活を冷めた目で見ていました。サークル()、飲み会()、オール()のような事もしてきましたが、どこか射に構えていたと思います。
私はそんな歪んだ自我を保つために、読書に走りました。当初の私は本など手に数えるほどしか読んだことがなく、新書100冊程度読むのにも骨が折れました。
新書100冊程度を読んだ後の自分は、〇〇力の成長に驚愕していました。発想力、論理力、伝達力、コミュニケーション力、集中力、行動力....。
あらゆる〇〇力を手にした私は、全能感を抱き、ますます自我の肥大に拍車がかかりました。
社会なんてつまらない。就職なんてバカバカしい。やるなら起業!ノマド!というように、絵に書いたような意識の高い学生(笑)でありました...。
読書初期の私は、自分に自惚れ、”どうせお前には分かるまい”と周りを滑稽に見ていました。
読書は相変わらず続けていましたが、それだけでは敵わない人間と出会います。
今思えば、読書で得た〇〇力は、超バカだった自分がただのバカになったにすぎなかったのだと思います。
以後、本は「自分を成長させてくれる劇薬」のように思っていたのが「他人の考えが書いてあるただの紙」と思うようになりました。
自己啓発本を読んで意識だけが肥大していた自分を悔いるように、分厚い専門書も読むようになりました。
本の数だけ考え方は存在する。だからこそ、”考え方の違い”を意識するようになりました。
それは同時に、他人に考え方の相違の理解を求めていることになります。
読書中期の私は、自分に自惚れ、”どうしてお前には分かるんだ”と周りを滑稽に見ていました。
以前の自分のように、全能感を抱いている人を軽蔑していました。
自身過剰で、自分の考えだけに縛られている人が嫌でした。
社会が求める人材像というのも嫌いです。夢を持て、目標を持て、努力しろ、諦めるな...。
1年後の就活が嫌で嫌で仕方ありません。
私は読書によって、元々あった肥大していた自我がさらに肥大してしまったんだと思います。
ですが、本には何の罪もないとも思っています。
読んでいる本がダメなのか、数が足りないのかは分かりません。
ーおわりー
中小企業の良さをガンガンアピールするブログ記事を見て「そうだよねー」と影響を受けまくって大きく道を踏み外す若造が量産される前に、
真実ではありません。中小企業でまともに成長可能な人も相当限られると思ってます。
多くの人は、大きく成長する前に潰れます。まあ、潰れた人は「たいてい」黙って闇に葬られる為、
誰も認知できないので、大きく問題にならないだけです。俺は潰れてないって?そりゃその程度の成果しか出てないからだろ?
基本的に中小企業で大きく成長しましたーってのは、はっきり言って劇薬を飲んで大変な思いをして生き残ったから、
きっと俺は強えええーっと言っている感覚かと。通常他の多くの人は劇薬に当たって死にました(再起不能)という結末か、
一方で、賢い人は自分で気がついてこっそり水で薄めて飲んでみましたって感じです。だいたいビジネスのイロハも学ぶ余裕もなく、
事実上大多数がおバカの集団に突っ込まれて、それでいきなり応用が求められてって環境で、まあせいぜいうまく立ち回れたとしても、
マトモに成長できません。高校数学の教育すっ飛ばして大学の数学の問題解かされている
のと同じ事です。せいぜい、昔の受験勉強テクニックのように答えだけ覚えて対応するのが精一杯です。応用力と思っている事も、
その実、狭い世界で脊髄反射でごまかしているような応用力しかつきません。
人は学習出来る環境も大事ですが、本当の意味で成長できる/知恵を身につけるには、資金も、余裕も、基礎もちゃんと学ぶ事も、
必ず必要なのです。大企業はそこが解っているから一見成長が遅く見えるような事をするのです。
実際には40代ぐらいでその差が大きく現れます。良いものを沢山見た人が最終的には強いのです。促成栽培で30代で
一見引き離したような成長をしたように見えるかもしれませんが、それは一瞬の事です。成長の真価が問われるのは
ええ、中小で見ることの出来る狭い世界では新しいかも?なことは簡単にできるでしょうね。でも、その新しい事が、世間様に
照らすとほとんどがすでに誰かがやったことの猿真似しかできていません。大企業での新しい事というのは
人類初とかのレベルが問われます。大企業ではまわりは優秀な人だらけです。世間様でも通用するようなレベルの新しい事が
出来るのは、そういった事にチャレンジを十分に許す余裕もあり、これでもかっていうぐらい優秀な人が豊富にある環境で
揉まれつづける事が必要なのです。中小でそういった事が出来ないとは言いませんが、どうみても世間で通用するような
レベルで新しい事が本当にできるチャンスが圧倒的に多いのは環境からして大企業の方です。
