はてなキーワード: ワンピースとは
仏間から沈香とか白檀の香りとお供えの桃と混じった香りがしてきて、
井戸水は冷たくて沢にハグロトンボがひらひらと飛んでて、田んぼに大きな石亀がいてオニヤンマやギンヤンマがAIドローンみたいにカッコよく巡回していてすれちがういとこのお姉さんの無防備なワンピースから覗く足がまぶしくて
ふいに風が吹くと田んぼにさざ波のような模様ができて、夜は大きな魚やアワビ・サザエをお刺身でたべて、
塩抜きしたタケノコとキノコの煮ものとかたべて、お風呂入って疲れ切ってふかふかの布団に寝っ転がって、
蚊取り線香が煙いな、と思いながら蛙の鳴き声を聞いているうちに意識が遠ざかっていくみたいなのが夏かな
悪くないと思う。
『ルックバック』と藤本たつきは刺さる人にはとことん刺さるけど、刺さらない、よく分からない人(自分)にとっては周りについてけない感がすごい。才能あるし嫌いじゃないけど、好きになる程彼の作品に心動かされたことないから、周囲の持ち上げ方見ていて微妙な気持ちになる。ワンピースが流行ってて、同級生や友人たちについてけなかった時と似てる。
喜怒哀楽が歪んでると思うので、自分語りをしてみようと思った。心に刺さっていることに絞って書く。
小学生のころからずっと太っていて、それをからかわれたりしていた。
5年になったころ、雪の積もった通学路の堤防から落とされて遊ばれていたが、それが保護者に知られいじめ案件に、ということがあった。特にいじめられていたという自覚もないので、謝られてもよくわからなかった。
6年のとき、好きな女子がクラスに知れ渡り、自分から何を伝えたでもないのに拒絶された。結果は妥当だと思うが、言いふらしたやつは恨み呪った。
少年バレーをやっていたが、最後の大会前に一度だけ自主練習に顔を出し、足を捻挫。大会には出られなかった。
小学校の修学旅行では、国会議事堂よりも女子のパンツやノーブラのワンピース姿が印象に残っている。
中学の間に、落ちていたエロ本を持ち帰ったり近所の神社に隠したりしていたが、落ちていた女子もののパンツを拾って帰るのはあまりないんじゃなかろうか。
卓球部では、毎年練習相手を総当たり戦の結果で決めており、いい練習相手とやれるはずだったが、その結果を覆された。泣きわめいてゴネたがダメだった。
寮のある学校に入ったが、同部屋の人間にまったく遠慮することなく、室内を乱雑にしていたため、ふつうより早く退寮処分になった。
小説家になりたいと親に言った。否定されたのは今では妥当だと思うが、当時は何もわかってもらえないと思い込んでしまった。
小学校の同級生が、インターンシップ中の飲み会の帰りに死んだ。酔って帰る途中に車にはねられ、朝になってから側溝で見つかったらしい。同じインターンシップ先で、飲み会にも出席していた子は、普段冷静なのが嘘のように取り乱していた。同級生で集まって弔問することになり、中では本人が布団をかけられて寝ていた。本人じゃないような顔をしていた。布団には守り刀が置いてあった。「じゃあな」と別れを告げる男子がいたが、笑いがこみあげてしまいかみ殺すのに苦労した。涙は出なかったし、悲しいというより、悲しむための儀式をしている、という感じだったように思う。もうあいつとは話せないんだなぁ、というようなことは考えていた。力が抜ける感覚だった。
母方の祖母がガンになり、見舞いに行ったときも、祖母は知っている顔をしていなかった。とんでもなく痩せていた。手を握ることもできなかった、怖かった。
祖母が亡くなったときは、火葬に出た。人工関節が焼け残っていたのと、ドクロがわからないようにしてあったのが印象的だった。
しばらくしてお墓参りに行ったが、ついこの間まで生きていた人に供花したり手を合わせるのはよくわからなかった。ただ、お世話になったから供養する、という手順が用意されてるのはいいことだと思った。
父方の祖母がボケてしまい、老人ホームに面会に行った。3回くらい誰なのか聞かれ、一言も発せられなかったが、部屋に帰るというときに手を握ってあげられたのがよかったと思う。
こんなところだが、感想なりつけてもらえるとありがたい。
