はてなキーワード: ケンカとは
いや、もちろん人として好きだと思って付き合ってますし、それにケンカした後いつもこうって言う訳じゃないんですよ。
それだけにちょっとショックで。2年っていう月日がそうさせたのかな。。。
彼女の仕事終わりにデートしようと言われ車で向かい仕事場の近くで待った。
時間通り着いたものの彼女の仕事が中々終わらず3時間待たされた。
帰ろうかなとも思ったが家まで1時間というのが引っかかった。
そして昼過ぎの予定が外が真っ暗になった時にやっと仕事が終わった。
日曜日夕方のまる子サザエさんタイムは毎回切ないが、今回は車の中に居ただけだったのでより一層切なかった。
「ごめんねー!あれれー?怒ってるのー!?」
でも冷静に冷静に〜〜。
通常彼女の仕事は終わりの時間がわかりやすい。ある程度予想ができる職種なのだ。
なのでなんで遅くなったのかを聞いてみた。
すると、今回は終了時刻の指定は無かったが14時頃に終わりそうという"彼女の予想"だった。
それは完全に君が悪いでしょ、確証がある時に誘ってよ。
と指摘したらあろうことか逆ギレしてきた。
家に帰ってスマホをいじっていると普段そんなに使っていないtwitterで彼女は呟きまくっていた。
でもそれは僕に対しての怒りとか反省を表す内容ではなかった。
要約するとこんな感じ。
そして朝方まで飲んでたらしい。
なんで神経を逆なでするような事を遠回しにするんだろう?
ケンカしたことを後悔させるように仕向けているのかな?
全国のカップルに聞きたい。こんなもんですか?
付き合って2年、結婚も意識する歳だし結婚するなら彼女しかいないくらいに思ってた。
でもここまで思考回路がガキっぽいと、子供が出来たり家庭を築こうという時に何かしら支障が出ると思う。
怒りを通り越して悲しい。
小さなケンカのはずが、結婚の意思すらも揺るがす事態になるとは思わなかった。
ほんとめんどくせぇ。
この前友達と飲んでて思ったんだけど、
別れた恋人と定期的に連絡を取ってる人、いるじゃない。
あれ、すごいよね。どうやってるんだろう。一緒にお酒飲んだりしてるの。
経験上、メールすら無理なんだよね。別れるときはほぼ確実にケンカ別れだから、
関係がもう完全に修復不能。仗助でも、無理。
そもそも、冷静に話し合った、とか、円満に別れた、とか、その時点ですごい。
なんでも、世の中には、
「友達でいようね」みたいな感じでさっぱり別れる人が結構、いるみたい。
「きれいな別れ方してるだろ。終わってるんだぜ」みたいな人。
中には別れた後でまたくっついて、また穏やかに別れて、
それでまた付き合って、最後に結婚、みたいな人もいるじゃない。
すごいよね。どんなバグ技を使ってるんだろう。
そもそも恋愛って、理性的な行動の対極にあるものだと思ってて、
ちょっと仕事に待ち時間が出来て、昔のことをぼんやり思い出したので書いておく。
バイト先の別高校の男の子と付き合ってたAちゃん(唯一のモテ?彼氏持ち)
NちゃんとAちゃんが特に仲良しで、二人とも勉強も運動もそこそこ
私とF子は勉強も運動もサッパリだったけど、オタク気質で話が合った。
私は部活の仲間ともよくツルんでた。でも一番長い時間を一緒に過ごしたのは同じクラスのこのグループ。
でも周りから浮かないように適度にギャルギャルしく、ラルフのカーディガンと、
まだ大人しかったルーズソックス(ようやく90cmとかが出てきた頃だった)を履いて
スカートは校則では膝丈だったけど、3回折り曲げて短くしてた。
化粧はしないけど、身だしなみはそこそこ整えて。
就職組のF子と、進学組のその他3人。
頭が一番良かったAちゃんは、絶対に大学に行くんだろうなって思ってた。
ケンカの愚痴とか聞きつつも、離れたりくっついたりしてる当時の彼氏と結婚するんだろうなって思ってた。
Nちゃんが、他県の大学に推薦で受かって、私は地元の大学に進学することが決まって
F子は無事に就職が決まって、Aちゃんは…一番頭が良かったはずのAちゃんは
専門学校に進学した。
大学に入学したら、みんなバラバラの人間関係になってしまって、
特に連絡を取り合う事もしなかった。
1回だけ成人式のあとに同窓会があったけど、その時私は部活のメンバーとばっかり話してて
F子ともNちゃんともAちゃんとも会わなかった。
バッタリAちゃんと会った。
「あー!」
って声をあげて、懐かしいね!って。
「結婚したんだね!」
なんて話をした。
Aちゃんの旦那さんは、坊主頭でイカツイ感じで、明らかに高校のときの男の子とは別人だった。
「職場結婚だよー」
Aちゃんは言ってた。
AちゃんからNちゃんは他県に住み着いてて、連絡取ってなくて
F子も今何してるかわかんないやーって話を聞いた。
(私はコウモリみたいにAちゃんとNちゃんからのお互いの愚痴を聞いてて
心の底ではお互いがお互いを見下してて、仲悪いっていうのを知ってたから
卒業後、連絡とらなくなるだろうなーっていうのは予想してた)
その場でAちゃんとは別れた。
連絡先の交換もせずに。
私達の友情なんてそんなもの。
その後、ふと思い出した。
Aちゃん、高校のとき、いっつも左の鼻の穴からハナクソと鼻毛出てたなーって。
指摘したら絶対怒って(Aちゃんは若干ヒステリーで怖い)無視されるから
1回も指摘できなかった。
F子と「今日も出てるね…」「言ってあげたほうがいいよね…」「怖いよね」「私達、何も見なかったよね…」みたいな。
もしかしてモテる秘訣は頭良くても鼻毛出してるあたしおっちょこちょいテヘペロ★みたいなキャラ?!
Aちゃんは鼻くそと鼻毛出てても彼氏が居て、結婚も出来たのに、私ってば…!
人生ってままならない。
結婚の予定も相手もいないけど
私も強く生きてこ!
