はてなキーワード: 誰かのためにとは
ふとした疑問です。世の中には色々な方法でお金を稼いでいる人がいますが、パチプロは自分以外の誰も幸せになる要素がない、そのうえ他の人を不幸にして生きているので、他者にとってその人が生きている価値があるのだろうかと思い、この記事を書きます。
そもそもパチプロについて知らない人のために軽く定義を書きます。
この記事においてパチプロとはパチンコ・スロットで生計を立てている人のことを指します。パチンコ・スロット以外に真っ当に仕事をしていない人のことを指します。
台選びや技術介入をうまくやれば、毎日朝から夜まで打ち続けて年間数百万から多くて一千万円くらいは稼げるのではないかと思います。
まあ原理的にはパチンコ・スロットで生計を立てるのは可能だと思ってください。運に左右されて年間百万単位で収入は変わってくると思いますが。
ここからはなぜパチプロが生きている意味がないと思われるのかを書いていきます。
正確にいうと所得税を納めていない、というのが正しいですね。消費税、タバコ税などは否が応でも納めているでしょう。
ちゃんと正しく税金を納めてさえいれば、その税金が巡り巡って国民の元に還元されていくわけです。
パチプロのせいであなたに還元されるはずだったものが無くなっているのです。
この時点でパチプロは他の人間に迷惑をかけて生きているわけです。
パチンコ屋は別に雇っているわけでもない人に勝手に店のお金を持って行かれているわけです。
パチプロによりダイレクトに不幸を受けているのがパチンコ店なのです。
パチンコ屋もトータルで利益を出さなければ経営できるわけがありません。
となるとその利益はどこから出てくるのでしょうか。そうです、他のお客さん(=非パチプロ)なのです。
日中誰かのために必死に働いて得たお給料を持って、ご褒美にパチンコ屋に来たお客さんが負けるのです。
パチプロが存在しなければ、お客さんのお金が減るペースがもっとゆっくりになり、今よりも良い体験をお客さんが受けられ、また仕事頑張ろうってなる予定だったのです。
誰かのために働いているお客さん、そしてそのお客さんを楽しませたいパチンコ屋(店員)が損をし、誰のためにもなっていないパチプロだけが得をしている。
終わってますね。
パパ活女子の方が生きている意味はないのでは?という声が聞こえてきそうです。
パパ活女子も税金を納めていないという意味ではクソなのですが、パチプロよりはマシです。マシなだけですよ。
まずパパ活女子は一応誰かを幸せにしています。ここでいう誰かとは「パパ」のことですね。
パパ活女子に会うために、パパは必死に仕事をします。そしてその仕事がまた他の誰かを幸せにします。
だからパパ活女子の方がまだマシです。何度も言いますけどパチプロよりはマシってだけですよ。
ちゃんと税金納めて、性病さえ流行らせなければだいぶマシになると思います。まあそういうのを考えられる頭を持ってる人はやらないでしょうけど。
富を持ったパパから、貧乏なパパ活女子に富が再分配されています。
これは本来国がやることで褒められたことではないのですが、高いところから低いところにお金が流れる物理法則のような感じがオツですね。
何度も擦られたようなネタを、さもオリジナルであるかのように雄弁に語る情報商材屋は当然クソではあるのですが、プラシーボ効果というか、そんなクソみたいな商材でも誰か一人がポジティブに真に受けて良い行動を起こすかもしれないじゃないですか。
期待値はもちろんマイナスですよ。でもプラスになる可能性はあるわけです。
パチプロがいるから真っ当に仕事している人が頑張れるっていうシナリオが全く思いつきません
唯一パチプロが他の誰かを幸せにできる方法はとにかく金を使うことです。経済を回すこと
そしてできれば国内の会社のものが良いですね。boseのヘッドホンなんて使うなパチプロごときが。
宵越しの金を持つな。ただでさえ他人に迷惑をかけているんだからズル賢く生きるな。
パチンコ屋は勝つところじゃないんだよ。負けるためにあるんだよ。