多くの中小企業では資金/人的リソース/人材のすべてにハンディがあります。なので、当然ですが、まともな仕事はしにくいです。
60点で良しとするのが精一杯です。一方で大企業は膨大なリソースをつぎ込んで、できるだけ世間様でいうマトモな結果を出そうと
します。多くの優秀な人材に常にレビューされつづけているような環境に常におかれている今の大企業で、意味の無い
無駄な事はそもそもしにくいです。もちろん法令遵守も徹底しています。つまり、正しいやり方で正しい成果を出すにはどうすれば
良いかを目の当たりに出来るという経験が沢山できます。これは将来永続的なビジネスを自分でする時にどうすれば良いかが解るように
なれるとても貴重な経験です。
ちゃんとした報酬はちゃんと払われるべきというのも徹底しているのは大企業です。中小企業はそもそもそんな余裕はありません。
ちゃんとした成果でもちゃんと払わないということでもしないと中小企業は会社が潰れてしまいます。そもそも社長がちゃんと
した成果にちゃんとした報酬を払うという事についてモチベーションを感じない事が多いです(それがそもそも中小企業の社長の手腕なのです。)
中小企業の社長の基本的な考え方は、ちゃんとした成果にちゃんとした報酬を払わなくて済み、それでも何とかして人を働かせつづける方法を、
常に考えているのです。大企業はそんな小細工は必要ありません。ちゃんとした成果にはちゃんとした待遇と報酬で応じる事を検討します。
お金はあればあるほど、お金は増やし易いので、こういった事ができます(これが残念ながら世の中から格差をなくすのが大変難しい理由にもなります。)
お金の余裕は、そのまま報酬に現れるのです。実は単純な法則です。
誰かのblogを読んで、俺成長したいからと中小企業にうっかり飛び込む前に、自分は本当にどうなりたいかを一度冷静に考えた方が良いとおもいます。
「フランス革命は、平民(第三身分)が旧体制を打破した革命である」
のように説明されることがあります。この説明は間違っているわけではありませんが、「平民」という均質な集団が一丸となって何かをしたかのような誤解を与える点で、フランス革命の内容を分かりにくくもしています。
平民(第三身分)は、農民や都市の下層住民を総称した民衆と、民衆よりも裕福な中間層であるブルジョワからなります(職人を雇わずに家族だけで仕事をしている親方や店主ぐらいが下層のブルジョワと民衆との境界層です)。しかしブルジョワと民衆は意識の上でも利害的にもあまり仲がよくありません。
ブルジョワと民衆は協力関係にあるよりもむしろ敵対しており、それぞれ自律的に行動していたととらえる方が、フランス革命の動向が分かりやすくなります。
普通フランス革命の期間は、バスティーユが襲撃される1789年7月からロベスピエールが処刑され恐怖政治が終わる1794年7月までの5年間、またはナポレオンが総裁政府を軍事クーデターで倒す1799年11月までの10年間とされます。
しかしその当時フランスの社会構造がどのようなものでフランス革命が始まるまでどのような進展があったを知っていた方が、フランス革命の推移もわかりやすくなります。
わかりやすくなるのですが、ここではバッサリはぶきます。ブルジョワと民衆がそれぞれ自律的な勢力であるという複合革命論の考え方を前提にして書かれた
などを読んでみてください。
があります。こちらのタイプの説明の方が分かりやすいという人もいるでしょう。
(ヴェルサイユで開かれた全国三部会は、第三身分の強硬姿勢により憲法制定の議会に変身し、バスティーユ襲撃後の国内混乱を利用し封建的特権の廃止に至ります)
1789年5月5日にヴェルサイユ(パリから約25キロ)で始まった全国三部会は、採決形式でもめ審議に入らないまま紛糾します。第三身分が強硬姿勢を崩さず、特権身分の中にも第三身分への同調者が出たこともあり、7月9日に憲法制定国民会議として再出発します。
しかし7月11日に第三身分に融和的な財務長官ネッケルが罷免され、これがパリが伝わるとパリ市民は王の軍事行動が近いと恐れ、自衛のための食料調達武器調達に動き、焼き討ちや略奪が発生します。富裕市民は政府軍隊への対抗と秩序維持のため常設委員会を設置し民兵を組織します。
7月14日にはバスティーユの要塞に武器の引き渡しを求めて民衆が殺到し、バスティーユ内で交渉が続くさなか襲撃が始まり、バスティーユは陥落します。市庁舎まで連行された司令官ドローネーは群集に引き込まれて殺され、市長フレッセルも射殺されます。
新たに組織されたパリ市政当局とブルジョワの民兵(国民衛兵)を国王政府は追認せざるをえず、他のほとんどの都市でもブルジョワが市政の実権を握ることになります。
一方バスティーユ占拠の報を受けた農村では、貴族が浮浪者を雇って報復をおこなうという噂が広がり、その恐怖から各地で領主の館の襲撃が行われ、「大恐怖」と呼ばれるパニック状態になります。
