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はてなキーワード: アジア人とは

2021-10-02

anond:20211001232900

ワシも今全く同じ感じでブラジルへの憧れがやばい

特にchoroショーロっていうブラジル音楽ジャンルがあって

これに心酔してる

同じくショーロってのは直訳すると泣くって意味

西洋音楽黒人奴隷の持ってた音楽ブラジル出会って出来た音楽らしいんだけど

色々考えさせられるよね

サウダージとか日本語では哀愁って訳されるけど

これはブラジル特有感覚哀愁一言では表せられないらしい

いいよね南米

コロナが収まったら行ってみたいけど

治安悪いしアジア人差別エグいらしいから戸惑いつつも

ブラジルポルトガル語の本買っちまったよ

2021-10-01

雪花ラミィ尾丸ポルカ獅白ぼたんが清掃員をヘイトして一年になる

20年やって清掃員(爆笑)」

「パパ何やってるのって言われて清掃してる、清掃員って(笑)

「ねーやだね(笑)20年もお仕事しててパパ何やってたの?」

「清掃員だよ……掃除とか、頑張ったよ……」「あっ……」

子供も察するレベルやばい

 一年が過ぎてもあの、人を見下した笑い声が耳から離れないでいる。職場について、制服を着込んでからはずっと聞こえている。早く脱ぎたくて仕方がない。なんの必要があって植えたのかわからない木の落ち葉を掃き掃除する時もそれは聞こえてくるし、決まりきったコースぼんやりしながら掃除機をかけている時も聞こえてくる。

 綺麗と汚いの違いがよくわからないでいるので、トイレ掃除だとか床のモップ掛けはそれよりももっと嫌だ。汚いと罵る上司が見本として便器を磨いてみせても、磨いた前と後の違いが全くわからない。洗ったはずの制服が汚いと言われるのも違いがわからないし、だいたいこの上司は俺が隠れてサボっているのではないかといつも疑っている。節電のために電気を半分消していると、スマホを見ているのを見つからないように消しているんだろうと、指示した当人が言ってくる。そんな上司当人よりも、ろくな教育も受けさせずにバイト同然の契約社員を無理やり管理職にした中小企業の方が嫌になる。サービス残業させようとしてくる上司を躱して帰ろうとすると、お前はいつも逃げるように帰ると罵られる。俺が逃げているのはあの声からだ。たとえ寝る間際になって、急にあの声が聞こえてきたとしても、仕事中よりは幾分マシだからだ。

 こんな仕事を9年も続けているが、奴らにとっては9年も20年も変わらないだろう。冷笑され嘲笑される対象は俺だ。俺が最低賃金で働いている間に奴らはあの、俺を嘲笑した笑い声一つで10万円近く軽く稼ぎ出している。あれがそう、というよりもだいたいのレイシストがそういうものだ。ちょっと謝罪して、ほとぼりが冷めるまで火事から遠ざかり、戻ってきたらほいほい稼ぎ出し、一年が過ぎればもう誰も覚えていない。覚えているのは俺くらいだ。いつだってレイシストというのは自分のあざ笑った人間のことをすっかり忘れて、俺の関係のないところで楽しく暮らしているのだ。

 そう。結局彼女達はこの世に沢山いるレイシストの中の1人に過ぎず、たまたま彼女の声が他のレイシストよりもでかかっただけなのだ。あの笑い声が聞こえるのは、そもそも本当に一年前だったのか?俺は気が付かないふりをしていたのだ。俺が清掃をしている様を横目で見ている利用者達や職員の、見下したような目を。あの声を俺は本当のところ9年前からずっとずっと聞いてきたんじゃないか。初めて聞いた時からあの嘲笑は聞き覚えのある声だったじゃないか世間一般的に清掃員という職業が見下されているのだから、その一般的見解として奴らは清掃員のことをヘイトしていたに過ぎない。

 エッセンシャルワーカーに感謝をみたいな運動を見た時、俺はNYアジア人差別反対運動を思い出した。差別されているから急に感謝を。なんて言い出すのだ。医者感謝を、運送業感謝をとか言いながら、ドアを開けた途端消毒スプレーかけてきたりするような話などを聞いたりしても、関係ないのに俺がやられてるように思ったりした。俺なんぞに共感されても運送業アジア人もいい迷惑だろうけど。だから行人ありがとうとかお疲れ様とか言われても、つまりそれは自分が上の立場人間だと思って、見下しているから出る言葉なんだろうななどと思ったりする。こんなことを言うと被害妄想だと思われるかもしれないが、どういう人間を見ても清掃員を本当は見下しているんだろうなという風にしか思えなくなってしまった。実際一回年寄がなんか君達のような若い底辺の人々が頑張ってこそこの国は云々とかなんとか話しかけてきたことがあったし。全く悪気もないような風でそんなこと言うんだもんな。