パチンコは1日中椅子に座って画面を眺めているだけなので、当然ながら社会に通用するスキルは全く身につきません。
近年ではYouTubeなどでのパチンコ攻略法が広がって非パチプロのお客さんでも負けが少なくなってきました。
となると苦しいのはパチンコ業界です。誰も負けてくれなければ潰れていくしかありません。
パチプロが唯一頼りにしているパチンコ店が潰れたら自分の生活も危ういわけです。
頼れるパチンコ店がなくなった場合、そこにはなんのスキルもない右腕の筋肉が少しだけ発達した中肉中背が世に放たれるだけです。
そうなる前にさっさと普通に税金を納めるような仕事を始めた方が良いと思います。
ノートPCのSSDを換装しようとして、2024/3/31時点の状況を誰かのためになるかもと思って書いておく。
元のPC側のSSDメーカーが提供してる場合があるから、そちらも探してみよう。
なお自分はSAMSUNGだったが、SAMSUNG MagicianはOEM版には対応していない(しているのもあるかも)
各ソフト、有償だと3000円くらいからなので、それならクローンソフトバンドルのWDやSAMSUNGやらの1サイズ大きいSSDを買ったほうがオトクである。
と、おもうが…
誰かの役に立てば幸いである。
もしも「なるはや」と書かれたメールが来たら、いつまでかを最初に確認する。
メールの文面を読んで1分後に回答が思いつくような内容であれば、回答に「次からはいつまでに回答が欲しいのか明記してください」を添えて返信する。
「向こうが明確に期限を設けなかったのだから、こっちに期限を決める権利があるに決まっているだろ」といった態度をとってもいいのだが、トラブル対応で脳が茹で上がっているとそのへんの感覚がなくなることもあるだろう。
また、世の中には生まれつき自分と他人の境界が曖昧で、「自分の考えるなるはや」がそのまま相手に伝わると思っている人達がいる。
そういう人達に対して、「障害者が社会に出てくるんじゃねえ」という態度で接するほど行儀の悪い人間ではないので、「言ってくれないとわかりません。今回の「なるはや」はいつまでなのですか?」とこちらがちゃんと聞いてあげることにしている。
俺も完璧な人間じゃなくて、他人によく色々なことを補ってもらっているのだから、俺が補ってやれる部分はやってやろうという心構えだ。
金曜日の夜に「月曜日の朝までに」といってメールが来ていたら、メールの文面を見て、完全にこちらの落ち度だったり、どうしても早急に対応する必要があることを察せられたら残業して対応する。
だが、多くの場合は「どうしても月曜日の朝まででなければいけませんか?」と返信はする。
そうして帰ってきた返答によっては、代休処理をして土曜日に出てくることも考える。
もしも返答が20分以内に帰ってこなかったら、そのまま帰るだろう。
無理な期限を頼むつもりなら、それを相手に求めることにかかる心理的コストぐらいは払って欲しい。
もしどうしても助けて欲しいなら、文面でそれを伝える努力をして欲しい。
それもしないくせに、「金曜の夜に「なるはや」なら「月曜の朝まで」に決まってるでしょ!」とあとで文句を言われても、「それならそうと書いてください。というか、そういう対応をして欲しいなら金曜の16時までに電話を入れるのが最低限のリミットだと思います」と返すだけだ。
俺は優しいから言葉にしてやるが、言葉にせずにバッサリ行く人の方が世の中多いだろうな。
基準を他人に託している時点で、相手に何をやられも文句を言う権利はない。
客が「これって何個まで食べていいんですか?」と聞いてくれること、一つ食べて満足してくれること、そういったことを期待するのが間違ってる。
世の中には生まれつき他人のことを考えられない人種がいて、彼らは精神医学的な病理によって生まれつきそうなのだから、誰かが基準を示してやる必要がある。
心のバリアフリーの一種として、察することが出来ない誰かのために、明文化したルールを用意してやるのが、発展した社会というものじゃないのか?