自由主義貴族だけでなくブルジョワの議員の多くも地主であるため民衆の騒乱は早急に鎮める必要がありますが、正規の軍隊に頼ることは王や保守貴族の立場を強めることになるのでできません。そうしたなか8月4日の決議が行われます。
8月4日閉会後の夜に抜き打ち的に再開された議会で、自由派貴族によって領主特権の廃止が提案され、熱狂的興奮のなか課税特権の廃止など諸特権の廃止が次々と宣言されます。大恐怖の圧力を利用して封建的特権の廃止に成功し、農民の騒乱も沈静化していきます。
これで憲法の議論が進むようになり、8月26日には人権宣言が採択されます。
しかし王は特権廃止の法令も人権宣言も批准せず、9月末には治安維持の名目でヴェルサイユに軍隊を集結させます。
10月5日に食糧危機を訴えるパリ民衆がヴェルサイユに行進し国民衛兵がそれに続き、民衆は窮状を訴え国民衛兵は王に圧力を加えます。王は法令と人権宣言を批准、翌日には王一家はパリのテュイルリ宮に移されます。続いて議会もパリに移り、ここから憲法と法令の議論が本格化していきます。一方で亡命する貴族が増えていき、国内の政治分裂も本格化していきます。
(91年半ばまではフランス革命期としては平穏な時期ですが、この時期に国内の対立が進んでいきます。また国王の逃亡未遂が発覚するヴァレンヌ逃亡事件(91年6月)によって王の威信が失墜し戦争を望む声が高まります)
議会がパリに移り、諸特権廃止の内容や具体的な法律が決められていきます。ヴァレンヌ事件が起こるまで比較的平穏とされる時期ですが、国内にさまざまな対立が生じていきます。
1789年後半から91年にかけて、議会外に政治組織が形成されていき対立の構図ができていきます。
また各地で反領主騒乱が発生していますが、そうした騒乱は徐々に革命か反革命かという政治的な枠組みで解釈されていくようになります。
さらに聖職者民事基本法をめぐって宣誓拒否問題が起こります。カトリック聖職者の多くは革命には好意的でしたが、叙任式における宣誓義務に対して大多数が拒否をします。議会からの警告が出されますが、地方によって大きくバラツキがあるもののフランス全体で約半数の司祭が拒否します。教皇ピウス6世が民事基本法を否認したこともあってカトリックは内部分裂する事態になります。宣誓拒否司祭とそのもとにあるカトリック民衆は「反革命」に押しやられ、のちのヴァンデの反乱(ヴァンデ戦争 1793年3月~)の原因の一つになります。
91年6月に国王一家がパリから逃亡し途中で発見されるというヴァレンヌ逃亡事件が起こります。
これを受けて、外国に支援された亡命貴族が攻めてくる、外国の侵略が始まるという考えが広がり、国王救出を目的とした外国人が侵入してくるという予想から国民衛兵による警戒体制もしかれます。
7月には主要な政治組織であるジャコバン・クラブが、王の廃位と共和制を要求する請願書をめぐって分裂し、多数派の穏健グループはフイヤン・クラブとして分離します。
8月にオーストリアとプロイセンが、フランス国王のために武力介入もありえるとするピルニッツ宣言を出したため、亡命貴族の陰謀説にさらに拍車がかかり、外国との戦争を望む声が高まっていきます。
そうしたなか9月3日に立憲君主制にもとづく1791年憲法が制定され、9月30日に憲法制定国民議会は解散します。
(インフレや物価上昇により食料問題が悪化し民衆の不満は増大していきます。国内の多数が開戦を支持するなかオーストリアに宣戦布告し(92年4月)、続いてプロイセンとも戦争状態になりますが、フランス軍の劣勢となります。軍事的危機と国王への不満が積み重なり、パリに集結していた連盟兵やパリ民衆の恐慌的な敵意が王に向けられ、王の廃位が要求され、8月10日テュイルリ宮が武力制圧されます(8月10日事件)。これを受けて議会は王権の停止を宣言し、新たな憲法制定のための国民公会の召集を決議します)
憲法制定議会が解散した翌日91年10月1日に、9月までの選挙で選ばれた議員達による立法議会が開会します。再選が禁止されたため全て新人議員で、貴族がほとんど選挙に立たなかったため議員のほとんどは裕福なブルジョワです。立憲君主制を守りたい穏健派のフイヤン派が議会の最大勢力、共和制を主張するジロンド派(ジャコバンクラブのこの頃の多数派)がそれに続きます。
なお同業組合や団結を禁止したル・シャプリエ法(91年6月)に抵触する恐れがあるため、政党は存在しません。そのため、どの派でもない、審議内容ごとに立場を変える中間派(平原派)が、この時期に限らず常に議員の多数を占めます。そのため派閥の議員数だけでなく、中間派の動向(またその動きに影響を与える議会外の動向)が重要になります。
