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2019-04-07

メルカリはじめて1ヶ月

おっす!オラおたく

使いもしないグッズ収集グセがとにかくひどい。

先月からふと思い立ってメルカリ登録していらないグッズを出品してる。

そこで思ったことあれこれ

・思ったより高く売れない。

メルカリ金額って送料込販売手数料込が基本だから、意外に結構金額差し引かれる。

ローカルルールがある。

購入前に「購入してもいいですか?」等挨拶コメントを残す残さないの決まりがあるっぽい。

・値下げ交渉がある。

値下げをお願いされるとだいたい相場として5~10%値下げするらしい。(断っても可)

評価簡単に悪くなるらしい。

挨拶しないとかで評価されたりするらしい。出品数取引数多い人に多い印象。

・招待コード

これ、全く知らなくて突然登録したので失敗したって思った。簡単に言えば電子マネーを300円分貰える。

・なんかキャンペーン

初回購入された記念とかで電子マネー貰えた。色々合計したら3000円くらいになった。(それぞれ期限があり)

電子マネー(メルペイ)はコンビニ等で使える。

おサイフケータイ登録するとコンビニだけじゃなく提携してるイオンスーパーとかでも使えた。

メルカリ便便利

地域の送料考えなくていい、荷物サイズで一律いくらになる。コンビニからでも金額変わらず発送できる。

匿名配送便利

宛名かかなくていい!

評価されないと入金されない

これは到着してるのに評価遅い人にはちょっともやっとする。

・出品して5分で売れることある

速すぎて驚く。でも、売ろう!って気持ち萎える前なので気持ちが楽。

増田は前は一人暮らしなのに3LDKの家に住んでたんだ。

田舎過ぎてファミリー向けしかなかった。家賃独身用の方が下手したら高いというレベル。そんな感じなので、社会人の金にモノを言わせてグッズ(未開封)を買い漁ってたんだけど、転職して田舎から都会に引っ越しを気にドバッとグッズを断捨離した。何せ部屋はいくらでもあるので片付けても片付けてもグッズがあったの悪夢だった。すごくしんどかった。これが10年前。

引っ越し先はワンルームからってグッズは買わないように厳選してたんだけど、今また10年たてば塵も積もるわけで。

色々昨年中は災害とかもあったし、病気もしたし、まだまだ生きるつもりでいるけど、オタクの部屋を突然実家家族遺品整理とかする羽目になったら…って思ってさ。というか、価値のわからない家族に、ただ捨てられる未来想像して辛くなった。

まだまだグッズはたくさんあるけど断捨離スイッチ入ってるうちに片付けた方がいい。

あとは猫と暮らしたいんだ。

もちろん、全てを捨てられないけど残したいもの以外は処分したい。頑張るぞー!

グッズの他になんの整理もされてない本棚がいくつかあるけどな…

2019-04-06

ロスジェネ非正規の職探し

アラフォー非正規場合、どういう仕事に就けばいいのか考えてみた。

考えるポイント

老後の生活

年を取っても働ける仕事経験を蓄えたい。

警備や清掃はまだ早い

60歳過ぎてからでもすぐに見つかるような仕事もったいない

少子高齢化社会

中年になったロスジェネ世代若者世代相手にされると思ってはいけない。

そして年寄りが爆増する世の中で何ができるか考えなくてはならない。自分の親も年寄りだ。

具体的な仕事

調理師とか理美容師とか

お金があったら手に職つけるための学校行って資格取る。店さえあれば死ぬまでできる。

家電量販店とかケータイショップ店員

こういうものに疎い年寄り相手スタッフはこれから時代必要人材

農家になる

ポツンと一軒家のテレビ番組を見ていると、農地と家さえあれば生きていけそうに思う。

庭師

庭つきの家に住む高齢者自分で庭の手入れが出来なくなってくるから

葬儀屋遺品整理みたいな仕事

時代ニーズ

伝統工芸職人

後継者不足は長年言われているし、中年からでも奉公先さえ見つかれば60になる頃には職人になれるのでは。

家業があるなら跡を継げ

サラリーマン家庭に生まれると、商売をする資本がない。ローンのついた家ぐらいしかない。

親とはいろいろあったかもしれないが、頭を下げて家に帰ろう。

「親の代で廃業かな…」って思ってるなら譲ってくれ。

他になんかある?

もっと思いつくかと思ったけど思いつかなかった。

2019-03-10

死んだ父の日記に書いてあったこ

母親遺品整理のついでに父親の書いた日記を引っ張りだして来た。

あんなことが書いてあった、こんなことが書いてあったと楽しげに報告してくる。

今日は一日雨だったとか、誰とゴルフしたとか。日記というよりは日報のような代物だ。

だけどそれってどうなのかなあ。

そもそも他人に読まれることを前提に書かれたものではない訳だし。

死者への尊厳云々は別としても、もう死んだ人間日記を読みふける精神状態ってどうなんだろう。

この前も「日記にお前のこと書いてあったよ」と言ってきたのでぞっとして「もうやめろよ」と怒ってしまった。

書いてあったのは、何時に帰ってきたとか、そんなレベルの事だったそうなのだが。

母曰く、日記を読んでいると父に会ってる気分になるそうなのだ

つくづく、自分日記なんでものをつけてなくて良かったと思う。

PCスマホデータも綺麗に消していこう。

2018-11-17

anond:20180515221222

“(合算すると)現金十数万円が埋もれていた。”

なるほどなぁ。遺品整理業者ゴミ屋敷処理業者インセンティブ理解できたわ。

2018-10-23

不思議な話をしよう

場合によっては怖い話に分類されると思うのだが

個人が怖くなかったし、実際に語ってみてもやはり怖くはないか

これは不思議な話なんだ

中学生の頃、学校から家に帰って玄関を開けると、管楽器の音がした

それは、私が玄関に入った途端、まるで、楽器を吹いていることを知られたくないような様子で消えた

私には、2つ上の兄がいたが、兄は当時から友人にギターだのアンプだの借りては母に注意されていた

から私は、また兄が友人から楽器を借りて、それを知られたくなくて急いで吹くのをやめたのだと思った

案の定、兄の部屋へ逃げるように身を滑り込ませる人影を見た

私は、隠したいなら好きにさせようと、深追いはしないでその時は見て見ぬふりをした

母にはその日の夜に、兄がまた友人から楽器を借りたようだが、私達には知られたくないようだからそっとしておいてあげてくれと言った

結局、母は兄に楽器のことを言ってしまったが

しかし、そうするとどうも様子がおかし

兄は友人からそのような楽器は借りていないし

私が音を聞いた日は、そもそもその時間家にいなかったし

よく考えたら、玄関を開けてから聞いたその音を、玄関の外では私は聞いていなかった

話は少し遡るが

小さい頃、うちは両親が離婚して、私は母に引き取られた

何年も会っていなかったが、私が中学生の時、父方の祖母から父が死んだと連絡があって葬式に呼ばれていた

遺品整理の際、父が使っていたホルンを、私が譲り受ける約束になっていた

私一人では取りに行けず、しばらく祖父母に預かってもらっていたのだが

しかしたら、早く楽器を取りに来いという父なりの合図だったのではと思っている

2018-08-31

anond:20180831163543

滝行とかしちゃえば!