セクシー田中さんの原作者の件もそうだけど、自分の周りも魂込めて仕事してる奴から潰れてる
もちろん魂込めても潰れない人もいるが、正直そういう人はスーパーマンというかいい意味でヤベェ奴だと思う
否定はしないが誰でもできることじゃない
どんどん昇進してください
仕事をする際は「仕事は仕事」と距離を置き客観視する必要があると思っている
仕事で自己実現をしても良いし好きなことを仕事にしても良いが、仕事を趣味や自己実現の主戦場にしてはいけない
結局、仕事とは労働者でも管理職でも社長でもフリーランスでも漫画家でもどの職種やレイヤーであっても「金を出してくれる誰かのためにアウトプットを出すこと」であり、絶対自分よりその「誰か」の方が偉くそいつが自分のアウトプットの生殺与奪の権をコントロールしている
その「誰か」が自分のアウトプットに満足せず、死ねと命じたらそのアウトプットはこの世から消える
もし、自分の魂の一部や好きなことの結果を仕事のアウトプットにしてしまうと常に「誰か」が死刑執行ボタンを持っている斬首台に自分の大事なものが置かれた状態になってしまう(そしてそのボタンは割と簡単に押される)
漫画家などが漫画というアウトプットを自分の子供のように言っているのを見ると危ういなと感じるのはそういう理由で、実際そういう考え方をしていたため潰れた人も大勢いるのではないだろうか
職業漫画家なら漫画というアウトプットは出版社のために作るものであり、出版社は消費者のためにそれを漫画誌やサイト、単行本という形でアウトプットする
という流れで仕事が発生する
つまり、漫画という自分の子供は最終的に不特定多数の消費者が生殺与奪の権を握ることになる
その結果は人気ランキング、単行本の売り上げ、最近だとSNSでの「つまらね」という直接的な拒絶の言葉で現れてくる
それだけでものすごいしんどいのに、昨今はドラマ化やアニメ化でアウトプットを買う「誰か」にテレビ局が入ることがある
(契約の内容にもよると思うが)基本は買った奴が好き勝手できるのが世の常だ
良い人が買ってくれたら幸せに暮らせるだろうし、悪い人が買ったら飼育放棄された犬のような扱いを受ける
セクシー田中さんで言えば、確かに最後は元通りにできたそうだが、一度バラバラに解体された我が子を自分の手で復元する作業だったのかもしれない
それはしんどいことだったと思う
ただ、アウトプットは「誰か」のものなので基本的にバラバラにされても良いというより仕方がないところがある
契約が明確な仕様として定義されていたら違うかもしれないが、「原作通り」という言葉だけだったならテレビ局側の解釈違いでキャラが変わったりすることは起こりうる
AさんとBさんでCさんへの印象が正反対なんてこともよくある世の中だ
漫画家を辞めたりYouTuberを辞める人はこの仕事は自分の魂や好きなことが他人に惨殺される場なんだと気づき恐れ慄いて辞めるのではなかろうか
そして、続けられる人はどこか諦念を持っており漫画をある程度無機質なアウトプットとして解釈することに成功したのではないかと思う
漫画は魂を込めていても、原作として切り売りするそれはただの人形だと諦める
それでも、人形だとわかっていても自分の子供と同じ姿形をしているモノが手をもぎ取られたり足を増やされたり改造されていく様を見ていて心穏やかでいるのは難しいと思う
ただ、仕事とはそういうものであり、金を出した誰かがアウトプットをコントロールする場なのである
しかし、その酷い改造もテレビ局の先にいるドラマを求める消費者のためにやるべきことをやった結果なのかもしれない
こうやって「誰か」に尊厳を踏み躙られる恐れがあるのは漫画家だけではない、世で働くすべての人に言えることだと思っている
アウトプットを求める「誰か」、その「誰か」の「誰か」、そしてその先にいるまだ見ぬ「誰か」が複雑怪奇に絡み合い、自分のコントロールが及ばない連鎖の中で仕事をしなければならない現代人にとって、せめてやれるリスクヘッジが「仕事に魂を込めない」だと思う
「そんなんじゃダメだ!」「生きてて楽しい?」と思う人もいるかもしれないが、そういう人は気にせず生きたいように生きてください
ただ、どうぞご自愛ください
戸愚呂弟「他の誰かのために120%の力が出せる… それがお前達の強さ…」
休職して、職場のこと想い出しながらゲロ吐いてるから、自分の経緯でも話しながら頑張ってる奴らに、そんな頑張らなくていいぞって話しを淡々としていく
