はてなキーワード: 通過儀礼とは
まさにその世代だけど、確かに小学生時代にジャンプ漫画とそのアニメが大正義だった。
ただ、ガンダムあたりのリアルで「大人の鑑賞にも耐える」アニメ路線も途絶えてて、ビックリマンやSDガンダムみたいなジャリ向けアニメのラインナップを観て育った。
だから中学入ったらアニメはいったん卒業して、大学で一人暮らしすると同時にネット始めたらそこがオタクだらけだったので影響されて、ファーストガンダムはじめ古典名作をツタヤで借りまくってにわかオタクになった感じ。
はてなに多い昭和50〜60年くらい生まれの世代の連中は学生時代に少年ジャンプが
そうそう、俺も仮面ライダーブラックやメタルダー、子供の時に好きだったけど、特撮は小学校の高学年にもなれば卒業するものって感じだった。同級生の間で。
一人暮らしで自由にできるPC手に入れて速攻でエロゲオタになったけど、「Fateや虚淵のパクリ元の一つが最近の仮面ライダー」という話を聞いて、「特撮もジャリ向けから進化してるんだなー」という感想を抱いたっけ。
あと、その時期には戦隊やメタルヒーロー、平成ゴジラがあっただろって指摘。これはごもっともだ。
でも、この辺を幼年期に熱心に見てたのにも関わらず、貶す奴が異様に多いんだよ。
追及してくと「あ、サンバルカンは見てたわ・・・」とか「ごめん、ギャバン好きだったかも・・・」とか白状するんだよね。
多分通過儀礼として特撮は「卒業」して、洋画やアニメに流れるっていうしきたりがあったのでは、と勝手に推測しているが。
俺の周囲だとガンダムとかリアルロボット好きな奴に多いんだよな。俺はガンダムも普通に好きだからその手の発言に出会う度に悲しくなる。
庵野が「シン・ウルトラマン」&「シン・仮面ライダー」が控えていることもあり、
かなり濃ゆい昭和特撮談義に花が咲いていて非常に興味深かった。
あの二人のクリエイティビティの源泉は昭和特撮だ、と言ってしまっても過言ではないと思う。
さてここで本題。
はてなに多い昭和50〜60年くらい生まれの世代の連中は学生時代に少年ジャンプが
全盛期だったせいか、とかくアニメと漫画ばかりを必要以上に過剰に持ち上げて、
当時洋画に押されて元気が無かった日本特撮を幼稚だショボいだとメタクソに貶す輩が多い。
この世代より生まれが5年以上早いと昭和特撮は本放送・再放送で目にしてることが多いし、
5年以上遅いと平成特撮をテレビなり劇場で見たり、あるいは昭和特撮を
レンタルで見てきた連中も多く、そこまでの拒絶感や蔑視はほとんど感じない。
最近の子供もサブスクで新旧作品が観られる分、日本特撮リベラルと言ってもいいと思う。
年寄り除くとこの限られた世代だけが日本特撮を取るに足らない低俗なモノとして、蛇蝎の如く嫌ってる。
その時期にノリダーとかゴレンジャイやってた悪影響もゼロじゃないけど、
それにしても嫌い方が酷推ぎてこの世代にあんまり近寄りたくないんだよな。
そのくせ日本特撮オタクのタランティーノやティム・バートン、最近なら
ジェームズ・ガンやギレルモ・デル・トロなんかの作品は神の如く崇めたりしちゃってさ。
それこそエヴァやシン・ゴジラもそう。お前らが好きなもんの構成成分に日本特撮は相当含まれているんだ。
一旦、色眼鏡を外して純粋に作品として楽しもうや...って言っても、もう無理だろな。彼ら既に中年に差し掛かってるから。
追記:
なんかワクチン打ちに行って一休みしてる間に思いの外、伸びてた。
脊髄反射で「ショボい」を連呼する輩たちがワラワラとさ。こいつらだよ、俺が糾弾したいのは。
なんつうか「特撮」と聞くと単に映像技術の事と捉えてるんだよな。
特殊技術が現代視点から見るとショボいという表層的な事で作品そもそもの価値や優劣が決まると信じ込んでる。
俺が言ってるのは撮影技術は勿論、緻密なデザイン・ストーリー、設定・世界観構築なども含めたトータルの話なわけ。
先の対談で松本が触れてたように、ウルトラセブンは地球人=善、宇宙人=悪という構図に常に疑問を投げかけてた。
