はてなキーワード: 通過儀礼とは
自分の若い頃は、まだネットなんて存在してなくて、つまりエロコンテンツ、「オナニーのオカズ」は、「紙」だった。いわゆるエロ本。
年頃になると、このエロ本を、如何に「自分の部屋の中の、母親に見つからない場所に隠すか?」が、思春期男子の重要なライフハックになってた訳で、まあ自分も、「いかに見つからない場所に隠すか?」に工夫を凝らしたものだった。
そこへ行くと、現代の男子は、エロコンテンツをネットで自在に拾える訳で、「エロ本の隠し場所」に悩むという思春期男子の通過儀礼を全く体験してない訳だ。
エロ本隠し場所に悩んでた元思春期男子、今や中年のオッサンからすれば、「羨ましい」半面、「そういう苦労を味わってない現代男児」が、半分可哀相な気もするのだが。
ていうと、またまたジェンダーが云々、偏見だー、主語デカだーとか言われるんですかね?
オレの小学生時代には、テレビドラマとかで導火線に火がついたダイナマイトをぶん投げるシーンが割とよく見られたせいか、あの数10発が束になってる爆竹をほぐして「小さなダイナマイト」に見立て、火をつけて投げるのが流行した。
イイカンジのタイミングで投げると、空中で見事に爆発してカッコいいし、スカっとするw
でもたまに、導火線の火薬が十分入ってなくて、ジワジワとゆっくりとしか燃えていかないヤツがあって、まだ投げるタイミングじゃない・・・って様子を伺ってると、急に燃焼が加速して、投げそこねて指を爆破されることがあるのだw
一本の爆竹じゃ、火薬の量はほんの微々たるものなので、しばらく指がジンジン痛むくらいで、指を失う者はなかったのが不幸中の幸いであるww
それなりのサイトで女の子がハゲヅラ被ってるテーマの同人誌やサークルを探していたが結局剃髪をテーマとしたものしか見つけられなかった。
ハゲヅラというフェチには直接的にはみやこの全裸.zipによって思い当たることになった。
間接的にはフィメールマスクの着脱シーンや全身タイツ界隈にいた経験の蓄積によるものもあったかもしれない。
ハゲヅラの装着によってその娘のもつボディラインそのものの魅力を強調させ、素材の味というものをより楽しめるようにする。
シリコンの質感と地肌のおでことの絶妙な一体感。あるいは一体しきっていない感じ。
俺なら後背位だな。尻越しに頭で3つの丸み。どれも丁寧に撫でまわすんじゃ。その姿勢で少し悶えた横顔が見えるコマが一つは欲しい。
ヅラをおでこから少し持ち上げて、あるいはずらして前髪をちら見せした格好で前から突くのもいい。パンチラならぬ髪チラ流行れ流行れ(ヒジャブ界隈だとおなじみだろうけど)ここらへんはゼンタイにおいて前髪が少し出てるのを楽しんでる段階からその萌芽があっただろうな。
あるいはヅラの後ろ側から首にかけて地毛がちょろっとはみ出させるのもいい。
厚さが薄めのハゲヅラという設定で少し地毛が透けてるのもいい。
そういうのを経た後でズラを外した状態でのセックス描写というクライマックス感にこちらもドビューっといくんだよなあ。
まあそういう感じでやっぱりフェチってどんどん先鋭化してくんだよねえ。一種の通過儀礼なのかもしれない。
俺だってジャンルとして成長するように働きがけたいところだが絵心からないからどうしようもない。果報は寝て待てなんていうけど、ジャンルが確立されるなんて夢のまた夢だろうなあ…という虚しさに寄せてこの増田を残すことにする…
まさにその世代だけど、確かに小学生時代にジャンプ漫画とそのアニメが大正義だった。
ただ、ガンダムあたりのリアルで「大人の鑑賞にも耐える」アニメ路線も途絶えてて、ビックリマンやSDガンダムみたいなジャリ向けアニメのラインナップを観て育った。
だから中学入ったらアニメはいったん卒業して、大学で一人暮らしすると同時にネット始めたらそこがオタクだらけだったので影響されて、ファーストガンダムはじめ古典名作をツタヤで借りまくってにわかオタクになった感じ。
はてなに多い昭和50〜60年くらい生まれの世代の連中は学生時代に少年ジャンプが
そうそう、俺も仮面ライダーブラックやメタルダー、子供の時に好きだったけど、特撮は小学校の高学年にもなれば卒業するものって感じだった。同級生の間で。