囚われていた悪いものがおちて、

ピコーン!」とひらめくかも。

男だったら滝行いってみたい

遺品整理してたら父が滝行してるときのがあって、

おなかもぽっこりだったけど

なんか良さげだなぁって思いました。

2018-06-15

anond:20180615175114

遺品整理の一環としてPC内のエロ画像を日々紹介する増田書いてみてくれ

2018-05-15

妹のゴミ部屋を掃除した

妹が一人暮らししていたゴミ屋敷のような部屋を、この3日間をかけて片付けた。
とにかく吐き出して残したいという思い9割、誰かの役に立つかもしれないという雑な期待1割で書きます

経緯

2009年春に妹が地方大学へ進学し、それからアパート一人暮らししていた。
その後いろいろあって、3年前の4月に突如実家に帰ってきて、実家ニートに転身した。もともと内にこもりがちの性格であったが、在学中にうつ病も患っていたらしい。3年近い休学を経て、結局退学した。今もそれほど状況は好転していない。
それ以降、アパートに戻っておらず、契約けが残る状態が続いていた。

丸3年放置されていたため、さすがにだめだろうと父へ打診し、今年の5月に父と僕で片付けと解約を行った。この件については妹は一言も口を聞かなかったので、二人で強行した。
大人二人いればなんとかなるだろうと2泊3日で予定を組み、自分が先行して部屋に入って片付けを先行する手はずになった。
この件については全く頑なな妹の態度から、「人が死んでるのかな?」とか、「異臭騒ぎになっているはずだからバラバラにして冷凍されているかも」とか、「郵便受けに大量の督促状とか入ってたらどうしよう」とか、出発までの数日間はそんなことを勘ぐり、心中穏やかではなかった。
父が出発当日に妹に声をかけたが、部屋に引きこもって出てこなかったらしいので、結局父と二人で作業も行うこととなった。

大家さんに借りた鍵(妹は持っているとも無くしたとも、何も言わなかったらしい)を使い、ドアを開ける。
アパートはよくあるタイプの1Kで、玄関から入るとキッチンがあり、扉を挟んで左にユニットバス、奥の戸を開けると6畳の居間があるという構造自分は妹のアパートにこの時初めて入ったが、大学時代は全く同じ間取りアパートを借りていたので、。

開けた瞬間、なんとも言えない臭いが真っ先に鼻についた。多分、配管の中の水が蒸発しきって、下水臭いが逆流していたのだろうと思う。3年間開けていたのでこんなものかもしれない。
玄関は、空き缶が詰められた大きなゴミ袋(45Lくらい)と、紐でくくられた雑誌が何束か、それと買ってきたであろう掃除用具が転がっていた。
次に、左側のユニットバスの扉を開ける(内心、かなりビビっていた)。ゴキブリカマドウマ死体が転がっていたり、シャワーカーテンが真っ黒にカビていたり、臭いも更にきつかったけど、思っていたほどではなかった(シャワーカーテンなんかは消耗品だし)。とはいえ、ここで用を足す気には全くなれなかった。

最後居間の戸を開ける。が、30cm位しか開かない。何かがつっかえているらしい。30cmの隙間からは、ゴミ部屋が広がっていた。テレビで見た、あのゴミ屋敷のような部屋だった。
床が見えなかった。ベッドと同じ高さまでゴミが層に積み重なっており、畳なのかフローリングなのか、カーペットを敷いているのかどうかとかは全くわからなかった(ちなみにフローリングの上にカーペットが敷かれていた)。

その後合流した父と3日間(作業時間は丸2日)をかけて、なんとか片付けを終え、解約までこぎつくことができた。
可燃ごみは45Lのゴミ袋で40袋弱、ビン・缶が10袋程度、ペットボトルも同じくらいで10袋、粗大ごみが約100kg、これに加えて冷蔵庫洗濯機リサイクル家電処分した。

教訓と考察

ゴミ屋敷の片付け作業において

片付け作業でのポイントを忘れないように記録します。もう二度とやることは無いかもしれませんし、そう願っていますが。

事前に”どの程度の”状況なのかは把握したい。
妹がこの件については全く口を割らず、また僕も父も部屋に入ったことが無かったので、状況がわからず、準備も中途半端になってしまった。
もし屋敷と言えるくらいの広さだったり、糞尿があるようなら、心身の衛生のためにも、専門業者に頼んだほうが良いと思う。今回はそういうのが無かったので、なんとかなった。運が良かった(?)。

二人以上で作業するのは必須だと思った。一人では絶対心が折れる
僕は心が折れた。居間をひと目見ただけで、頭の中が真っ白になり、10分くらい部屋の前で狼狽していた。動転していた中、「とにかく十分な装備が要る」と思い、部屋からいったん離れて近くのスーパーマスクゴム手袋軍手ウェットティッシュ調達した。部屋に戻り、まずは何かに着手しようと玄関に散らばっていたカタログ雑誌を、紙紐(転がっていた掃除用品の中にあった)で縛り始めた。雨が降りしきり、薄暗い玄関で黙々と作業しながら、「妹はこんなところで6年間も住んでいたのだろうか」「こんなところにいたら頭がおかしくなるに決まってるやろ」「こんなしょうもないものに囲まれて、6年間で何が得られたんだろう」「玄関にあった掃除用品は自分でなんとかしたかったけど、どうにもならなかったのだろう、自分を恨んだり呪ったりしたかもしれない」「なぜ助けを求められなかったんだろう」「今もそう、どんな思いで、どんな気分で生きているんだろう」「なんでこうなったんやろ、なんでやろ」と頭がぐるぐるし、だんだん悲しくなり、終いには泣きそうになっていた。作業したくない言い訳かもしれない。その後、父が到着するまでの間、恥ずかしいことに作業を投げ出して近くのカフェに逃げ込んで、清掃業者を調べていた、というか茫然としてしまっていた。
父が加勢してからは、とにかく話しながら作業した。話すことがなければ、「オラオラオラ」とか「うげーなんじゃこりゃ」とかなんでも良いか独り言を出して、”黙々”という状況をなるだけ避けた。そうして余計なことを考えないようにした。独り言は案外一人では言えないものなんだな、というのも初めて得た気付きだった。