また議会内の各派の勢力数自体も確定したものではなく常に流動的で、各勢力をどう呼ぶかにかんしても文章によって違うことがあります。
議会の中心的課題は、周辺諸国からの脅威にどう対処するかです。(それと穀物価格の上昇に対する価格統制の要求に対して、革命後の基本原則である自由主義をあくまで守るのか、民衆の要求を受け入れるのかも問題になっていきます)
これに対してジロンド派は、国内の不満をそらして(インフレにより物価が上昇し各地で食料暴動が発生していた)政治のイニシアティブを獲得するために「自由の十字軍」などの言葉で対外戦争をあおります。民衆の多くも「外国と共謀する亡命貴族」への脅威と愛国感情の高揚から戦争を望んでいました。
92年3月、フイヤン派の大臣が王によって解任されジロンド派内閣が成立し、4月にオーストリアに宣戦布告、数週間後にはプロイセンとも戦争に入ります(戦争はナポレオンが二度目の失脚をする1815年まで中断もありつつ続くことになります)。
しかし緒戦から敗戦が続き、「反革命」者へのより強力な措置を求める声や宮廷への不信から共和制を求める声が高まっていきます。またセクション(区)の政治活動を通じて民衆が政治的に組織化されていきます。
そうした流れが最終的に民衆と連盟兵による8月10日のテュイルリ宮の襲撃に行き着くのですが、この事件は偶発的に起こったバスティーユ襲撃とは異なり王の廃位を求めての組織された行動だったにもかかわらず、そこに至る決定的な原因があるわけではないので要約しづらく、フランス革命の大きな転換点の一つのわりに説明しにくい事件です。
ここでは事件の結果だけ述べると、立法議会は蜂起側の勝利がはっきりした後、王権の停止を宣言し、新たな憲法を制定するための国民公会の召集を決議します。これでフランスが共和制に向かうことが確定します。また国王一家はタンプル塔に幽閉されることになります。
(戦争はフランス軍の劣勢から優勢に変わり周辺領土を占領します。93年1月には国民公会の裁判結果により国王が処刑されます。周辺領土の占領や国王の処刑を原因として周辺諸国の多くと戦争に突入し、さらに国内ではヴァンデ地方を中心に大規模な反乱が起こります。議会ではジロンド派と山岳派の対立が深まっていき、国内外の諸問題への対応のまずさからジロンド派が民衆の支持を失い、93年6月ジロンド派は逮捕、議会から追放されます)
8月10日に王権が停止しますがフランス軍が劣勢の状況にあることは変わりません。義勇兵がつどわれ前線への準備がなされる一方、反革命、裏切り者を排除する空気が広がり、家宅捜索がなされ多くの反革命容疑者が逮捕されます。さらにパリへの侵攻の脅威が高まり、義勇兵が出発したあと反革命者がパリ住民を虐殺するという噂も流れ出します。
そうした不穏な情勢のなかヴェルダン要塞陥落のニュースがパリに届きます。これをきっかけとして、囚人の多くが殺されるいわゆる九月虐殺が発生します。
この事件の結果、内の脅威が消えたと民衆が大挙して義勇兵に参加し兵数万を増やすことになります。
一方、この事件は国外からの印象を非常に悪いものにします。宥和政策を取っていた隣国スペインの首相も宥和政策を撤回せざるをえなくなり、またフランス革命開始時には革命に好意的だった知識人たちも国王一家の幽閉と九月虐殺で決定的に革命嫌悪に転じます。
戦況にも変化が生じます。フランス軍はヴァルミーの戦いで勝利し、戦況が優勢に転じていきます。なお多くの本でこの勝利はフランス兵の志気の高さによるものと説明されていますが、志気が影響するような戦いではなく兵と砲台の数の差によるものといった指摘もあります(たとえば『近代ヨーロッパの情熱と苦悩』)。
普通選挙でしたが投票率は悪く、ほぼブルジョワ議員で占められています。フイヤン派は出馬していないので議会におらず、共和制穏健派のジロンド派と共和制急進派の山岳派、それに中間派という構図です。(ジロンド派がジャコバンクラブを脱退していくので、山岳派=ジャコバン派とも呼ばれます)
ジロンド派は経済的・政治的自由主義を維持し議会主導で政治をおこなうという近代的な原則をあくまで重視し、山岳派は革命の推進と防衛のためには民衆の要求も受け入れ民衆運動の利用もありと考える現実路線です。
……とまだまだフランス革命の時期は続いていくわけですが、予想外に長くなったので中途はんぱなところですがここまでとします。
93年1月に国王が処刑され、6月ジロンド派の追放で山岳派の一党独裁(ただし基盤の脆弱な独裁)になり、恐怖政治の時代が翌94年7月まで続き、ここで一区切りとなります。
視聴されることが被害者の苦痛と結び付けられてしまうと、手も足も出せないっす。
でも本当に、被害者の苦痛って児童ポルノを視聴されることなの?
製造過程にあるんじゃないの?