妊娠前は深夜帰宅のそこそこ激務なIT系ブラック企業に務めていて
学生時代にはスポーツをしていたから、心身の健康にはまあまあ自信があった。
私は健康優良妊婦だった。つわりは人並みにあったものの、血液検査の結果も尿検査の結果も毎回良好、血圧も正常。
陣痛は、予定日を3日過ぎた日の夜中にはじまった。
陣痛は、私のちんけな想像をはるかに凌ぐ、ものすごい激痛だった。
痛みの感じ方には個人差があるというが、私にとっては鋭いナイフで下腹部をえぐられているかのような痛みだった。
はじめは軽い腹痛みないなものなのだが、時間経過とともにどんどん痛みが増してくる。
脂汗が全身から吹き出し、痛さからなんとか逃れようと、体が勝手にのたうちまわる。
陣痛のピーク時には、あまりの痛みに気絶し、また痛みで覚醒する、というのが数十秒〜数分ごとに数時間続く。
本当に地獄だった。
見ていた実母が言うには、私は白目をむいていたらしい。
あとから見たら自分の腕が傷だらけだった。こぶしを握っていた手のひらからは、血が滲んでいた。
永遠に続くかと思われた陣痛を超えて、分娩台に移動し、死ぬ思いで我が子を産み落とした。
でも想像してほしい。8時間もの間、一昼夜を越して不眠不休だ。
食べ物は一切口にせず、激痛に体をこわばらせ、死に物狂いでお腹から3キロの塊を出すのだ。
産んだあとは骨という骨がきしみ、体中が鉛のように重く、分娩台から上半身を起こすことさえできなかった。
どこにも力が入らないのだ。
助産師の手を借りて体を起こすと、頭がふらふらとする。
自力ではとても歩けなかったので、分娩台から長い時間をかけて車椅子に乗せてもらった。
その後、入院する部屋のベッドに寝るまでの間、トイレで二度倒れた。
猛烈に体が疲れていた。こんなに疲れたのは生まれて初めてだと思う。指一本だって動かすのがおっくうだ。
体中が汗と血でベトベト、身をよじりまくっていたおかげで、髪の毛は鳥の巣のようだった。
股間は麻酔が効いていたが、鈍い痛みが続いていて、姿勢をかえることすら一苦労だった。
前日から何も食べてないし一睡もしてないし、とにかく疲れきっていて、ゆっくり寝たかった。
だけど、産んだ直後から、母子同室で3時間おきの授乳が始まった。
分娩台で1時間休んだあとは、すぐ個室で赤ちゃんと二人きりにされた。
ゆっくり寝ることも体を休めることもできないまま、ハードな育児の始まりだ。
こんなにボロボロに疲れているのに、すぐとなりに、かよわく、自分で首一つ動かせることもできない赤ちゃんがいる。
「私はゆっくり休んではいけないんだ」という暗い事実は、くたくたの私にとって絶望だった。
この体中の疲労に身を任せた瞬間、赤ちゃんに何かがあったら。この子の命は、この精魂尽き果てた自分次第なんだ。
体中の疲労とともに、ヒリヒリするような緊張感と責任感が重くのしかかった。
産んですぐに母乳がでるお母さんは、実は少ない。
赤ちゃんに吸われることで、それが刺激となって脳内ホルモンが乳房に働きかけ、母乳が出るようになるという。
だから、でなくてもとにかく3時間おきに赤ちゃんに乳首をくわえさせなくてはいけない。
でも、産まれてすぐの赤ちゃんは吸いつく力も弱く、「吸う」こと自体がとても下手くそだ。
赤ちゃんの位置、乳首との高さの調整、手の置所、クッションや座布団をいくつも使って、位置を調整しながら、汗だくで吸わせる。
まごまごしながら右の乳首をどうにかくわえさせる。吸い付いたと思うとすぐに口から外れてしまう。またくわえさせる。また外れる。
そのうち疲れて赤ちゃんが寝るので、起こす。
今度は左右逆のおっぱいだ。
左を吸わせて、おしめを替えて…これでもう一時間だ。
体中が悲鳴をあげていて、眠たくて眠たくて頭が割れそうに痛くて、貧血でふらふらするのに、寝る時間は二時間しかない。
横になる。
すぐには寝付けない。
三十分ほどでようやく眠りにおちる。これで一時間半。
さあ、もう一時間半たった。睡眠時間一時間半で、赤ちゃんが泣く時間だ。
これが朝まで繰り返された。
初日の夜を超えた時点で私の疲労はマックスをとっくに超えてた。
授乳の合間の2時間以下の細切れ睡眠しかとっていないまま、迎えた朝。
翌朝は6時に検温があり、9時に朝食があり、合間に授乳をする。
何をするにも体中が痛くて、だるくて、眠くてたまらず、すごく時間がかかる。
12時にお昼があり、見舞いにきた実母に子を見てもらってる間に急いでシャワーを浴びて歯を磨く。また授乳。
たまった洗濯物をランドリーで洗う。戻ると検診がある。担当の看護師が交代したとかで挨拶がある。また授乳。
赤ちゃんの顔を見に見舞い客がある。相手をする。帰る。洗濯物をとりに行く。
また授乳。
昼はまとめて寝るどころか、横になる時間もろくにとれない。
ねむい、ねむい、ねむい、ねむい…
横になりたい。ゆっくり、ぐっすり寝たい。お願いだから起こさないで。辛い。辛い。辛い。
横になれない。眠れないし休めない。
昼間はろくに眠れない。寝れなかったことに猛烈に焦る。そしてまた夜が来る。
深夜の授乳は鉛のように体が重い。
赤ちゃんは相変わらず上手に吸えないのに、乳首がめちゃめちゃ痛くなってくる。
例えるなら、尖った爪で皮膚をおもいっきりつねられているような痛み。
乳首が切れて血が出てくる。
それなのにそこを吸わせなくちゃいけない。
傷口に鋭い爪がたてられるよう。
授乳のたびに歯を食いしばって、息をのむ。叫びだしそうな痛さに耐える。
出がよくないからマッサージもされる。これがまたすごくすごく痛い。
赤ちゃんがゴクゴク、と美味しそうにおっぱいを飲んでるのが見える。
幸せそうに微笑んでそれを眺めているお母さん。
我が子はおっぱいを一滴も飲めず2日目。産まれてからまだ何一つ口にしていない。
何も飲まなくても3日は胎内にいたときの栄養が残っているから大丈夫だという。