できれば一緒に作業する人は年長者が良いかもしれない。
僕の父は、僕ら兄妹の引っ越し祖母遺品整理などを手伝っていたので、片付けは手慣れたもので、そういった作業用キット(父曰く「いつものやつ」)を自前で作って実家から駆けつけてくれた。僕が狼狽して入れなかった居間を見ても、「おうおう、アイツ(妹)、なんちゅう散らかしようや。ちょっと中入ってつっかえてるもん取って」と怯まなかった。「あ、このおっさん、やる気やな」と、自分もここで覚悟を決めた。

車も必須可能なら、軽トラなどを借りておきたい(量が多いのと、ゴミなので車内を汚したり臭いをつけたりするため)。
借りるときは、片付けている部屋から持ち込み可能自治体清掃センターがどの程度離れているのか、といったところから積載量も考えた方が良いかもしれない(遠いとこまめに運んだときタイムロスになるため)。

土足で作業すること。そうでないと身動きが取れない。靴もできれば底が頑丈な登山靴や安全靴が望ましい。ゴミの下に鏡などがある(今回はゴミの下から合計5枚、そのうち2枚が割れていた)。自分も気づかずにそれを踏み抜いたが、軽登山可能な厚手のスニーカーだったので助かった。
土足に加えて、ゴム手袋マスクメガネ(花粉症用の装備が良いかもしれない)は必須。3年人が住んでいなかったので臭いはそこまでだったが、代わりに埃っぽさが酷く、メガネが無いと危険だった。実際、作業が終わるころにはレンズホコリで白くぼやけていた。衛生面でダメージを受けるとモチベーションがすっごい下がるし、何より感染病とかが心配になってくる。

作業スペースが限定されるので、二人で作業するときはきっちり役割分担をすること。
居間ゴミ処分作業の中心になるが、動けるスペース・何かを置いておけるスペースが全く無かったので、二人が作業するためには何らかの作戦必要になった。
そこで、僕がとにかく可燃ごみ・ビン・缶をゴミ袋に詰め込みまくって部屋を原状復帰させること、父がダンボール分別必要もの解体や、分別必要ゴミの分解、雑誌などの資源ごみの紐括りなどを担当することにした。そうすることで、足の踏み場がない居間には僕、玄関には父という配置で、前衛の僕が分別できないゴミ玄関に投げ、後衛の父が投げられたゴミを処理するというフローができるので、二人の動線干渉せず、効率的作業できた。

進捗は正義
床に敷かれたカーペットが少し見えたときは「このゴミ無限ではなく作業意味があるんだ」と勇気づけられたし、いっぱいにしたゴミ袋の数を数えるのが少なくともそのときは僕にとっての勲章だった。2日目の午前、居間の奥の窓まで到達し、締め切られていたカーテンと窓を開け、光と風が差し込んだときは「ライン川を渡った連合国軍兵士はこんな気分だったのか」と思いながら、ガッツポーズをしていた。完全に頭が湧いているけども、何にせよ進捗をあげている気分になれないと、無限に続くような作業に耐えきれなかった。

一番ゴミが多いのはベッドの周り。
ゴミ屋敷になってくるとベッドの上は最後生活圏になるので、燃えるゴミの大半はここから出るのだろう。実際、ゴミ袋に詰め込む作業時間の7割程度は、ベッドの周りに関わっていたと思う。逆にベッドからというところのゴミは、実はベッド際ほど層が高くなかった(放り出された空のダンボールが折り重なって、最初は見えなかったが)。
ちなみにベッドの周りのゴミの中に、(合算すると)現金十数万円が埋もれていた。大事な物もきっとベッドの付近で見つかるのだろう。「こうして廃棄品から千万が見つかることになるんやなー」と父がのん気にぼやいてた。そのとおりだと思う。

ゴミ屋敷にしないためにできることはなんだろうか

延々と続く作業の中で、「なぜこうなってしまったのだろう?」と考えていた。
妹が精神的に患っていたこともあって決して一般論ではないですが、自分一人暮らし経験とも照らし合わせながら、整理したい。

ベッドの周りのゴミの中で特に多かったのは、ティッシュビニール袋、綿棒、割り箸から揚げ棒や焼鳥の串、500mlの牛乳パック、レシートアイスの棒とカップ、コンドーム(もちろん全て使用済み)。要するに、普通は捨てることに一切躊躇しない物がほとんどだった。
でも人によっては、ビニール袋は「何かに使うかも」とか、レシートは「いくら使ったのかわからなくなるのが不安」とか、そういう(場合によっては無意識的な)抵抗が働くかもしれない。捨てるときには、その都度、軽重異なるが判断が求められるし、捨てて得られるものも無いので"保留"という形で、なんとなくそのへんにうにゃむにゃしてしまうのかもしれない。
上でも述べたとおり、ベッドの周り(特に上層)はもはやゴミ屋敷化してしまった状態での行動を反映していると考えられる。この時点では、もう何かを判断する力を失っていたのだろう。ベッドの周りには大量のバファリンもあった。ゴミ屋敷とかそれ以前に、妹がそうなってしまう前に手立てを打ちたかった。悔やみきれない。
「余計なものを買うから、ああなるんだ」と思い込んでいたが、そうではなく「本当にしょうもないものも捨てられないから、こうなるんだ」という当たり前の気づきもあった。

あれだけ汚い居間の中で、中身の入ったゴミ箱・ゴミ袋の類が不思議と見当たらなかった(未開封の市指定ゴミ袋は片付けの途中で見つかった)。
捨てることがシステムの中に組み込まれておらず、捨てるハードルを高くしてしまっているというのもわかった(これは自分一人暮らしの中で覚えがあって、生ゴミ用に蓋付きのゴミ箱を買ったが、ゴミを放り込むのも、袋を出して捨てて入れ替えるのも面倒になって使わなくなったことがあった)。
ゴミ箱なんて使わずに、不格好でもそのままくくって捨てられるように市指定ゴミ袋を部屋に転がしておき、そのゴミ袋の下とか横にでも換えのゴミ袋を置いておくなど、とにかく「捨てやすい、ゴミ出ししやすい」を状況を作ることが大事なのだと思った。

捨てられない人にとって、通販は敵。
ダンボール処分に困る。解体担当の父もうんざりしていた(任せきりですまんかった)。硬くて解体しくいし、資源ごみだし。中身の方を早く取り出したくてダンボール処分どころではないかもしれない。
特にひどいなと思ったのはニッセンで、ゼクシィみたいな分厚いカタログが何冊も何冊もゴミの山から出てきた(発狂するかと思った)。体積的には、ニッセンで買ったものより多かったのではないだろうか。資源ごみは回収日が限られていて、しかも包装ビニールから取り出して紙紐で縛るなど手間がかかるので、捨てられない人間はあっという間に溜まる(自分定期購読した雑誌を、未開封状態積読した覚えがある)。
ゴミの下層の方に多く見られたのも、もともと捨てる手間が大きく、また捨てるメリットも少ない(生物のように腐ったりしないし)ので、まだ正常な判断ができる初期の時期でもなかなか捨てられず、結果、ゴミ屋敷へのトリガーとなるのだろう。

