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はてなキーワード: 陪審制とは

2022-10-20

anond:20221020172754

憲法の最高規範のやっかいさを端的に表現していて興味深い。ブクマの反応も含めて。

憲法憲法自身を自ら最高!と自己規定する、というのは、そもそもマジックなんだよね。

これに答えられなければいくら教科書の言説を取り出しても意味がないよ。

法律というのは、根拠をすべて憲法に求めることができるんだけど

憲法だけは違う。なにせ最高規範なんだから、その上に憲法を基礎づけるものはない。

なんで最高なの?というと問いに、オレ(憲法自身)がサイコだっていってんだからサイコーなんだよ!というだけである

しいていえば、今の憲法思想好きだ、重要だと思う、という社会コンセンサス(通説という言い方をすることが多い)でしかない。

なので、社会ムードにとても左右されやすいのが憲法脆弱性といえるんだよ。

から、常に普遍的原理だ!とかって言い続けてなければならなくて、わかってない奴や反論する奴がいたら、速攻でモグラたたきをしたがるわけ。

まさにその現象ブクマで発生していたので失笑してしまった。



憲法の持つ本来的な脆弱性については、例えば、18世紀アメリカの制憲の始祖たちも随分、起草前は随分悩んだらしく、

有名なフェデラリスト論文は、匿名で書かれ、憲法制定に至る思考実験垣間見ることができる。

米国では、司法世界をがっちりと国民参加も含めて重層的に構造化したから、その思考実験の結果が社会全体に引き継がれている。

陪審制をみたフランス人トクヴィルが感動したのは有名な話だね。

連邦最高裁重要判決ではほぼ必ず、制憲時の思いにさかのぼって答えを出す。

日本は、戦後ある意味、そういう産みの苦しみを思想家たちが共有せず、戦禍というキーワードでなんとなく丸め込んでしまった(前文)。

そうすると、必然的に、戦争記憶が薄れれば、憲法意味がぼやけてくる。

立憲主義意味だって教科書開いて調べるようなもんじゃないんだよ。社会の仕組みとしてそれをいいと思うかどうかの話なんだから

いいと思わない奴がいても全然構わないし。

日本では、そういう時代を今迎えているんだけど、

憲法を支える思想家は、正直、ていたらく。

通説を整理するだけの仕事といっちゃなんだけどね。だって、そうでしょ。

モグラたたきをしたって、しょうがないんだよ。

2021-03-17

anond:20210317185927

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%B1%B3%E5%85%B5%E5%B0%91%E5%A5%B3%E6%9A%B4%E8%A1%8C%E4%BA%8B%E4%BB%B6

また、被告人となった海兵隊員の家族は「人種差別によるでっち上げだ」「若者たち日本に連れ去られようとしている」と主張し来日した。来日後も「沖縄だと陪審員に良く思われないか裁判が我々に不利になる。だから裁判の場を九州に移せ」などと被告人の妻らが主張する様子が日米双方のメディアに流された[注釈 3]。しかしながら被告人家族は泣きながら失神する姿まで披露したものの、そもそも陪審制が無い日本では的外れで空回りに終わった。また文化的にも白人黒人が絡む人種差別問題になじみが無いため全く同情の声は挙がらず、むしろ反感を煽る結果となり、世論から相手にされなかった。

人種差別権力勾配を理解しようとしないのに、自分たちの時だけ権力勾配を訴えるのは通らない。

2020-07-29

沖縄県米兵やその家族ポリコレ活動し始めたら、地元の人を応援するのが正解なのか、普遍的正義の方を応援するのが正解なのか。

まりにも難しい。

米国でも沖縄でも感じる人種差別 元米兵「声を上げれば変わる」 黒人男性暴行死、300人リレートーク

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/585114

沖縄タイムスはこの流れを好意的に報じている。

しか

沖縄米兵少女暴行事件

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%B1%B3%E5%85%B5%E5%B0%91%E5%A5%B3%E6%9A%B4%E8%A1%8C%E4%BA%8B%E4%BB%B6

実行犯は当初4人だったが、内1人は少女があまりにも幼かったことで強姦に加わらなかった。実行犯の3人は人種的アフリカ系アメリカ人であったため、「この逮捕人種差別だ」と繰り返しマスコミに主張していたが、その主張は取り上げられず、処分が行われた。

また、被告人となった海兵隊員の家族は「人種差別によるでっち上げだ」「若者たち日本に連れ去られようとしている」と主張し来日した。来日後も「沖縄だと陪審員に良く思われないか裁判が我々に不利になる。だから裁判の場を九州に移せ」などと被告人の妻らが主張する様子が日米双方のメディアに流された[5]。しかしながら被告人家族は泣きながら失神する姿まで披露したものの、そもそも陪審制が無い日本では的外れで空回りに終わった。また文化的にも白人黒人が絡む人種差別問題になじみが無いため全く同情の声は挙がらず、むしろ反感を煽る結果となり、世論から相手にされなかった。

この主張が無視されたとは、1990年代日本沖縄含む)は人種問題になんと無頓着社会だったのだろう。

 
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