とても親思いの優しい娘さん。
相手も同じ母子家庭の男性だけど、お母さんを大事にして頑張るお兄ちゃん。
この二人が幸せな家庭を築いてほしいと願って止まない。
私が大学生でアルバイトをしていた飲食店は個人営業の欧州系専門店だったが、
ランチは小さい子供に300円で食事とドリンクバーが付いていた。
ある平日の午後、ランチ客も途絶えた頃に若い母親に連れられた4才の女の子が入ってきた。
母親は金髪もまだらになり、服装や持ち物も質素で疲れた表情をしてた。
女の子も髪が伸び薄汚れたワンピースだったが、とても陽気な子だった。
私は厨房に注文を伝え子供用ドリンクバーのコップを持って行くと
母に教わり女の子はドリンクバーでオレンジジュースを入れ自席に戻り、
母親に「おいしいよママ!いいにおいがするよ」と上気した顔で言って、
私は横のテーブルを片付けに行き見ないようにすると後ろで女の子の嬉しそうな声が聞こえ、
「おかわりしていいの?もっと飲んでもいいのっ!」と言い、
そのあと何度かドリンクバーと自席を行き来してた。
その内女の子のランチが出来、私が席に持って行くと、女の子はキラキラした目で
「ママ、ハンバーグだ!〇ちゃんハンバーグ大好きだよっ!」と嬉しそうに弾む声で言うと、
〇ちゃんは「ママのがまだだよ?」と返事したら母親が「ママはお腹いっぱいだから」と返事したら、
〇ちゃんは下を向いて泣き出した。私はどうしたものか・と思ってた。
そのうち〇ちゃんは「ママ、昨日も食べて無かったよ?」と泣きながら言い、
母親も下を向いて動かなくなった。
「ごめんなさいね~おじちゃん、ママのを忘れてたよw」と言いながら母親の前に置いた。
母親は「すいませんが私は支払えません」と言うと
店長はうちの新規会員カード記入用紙を持って行き「お母さん、これ書いて」と告げ、
母親が記入するとうちの食事券2000円分を差し出し「ありがとうございます!
うちの新規会員様へのプレゼントです!」とか言って母親に渡したら、
そして店長は〇ちゃんの方へ向いていつもの怖い顔でにっこり笑い
「さあ、〇ちゃん、美味しく食べてね!」というと厨房へ帰った。
〇ちゃんは大喜びで母親に「美味しいねっ!ママも一緒のハンバーグだ!」
私は我慢できずに厨房へ行くとシティハンターに出てくる海坊主に似た店長が
涙をぽろぽろ流しながら二人を見てた。
そして食事が終わった後、私が〇ちゃんの相手をしてるうちに店長と母親は話をし、
親子の境遇を聞いていたが、途中から店長は泣き出し、私と店長の奥さんが助けに行った。
母親は孤児で就職先で恋仲になった男性と結婚したが義母から壮絶ないびりを受け、
施設出身者というだけで生まれたばかりの〇ちゃん共々家を追い出された。
必死に働き生きてきたが病魔に襲われ家賃も滞納し強制退去となり、
避難シェルターに行ったがそこでも色んな問題があり行き詰まって・・・という。
店長が19才の時に仕事場でお父さんが無理をし続けた結果脳内出血で倒れ
店長奥さんも人生で苦労されたので、その日のうちに〇ちゃんとお母さんはお店の倉庫で
暮らすことになり、お母さんはお店と他で働き、〇ちゃんは保育園に行くようになった。
店長はすっかりお爺ちゃんになり、ご夫婦共々お元気で、〇ちゃんは二人の孫みたいになってる。
某劇場へ観劇に。休憩時間に劇場内のめちゃくちゃ急な階段で躓いて落ちる。
滑落する、とか転げ落ちる、とかじゃない。落下。2階席だったが、とんだ(?)勢いで1階席へ転がり落ちるかと思ったくらいには落下した。幸い、2階席の一番下の席のあたりに落ちた。
スタッフが二人すっ飛んでくる。一部始終を見ていた他のお客さんが「大丈夫?」「結構落ちましたよ」と口々に言ってくれるが、私は「やべっワンピース破けてないかな、パンツ見えてへんかな」ということを考えていた。肩と肘に激痛があり、ついでに過呼吸のような症状になる。そして若干の吐き気。スタッフに適当な席に座らされ、ちょっとここで休みますといったものの、離席していた元々のお客さんが戻ってくるのでぜえぜえ言いながら自席へ。お手洗いから戻ってきた同行者(夫)が、「息荒いけどどうした?」と聞いてくる。