でも、赤ちゃんは日々痩せてる。お腹がすいて泣いてる。まだ産まれてたった2日しかたってないのに、飢えて泣いてる。
大人だって2日くらい食べなくたって死なないけど、すごく辛いよね。
こんな小さな我が子が空腹に耐えてると思うと、切なくて切なくてたまらない。
隣の子はお腹いっぱいで満足して寝てるのに、私の子は空腹に泣き疲れて眠ってる。辛い。眠い。
体中がふらふらして頭がぼーっとする。見舞いに来た夫や実母にひどい態度をとって、ケンカをしてしまった。
看護師が心配して「何か悩み事があったら相談してくださいね」と言う。
「ただ寝たいんです。」
と言いたかった。でも他にもたくさんのお母さんが寝ずに赤ちゃんを見ていて、そんな情けないことどうして言えるだろう。
哺乳瓶でおそるおそるあげると、手をグーにして、目を大きく見開いて、必死に飲んでる。
飲んでる姿を見て涙がとまらない。
飢えさせてごめんねという気持ち。やっとお腹を満たしてあげられるという満足感。
おっぱいが出ない敗北感と屈辱と疲労と、いろんな気持ちがないまぜになる。
4日め、私はもうボロボロだった。見舞いにきた妹に顔を見て絶句された。
赤ちゃんにはミルクを与えることになったものの、母乳への刺激をなくしてはおっぱいが出なくなってしまうため、
つまりは今までのおっぱいとの格闘に、ミルク作りがプラスされて、授乳にもっと時間がかかるようになったのだ。
その分削られるのは眠る時間。ただでさえ1時間半しか眠れないのに、もっともっと眠れなくなる。
でもふらふらで、眠さとだるさは蓄積されて楽になるどころか、いっそう辛くなる一方だった。
とにかく体がしんどくて、ほとんど何も考えられなくなっていた。拷問みたい。
ただひとつ、「ねむい」という欲求だけが、こびりついて離れない。
鏡の中の自分は、真っ青で目の下にくっきりクマができて、10は老けたように見えた。
何もしてないのに、涙が出てとまらない。赤ちゃんがなんだか恐ろしい。かわいいのに、愛しいのに、何より恐ろしくてたまらない。
だって、まだたったの4日め。長く長くいつ続くともしれない育児の、たった4日めなのだ。
このしんどい日々が延々とこれから続く。こんなに疲れてるのに、ぐっすり眠ることの許されない日々が待ってる。
5日め。私は退院を迎え、自宅に戻った。
産後は実家で1ヶ月お世話になったが、こんな調子が2週間続いた。
むしろ、病院では哺乳瓶を洗ったり消毒したりするのは病院がやってくれたから、その分の仕事が増えてますます眠れなくなった。
赤ちゃんが泣く→起きてミルクの支度をする→ミルクを人肌に冷ます間におっぱいを吸わせる→
搾乳した母乳を与える→ミルクを与える→げっぷをさせる→寝かしつける→
たとえば寝かしつけに手こずったり、オムツからウンチが漏れて着替えさせたりなど
何かアクシデントが発生すれば、眠れずに次の授乳時間になることも珍しくなかった。
日に日に、赤ちゃんを見ても可愛いより何より、ただただ、怖い気持ちが蓄積されていく。
赤ちゃんが怖いのに、離れるのはもっと怖い。何かあったらどうしよう。
30分の睡眠は、いつも悪夢を見た。赤ちゃんを落とす夢、踏んでしまう夢、誰かに連れて行かれる夢。
今思うと完全な鬱状態だった。
生まれてから14日めの夕方。
赤ちゃんと二人きりになるのが恐ろしいと、実母の前で号泣した。
陣痛のあの夜から2時間以上眠っていないこと、眠くて眠くてたまらないこと、
夜になるとまた今晩も眠れないと思って焦りと不安で動悸がしてくること、
こんなに体中がふらふらなのに赤ちゃんに何かあったらどうしようかと想像すると恐ろしいこと、
かわいいより赤ちゃんがとてもとても怖い存在に思えること・・・・
泣いて訴えながら、睡眠不足がつらくて赤ちゃんが怖いなんて、自分は母親失格だと思った。
世間のお母さんがみんなできていることができないなんて。
母親なのに、情けなくて仕方がなかった。
その夜は両親が赤ちゃんを一晩みてくれ、私にゆっくり休むよう言ってくれた。
15日目の朝は、驚くほど気持ちが落ち着いていた。
その後の日々は、私の両親はもちろん、夫も毎晩仕事帰りに車を飛ばして会いにきてくれ、手伝ってくれた。
それから、母乳マッサージに通った結果、母乳が十分量出るようになって、
ミルクをあげなくてよくなったため、深夜に哺乳瓶を洗ったり、消毒したりということから開放された。
三ヶ月たった今でも、産後からの2週間のことを思い出すと、絶望感でいっぱいになる。
あのころ本当にただただ寝たくて、寝たくて、
それなのに「もしこの子に何かあったら」ときう緊張感で常に気が張っていて、目を離すのが恐ろしくてたまらなかった。
そのうち、「もしこの子に何かあったら」「病院に入院することになれば」
「そしたら眠れるな…」と考えたことがあって、ゾッとした。
もちろん、あくまでこれは個人的な体験だ。
でも、多かれ少なかれ多くのお母さんに共感できる部分も多いはずだと思う。
もし里帰りしなかったらどうなっていたことか。
私の出産は初産の平均時間12時間より短かったけれど、精も根も尽き果てた状態で育児がスタートしたのがよくなかったと思う。
病院によっては、出産したその日はナースステーションで赤ちゃんを預かってくれるそうだ。
私も、出産後1日でいいからゆっくり眠れていたら、その後に2週間は違ったものになっていただろう。
今は、子はあやすとニコニコ笑って、母乳も順調だ。夜は相変わらず3時間で起きるけど、体が慣れた。
やっと我が子がかわいく、愛おしく見える。
でも、我が子がとても恐ろしく見えた産後2週間のことが忘れられない。
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事の発端は大宮駅でのある出来事。
ドアが締まる直前に乗ってきた二人。ひとりは典型的サラリーマン、40代後半。