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お前らがやりたくねぇっつって放棄したこぼれた仕事、わざわざ拾い上げて、その分残業して、体ぶっつぶれるまで仕事して、休職したらしたで、あいつはゴミだとぬかしやがる。そんなこと抜かししながら、俺のケツ拭いたつもりで、簡単な仕事して悦に浸ってやがる。
ふざけるんじゃねぇよ、お前らがおっぽり出したゴミみてぇな仕事山ほど抱えてたから、くたばったんだよ。寝ぼけたこと言ってんじゃねぇよ。そうやって人のせいにしながら生きてて楽しいかよ。自分のせいじゃない、あいつがやってないだけだ、あいつが悪い、そんなクソにもならない御託、よくもまあ並べられたよな。せいぜい偉い奴らにへつらって、尻尾でも振りちぎりながら生きていけよ、クソゴミどもが。自分じゃない誰かが死ぬ気でやった仕事の上をのうのうと歩きながら味のしねぇ飯でも食ってろ。うめぇうめぇって唸りながら、クソみたいな人生全うしやがれ。
綺麗なもんだけ見ながら生きていきやがれ。ヒイヒイ言いながら簡単な仕事でもやってろ。そうやって誰かが懸命にやった仕事を、さも自分がやりましたって面でもしながら自分語りしてヒンシュクでも買ってろ。そうやって悦にでも浸ってろ。お前のクソみてぇな人生を、いい人生だったとかほざきながら、後悔もせずに老いぼれやがれ、バカどもが。
お前らがSNSにあげた下品な笑顔、うっかり見ちまったからゲロっちまったじゃねぇか、クソが。人のこと踏みつけて、なんでもかんでも押し付けて、そのおかげでどうにかこうにか捻出できた時間と心の余裕で気持ち悪りぃ笑顔作ってんじゃねぇよ、見せつけてくんじゃねぇよ、お前らがやってる生産性向上ってのは、他人に仕事押し付けることだけじゃねぇか。クソみてぇな面に、クソよりひでえ笑顔ぶら下げて、ご大そうな御宅並べてんじゃねぇよ。写真におさめてまで人様に見せていいレベルの面じゃねぇだろ。それ見て胸糞悪くて便所でゲーゲーいってるやつがいるってこと想像してみやがれ。たまったもんじゃねぇだろが。
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この現実は、俺だけの現実じゃない。これはお前らの現実だ。お前らが苦労して、クソみたいに、懸命に、人様を想って働いた先の結末が、これだ。俺が体験している現実が、お前らの未来だ。今俺が、お前らの未来を生きている。だから、お願いだ。もし今無理して、誰かのために、誰かのケツ拭くために働いているのであれば、頼むから休んでくれ。頼むから逃げてくれ。そんなに働かなくていいんだ。お前らはお前らの人生を生きていいんだ。お前ら自身のために、人生を生きていいんだ。
ああ、今日もバカみたいに吐くんだろうな。吐瀉物のひでぇ匂いが鼻の奥まで充満するあの感覚はもうごめんだ。クソ、死ぬほど働いた結果がこれだ、やってられるか。
ここにいるやつらの中には、懸命に生きているやつがいるはずだ。そのはずだ。お前らは真面目だ。懸命に生きてる。誰かの仕事を自分の仕事だと想って、懸命に働いてる奴らがいるはずだ。お前らに幸あれ、ファッキンビッチだ、クソ野郎。お前らの未来が、幸せであることを祈っている。祈りながら吐いてる。俺のひでぇ、クソみたいな現実がお前らの未来に繋がらずにいるなら、あいつらみたいなクソ野郎どもに潰されないでいてくれるなら、俺はこのクソ溜めみたいな現実から、お前らの幸運を願っている。俺のために祈ってる。
じゃあな、達者で生きろよ、クソ野郎。
仕事をしていて、人の役に立つと嬉しいと思う。自分の役割があって、自分の捧げた時間と能力について、他者から承認される時間。社会の輪の中に自分の居場所がある感じがする。
でもこれは「役に立たないなら居場所がない」と裏返しではないかという気もしてる。
おれは別に「役に立つ」なんて心底どうでも良いと思ってずっと生きてきた。別に好きでこの世に生まれたわけではないし、まして役に立つために生まれてきたわけでもない。当人が幸せだって思えればどんな生き方だって良いと思っている。
でも、「役に立っている」と実感すると実際嬉しいことがわかった。考えてみれば、人間は一人では生きられないから、そういう風にできているのかもしれない。それが人間の本質に近いところな気もする。
だから他人にも、誰かのためになるって良いことだよって伝えたくなるけれど、それの是非がよくわからない。もちろん強制すべきものではない。それはわかっている。別に役に立つために好き好んで生まれてきたわけではないから。
みんなはどう?人の役に立つと嬉しい?