すなわち「正義vs悪なんていうキリスト教的二元論はそもそも疑ってかかるべき」、という超リアリスティックなスタンスだった。
その思想の権化が「超兵器R1号」や「ノンマルトの使者」というエピソードだ。説明はめんどいからググってくれ。
そら今じゃその手の物はありふれてるだろうが、よく考えてみろよ?1967年製作の子供向け番組だぞ?めちゃくちゃ慧眼だろ。
次作の帰ってきたウルトラマンでは、宇宙人が聴覚障害者の無垢な少年に化けて侵略を企てる、というエピソードもある。
この宇宙人は、周囲の人間には聞き取れないテレパシーで主人公のウルトラマンを挑発し続ける。
「こいつが宇宙人だと叫んで私を引っ捕まえるか?止めとけ。周囲からきちがい扱いされるぞ。ははは。」とか嘲笑ってな。
良識ある大人たちは「聴覚障害者の無垢な少年」を疑って尋問するなんて真似は道義的にまずできない。その弱みを突いた。
ダークナイトのジョーカーも青ざめるような道徳ジレンマを容赦無く投げつけてくるわけ。これで1971年製作ね。
俺が見て欲しいのはこういう根っこや芯、いわば思想の部分である。上っ面でバカにしたり、貶すのはやめろ、って話だ。
あと、その時期には戦隊やメタルヒーロー、平成ゴジラがあっただろって指摘。これはごもっともだ。
でも、この辺を幼年期に熱心に見てたのにも関わらず、貶す奴が異様に多いんだよ。
追及してくと「あ、サンバルカンは見てたわ・・・」とか「ごめん、ギャバン好きだったかも・・・」とか白状するんだよね。
多分通過儀礼として特撮は「卒業」して、洋画やアニメに流れるっていうしきたりがあったのでは、と勝手に推測しているが。
俺の周囲だとガンダムとかリアルロボット好きな奴に多いんだよな。俺はガンダムも普通に好きだからその手の発言に出会う度に悲しくなる。
その時期のビデオ劇場オンリーのウルトラマンや仮面ライダー挙げてる奴いるが、流石にそれ系は観る人が相当限られてたと思うぞ。
俺も好きだけどね。パワードとかZOとかさ。でも悲しいけど、一般知名度は無いに等しいよ。誰も知らないよ、ケイン・コスギがウルトラマンだったなんて。
追記2:
一例として挙げたまでだよ。そんくらい分かるでしょ。俺だって話したいよ。
例えば大魔神のミニチュアの素晴らしさとかスペクトルマンの毒々しい怪獣デザインとか、
メタルダーの凱聖クールギンの常軌を逸した格好良さについてとかさ。
でもそんなマイナーなこと長々と書いても誰も見ないっしょ。
10年で区切った上に前後5年約20年間の世代を一括にしてバカにした上で
俺の周囲だと異様に多いって観測範囲も狭いし、全トラバ16個でブコメも超拡大解釈してもせいぜい悪く言ってるの10個そこらなのに
https://anond.hatelabo.jp/20210404105223
「絵やデザインが古すぎて見たくもねえわ」「ショボいしダサいし興味ない」
「でも幼稚だからな」その手のトラバやブコメはほぼほぼ見受けられないんだよな。
俺が指摘してるのはこの扱いの違い。印象だけの思考停止で否定する奴の多さよ。
俺がマイナス方面の問いかけをしたからマイナスの反応が返ってきたと言わんばかりだけど、
実際特撮が良い方面で話題になってもこれとさして変わらない反応が毎度の如く見受けられるからな。
他にも「そんな奴見たことねえよ」とか言ってる奴がいるが、ほら現に居るだろうがよ、って話。
「引退」と「飽きた」を見かけるようになったがスタートダッシュが上手くいったゲームは皆数ヶ月目に迎える通過儀礼。「クエスト複数回分をスキップしてやったことにできる神ゲー」や「ガチャの最高レアが7%で回すための石も入手しやすい神ゲー」など様々なソシャゲで同じことがあったので気にしなくていい。リリース当初は良い部分だけが取り上げられ、徐々に悪い部分が見えてきてそのバランスで続けるかどうか定めている時期。