仕送りも敵。
ごみの下層でほったらかしにされたダンボールの中には、自分も見覚えのあるものメーカーのもの散見された。送り主は母で、仕送りされたものだった(僕も同じ時期に別の地方大学へ進学し、一人暮らしをしていたときに送られてきていた)。
中身はマヨネーズとか、ごま油とか、缶詰とか、そういうどこでも買えるような食品だったが、台所を片付けていたときほとんど未開封なのに気づいた。確かに、そのへんで買えるもので、しか調理しないと使えないようなものなど邪魔しかない(僕は強く「仕送りをやめろ、やるなら現金にしてくれ」と伝えていた)。
送られた品というのはなんであっても捨てにくいものだし、ましてやそれが一人暮らし栄養状態心配する母なのだからなおさらだありがた迷惑とはまさにこのことなのだろう。残念ながらこれもゴミ屋敷トリガーとなっていたと思える。

これは僕の直感なのだけど、一面床が見えなくなったらおしまいで、誰かに助けを求めたり介入したほうが良い。
床にゴミがある状態というのは、心理的ストレスが高い。捨てたくなるはず。だけど、一回ゴミで覆い尽くされたら、あとは高さしか変わらないのでゴミが増えたことを認知できない。そしてその期間が長くなるほど、もはや変えられない事実になる。ちょうど僕が初めて居間を見て「これは専門業者に頼むしかない」と感じたときと同じ絶望に、毎日毎日曝される。
この状況を打破するためには、他の誰かの助けがいるのだと思う。

どうでもいいこと(なんか汚い話)

初日に父がアパートに到着したときのこと。ユニットバスを見ると「うわーきたなー」と言いながら、そのまま入って、じょぼじょぼじょぼとおしっこをしていた。ちなみに2日目には自分大事荷物ユニットバスに置き、3日目には大の方もしていた。団塊世代の衛生感覚、恐るべし。僕は最後まで我慢してしまった。

意外とゴキブリは居らず、生きているのは1匹も見なかった(これは地域特性かもしれない)。
その代わり、5ミリくらいのうねうねした、尺取り虫のような、ちっちゃなムカデのような虫がそこかしこで這っていた。なんだったんだろう。

賞味期限が5年前に切れた卵の処理は簡単乾燥しきっているので液体ではなくなっていた(冷蔵庫の中だからかも)。

2018-04-14

書きなぐりたくなる稀によくある話。

私は性格はとてもネガティブ。頭も顔もスタイルは中の中といったところだ、決して美人ではないがブスでもない。キツめな顔立ちだがそれなりに告白もされたし結婚を申し込まれたこともある。ごくごく平凡だ。そしてとても親不孝者だ。

父は既に他界した。

記憶にある限り父は働き通しの人だった。成人式一般的な家庭では記念に家族写真を撮るだろう、我が家でもそうだった。しかし私は写真を撮るとき笑顔が作ることが出来ない。どうしてかいからかは分からない。自分が醜いと心の底から理解したときなのだろうか。他人からの世辞も鳥肌が立つし告白言葉友達言葉もどうせ嘘だろうと受け止められない、そういう捻くれた心のせいなのか自分笑顔吐き気を感じる。当然のように「ハイ、笑って」と言われる写真は心底苦手なものだ。振袖を着て、ドレスアップした家族写真館に連れて行かれたとき私は笑顔を浮かべることがどうしてもどうしても出来なかった。頬が引き攣り動悸が激しくなり涙が溢れた。一生に一度の記念写真を撮ることすらままならない。写真館のスタッフ家族困惑したことだろう。写真が嫌いなことを知っている母でさえそれ程とは思っていなかったのだろう、自分まで涙を浮かべていた。本当に申し訳ない。どうして笑えないのか、どうしてそんなことも出来ないのか。そんな当たり前のことも出来ない自分に情けなさと悔しさと悲しさと全てで苦しかった。結局安くない代金を支払い、記念となるはずだったそのアルバム家族の誰も受け取りに行っていない。もし私が普通の子たちのようにカメラ普通に笑うことさえ出来れば普通撮影を終えることが出来ていたのなら、仕事ばかりであまり写真のない父の遺影になっていたかもしれない。遺影写真を母と探したときにひっそりと申し訳なさで涙が出た。仲が良い家族とは言えなかったが大きくなってから家族写真は本当に一枚もない。

両親どちらの祖父祖母も既に他界している。

親の兄弟含めても私が初孫だった。だから一番に甘やかされさぞ可愛がられたことだろう。姑に少しいびられていた母から私がどんなに祖父祖母から甘やかされ放題だったかという話を思い出話とセットで昔よく聞いた。みんな私の結婚式に出たいと孫の顔がみてみたいと言っていた免許を取ったらドライブに連れていって欲しいと言っていた。私が心配だと言っていた。最後を看取ることは出来たがみんな意識が戻らぬ状態のまま亡くなったので誰とも最期言葉を交わすことはなかった、父とも。もし言葉を掛ける時間があったとして、私に何か声を掛けることが出来ただろうか。父の遺品整理ときに常に持っていた財布から私が子供の頃に書いた手紙を見つけた。頭が痛くなるほど泣いた。なんて親不孝者なんだろう。

母はまだ元気に笑っているが私は彼女申し訳ない気持ちしかない。

彼女は賢くはないが明るくよく笑い周囲に気を使うことが出来る。カウンターで隣り合わせになった相手ともすぐに打ち解けられ店員とも友達になるようなタイプ。そんな彼女子供が大好きだ、から彼女自身も早くに結婚して子供を産んだ。私にも学生の頃から貴女の子供が出来たら可愛い子供が出来たらいつでも面倒見るからねとあれがしたいこれがしたいと話をされ、同級生の誰ちゃん赤ちゃん産んだみたい抱っこさせてもらった可愛かったよと笑顔で話をされる度に私は子供きじゃないからと嫌々と返していた。申し訳ないが本当に苦手なのだ、小?中?学時代の子供の頃から既に例え結婚したとしても子供は産まないだろうとずっと思っていた。私は自分自身が大嫌いだから自分の子供も愛せないだろうとその事実子供の頃から気が付いていた。しかし成人をとうに過ぎ三十路を迎え婚活必要性を友人に説かれたとき、ふと自分が好きなところを見つけて結婚に至れる相手の子ならば愛せるかもしれないと思った。母が大好きな子供を、初孫を抱かせてあげえることも出来ると思った。それが唯一出来る親孝行のような気がしたのだ。結果として婚活は中断しているが、きっとこの先も独身のまま天災に巻き込まれるかどこかで孤独死するのだろう。結婚相談所に入会することを母が気付いたとき彼女は喜んでいた、退会を伝え孫はもう無理だろう諦めてほしいと伝え面と向かって謝罪したとき彼女は泣いていた。ある日、母の友人に孫が産まれたという話を聞いていると「もし私に子供出来てももう丸一日面倒見てあげることは出来ないね、私も取ったんだなぁ」と言われた。前は孫とどうしたいと理想を話してくれた、近年はその度に申し訳ない気持ちでごめんねと返していたが段々とそのやり取りもなくなってきた。きっと自分が娘を産んだ時から私のウエディングドレス姿や孫を抱く日のことをそれはそれは楽しみにしていたんだろう。それすら叶えることが出来ない不出来な娘で親不孝者で本当に申し訳ないという気持ちで苦しくて、突然涙がこみ上げる夜がある。