そしてそのことについて、例えば自分のこどもにはなんて伝える?
考えても
考えても
でもどうしてその男と結婚したのかが不可解で、その結婚が本当に必要だったのか
納得できないとき、同じく疑問に思ってる誰かのために事実関係を調査して X とかで報告するのもまた【報道】だよね。
でも反対の声が大きくなって仕舞えば、確率的に空気を読んだ(と思い込んだ)悪漢が現れかねない。
ここまでの推論、合ってる?
だとすると誰かの結婚に納得できない表現の自由って、それアリでいいのかな。
追記・
そんな結婚擁護派が批判して、反対派との言い争いで優位に立てば、空気読み悪魔もキバを収めると思う。
でもだとすると、結果的に悪魔が動いてしまったとき、何もしなかった人たちには「十分に結婚を擁護しなかった責任」「結婚に関心を持たず、賛成を表明しなかった責任」も存在するという事になりませんか。
本日は国際寛容デー、日本においては幼稚園記念日、いいいろ塗装の日、源流の日となっております。
寛容さって大事なように思えますが、無駄に寛容でありすぎるのはなかなか無責任ではあるかなと思います。
とはいえ責任を取らない立場であるならば好き勝手言っても仕方ないよなぁとも思います。
要は誰がそこを受け持っているのかを理解して行動するのがいいですよね。
自分の寛容さで呼び込んだ失敗なら自分が走り回って責任取るしか無いんですよね。
まぁ一番ややこしいのは他人の寛容さで始まったこれまた他人の失敗の責任に自分達も巻き込まれそうになった時ですよね。
しらばっくれられるならしらばっくれましょう。
取らなくていい責任なら取らなくていいんです。
寛容さを間違えた人はこれを取ろうとしちゃうんです、何より綺麗事を言いながらちゃんと利益を得ている人がいるという前提が霞んでいくのです。
利益をもたらす誰かのためにやる事だから仕事です、その前提が崩れるならなんでもないので引きゃいいのです。
ということで本日は【行動能力の確認よいか】でいきたいと思います。
もちろん全員ってわけじゃないんだけど、普通の仕事ができないいわゆる頭の悪い人ができる仕事なんだよね。あたしもそうだけど、普通の仕事は全然続かなくて、簡単な仕事ですらミスが多くてダメだった。けどVtuberは顔も隠せて別に声が可愛くなくてもよくて、ミスしながら何十時間とかけて撮った動画をミス消してアップしたらいいからあたしでもできた。仕事かどうかはちょっとあやしいし、あたしはぶっちゃけ実家に住んでるからこの程度のお金でもやっていけるとこはある。稼いでる人はすごいよね!動画作るのにいっぱいお金も時間もかけてる!あたしはあたしのペースでできる、そこもいいとこ。
それで仕事ができない時はできないことにイラついてたし理解されない周りにもイラついてたし、こんなあたしに産んだ親にも八つ当たりしてたし、急に悲しくなって泣いたりしてたけど、そんなにたくさんじゃなくても暇つぶしでもたまたま見つけてくれた人でも、コメントくれたりするの見て、他の人も仕事して得られている、人から認められる、みたいなのを感じることができるようになった。あたしはできなかったけど、昔同じ仕事してる時に周りのみんなができたって思ってたと思う感覚ってこれなんだって気づいた。それと同時に、仕事するって本当に大事なことだってわかって、あの時できなくて迷惑かけたみんなに本当にごめんなさいって思った。
仕事をするってその人自身のためにもなる、って書くと仕事できなかったのに上から目線っぽくなるけど、その人自身を認められるようにする、みたいな意味もあるのかなって思って。お客さんのための仕事であると同時にそこで働く人のためでもある、だからあたしができなくて仕事を止めちゃったり遅れちゃったりするのって、そこで働く人たちにも迷惑かけてたって言うか。
あも仕事って例えばスーパーのレジをするって仕事はそれ自体が仕事であるのと、誰かの買い物を計算してお客さんのものにするっていう二つの意味があって、それってものすごいことだなって思った。言ってること通じてるかな。