 こんな風に思うのは何より俺自身がこの仕事を、自分自身の行っている仕事を見下しているからだ。こんなゴミ箱ゴミを集めて掃除機をかけてなんて小学生でもできるような仕事をして金をもらっている。俺1人がやるより本当はあの働いている沢山の職員10分かそこら手を動かせば終わってしまう、必要のない仕事だ。本来は俺に配っている予算なんぞ削減して自分達でやればいいのだ。そんなに自分の手が汚れるのが嫌なんだろうか。実際のところ俺はお前らのこと皆汚いと思っているけど。毎日捨てられる紙ゴミプラごみ生ゴミ腐った食い物ゴミ箱に貼りついて離れないテープ人間の体から出てくる糞手垢脂髪の毛、あらゆる汚らしいものを拾い集めていれば、同じように人間は汚いのだということがわかる。この職についている人間ならばそんなことは一番はじめにわかることだ。

 元々俺自身が俺の仕事と、そんな仕事についている俺自身を見下しているから、周りの人間が同じように俺を見下しているように見えるし、実際に見下している人間が現れることで答え合わせが済んでしまったような形になってしまったのだ。もう俺には周りの人間が全員雪花ラミィに見えるし、尾丸ポルカに見えるし、獅白ぼたんに見える。こういうとただの被害妄想だという風に他人は言うだろうけど、しかレイシストとそうでない人間の見分けなんてつくのか?僕は見下していませんとか言われても、それをどう証明しろっていうんだ?

 だけど俺にはそうやって周りの人間を憎んだところで何もできやしない。もしも俺が自分を見下した奴らにテロしてやろうと、マスクもせずに街に繰り出しコロナをもらったとしても、仕事場に出れば透明の手袋マスクを付けさせられ、職域接種により耐性をつけた職員達にはウイルスが届くことなく、俺だけが誰もいない部屋で死ぬことになるだろう。感染対策で守られているのは俺ではなくあいつらなのだ

 できることは精々増田駄文を書き連ねて、世の中に忘れるな忘れるなと囁き続けることだけだ。世の中に雪花ラミィ、尾丸ポルカ、獅白ぼたんという名前を見た時に、こいつは10月2日に清掃員をヘイトしたVtuberだなと認知させることくらいだ。後はこの文章を世の中に存在する無数の雪花ラミィ、尾丸ポルカ、獅白ぼたん達に送りつけて、俺が増田であり匿名でありAnonymousである限り、俺はお前達の近くにいるぞ。お前達を憎んでいるぞと伝えることで、ほんのわずかに不愉快気持ちにさせることくらいのことしかできない。10月2日、明日はお前達が俺をヘイトした一周年だ。

 俺はいるぞ。お前達の使っているあらゆる建設物の中に俺はいるぞ。お前達を憎んでいるぞ。磨かれた床を見るたびに思い出せ。ゴミ箱を見るたびに思い出せ。お前が忘れても、俺だけはお前のことを忘れはしないぞ。

2021-09-28

東アジアデジタル筆談時代は到来しないか

漢字文化圏英語ではなく漢字筆談してコミュニケーションをとることはできないか

今や音声でも漢字変換できる時代だ。

昔みたいに文字通り筆を使って筆談をする必要はなく、時代デジタル筆談

スマホタブレットの画面に伝えたい言葉入力して表示させ、相手に見せる。

音声入力だってできる。

なぜ文化的地理的人種的に近く歴史的にも深い関係にあった隣人と、わざわざ遠くにいる白人言葉を使って意思疎通しなければならない?

遠回りだし、アジア人自らがアジア文化、ひいてはアジア人としてのアイデンティティ否定し、白人文化やひいては白人を崇拝していることの象徴だ。

大陸中国は大胆に漢字を簡略化したがはっきり言って形状が単純簡素化されるほど記憶しにくいし識別しにくくなる。

東アジア全体で旧字体中国語圏で言う繁体字)をベースとしていくばくか簡素化した統一字体を作って、

漢字ビジュアルリンガフランカを構築しないか

2021-09-20

anond:20210920161004

続き

https://anond.hatelabo.jp/20210920161004

8. 全面的3Dアニメ化チキン・リトル』(2005年から現在まで

おすすめ作品:なし

いよいよ作品は完全に3D化し、『プリンセスと魔法のキス』『くまのプーさん』を最後2Dアニメは公開されていない。アニメーションとしてのたのしさを感じることは少なく、かろうじて『塔の上のラプンツェル』のランタンや『モアナと伝説の海』のココナッツ妖怪のシーンが関心を惹く程度。個人の好みの問題ではある。劇場の大スクリーンで見ると印象が違うかもしれない。