SNSを眺めていると頭がおかしくなりそうになることがある。鳥肌が立ち吐き気に襲われることがある。

どう見ても可愛いと思えない子の自撮りした笑顔が流れてくることがある。どうしてそんな笑顔写真に写ることが出来るんだろう。その写真を見て気持ち悪いと思われるとは思わないのかその顔が周りを不快不愉快にさせるとは考えないのか。もし私がその顔に生まれていたら即整形している。その姿でどうして幸せそうなのだろう。わからない。

どう見ても可愛いと思えない子が母になり子供との笑顔が流れてくることがある。性格が良かったんだろう料理が上手かったんだろうもしかしたらその顔が好みだったのかもしれない。そうだろう理由なんてそれぞれに山とあるのだろう。どうして私にはそれすら叶えることが出来ないのだろう。どうしてどうして。マウンティングという言葉を聞いたときなるほどなと感じるが私のそれはもっと根本的で病的なものだ。あの子不細工からというところに強調がつくのではなく、そこに劣るほど自分が駄目な人間であるというところに強調をつける。私はどうしようもなく醜く駄目な人間なのだ

明るく社交性が飛びぬけている母とは違い不器用な人だった父。

私たち家族は仲の良い家族ではなかった。みんな帰宅してもそれぞれの部屋に籠るような生活になっていたし父が死ぬ前数年間は言葉も交わすことも少なくなっていた。父が倒れる前の晩、最後に声を掛けられた私が返した言葉は「なんでもない」だ。本当にどうしようもない。それでも血縁者であり家族であることに変わりない。父に似ているとよく言われたことが多くある。どこでこうなったのかわからない、不器用な人だった父もきっと生きるのは大変だっただろう。それでも一般的恋愛結婚仕事を貫いた点で彼は私と比べるまでもなくまともな人間であったのだろう。もし私が母に似て愛嬌たっぷりになっていたのなら人生は違っていたのだろうか。私には愛想笑いすらとても難しい。笑顔での接客対応ですら必死仕事終わりには顔が痙攣することもある。いつも笑顔の母とは似ても似つかない。

両親の兄弟を思い返しても血縁を切ったような相手しかかばない。もしかせずとも我が家家系はここで途切れるのだろう。かもしれないと別の可能性を見出すことすら出来ない。私が母と出掛けねば手入れされていないお墓を想像がつく。祖父祖母申し訳ないと思っていた、両親に申し訳ないと思っていた。ほんとはそれだけではなくもっともっと多くの人に申し訳が立たないんだろう。私はどこまでも親不孝者なのだ

先日母に頼まれ年金保険というものに加入したが受け取る日はこないだろう。痴呆が始まるようになった日には自殺しようと心に決めている。吐き気がするほどネガティブな私にもいまが幸せだと思う瞬間はあった、それを忘れてしまうくらいなら自分で幕をひく。家系的にそう長生きするタイプではないか平均寿命いかないだろう、きっとあと40年もない。30年程とすればゴールまで折り返しだ。憎まれっ子世にはばかる渋柿の長持ち論で性格の悪さから長生きする可能性もあるが、それを上回るメンタルの弱さで心からまれているのでことわざ効果は大いに打ち消してくれていることだろう。人生死ぬまでの暇つぶしに過ぎないという言葉を聞いたときほんの少しだけ心にある澱みが軽くなったような気がした、そのまま日々ゆるりと死に向かっている。最近体調がすぐれないこともあるが無性に眠い。抗えない虚脱感と眠気に襲われるときこのまま死ぬのだと毎度感じる。いつの日か本当にそのまま死ぬのだろう。何を産み残すこともなく継がせることもなく。誰に何を返すことも出来ず。本当にごめんなさい。

どこかに書きなぐりたくなった。

2018-01-25

物を少なく

まだ30代前半だけど

物溜め込みまくって買いまくってコレクション好きだったけど

人生いつ死ぬかわからないし

この前ばあちゃんが亡くなって遺品整理でめちゃめちゃ大変だった。

なんだか人生むなしくなって、

自分が死んだら誰かしらこの無駄遣いして買いまくった物を捨ててくれるんだよなって悲しくなって

近頃断捨離しまくってる。

なぜか慢性アトピーだったけど良くなってきた

2017-08-30

孤独死現場凄惨過ぎる

入浴中に亡くなりどろどろに腐敗して赤黒く染まった浴槽

積み上げられたゴミ

腐敗した死体で黒く染まる布団

遺品整理会社が作ったリアルグロミニチュア話題

https://withnews.jp/amp/article/f0170827004qq000000000000000W03610101qq000015807A

この凄惨現場に入って遺体を回収した人が気の毒過ぎる

この環境の清掃ならかなり高価だろうが、身寄りが無い人の場合誰が払うのだろう

これから間違いなく激増するだろうが、私の老後辺りで孤独死賃貸から追い出されてホームレスになる老人は大きな社会問題になるだろうなぁ

2017-05-27

確かに三井住友銀行の人はやけに馬鹿にした態度を取っていた。

銀行も営利企業!高額保険を契約させられ、1円も受け取れなかった老夫婦の話。 – 遺品整理ジャーナル

ある事故での示談交渉の時にその人が言った台詞が忘れられない。

たかが756円、されど756円」と。

被害者の前でよくそんな言葉を口にできたもんだなと。

金額には納得してるけど、笑顔というか人を馬鹿にしたような面でこの言葉を言ってのけた人は

とても普段親切な銀行員とは思えなかった。

あいう人はお金が関わると態度を豹変するのだろうと察した。

僕は示談自体には文句はないけど、あの時の相手の人を小馬鹿にしたような態度は今でも許せないでいる。

そんな僕は無職だ。

無職なので756円をはした金だとは思ってない。

1円であろうと大事だと思ってる。

からこそその態度の悪さは頂けなかった。

何故なら彼は銀行員からだ!