一人暮らしで自由にできるPC手に入れて速攻でエロゲオタになったけど、「Fateや虚淵のパクリ元の一つが最近の仮面ライダー」という話を聞いて、「特撮もジャリ向けから進化してるんだなー」という感想を抱いたっけ。
あと、その時期には戦隊やメタルヒーロー、平成ゴジラがあっただろって指摘。これはごもっともだ。
でも、この辺を幼年期に熱心に見てたのにも関わらず、貶す奴が異様に多いんだよ。
追及してくと「あ、サンバルカンは見てたわ・・・」とか「ごめん、ギャバン好きだったかも・・・」とか白状するんだよね。
多分通過儀礼として特撮は「卒業」して、洋画やアニメに流れるっていうしきたりがあったのでは、と勝手に推測しているが。
俺の周囲だとガンダムとかリアルロボット好きな奴に多いんだよな。俺はガンダムも普通に好きだからその手の発言に出会う度に悲しくなる。
庵野が「シン・ウルトラマン」&「シン・仮面ライダー」が控えていることもあり、
かなり濃ゆい昭和特撮談義に花が咲いていて非常に興味深かった。
あの二人のクリエイティビティの源泉は昭和特撮だ、と言ってしまっても過言ではないと思う。
さてここで本題。
はてなに多い昭和50〜60年くらい生まれの世代の連中は学生時代に少年ジャンプが
全盛期だったせいか、とかくアニメと漫画ばかりを必要以上に過剰に持ち上げて、
当時洋画に押されて元気が無かった日本特撮を幼稚だショボいだとメタクソに貶す輩が多い。
この世代より生まれが5年以上早いと昭和特撮は本放送・再放送で目にしてることが多いし、
5年以上遅いと平成特撮をテレビなり劇場で見たり、あるいは昭和特撮を
レンタルで見てきた連中も多く、そこまでの拒絶感や蔑視はほとんど感じない。
最近の子供もサブスクで新旧作品が観られる分、日本特撮リベラルと言ってもいいと思う。
年寄り除くとこの限られた世代だけが日本特撮を取るに足らない低俗なモノとして、蛇蝎の如く嫌ってる。
その時期にノリダーとかゴレンジャイやってた悪影響もゼロじゃないけど、
それにしても嫌い方が酷推ぎてこの世代にあんまり近寄りたくないんだよな。
そのくせ日本特撮オタクのタランティーノやティム・バートン、最近なら
ジェームズ・ガンやギレルモ・デル・トロなんかの作品は神の如く崇めたりしちゃってさ。
それこそエヴァやシン・ゴジラもそう。お前らが好きなもんの構成成分に日本特撮は相当含まれているんだ。
一旦、色眼鏡を外して純粋に作品として楽しもうや...って言っても、もう無理だろな。彼ら既に中年に差し掛かってるから。
追記:
なんかワクチン打ちに行って一休みしてる間に思いの外、伸びてた。
脊髄反射で「ショボい」を連呼する輩たちがワラワラとさ。こいつらだよ、俺が糾弾したいのは。
なんつうか「特撮」と聞くと単に映像技術の事と捉えてるんだよな。
特殊技術が現代視点から見るとショボいという表層的な事で作品そもそもの価値や優劣が決まると信じ込んでる。
俺が言ってるのは撮影技術は勿論、緻密なデザイン・ストーリー、設定・世界観構築なども含めたトータルの話なわけ。
先の対談で松本が触れてたように、ウルトラセブンは地球人=善、宇宙人=悪という構図に常に疑問を投げかけてた。
すなわち「正義vs悪なんていうキリスト教的二元論はそもそも疑ってかかるべき」、という超リアリスティックなスタンスだった。
その思想の権化が「超兵器R1号」や「ノンマルトの使者」というエピソードだ。説明はめんどいからググってくれ。
そら今じゃその手の物はありふれてるだろうが、よく考えてみろよ?1967年製作の子供向け番組だぞ?めちゃくちゃ慧眼だろ。
次作の帰ってきたウルトラマンでは、宇宙人が聴覚障害者の無垢な少年に化けて侵略を企てる、というエピソードもある。
この宇宙人は、周囲の人間には聞き取れないテレパシーで主人公のウルトラマンを挑発し続ける。
「こいつが宇宙人だと叫んで私を引っ捕まえるか?止めとけ。周囲からきちがい扱いされるぞ。ははは。」とか嘲笑ってな。
良識ある大人たちは「聴覚障害者の無垢な少年」を疑って尋問するなんて真似は道義的にまずできない。その弱みを突いた。
ダークナイトのジョーカーも青ざめるような道徳ジレンマを容赦無く投げつけてくるわけ。これで1971年製作ね。
俺が見て欲しいのはこういう根っこや芯、いわば思想の部分である。上っ面でバカにしたり、貶すのはやめろ、って話だ。