まあそうなるよね。少し座って休んでりゃ治るだろと思ったが一向落ち着かない。仕方なく席を離れると、心配していたらしいスタッフがすぐに飛んできた。ホールの外の廊下?みたいな場所のソファーに寝かされる。一番は回復されて観劇に戻られることですが、救急車やタクシーも呼べますよ、シップやばんそうこうもご用意できます、と言われ、とりあえずシップをもらい夫に水を買ってきてもらう。
痛みは治まらないが気持ち悪さはなくなってきたので、とりあえず後編観劇終わってから病院いこかな?とか
考えてたが、肩が一切上がらない。病院勤務(放射線技師)の夫は「落ちたとこ見てないし大して腫れてないとは思うけど、病院行っといたほうがいいと思うよ」ド正論。泣く泣く後半をあきらめた。
調べたら歩いていける距離に整形外科があったので徒歩で移動。レントゲンの結果肩の骨(厳密には腕の骨の一番上)が折れていた。嘘やん。
人生初骨折。人生初ギプス(じゃないけどなんか濡らしたら固くなる謎のどでかい包帯みたいなの。後いシーネと呼ぶと知る。取り外せる)
よくよく見たら肘もめちゃくちゃ擦りむいてたし両足も計4か所やばい色のあざが出来ていた。
処置後帰宅し、とりあえず着替えてからだを拭き眠る。薬を飲んでたと言え普通に爆睡した。
夫の勤務先で受診。会う人会う人に「お世話になっております」「こちらこそ普段夫がお世話になっております」とあいさつする。CTの結果、折れているというより砕けていることが判明。撮影自体は別の人だったが、機械に寝せたり説明したりするのは夫で、夫の仕事での一面を垣間見れて面白かった。
受診後即帰宅してコンビニご飯をスプーンでかっくらい在宅勤務を開始。夫も私を家に置いたのち病院へとんぼ返りした。そのまま当直である。
在宅勤務と言っても手を前に出せない(前ならえの姿勢をとれない)のでキーボードが叩けない。打ち合わせ以外はベッドの上に移動し、手の可動域に合わせて足の上にPCを置いて仕事する。ほとんど仕事にならなかった。
暇だったらしい夫から電話があり、夫の同僚からはどう思われてるのだろうと思い聞いてみたら、「トイレ行ってる間に転んで骨折ってたって言ったら「目ぇ話した隙に転んで骨折とか奥さん子どもなの?」って言われた」……うん……ごめん……。
夫が帰ってきたのでようやく風呂に入る。綿の三角巾をしながらシャワー。ほとんど夫に丸洗いしてもらった。
この日は待ち望んでいたアームホルダーが届く。三角巾のせいで首が限界に痛かった。全身体の中で一番痛いの首。腕を折った人、絶対にその日のうちにアームホルダーを買った方がいい。
アームホルダーと一緒に買ったスティックファンデを試す。手で塗り広げるのは無理があった。
この日も在宅勤務する。ワイヤレスキーボードを膝(左手の可動域)に置き、どうにかタイピングする。
終業後夫に頼んでguに行く。パジャマとカップ付きのタンクトップ、それとファンデーション用にスポンジを購入。
左手がこれまでなかったくらい浮腫んで指輪が外せなくなる。やば。肩は固定さえしていれば痛くないが、前かがみになったり肘から下を外側に向けることはできない。痛い。
シーネの下がめちゃくちゃかゆくて対処法をネットで調べたら「ギプスの中に突っ込んでかいかいする棒」ばかりサジェストされ悲しくなった。そうじゃなくてさあ……。
長時間座ってられないのと、仰向けか右向きにしか横になれず、我が家のレイアウト上テレビが見られないので、天井に投影するためにプロジェクターを購入。前から持ってたやっすいスピーカーをつないだら割とホームシアターっぽくなった。骨折以前、プロジェクター購入を勧めても「ええ~いらないよお」と言ってた夫、「もしかして、これ(プロジェクター)とてもいいものなのでは?」「これ、いいねえ……」としきりに言っていた。二コマ落ちすぎんか。
夫に体力を心配され、夕食後に散歩。仕事中は30分以上縦になれないが、結構歩く。
前開きじゃなくても襟ぐり広めの服ならどうにか着られるので、部屋着に買っておいたコットンのTシャツワンピばかり着るようになる。スキンケアのコツをつかんできて、片手でもどうにかできるようになってきた。