きわめて雑な括りにまとめると、ここからオタク少年ポリコレ少女時代であり、2021年現在ネット政治談義の地獄絵図と完全な地続きとなる。もちろん、ディズニー作品上でそういった地獄の扉が開くわけではないのでその点は安心してほしい。

オタク少年物語は『チキン・リトル』『ルイスと未来泥棒』『ベイマックス』の3つ。ポリコレ少女物語は『プリンセスと魔法のキス』『アナと雪の女王』、あと『ズートピア』を入れてもよいかもしれない。ビデオゲームが題材であり、かつ社会問題とのつながりを思わせる『シュガー・ラッシュ』はその両方にまたがる作品と言えるだろう。

そのうえで言うと、『チキン・リトル』『ルイスと未来泥棒』『ベイマックス』は物語希薄で、率直に言ってあまり見るべきところがない。

チキン・リトル』はナードの息子との関係性に悩むジョック父親というキャラクター設定は興味深いものの、あまりアメリカ固有の事情がすぎるため感情移入しづらい。『ルイスと未来泥棒』は出来の悪いバック・トゥ・ザ・フューチャーみたいなやつ。『ベイマックス』はあからさまな吊り目描写を控え、許容範囲内のアジア人描写採用した点では興味深いものの、お話は薄い。

逆に『プリンセスと魔法のキス』『アナと雪の女王』『ズートピア』はテーマ設定は高尚なものの、物語として十分に消化されているかというと疑問符をつけざるを得ない。

プリンセスと魔法のキス』は初の黒人プリンセスものだが、物語の大半で主人公王子様はカエルに変身させられており、カエル同士の恋愛模様を見せられる羽目になる。人種以前の問題で厳しい。

アナと雪の女王』は暴力を抑えられないエルサが他者との共生を諦め、山に引きこもるというかなり重たい話から始まる。すったもんだあり最終的には女王に復帰するものの、物語彼女が心を開いた相手は妹のアナ1人のみであり、(作劇上なんとなく誤魔化されているが)共生範囲は著しく狭く、また他者理解とも程遠い。

プリンセスものへのアンチテーゼとして悪役に王子のハンスが配され、アナクリストフとくっつかないという展開も、批判されやすポイントを表面上回避しているに過ぎない。ここではプリンセスを求める消費者欲望フェミニズム倫理が奇妙な連合を築いており、かつての植民地主義とはまた違ったグロテスクさがある。

続編の『アナと雪の女王2』は前作に対する心底意地悪な批評とも見れる作品で、エルサは女王の座を離れ再び山へ、アナクリストフは無事マイルドヤンキーバカカップルに発展と、前作でごまかされていた点を露悪的に展開させてしまう。

ズートピア』は『きつねと猟犬』同様に動物種を人種メタファーとして描いているが、生物学的に異なるものを示す種の概念と、生物学的には同一である人種を重ねることによる概念の混乱が拭えず、メッセージぼんやりしたものにならざるを得ない。

シュガー・ラッシュ』は卑しい職に就いたが最後、「これは社会必要仕事だ。だからどんなひどい待遇でも文句を言うな」と清廉潔白な人々に差別されるという現代社会欺瞞を描いた作品であるしかしヴァネロペは実は高貴な生まれだったので問題解決主人公ラルフもなんの理由付けもないままなんとなくハッピーエンドを迎える。解決策を示さないままハッピーエンドを迎えるというのは、なんと欺瞞的で残酷映画だろう。

なお続編の『シュガー・ラッシュ:オンライン』は話皆無・物量勝負典型的な続編映画だが、ディズニー/ピクサー/スター・ウォーズを使った物量作戦はなかなか侮れないものがある。ここに来て『アナと雪の女王2』『シュガー・ラッシュ:オンライン』と続編商法が続いているのはどうも社内の制作体制に関するゴタゴタの影響がありそうだが、詳細はよくわからない。

そのほか『塔の上のラプンツェルはいわゆる毒親の話だが、劇中「みんな同じだ」と高らかに歌い上げてしまうのは問題本質を捉えかねている印象を覚える。毒親問題子供自分とは根本的に異なる個体であり、かつ尊重しなければならないという意識を欠いているからこそ問題なのだ。それが「みんな同じ」では困る。

モアナと伝説の海』『ラーヤと龍の王国』は頭を使わず見れる娯楽作で、とくに『モアナと伝説の海』はまあまあ出来がいいが、それ以上書くことは特にない。ポリネシア東南アジアがそれぞれ舞台となっており、現地のひとが見るといろいろ不満点があるのかもしれない。