もうひとりはビームスあたりのセレクトショップで働いてそうなシュッとした若者、20代後半。
サラリーマンが既に95%くらいのスペースに先に乗り込み、
98%となった状態で若者が乗ってきた。
その時に軽く足がぶつかっただか、蹴っただかで、
「足当たってんだけど」
「なんで蹴ってんだよ」
若者は「あ、すいません」と軽いながらもそこそこ誠実な対応を見せたものの、
そのイチャモンは止むことがなく、徐々にヒートアップするサラリーマン。
大宮駅出発からの10分間、極めて険悪なムードのまま湘南新宿ラインは走行を続け、
そして、ドアが開く直前、
サ「お前ちょっと外でろよ」
若「おう、やってやるよ」
というわけでドア開放とともにストリート(ホーム?)ファイトスタート。
あっという間に先制点を奪うも、サラリーマンも当然それで終わる(終われる)わけもなく、
面倒なサラリーマンも、血気盛んな若者もいない。これでいつもどおりの通勤だ、と。
「ドアがしまりまーす」
観客の誰もが想像していなかったことが起きる。
サラリーマンと若者が、取っ組み合いをしたまま元乗っていたドアに向かってきたのだ。
そして、肩で息をしながらも、ふたりはギリギリで乗り込んでしまった。
車内の雰囲気が一変する。
(「え、取っ組み合いのケンカってそういうタイミングで終わるの?」)
(「そうか、会社に遅刻したくないっていうかできないから乗ったのね……。」)
(「ちっちぇ~……。」「っていうか日本人……。」)
ともあれ、全員が心のなかで「乗るんかい!」ってツッコんだと思う。
そして物語は第2章へと進んでいく……。
取っ組み合いのまま乗車したわけで、当然また言い争いは続く。
そして、本当の衝撃は、このあとに訪れた。
サ「お前ふざけんなよ頭打って血出てるじゃねえかよどうしてくれんだよ」
若「え……?」
血はひとつも出ていない。
サ「すりむいて血が出てんだよどうしてくれんだよ」
サ「会社行ってもどうやって説明すりゃいいんだよ」
若「知らねーよそんなもん……。」
車内は「またこのままの感じで赤羽まで行くのか……。」という絶望に包まれていた。
最悪な通勤である。そして、サラリーマンから衝撃の一言が発せられる。
サ「じゃあお前、絆創膏代払えよ!」
若「え……?」
(「え……?」)
若者も他の乗客も想定外すぎる答に戸惑った。車内には多数の「?」が浮かんだ。
若「え、絆創膏っていくらっスか……。」
サ「絆創膏だよ! 500円くらいするだろ!」
若「500円……。」
(「500円……。」)
慰謝料みたいな話になるかとおもいきや、500円である。サラリーマンのランチ価格である。
っていうかどう考えてもランチ代浮かそうと思ってるだろ。
全く着地の見えないまま走り続ける電車。
ストリート(ホーム)ファイト以外では防戦一方だった若者が、ついに逆襲に出る。
若「500円もしねーし。100円でいっしょ」
正論である。絆創膏が百均に売っているかどうかはこの際どうでもいいとして、
確かに500円はぼり過ぎな気がする。そして、サラリーマンから出た言葉は、
若者と、その場に居合わせた乗客全員に爆笑を届けることになる。
サ「100円じゃねえよ! 105円だよ! 消費税いるだろうが!」
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例えば、誰かが「あのアニメ面白いよな!最高だぜ!」と盛り上がっている所へ「もっと凄いアニメありますよ」といきなり割り込む。
「昨日はこんなに残業しちゃったよ・・」と疲れ果てて自虐ネタをツイートしている所へ「私はもっと長時間残業したことありますよ」と返す。
「やったー、TOEICで600点超えたー!」という喜びに「私も800点超えた時はうれしかったです!」と返す。
いずれも、言われた側は「え・・何それケンカ売ってんの?」と思ってしまうが、本人はそんなつもりはない。自分の得意な話題だったので、うれしくなって会話に加わってきているだけだ。しかし、その際にうれし過ぎて、一緒に「自己アピール」をしてしまうのだ。「あのアニメ面白いですよね」とか「残業大変ですね・・私もよくするので分かります」とか「600点超えおめでとうございます!」とかの、相手が望んでいる言葉が返せないのはなぜなのか、分からない。
求められていないタイミングで自己主張された場合、多くの人は「は・・?」と思いつつも「それはすごいですね」と大人の対応を取る。
「いや、こんなのフツーですよ」
と、表情を変えずに言うのだ。
褒めればほめるほど、かたくなに「こんなのフツーです」と強調し、逆に怒ったような表情になっていく。
本当は内心、嬉しい。しかし、喜んでいると思われるのは心外なので、表情を隠す為にどんどん無表情になるものと思われる。素直に「ありがとうございます」と言えばいいのに・・・。正直怖い。
ひどいのになると、他人が「A君、マラソンで3位になったんだって!?すごいじゃん!」と褒められている場面で、
「でもCさんも別の大会で1位になってましたよね?」
などの、信じられないことを言い出す。いや・・それはそうかもしれないけど、ここで言う言葉じゃないだろ・・。
よく分からないが、「こんなの本当は褒められるべきものじゃないのに、私が正さなくては」とか思うんだろうか? そういえば、コミュ障オタは「どうでもいい間違いを粘着的に正そうとする」ってのもある気がする。
人をほめることはたまにあるようだが、それが驚くほど下手。「すごいですね、なぜなら~」と客観的な理由をつけてその意見を正当化しようとする。言われたほうはなにやら批評されているような気分になる。単に「うわー、すごい!」だけでいいのに・・。
また、「いいなー」とか「うらやましい!」という言葉も、言えないようだ。まるで言ったら負けと思っているかのように。
なんでこういう態度になってしまうんだろう?