ゲーム性はまあはっきり言えば5,6年前レベルで課金回りもその辺に近い。動く画面だけ見ればクオリティの高いゲームに見え、キャラを愛でるゲームとしては完璧。なのでやればやるほど「あれ?このゲームそんなに…」となるので課金しまくって最上位を争い続けるかエアプで二次創作とゲーム外コンテンツで楽しむ方が続けやすく中途半端にゲームを遊ぶ層は減りそう。
二次創作は実装されたキャラだけ見るなら二強、準三強(色々考慮して名前は伏せる)。それ以外のキャラも一部を除いてそこまで差がなくキャラゲーとして上手く作ってある印象。とある影響かパロディやクロスオーバーが他作品より多い。エロは禁忌とされてる一方でキャラクター像と反した描写の創作も少なくはない。リリースタイミングが絶妙だったゆえに他作品からの移民がかなりいる。おそらく次の大型新人が来るまでは安泰だがもし現れたならあっさり乗り換えるユーザーは多いと予想しておく。
そんな奴らの言うことなんか気にせず好きにすりゃいいんじゃねーの。
おれもお前の意見に賛成だよ。
自分は思春期に散々ヤンチャしといて、若い時分に真面目してた奴が後で揺り戻しが来たとき「高校生ならわかるけど、大人にもなって〇〇するなんて」みたいなこと言う奴らは、それが自分に一番都合がいいから言ってるだけのポジショントークだよ。
女遊びするとか自由を求めるとかワガママ言うとかは「年齢の推移とともにやらないようになる」んじゃなくて、人生のどっかでやっとかないと次に進めないもんなんだろ、きっと。
大人になってからやる奴は、子どものときは我慢したり抑圧されたりしていい子演じて、大人になるための通過儀礼を出来なかったんだから仕方ねーよ。
世間は子どもの頃にそこそこ悪いこともやって、そのへんの欲が解消された奴らが「しっかりした大人」になって自分たちの経験だけを基準に偉そうなこと言うから正論吐いてるように聞こえるけどな。
お笑いのアイデンティティでしくじり先生かな、Youtubeで見浦が田島に「ミーティングに遅刻するな」という話をしていて、コイツラの関係性がすごい嫌いになった。
まず、田島が「そんな事言ったって見浦も遅刻するじゃん」と言って、返す刀で自分の問題を相対化して矮小化した。論点もずらした。お笑いの点から言っても劣悪だと思う。全く笑えない。ドン引きもいいところだ。多分見浦は今あらん限りのエネルギーで一つ言ったと感じた。
見浦が「自分も番組に遅刻するが、そうじゃなくてミーティングに絶対遅刻する」という話をしたら
この後のやり取りがひどすぎた。
つまり、田島は見浦との約束を破る、というか、「あえて守っていない」という感じの話をしていた。これがものすごい嫌な感じだった。
相手との約束を意図的に破れる、ということは、そいつは相手をとことん見下している、ということだ。
なんか同じことネチネチいつまでも説教していてこいつちっとも響かないとかも言ってたんだけど、この時点で「俺が100%正しいんだからこいつは感動して自分を改めるべき」という認識がある。これも見下している。
そもそもとして、最初に書いたように論点をすっと変えに入った時点で、田島は見浦とのパートナーシップをものすごく軽く見ている。見浦は田島が大好きみたいだからこれも見ていて辛くなる。
見えないところではパートナーシップを軽視するようなことをしているかもしれないが、ここまで「俺は正しいことを言っている」という感じの田島が見ていて苦痛でしかなかった。
見浦が「遅刻の話」を提起したときに「え、そんな事?」と会場がスンとしたけど、いやこれ結構やばい問題だぞ。
見浦が言いたいのは「俺をもっと人間として尊重してほしい」くらいの重たいものだったはずだ(当人もこの辺全然気づいていないようだけど)。
なので、アイデンティティが出ていると、もう見られなくなった。R藤本がいてくれるとなんとかプラマイ0で見れるが、R藤本も損していると思う。俺目線では。ただ、DB芸人は全体的に発言がクズよりなので、だんだんだめになって見なくなった。
変な話ナッパ(ぴっかり高木)が一番面白い。次がセル(スタジオカドタ)、後はもうだめだ。