以上がディズニー映画59作品歴史だ。個人的には『白雪姫』『ダンボ』『眠れる森の美女』『リロ・アンド・スティッチ』の4作品は見てよかったと思っている。

全部見るのは正直苦痛なので、気になったものだけでも見てみてほしい。最新作の『ミラベル魔法だらけの家』は今年の11月劇場公開されるが、歴史の流れを知って見れば、作品単体のおもしろさとはまた別の発見があるかもしれない。

anond:20210920145844

ドットコムラヴァーズ』(日本人女性大学教員出会い系アメリカ人男性と会いまくりやりまくる実録本)でもアジア限定狙いの白人男は地雷って言ってた(そういうのはアジア人はおとなしくて従順〜みたいな幻想を持ってる白人KKOなので)

日々フェミとやり合ってる増田たちにとってアジア女が従順とか笑わせる話だが……

2021-09-19

anond:20210919122746

アジア人が言っても殴ってましたよね

新大統領がいろいろ苦言を言うまでは

2021-09-18

多分俺らが思ってる以上にひろゆきって追い詰められてるんじゃないか

時差が8時間(今はサマータイムから7時間)あるなか

日本生活時間に合わせて配信するとなるとなかなか不規則生活リズムになってるはず

その上度数の高い酒を飲みまくってる

外に出ればチャイニーズゴー

TwitterをひらけばF爺

アルファベットを思い出そうとabcの歌うたったらABCDEF爺

sale gueuleでputainな嫁

putainなアジア人ふたりを掛け合わせて生まれたsale gueuleな子供

薬中に「冷や汗垂らしながら目をかっぴらいて2時間ぶっ通しで喋り続けてるひろゆきコカイン乱用者みたい」とか言われちゃうレベルいかれつつある

そのうちコロッと死んでもおかしくないと思う

F爺の方が長生きするかもね

2021-09-15

ガチャよりも国ガチャとか言われるけれど、それ以上に人種ガチャじゃね?

個人的にはアジア人に生まれた時点で人種ガチャが大外れだと思う

一番勝ちなのは白人次点黒人

どの国に生まれようともアジア人は最下層

仮に北欧辺りに生まれていたとしてもアジア人なら差別が酷くて大変そうだし

日本に生まれても白人なら大勝利だと思う

ポリコレ戦隊ものが完成したら

白人黒人アジア人ヒスパニック、その他の5人のメンバーの2人が男性で2人が女性で1人はオカマ

女性の1人はレズで1人はフェミ

男性の1人はゲイで1人は育児休暇中みたいになるのだろうか

2021-09-12

https://getnavi.jp/world/588825/

フィンランド子育てやすいのって単純に白人からでは。

そして、同じく子育てに手厚い(らしい)シンガポールでは出生率が低いのはアジア人からでは?

自分ももしも白人特に金髪碧眼だったら、そりゃあ喜んで子供を産むよ。相手の男の選択肢も広いし。

特に金髪碧眼の白人容姿だったらルッキズム洗礼をまず受けずに済むから

子供にもあらかじめある程度の幸福約束されているので安心して産めそうだと思う。

たとえフィンランドでも有色人種だったら現地人との国際結婚が出来なければ子供を産むのが怖くなりそう。

2021-09-11

anond:20210911152713

多分糸目アジアンの二重も

それに差があるように見えるのはアジア人だけで向こうは区別つかないんだよ

彼女が前髪1ミリ切ったくらいの差なんだよ

ハリウッド映画黒髪メッシュを入れたアジア人女性キャラが多い→実際のアジア人特に気にしてない→ステレオタイプですね!すみませんでした!修正します!…と勝手に先回り

顔立ちが一重吊り目のアジア系テンプレばかり→実際のアジア人は気にしてるし文句も言っている→しか修正されない


バカにするのもいい加減にしろ、って思う

2021-09-10

アメリカ映画アジア人女性キャラ黒髪メッシュヘアスタイルを使うのはステレオタイプからやめようって話、違和感あるんだよなー

そもそも個人的にはそれってそんなに多いか?と思う

ハリウッドアジア人女性キャラって自分スターウォーズローズくらいしか思い浮かばないけどあれはメッシュではなかったと思うし(あのキャラはあのキャラ問題あると思う)

FF8のリノアとか?でもこれは日本コンテンツだしなー。

髪の色とかどうでもいいからそれよりも吊り目のきつい顔立ちやアジア人っぽさを強調したメイクばっかり使うのをやめてくれって気持ちが強い。

実際のアジア人女性もっと優しい顔立ちのナチュラルメイクの方が多いだろ。

これってアフリカ系の人物ストレートヘアを忌避するのとも似たようなものを感じて

二重まぶたや白い肌や明るい髪の色や青い目は白人のものなのでけして有色人種には許さない。

お前等は「エキゾチックな」「二流の」美で満足しておけ、って思考を感じるんだが。

個人的には髪の毛のメッシュなんて割とどうでもいいか

アジア人アジア人らしく本来の良さを生かして一重吊り目頬骨強調メイクにしてね!