という愚痴

別に示談自体は良かったと思ってるが、銀行員はいい人ではないという上の記事を見ての個人的感想だ。

2017-05-13

叔父が亡くなって一年が経過した

そろそろ時効だと思うので書く

生涯独身だった叔父急逝し、遺品整理のため、叔父生前暮らしていたアパートに行った

50過ぎの独身男性生活は随分慎ましく、寂しさを増幅させた

叔父の義姉である母と、姪の私の二人で感傷に浸りながら部屋を整理していたのだが、

見つけてしまった

ホ モ ビ デ オ


DVDデッキの中から

ジャニ美少年とか書いてあった。

本当なら墓まで持っていく案件なんだろうけども、口が軽くてすまんな。

でも未だに引きずるくらいには大好きだったぞ。叔父さん。

2017-03-17

被爆者○世なんてそこらへんにいるでしょうに。

福島原発事故に関して、

引っ越した先の学校などで「放射能うつる」とひどい言葉を浴びせる人たちがいることが信じられない。

日本広島長崎原爆投下によってたくさんの人が被爆した国だ。

それでも懸命に生きて、家族を持ってきた人がたくさんいる。

その中で、被爆者○世と言われる人って大勢いるはず。

しかしたら、自分や仲良しの友達被爆者○世かもしれない可能だって十分ある。

なのによく平気で、そんな酷い言葉を浴びせられるなと思う。

私は被爆者3世だ。

私は小学校三年生の授業で被爆者かなにかの勉強したときに母から聞かされて知ったけど、

「お前は何も症状がでていないのだからあんまり人には言わない方がいい」と言われた。

当時はいまいち分からなかったけど、私はその言いつけをなるべく守った。

そういう人はたくさんいるはずだ。

被爆者手帳をずっと隠して生きてきて、死んで遺品整理の際にはじめて家族が知ったという話も聞いたことがある。

きっと、自覚のないまま生きている人だってたくさんいる。

今は移動手段豊富で、長崎広島で生まれて全国各地に引っ越すことも容易。

被爆者○世となる人は全国に何百人という規模に収まらないほどいるだろう。

放射能がどうの」なんて言った人たち自身や親戚が被爆者○世である可能性は十分あるのだ。

たまたままれ時代に起きた事故からって、そんな言葉を浴びせる人が本当に信じられない。

原爆原発、それらに関する言葉ナイフで人を傷つける事件をみる度に心が痛くなる。

もっと優しい心や受け入れる心を持てないのだろうか。

もっとみんな、うまくやれないもんだろうか。

2015-10-25

知らないよ。

今日は命日。

こんなことを書いているいまも鼓動が早くなる。

匿名でないと書けないことだ

あれから1年だ

きっちり1年

ガラッと世界は変わった

なにもかも。

勝手に死にやがって

ああ

思い出す

蓋をしていたあの一週間

薄っぺらいなりにも生きてきた24年間のなかで

一番壮絶だった一週間だ。

こんなことも書いてしまう俺はただの文字狂いだ。

まぁいいさ。

遺品整理引っ越し

全部が現実離れで、どこか他のだれかの記憶を追体験しているみたいだ。

気がつけば一人になっていて

実感は正直今でもなくて

極端な話、

彼女に振られたことの方が心に残っている。

それはきっと

そっちの方が身近で

失ったことを直接体験しているからだ。

だって最後にあったのはいつだ?

覚えていない

最後に声を聞いたのはいつだ?

きっと二年前の大晦日

その時はそんなこと思いもせず

なんなら

そんな思いを持って生きている人だとは思わなかった。

でも実際に俺が振られて

ちょっとわかる気がした。

バカだよな本当に

何も知らないひとは

「その人の分まで生きて」

という

ふざけんなよ

勝手に消えた奴の尻拭いをなんで俺が

って今更こんなところでいっても仕方ないや。

いままで書けなかったけど

こうして

1年経つとかけるようになっている

少しだけ

ほんの少しだけ心に整理ができたんだろう。

まだ

骨を見ても

墓を見ても

信じられない

というか

信じていない

まだ生きている

そんな気がしている

まだまだ会いたいし、話したいこともたくさんある

兄弟で話をしているのを見ると苦しくなるし

羨ましくなる

そしてなにより

親が不憫でならない

本当に俺の何十倍も苦しんでいるんだろう

父の強さを

母の強さを

この目で見た

もちろん弱さも見たけど

それ以上に

俺は

俺たちを生んだ二人の強さをみた。

俺は代わりにならないし

代わりに生きるつもりもない

自分人生を駆け抜けていくだけ。

でも

それでも

親に対してはしっかりと

俺たちで向き合っていくんだ。

それだけは思う。誓う、生きて行く。

生きていればいいことなんていくらでもある

もちろん辛いこともあるし

俺はまだその辛いことから抜け出したような

抜け出し切れていないような

そんな微妙な感じだ。

でも

それでも

俺は今日も生きて行く

自分で終着駅を作るつもりもないし

決められるつもりもない

ただ

ただひたすら前を向こうとしていく

前は見れなくても

前に足を一歩でも踏み出していきたい。

墓にでも中指立てたら

恨んで出てくるのかな

親に向かって冗談でいったけど

割と本気。

まだまだ終わらないし

一生終わらない

辛いけど

それもまた人生

そう思うしかないんだよ

振られたこともそうだ

経験として

生きよう。

きっともっと

明日はいい日になるんだよ。

2015-07-01

父が死んだ

長らく一人暮らしの父が死んだ。

アパートの隣人が、数日間顔を見せない父を不審に思い、

住み込み大家さんにドアを開けてもらったところ、

風呂場で倒れている父を見つけたそうだ。


連絡を受け急ぎかけつけたが、父は遺体保管場所にいた。

なんでも腹部に多数の切り傷があったため、検死を行うらしい。

確認のために写真を見せられたが、確かに腹部に切り傷があり

リストカットを繰り返した手首のように傷が盛り上がっていた。

まだあたらしい傷もあった。原因は思い当たらなかった。


検死は1週間もかかったが、わかったことといえば

死因は腹部の傷とは関係なく、心臓発作ということだった。

結局、おびただしい傷の原因はわからなかった。



そんな父の遺品整理を先週末にしていたところ、

机の引き出しに入っていたデジカメ生前の父が写っていた。



写真の父は軍服を着て腹にはサラシをまき正座をしていた。

そして短刀で腹を切っていた。

データ確認すると何枚も何枚も腹を切っている父が写っていた。

父は苦しそうな、それでいて悦んでいるような複雑な顔をしていた。

別の写真では若い女性も腹を切っていた。

わたしの父は切腹マニアだった。



遺品整理も終わり、大家さんにお礼を言いに管理室へ訪れた。

大家さんは父が介錯している女性だった。

2015-03-25

近所に長い間病気で寝たきりやったおじいはんがいたんやけど4年前に亡くなりよった。

当初つきっきりで看病をしとったおばあはんはショックで寝込んだり入院したりで、いつ後を追ってもおかしくない位に気落ちしとったんやけど、半年経った位から次第に明るくなり白髪だらけでボサボサやった頭も綺麗に染めてパーマをかけ、すっぴんやった顔もバッチリ化粧をし、地味な色合いやった服装もこやれた華やかな色合いになってすっかり別人のようになり「彼氏でもできたんやないか」と近所で噂になっとった。