田島は見浦をもっと大事にするよう心を入れ替えるか、もう解散して別の道を歩んだほうがいいと思うが、正直見浦がいなくなったら田島単なる嫌な奴にしかならないので、それもないだろう。
田島は見浦を絶対に手放そうとはしない。見浦がいないと田島は自身が持てない。何気に田島は見浦に結構依存しているはずだ。
見浦にはぜひ面白くなってもらいたい、そして田島がアイデンティティの悟空としか認識されないくらいになってほしい。
と言うくらいまで俺は彼らの関係性に心をえぐられた。辛い。
#####追記
三浦はつまらない、田島は面白いから仕方ないという人は、そもそも人間関係のあるべき姿に思いをはせられないのだろうと思う。
正直な話、アイデンティティは田島が三浦のことをうまく活用することを諦めた時点でもうコンビ芸人としては終わっている。悟空の声真似で「おめえぶっ殺すぞ」と言うとか深夜ラジオの投稿ネタみたいなことしかできてないし。
過去関係性が悪かったコンビ芸人ってちょこちょこいたし、関係性が悪くなることも通過儀礼のように語る芸人もいるんだけど、そういう関係性の悪さって、お互いがぶつかり合っているとか、お互いが反発しあっているとか、どこかにガチンコ感があるんだが、アイデンティティの場合は、田島が一方的に三浦をフルボッコしているだけで、三浦は「すいません私が全部悪いんです」とか言っちゃってるDV夫婦みたいになっていてきつい。
まろにえーるでフリーザの食レポがイケてないみたいなことを言って吊るし上げるのがお約束になってたけど、田島なんか「うめー!」しか言ってねーじゃん、正直田島の食レポとフリーザの食レポでフリーザにつまんねえとか言えるほど違うか?
と言うかR藤本以外田島に完全に萎縮しちゃっている気すらする。
フリーザがそこで「お前だってうめーしか言わねーじゃんか」というツッコミをしないとだめなのに、誰もそれを言わない、ベジータも言わない。フリーザ、声の出演だけになったけど、正直それでいいと思う。
個人的になんだが、三浦が覚醒したらあのコンビってびっくりするくらい面白くなるだろうし、三浦のお笑いとしての素養ってすごい揃っているはずなんだよね。体型が小さくて弱そうなのに、実は空手初段ですげー強いというギャップ、声が素晴らしい、とかね。なので、三浦を押さえつけてしまっている田島の罪は思いと思う。
テレワークしてる?それとも出社してる?後者の人は現場じゃないと仕事が出来ない職種かもしれないから私とエアー握手しようね。
あんまり突っ込んでは言えないからふわっとした感じで愚痴るよ。
割と大手の製造業に従事してるんだが、ここ1年で転属した部署の上司が本当にクソオブクソなんだ。不人気上司の最悪なところを全部凝縮したと言っても過言じゃない。
上司のクソな部分で1番殺意の波動が漏れそうになるのは、固有名詞を言わずに仕事の指示出しをしてくるところ。
『アレやって』『あっちどうなってる』ってやつだ。
こういう話をするとよく、「察せないお前が悪い」っていうタイプのやつもいるけど、うるせーーーーーばーーーーーーか!!!!ってだけ先に話しておくね。
そうそう、あれとかこれとかそれとか、よくそれで通じると思ったよな?って感じちゃうんだ。私は上司の嫁でもなければ母親でもないしそもそも身内でもそんな口利くやつに慈悲なんてないけども。
セクハラモラハラパワハラは通過儀礼、デスクが隣だからいっつも攻撃受けてそれを左へ受け流す毎日。
口癖はみんながよく知ってる安定の『普通は』『どう考えても』を枕詞に。
そして極めつけは、独り言と鼻歌と貧乏ゆすりが酷いのなんのって。音に過敏な人だったら20分待たずに上司の頭シバいてると思うくらいにはうるさい。控えめに言って公害。精神衛生に悪すぎて現世からボッシュートされてほしい。
この上司にこれまで何人か部下が付いていたらしいけど、みんな速攻で辞めていったのも納得。
そんなクソの部下に付いた私が無能って意見出てたら許さない。逆らわなさそうな女ってだけでピックアップされたんだよこっちは!