シーネの下に巻いてるサポーター(正式名称はストッキネット?というらしい)の代わりにガーゼを巻いたら死ぬほど痒い。肘裏?を掻き壊しかける。
仕事のスケジュールが詰まっていたのでかなり疲れる。なお骨折以降ずっと在宅勤務である。
午前中は初めて一人で洗濯をこなす。ハンガーにかけて干すのはできたがピンチに挟むことはできなかった。
夫が当直。買っておいた冷凍パスタを食べる。包丁と火を使うことを夫に禁じられているのでレンジでチンして食べられるものかカップ麺しか選択肢がない。
夫がいなくて暇なのでやりかけだったFGO2部5.5章の続きをやる。
3度目の診察。今日は肩周辺の専門?の先生?に見てもらう。夫がいないので電車とバスで移動。割とすいていたので問題なく移動できた。待ってる間に5.5章を終わらせる。終盤の勢いに全くついていけなかった。
今年入職したばかりだという夫の後輩にレントゲンを撮ってもらう。初々しくてかわいい。
先生にはシーネが取れるまで2~3か月、ある程度動かせるようになるまで半年、痛みがなくなるまで1年と言われた。なっが……本当は今月洋装前撮りをする予定だったのだが一体いつになるのだろう……。
またこの日は始めてリハビリ科へ。家でもできる簡単なリハビリを教えてもらう。リハビリの担当のお兄さんに「今の肩の状態ですが……あっご職業は?」と聞かれ、「普通の会社員です」と答えたら「ああ、よかった、詳しくないですね」と言われた。ちょっと面白かった。
椅子に登ればピンチに洗濯物も干せることに気づいたが、夫にばれたらめちゃくちゃ怒られそうだな、と思いつつ干す。洗濯物は干せるが皿は洗えない。夫に米炊いといてと頼まれるがお釜が洗えなくて断念する。つらい。
夫が「仕事から帰ってきて買い物して飯作って食べて風呂入らせてこの時間か……子育てってこんな感じかな……」と言い出す
午後から怒涛のノンストップオンライン顔だし打ち合わせで疲れ果てる。
以前よりはひっかかるが指輪が抜けるようになってきた。私が慣れただけなのか浮腫みが収まったのかはわからない。
プロジェクターでアマプラ三昧。前から気になってた「窮鼠はチーズの夢を見る」を夫とみるが夫は途中で寝た。乳首当てゲームで爆笑する。
寝るときは左肩にクッションを入れないと痛かったが、クッションがなくても寝られるようになった。
骨折って以来夕食の準備はすべて夫がやっているのだが、冷蔵庫にあるもので適当に作ることができないので買い物の頻度が激増した。調理の腕は上がっている。
恐れていた月経が来てしまった。お手洗いの度めちゃくちゃ気を使う。トイレ滞在時間が通常時の2倍くらいになった。「骨折った衝撃で止まるかと思った」と言ったら夫に哀れそうな顔をされた。でも周期ちょっと遅れてた。
終業後お夕飯にくら寿司へ。びっくらぽんが二度も当たりチョコとテディのマグネットをゲットする。シロモが欲しい。骨折ってから初めての外食だが、お寿司なら余裕で食べられた。
食べて出てきてまだ明るかったのでいったん家に帰ったのち散歩する。また新たな道を開拓した。
話の流れでドライブすることに。再び帰宅して適当に走る。夜景がきれいそうなところと海沿いとどこ行く?と言われたが「とりあえず適当に走ろうや」と言って適当に走る。海沿いには出たが「わざと波打ち際を歩いて靴をびちゃびちゃにする前科があるから浜辺には下りない」と車を停めてくれなかった。サンダルなのに……
肩はあいかわらず固定さえしていれば大して痛むことはないが、前かがみができるようになってきた。肘から先の可動域も少し広がってきたように思う。
打ち付けた足は、特に強く打ったらしい左のすねと右のふくらはぎがしこりっぽくなってきた。痣はだいぶ薄くなったがふくらはぎはまだ多少痛む。困った。
夫が肉巻きアスパラとオムライスを作ってくれる。確実に腕が上がっている。おいしい。
スマホのリズムゲーを再開してみる。実際はタブレットだけど。割と叩けたが夫に「お前肩どうなってるかわかってんの?」という顔をされる。とりあえず肩に痛みはない。