ある日、わいと母が犬の散歩をしとると道端でおばあはんに会い「お茶でも飲んでって」と家に呼ばれた。

その時に母が「きょうび明るくなりよったよね」と言うとおばあはんは「そうなの!これ見て!」と旦那はんの遺影が飾られとる仏壇から手紙を取り出して見せてくれた。

それは遺品整理の時に見つけたと言う旦那はんからのケツの手紙との事でどエライ丁寧で柔らかい筆跡で

「僕はあんはんより先に行きまんねん。あんはんにはホンマに迷惑をかけた。

僕はあんはんの明るく溌剌とした笑顔に惹かれ結婚を申し込みたんや。

どうか僕が死んだらあの時のようにいつも明るく元気でいてくれへんかの。

存分にお洒落をして沢山遊んで笑ってくれへんかの。僕はあの世からあんはんの笑顔を見ていまんねんわ」

だいたいこないな内容。

「読んだ時、嬉しくて嬉しくて…やからしょげてられへんって思って月に2回美容院行って、

なるべく綺麗にして外に出るようにしてるの」とニコニコなおばあはん、ほんで涙腺崩壊の母。わいもウルッと来た。

これだけだとしんみりした話なんけど、衝撃やったのはその後。

元々旦那はんは野球をやっていてほんで知り合ったとの事で「夫の好きやった野球を観に行こう」とちょくちょく野球観戦に行くようになり、そこからサッカー観戦、バスケ観戦、バレー観戦ととにかくスポーツ観戦ばかりをするようになりよった。

もう80歳過ぎてるんやけど、出かけとるうちに体力ついたらしく見る度に姿勢が良くなっとった。

兄はサッカー場で2度、わいは野球場で5回くらいユニフォーム着て地元チーム応援してるおばあはんに会った。

しかも「このバッター、去年は盗塁○個やったけど今年この時期でまだ○個や心配ね」とかサラリと詳しい。

ほんで今年、東京ドームで行われたWBC試合の時に青いユニフォーム着て観客席ではしゃいでる姿がTVに映っていて「何ぞ1人で行ってるっぽいぞ!」と近所中で話題になり、「次はイタリアでACミラン試合が観たいの」とどんどんとアクティブになって行くおばあはんに衝撃を受けた。

2014-11-12

着たらええやん

http://anond.hatelabo.jp/20141111201353

50代で旦那さんに隠れて白いドレスを着た女性がいました。

その女性は70代で亡くなり旦那さんは寂しい想いをしていましたが

遺品整理をしていて、ドレス姿の写真を見つけ嬉しかったそうです。

誰も引かないし、別に変じゃないし、死ぬ前に後悔しそうなら

ウェディングドレスを着るべき。人生は1回なのだから

あと10万もかかりませんよ☆

2014-10-06

個人情報高齢者の死亡・企業倒産流出するのでは?

1.個人が亡くなった際の遺品整理経由の個人情報流出について

個人情報アングラルートとして、「遺品処理業者からの名簿横流し」がある、という話を聞いた。

 遺族が故人の遺品をまとめて処分を依頼

 ⇒遺品処理業者は「換金出来るものは換金する」から同窓会名簿などを遺品の中から見つけたら即換金する、という流れ。

 私見だが、名簿屋の持ってる高齢者名簿の大半は、実は遺族経由の名簿なんじゃないか?

★「80歳のおじいちゃんの自宅にあった同窓会名簿なんて、ベネッセの子供名簿と比べたら大した価値はない」、

 と遺された遺族は思い込み安易な気持ちで遺品整理業者へ依頼する。

 しかし、高齢者同窓会名簿は、振り込み詐欺業界投資詐欺業界リフォーム詐欺業界からすれば「宝の山」だったりする。

★そもそも、わざわざ故人の遺品蔵書を全て目を通す「暇な」遺族は少ないのではないか?

 主だった遺品を抜き取ったら、あとは「この一部屋全部、遺品整理業者さんお願いします」な感じで依頼していて、

 部屋の片隅に「帝国大学同窓会名簿」が転がっていたことなんか、気付きもしない

 えてして、「帝国大学同窓会名簿」とか「大蔵省職員名簿」とか持っている人はハイクラスな方々なので、蔵書の数が庶民とは桁違いだったりする。

 だから、遺族側も、膨大な蔵書の全体像を把握出来てないし、その中に名簿があるかどうかも知らない

 だから、そういうハイクラス層の物故に伴う名簿流出って、結構あるような気がする。

★名簿とかじゃなく、設計図面とかだと、理系高齢者の遺品とかで結構ありそう。

 一部は遺品整理業者経由で神保町古本屋に流れ込む。

 そういう理系な遺品の中には「企業秘密に属するような遺品」も、中にはあるのではないか?

★例えばベネッセ的な個人情報が入ったメモリーを「私物的に」持ってた人が、交通事故とかで突然死した場合

 残された遺族がメモリー名簿屋に手渡すのは、合法違法

 一般論でいえば、たとえ「盗品」であっても、実は盗品だと知らない遺族が、遺品(=盗品)を処分するのは合法

 但し、仮に遺族が「盗品」だと知っていたら、どうなんだろう?

2.企業倒産した場合情報流出について

最近は、仮想化デスクトップシンクライアントクラウドが花盛り。

 顧客情報などの個人情報クラウドデータセンターに預けて、そのデータセンター業者倒産した場合データセンター業者破産管財人

 「個人情報データを換金(=流出)」させることは許されるか?

 企業倒産というのは、バッタ屋にとっては「稼ぎどき」。倒産企業備品を買い叩く。

 今後のデータ社会で「倒産企業データ財産の取り扱い」が気になる。データバッタ屋にとっては「稼ぎどき」

 例えば、山一証券顧客名簿は、適正に「廃棄処分」されたのか?破産管財人名簿屋に売却してないか?

 真っ当な債権回収屋もいなくはないですが、「893」な債権回収屋も多いからなあ。

 彼らが債務者が持つ各種情報(含個人情報)を「適正廃棄」してくれる、なんて期待薄。

★例えばベネッセとかジャストシステムが、仮に今回のデータ流出の件で倒産とかした場合

 果たして大量の名簿データが、「適正に廃棄」されるのか、極めて疑問。

 「倒産」となると、社員モラルも無くなるし、セキュリティもザルになる。

 たとえて言えば「ソ連崩壊時の核兵器技術拡散と同じ状況」になる

 倒産法制の中で、倒産企業が所有するデータについての取り扱い規定は、ちゃんとあるのか?