単純所持って、持っているだけで問答無用で逮捕だからね。劇薬みたいなものだよ。
キャッシュファイルとか迷惑メールとか、或いは全くの冤罪とか。
やろうと思えば、技術的なハードルは高くないと思う。その方面をどうやって手当てするのさ。
今までは被害児童のケアの面で遅れているところはあると思うんだ。
女性手帳を使って、「30歳までに産みましょう」と一生懸命啓蒙したところで、
例えば、
「25歳までに出産すれば、出産時に1,000万円支給します」
26歳出産は800万円、27歳出産は600万円、28歳出産は400万円、29歳出産は200万円、
30歳以降の出産には一切の手当てを支給しない。
年齢反比例出産手当の「原資」には、既存の子供手当て、もとい児童手当の財源を流用する。
つまち、30歳以上の出産だと、今までなら児童手当貰えていたのが、貰えなくなるので、
「マイナス」になる。
ここまで露骨に「アメとムチ」を使い分けたら、相当程度、出産の前倒しになって、
ライフスタイルを変える(例:婚姻年齢を前倒しにする)女性も出てくると思う。
男性側も、「この娘が25歳のうちに結婚出産させよう」と結婚に前向きになる。
僕がこうした記事を書いているのは、僕の失敗をみんなに知ってもらうことで同じ失敗をおかさないでほしいと思うからだ。
時間があるかたはお付き合いいただきたい。
あと一年数ヶ月学校に通えばいいだけなのに、なんで今。特にいじめをうけていた訳でもないらしいのに…
母は疲れた様子でそんな話をして、彼の今後については時間をおいて考えるなんて言う、
甘すぎる展望を話してくれた。
母からこの話を聞いたとき、僕は彼が高校をやめる理由について心当たりがあった。でもそれを母には言えなかった
彼が高校をやめるのはぼくのせいだ。
彼のテストの成績が振るわずにいてゲームばかりしている彼に僕は「将来の夢はなんかあるの?」と聞き
「公務員」と答える彼に
「例えばものすごく成績がよくなっても公務員になりたいの?」と聞いた。
我が家はいわゆる下流の 家庭で、両親は金のことでいつもカリカリしているし
大学の学費、生活費は自分でどうにかしなくてはならないそんな家庭だ。
そんな彼が自分で自分の将来に希望をもつのは難しい。だからこそ彼に希望を与えたかった。
そして僕は僕が今いる会社の楽しさや、
友人が勤めるMがつくコンサルティングファームの凄さ
彼が知らないであろうことを教えた。
「君が知らないだけで世の中にはこんなにも楽しいことがあふれている」
「それなのに、君は今からそんなに小さくまとまろうとすることはないんだ」
その話を聞いた彼はどうやら彼なりの答えをだし、そして希望を持った、やる気を出してくれた、
その時のテストでは学年でも上位の成績を叩き出した。
僕は彼はこれでやる気を出してくれたと感じ、次にこんな話をした。
おそらく、これが不味かった。
またゲーム漬けの日々に少しずつもどっていった。
(そして、彼が望む進路にすすむなら)
彼ならそれができるとおもっていた。
ほとんどなかった彼にとってはとんでもなく難しい問題だったんだろう。
その結果彼は、自分が歩めると思った道を正攻法で歩むのを諦めざるをえないと考えた。
おそらくこんなところだろう。
彼が高校をやめた理由は他にもたくさんあると思うし、
ひょっとしたら本人はそうは感じていないかもしれない
でも僕はこう考える。
僕は彼に希望を示した、それが毒になった。
それに気づかず道を踏み外させてしまった。
僕はその処方をまちがえた。
このまとまりのない長文を読んでくれた方でこの事に気づいていないかたがいたら
ぜひ、頭のすみにおいておいてほしい。
自分が善意でしたアドバイスが、こんなにも人の人生に影響を与えるんだということに。
彼が再起不能にならないよう、注意深く見守る。
フッ素には歯磨き以上に虫歯予防以上の効果がある。歯学では基本的な事実なのに、日本はあまりにも虫歯予防用のフッ素剤が手に入りづらい。
水道水のフッ素添加は選択制にすべき、という意見は納得できる。しかし、実は、その選択肢であるフッ素剤も、日本では薬局で殆ど売っていないのだ。
結局、家庭でフッ素を使って毎日虫歯予防するという選択肢は、日本では極めて取りにくい。
虫歯予防としてのフッ素剤の効果が期待できるのは、400ppm以上と言われている。ところが、希釈前のフッ素剤は、薬事法大改悪のために劇薬指定されて、処方箋がないと買えなくなってしまった。しかし、保険適用外になるため、歯医者でも処方しにくい(価格は10日分で数百円ぐらいの安い薬だが)。結果として、一般人がフッ素洗口液を手に入れるのは極めて難しい。昔は日本の歯医者でも普通に売っていたのに。欧米では普通に売っているのに。一応、歯磨き粉には希釈した最大950ppmのフッ素が入っているが、歯磨きをした後にブクブクうがいをすると濃度が下がって効果がない。それ以上に、粉末状のフッ素洗口液の何倍もの値段がする。
嘘だと思う人は調べてみて欲しい。効果の期待できる400ppm以上のフッ化物水溶液で口を満たす方法は、フッ素洗口剤が殆ど唯一の選択肢なのだ。歯医者で何ヶ月か一回フッ素を塗ったって、毎日のフッ素洗口液の使用に比べれば効果はたかが知れている。
この状態を放置しているため、大勢の何本もの歯が失われている。未だに虫歯を、患者の歯磨き不足のせいにするのはやめて欲しい。日本人が超努力して歯磨きに時間かけてボロボロの歯で詰め物だらけなのに、他の国ではフッ素を使って虫歯が全くない人がゾロゾロいる。なんで、国のアホな政策なせいで、自分の歯をボロボロにされなきゃならんのだ?悔しくないのか?