無理をして白人みたいな二重ぱっちり目の色白『なんか』に憧れなくてもいいよ!」

みたいな押し付けがましさの方を何とかして欲しいんだが。

実際の日本人女性は吊り目というより割と垂れ目や丸い目が多いし、整形してまで二重にしたがる。色白ナチュラルメイク思考たぬき至上主義なのに。

発達障害を持つ人の間で働くこと

手帳を持っているような障害者オープン就労雇用者障害を公にして就労する)とクローズド就労があるけど、発達障害は難しい。

俺は今、一緒に働く人の6割くらいが発達障害が疑われる職場で働いている。加えて1割は外国人で、丁寧なコミュニケーションができるのは3割くらいだ。

この職場は中くらいの規模の会社の開発部門で、コミュニケーションにかなり難がある人が多いが業務特性上なんとかなることも多い。

ただ、年に3人くらいはコミュニケーション問題で揉めてやめていく。

俺は発達障害ではなく朝はきっちり定時に来て必要であれば残業必要がなければ変えるタイプだが、周りの多くは朝起きられなくて昼近くに出社したり、夜中まで仕事して勤怠だけ定時出勤定時上がりでつけていたりする。また、コミュニケーションツールで会話している中に入ってきていきなりリンクを投げつけて無言でそのままにする人がいたり(かなり感じが悪い)、「これはクソ」「こいつは頭悪い」みたいな口の悪い雑談を垂れ流す人がいたりしてときどき誰かに注意されることがある。注意する人はだいたい上位の課長とかで、まあそういう職務からたまーに注意するが、だいたいはの話になっている。そういう職場だ。

上に書いたようなところはおかしいなと思う一方で、それをなんとも思わない人たちがマジョリティという中で働いていると、なんだか自分外国に来たような気持ちがする。神経質なアジア人礼儀ばかり重んじるジャパニーズと言われているような疎外感がある。俺の気遣いや丁寧な発言、他の部署との調整業務仕事がうまく回っているという状況が、何も気にしないマジョリティのやつらに踏み台にされていてるように感じる。

2021-09-09

anond:20210909235017

俺が女だったらお前よりアジア人中東人と結婚するな。お前と暮らしてても楽しくなさそうだし頭皮臭そう

anond:20210909120736

2年スペイン田舎に住んでたけどおおっぴらな差別を受けたことはなかったな

おじいさんにチーノ!(中国人!(というかアジア人意味で使ってると思う))って叫ばれたことはあったけど

まあ日本人にもガイジンは出て行けとかいう奴いるしなって感じでスルーしてた

友達はノー!ソイハポネス!(日本人だよ)って叫び返してた

2021-09-08

歩行者最強の日本

歩行者用と自転車用レーンが整備されている街に住んでいる。歩道が2つに分かれていて、色分けされていて、看板でもそれとわかるようになっている。各1.5mずつ道幅があるので、わりと広めだと思う。境目は平坦だったり植木があったりしてゆるい。

ここでいつも思うのが、自転車用レーンを歩く歩行者がめちゃくちゃ多い。自分歩行者の時はそちら側を歩いている人に「なんで?」と思うし、自転車の時はむかつきながらよけて一旦歩行者用レーンに入って自転車用レーンに戻る。

何のために分けられているのかがわからなくなる。自転車用レーンを歩く歩行者表記が目に入っても頭から抜け落ちるのか、自転車用レーンも含めて歩行者優先だと思っているのかがわからない。

自治体は頑張っているとは思うが、調べていないので「専用レーン」なのか「優先レーン」なのか、そのへんはわからない。ただなんのために分けているのかがわからいくら歩行者無双すぎる。

ヨーロッパ某国に行った時、散歩で街歩きをしていたら後ろから来た自転車ベルを鳴らされて舌打ちされた。ジェスチャーで下を見ろと言われて下を見ると、自転車マークがあった。知らずに自転車用レーンを歩き、迷惑存在になっていた。その場で詫びたが、ルール違反アジア人と思われたことだろう。この時の価値観が強くて、日本歩行者変じゃね?と思うようになった。

あと個人的歩道を滑走している自転車バカだと思って車道を走れよと思っているし、歩道ベル鳴らしている自転車はもうどうしようもないと思っている。

歩行者自転車教育ってどこで受けたっけ?