常に仕事って誰かのためになってて、それと一緒に自分のためになってるものなんだって。昔のあたしにはただの作業だったからそんなのわかんなくて、作業ができないからイラついてて、あたしが作業できないことを理解されないことにもイラついてて、何が言いたいかって言うと、あたしが仕事をするって言うことの根本が全然何ひとつ理解できてなかったってこと!頭悪いから上手く言えない!お客さんのためって頭ではわかってたけどいまいち理解はしてなくて、Vtuber始めてからやっと理解した。遅いけどわかってよかったって思ってる。
なんで動画で言わないかって言うと、こういう話キャラ名ありでするとよくないなって思ったから。
でもここの業界?はあたしみたいな人はいっぱいいて、なかなか働けなくて困ってた人たちが他にもいる。みんなも知ってると思うけど転生してる人の中にも、Vtuberが仕事にできて良かったって言ってる人もいるの。そういう人たちが自分がやるキャラクターに助けてもらいながら社会経験をつむのがVtuberなのかな、言うほど社会経験つめるかわわからないけど、上司とか同僚とかいないし、あたしぐらいだと厳しいコメントそんなに来ないから。まあそこはいいや、いいかわかんないけど。
ただVtuberって長くはやれない仕事だと思ってて、これはあたしみたいな外で働けなかった他のVtuberとも話すんだけど、親がいつまでもいるわけじゃないし、よくわかんないけど年金とかあんまりもらえないし、どこかでは覚悟決めて外で働かないとだよね、って思ってる。でも仕事をする意味がわかったから、できるような気がする。前みたいにただやるだけじゃなくて、その先のことを考えながらやると、ダメなこともいいことも違うんじゃないかって思うから。
一生Vtuberで食べていくつもりの人もいるよ!でもやっぱりみんなどこかいつまでもやれることじゃないって思ってて、この業界がどうするつもりなのかはわからないけど、どこかでやめないといけないなっていう空気感はある。そうじゃない人もいるよ!でも今も勉強しながら就職目指しながらVtuberやってる人もいるし、あたしも色々調べながらやってる。Vtuberに関するパソコンとかスマホの操作はもうどうするか決まってて、マニュアルがあるから難しくないの、こうしてこうして〜って全部教えてもらえるし。そこは映らないからミスしても問題ないし。でも普通の仕事で必要なスキルはほしいからそういう勉強できるのは参加したいよね。
ただあたしたちVtuberは人間じゃなくてドラマの中の出演者だから、こう言う話をするVtuberはいないと思うけど、そうなった時は快く背中を押してほしいです。よろしくね。
守る者がいるから強くなれるとか、そっち系の言い回しがあるけど、ずっと綺麗事というか建前的なセリフだと理解してた
自分以外の誰かのためにしか頑張れない、モチベが上がらない的なことを言ったタレントがいた
だから早く結婚して嫁さん子供を持ちたい、と続いたインタビュー記事
今になって、ああこういうことかと思う
振り返ると自分の仕事のモチベの上げ方はだいたいこれだったんだよな
お客さん上司を助けてやりたい、部下や後輩を守ってやりたい、身近な誰かを守りたい、そんなふうに思うことで意欲的に仕事ができてたと思う
5月から昨日まで100日超、仙人になるための修行を積んできましたが、日常生活に支障が出るようになったので諦めようと思います。
ここ1週間、頭、胸、下腹部などが急激に熱くなって、寝れない日が続き、頭痛も何日か続きました。朝起きたら大丈夫だけど、夜に近づくにつれてどんどん熱くなる。ずっと風邪ひいたぐらいの熱が出るので、流石に修行やめようかなと思い始めました。先生がいたら助けてくれるのかもしれないけど、独学でこれ以上踏み込んだら戻れなそうな感じがしました。病気の線も考えたけど、熱はコントロールして全身に回せるのでこれは気で疑いようがないし、最近特に気を強化してたからそれの影響の可能性が高そう。クンダリニー症候群とか気功の偏差の症例に近いしね。