 なければ改めて規定すべきでは?

★逆にいえば、企業が保有するデータ類、個人情報とか技術情報を、きちんと会計評価すべきなんだろう。

 ベネッセが2000万件のデータを持ってるなら、会計士が適正にデータ資産価値を時価評価して、

 ベネッセ企業会計資産計上すべきなんだろう。

 情報を適正に会計評価する場合、今回みたいな「情報流出」した場合情報価値が毀損して、減損評価しなければならない。

 逆に、「減損評価するハメにはなりたくないから情報流出しないように防御しようとするインセンティブが働く」とも言える。

2014-09-10

アップルヲッチ。いらねーけど、心拍数を遠隔地に伝える機能はよい。孤独死必至の生活を送ってるからな……。

心拍数モニターで日々の生存確認&死亡時には駆けつけて役所への届モロモロ&遺品整理までやってくれたら最高。まさにソリューション

アップルヲッチとセットでそこまでやってくれるサービスがあったら、多少高くても契約する。

2014-07-27

http://anond.hatelabo.jp/20140726215951

積極的な楽しみは、自分の持ち物と部屋や家を自分自身の手で隅から隅まで管理できているという達成感が得られ、支配欲が満たされること。

消極的掃除する理由は以下の通り

片付けなければならないのに片付けていない、という後ろめたさから開放される

片付けなければならないけど片付けたくない、というシチュエーション現実逃避をしなくてすむ

誰かがふらっと遊びに来て、何気なく押し入れを開けて呆れるのではないか、という不安から開放される

ゴキブリ出没防止策として

明日自分が死んだとして、誰かが遺品整理に来た時にその人に迷惑をかけるのではないかという不安が無くなる

2013-12-20

いよいよ自殺真剣に考えるに当たり、遺品整理業者に見積もり依頼の

電話したら既に死体があるものとして現地見積もりとか言われたw

残念ながらまだ生きてるよw

2011-02-03

遺品整理会社を始めようと思う。

要するに、「おじいちゃん放置しといたらなんか酷い匂いになっちゃった」って時の

お助け会社を作ろうと思う。清掃用具と車買って人用意して、まぁ500万ありゃなんとかなる気がするし。

なんか、最近自治体なんかが公募入札やってるらしいけど、普通に営業してもやってけそうな気がする。

そんなわけで、おまえらなんか意見寄越せよ。あと微妙スキルあったり知識ある奴もちょっと来いよ。

開業資金は2000ほどあるし、手堅く稼ぎたいんだよ。

2010-07-01

ばあちゃんに言われた。

ばあちゃんに、

「もっと世渡りがうまくならなな」と言われた。

ばあちゃんは、むすめの時分から日記をつけてる。

けどそれは帳簿だった。

帳簿が日記になってる。

妹には、名前を呼び捨てにされる。「増田くん! メシつくって」

オマエにミルクを飲ませたのは、オレだぞ! あ、だからか。

誕生日には、プレゼントをした。絵本とか時計

けど、オレは誕生日プレゼントはもらったことはない。

だから自分で買う。自分にご褒美。中古レッツノート

ふられた。

「わたしはオモチャじゃない」「女の子はみんな、お姫さまなのよ?」

なんじゃそりゃ!? わからぬ。

オレか? オレが悪かったのか?

もう出家しよう。

ブックオフの100円コーナーで、『完全自殺マニュアル』を買う。

世紀末だな。共感できない。

次の世紀末まであと90年ヴァージョン、のマニュアルが出ないかな。

気になるのは、これの前の持ち主だ。

自殺を思い止まったのか?

それとも自殺して、遺品整理で売られたのか?

オレもやったことあるけど、

遺品って、大切な思い出が詰まっているような気がするけど、それは錯覚だよ。

99%がゴミだ。なんの価値もない。

売れないし、しかも量だけ異常にある。整理に何週間もかかるよ。

人が死ぬのは悲しいけど、残るのはゴミだけだ。あと借金

オレは、ばあちゃんの持っていた、ミシン糸をもらったよ。赤い糸だ。

かさばらないところが気に入っている。

2010-05-25

うちの親類がいつの間にか未解決事件の当事者扱いになってた

まあ、別にわざわざこっちから言いふらす気も無いから、今後もずーっと未解決事件であり続けるんだろうけどね。

  • 犯人はそいつなの?
    • ネット上で「犯人」って事になってるその人には逮捕状も何も来ていません。現場が近くなのでお巡りさんが自宅に来て一度だけ話を聞きにきましたが、それくらいです。
  • でもそいつが犯人なんでしょ?
    • 「それ」が起った二日前にその人は新婚旅行グアムへ飛んでいました。帰国したのは一週間後です。
  • 犯人良心の呵責に耐えられず自殺した?
    • そもそも犯人じゃねーし。というか自殺じゃなくて病死です。酒好きだったので持病を悪化させて病院で俺を含む身内で看取りました。
  • 本当に1x人も○○たの?
    • 当時の新聞をあされば分かるけど、あの件で死んでるのは2人だけで、そもそもどちらも事故死としか報じられていません。他の1x人については、実在するかどうかすら不明。ぐぐっても名前すら出てこないし。
  • ○○○出身の工作員だそうですが…
    • うちの家系にそういう人はいないし、その人は生まれも育ちも日本国外に出たことが一度もありませんでした。
  • 犯人」が持っていた○○が死後行方不明になってるらしい。
    • 俺が持ってます。つーかうちの物置に半分野ざらしのまま転がってます。その人が亡くなって遺品整理の際に貰いました(というかゴミとして処分してくれと頼まれた中に紛れ込んでた)。
      物自体二束三文の市販品なので珍しくも何ともありません。多分今でも通販とかで同じ物が買えるはず。
  • じゃあ何でその人が犯人扱いされてるの?
    • ○○新聞(週刊誌?)の記者が自宅へ取材に来た時、あまりに失礼な物言いに怒って追い返した事があったそうです。その記者は帰り際「後悔させてやる」と捨て台詞を吐いていたそうです(その人の兄貴談)。その後その人が怪しいという記事が載ったそうで、思い当たるのはそれくらいしかありません。

誰かがその気になって調べれば分かる事なんだろうけどね。面倒だし、謎のままの方が面白いだろうし。


http://anond.hatelabo.jp/20100526020935

俺が知ってる範囲の親類で妙な宗教(学会とか科学とか)に入ってる人はいないな(当然その人も)。追い返された記者の背景もそういう団体関係ってわけでもない。どこのコンビニでも普通に売ってるような媒体だったはず。

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