http://anond.hatelabo.jp/20130927161054
まだ、相手のことをそんなに知らない頃は、お互いに、そういう経験ぐらいあるだろう程度に考えていた。
付き合い始めて、しばらくして、お互いに経験がないと知った。
自分は童貞で、今すぐにでもしたかったけれど、ひとまず彼女の考えを尊重することにした。
そこからは、ひたすら、エッチしたい童貞男のアホさで、一足飛びに結婚へ向けて突き進んだのだけど関係ないので省略。
ようやく迎えた新婚初夜は、いろいろと苦労したけれど、まあなんとか良い思い出になった。
彼女の痛みもあって、お互いに肉体的な満足というところまではいかなかったけれど、精神的には満ち足りた気がした。
新婚生活が始まって、最初は、自分たちだけで試行錯誤していたのだけれど、あまりにもそっち方面に初心者すぎるのでAmazonで有名な女医さんの本を買ってみた。
とても勉強になったけど、知識よりも役に立ったのは、この本を介して彼女とコミュニケーションがとれたこと。
セックスだけに限らないけれど、相手に自分の気持ちを率直に伝えたり、相手の話に耳を傾けたりするのは大切なんだなと自覚した。
ケンカもよくするけれど、仲直りのエッチはなんだかいつもすごく激しく気持ちよい。仲直りエッチ、おすすめです。
二人の拙すぎるセックスの、気持ちいいレベルが、少しづつ、少しづつ上がっていくのが楽しかった。
そして、最近、結婚から2年たって初めて彼女がセックスでイッた。
時間かかったけど、童貞と処女でもなんとかなるもんだね、と二人で笑った。
今、振り返って思うのは、自分は独身の頃、サルのようにいろんなエロメディアに耽溺してきたけれど、そういったもので得た知識の大半は役に立たないってこと。
多少なりとも意味があるとすれば、そういうエロ妄想をエネルギーにして、経験が無いなりに彼女をリードするという側面ぐらい。
一番大切なのは、自分の頭の中のエロ妄想を相手に押し付けて気持よくなろうとしちゃダメで、目の前にいる相手の反応を第一に考えるということ。
えーと、推薦の話から始めると
このシステムを採用してる場所はとりあえず北海道で、漁民の町として俺の地元の例を出すと。
内申点が推薦の非常に大きいポイントを占める。つまり、図工とか体育とか家庭科がイマイチだと推薦取れない。
あと、ケンカ事件を一発起こしてるならその時点で推薦は絶望的かなー、と。
そういうわけで、点数は取れてるけど推薦は取れないって状態は割と俺的には普通かな、と。
かくいう俺も「入試めんどいから推薦欲しいっす」「おまえの内申じゃやれない。一般で受けろ」って経験あるんですよ。
地域によって違うんだろうね。地域トップの進学校への推薦があったように記憶してます。
あと、高卒総合職の場合大手企業の手取りは大体14万(額面17~8が多い)くらい。ものすごいスピードで上がる。
大卒でも20万弱に抑えられてる。これに関しては、増田さんもの知らず過ぎますね。
「25は最低あるだろ」って辺り、まぁなんていうか総合職と縁のない方なのかなーって思う。
それで「儲けられない」についてなんだけど。
本文を読めば、親が サラリーマンとして稼ぐ息子の稼ぎから吸い取る仕送り>>>>漁師としてリスクを負って得る稼ぎ
として考えていることを「もうけられない」の一語に集約して表現しているように、俺には思えるんだけども。
その「儲けられない」って言葉は非常に多義的に使われてる気がするけど、俺の読みがおかしいのかな。
つまり、親にとっての「儲ける」とは「何もせずに息子から送金を得ること」であって、息子の考える「儲ける」
と全く違う概念だった、ってこと(とそれに対する絶望)がここでは表現されているように思うんだけど。
いわゆる隠喩ってヤツじゃないっすかね。まぁ、ここは解釈の問題なんでどーでもいい気がするんですが。
最後に、「親離れ」についてですが、「漁師になる」っていう親頼りの未来しか先を描けてなかった時点で、
俺は元増田さんはすんごい親離れ出来なかったアホだと思ってます。
だって、ひとりで勝手に漁師やりゃいい話じゃないですか、どうしてもやりたいなら。
それを「家業を継いで親と一緒に」ってのにしがみついてるからめんどいことになってるわけで。
親が金銭的に息子に依存している以上に、元増田さんは精神的に親に依存してる、親離れできてないガキだと思いますよ。
その後の人生崩壊も、結局そこが原因じゃないですかどー見ても。漁師になりたきゃなれっつー話です。
気持ち悪い親子の相互依存が元増田の読みどころだと、俺は思うんですけどね。
「推薦」「収入」なんかについては特に問題ないようでよかったです。
別に知らなくても恥ずかしくないワードですけど、特に意識たかいたかーいなワードでもないです。
んで、書くうちにだんだんヒートアップしてったんだと思いますが、
現在15歳年下の女性と付き合っている。交際期間はもうすぐ5年。
彼女と付き合い始めて実感したこと。それは
「女房と畳は新しい方が良い」
これ真理。まじで真理。
アラフォーの独身男性よ。とにかく若い女の子と付き合え!(法律で許される範囲で)
ただし容姿にはこだわるな!!
アラフォーのおっさんが、若くてかわいい女の子と付き合えるなんて思うなよ!
新入社員で入社してきた女の子がデブスでも好感もてたりしないか?
するだろ?俺だけかな?
おっさんになったら相手が若いってだけでいろんなことが許せるだろ?
いろいろと寛容になれるんだよ。
容姿にも寛容になれるんだぜ。
「割り勘なんてありえない」って言ってる同世代の独身女性に対して
「ふざけんな!なんで俺がお前の分まで金払わなきゃなんねえんだ!」って思う程度にこじらせてる俺でも、
20歳そこそこの女子大生に金を出させるわけにはいかないと思える。
躊躇なく全額俺が払う。たとえ相手がデブスでも。
まじ俺って寛容。やさしい男。
普通だったら許せない失敗にも寛容になれる。
心に余裕が持てる。イライラしない。
これほんと精神的に楽。
そんな本当に些細な、しょうもない俺の寛容さだけど、
いままで男に相手にされてこなかったデブスな彼女にとってはとてもうれしかったらしく、
彼女はどんどん俺を慕ってくれるようになった。
愛情だけじゃなく、年上への配慮というか尊敬っていうか敬意っていうかどう表現したらいいかわかんないけど、
そういう類の愛情を俺に持ってくれているって事が日常のあちこちで感じることができる。
彼女はたとえケンカの最中でも、俺のことを馬鹿にしたり見下したりしない。
(俺の知らないところではしてるのかもしれないがw)
これってほんとうれしい。俺の彼女デブスだけどマジでかわいい!!
ケンカになったとしても彼女と俺には15歳差という圧倒的ハンデがあるから常に俺のターン!!
ほんと心に余裕があるってすばらしい。
ラブホテルへ行って何もしないで帰ってきたことが何度もあったっけ。
でも一線を越えたあとはこれなんてエロゲ?って感じだった。
想像してみてくれ。
たとえば20年間も女に見向きもされなかった童貞のブサメン男が、
ある日突然、年上でやさしい女の人と×××したらどうなるか。
AVやエロゲーでしか知らないエロ知識を試そうとする童貞のように、
普通そんなこと風俗でもオプション料金払わないとしてくれないよ!って事まで
頼んでもいないのにしてくるのにはびびった。でもギンギン!
アラフォーても薬なしでこの固さ!
普通はそんなとこまで舐めなくていいんだよ!
まじで俺って寛容!!
ついでにここも舐めてみて?
デブスでも肌スベスベ。
20歳すぎても彼氏ができないデブスな女性たちよ。30過ぎのおっさんと付き合え!