まあそんなこんなで1年は我慢したからいよいよ反撃に出ようと思う。
もちろん暴力は振るわないよ!昔はついつい口より先に手が出ちゃうタイプだったけど(突然のイキリ)、社会の仕組みを利用すれば自己肯定感の低い独身女でもちゃんとなんとかできるシステムあっからね!
パッションだけはしこたま詰めた愚痴だけど正直言い足りないからまた上司への隠せない衝動訪れたら書きに来るね。ご清聴ありがとうございました。
それに参加したことで成人になれるわけではないのだろうと、改めて思わされる。
というのは、成人式という儀式が何か楽しくて、はしゃいで、騒いでも許される、
そんな風に甘っちょろく捉えている当事者たちが多いのではないかと思うからだ。
私は、成人式に行ったところで成人(大人としての責任を背負った、覚悟を持った人間)には
なれないと思ったので、10年前の自分の代の儀式には参加しなかった。
それでよかったと思っている。
ニュースで報道される成人式の様子や、街中で見かける成人式帰りの若者を見ると、
結局のところ、なぜこのような通過儀礼が行われるのか、理解していない人が大部分なのだろうと思ってしまう。
(これは、私の狭い視野による見方も関係しているだろうけれど)
結婚や子持ちになることも同様だが、私は成人式に出席できる権利を国家資格のようなものにするべきではないかと思っている。
その尺度はどうするのか、という話になると今すぐに解決策を提示することは不可能だが、こういうあってもなくてもどうにかなるような
通過儀礼に参加する立場の人間は、「果たして自分はこの儀式に参加する資格があるのか?」ということをしっかりと胸に手をあてて
考えるべきだろう。
幼いころ、何かのイベントでフェイスペインティングをやる機会があったのだけれども、当時の僕は顔に何かが付着するのが不快に思われて、断った記憶がある。
それ以来、身体に何かを塗ったことはない。皮膚科の薬くらいか。女性の場合、ファウンデーションを使うので、フェイスペインティングは男性よりも抵抗が少ないと思われるのだがどうだろう?
それはともかく、同様の理屈でボディペインティングはやったことがない。とはいえ、ドラえもんの学習漫画で、水着を忘れたのび太が絵の具を塗ってごまかそうとするが、前だけを塗って尻を塗り忘れて恥をかく場面があり、それが自分の野外露出・CFNM願望とマッチしていたのを思い出す。気づいたしずちゃんが顔を覆って赤面しているのも高ポイント。
実際に水着やショートパンツを描いて野外を全裸で徘徊する女性の動画は、各種動画サイトで閲覧可能だ。
人々が顔や身体を様々な色彩で飾ってきた歴史は長く、世界中で見られる。ブラックベリーやサフラン、粘土や木炭などで様々な色合いが用いられてきた。つまり、赤、黄色、青、黒、茶色などが利用できたわけである。
欧米では、顔や腕を塗ることが多かったし、今でも大道芸人やピエロなどもそうだ。全身をカンバスとして用いるのがメインストリームの芸術やファッションに導入されたのは、1933年のシカゴの万国博覧会でだった。Max Factorがバーレスクの大女優Sally Randを映画のためのモデルにしたが、裸を公衆の面前に出すのは同時としては当然挑発的に過ぎたし、社会的通念からは外れていた。そして、全裸のアートは人気にならなかった。
これが60年代から70年代のヒッピー文化の時代になってくるともう少し人気が出てくる。花やピースサイン、その他サイケデリックな模様を、大義を信奉していることを表現するために描いた。今でも海外のヌーディストたちがワークショップか何かで全身にそうした絵を塗っているのを確認できる。くすぐったそうである。この時代もまだ、カウンターカルチャー的なもので、主流ではない。
革新的であったのが1992年、Vanity Fair誌をDemi Mooreが飾った時だ。彼女は全くの裸であり、芸術的でかつタイトなスーツを着ているようにみえるペイントをしていたのである。今までこうしたものがメインストリームの前面に現れたことはなかった。