2021-09-06

原始人がネックレスをつけた理由 パート1

概要

貨幣前身は、言語とともに、初期の現代人が他の動物解決できない協力の問題解決することを可能にした。これらの原型は、非フィアット通貨と非常に特殊な特徴を共有しており、単なる象徴や装飾品ではなかった。

お金

17世紀イギリスアメリカ植民地では、当初から硬貨の不足という問題があった。イギリスの考えは、大量のタバコ栽培し、世界的な海軍商船の船のために木材を切り出し、その見返りとしてアメリカ人の労働力として必要物資を送るというものであった。つまり、初期の入植者は、会社のために働き、会社の店で買い物をすることになっていたのである投資家王室は、農民要求に応じてコインで支払い、農民自身物資を買わせ、さら天罰として利益の一部を確保するよりも、この方法を好んだ。

植民地の人々の解決策は目の前にあったが、彼らがそれを認識するまでには数年を要した。原住民お金を持っていたが、それはヨーロッパ人が慣れ親しんできたお金とは全く違っていた。アメリカン・インディアンは何千年も前からお金を使っていたし、新しくやってきたヨーロッパ人にとっても便利なお金であった。しかし、ニューイングランドの人々は、銀も金も使わず自分たち生活に最も適したお金を使っていた。その代わりに、彼らは獲物の耐久性のある骨組みという、その環境に最も適した貨幣を使っていた。具体的には、ワンパムと呼ばれる貝(ホンビノスガイ)とその近縁種の貝殻をペンダントにしていた。

貝は海でしか採れないが、ワンパムは内陸部でも取引されていた。アメリカ大陸の各部族には、さまざまな種類の貝殻貨幣存在していた。イリコイ族は、貝の生息地に近づかずに、最も大きなワンパムの財宝を集めることができた。ワンパムを専門に製造していたのは、ナラガンセッツ族などほんの一握りの部族で、他の何百もの部族(その多くは狩猟採集民)がワンパムを使用していた。ワンパムのペンダントは、長さとビーズの数が比例しており、様々な長さのものがあった。ワンパムペンダントの長さは様々で、ビーズの数は長さに比例しており、ペンダントを切ったり繋げたりして、支払った金額と同じ長さのペンダントを作ることができた。

入植者たちは、本当のお金とは何かという問題を克服すると、ワンパムの取引に熱中した。貝(clam)は、アメリカでは「お金」の別名として使われている。ニューアムステルダム現在ニューヨーク)のオランダ人知事は、イギリスアメリカ人の銀行からワンパムで多額の融資を受けた。しばらくすると、イギリス当局もこれに同調せざるを得なくなった。1637年から1661年にかけて、ニューイングランドではワンパムが法定通貨となった。植民地の人々は流動的な交換手段を手に入れ、植民地貿易は盛んになった。

ワンパムの終わりの始まりは、イギリスアメリカ大陸に多くのコインを出荷するようになり、ヨーロッパ人大量生産技術を応用するようになってからである。1661年になると、イギリス政府はワンパムの製造を中止し、本物の金や銀、そして王室監査を受けてブランド化されたコインで支払うことにした。この年、ニューイングランドではワンパムは法定通貨ではなくなった。1710年にはノースカロライナ州一時的法定通貨となった。ワンパムは、20世紀に入っても交換手段として使われ続けていたが、その価値西洋の収穫・製造技術によって100倍にも膨れ上がり、貨幣発明された後に西洋で金や銀の宝飾品が行き渡ったように、よくできたお金から装飾品へと徐々に変化していった。アメリカ貝貨言葉は古風な遺物となった。百貝は百ドルになった。「Shelling out」とは、コイン紙幣で支払うことを意味し、やがて小切手クレジットで支払うようになった。我々は、自分たち種の起源に触れてしまたことを知らなかった。

収集

ネイティブ・アメリカンお金は、貝殻以外にも様々な形があった。毛皮、歯、そして後述する特性を持つ他の様々な物体も、交換手段としてよく使われた。12,000年前、現在ワシントン州で、クロービス族は、驚くほど長い角岩の刃を開発した。しかし、すぐに折れてしまう。これでは切ることもできない。火打ち石は「楽しむため」に作られていたのか、それとも切ることとは関係のない別の目的のために作られていたのか。後述するように、この一見軽薄に見えることが、実は彼らの生存にとって非常に重要であった可能性が高い。

しかし、ネイティブ・アメリカンは、芸術的ではあるが役に立たない刃物最初に作ったわけではないし、シェルマネー発明したわけでもない。ヨーロッパ人も、昔は貝や歯をお金にしていたし、牛や金、銀、武器なども使っていた。アジア人は、それらすべてを使い、政府が発行した偽物の斧も使っていたが、この制度も輸入していた。考古学者が旧石器時代初期の貝のペンダント発見しており、それがネイティブ・アメリカンお金の代わりになっていた可能性があるからだ。

