それに参加したことで成人になれるわけではないのだろうと、改めて思わされる。
というのは、成人式という儀式が何か楽しくて、はしゃいで、騒いでも許される、
そんな風に甘っちょろく捉えている当事者たちが多いのではないかと思うからだ。
私は、成人式に行ったところで成人(大人としての責任を背負った、覚悟を持った人間)には
なれないと思ったので、10年前の自分の代の儀式には参加しなかった。
それでよかったと思っている。
ニュースで報道される成人式の様子や、街中で見かける成人式帰りの若者を見ると、
結局のところ、なぜこのような通過儀礼が行われるのか、理解していない人が大部分なのだろうと思ってしまう。
(これは、私の狭い視野による見方も関係しているだろうけれど)
結婚や子持ちになることも同様だが、私は成人式に出席できる権利を国家資格のようなものにするべきではないかと思っている。
その尺度はどうするのか、という話になると今すぐに解決策を提示することは不可能だが、こういうあってもなくてもどうにかなるような
通過儀礼に参加する立場の人間は、「果たして自分はこの儀式に参加する資格があるのか?」ということをしっかりと胸に手をあてて
考えるべきだろう。
成人になれましたか?
朝日新聞の社説感があって なかなか趣がある