一応、乳首が見えているので、直接のリンクは張らない。Demi’s Birthday Suitで検索してほしい。
身体に名画を直接描いたり、人体の形を活かして生き物の姿を描いたりする。全裸も多いのでリンクが晴れなくて申し訳ない。中には会田誠の作品のように、セクシーさというよりはシュールさで有名なものがある。漫画のすごい顔の絵を描いていて、おっぱいに目がある。たぶん現代美術好きな人だったら見たことあると思うのだけれど、ものによっては普通に割れ目までも見ているのでリンクしない。女性器は猥褻だとは思わないが、残念ながら規約違反になってしまうおそれがあり、ブルマーの記事まで削除されてはたまらない。
例えば「アバター」なんかの映画で用いられるメイクアップで用いられる。他にも、Playboy誌が時折ボディペイントを使うことがある。2005 年のカレンダーでは皆がビキニを着る中で、Karen McDougalやHiromi Oshimaはボディペイントだった。そのほか様々な広告でも用いられる。
フットボールの試合、レイヴパーティー、その他の祭りなのでボディペインティングが行われる。また、国際的なボディペインティングのフェスティバルもあるようだ。World Bodypainting Festival(1997年より開催、50か国以上より3万人が参加)など。
Fantasy Festなるフロリダのストリートパーティでも用いられるようだ。おそらく、全裸・半裸になりたいけれどもファッションは楽しみたい、という需要にボディペインティングは応えている。
PETA(動物の倫理的扱いを求める人々の会)が動物の模様を身にまとって抗議することがある。また、全身を様々な色で塗っている写真も英語版のウィキペディアで確認できた。
いい機会なのでPETAについての記事を斜め読みしたのだが、増田ではよく叩かれているとはいえ、捨てられたペットの保護や、ヒツジの臀部から皮を剥ぎ取るミュールシングの代替手段の模索に向けての活動については知らなかった。もっとも、セクシーな抗議がフェミニストの怒りを買っていたり、殺人・虐殺の犠牲者と屠畜された動物を同列に並べて猛反発を受けていたりしてもいるようだ。
一番安全。すぐに落ちてしまう恐れがあるが毒性がなく、アレルギーもほとんど引き起こさない。加えて、石鹸と水ですぐに落とすことができる。手入れが必要で長続きしないが、皮膚の敏感なひとや妊娠中の女性に適している。
汗や水に強いのが特徴なので、夏の音楽フェスやパフォーマンスに適している。落とすときには専用のリムーバーを使うか、アルコールで拭く必要がある。ただし、少し時間がかかる。
ラテックスや油性の画材は全身を塗るのに適しており、目を引く視覚的効果を上げられるし、芸術的な目的にも使われる。取扱説明書を事前にしっかり読む必要があり、塗る前に全身の毛をとり除くひつようがある。毛が残っていると脱毛ワックス的になって痛いためだ。
多くの化粧品に含まれているのと同じもので、前衛的な外観を作りやすく、長続きするが、割れたり摩耗したりしやすい。利点としてはアルコール系と同じように汗や水に強いことが挙げられる。しかし、完全に乾燥することがないので、仕上げのスプレーやパウダーで駄目になるのを防がないといけない。
アジアやアフリカの熱帯地域の植物から採れる色素で染める。髪を染めたり、ボディペインティングの材料にしたりするだけでなく、繊維を染めるのにも用いられる。落とせるタトゥーとしても使われる。
Brown hennaは基本的には天然素材で毒性はないが、black hennaは金属が含まれており、長期にわたって使われると皮膚を害する恐れがある。
多くの人がボディペインティングのときに実際に何を着ていくか迷うらしい。特に野外で行うときには最低限、皮膚の色に近い紐パンや、ペイスティース(乳首の前貼り)だけを身にまとうことがある。トイレに行くときにはローブが必要であり、加えてペインティングスタジオは寒いことがあるとのこと。