あと、その時期には戦隊やメタルヒーロー、平成ゴジラがあっただろって指摘。これはごもっともだ。
でも、この辺を幼年期に熱心に見てたのにも関わらず、貶す奴が異様に多いんだよ。
追及してくと「あ、サンバルカンは見てたわ・・・」とか「ごめん、ギャバン好きだったかも・・・」とか白状するんだよね。
多分通過儀礼として特撮は「卒業」して、洋画やアニメに流れるっていうしきたりがあったのでは、と勝手に推測しているが。
俺の周囲だとガンダムとかリアルロボット好きな奴に多いんだよな。俺はガンダムも普通に好きだからその手の発言に出会う度に悲しくなる。
その時期のビデオ劇場オンリーのウルトラマンや仮面ライダー挙げてる奴いるが、流石にそれ系は観る人が相当限られてたと思うぞ。
俺も好きだけどね。パワードとかZOとかさ。でも悲しいけど、一般知名度は無いに等しいよ。誰も知らないよ、ケイン・コスギがウルトラマンだったなんて。
追記2:
一例として挙げたまでだよ。そんくらい分かるでしょ。俺だって話したいよ。
例えば大魔神のミニチュアの素晴らしさとかスペクトルマンの毒々しい怪獣デザインとか、
メタルダーの凱聖クールギンの常軌を逸した格好良さについてとかさ。
でもそんなマイナーなこと長々と書いても誰も見ないっしょ。
10年で区切った上に前後5年約20年間の世代を一括にしてバカにした上で
俺の周囲だと異様に多いって観測範囲も狭いし、全トラバ16個でブコメも超拡大解釈してもせいぜい悪く言ってるの10個そこらなのに
https://anond.hatelabo.jp/20210404105223
「絵やデザインが古すぎて見たくもねえわ」「ショボいしダサいし興味ない」
「でも幼稚だからな」その手のトラバやブコメはほぼほぼ見受けられないんだよな。
俺が指摘してるのはこの扱いの違い。印象だけの思考停止で否定する奴の多さよ。
俺がマイナス方面の問いかけをしたからマイナスの反応が返ってきたと言わんばかりだけど、
実際特撮が良い方面で話題になってもこれとさして変わらない反応が毎度の如く見受けられるからな。
他にも「そんな奴見たことねえよ」とか言ってる奴がいるが、ほら現に居るだろうがよ、って話。
「引退」と「飽きた」を見かけるようになったがスタートダッシュが上手くいったゲームは皆数ヶ月目に迎える通過儀礼。「クエスト複数回分をスキップしてやったことにできる神ゲー」や「ガチャの最高レアが7%で回すための石も入手しやすい神ゲー」など様々なソシャゲで同じことがあったので気にしなくていい。リリース当初は良い部分だけが取り上げられ、徐々に悪い部分が見えてきてそのバランスで続けるかどうか定めている時期。
ゲーム性はまあはっきり言えば5,6年前レベルで課金回りもその辺に近い。動く画面だけ見ればクオリティの高いゲームに見え、キャラを愛でるゲームとしては完璧。なのでやればやるほど「あれ?このゲームそんなに…」となるので課金しまくって最上位を争い続けるかエアプで二次創作とゲーム外コンテンツで楽しむ方が続けやすく中途半端にゲームを遊ぶ層は減りそう。
二次創作は実装されたキャラだけ見るなら二強、準三強(色々考慮して名前は伏せる)。それ以外のキャラも一部を除いてそこまで差がなくキャラゲーとして上手く作ってある印象。とある影響かパロディやクロスオーバーが他作品より多い。エロは禁忌とされてる一方でキャラクター像と反した描写の創作も少なくはない。リリースタイミングが絶妙だったゆえに他作品からの移民がかなりいる。おそらく次の大型新人が来るまでは安泰だがもし現れたならあっさり乗り換えるユーザーは多いと予想しておく。
そんな奴らの言うことなんか気にせず好きにすりゃいいんじゃねーの。
おれもお前の意見に賛成だよ。
自分は思春期に散々ヤンチャしといて、若い時分に真面目してた奴が後で揺り戻しが来たとき「高校生ならわかるけど、大人にもなって〇〇するなんて」みたいなこと言う奴らは、それが自分に一番都合がいいから言ってるだけのポジショントークだよ。
女遊びするとか自由を求めるとかワガママ言うとかは「年齢の推移とともにやらないようになる」んじゃなくて、人生のどっかでやっとかないと次に進めないもんなんだろ、きっと。