「お茶にフッ素が入っているから…」とか、「フッ素の多い食品を…」といった意見もあるが、どれも、効果のある400ppm未満。
なるほど。go.jpが効いたか。世の中には政府発表だと、今度は「政府こそ信頼出来ない!」とか言い出す人もいるんで、難しいんだよね。で、同じgo.jpで、昔は薬物の方が主流だったという統計もあるよ。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/tokusyu/suicide04/6.html
自殺者数に対する自殺手段は、有効な傍証ではあるんだけど、自殺の有効性ではなくて、単に時代による自殺方法の流行り廃りを表してるだけなんじゃないかって突っ込まれると、反駁できないんだよね。上のデータで、昔は薬物が主流だったのは、時代の流行り廃りと言うよりも、劇薬が楽に手に入った時代で首吊りよりも薬物の方が簡単確実だったからだと思うけど、証拠はないわけで。
そうすると、今度は手段毎の、自殺成功者/自殺未遂者の比率とかを推計する必要が出てくるんだけど、推計だと、また、「推計方法が間違ってる!」って突っ込まれるかもしれないしね。
確実な情報ソースはないから、何かを信じるしかないよ。自分は、完全自殺マニュアル読んだことがあったから、ネット上の個人サイトの情報は、大抵、完全自殺マニュアルの引き写しだと知ってて、完全自殺マニュアルはある程度信頼出来る、という理由で信頼していた。逆に、政府発表は、集計方法の文面までよく読まないと、実態とかけ離れたデータになってることがあるので、注意が必要なため、そこまで信頼していない。そもそも、政府の自殺統計だって、政府としては自殺者を減らしたいから、実際はかなり自殺っぽいケースまで、変死体扱いの方に入れられて、自殺者数が調整されてるっていう話もあるぐらいだし…。
http://anond.hatelabo.jp/20120313201103
Google が evil になったー!って騒いでる連中の中には、無知さゆえに自分の身を守れないからわけわかんないから Google あぶない!って言ってる人もまざっていてちょっとややこしい。自分のポリシーに合わない、Google が信用できないなら使わないもしくは制限して使えばいいだけだし。自分が何をやってるかわかってない人にも問題ある。
何をされてるか分かろうともしてない人が企業が邪悪なんです!とヒス起こしててもなんだかなーってなる。Google は自分が何をやってるのか分かってる人には便利を提供してるんだし。本当に evil かどうかは Google が巨大な力を手にしてから試される。それは今かもしれないし、これからわかることだ。現時点で「武器を持った時点で信用ならぬ!」って人がいるのもわからなくはないんだけど。でも Don’t be evil ってフレーズは今のためにあったんじゃないかなあ。Google はまだその武器を使って人類を侵略してはいないよね?
GREE はどうなんだろう。Google の問題とは関係が無いけど、evil さで取り上げられていたので取り上げてみる。俺は家庭用やネトゲで既に悪例は散々見てきたし、ソーシャルゲームをやっても金遣いをコントロールできる自信はあるし、そもそもソーシャルゲームにそれほど魅力を感じていないから、俺にとっては GREE は evil じゃない。でも今までゲームなんてやったことなくて免疫もなくてソーシャルゲームが知ってる唯一の面白いゲームな人には evil かもしれない。アボリジニには酒が劇薬だったように。もしくは、まともなクリテイター系の賃金も知らずに、馬鹿げた格安の料金でソーシャルゲーム製作の下請けをやらされてる人にとっても evil かもしれない。でもいつまでもユーザーも馬鹿じゃないし、アイテム課金のネトゲが辿ったようにソーシャルゲームも、ちゃんと楽しい経験にお金を払っているという満足度を得られるように進歩して、表記も紛らわしくなく、透明度が高くなるようになればいいね。既に一部のソーシャルゲームにはその傾向があるんじゃないかな。
まあ、ソーシャルゲームはたとえ暴利でも、ユーザーにそれがおかしいと気づくきっかけさえあればいつでもやめられるんだし、そもそもしなくていい自由があるんだし、回避できるんだよなー。やっぱ、馬鹿なユーザーを食い物にしてる企業が叩かれるのもわからんでもないが、馬鹿なユーザーがいつまでも馬鹿なのも同じくらい問題だ。
企業が利益をあげるのは当たり前だし、個人だってなにかをするに経費がかかればその分はどうにかしないと生活がままならないのも当たり前。本当に当たり前のことがわかってない嫌儲もいる。例えば、アマチュアが CD 出します!って言ったとたんにお金儲けかよ!って叩いたりする人。そういう嫌儲は自分に都合のよいことはすべてボランティア的に行われないといけないと思ってるし、見えないところにもお金が必要だってことに全く想像力を働かせないからどーしょもない。そういう嫌儲と、evil さを論じる人を一緒くたにするのは乱暴ではある。
みんながみんな一定のリテラシーと自制心を持つわけじゃないから、馬鹿を標的にした企業は evil といえるのかもしれない。
んーもうちょっとメタ的に考えると、馬鹿を馬鹿のままにしようと囲い込んで、一種の洗脳を行うモデルは evil かなぁ。俺の価値観だと、無知に気づかないやつ、自分で責任取れない奴が悪いだろって思っちゃうんだけど、本当に騙せる馬鹿なユーザーを騙そうってモデルも世の中にはあるからなー。何事も限度とバランスよな。
個人的には、選択の余地がない人が標的になるのは本当に evil だなーと思う。例えば最近だとグッドウィルみたいの。いわゆる貧困ビジネス?あれに比べたらソーシャルゲームの会社がどんだけあくどい商売しようがかわいいものだ。
http://anond.hatelabo.jp/20110908093243を可能な限り段落を再現してエキサイト先生に翻訳して頂きました!