1990年代後半、考古学者のスタンリーアンブローズは、ケニアリフトバレーにあるロックシェルターで、ダチョウの卵の殻やブランク、貝殻の破片でできたビーズキャッシュ発見した。これらのビーズは、アルゴン-アルゴン(40Ar/39Ar)比を用いて、少なくとも4万年のものとされている。スペインでは、この時期に穴の開いた動物の歯が発見されている。また、レバノン旧石器時代初期の遺跡からは、穴の開いた貝殻が出土している。最近では、南アフリカのブロンボス洞窟で、さらにさかのぼって7万5千年前に作られたビーズ状の貝殻が発見されている。

現代の亜種はヨーロッパ移住しており、紀元前4万年から貝殻と歯のネックレスが登場している。また、オーストラリアでは紀元前3万年から貝と歯のペンダントが出土している。いずれも高度な技術を要するものであり、もっとから行われていたと思われる。採集や装飾の起源は、解剖学的に現存する亜種の原産地であるアフリカである可能性が高い。人類が常に飢餓と隣り合わせの生活をしていた時代に、貝殻の製造には膨大な技術時間必要だったのであるから収集してネックレスを作ることには重要選択利益があったはずである

実質的貿易を行っていない文化や、現代的な貨幣使用している文化であっても、事実上すべての人類文化は、ジュエリーを作り、楽しみ、実用性よりも芸術性や家宝としての価値を重視している。我々人間は、貝殻のネックレスやその他の種類のジュエリーを、純粋に楽しむために集めている。進化心理学者にとって、人間が「純粋に楽しむため」に何かをするという説明は、説明ではなく、問題提起なのである。なぜ多くの人が宝石を集めたり身につけたりすることを楽しんでいるのか?進化心理学者にとってこの問題は「何がこの楽しみを進化させたのか?」ということである

進化と協力、そして収集

進化心理学は、ジョン・メイナードスミス重要数学発見から始まる。スミスは、発達した集団遺伝学の分野から共進化する遺伝子の集団モデルを用いて、単純な戦略的問題ゲーム理論「ゲーム」)で使用される善悪戦略コード化できる遺伝子を提唱した。スミスは、これらの遺伝子が次世代への伝播を競っている場合競争相手提示する戦略問題に対してナッシュ均衡となる戦略進化させることを証明した。このゲームには、協力の典型的問題である囚人のジレンマ」や、攻撃とその緩和の典型的問題である「鷹と鳩」などがある。

スミス理論重要なのは、これらの戦略的ゲームは、近距離表現型間で行われているが、実際には、究極のレベルである遺伝子間のゲーム、つまり伝播されるべき競争レベルで行われているということである遺伝子(必ずしも個体ではない)は、あたかも拘束された合理性生物学原材料過去進化歴史考慮して、表現型が表現できる範囲内で、可能な限り最適な戦略コード化する)と「利己的」(リチャード・ドーキンス比喩使用であるかのように行動に影響を与える。遺伝子が行動に与える影響は、遺伝子が表現型を通じて競合することで生じる社会的問題への適応であるスミスはこれらの進化したナッシュ均衡進化的安定戦略と呼んだ。

性淘汰や血縁淘汰など、それまでの個人淘汰説の上に構築されていた「エピサークル」は、このより一般的モデルの中に消え去り、コペルニクス的な方法で、個人ではなく遺伝子を理論の中心に据えることになる。このようにドーキンスは、スミス理論説明するために、「利己的な遺伝子」という比喩的でよく誤解される言葉を使っている。

旧石器時代人間のように協力し合う種は他にほとんどない。雛の世話、アリ、シロアリハチコロニーなど、動物が協力するのは親族からであり、親族にある自分の「利己遺伝子」のコピーを助けることができるからである。非常に制約の多いケースでは、進化心理学者が「相互利他主義」と呼ぶ、親族以外の者同士の継続的な協力関係存在する。ドーキンス説明によると、好意の交換が同時に行われない限り(場合によってはその場合でも)、どちらかが不正を行うことができる。そして、普通はそうする。これは理論家が「囚人のジレンマ」と呼んでいるゲーム典型的な結果である詐欺師と吸血者の集団では、常に詐欺師が勝つ。しかし、「Tit-for-Tat」と呼ばれる戦略を用いて、相互作用を繰り返すことで協力するようになる動物もいる。この報復の脅威が継続的な協力の動機となる。