大人になってからやる奴は、子どものときは我慢したり抑圧されたりしていい子演じて、大人になるための通過儀礼を出来なかったんだから仕方ねーよ。
世間は子どもの頃にそこそこ悪いこともやって、そのへんの欲が解消された奴らが「しっかりした大人」になって自分たちの経験だけを基準に偉そうなこと言うから正論吐いてるように聞こえるけどな。
お笑いのアイデンティティでしくじり先生かな、Youtubeで見浦が田島に「ミーティングに遅刻するな」という話をしていて、コイツラの関係性がすごい嫌いになった。
まず、田島が「そんな事言ったって見浦も遅刻するじゃん」と言って、返す刀で自分の問題を相対化して矮小化した。論点もずらした。お笑いの点から言っても劣悪だと思う。全く笑えない。ドン引きもいいところだ。多分見浦は今あらん限りのエネルギーで一つ言ったと感じた。
見浦が「自分も番組に遅刻するが、そうじゃなくてミーティングに絶対遅刻する」という話をしたら
この後のやり取りがひどすぎた。
つまり、田島は見浦との約束を破る、というか、「あえて守っていない」という感じの話をしていた。これがものすごい嫌な感じだった。
相手との約束を意図的に破れる、ということは、そいつは相手をとことん見下している、ということだ。
なんか同じことネチネチいつまでも説教していてこいつちっとも響かないとかも言ってたんだけど、この時点で「俺が100%正しいんだからこいつは感動して自分を改めるべき」という認識がある。これも見下している。
そもそもとして、最初に書いたように論点をすっと変えに入った時点で、田島は見浦とのパートナーシップをものすごく軽く見ている。見浦は田島が大好きみたいだからこれも見ていて辛くなる。
見えないところではパートナーシップを軽視するようなことをしているかもしれないが、ここまで「俺は正しいことを言っている」という感じの田島が見ていて苦痛でしかなかった。
見浦が「遅刻の話」を提起したときに「え、そんな事?」と会場がスンとしたけど、いやこれ結構やばい問題だぞ。
見浦が言いたいのは「俺をもっと人間として尊重してほしい」くらいの重たいものだったはずだ(当人もこの辺全然気づいていないようだけど)。
なので、アイデンティティが出ていると、もう見られなくなった。R藤本がいてくれるとなんとかプラマイ0で見れるが、R藤本も損していると思う。俺目線では。ただ、DB芸人は全体的に発言がクズよりなので、だんだんだめになって見なくなった。
変な話ナッパ(ぴっかり高木)が一番面白い。次がセル(スタジオカドタ)、後はもうだめだ。
田島は見浦をもっと大事にするよう心を入れ替えるか、もう解散して別の道を歩んだほうがいいと思うが、正直見浦がいなくなったら田島単なる嫌な奴にしかならないので、それもないだろう。
田島は見浦を絶対に手放そうとはしない。見浦がいないと田島は自身が持てない。何気に田島は見浦に結構依存しているはずだ。
見浦にはぜひ面白くなってもらいたい、そして田島がアイデンティティの悟空としか認識されないくらいになってほしい。
と言うくらいまで俺は彼らの関係性に心をえぐられた。辛い。
#####追記
三浦はつまらない、田島は面白いから仕方ないという人は、そもそも人間関係のあるべき姿に思いをはせられないのだろうと思う。
正直な話、アイデンティティは田島が三浦のことをうまく活用することを諦めた時点でもうコンビ芸人としては終わっている。悟空の声真似で「おめえぶっ殺すぞ」と言うとか深夜ラジオの投稿ネタみたいなことしかできてないし。
過去関係性が悪かったコンビ芸人ってちょこちょこいたし、関係性が悪くなることも通過儀礼のように語る芸人もいるんだけど、そういう関係性の悪さって、お互いがぶつかり合っているとか、お互いが反発しあっているとか、どこかにガチンコ感があるんだが、アイデンティティの場合は、田島が一方的に三浦をフルボッコしているだけで、三浦は「すいません私が全部悪いんです」とか言っちゃってるDV夫婦みたいになっていてきつい。
まろにえーるでフリーザの食レポがイケてないみたいなことを言って吊るし上げるのがお約束になってたけど、田島なんか「うめー!」しか言ってねーじゃん、正直田島の食レポとフリーザの食レポでフリーザにつまんねえとか言えるほど違うか?