誰かのために役に立つかもしれないので、修行内容を書き起こしておくと小周天、全身周天、精宮瞑想を各ポイントで5分~10分ぐらい留め置くようにしてました。全部回して大体1時間超ぐらいで、朝昼晩の3回で3時間ぐらい。土日は4、5回やってたこともあります。あと関係あるかわからないけど、站樁とヨーガも朝に1時間ぐらいやってました。
仙人は自分の精を気に変えるのでこの期間の食事は基本精力がつくものがほとんどでした。にんにく、にら、玉ねぎ、しょうが、牡蠣など。
補助で栄養ドリンク、生薬、メンズサプリメントなども試しました。確証はないけど、サプリメントを摂ってから急激に精と気が強くなって、修行が進んだので、これのせいじゃないかという気持ちは少しあります。一応書き残しておくと、亜鉛、マカ、オタネニンジン(高麗人参)は間違いなく効果あります。鹿茸、亀板膠はどうだろ、なくはないけど日常摂取には高すぎるかな。サプリメントの一番の特性は亜鉛なので、良くも悪くも亜鉛が一番精力には効くのかもしれないです。というか、効き過ぎた。
中国系の修行者は結構な割合でこの精力を維持する作業をしているらしいです(百日築基というやつですね)が、結構きついらしく、語らない人も多いです。この修行期間は精力のことしか考えない生活が続いていて、正直キツかったです、はい。漏らした時の罪悪感が半端ない。ただ、メンズサプリメントや精力剤で補給すれば、気の強化自体はそこまで問題なかったので、本当に漏らしたら駄目かはよくわからなかった。仙人ぐらい気が強くなれば影響が出るのだろうか。出るんだろうな。
元々中国武術の先生のことを調べていて、最初の頃は先生は周天の法について書いていたけど、途中から站樁だけで良いと急に言い出したのはなんでだろうと思ったのがきっかけでした。否定しているけど自分は絶対やってたでしょと思った試してみたけど、意味はわかった。後半の先生は「練功時は口を僅かに開け、自然呼吸で、つぼを守らず、周天の循環については語らず、故に絶対にいかなる副作用を産むことはない(练功时嘴微张,自然呼吸,不守窍,不讲周天循环,因此,绝不会产生任何副作用)」と書いているけど、そりゃそうだという感じでした。一方で、気を強くするだけなら站樁よりかなり効率が良かったので最初の頃に推していた理由もわからなくもない。
仙人になれたら先生にもっと効率的に近づけると思ったけど、壊れてしまったら近づくことはできないので仕方がない。站樁やヨーガ方面をもう少し研究しながら、別の方面から近づけるか検討しようと思います。独学で成功している人もいるらしいので、仙人になりたい人のために参考までに書き残しておきます。
これが2005年らしいんですよね。
今から20年弱前。
この頃はまだ全然男女差別とか誰も気にしてないし、ウルトラマンや仮面ライダーに女が居ないことなんて誰も問題にしてなかった。
まあ20年って結構長いというか、第二次世界大戦から今日までが80年ぐらいなのでそのうちの1/4だって考えれば社会が変わるには十分な時間ではあるわけで。
でもちょっと驚きがありません?
平成中期の頃はテレビでこうした男女差別思想の刷り込みを子どもたちにしまくっても誰も何も言わなかったんですよ。
むしろ保育士や学校教師が「男なんだからしっかりしなさい!」「女なんだからもっと守りたくなるような態度を取りなさい!!」を刷り込んでいたんですよね。
なんか凄いなあ。
自分たちが若い頃にあった価値観なんてもう全然ゴミになっちゃったんだなって改めて感じるしかない。
これ本当怖いことですよ。
たとえば戦争中に生まれたような爺さん婆さんって今でも「天皇陛下さまさまさまさまが……」みたいな感じで世界を語るじゃないですか。
昭和天皇が崩御したのをテレビ中継したのって団塊世代は笑い話にしてるけど、その親世代は「なんとも痛ましくて寿命を分けてあげたかったですじゃよ……」みたいに言う人もいるわけで。
凄いよマジで。
今どきの天皇感って「いつだって忘れない◯◯◯◯は偉い人。そんなの常識」って感じでしょ?(これもだいぶ古いな。元ネタで◯に入る人名まだ覚えてます?)
日本人全体の世界観、人類全体の世界観自体が変わっていってるんですよねリアルタイムで。
怖くないですか?
