2015-10-25

知らないよ。

今日は命日。

こんなことを書いているいまも鼓動が早くなる。

匿名でないと書けないことだ

あれから1年だ

きっちり1年

ガラッと世界は変わった

なにもかも。

勝手に死にやがって

ああ

思い出す

蓋をしていたあの一週間

薄っぺらいなりにも生きてきた24年間のなかで

一番壮絶だった一週間だ。

こんなことも書いてしまう俺はただの文字狂いだ。

まぁいいさ。

遺品整理引っ越し

全部が現実離れで、どこか他のだれかの記憶を追体験しているみたいだ。

気がつけば一人になっていて

実感は正直今でもなくて

極端な話、

彼女に振られたことの方が心に残っている。

それはきっと

そっちの方が身近で

失ったことを直接体験しているからだ。

だって最後にあったのはいつだ?

覚えていない

最後に声を聞いたのはいつだ?

きっと二年前の大晦日

その時はそんなこと思いもせず

なんなら

そんな思いを持って生きている人だとは思わなかった。

でも実際に俺が振られて

ちょっとわかる気がした。

バカだよな本当に

何も知らないひとは

「その人の分まで生きて」

という

ふざけんなよ

勝手に消えた奴の尻拭いをなんで俺が

って今更こんなところでいっても仕方ないや。

いままで書けなかったけど

こうして

1年経つとかけるようになっている

少しだけ

ほんの少しだけ心に整理ができたんだろう。

まだ

骨を見ても

墓を見ても

信じられない

というか

信じていない

まだ生きている

そんな気がしている

まだまだ会いたいし、話したいこともたくさんある

兄弟で話をしているのを見ると苦しくなるし

羨ましくなる

そしてなにより

親が不憫でならない

本当に俺の何十倍も苦しんでいるんだろう

父の強さを

母の強さを

この目で見た

もちろん弱さも見たけど

それ以上に

俺は

俺たちを生んだ二人の強さをみた。

俺は代わりにならないし

代わりに生きるつもりもない

自分人生を駆け抜けていくだけ。

でも

それでも

親に対してはしっかりと

俺たちで向き合っていくんだ。

それだけは思う。誓う、生きて行く。

生きていればいいことなんていくらでもある

もちろん辛いこともあるし

俺はまだその辛いことから抜け出したような

抜け出し切れていないような

そんな微妙な感じだ。

でも

それでも

俺は今日も生きて行く

自分で終着駅を作るつもりもないし

決められるつもりもない

ただ

ただひたすら前を向こうとしていく

前は見れなくても

前に足を一歩でも踏み出していきたい。

墓にでも中指立てたら

恨んで出てくるのかな

親に向かって冗談でいったけど

割と本気。

まだまだ終わらないし

一生終わらない

辛いけど

それもまた人生

そう思うしかないんだよ

振られたこともそうだ

経験として

生きよう。

きっともっと

明日はいい日になるんだよ。

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