以前より楽器を習っていたのだが、その先生から腕の調子はどうかと電話がある。ぜんぜんまだ治りそうにないが、様子を見て来月あたりから片手だけでやれれば……と伝える。学生の時にやっていた楽器で、この春からようやく教室に再び習いに行き始めたばかりだったのでつらい。
夫に頼んでユニクロの限定Tシャツを買ってきてもらう。ついでに頼んでなかったクッションも買ってきてくれて大喜びしてたら「これが仕事遅くなって罪滅ぼしにプレゼントを買ってくる父親の気持ちか……」と言っていた。
朝、玄関に置くシューズラックが届き、ほとんど右手だけで組み立てる。やればできんじゃん。左腕の可動域が広がってきたことを感じるが調子に乗ると痛む。掃除機をかけて床を噴き上げ、トイレ掃除もこなした。
シューズラックと一緒にベッドに寝たまま使えるスマホスタンドが届く。快適すぎるだろ。腕折ってなくても便利すぎる。Youtubeを流し見ていたがこのままでは廃人になると思い、午後から近所のスーパーまで歩く。少し買い物をして帰宅。あとは一日某スマホゲーのメインシナリオを読んで(聞いて?)いた。
夫が帰ってくるなり丸洗いしてもらう。2日風呂入ってなかった。骨折ってから初めて湯船に浸かる。風呂に入るってこんな気持ちよかったんだな……。極力夫の手を借りずにできるところまで右手だけでやってみたが、右手の疲労感が半端なかった。
午後から大きめの商業施設へ買い物へ。久々にしっかり化粧する。骨折ったときしばらくコンタクトはお預けと思っていたが、思いのほか片手で入れられた。
夕飯は焼肉へ行く。正直自分でも焼けるが、夫が全部焼いてくれたのをありがたくいただいた。おいしい。
帰ってもう一度風呂に入る。
骨を折ってから初めての出勤。電車がまあまあ混んでいる。一縷の望みをかけて優先席の近くに立ってみたが空いてなかった。まあ立ったままでも問題ないっちゃそうなのでそのまま立つ。乗り換え後は空いてたので念のため座った。
エレベーターで会った別フロアにいる先輩に「腕大丈夫?階段から落ちたって?」と言われ、「えっ階段から落ちたことまでもうまわってるんですか……」と聞いたら「うん。誰に聞いたっけ、増田さんの部署の人じゃなかった気がする」と返され朝からしんどい気持ちになる。
・化粧
・コンタクトを入れる
・手を洗う
→このご時世致命的だな、と思っていたが、家の洗面所でならかろうじて洗えるようになった
→膝に置いてやればできる
・お風呂に入る(一部)
・爪を切る
→厳密にはやすりで削ってる。足は出来なさそうな気がする
・髪を結ぶ、髪を乾かす、寝ぐせをなおす
→髪に関することは本当に何もできない。切ろうかと思ったが前撮りのことを考えると難しい……
・右腕を洗う
→右腕に日焼け止めを塗る、右腕を拭く、もできない
・ピアス
→フックならまだしも一つ石タイプ?というかキャッチがあるタイプは難しい。耳に通すまではできるがキャッチがつけられない
・アルコールをシュッてやる
→自動タイプとか足でやるタイプ超ありがたい。自分で押すタイプは高さによっては無理
・眉毛を整える
→これは今度アイラッシュサロンでアイブロウワックスやってもらう予定
・プラグをさす
→例えばノートPCの左側にある電源プラグをさす、とか。右手でどうにかやるけどすっごいやりにくい。
・コンタクトを洗う
→できなくないが難易度が高い。もうこすり洗いしないで保存液入れてる。1dayとかがいいのかも。
・アームホルダー
→三角巾替わりの。これないと死ぬ。無理。三角巾の場合は首の後ろにタオルを挟むとちょっと楽になる
・トナーパッド、クレンジングシート
→本当にあってよかった、洗顔替わりにもなる。クレンジングシートはビフェスタのが使いやすいしよく落ちる。
・ムヒ
→最強
→夫に火と包丁を使うことを禁じられているので、在宅勤務の昼食はだいたいこれ。紙皿ごとチンするので、皿に移し替えなくていいし(というか多分できない)、洗い物もないのでかなり助かってる。あと純粋にうまい。
自殺未遂をした。
その日は仮眠をとって頭がスッキリして、そこそこ元気だった。
しかし、信じていた人からSNSを全部切られたことに気づき、「あの人との繋がりがない。未来がもうない。全部疲れた。」みたいな感情になった。