同世代の男はどうせお前らには見向きもしない。
けど30過ぎたおっさんなら寛容な心でお前らを愛してくれるぞ。
っていうかお前ら若さも無くなったらマジで人生終わるから、今のうちにおっさんで我慢しとけ。
禿げ始めてたり、加齢臭もするけど寛容な心で愛してくれるぞきっと。
たしかに前髪へってきてるけどさw
なんだよそれw
まじでかわいいw
前記事
http://anond.hatelabo.jp/20130909165612
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(追記)
前記事のコメントで、理想論乙だとか、実践は無理だという意見が多かった。相手を信用せずに結婚を決める人の多さに驚いた。信用していない人との結婚は本当に幸せなのだろうか。
一方で「信用が大切だなんて、当たり前のことすぎて記事にする必要なし」だとか「難しく考え過ぎ」というコメントも多くあった。
自分も当たり前のことだと思っていた。だから前記事の内容は特に考えてやったことではない。自然とやっている人は沢山いるだろう。でもこの年になって、自分の当たり前と、他人の当たり前は違うことを知った。
結婚というテーマで悩んでいる人は沢山いる。自分もよく相談される。そこで、考え方のひとつの提案として前記事を書いた。
ただ、もし今回の記事を読んで「こんな結婚生活をしてみたい」と思う人がいるのであれば、是非前記事の内容を参考にしてほしい。
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付き合い始めて、ふたりで最初に決めたことが「不満は小さなことでも正直に話し合おう」ということだった。「ギブアンドテイク」の話もよくしてたっけ。
何度も衝突した。危機的な状況にもなった。
「嫌だったら、別れればいいじゃない」と友人に言われたこともある。
でも自分は相手と一緒に居たかった。ふたりの幸せな未来のためにケンカした。
その時点では理解し合えなかったこともある。
そういうことは解決を先延ばしにした。それよりも一緒に居たかった。
共にする時間の中で、何度も対話を重ね、問題は解決していった。
解決した瞬間なんてわからない。気が付けば解決していた。
その度に前よりもっと相手を信頼するようになった。
一瞬でお互いを理解できるわけがない。自分たちは時間をかけた。話し合うことを諦めなかった。
信用できると思って選んだ相手だからこそ、時間をかけることができたと思っている。
いつの間にか自分の相手に対する信頼は大きなものとなっていた。
だから、普通だったら嫌われるんじゃないかと思えるようなことも言えた。相手が一番言ってほしくないことだ。
やはり、これが自分たちにとって一番の危機だった。
相手は憤慨した。でも、聞いてくれた。
十数年たった今、相手はその時のことをよく笑って話す。
「あの時はほんとにムカついた。でもあれがなかったら自分は変われなかった。あの頃の自分より今の自分が好き。」
「相手にもっと自分を好きになってもらいたい。こうしたら相手はもっと自分のことを好きになってくれるかもしれない。」という気持ちひとつで取り組んできた。もちろんその改善も十年近く時間がかかっている。途中何度もへこたれながら努力してきた。
やはり改善した瞬間なんてわからない。気がつくと改善していた(まだまだだとは思うけど^^;)。「昔はこうだったよね〜。今の方がいいね。」とよく笑われる。
子供が産まれ、ふたりに降りかかる困難は自分たちのことだけではなくなった。
でも、どんな困難がきても、夫婦で一緒に向き合い、話し合い、解決していった。
昔から比べ変わったことといえば、
ちなみに、趣味の違いは得意分野の違いに発展している。
子供が産まれてからは、夫婦が異なる守備範囲を持つことは重要だと感じている。
子供を含めた自分達一家に降りかかる困難に対して、自分の力では解決できないが、相手が難なく解決できたというエピソードが幾つもあるからだ。
毎日が安定していて、余計なことに気を揉まずにいられる。安心できる。
毎日ふたりで笑って(子供たちも一緒になって)、毎日幸せを感じている。
これは付き合い始めにお互い真剣に向き合った成果だと思っている。
相手と共に紡いできた信頼の綱はあまりにも太く、こんな綱はもう他の誰とも紡げない。この綱を大切にしたいから、自分はこれからもけして相手を裏切らない。
自分を信用してくれた相手、裏切らないでここまできてくれた相手。
墓まで一緒に居たいと思う。来世があるのなら、また一緒になりたい。
http://anond.hatelabo.jp/20130910182250
結婚相手を選ぶ基準は、信用できる人間かどうかだと思っている。
でもそれを基準にしている人が少ないことに最近気がついた。
外見の好みや、一緒にいて楽しいかどうかや、話題が合うかどうかなど、選ぶ基準には色々あるが、その前に、その人が信用できるかどうかでフィルターをかけてはどうか。
信用できるかの判断は、
もちろん、相手に自分を信用してもらうことも必須だ。ギブアンドテイク。だから、
結婚すれば皆幸せな生活を送っていると思っていた。しかし、夫婦間が上手くいっていない家庭が結構多い。
相手を心底信用できていない、のが原因の一つだと思う。
信用できる人を選び、お互いを信頼して生活をする。それが幸せな結婚生活だと思う。
結婚してから信用できないことが出てくるんだ、というトラックバックをもらったが、
信頼とは、細い糸を寄り合わせて、太い綱にするのと同じだと聞いた事がある。
結婚生活の中で、細い糸を寄り合わせるように、少しずつ信用を重ねていく。だんだんと、ちょっとやそっとじゃ切れない太い綱のような信頼関係が築かれる。
裏切りは糸を切る。たとえ、その時に太い綱になっていたとしても、裏切りはナイフのように綱を削りボロボロにする。
では、裏切りとは具体的に何か。
また、最初は糸のように細い信頼関係を、綱のように太い信頼関係にするためにはどうするか。
相手に対する不満は、ほんの小さなことでも伝えた方がいい。小さな不満をためこむと、いつか大きな爆弾になる。
いくら信用した相手と結婚したとしても、その生活の中で相手に対する不満が生まれるのは当然だ。
信用できる相手だからこそ、自分の不満を聞いてくれるはずだし、一緒に向き合ってくれるはずだ。
素の自分を見せたら嫌われるかもしれない?
相手の不満なところを指摘したら嫌われるかもしれない?