と言うかR藤本以外田島に完全に萎縮しちゃっている気すらする。
フリーザがそこで「お前だってうめーしか言わねーじゃんか」というツッコミをしないとだめなのに、誰もそれを言わない、ベジータも言わない。フリーザ、声の出演だけになったけど、正直それでいいと思う。
個人的になんだが、三浦が覚醒したらあのコンビってびっくりするくらい面白くなるだろうし、三浦のお笑いとしての素養ってすごい揃っているはずなんだよね。体型が小さくて弱そうなのに、実は空手初段ですげー強いというギャップ、声が素晴らしい、とかね。なので、三浦を押さえつけてしまっている田島の罪は思いと思う。
テレワークしてる?それとも出社してる?後者の人は現場じゃないと仕事が出来ない職種かもしれないから私とエアー握手しようね。
あんまり突っ込んでは言えないからふわっとした感じで愚痴るよ。
割と大手の製造業に従事してるんだが、ここ1年で転属した部署の上司が本当にクソオブクソなんだ。不人気上司の最悪なところを全部凝縮したと言っても過言じゃない。
上司のクソな部分で1番殺意の波動が漏れそうになるのは、固有名詞を言わずに仕事の指示出しをしてくるところ。
『アレやって』『あっちどうなってる』ってやつだ。
こういう話をするとよく、「察せないお前が悪い」っていうタイプのやつもいるけど、うるせーーーーーばーーーーーーか!!!!ってだけ先に話しておくね。
そうそう、あれとかこれとかそれとか、よくそれで通じると思ったよな?って感じちゃうんだ。私は上司の嫁でもなければ母親でもないしそもそも身内でもそんな口利くやつに慈悲なんてないけども。
セクハラモラハラパワハラは通過儀礼、デスクが隣だからいっつも攻撃受けてそれを左へ受け流す毎日。
口癖はみんながよく知ってる安定の『普通は』『どう考えても』を枕詞に。
そして極めつけは、独り言と鼻歌と貧乏ゆすりが酷いのなんのって。音に過敏な人だったら20分待たずに上司の頭シバいてると思うくらいにはうるさい。控えめに言って公害。精神衛生に悪すぎて現世からボッシュートされてほしい。
この上司にこれまで何人か部下が付いていたらしいけど、みんな速攻で辞めていったのも納得。
そんなクソの部下に付いた私が無能って意見出てたら許さない。逆らわなさそうな女ってだけでピックアップされたんだよこっちは!
まあそんなこんなで1年は我慢したからいよいよ反撃に出ようと思う。
もちろん暴力は振るわないよ!昔はついつい口より先に手が出ちゃうタイプだったけど(突然のイキリ)、社会の仕組みを利用すれば自己肯定感の低い独身女でもちゃんとなんとかできるシステムあっからね!
パッションだけはしこたま詰めた愚痴だけど正直言い足りないからまた上司への隠せない衝動訪れたら書きに来るね。ご清聴ありがとうございました。
それに参加したことで成人になれるわけではないのだろうと、改めて思わされる。
というのは、成人式という儀式が何か楽しくて、はしゃいで、騒いでも許される、
そんな風に甘っちょろく捉えている当事者たちが多いのではないかと思うからだ。
私は、成人式に行ったところで成人(大人としての責任を背負った、覚悟を持った人間)には
なれないと思ったので、10年前の自分の代の儀式には参加しなかった。
それでよかったと思っている。
ニュースで報道される成人式の様子や、街中で見かける成人式帰りの若者を見ると、
結局のところ、なぜこのような通過儀礼が行われるのか、理解していない人が大部分なのだろうと思ってしまう。
(これは、私の狭い視野による見方も関係しているだろうけれど)
結婚や子持ちになることも同様だが、私は成人式に出席できる権利を国家資格のようなものにするべきではないかと思っている。
その尺度はどうするのか、という話になると今すぐに解決策を提示することは不可能だが、こういうあってもなくてもどうにかなるような
通過儀礼に参加する立場の人間は、「果たして自分はこの儀式に参加する資格があるのか?」ということをしっかりと胸に手をあてて
考えるべきだろう。