睡眠薬を飲み、眠くなった段階でありったけの薬を飲み、嘔吐する前に寝落ちすることで確実さを狙った。
薬を飲み干した後は、「あとはもう死ぬだけ」と清々しさえあった。
気分よくシャワーを浴びて、そこそこ気に入ってるワンピースへ着替えた。
あとは、猛烈な眠気がくるまで猫たちと遊んだ。申し訳ないけど、本当に心が安らかで幸せさえ感じる時間だった。
布団をいつもより整えて、ベッドに入って眠った。
運悪くも良くも、自殺が思ったより早く見つかってしまい、緊急病棟へ搬送されたらしい。
というのは、その3日間くらいの記憶が驚くほどなかった。
意識不明になり、そこから目覚めて会話も出来ていたらしいが、全く思い出せない。
そして、生きたくもないのに無理やり治療され、望んでいないのに入院させられ、
感謝するべきと頭ではわかってるものの、周囲を恨みながら眠るだけの日々を過ごした。
退院後、自宅にもどって食事をしようとして、箸がうまく使えないことに気がついた。
昨今では自称サバサバ系女子(笑)のマウント常套句らしい。でも私はこの言葉を本当に沢山言われてきて本気でどうしたらいいのかわからなくなってる。
私には友達がちゃんといるし、男友達も割といる。友達を作って友達としての付き合うコミュニケーションは結構得意な自信があった。
でも何にせよマジで彼氏ができない。いいなと思った人と仲良くなろうとすると、「増田は異性って感じがしなくて楽!」と言われて撃沈することがかなりある。そのおかげで22になったけど彼氏いない歴=年齢になってしまった。
外見が男っぽいとかではない。メイクするの好きだし、服もスカートとかワンピースとかいわゆる女の子っぽいものが好きだ。清潔感があるよう常に気をつかっている。
今まではそんな感じでも、「まあ、それが私だから仕方ない!」とか思えていた。
だけど、ふと社会人になった時の自分を想像した。社会人になった時に出会える気がしない。
結婚はしたい。子供も欲しい。だけど、相手がいないまま将来1人になるんじゃないかと不安になってしまっている。
この歳になってまで処女なのも割とキツい。万が一彼氏出来たらそっちでも悩みそう。
とりあえず好きな人が欲しい。
製作委員会とは、アニメ制作会社以外の企業が、アニメの制作費用を出資する仕組みである。アニメが売れた場合は、その利益の一部は出資した企業に還元される。
一部のアニメオタクは、「製作委員会の中抜きにより、利益がアニメーター等に還元されない」と言って、製作委員会を批判している。しかし、この意見は全く見当違いである。
そもそも、ほとんどのアニメは売れないのである。売れているのはワンピースとか鬼滅の刃とかだけで、アニメオタクが好むような深夜アニメなんか全く売れていない。だから、製作委員会のような仕組みがなければ、アニメ会社はたちまち潰れてしまう。これに関しては、これ以上議論する価値は無いと思う。
ここで問題にしたいのは、「なぜアニメオタクは製作委員会を批判するのか」ということだ。
要するに、小さい頃から勉強もスポーツもできなかった陰キャラが、インターネットで聞き齧った知識で「評論家」になれる話題が、たまたま製作委員会批判だったのである。
製作委員会を批判していれば、あたかも難しいこと・他人が知らないことを論じているような気になれるため、承認欲求が満たされるのである。
ワイもワンピースはマシな部類だと思う
ブスのひがみにしか見えない
■苦手な女
だけど仕事が多くて忙しい職場で動作は遅いし「それわざわざ仕事に着てくる?」ってワンピース着てくるから見ていてイライラする。
挙げ句の果てに、誰も座ってないデスクなのに椅子に座らないで前屈みでケツ突き出したままパソコンいじってたの見たときは絶句。
だけど仕事が多くて忙しい職場で動作は遅いし「それわざわざ仕事に着てくる?」ってワンピース着てくるから見ていてイライラする。
挙げ句の果てに、誰も座ってないデスクなのに椅子に座らないで前屈みでケツ突き出したままパソコンいじってたの見たときは絶句。