WNBR(ワールド・ネイキッド・バイク・ライド)なんかだと普通に全裸に人もいるし、そういうイベントでだったら全裸も普通にOKだろう。
今回は、野外露出目的ではないボディペインティングについて調査した。今後は、ヘナタトゥーなどについてももう少し情報を得たい。
また、ヌーディズムそのものの歴史、ストリーキング、ムーニング(尻を見せる行為)などについて調査予定である。すなわち、身体が自然と触れ合う喜び、抗議・無防備さの象徴としての全裸、宗教的な全裸、それから、祝祭としての全裸についても調査したい。
Significance and Origin of Body Painting - Lynn Schockmel Body Art
History of Body Painting - Facts and Types of Body Painting
History of Body Painting - Ancient Body Paint Art
だからまあそのへんはお世辞と言うか通過儀礼というか、ハイハイでお互い聞き流すとこだよね
そこ気にする???みたいな感じはある
トラウマでも刺激されたのかしら
あ、ちんちん小さいんだっけ
……えー
上司から昇進試験を受けてみたらどうかという誘いがあった。その場はちょっと考えますと答えたが、自分はマネージャーになりたいのたろうか?自分で事業テーマを立ててメンバーを引っ張っていく事ができるだろうか?と考え、最終的には蹴ってしまった。
周りに相談すると大体はそんなもん通過儀礼だから深く考えずに受けときゃいいと言われたがそういう切り替えもできず受けなかった。
というのもなぜかわからないが数年前からすっかり自分を売り込むという事ができなくなってしまったからだ。表面上どうにかしようとしても、面接も論文も自分が昇進に値する人間だと伝えるような熱が全く入らないので受けたところで受かるのは難しいだろう。
一応仕事は真面目にやってるし試験受けたらとお誘いは来るので平均以上の成果は出せてるんだと思う。だが嘘であっても熱意を見せられない自分は試験を受けることもままならず、一方でたいした成果も出せてなかったりそんなにやる気の無い後輩でもきっとそのうち試験を受けて昇進していくのだろう。
ただ生きていくのに何でこんなに頑張らなきゃいけないんだ
子どものころボーイスカウトに参加してましたって言っていたあいつへの評価変わる
米国のボーイスカウトでの性的虐待被害を訴える訴訟で、ボーイスカウト米国連盟(BSA)に対する訴えの数が少なくとも9万2700件に達したことがわかった。
アンドリュー・バンアースデール弁護士によると、15日時点では推定8万2000件だったが、訴えの期限である16日午後5時の後、裁判所から9万2700件との連絡があったという。
ロサンゼルス在住のジル・ゲイルさん(58)は少年時代をアラバマ州で過ごし、1970年代に2度虐待を経験したと語る。
「これほど多くの人に虐待が起きていたことは残念だ」としつつも、「多くの報告によって人々の注目が集まり、他の子どもたちが我々と同じような虐待に遭うのを防げることはうれしい」と話す。
また、可能な限り多くの人に被害を訴え出てほしいとも述べ、「経験したことが認知してもらえるということを彼らに知ってほしい」と語る。
BSAは声明で、過去の虐待で影響を受けた人々の数に打ちのめされており、その痛みをなかったことにできないことが心苦しいと述べた。
バンアースデール氏は過去1年7カ月間にわたり被害を主張する人々数千人と会話し、BSAでの性的虐待は「不文律」となっていたとの見方を示す。
「ヒアリングの結果、性的虐待は国中の組織で通過儀礼となっていた。バッジを獲得するためにこなさなければいけない他の課題と同様だった」と語る。