長い間、私は暗箱にいます。
私が箱の外部で聞いた誰かのコメントによれば、劇薬を含んでいる小さなボトルは、この箱に位置します。ボトルは完全に密閉されますが、ハンマーはボトルの近くに配置します。また、彼らは、ハンマーがある時に倒れるだろうと言いました。
いつになるかは「ある時間」です?私は知りません。このまさに瞬間に?あるいは遠い将来?恐らく、それは既に来ました(私はそれに関して考えたくありません)。誰もハンマーに影響することができません。独立事象として、それは、見込みで50%倒れるでしょう。見込みはちょうど50%です。ひょっとしたら、ボトルは壊されるかもしれないしあるいはだろう。自分に関して、死者、あるいは、生きている。
私は言わなければなりません、状況はどれくらい恐ろしいですか。
私は、猛烈な憤慨を持たないようにはすることができません。私の人生(私のための最も重要な問題)は、私から完全に離れており、単純な図、FIFTY PERCENTに単独で依存します!あまりに恐ろしい。
さらに、私は、それは完全に不合理であると思います(そして)。私は、ちょうど50%で見込みを維持する多くの方法で束縛されます。
視覚。箱は、任意の光から完全に保護されます。それは、ボトルと装置を見つけるおよび破壊することから私を回避するためにあります。完全な暗さ。私は完全な暗さにいます。したがって、今、私は、自分のアウトラインさえ見ることができません。恐らく、それは奇妙に思えます。暗さは私に私の体自体の存在について疑問を抱かせます。
聴覚の知覚。恐らく、私が上に言及した理由から、完全な遮音は使用されます。私は、私自身の音声さえ聞くことができません。私はメカニズムを知りません。まず第1に、私は、何も見ることができないとともに、どのようにそれを調査することができますか。したがって、これは恐らく推測だけです、私の鼓膜はこの箱の中の包囲の前に破損されました、あるいは、ある特別の資料は箱の壁に使用されます。
とにかく、光と音の保護であまりによい暗箱では、ちょうど用語が示すように、私の視覚的・聴覚の知覚は死んでいます。
あたかも一層の確認が必要かのように、私を極度に圧迫する巨大な疲労は私のための別の拘束物です。それらは努力から私を回避するために私にある種類の筋弛緩剤を与えたように見えます。私が同じ姿勢から変わることができないとともに、私の触覚はほとんど麻痺しています。
光はありません。音はありません。匂いと味は信頼性が低い。触覚は不調にあります。私は操り人形に似ています。すべての五感は私のコントロールが不足しています。あまりに残酷です。完全な拘束物。それらが睡眠薬を与えていた場合、私は望みます。私は、外傷のない苦悩にいると思います。私の生活(私の存在(自体))は完全に無視されます。そのような屈辱は私の正気を維持します。そのような屈辱だけができます。
自分の生および死をコントロールする権利は完全に奪われます。私はそのような状況を嫌います。私の生活の連続性の中核決定要素は完全に依存します、で、単独で、で、純粋な見込み。誰からでも完全に遠方に、意志があります。私は再びそれを嫌います。私はそれを嫌います!