ある日の暮方の事である。一人の少年が、原宿駅の跡地で雨やみを待っていた。朽ちた柱に蔦の絡みついた、いまにも崩れ落ちそうな原宿駅跡地は、その昔、若人が大勢集う、たいそう賑やかな駅であったという。かつてこの地は「原宿」と呼ばれており、商いで栄えていたそうな。今は広大な荒れ地が広がり、かつての栄華は見る影もない。少年は荒野の真ん中でただ一人きりであった。ただ、所々地面から、かつてのビル群の瓦礫が顔を出している。少年は雨が止むまで、その瓦礫を見詰めて暇を潰すことにした。あれは、セシルマクビー、ピンクラテ、そして…Q-pot CAFE。少年は歴史がたいそう得意であった。
何故原宿がここまで荒れ果てたかと云うと、七十年ほど前、東京には、疫病とか五輪とか不況とか云う災がつづいて起った。そこで人々は住まいをこぞって京都に移し、それに続いて都も移された。およそ二百五十年ぶりの遷都であった。人の消えた東京のさびれ方は一通りではない。荒れ果てたのをよい事にして、狐狸が棲む。盗人が棲む。半グレがでかい顔をする。バニラの業者が日夜騒ぎ立てる。とうとうしまいには、行く当てのないジャニオタたちが夜ごとに集って、オフ会をしているという噂さえ立った。そこで、日の目が見えなくなると、誰でも気味を悪るがって、この近所へは足ぶみをしない事になってしまったのである。そうして七十年の時が経ち、いつしか「原宿」というと、平成・令和時代の亡霊が往来する呪われた場所としてひろく知られるようになったのだ。
少年も、ほかの大ぜいの若人と同じように、危ないので原宿には決して近づかぬよう、両親に硬く命じられていた。しかし、少年には原宿に来なければならぬ断固とした理由があった。病床に付している、かつて量産型女子であった少年の祖母が、「冥途の土産にAnk Rougeが着たい」と所望したのである。少年は、祖母が好きであった。特に、祖母のつけるジルスチュアートの香水の香りにつつまれて眠ることが大好きであった。その祖母が、いまはシンプルなアースカラーの入院着に身を包み、力なく微笑んでいる。入院着は、無印良品であった。少年は大好きな祖母のため、アンクルージュの服を見つけてくることを決意し、家をそっと抜け出してきたのだ。しかし、七十年も前の服を探し出すことは、とてつもなく困難であった。旧東京二十三区内を隅々まで探しても見当たらない。それもそのはず、量産型女子はとうの昔に、国の絶滅危惧種に指定されていたのだ。少年の祖母は、その数少ない生き残りであった。
歩き疲れた少年は、とうとう、禁じられていた原宿に足を踏み入れた。暗く、恐ろしい場所であった。荒野の真ん中にぽつねんと佇む原宿駅跡地には、多くの人の怨念が染みついているかのように思えた。少年は時計のある屋根の下に腰掛け、雨が止むのをぼんやりと待っていた。頭上には、どこからか集まってきた鴉が輪を描いて飛んでいた。
どうにもならない事を、どうにかするためには、手段を選んでいる暇はない。選んでいれば、大好きな祖母は悲しみのうちに死んでしまうばかりである。尤も、痴呆の入っている祖母は、たとい思い通りの恰好ができたとしても、何もわからず粗相をして汚すだけかもしれない。しかし、心持の優しい少年は、祖母のエンディングノートに書かれていたことはなるべく叶えてあげたいと思っていた。手段を選ばないとすれば―少年は、そのあとに来るべき言葉の余りの恐ろしさに小さく震えた。「盗人になるよりほかに仕方がない」などというおぞましい考えが一瞬でも頭をよぎったことが、信じられなかった。しかし、一度心に生まれたその思想は、少年の心にずっしりと居座り、どうにも振り払うことが出来ずにいた。
それから、何分かの後である。マツモトキヨシ原宿駅表参道口店跡の辺りをうろつく人影が見えた。少年は、こんな場所にも人がいたのかと大そう驚いた。夕闇によく目を凝らしてみると、どうやらひとりの老婆が何かを探しているようなのである。この雨の夕方に原宿をうろついている人間は、ただ者ではない。少年は両親の忠告を思い出し、身震いをした。しかし、老婆が何かてがかりを知っているかもしれぬ。少年は立ち上がると、小雨の降りしきる中、恐る恐る、老婆に声をかけに行った。
「おばあさん、すみません」