あなたがそう思うのなら、それはあなたが相手を信用してないからだろう。
逆にもしあなたが相手にそれをされたら、相手を嫌いになるのか。
その人と生きていくことを決めたのなら、たとえ嫌な一面が出てきたとしても、そんなことで嫌いになってはいけない。
相手の欠点を、相手の幸せのためにふたりで協力して改善するんだ。もちろん自分の欠点は相手の幸せのために改善するんだ。
本当に幸せになりたいのなら、其れ相応の痛みは必要だ。ケンカにもなるだろう。自分の欠点を治す努力は大変なことだろう。
でも生涯の伴侶として心底幸せに生きていくには、これを乗り越えなくてはならない。これを避けて通るのなら、其れ相応の幸せしか手に入らない。
信用している相手と、お互いの不満について話し合い、お互いが改善する。
それは辛いことかもしれないが、それをするたびに、信用の糸が一本ずつ寄り合わさり、太い綱へと近づいていく。
「結婚したら、お互い信頼し合いましょう。自分はあなたを裏切らない。あなたから逃げない。お互いの不満は伝えて、改善するために一緒に努力しましょう、ふたりの幸せのために。」
この約束を破りそうな相手なら、結婚しない方がいい。そもそも約束なんて守りそうもない相手なら、結婚しない方がいい。
つらつらと書いたが、この記事のようなことをテーマにし、相手と話し合ってみるのもお勧めする。
自分はどう思うか、相手はどう思うか。
扉の閉め忘れとかテレビの消し忘れとかの忘れ系には、忘れるたびに毎回「戸を閉めろ」「テレビ消していけ」って言う。これは言うしかない。
コップを落として割ったとかのうっかり系は、「これから気をつけろよ」と言うが、うっかりしたこと自体は責めない。その後、コップを落としそうな場所に置いたりしている時に、そこだと落ちそうだからコップを動かせって言うか、俺自身が動かしてやる。
ふざけがエスカレートして物を壊したりケンカになった時は、きつく叱るが、日が変わればすぐ忘れてまたふざけ出すので、ふざけ出した時点で止める。エスカレートするまで放置するほうが悪い。
子育ての話なのでこんな簡単に分類できないけど、だいたいこんな感じ。
あんたただケンカしたいだけですやんw
あんたただケンカしたいだけですやん
このエントリについて。
彼の頭が良すぎて萎えて別れた
わかるような、わからないような。読んですっきりしない部分があったので少し考えてみた。
このエントリの続編で触れられているように、この話の出発点には「高学歴と低学歴の世界の溝」の問題がある。
そもそもの問題として、「低学歴」対「高学歴」の世界の話というのはなぜ「低学歴」ポジションからの発言が多いのだろうか。それも「高学歴の世界」をポジティブなものとみなして、自分の所属する「低学歴の世界」をネガティブなものとして演出するという態度で書かれてるものが多い。
こういうタイプの文章がはてブを集めて多く読まれているのは、それを読むと読んだ人が心地良く感じるからではないかと思う。「高学歴の世界」の人はこういうのを読んで単純に優越感を感じる。一方こういう文章を読む「低学歴の世界」の人は、「低学歴の世界」にいながらにして自分は「低学歴の連中とは違うんだ」という意識を持っているような人なのではないだろうか。だから「低学歴の世界」が「高学歴の世界」に対して否定的に書かれていることに溜飲を下げる。「低学歴の世界」を批判することで、自分がそこから離れて「高学歴の世界」に近づけるような気がするんじゃないか。「低学歴の世界」に満足している人は、おそらくこの手の文章を読んでもピンとこないだろう。
では、自分自身は、こういう文章と向き合う時なにを感じているのだろう、と思った。こういう文章を読んだ時、私の胸には優越感などの心地よく単純な感情ではなく、言うも言われぬ複雑な感情がこみ上げてくる。
私自身はおそらく「高学歴の世界」に属する人間だろうと思う。曽祖父の代から大学教授の家系で、女性も祖母の代から高等教育を受けている。私は大学付属の小中高に通ったが、クラスメートの父親はおおむね医者か弁護士、研究者、大企業勤務のどれかだった。大学に入るときは、東大、京大、早慶上智、国立医学部までしか選択肢になかった。実際にクラスメートの大部分はこれらの大学に進学した。残りのMARCHレベルに進学した人たちが、私にとってとんでもなく「低学歴」の人たちだった。親類のなかでは東大京大以外は大学ではない、というくらいの認識であったし、私自身、ちょっと勉強すればだれでもMARCHくらい入れるものだと思っていた。この認識が変わったのは、大学に入って予備校でバイトを始めた時だった。どんなに必死で努力してもMARCHはまだ夢の夢という生徒が大勢いるのに衝撃をうけた。
こうして書くと自分は嫌な人間だなと思う。けれどこういった「高学歴の世界」が居心地のいいものだったかというと、そんなことはない。「高学歴の世界」は息苦しいものだ。「高学歴の世界」を定義づけるのは「今日よりも明日」だ。今日よりも明日、より良くなっていなければならない。より良く、より賢く、より豊かになっていること、それが「高学歴の世界」が求めるものである。失敗は許されない。一度失敗したものは、この日々の前進のルートから脱落し、また追いつくためには絶望的な努力を強いられる。「高学歴の世界」は失敗に敏感だ。私の両親はよく「一事が万事」と言っていた。たった一度失敗すれば、それは全て失敗したのと同じ。このスローガンに、子供の私は恐怖しか覚えなかった。遊びも教育の一環だった。教育的でない遊びは排除された。常に成長することが求められた。それは大人になっても続く。昨日よりも今日、今日よりも明日、より成長して改善していること。「高学歴の世界」を統治するのはこの原理である。
このような世界が自分にとって当たり前だったのだが、それはまたひどく息苦しくもあった。そこには「明日」と「未来」はあっても、「今日」と「いま」はない。なにもかもが「明日のため」であるとき、いまここに生きているという感覚はどんどん摩耗していく。今、この瞬間どんなに成功していても、それを100%として認めてもらえることはない。明日さらに良くなること、明日さらに成功することが求められる。それは絶え間ない自己否定でもある。この自己否定がなければ、改善も成長も望めないから。
やがて神経衰弱のような状態になって、ふとある趣味をはじめた。そこには私と同じような育ち方をした人もいれば、そうではない人たちもいた。このとき私ははじめて「低学歴の世界」に触れたのだと思う。その「低学歴の世界」のひとたちは、多くが高卒で、男も髪を染め、女性はミニスカートや露出の多い格好をしていた。タトゥーを入れている人もいれば、道端でケンカをする人もいた。この仲間のなかに入って、私ははじめて「今を楽しむ」ということを知った。お酒を浴びるように飲んで、馬鹿な話をして、大笑いして、そういうことをしても、明日のためにはならない。明日に残るのは、二日酔いだけだ。けれどその瞬間は、ものすごく楽しい。彼らは遊ぶことがものすごく上手だった。季節ごとにいつも楽しい遊びを考えていた。バーベキュー、花見、キャンプ、スノーボード。「今、この瞬間を楽しんで生きてもいい」ということを知ったのは、自分の人生が大きく変わるほどの体験だった。