そのスピード自体が加速しているのに、自分の体感速度はどんどん衰えていってる。
最近の基準がここ1年からここ5年になり10年になりいつかは30年や40年にさえなってしまう。
そうなったら「最近」の範囲の中でコロコロ世界が切り替わっていくことになるわけでもうついてけないんじゃないかな。
たとえばマニュアル車が全滅してオートマ車ばかりになっていくようなノリで、アクセルとブレーキの左右がある日入れ替わったとしたら、それを忘れて間違って踏み抜いた瞬間に自分と誰かが死ぬわけじゃないですか。
そういったレベルでの抜本的ルール変更に対して、脳が「いやーまだこのルールに慣れてなくて」と言い訳しだしたとして、それを周りの人がちゃんと分かってくれるのか不安でしかない。
セルフレジの前で泣き出したり暴れ出しちゃう老人ってこんな感じなんだろうな。
ショーシャンクスの空にで、アレがコレするじゃないですか、あの2人いる主人公のうちアッチの方が。
あの舞台は刑務所と外の世界でしたけど、外の世界の中でも時間の流れが早い場所と遅い場所があって、早い場所についていけなくて遅い場所にこもるようになったらもうそこから出られなくなるんだろうなと。
老人の生態の秘密がわかってきちゃったんですよ自分自身の未来の姿として。
恐怖しかない。
お外が怖いからって家に引きこもって、何故かスマホの使い方は詳しいけど他のことについては平成の初期ぐらいで置き去りになっちゃってる変なお爺ちゃんとかみたいになっちゃう流れがやっと分かってきた。
怖すぎる。
これは怖いよ。
だからセルフレジの前で暴れるようなノリで価値観の変化の前で「こんな突然変えられてついてけるわけないだろ!」って手をブンブン振り回して暴れちゃう人がいるんだな。
分かるぜその気持ち。
怖いよな。
俺もだ。
どうしたらいんだろうな……。
マジで謎すぎる。
え、だってさ、あんたがいる会社の事業ってあんたが作ったんじゃないでしょ?
新規事業担当とかなら自分が作ったって言い張るのかもしれないけどさ、
作ってもない事業を伸ばそうと躍起になってんだろ。
いや、自分も含めてね。これは改めて自分に対して情けなく思うから書いてんだけどさ。
はーーーーあ、なんで人が作った会社で、そいつが達成欲とか承認欲を原動力にして作ったしょーもない会社で
なんか目標とかさ、KPIだとかさ、OKRだとかさ、
なーーーーーーーーーーんでこんなどうでもいいことで日々あくせくしてんだろ
人が作った会社なのに。
まあさ、それならおめー起業しろやボケっていわれると思うんだけどさ
それはわかる、うんわかる。そうだと思う俺も。
極論さ、働くってさ、「誰かのためになんかする」ってことじゃん。
誰かが欲しいもん作ったりさ、誰かがやってほしいこと請け負ったりしてるわけじゃん。
ふと考えるとさ、え、なんでそんなことしなきゃいけないのって思うよね。
なんで、「他人が作った、他人のための会社で」こんなに嫌な思いしたりしなきゃいけないんだろ。
なんで他人のためにばかり生きてるの??ばかみたいじゃん。
みんな自分のことだけ考えて、自分のために食料調達してたら病まねえよ
くそが
少し先の将来について人と話すと、ちょっと後ろめたい。
結婚してる想像はつかないけど結局してるかもしれないし、子供を育てることはできないと思いつつも、自分も母親になるんだろうと小学生頃から漠然と思ってたから、その感覚が完全に拭えたわけではない。
大学を卒業して、とりあえず就職しようとは思えず、フリーターでも良いと思った時期もあったけど、自分だけのために生きるのは限界があるな、と思った。だから就活した。
自分の好きなことをたくさんして、未来のことをあまり考えず今だけを楽しんで、余暇 の時間が多ければ多いほど、「なんで生きてるんだろ?死ぬことがこの状況だったら一番の娯楽というか最良の道だ」と考えるようになると思って、人並みに働くことを選んだ。
誰かのために責任を負わなくてはならない状況に身を置きたかった。
こんな感じで、結婚とか子育てとか、一般的な人生設計って、私みたいな、絶対に譲れない思想がない人が生きていくために、先人が一人一人考えて選んできた道なのかもしれない。
自分が一番大事だということ(どんな自分でも良いからこれは思想と呼べるものではないと思う)だけが譲れない部分だから、どんな将来も本気で約束できない。それが後ろめたい。