老婆はゆっくりと振り向いた。少年は、振り返った老婆の姿を見て、その余りの恐ろしさに、顔をしかめた。桑色のシャツを着た、背の低い、痩せた、白髪頭の老婆である。右の手に黄色のビニール袋を持ち、左の手に、大きな紙袋を持っていた。紙袋には、けばけばしい装飾が施されている。見るとそれは、山田涼介のイッピ袋であった。
ジャニオタだ。少年は歴史の資料集で良く学んでおり、ジャニオタを知っていた。日本史の安藤先生がいうところによると、ジャニオタは四十年ほど前に最後の一人が観測されて以来、日本から姿を消したという。まさかジャニオタに、生き残りがいたとは。少年は、大そう驚いた。
「なんだい…」
老婆は唸るように呟いた。地の底から響くような、恐ろしい声であった。少年は勇気を振り絞り、老婆に尋ねた。
「お忙しいところすみません、すこしお聞きしたいことがあるのですが。」
「他を当たっとくれ。私は急いでいるんだ。」
「違います。探し物をしておりまして。
ところでお婆さん、そんなに急いでどこに行かれるのです。」
「ライブ参戦前にジャニショに行くのさ…ケンティーのオフショを買いにね…」
そういうと老婆は、うつろな瞳で前方をじっと見た。そこには荒野が広がるばかりであった。それを見た少年は、腹の底から寒気が上がってくるのを感じた。ジャニショ。それはかつてこの地にあった多神教の神殿であったと聞く。かつては多くの信者が通い詰めたその神殿は、しかし、原宿から渋谷へと拠点を移し、遷都とともに東京からもなくなってしまったと聞いている。全て七十年前の出来事だ。今となっては跡形もない。この老婆は、いまでもジャニショの存在を信じ、この場所をうろついている。うわさに聞くジャニオタの亡霊だろうか。少年の身体は恐怖に震えた。
「おや…お前は」
何かに気が付いた老婆は、少年の顔をじつと見詰めた。その濁ったうつろな瞳には、真っ黒なカラコンが不自然に張り付いていた。少年は後ずさりをした。
ええ、もっとよく顔をみせておくれ」
そう叫び声をあげると老婆は、少年の顔をつかもうとした。少年はきゃあと叫び、踵を返して逃げようとした。しかし恐怖からか足がもつれ、少年の体は地面に叩きつけられた。何とかもんどりうって逃げようとする少年に、老婆が覆いかぶさる。
老婆はうわ言のように呟きながら、少年の腕や顔をベタベタと触った。少年の恐怖心は、次第に、老婆に対するはげしい憎悪に変わっていった。二人は荒野の中で、しばらく、つかみ合った。しかし勝敗は、はじめからわかっている。少年はとうとう、老婆の腕をつかんで、無理にそこへねじ倒した。老婆は細い体を大きく震わせ、肩で息を切りながら、ぴえんと泣き叫んだ。
「ファンに、ファンにそんなことをしていいと思っているのか。」
少年は老婆を見下ろし、吐き捨てるように言った。心のうちで、老婆に対する憎悪と侮蔑が、大きく燃え上がっていた。そうして、あることに気が付いた。老婆の纏っている布切れである。すっかり薄汚れていて気が付かなかったが、これはいつか歴史の資料集で見た、アンクルージュのフリルカラーチェックワンピースではないか。チェックの模様に、けばけばしいフリル。そうに違いない。それを見ると、少年の心にあるひとつの勇気が生まれた。それは、老婆に出会う前は決して存在しえなかった勇気であった。
「ファンにこんなことをして、貴様、アイドルとしての自覚が足りぬわ。」
「言いたいことは、それだけか」
老婆の話が終わると、少年は嘲るような声で念を押した。そうして、老婆の襟上をつかみながら、噛みつくようにこう云った。
「こんなことをする者は、ファンではない」
老婆はそれを聞くと、目をかっと見開き、呻き始めた。少年は、すばやく、老婆の着物を剥ぎとった。それから、足にしがみつこうとする老婆を、手荒く瓦礫の上へ蹴倒した。かわいそうな老婆の周りには、胸元に大事に仕舞われていたしわくちゃの青い振込用紙がはらはらと散らばった。少年はそれを一瞥すると、薄汚れたワンピースをわきにかかえ、またたく間に原宿の闇に駆けていった。
しかし、嗚呼、何と残酷なことだろう。老婆からはぎ取ったワンピがアンクルージュではなくミオレミューだということを、少年は知る由もない。
その後、原宿にうろつく亡霊の噂は、はたと途絶えたという。