しかし、動物世界で実際にそのような協力が行われる状況は、非常に制約が多い。主な制約は、少なくとも一方の参加者が多かれ少なかれ相手の近くにいなければならない関係限定されていることである。最も一般的なケースは、寄生虫とその体を共有する宿主共生体に進化した場合である寄生虫宿主の利害が一致し、どちらか一方が単独活動するよりも、両者が一緒に活動する方が適している場合(つまり寄生虫宿主にも何らかの利益をもたらしている場合)、Tit-for-Tatゲーム成功させることができれば、両者の利害、特に世代間の遺伝子の出口メカニズムが一致した状態である共生体に進化する。そして、1つの生物となるのであるしかし、ここでは協力だけではなく、搾取も行われている。それらは同時に起こる。この状況は、以下で分析する人間が開発する制度、つまり貢ぎ物に類似している。

寄生虫宿主が同じ体を共有して共生体に進化するのではない、非常に特殊な例がある。寄生虫宿主が同じ体を共有し、共生生物進化するのではなく、同族ではない動物と高度に制限された縄張りを持つ、非常に特殊な例がある。ドーキンスは、クリーナフィッシュを例に挙げている。この魚は、宿主の口の中を泳いで出入りし、そこにいるバクテリアを食べて宿主の魚に利益をもたらす。宿主である魚は、クリーナーが仕事を終えるのを待ってから食べるというズルをすることもできる。しかし、そうはしない。両者とも移動可能なので、潜在的には自由関係を断つことができる。しかし、クリーナフィッシュは個々の縄張り意識を非常に強く進化させており、偽造しにくいブランドロゴのように、偽造しにくい縞模様や踊りを持っている。宿主魚はどこに行けば掃除してもらえるかを知っているし、もし不正をしたら、新しい不信感を持った掃除魚ともう一度やり直さなければならないことも知っているのだ。この関係入口コスト、つまり出口コストが高いので、不正をしなくてもうまくいくのである。それに、クリーナフィッシュは小さいので、それを食べることで得られる利益は、少数の、あるいは1匹のクリーニングで得られる利益に比べて大きくはない。

最も適切な例として、吸血コウモリがある。その名の通り、獲物である哺乳類の血を吸う。面白いのは、良い夜には余剰分を持ち帰るが、悪い夜には何も持ち帰らないことだ。彼らの暗躍は非常に予測不可能である。その結果、幸運な(あるいは熟練した)コウモリは、洞穴の中で幸運でない(あるいは熟練していない)コウモリと血を分かち合うことが多い。彼らは血を吐き出し、感謝している受取人がそれを食べる。

このようなレシピエントの大部分は親族である。屈強な生物学者G.S.ウィルキンソンが目撃した110件の血反吐のうち、77件は母親子供に食べさせるケースであり、その他のケースもほとんどが遺伝的な親族であるしかし、親族間の利他主義では説明できないケースも少なからずあった。これらが相互利他主義のケースであることを示すために、ウィルキンソンは2つの異なるグループコウモリ個体群を組み合わせた。コウモリはごく稀な例外を除いて、元のグループの旧友にしか餌を与えなかった。このような協力関係を築くには、パートナー同士が頻繁に交流し、お互いを認識し、お互いの行動を把握するような長期的な関係を築く必要がある。コウモリ穴は、そのような絆を形成できる長期的な関係コウモリを拘束するのに役立つ。

人間の中にも、非常にリスクの高い不連続な獲物を選び、その結果得られた余剰分を親族以外と共有していた者がいたことがわかるだろう。実際、人間は吸血コウモリよりもはるかに大きな範囲でこれを達成している。その方法が本論の主題であるドーキンスは、「お金は、遅延した相互利他主義正式トークンである」と示唆しているが、この魅力的なアイデアをそれ以上追求することはない。我々はそうする。

人間の小集団の中では、世間の評判が一人の個人による報復よりも勝って、遅延型互恵主義の協力を動機付けることができる。しかし、評判を信じることには2つの大きな誤りがある。どの人が何をしたかについての誤りと、その行為によって生じた価値や損害を評価する際の誤りである

顔や好意記憶する必要があるというのは、認知上の大きなハードルであるが、ほとんどの人間比較的容易に克服できると考えている。顔を認識するのは簡単であるが、好意を受けたことを思い出すのは難しい。また、好意を受けた人にとって、その好意がどのような価値を持つものであったかを思い出すことは、さらに困難である紛争や誤解を避けることは、不可能なほど、あるいは法外に難しいことである

パート2: https://anond.hatelabo.jp/20210906120933

パート3: https://anond.hatelabo.jp/20210906125926

パート4: https://anond.hatelabo.jp/20210906130017

パート5: https://anond.hatelabo.jp/20210906130125

パート6: https://anond.hatelabo.jp/20210906130158

2021-09-05

anond:20210905165047

タイとかキッチンないんじゃなかったっけ

中国和式便器シャワーもあれだけど、

アジア人建物に人を詰め込むことだけを重視しているのでは

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