こういう経験を通して考えてみれば、「うちらの世界」の価値観も理解できる。「高学歴の世界」は未来の為にという価値観がとても強い上に、一度失敗するとその損失を取り戻すのが非常に困難であるという認識を共有している。彼らにとって「バイト先での醜態を公衆に晒すこと」は大変な過ちでありなんとしても回避されるべきものである。一方「低学歴の世界」にとって大事なのは今この瞬間である。今この瞬間を楽しむことが何より大切でなので、その行為が未来にもたらす影響は考慮しない。今、バイト先の飲食店で食材をおもちゃにすることが楽しくて、目の前にいる友人を楽しませることができるのであれば、そのことがなにより重要なのだ。
「明日のために生きること」と「今を思う存分生きること」は、本来両立しうるものであるけれど、どちらかにかたよるとそれぞれ問題をひきおこすのだなと思う。自分の生きてきた世界のことは、みなよく知っている。だからこそあらも見えるし、別の世界に憧れもする。それはもちろん幻想なのだ。どの世界にも光と影がある。ユートピアはいつだって「どこにもない場所」なのだ。
さて冒頭の「彼の頭が良すぎて萎えて別れた」というエントリーであるが、これを読んで再びなんとも言えない気持ちになった。この人はなぜこんなに彼との間に線を引きたがるのか、そこに溝を認めたがるのか。なぜそこに溝を認めた上でそれでも相手を受け入れることができないのか。この場合、二人の間にあるのは「学歴の溝」ではなくて彼女の方のコンプレックスなのだと思う。自分が手に入れたくて仕方がないものを、もう自然にもっているように見える相手への嫉妬なのだろう。けれどそれは「毎日より良く」という価値観のなかで研鑽されてきた結果なのであって、同時にそのなかで切り捨てられてきたものも存在するのだと思う。そういう自分が切り捨ててきたものを恋人に求める気持ちが、私にはよく分かる。私が強く惹かれるのは同じ世界の人ではなくて、別の世界の、ある種の「生きる智恵」を持っている人だ。多く笑い、気楽で、今を楽しむ人だ。この話で、彼は彼女にたとえばそういう魅力を求めていたのかもしれないのに、紋切り型の階級差を持ちだして自己完結する姿になにか割り切れないものを感じる。
一方で、このエントリーで語られている話自体がすでに紋切り型のものであるとも言える。語り口が現代風であるというだけで、話の中身は明治時代からでもありそうな話だ。とりわけ語り手を男にしてみると、既視感が強くなる。身分差のある恋をした男が、バックグラウンドの違いを感じて、女を捨てる。「彼女の頭が悪すぎて萎えて別れた」と男が語る。あるいは女が男を思って身を引く。でも私達が生きているのは現代日本だ。好きなように生きればいい。相性が悪ければ別れればいいし、よければ付き合えばいい。けれど「高学歴」「低学歴」という単純な構図に当てはめて自分の生き方を縛るのは、愚かなことだと思う。自戒を込めて。
今日からインターネッツを使い始めたという人向けに、わかりやすい説明を心掛けました。
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ランサーズとクラウドワークスという2つのクラウドソーシングサービスがあります。
フリーランスに仕事を発注したい人と、フリーランスをつなげるサービスです。
この片方のクラウドワークスで、事例インタビューなどの仕事を請け負っていたライター、梅木くんという人がいました。
彼はある日、自分のブログにランサーズとクラウドワークスを比較する記事を掲載しました。
・クラウドソーシング狂想曲:クラウドワークス vs ランサーズ
記事中では「クラウドワークスの方がランサーズよりもすごい!」と主張していますが、
主な理由は「周りの人がそう言っていた」というものでした。
そしたら後日、ランサーズ側から梅木くんに「十分な調査をした上で記事を修正してくれませんか?」とメッセージがきたそうです。
しかし梅木くんはそれを「メディアに対する圧力だ!」「言論統制だ!」と取り合わず、記事に掲載しました。
・ランサーズ、The Startupに対して言論統制
「これって言論統制じゃないよね」
「そういえば梅木くんってクラウドワークスの仕事受けてたよね」
そうこうしているうちに、ネット上には梅木くんとクラウドワークスの関係がまとめられ始めました。
・The Startup代表取締役梅木雄平氏とクラウドワークスの関わり総まとめ
http://anond.hatelabo.jp/20130820170151
・The Startupさんへ。ジャーナリストは、金をもらって比較記事を書いたりしません
http://anond.hatelabo.jp/20130820144216
じょじょに追い詰められていく梅木くん。
そしてライターとして梅木くんに仕事を発注しただけで勝手に変な記事を書かれて炎上してしまったクラウドワークス社長の吉田さん。
さらに、この2人をおもしろがって追い詰める匿名Twitterアカウントが現れました。
マモノくん(@mamononews)
https://twitter.com/mamononews
このマモノくんは突如、わりと横柄な感じで、梅木くんと吉田さんを問い詰め始めます。
・クラウドワークス社長にケンカを売るマモノ氏(@mamononews)がやたら偉そうな件
http://matome.naver.jp/odai/2137744422998200801
これに応える形でクラウドワークス社長の吉田さんは、自社のブログで「梅木くんとは今後かかわりません!」と宣言しました。
・ブログ書き初めと、今週に掲載されたブログメディアの記事につきまして
http://crowdworks.jp/ceo-blog/9/
まあ元はといえば梅木くんの記事がトンデモだったわけで、「これでめでたしめでたし」
と思ったら、このマモノくんが突然、態度を変え、梅木くんと吉田さんに謝り始めました。
いったいどうしたんでしょう。
・謝罪1
https://twitter.com/mamononews/status/372257344911990784
・謝罪2
https://twitter.com/mamononews/status/372258022677954560
どうやらマモノくんはどこかの会社に属しているサラリーマンで、
今回、匿名アカウントを使っていろんな人をいじめたことが会社にバレてしまい、態度を変えたようです。
一方で梅木くんは、マモノくんによるTwitterの攻撃を「脅されてる!」と感じたようで警察に駆け込みました。
・星の梅木雄平さま、警察にいく
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2013/08/post-eb48.html#more
そうなるとますますマモノくん(GMO社員の世永玲生さん、40代男性)は困ってしまいます。
いまは周囲にひたすら謝り倒しているそうです。
ついにはGMOも公式にコメントを出す事態に。マモノくんは懲戒処分となりました。
https://twitter.com/GMOGroup/status/372576043452100609
ついでに世永さんが記事を寄稿していたTechWaveも意味不明な謝罪文を出しました。
・TechWaveからお詫び 編集長・増田真樹 @maskin
http://techwave.jp/archives/from_techwave2.html
というわけで「匿名で何か書くのはやめましょうね」←いまここ。