なぜ私は、そのような箱で囲まれなければなりませんか。そのような途方もない箱では、なぜ私は、そのような完全な拘束物を備えた、生命不安および死にいなければなりませんか。
私は孤独です。私は、中身がなく、水平に感じていますか。すすり泣かないようにすることが困難です?番号私の孤独ははるかに深い。私は空間の海でいます。私は一人です。完全に孤独です。孤児として、私はこの無限の暗さに向けられました。私は絶対零度の中で震動しています。
この箱に展望はありません。暗さだけがここにあります。私はボトルとハンマーを感じることができません。私は壁、底および天井をまた感じることができません。それらはそこにあるに違いありません。しかし、私の五感がすべて奪われます。何もないように、私は感じます。それらのものがいくつかの意味を持っている一方。
正直に話して、私は、箱にいるかどうかそれほど分かりません。私は、私の姿が存在すると確信します。私は考えています。私は空想しています。それは証拠である、私の独自性を示すこと、呼ばれる、自我あるいは意識、あるいは心、固体です。しかし、独自性はありますか、本当に箱で囲まれる?それが別のスペースで浮かんでいることはありえますか。私はそのような疑問を除去することができません。
恐らく、私がここでであるものは、宇宙に結局浮かんでいるか、あるいはマリアナ海溝の底に横になっています。あるいは恐らくキラウエア火山の穴から下降して行くこと。
私には、箱(私を囲んで)がどのようにか知る方法がありません。私の感覚はすべて死んでいます。私は、ここに、箱の内部があるかどうか判断することができません。
私は、本当に生きているように、それに加えて、確かではありません。私には、そんな単純なものを確認する方法がありません。恐らく、50%の見込みは私を越えて既に通過しました。恐らく、私は既に死んでいます。私はまだ、恐らく生きています。浅くて、筋弛緩剤を注入された、呼吸する、弱い心臓の鼓動。あるいはそれらのすべての停止(単に去る肉大型丸薬)。
私は私自身の身体をコントロールする任意の能力を奪われます。誰が私の心が重大な活動を継続する身体に存在すると言うことができますか。五感は完全な暗さで毒されました。それらは感覚器として機能することができません。私は、真実を知る見込みがありません。恐らく、どんな推測も一人で作り上げられます。私を包む状況および自分の独自性は恐らくプログラムされた回転プレーのコンポーネントです。
私の存在に関して、私は振る舞いを決定することができません。私は、それを認めることを嫌います。しかし、私は変動の最中です。
私は、誰かが私を見つけることができたらと思います。私は、誰かが箱を開くことができ私がいかがか言うことができた、らと思い、私がどういう人か決めることができました。私の内側にそうするのに十分な力はありません。私ができるのは孤独の中で震動し続けることです。
もし神ならば、私は言うことができるでしょう「そこにさせる、軽い。」私は、それが不可能なことを知っています。しかし、私は、私がそのように言うことができたならばどれくらい素晴らしいだろうか思わざるをえません。
私自身の自由意志!それは、自分を取り巻くすべての変動を固定することができました!
同時に、切望は影を生産します。箱が開かれるなら、私は見つかり観察されましょう。その結果、私の姿は決定されるでしょう。実を言えば、私は決定を心配しているという事実から視線をそらすことができません。
一人で生きているか死んでいるかどうか判断することができませんが、私は死を恐れています。残念ながら、私は死者として決定します。私は受理することができません。まだ、私は感じることができません。私は特定の現象として死を想像することができません。恐らく、そのため、私は死を恐れています。
いいえ、それは私に制限されるべきではありません。高潔なキング。致命的な殺害者。規則的な人々。すべての同じ。恐らく、悪い疾病の年上の人々あるいは患者は、十分に真実の死に近いある想像を持つことができました。しかし、それでも、死の特定の経験を知ることができません。
結局、死は圧倒する重要性を備えた最終仕向地です。時間と意識は絶対的な不可逆性を持っています。死にはさらに変更することができない完全無欠さがあります。それが儀式の通過点あるいは顕著な印象的な出来事でも。
私自身、ここの私の心はそうです、そのときは消えられるだろう、どれ、私がいかがかが決定されます。それらが生ぬるい水(私はその中で温度を感じることができない)から奪う場合、私は、大気に身をさらさないようにはすることができません。
私はそのような不可逆変化を恐れています。それは死の決定に制限されていません。さらに、非常に心配しているので、私は生きていて決定されます。
自分の現在の存在は、無限のポイント上に立っている小さく小さな幻覚に似ています。それほど大きくない。それほど小さくない。それほど長くない。それほど短くない。拡張はありません。収縮はありません。ユニークな単一のポイントで立っていること。それは数学上正確です。私は、自分の同一性に関する混乱があるそのようなポイントでとどまるゴーストのようなものです。
ポイントは同時(ある位置で既存でない)に座標の飛行機ですべての位置で存在します。ある出来事が生じれば、その瞬間においては、それは、すべての地空(あたかも私の招待がバスから降りるかのように、出来事がその中で生じた)中の単一のポイントに私を集中させるでしょう。関係なしで。ポイントと私がものだったとしても。
幻覚(それはそのようなポイントでとどまった)は、等しい程度に対して、実際で霧のように消されているの可能性を持っています。
さて、私はすべての配当通過時間の中で既存です。そして、私はすべての自然を持っています。同時に、私は孤独からそれを受けています、私はすべての自然から離れています。私は、誰かが私を見つけることができることを望みます。同時に、私は非常に心配しています、私はどこにいてそれ、私はその瞬間にいかがでしょうか。
劇薬小説かあ。それほどお送読みあさっている訳じゃないから、新たな出会いがあるかもしれないなあ。
気持ち悪い小説ならいくらか挙げられるけども。
疾走とかアッシュベイビーとかスメラギの国とか。パラサイトイヴもエログロだったなあ。
すっごい大きな書店に行きたい。
あ、スメラギの国は猫好きの人なら絶対に手にとらないほうがいいよ。ダメ、絶対。
もどかしくてやるせない物語なんだけどねー。